半月城通信
No.117(2006.1.1)

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    目次

  1. 金敬得氏、ご他界
  2. 靖国と「外交の秋」の収穫
  3. 靖国参拝は日本の国益か
  4. 外務大臣は二枚舌か
  5. タカ派の外交はうまくいくのか?
  6. 靖国問題の経済的影響
  7. 靖国の影響「政冷経涼」
  8. 靖国に代わる追悼施設
  9. 竹島(欝陵島)と朱印船
  10. 高句麗の竹島(欝陵島)
  11. 村川船「高句麗」へ漂着
  12. 
    


    金敬得氏、ご他界 2005.12.29 メーリングリスト「在日」   半月城です。   昨夜、韓国人弁護士 第1号の金敬得氏がご他界されました。30年前、金氏は、韓 国人は弁護士になれないことを承知で無謀にもその厚い壁に挑戦し、多くの人の支援に助 けられ、ついには最高裁を動かして、韓国籍のまま司法修習生ひいては弁護士の資格を獲 得した弁護士でした。   その偉業を偲んで、金氏が弁護士になる原点をあらためて紹介したいと思います。        -------------------- 「自己奪還」の決意   1949年、メッキ職人の父のもと、6人兄弟の次男として和歌山市に生まれた。金 氏の一家を含め周辺に住む朝鮮人は皆一様に貧しく、真っ昼間から酒に酔ったアジョシ (おじさん)が道ばたで夫婦喧嘩を繰り広げるような環境で、金氏は「朝鮮人社会から逃 げ出すことと、自己の内にある朝鮮的なものを排除することが、いつしか習性のように なっていた」という。  「僕は鈍(ドン)で、弱い人間でね、同じ環境で育った兄弟のなかでいちばん卑屈だっ たな」   しかし、病が深い分、気付いたときの反動は大きい。金氏は大学4年間の孤独な葛藤、 朝鮮人であることをひたすら隠そうとする習性と、その習性に耐えきれなくなっているも う一方の自分との葛藤を通して、自ら答を見つけ出す。  「びくびくしながら隠しているというのは非常な苦痛だから、ある日、はっと気が付く んだよ。差別する者とされる者といて、なぜこっちだけが一身に悪を背負って生きていか なきゃいけないんだろう。なんでこんなばかな生き方してきたんだろうって。やっぱりそ れが目覚めるってことなんだ。病が深ければ深いほど、目覚めたときのバネは大きいよ」   4年間の煩悶の末、朝鮮人であることを明らかにして就職しようとしたときに、大学 の就職課で言われたことが、金氏をさらに断固たる行動へと駆り立てる。  「一部上場会社は99.9%無理。二部以下の会社で人のいい社長さんがいたら就職で きるかもしれないから登録だけしておいてください」   何が自分をこうさせたのか。差別に負けたからだ。逃げるのではなく、向っていくし かない。日本に奪われた自己を取り戻すのだ。金青年は、その存在を模索する。  「皆が民族的に生きようとしているときに、僕はそういう隊列から外れてきたわけだか ら、今日から朝鮮人として生きるからよろしくと、そんな厚かましいことよう言えん。   自分で自分を許せない。一人でできること、差別と闘えることは何か、と考えて司法 試験を受けよう、と。これなら勉強さえすれば、合格しさえすれば、ケンカできるから」   アルバイトをしながらの図書館通い。しかし、金氏は司法試験の勉強そっちのけで、 朝鮮関係の本を読みあさる。  「目覚めたばかりだから、そういう関係の本はどんどん吸収できるわけよ」   本腰を入れて勉強するために、半年間 和歌山の実家に帰り、土方をして荒稼ぎ。そ の金を持って再び上京し、一年後の76年、司法試験に合格した。待ち望んでいた最高裁 との闘いの始まりである(良知会「100人の在日コリアン』三五館,1997)。        --------------------   金氏の前に道はなかったが、金氏の後には道ができたーー最高裁を相手に、そんな表 現がふさわしい活躍ぶりでした。いや、それは活躍というよりは格闘といったほうが適切 かも知れません。絶望と一縷の望みの間を何度も行き来して、ついには勝利をもぎ取った のでした。   