半月城通信
No.141

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    目次

  1. 「竹島=独島問題ネットニュース」28、2011.12.25
  2. 江戸時代の竹島=独島での漁業と領有権問題, pdf
  3. 「竹島=独島問題ネットニュース」29、2012. 5. 3
  4. 日本の固有領土はどこ?
  5. 日中韓の葛藤を見る世界の目
  6. 「竹島=独島問題ネットニュース」30、2012.10. 5
  7. 「独島は鬱陵島の付属島しょ」、日本の公文書に記録
  8. マスコミの竹島=独島報道、クロスファイア
  9. 「竹島=独島問題ネットニュース」31、2012.12.27


日本の固有領土はどこ?
  2012/08/23
[zainichi:31555], [CML 019434] 
 半月城です。
 にわかに領土問題が騒がしくなりましたが、日本も韓国も「固有領土」というあいまい
な用語を乱用し、いたずらに自国民の民族感情を刺激して領土問題を硬直化させているよ
うです。
 外務省は竹島=独島を日本の固有領土と主張していますが、かつて島根県竹島問題研究
会では竹島=独島を日本の固有領土とはいわなかったし、島根県のパンフレット『フォト
しまね』161号「特集竹島」(2006年)も同様でした。
 その理由を同会の下條正男座長は「今日の竹島は(日露戦争以前は、筆者注)「無主の
地」となっていたのである。従って、島根県の中間報告(2006年、筆者注)では「固有の
領土」論を採っていない(注1)」と記しました。ただし、下條正男座長は、最近では変説
してこう記しました。
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 竹島を固有の領土と言えるのは日本のみである。「固有の領土」は北方領土のように、
これまでどこの国にも統治されたことのない領土を指し、「無主の地」であった竹島は、
少なくとも1905年から戦前まで日本が実効支配をしていた実態がある。日本政府は、竹島
を「日本の固有の領土」といえるが、日本の領土を侵略した韓国側には、独島を「固有の
領土」とする資格はないのである(注2)。
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 下條座長の論法でいけば、韓国は戦前まで全領土が日本に支配されたので韓国には固有
領土がまったくないということになります。これは韓国どころか多くのアジア諸国も同様
です。あまりにも偏狭的な固有領土の定義で話になりません。
 ところが、島根県は下條座長の変説にしたがったのか、最近のパンフレットでは「竹島
は、歴史的事実に照らしても、国際法上も明らかに我が国固有領土です」と主張するよう
になりました。そもそも、固有領土とは一体何でしょうか?
 固有領土の定義ですが、仮に固有領土を遠い昔からの自国の領土と定義すると、日本で
は時代によって固有領土の範囲が異なるという不都合が生じます。具体的にいうと、現在
の外務省が考える固有領土と、明治時代のそれとが基本的に食い違っています。明治時代
について山辺健太郎は次のように記しました。
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 私はこの『固有の領土』ということをしらべているうちに、伊藤巳代治文書のあること
を発見した。これは『帝国憲法』制定のときに、憲法の施行される法域について調べたも
ので、この中に固有の領土の定義があった。
 これによると、帝国の『固有領土』は神話にあるとおり、本州、九州、四国、淡路島で
ある、と明白に書いてある。私はこのことを日本史家に話したところ、「それこそ明白な
定義だ」といっていた。これをみても、竹島『固有領土』説の根拠のないことがわかるだ
ろう(注3)。
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 伊藤己代治は1882(明治15)年に欧州憲法調査に随行し、帰国後は伊藤博文の秘書官と
して井上毅・金子堅太郎と共に大日本帝国憲法起草に参画した人物です。ところで、ここ
でいう伊藤己代治文書とは具体的に何を指すのか、もしおわかりの方がおられたら教えて
ください。
 さて、伊藤は真剣に固有領土の定義を考えたようですが、彼が根拠にした神話とは『古
事記』をさします。それによると、国生みの神であるイザナキとイザナミが天の御柱をま
わってから合体して生んだ子が、淡路島、伊予(四国)、隠岐、筑紫島(九州)、壱岐、
対馬、佐渡島、秋津島(本州)であり、天皇が統治した領域とされます。これらは総称し
て大八洲(おおやしま)と呼ばれますが、これが明治時代に多くの人が納得する日本の固
有領土でした。
 そこには南千島・歯舞諸島はおろか、北海道すら含まれません。こうした神話と歴史が
渾然一体となった皇国史観は少なくとも終戦時まで続いたので、その時点まで大八洲が日
本の固有領土として受容されたと見られます。それが戦後になって固有領土の範囲を広げ
たのでは、まったくのご都合主義といえます。
 ちなみに、北方の歯舞諸島を日本の固有領土として衆議院が「歯舞諸島返還懇請に関す
る決議」を可決したのが1951年3月31日でしたが、その決議に南千島は入っていませんでし
た。こうした認識が吉田茂首相の同年のサンフランシスコ条約受諾演説に取り入れられ、
その後の日本を制約することになりました。
 一方、日本政府が竹島=独島を日本の固有領土といいだしたのは、1956年12月3日に重光
葵外相が衆議院にて「竹島が日本の固有の領土であるということは、これはもう歴史上明
らかなこと」と発言したのが最初のようです。
 これ以前に竹島=独島を国会で日本固有の領土と主張した国会議員はいなかったし、新
聞記事もなかったようです。日本で竹島=独島の固有領土説は1956年に作られ、その後次
第に浸透し、ここ数年で加速度的に勢いを増したようです。
 現在、外務省は竹島=独島が日本の固有領土である根拠として「日本は、鬱陵島に渡る
船がかり及び漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立
しました」、「日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁
止しませんでした」とパンフレット『竹島を理解するための十のポイント』に記しました。
 ところが最近の研究によれば、実は江戸時代に幕府は欝陵島と竹島=独島が朝鮮領であ
ることを示す絵図「竹島方角図」などを天保竹島一件の時に作成していました(注4)。し
たがって、「17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました」などという外務省の主張が
成り立たないことは明白であり、固有領土の主張は根拠がなくなります。日本政府や島根
県は「固有領土」なる用語を再検討し、江戸時代の歴史をきちんと検証すべきではないで
しょうか。

