竹島=独島問題ネットニュース 29号
2012.5.4
竹島=独島問題研究ネット発行
記事一覧
1.【論文】朴炳渉「江戸時代の竹島=独島での漁業と領有権問題」
2.【論文】中野徹也「1905年日本による竹島領土編入措置の法的性質」
4.【論説】高藤奈央子「竹島問題の発端~韓国による竹島占拠の開始時における国会論議を中心に」
5.【論説】菊池勇次「「独島の持続可能な利用に関する法律」の改正」
記事詳細
1.【論文】朴炳渉「江戸時代の竹島=独島での漁業と領有権問題」
『北東アジア文化研究』35号、2012
松島(独島)での漁猟は、竹島(欝陵島)への往復時におこなわれたのではなく、竹島を基地に小船で出漁して少しずつおこなわれた。そのため、松島は「竹島近所の小島」などと認識された。したがって、竹島渡海禁止令がくだされた時に松島への渡海も同時に禁止されたと一般に理解された。そのため、幕府は天保の八右衛門事件の処理時に竹島・松島を朝鮮領とする絵図を作成した。したがって、日本は「17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました」、「竹島は日本固有の領土」という主張は成り立たない。
http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park-1203.pdf
2.【論文】中野徹也「1905年日本による竹島領土編入措置の法的性質」
『関西大学法学論集』61巻5号、2012
(1905年日本による竹島領土編入に関して)、無主地先占を主張することは,侵略にひとしいと受け止められてもいたしかたない側面は確かにある。その意味では,決して胸を張って,無主地先占を主張することはできない。しかし,少なくとも当時の国際法に照らしてみれば,潜在的係争国を植民地化したことにより,先占の完成が妨げられるとするに足る根拠はないと言わざるを得ない。それが時として欧米諸国の植民地支配を正当化する根拠として援用され,「強者の法」と呼ばれた近代国際法の特質なのである。
(PW必要)http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/msc_ron_cl/nakano-201201.pdf
【コメント】島根県の竹島問題研究会委員を務める著者は、竹島=独島問題を客観的に論じようと努めている。それだけに、2011年下半期の研究成果がまったく反映されていないのが惜しまれる。
すなわち、筆者は下記の金秀姫論文を看過しているが、『民国日報』(1962.3.19)によれば、竹島=独島における韓国人のアシカ猟は1820年代に始まったとの伝承がある一方、実際に1895年から1904年までアシカ猟をおこなったという金允三の証言がある。彼は竹島=独島をDol seom(石島)と呼んでいた。
金秀姫「‘竹島의 날’ 制定以後 日本의 獨島研究動向」『獨島研究』10号, 2011.
(PW必要)http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/korean/kimSH-1106.pdf
次に、筆者は下記の洪政阮論文も看過しているが、『帝国新聞』(1906.5.1)の報道によると、1906年に島根県官吏が竹島=独島が日本領になったと欝島郡守に告げた件で「日本理事と交渉せよという(韓国政府)内部の指令と、統監府から内部へ欝島郡の所属島嶼を照会したことをみれば、いかなる経路であったのか、大韓帝国側の問題提起があったことは明白であると考えられる」のである。
洪政阮, 「露・日의 欝島郡侵奪과 大韓帝國의 対応研究」, 『軍史』80号, 2011.