その後、金氏は弁護士を開業し、民族問題を中心に司法界で活躍されたことは周知の とおりです。   金氏の遺志を、数十人の在日コリアンの弁護士をはじめとして多くの人が継いで活躍 されることでしょう。金氏のご冥福をお祈りします。 新聞記事「金敬得さん死去」 2005.12.29 メーリングリスト「在日」   半月城です。   金敬得氏の亡くなられた原因について二、三のお問い合わせがありましたが、新聞発 表で胃ガンとされました(注)。金氏は数年前から闘病生活を余儀なくされましたが、やは り不治の病を克服できませんでした。せめて、還暦まではがんばってほしかったのですが、 在日の巨星は還らざる人になってしまいました。   奇しくも、亡くなられる一、二日前に金氏の自叙伝が出版されたようでした。金氏は それを冥途のみやげにして、彼岸でも道半ばの悲願達成にいそしむのでしょうか。 (注)朝日新聞,2005.12.28 初の在日韓国人弁護士、金敬得さん死去 http://www.asahi.com/obituaries/update/1230/002.html  金 敬得さん(キム・キョンドク=弁護士)が28日、胃がんで死去、56歳。故人の 遺志で親族のみで密葬をすませた。友人有志による「しのぶ会」が計画されているが、日 時・場所は未定。  (途中省略)  指紋押捺(おうなつ)拒否事件や元日本軍慰安婦の戦後補償、東京都管理職試験受験資 格確認訴訟など、外国人の人権擁護のための裁判にかかわるとともに、定住外国人の地方 参政権獲得や民族共生教育を目指す運動に取り組んだ。ソウル地方弁護士会名誉会員。 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


    靖国と「外交の秋」の収穫 2005.11.20 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」   小泉首相が靖国神社に参拝する姿は、私だけでなく少なからぬ人にヒットラー追悼施 設への参拝を連想させるようです。中国の李肇星外相はこう語りました。  「ドイツの指導者がヒトラーやナチス(の追悼施設を)参拝したら、欧州の人々はどう 感じるだろうか」   atroposさん、wrote, >先述の通り、首相はA級戦犯のために参拝しているのではありません。   そうとも言えますが、見方をかえれば小泉首相はA級戦犯のためにも参拝していると 言えるのではないでしょうか。   首相は去る5月16日の予算委員会で「戦没者全般に敬意と感謝の誠をささげるのがけ しからんというのは理由が分からない」と語りました   小泉首相のいう「戦没者全般」の中には東条英機などA級戦犯が含まれるのは間違い ありません。浅学な小泉首相は孔子の言葉を捏造し、つぎのような言い訳のセリフを残し ました(注1)。 「『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ。何ら問題があるとは思っていない」   この言葉は、小泉首相がA級戦犯にも「敬意と感謝の誠」をささげていることを如実 に物語っています。したがって、シンガポール上級相・ゴー・チョクトン氏の「どのよう に理論づけようと、小泉首相の靖国神社参拝はA級戦犯も含めた戦死者への表敬と受けと められる」という理解はまさにそのとおりです。   そのように理解されるのを避けるため、昭和天皇は靖国神社がA級戦犯をまつった後 は靖国参拝を見合わせたのではないでしょうか。また、現天皇も同様ではないでしょうか。 A級戦犯の顕彰が障害になったようです。   そうしたA級戦犯をもまつる顕彰施設を首相が参拝すれば、ナチスの追悼施設への参 拝が思い起こされて当然です。もし、ナチスの追悼施設を参拝するような指導者がドイツ にいたら、おそらく雨あられのような非難を受けることは間違いないでしょう。もっとも、 そうした非常識なことを敢行する無鉄砲な指導者はドイツにいないでしょうが。   ところが、小泉首相はあえてそれをやりました。王毅・駐日中国大使のいう「隣国の 嫌がること」を世界が注目する中で大胆にやりました。