(注1)下條正男「竹島問題の本質がわかっていない日本政府」『正論』2006.7、pp.276-7。
(注2)下條正男「実事求是 第22回」『竹島問題に関する調査研究報告書 平成21年度』
  2011、pp.42-43)
(注3)山辺健太郎「竹島問題の歴史的考察」『コリア評論』7巻2号、1965、p.4。
 http://www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/yamabe1965.pdf
(注4)朴炳渉「江戸時代の竹島=独島での漁業と領有権問題」『北東アジア文化研究』
 35号、2012、pp.27-30。
 http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park-1203.pdf

  (半月城通信) http://www.han.org/a/half-moon/




日中韓の葛藤を見る世界の目
  [CML 020222], [zainichi:31578]  2012.10.2
 半月城です。
 韓国の李明博大統領が「従軍慰安婦」問題などでまったく誠意を見せようとしない日本
政府を覚醒させるためと称して竹島=独島を訪問しましたが、これが日本では非難の的に
なりました。
 日本のマスコミのほとんどは「人気が凋落した大統領の支持率回復策」とか、「実績の
ない大統領の、歴史に名を残そうとする暴挙」などという論調でした。
 しかし、ヨーロッパの国々では別の見方もあるようです。それを韓国のマスコミ各社が
報道しました。まずは連合ニュース(2012.10.1)を紹介します。
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欧州マスコミの中心が「過去の事に反省をしない日本」を批判
 (途中省略)
 ドイツの国営ラジオ放送であるドイチェラント・ラジオは、去る22日(9月)論評で「日
本の歴史に対する反省不足が、韓国・中国とかかえている領土紛争に大きな役割を演じて
いる」と批判した。また、同放送は「日本はドイツと同じように第2次世界大戦の侵略国と
して自国の戦争史に対して深思熟考しなければならない」と皮肉った。
 ドイツの代表的な中道左派の新聞であるジュート・ドイチェ・ツァイトゥング(SZ)も去る
19日の記事で「日本が対立を繰り返している理由は、過去の戦争犯罪を認める努力をまっ
たくしなかったため」と指摘した。