(PW必要)http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/korean/hongJW-1109.pdf
『テクストの解釈学』水声社、2012
金秀姫は、1900年前後の鬱陵島民の竹島/独島渡航に関わる新史料を提示しながら拙稿批判を行った(「『竹島の日』制定以後の日本の独島研究動向―池内敏の『石島』論議を中心に」(金秀姫2012))。これら新史料については、従来から知られてきた史料群と併せて検討を加える必要を感じる。また拙稿(池内敏2010)では「少なくとも前近代の朝鮮側文献ではアシカを対象とした朝鮮民衆の生業の記録が見られない」(7頁)と述べたが、これは事実誤認であり、訂正を必要とする。本稿は、それらを踏まえて(金秀姫2012)に反論を行いつつ、「石島」が竹島/独島と一致することの論証は全くもって果たされていないことの再確認を行いたい。
(PW必要)http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/ikeuchi/ike-1203.pdf
【コメント】金-池内の石島論争が佳境に入ったようである。残念なことに池内は石島について分析をおこなっても、自身は石島をどこに比定するのかに関して言及がない。通常、歴史事象の解釈で完璧な根拠を提示するのはほとんど困難であり、歴史学者は仮説を立てるのが常であるが、なぜか池内は石島の比定について仮説を立てず、他人の見解を批判するのみのようである。
4.【論説】高藤奈央子「竹島問題の発端~韓国による竹島占拠の開始時における国会論議を中心に」『立法と調査』322号、参議院事務局、2011.11
振り返ってみると、日本は一貫した領有権の主張の下、国会においても竹島問題についての議論を絶えず行ってきており、併せて、日韓関係の改善も重視してきたことが分かる。韓国では竹島問題をいわゆる歴史問題と結び付けて考え、日本が竹島の領有権を主張すること自体を許さないというような風潮があるが、このような日本の一貫した姿勢について韓国側に粘り強く説明し、韓国に対して冷静な対応を求めていくことが必要であろう。
(PW必要)http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/msc_ron_cl/takafuji-201111.pdf
5.【論説】菊池勇次「「独島の持続可能な利用に関する法律」の改正」
『外国の立法』2012.01
2011年12月30日、韓国国会本会議で、竹島(韓国名:独島)への観光促進、居住支援、海洋科学基地の設置、民間団体への支援、教育及び広報支援等、アクセスの向上及び有人島化推進を骨子とした「独島の持続可能な利用に関する法律一部改正法律案」が可決された。
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/pdf/02500215.pdf
『ニューズウィーク』2011.11.2
北朝鮮や中国の脅威を考えると、竹島問題における韓国の反応と〈鬱陵島に海軍基地を建設するという措置〉は、行き過ぎ感が否めない。竹島の領有権問題は、その戦略的な価値よりも感情的なしこりが動機になっている。日本を前にしたとき、韓国の国防政策が苦々しい過去の記憶によって動かされていることは明らかだ。
(PW必要)http://www.kr-jp.net/member/media/z-2011/panda-111102NW.pdf
中央日報, 2012年03月28日10時23分
日本文部科学省が27日、来年使われる高校の社会科教科書の検定結果を発表し、地理・現代社会・政治経済・日本史・世界史など社会科目の教科書39種類のうち21種類に「竹島表記」が入った。21種類のうち18種類は以前から独島関連記述があったため、3種類が新たに追加された。高校の社会教科書全体(103種類)では44種類から47種類に増えた。比率では42.7%から45.6%に増えた。
http://japanese.joins.com/article/556/149556.html?servcode=A00§code=A10
朝鮮日報、2012/04/13
東京都内にある憲政記念館で11日、独島(竹島)領有権を主張する大規模集会が行われた。この集会は、50人以上の国会議員や政党関係者、内閣から外務副大臣や首相補佐官(外交および安全保障担当)など、政府関係者が出席したことでも大きな注目を集めている。
読売新聞、2012.1.24
県が定めた「竹島の日」(2月22日)を前に、記念の特別展が、松江市殿町の県庁第3分庁舎の竹島資料室で開かれている。今年は、竹島の領有権問題の発端になった「李承晩ライン」を韓国が宣言してちょうど60年。「李承晩ラインと竹島」をテーマに、当時の資料や記事などを展示。県は「日本の立場の正当性を理解してほしい」としている。2月29日まで。
李承晩ラインは、1952年1月、当時の李承晩大統領が、朝鮮半島周囲約200カイリの水域に一方的に設定した漁船立入禁止線。竹島もこの中に含まれ、韓国側はラインの中に入った日本船326隻を拿捕(だほ)、乗っていた漁師ら3904人を抑留するなどした。
【コメント】竹島=独島周辺にて李承晩ライン関連で拿捕された日本漁船は1隻もなかった。また、李ラインは第1次マッカーサーラインの代替であった。一方的な漁船立入禁止線は他にブルガーニンライン(ソ連)、華東ライン(中国)などがあった。これらは200カイリ時代を先取りしたものである。詳細は下記の論文を参照。
朴炳渉「竹島=独島漁業の歴史と誤解(2)」『北東アジア文化研究』34号
http://www.kr-jp.net/ronbun/park/parkBS-1110.pdf
以上
竹島=独島問題ネットニュースのバックナンバーは下記で見られます。