しかも、そのうえで「自分は日中 関係を重視しており、中国との友好は大事だと考えている」と語ったそうですから、その 神経にはあきれるばかりです。   その結果は予想どおりです。中国は APEC会場での日中首脳会談を今回は拒否しまし た。今後もおいそれと首脳会談は開かれないことでしょう。それでも、首相は元来が能天 気なのか、それとも強がりをいっているのか、日中関係は「全く心配ない」と語ったよう です。   一方、韓国は APECホスト国として「お客さん」にたいする礼儀から日本との首脳会 談をしぶしぶ受け入れました。その結果は案の定<日韓「靖国」で溝拡大>という結果に 終わりました(朝日新聞,11.19)。会談で盧武鉉大統領は、小泉首相の靖国参拝を強く批 判したようです。今回の小泉訪韓を朝日新聞はこう論評しました。        -------------------- 「歴史認識、日本の立場は受け入れられない」…韓日首脳会談                   朝日新聞、社説(2005.11.20)  ・・・  盧武鉉大統領との会談は、先月、首相が靖国神社に就任以来5回目の参拝をしてから初 の顔合わせだった。予想通り、厳しいやりとりがあった。  日本政府によれば、「韓国に対する挑戦」と靖国参拝に強い不快感を示した大統領に対 し、首相は参拝に込める思いを改めて説明した。だが、大統領はにべもなかった。「いく ら首相の考えを善意に解釈しようとしても、韓国民は絶対に受け入れることはできないだ ろう」  靖国問題でのやりとりに時間を取られ、年内までにと日本側が働きかけている大統領の 訪日について、正式に招請することもできなかった。  中国との間では、4年にわたって首脳同士の相互訪問が途絶えている。首相はAPEC などの国際会議の際に会談できているから問題ないと主張してきたが、今回はそれさえ実 現しなかった。 外相会談もなかった。  せっかくのAPECなのに、これは深刻な事態というほかない。  首相は、胡主席ら首脳がそろった席で、日中関係に触れ「心配している国があるかもし れないが、全く心配はいらない。自分は日中関係を重視している」と発言した。その言葉 にうなずいた首脳がいったい何人いただろうか。  締めくくりの記者会見で、首相は「一つの問題があるから(といって)、全体の関係を 損なうようなことにはしない」と述べた。ならば、と中韓両国は言い返したいのではない か。首相も靖国参拝という一つのことに固執せず、全体を見たらいかがかと。  それを一方的に突き放して、果たして外交は成り立つのか疑問である。ましてこの「一 つの問題」は、首相自らが作り出したものだ。自分が決断すれば取り除ける問題である。  日本と中韓の間がここまでこじれてしまっては、周辺の東南アジア諸国なども懸念を抱 かざるを得ない。・・・        --------------------   小泉首相の靖国参拝にこだわる剛直姿勢の結果、日本は「孤立感増す小泉外交」の色 彩をますます強めているようです。中国、韓国のみならずロシアとの外交関係もうまくい かず、ロシアにまで歴史認識問題の弱みをつっこまれるようになったようです。それを朝 日新聞(11.19)はこう伝えました。        -------------------- 日本の教科書、ロシアが批判  「過去の誤り認めよ」   ロシア外務省のカムイニン情報局長は18日、プーチン大統領の訪日を前に、日ロ関係 についての見解を発表した。  「いまだに日本の歴史教科書は、戦前、戦中の朝鮮半島占領や中国での虐殺行為が犯罪 行為だったと認めていない」とした。・・・        --------------------   この指摘はもっともです。特に扶桑社の『新しい歴史教科書』などは犯罪行為を認め るどころか、先の侵略戦争を「自存自衛の戦争」といわんばかりの書きぶりです。   小泉首相は、さすがに過去の侵略戦争を「自存自衛の戦争」と美化する靖国神社の見 解を「支持していない」と明言したようです(毎日新聞 11.19)。軍国主義とは一線をひ くということでしょうか。あるいは、対米関係最優先の小泉首相は内心ではそう思ってい ても、口に出せないだけなのでしょうか。   小泉首相のいう「外交の秋」もそろそろ総決算の時期になりましたが、収穫は何が あったでしょうか。ブッシュ大統領に金閣寺を見てもらったのは収穫のひとつかも知れま せん。 (注1)半月城通信<罪を憎んで人を憎まず?>