 第2次世界大戦の最大被害国であるフランスのマスコミも日本批判を積極的に展開した。
伝統的な時事週刊誌レックスプレスは27日のインターネット版の分析記事で「独島を取り
巻く韓国と日本の葛藤は生産されない過去のために起きたこと」として自国の利益のみで
独島問題を扱う日本の姿勢を叱咤した。レックスプレスは「ホロコーストで全面的な責任
を負ったドイツと異なり、日本は植民地支配期に韓国人になした過去に対して責任をまっ
とうしたことはない」として、過去の事に対する反省と謝罪をしない日本を批判した。

 オランダの主要経済紙であるHFD(Het Financieele Dagblad)は22日付の記事で日本の
態度を批判した。この新聞は「スポーツ競技中にドイツ人がナチスの旗を振ったり(注
1)、ドイツの高官が公然とオランダ領の一部に対して領有権を主張することは想像できな
い」としてオランダ駐在の韓国大使の発言を引用し「日本の独島領有権主張で韓日間で起
きた状況がこれと類似している」と指摘した。
 新聞は「独島は1905年に日本の帝国主義膨張政策による最初の犠牲地である」とし、過
去の出来事を否定しようとする日本の動きが日本のイメージを否定的にしていると主張し
た。(以下省略)
       --------------------

 一方、中央日報(2012.10.1)は、他にもスペインやイギリスなどの見方を次のように伝
えました。       --------------------
ヨーロッパのマスコミ、過去の事を反省せずに「独島領有権」を主張する日本を批判
 (途中省略)
 スペインのエル・ムンドは25日、韓国の実効支配下にある独島に対して日本が領有権を主
張するのは膨張主義の欲求に起因するものであると説明した。エル・ムンドは16~17世紀の
文書にも独島が韓国領である証拠が明示されていると付け加えた(注2)。
 ・・・
 イギリスのフィナンシャル・タイムズ(FT)も日本は「ドイツと違って周辺国と和解でき
ずにいる」と12日に指摘した。
 FTは韓国・中国などアジア諸国と良好でない関係にある日本は「アジアでリーダーシ
ップを発揮できず、徹底的な商業主義的態度で一貫し、過去の事に対して良心の呵責を感
じないでいる」と強く批判した。
 FTは「日本が周辺国と和解して心を開いてこそ、アジア太平洋地域の平和と繁栄が可
能になる」と指摘した。(以下省略)
       --------------------

 最近、安倍晋三 自民党総裁や橋下徹 大阪市長などが戦時中に「慰安婦」を強制連行し
た証拠はなかったとして河野談話を見直すよう声高に叫んでいるので、私も河野談話を見
直しました。その談話には

 「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及
び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。
 慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場
合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更
に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」

 と書かれており、どこにも「慰安婦」を強制連行したなどとは書かれていませんでし
た。それにもかかわらず、河野談話すら否定するかのような政治家の発言は疑問です。
 強制連行でいえば、白馬事件(注3)などで強制連行があったことは国際的に証明されて
いるのですが、オランダ人に対してすら強制連行するくらいですから、日本軍が蔑んでい
たアジア人に対して日本軍が強制連行をしなかったとは、私にはとうてい考えられませ
ん。アジア人に対する強制連行に関しては、白馬事件のような国際裁判が開かれなかった
ので、公式記録が残らなかっただけではないでしょうか。
 それをいいことに、韓国やフィリッピン、インドネシアなどで被害者がいくら証言しよ
うとも、それには耳を貸さずに強制連行の証拠がなかったと強弁し、過去の歴史に向き合
おうとしない日本人政治家の姿をヨーロッパのマスコミはよく見ているようです。
 アメリカでは、「ヒラリー・クリントン国務長官が最近、米国のあらゆる文書・声明
で、日本語の“慰安婦”(comfort women)をそのまま翻訳した単語を使ってはならないと
指示した」とか、「日本軍の慰安婦ではなく「強制的な性的奴隷(eonforced sex 
slaves)」という表現を使うべきだと指示」し、日本にきびしい姿勢をとっているようです(注4)。
 こうした世界各国の批判は、日本ではほとんど知られていないようです。戦後65年を経
てもなお各国から日本の戦後処理が問われ、それが折にふれ爆発的な行動になって日本に
襲いかかってきますが、これは日本の戦後処理がドイツとの対比において際だちすぎるか
らではないでしょうか。
 日本企業の中には中国からの撤退を真剣に考えているところが続出しているようです
が、「ジャパン アズ No.1」と自信にあふれた経済大国の地位が少しずつ衰えるととも
に、今まで目立たなかった戦後処理問題や歴史認識問題、領土問題などアキレス腱の弱さ
が日本の障害になりつつあり、いかに克復するかが問われているようです。