    靖国参拝は日本の国益か 2005.11.27 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」   atroposさん wrote, >貴殿は日本の「国益」について、どう考えておられますか?   現在、日本の貿易は半分以上がアジア各国からであり、その割合は年々高まっていま す。しかも、増加の割合が高いのが中国などの東アジアです。資源小国で「貿易立国」が モットーの日本は対米依存を卒業して、アジアに軸足をおく共存共栄の経済発展ならびに 平和的な国際貢献を図る、これが日本の国益にかなう望ましい姿ではないでしょうか。   日本の外務省はそれを意識してか、海外の4大主要公館を米、ロ、中国、韓国として 外交活動をすすめてきました。それだけに小泉政権の米国追随、アジア軽視の外交ははた して日本の国益にマッチするでしょうか? 過去、日本の国益を念頭に政権を運営してき たふたりの元首相はこう語りました。        -------------------- 宮沢喜一元首相   小泉さんのアジア政策については問題があると思います。アジアとの友好関係にもっ と積極的な努力がいる。中国は靖国問題が一番具体的な話でしょうが、こんなことを巡っ て両国の首脳が会えないのはやはりまずい。   これからは米国と中国をどう組ませていくかが日本の仕事。親米はいいと思うけど、 中国を忘れちゃ困る。中国の将来に懸念があるから、注意して大事にしなきゃいけない (朝日新聞,11/22)。 中曽根康弘・元首相   外交的にみても、隣国の首脳と国際会議以外では容易に会談できない事態が続いてい る。小泉君の個人プレー外交で「引きこもって」いるからでしょう。小泉君は「個人的信 条」で靖国神社へ参拝すると言うが、大きな国益の前では、国民の理解を求めて個人の信 条は譲らないといけない。   昔の政治家は笑われても、けられても、国益優先でやってきた。小泉君はポピュリズ ムに基盤があるから、そこから抜けきれないんでしょうね(朝日新聞 11/23)。        --------------------   今回、訪日したロシアのプーチン大統領との首脳会談ではさすがに靖国問題は出な かったようですが、釜山の APEC会議における主な二国間首脳会談ではことごとく小泉首 相の靖国参拝問題が話題になったようです。   韓日首脳会談はもちろん、日米首脳会談、韓米首脳会談、中米首脳会談、韓中首脳会 談での共通した話題のひとつは「靖国問題」でした。すこし異常ではないでしょうか。   もし、首相の靖国参拝が日本の「方針」なら、それをめぐって各国の意見衝突が高じ て、結果的に首脳会談レベルの話題になったというなら、まだしも理解できましょう。か つての中曽根政権時代の靖国参拝をめぐる意見衝突はそれに近いものでした。   しかるに小泉靖国参拝は、小泉首相みずからの言によれば、あくまで小泉首相の「個 人的信条」にもとづく「私的参拝」とされています。首相が国策ではない、自称「個人の 信条」にこだわるあまり、中国からは首脳会談を拒絶されるし、韓国との溝は深まるし、 中曽根氏の言葉を借りれば「引きこもり」外交を余儀なくされました。   もっともそうした「頑迷さ、一徹さ」が人気の秘密になり、日本国民の半数に支持さ れているので、ポピュリズム、すなわち大衆迎合政治に基盤をおく小泉首相としては最後 まで今の路線を突っ走るのでしょう。   もし、ここで小泉首相が靖国の「個人的信条」を曲げたりしたら小泉美学がすたれる し、小泉劇場ではブーイングにあうことでしょう。そうなると人気が落ち、来年の任期終 了に有終の美を飾れないことでしょう。   ポピュリズム政治家は、情勢がどうであれ、自己の安直な哲学は容易に捨てられませ ん。その結果どうなるでしょうか? どうなろうとケセラセラ、小泉さんは自己満足する でしょう。また atroposさんなんかも元首相とちがって満足でしょうか。しかし、それで 多くの日本国民が満足するのかどうか、私はじっと見守りたいと思います。


    外務大臣は二枚舌か 2005.12.4 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」   鈴木隆さん wrote, >靖国参拝は問題じゃありませんよ。 >中韓が問題にしているにすぎません。   11月26日、麻生太郎・外相は金沢市内で開かれたある講演で同じようなことを述べて、 内外からひんしゅくを買いました。  「靖国の話をする国は、世界で韓国と中国だけだ」「気にしなくていい」   麻生外相は、中国・韓国以外にシンガポールなども小泉首相の靖国参拝に反対してい るのが目に入らないようです。それ以外にも、ここで紹介したように、マレーシアやタイ、 台湾、ドイツ、スイス、イギリスなどでも「靖国の話」がされているのをご存じないよう です。   さらに、麻生外相や小泉首相がもっとも重視するアメリカですが、そこでも靖国神社 は「戦争の神社」として話題になっている事実すら知らないようです。日本の外務大臣は 外国の事情に暗い「外交音痴」ではないでしょうか?   ここで仮にたとえ首相の靖国神社参拝に反対しているのが中国、韓国だけだとしても、 前に書いたように、それは日本の四大主要大使館が置かれている外国の半数が明確に反対 していることになります。日本にとっては由々しき問題ではないでしょうか。   元来、人は見たいものだけ見、聞きたいものだけを聞く習性をもつので、特に偏狭な 視野をもつ人は実状をありのままに見ることはまず不可能なことでしょう。そんな人には、 せめても自己矛盾のない発言をしてほしいものです。   こう書くのは、麻生外相の発言があまりにもチグハグだからです。かつて麻生外相は、 小泉首相の靖国神社参拝に対する韓国や中国の反発に対して「誠意を持って真剣に説明し、 両国政府と国民の理解を求める」と語っていました。   そう発言した舌の根もかわかないうちに、「靖国の話」をする中国や韓国を「気にし なくていい」などと、まるでアベコベの発言をするのは二枚舌ではないでしょうか。日本 国内向けの説明と外国向けの発言を使い分けているのでしょうか。それとも「ホンネ」と 「タテマエ」の違いでしょうか、判断に迷うところです。鈴木隆さんはどう思いますか?   麻生外相はそんな二枚舌で、韓国の外交通商省の下記論評(11/28)に一体どう答える つもりでしょうか。  「誤った歴史認識に基づいており、靖国神社参拝に近隣国と国際社会が示してきた深い 憂慮に耳を傾けない無分別な振る舞いだ」   麻生発言について中国の新聞も反発したのはいうまでもありません。中国、韓国の批 判に対して、さしも多弁な麻生外相は一言も言い返せないようです。しかし、そんな彼も タテマエではとても立派なことを語っているようです。韓国の東亜日報(11/28)は麻生外 相の公式見解をこう伝えました。        --------------------   麻生外相は25日の東亜(トンア)日報との書面インタビューで、「韓国との関係は 日本として最も重要な関係の一つだ」としながら、△相互交流による信頼の増進、△歴史 問題に対する適切な対応を含む未来志向的協力、△東アジア情勢における協力強化に努め ることを確認した。 また、「日本外交が米国のみを重視して、隣国を疎かにしているのではないか」という質 問に、「韓国、中国などの隣国との関係は、米国との同盟に劣らず重要な日本外交の軸 だ」と強調していた。        --------------------   麻生外相が本当に韓国との関係を「重要な日本外交の軸」と考え、「歴史問題に対す る適切な対応」を真剣に行うのなら、麻生外相はまずご自身の身辺問題からクリアにして ほしいものです。   その問題とは「麻生鉱業」問題です。かつて麻生外相が社長をつとめた「麻生セメン ト」は「麻生鉱業」の後身ですが、麻生鉱業は強制連行・強制労働で筑豊御三家にのしあ がった財閥でした。   その麻生鉱業には「キンタマ事件」などで不慮の死をとげた朝鮮半島出身者の遺骨が うやむやになったままです。