(注1)オリンピック競技中に旧日本帝国海軍の旭日旗をあしらったスポーツウェアーを
 着用したことを指す。
(注2)日本の資料では鳥取藩『竹島之書付』、隠州『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸一巻之
 覚書』など、朝鮮の資料では官撰書『東国文献備考』、『粛宗実録』などがある。
(注3)半月城通信、「「従軍慰安婦」(5)、白馬事件」
 http://www.han.org/a/half-moon/hm011.html#No.108
 半月城通信、白馬事件(2)
 http://www.han.org/a/half-moon/hm016.html#No.142
(注4)朝鮮日報、2012/07/11。






「独島は鬱陵島の付属島しょ」、日本の公文書に記録
  メーリングリスト[CML 020504] 、2012/10/17

**さん、こんばんは。半月城です。
 朝鮮日報の記事「独島は鬱陵島の付属島しょ、日本の公文書に記録」の紹介をあり
がとうございます。この記事の分析をお望みのようですが、分析となると大事になる
ので、簡単に解説したいと思います。
 記事にある日本の公文書、すなわち1902年に釜山の日本領事館が外務省へ送った報
告書ですが、これは欝陵島に駐在する警官の調査書をそのまま写したものでした。
 ここで注意すべきは、欝陵島の警官というのは日本人しかいなかったという点で
す。当時、帝国主義国家の侵略にあえいでいた韓国政府は辺境の欝陵島に警官をおく
余裕がないばかりか、そもそも開港していない欝陵島に日本人が居住するのはすべて
違法なのに、彼らを追放できないありさまでした。
 それにつけこんで一旗あげようとする島根県民などが欝陵島へ押しよせて同島の治
安は次第に悪化しました。そのため、日本は1902年から朝鮮政府の反対を押し切って
欝陵島に日本人警官を常駐させたのですが、そのせっぱ詰まった事情が常駐警官の報
告書(1902.5)にこう書かれました。
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 (欝陵島の日本人の)人口頓(とみ)に増加し 従来の取締法にては到底整理すべ
からざるのみならず 渡航者は概ね無智文盲の儕輩(ともがら)にして日々紛擾を起
し 強は弱を凌ぎ 智者は愚者を欺き 甚しきに至ては 兇器を携え 暴行を加え 他人の
物件を強奪せしことあるも之を制止するものなく 非常に良民を苦むること少からざ
る
       --------------------

 この報告文では具体的なイメージがわかないのですが、山陰新聞によると「韓国竹
島(欝陵島)へ出稼するもの 村内段々多くなる様なるか 此頃該地より帰村せしもの
数人あり 同島は無政府の有様にて隣村の一人は本邦人の為に殺され 木の枝に吊るし
有りとのこと 昨年も御山人一名同様の惨殺に遭へたり」(1902.1.30)とされました
が、死体が木に吊されたままというおぞましい光景にはぞっとします。
 かつて日本政府は、1899年には韓国政府の要求を入れて欝陵島の日本人に帰国命令
を出しましたが、1902年には韓国の要求に対して日本人を帰国させるどころか、開き
直って同島に日本人警官を強引に常駐させるようになりました。まさに欝陵島・独島
は日本侵略の最初の犠牲地でした。その象徴が日本人警官の常駐ですが、前記の報告
書を書いた警官は、さらに竹島=独島(リヤンコ島)についてこう記しました。
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 本島の正東約五十海里に三小島あり 之を「リヤンコ島」と云ひ 本邦人は松島と称
す、同所に多少の鮑を産するを以て 本島より出漁するものあり 然れども同島に飲料
水乏しきにより 永く出漁すること能はざるを以て 四,五日間を経ば本島に帰港せり
       --------------------