その調査が、麻生太郎氏が外務大臣になっても進まないと韓 国から指摘を受けました。   これは、平気で「創氏改名発言」をするような麻生氏だからこそ、逆によけい進まな いのかもしれません。朝日新聞(11/29)は遺骨問題をこう伝えました。        -------------------- <韓国、旧麻生鉱業の資料提出要求 徴用朝鮮人遺骨協議>  戦時中などに日本企業に徴用・雇用されて死亡した朝鮮半島出身者の遺骨の収集や返還 をめぐる第3回日韓当局者協議が28日、ソウルであり、関係者によると韓国側は、1万 人を超える徴用をした旧麻生鉱業(福岡県)の関係資料がこれまで出ていないとして、資 料の提出を求めた。 同鉱業は麻生外相の父、故太賀吉・元衆院議員が経営していた。  交渉窓口の外務省のトップに強制動員の企業経営者の系譜を引く麻生氏が就いたにもか かわらず、調査が進まないことへの不満の表れとみられる。日本側が次回協議までに何ら かの回答をすることになった。  麻生外相自身も同鉱業の後身の麻生セメント社長を務めた。日本の旧労働省や福岡県の 資料によると、植民地当時、全国最多の1万623人が鉱山に徴用され、多数の死亡者が 出ている。  日本側は9月の前回協議で、全国で868人分の遺骨が確認できたことを韓国側に伝え たが、韓国側は被害申告に比べて件数が少ないとして追加調査を希望していた。  ・・・        --------------------   麻生外相はこの問題にほおかむりするつもりでしょうか? 将来、麻生外相が日本の 首相を目指すのなら、まず、麻生一家の後ろめたいことはすべて清算して先祖の歴史問題 をクリアーにすべきです。   同時に、外務大臣として外交問題でぜひとも手腕を発揮すべきです。中国や韓国との 友好をどう改善するのか、その手腕を日本国民のみならず、中国や韓国も切望しています。


    タカ派の外交はうまくいくのか? 2005.12.11 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」   静かなる熊さん、欧州議員も靖国問題に関心をもっていることがよくわかりました。 情報をありがとうございました。 >「韓国の潘外相との会談は非公式な性格のものだった。日本首相の靖国神社参拝が議題 であったわけでもない。1人の記者が質問したので、欧州議員の誰かが答えただけに過ぎ ない。欧州議会が小泉首相の靖国神社訪問を正式に批判したという発言は過剰な表現であ り、事実とは異なっている」   今や、どこへ行っても靖国は話題になるようです。マレーシアで開かれた東アジアサ ミットの外相会談でも小泉首相の靖国神社参拝が話題になりました。毎日新聞はこう伝え ました(2005.12.10)。        --------------------   日本とASEANの外相会議が9日、開かれた。ASEAN議長国マレーシアのサイ ドハミド外相は靖国問題で悪化する日中関係に触れ、「地域協力に難しい影響を与える」 との懸念を表明し、関係改善に向けた日本側の努力を求めた。  サイドハミド外相は、日本がASEANプラス3に主導的な役割を果たしてきたことを 評価。その一方で小泉純一郎首相の靖国神社参拝で日中関係が悪化していることへの懸念 を表明した。        --------------------   マレーシア外相の口から靖国神社の話がでるのも、同国の歴史的背景からすれば当然 と思われます。前に紹介しましたが、マレーシアの閣僚は下記のように小泉首相の靖国参 拝を強く非難していました。        --------------------   2001年、オン・カティン住宅・地方自治相はもっと強い口調で「私は、この歴史教科 書と首相の靖国神社参拝への抗議の意思を表明する先頭に立ちたい」「侵略戦争を正しい 戦争と教えることは、次の世代を誤って導くことになる」と厳しく批判しました。        --------------------   オン・カティン氏に同調して、マレーシアの「星州日報」はこう伝えていました。        --------------------   小泉首相が靖国神社参拝を強行したのは政治信念が背景にある。