 この報告書以前の竹島=独島漁業といえば、島根県漁民ではなく、漁業先進県の長
崎県や大分県などの漁民が欝陵島を基地にしてフカ漁やアワビ漁などをおこなってい
ました。彼らは清国へ再輸出するため、欝陵島や竹島=独島で獲ったアワビやフカヒ
レを欝陵島で乾燥、保存加工して日本へ輸出していたのでした(注1)。
 こうした輸出品に対して欝陵島島監は1900年まで輸出額の2/100を輸出税として通
貨代用の大豆で徴収しました。これは日本人の不法居住を認める代償になったのです
が、こうした徴税活動をとおして島監は港を出入りする船を監視し、竹島=独島を把
握していたようです(注2)。
 一方、警官の報告をとおして釜山の日本領事館はリヤンコ島(竹島=独島)を欝陵
島の付属島嶼と認識しました。この報告書は外務省へ送られ、通商局から『通商彙
纂』として発刊されたので外務省も同様に竹島=独島は欝陵島の付属島嶼という認識
を持ちました。
 ちなみに日本政府の竹島=独島認識ですが、江戸・明治時代をつうじて幕府や政府
が竹島=独島を朝鮮領と判断したことは何度かあっても、日本領と判断したことは編
入前に一度たりともありませんでした。
 そのような竹島=独島を日本は「無主地」という名目で1905年2月に日本領へ編入
したのでした。その原動力になったのは、外務省の「(日露戦争の)時局なればこそ
その(竹島=独島の)領土編入を急要とするなり、望楼を建築し、無線若くは海底電
信を設置せば敵艦監視上極めて屈竟ならずや、特に外交上 内務のごとき顧慮を要す
ることなし」という見解でした。ここで「内務のごとき顧慮」とは、内務省が竹島=
独島は「韓国領地の疑いある」として反対したことを指します。
 結局、外務省の意見が決め手になり、竹島=独島が日本領へ編入されて島根県の管
轄下になったのですが、「版図の取捨は重大の事件」であるにもかかわらず、官報に
は掲載されませんでした。
 そのため、釜山の日本領事館すら竹島=独島の編入を知らなかったようです。1905
年9月、日本領事館は常駐警官の報告「欝陵島現況」として「トゞと称する海獣は、
欝陵島より東南約二十五里の位置にあるランコ島に棲息し 昨年頃より欝陵島民之を
捕獲し始めたり 捕獲期間は 四月より九月に至る六ヶ月間・・・」と記して外務省へ
送りました。
 欝陵島に深く関わった日本領事館は竹島=独島の領土編入を知らず、ランコ島(竹
島=独島)を欝陵島民がトド(アシカ)猟をするような島、すなわち欝陵島の付属島
嶼として認識したのでした。
 この報告書は外務省『通商彙纂』に転載されたばかりか、官報(1905.9.18)にも
掲載されました。上記の文は領事館報告とはいえ、日本政府が何ら問題がないと判断
して官報に掲載したのでした。
 官報はいうまでもなく日本政府の公式見解を記す刊行物なので、「ランコ島」は欝
陵島の付属島嶼という認識が日本政府の見解になったといえます。これは、竹島=独
島を無主地という名目で領土編入した日本政府の措置が不当であったことを示しま
す。
 また、当時において竹島=独島が欝陵島の付属島嶼であるという認識は韓国側にも
ありました。欝陵島を基地にした韓国人の竹島=独島におけるアシカ猟は1895年には
始まっていたのですが(注3)、付属島嶼であることの確認は公文書でも可能です。
 具体的には、1906年に島根県の竹島=独島・欝陵島調査団が欝島郡守を訪問して竹
島=独島が日本領になったと告げましたが、郡守はこの事件に関して「本郡所属の独
島が外洋百里にある・・・」と記して韓国政府へ報告しました。郡守は竹島=独島を
欝島郡の所属であると認識していました。これは1900年勅令41号で欝島郡の管轄下に
された石島を独島と認識したものといえます。
 このように当時において竹島=独島が欝陵島の付属島嶼であれば、現在の領有権論
争に決定的な影響を与えます。1952年に発効したサンフランシスコ講和条約は第2条
に「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対す
るすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と書かれましたので、日本は竹島=独
島も放棄したことになります。
 梶村秀樹は、「竹島=独島の問題では韓国側に相当の理があるが、日韓大陸棚法は
全く理がないと思う。また、竹島=独島問題では、日本政府の主張は相当無理だが、
尖閣諸島の問題では五分五分の理があり、いわゆる「北方領土」問題では、まだしも
日本側に理があると思っている(注4)」と記しました。ただし、これは1978年に書か
れた文章なので、その後、30余年にわたる学問の進展でそれなりの変動があることで
しょう。

(注1)朴炳渉「明治時代の欝陵島漁業と竹島=独島問題(1)」『北東アジア文化研究』
    31号、2010
  http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park201003.pdf
(注2)朴炳渉「明治時代の欝陵島漁業と竹島=独島問題(2)」『北東アジア文化研究』
    32号、2010
  http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park-1010.pdf
(注3)池内敏「竹島/独島と石島の比定問題・再論」『テクストの解釈学』水声社、
   2012、pp.424-425
 (PW必要)http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/ikeuchi/ike-1203.pdf
(注4)梶村秀樹「竹島問題と日本国家」『朝鮮史と日本人』明石書店、1992、p.356

  (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/








マスコミの竹島=独島報道、クロスファイア
 [CML 020541], 2012/10/20

***さん、**さん、こんばんは。半月城です

 多くの人が外務省の「竹島は日本固有の領土」という説を信じて疑わないのは、マ
スコミがこぞってつくりあげたバベルの塔の権威によるものではないでしょうか。そ
の塔の先端が外務省のパンフレット「竹島問題を理解するための十のポイント」であ
り、これを批判した番組はほとんどなかったようです。
 わずかな例外が9月15日にBS朝日で放映された、激論!クロスファイア「竹島問
題、韓国は竹島問題をどう考えているか」でしょうか。この番組の出演者は下記のと
おりです。

 司会:田原総一郎、村上祐子
 ゲスト:韓国中央日報東京総局長 金玄基、竹島=独島問題研究ネット 朴炳渉
 コメンテーター:朝日新聞論説委員 恵村順一郎

 番組では「慰安婦」問題にかなりの時間がさかれましたが、それでも江戸時代の天
保期に幕府が竹島・松島を朝鮮領と考えて絵図を作成したことなどが語られました
(注1)。しかし、明治時代に太政官が竹島・松島を日本の領土外にしたことは説明し
かかったものの、時間の関係で語られませんでした。
 田原総一郎は1877年の太政官指令についてはご存じだったようですが、天保の絵図
についてはご存じなかったようです。この絵図が掲載された『朝鮮竹島渡航始末記』
は、その文章のほとんどが、幕府が編纂した対外関係資料集である『通航一覧 続
輯』巻之五に転載されましたが、資料価値が高い幕府史料です。
 この幕府史料の存在によって、外務省の「遅くとも、17世紀半ばには、竹島の領有
権を確立しました」という主張はほぼ覆されたといえます。といっても、外務省は
1877年の太政官指令同様に都合の悪い史料には沈黙を守ることでしょう。
 これらを含めて外務省が表に出さない竹島=独島の史実が広く知れ渡る時、弱みや
欠陥のある塔は崩れることでしょう。去る10月11日、日韓会談の関連文書で外務省が
開示を拒否してきた竹島=独島関係382件のうち70%にあたる268件を全面開
示(212件)と一部開示(56件)の形式で公開するよう言い渡した東京地裁の判
決がありましたが(注2)、これから少しずつ真実が明かされていくことでしょう。

(注1)天保の絵図は下記の論文にてカラーで見られます。
朴炳渉「江戸時代の竹島=独島での漁業と領有権問題」『北東アジア文化研究』35
号、2012、p.29。
 http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park-1203.pdf
(注2)東亜日報、2012.10.12、「東京地裁、日韓条約の文書開示を命令」。

  (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/






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