小泉首相は大局を見 ることを忘れ、個人の政治的利益のために大きな代価を払った。日本がもし近隣諸国との 関係を改善しなければ、外交や経済にとってもマイナスとなる。        --------------------   日本が近隣諸国、特に中国や韓国との関係を改善しなければ、東アジア全体の外交や 経済にマイナスになるという考えはどんどん広がりつつあるようです。そうした考えに同 調してか、首相の靖国参拝に反対する読売新聞の渡辺恒雄会長は、靖国神社のあり方に疑 問を呈し、新たな国立追悼施設の建設を支持した発言を行い、注目されます。        -------------------- 新追悼施設建設、読売会長が支持 超党派議連で講演                    朝日新聞、2005年11月25日   自民、公明、民主各党の国会議員でつくる「国立追悼施設を考える会」の勉強会が2 4日、国会内で開かれた。読売新聞グループ本社代表取締役会長の渡辺恒雄氏が講演し、 「極東裁判が絶対的な正義だとは思わないが、現在の靖国神社のあり方は疑問。総理も天 皇陛下も諸外国の元首もいける施設を作るのは当たり前ではないか」と述べ、新たな施設 の建設を支持した。        --------------------   靖国の代替施設もそれなりにいろいろ問題があるのですが、現状の日本外交の手詰ま りを打開するには解決の有力な選択肢であることは間違いないようです。   しかし、小泉首相は代替施設には消極的なようで、現状の「タカ派の外交」で難局を 乗り切ろうとしているようです。そのために、みずからタカ派と称する麻生太郎氏を外相 に起用したことは周知のとおりです。   それも一理あるようです。タカ派の外交であればこそ成功した事例を朝日新聞が紹介 していましたが、アメリカのニクソン大統領の訪中がそうでした。  「反共の右派で鳴らすニクソン氏は本来なら中国共産党と水と油なのに、だからこそ国 内の抵抗を抑えて訪中に踏み切れた」   タカ派の外交が成功した他の例としては、かつての福田首相の日中条約があるようで す。朝日新聞(2005.11.28)はこう伝えました。        --------------------  首相就任の時から「決断しなければならん、これをスムーズにやれるのはわが輩だ」と 思っていたという福田氏には、党内の台湾派をなだめやすい強みがあった。ニクソン訪中 に似た党内力学である。  しかし、その福田政権も決して外交にタカ派の布陣を敷いていたわけではない。日中交 渉にあたった園田直外相は、親中派の実力者だった。小泉内閣とは違う。  実のところ福田首相は「どの国とも仲良く」の「全方位外交」を掲げ、タカ派色の転換 を図っていた。77年の東南アジア歴訪では「平和」「心と心」「対等」の3原則による 福田ドクトリンを発表し、各国にくすぶる反日の空気を鎮(しず)める役目を果たしてい る。  日中条約では批准書の交換式にトウ小平副首相を迎え、昭和天皇との歴史的会見もセッ トして友好ムードを盛り上げた。いま日中、日韓の悪化などどこ吹く風とばかり「日米賛 歌」を繰り返す小泉氏から、タカ派外交の成功例だと持ち上げられて、天上の福田氏も面 食らっているのではないか。  ・・・  いやいや、自分にも深謀遠慮があるのだ、と小泉首相が言いたければ、ぜひとも秘中の 策を見せてほしい。強い姿勢で押しながら、いざというときに国内の抵抗を抑えて決断で きるのがタカ派の強みのはず。ならば、やれることはあるだろう。  例えば、道半ばの日朝国交正常化をやり遂げてはどうか。いやその前に、日中、日韓の 関係打開を真剣に考えてもらいたい。靖国参拝の見送りは手遅れにしても、新たな国立追 悼施設の建設に踏み出すなら、むしろこの内閣こそチャンスではないか。        --------------------   過去の成功例をみると、たしかにタカ派の外交は時には突出した成果をあげることも あるようです。その例にならって、小泉首相はぜひ東アジアの安定と繁栄のために画期的 な外交成果をあげてほしいものです。   その先兵となるのが麻生太郎外相ですが、福田内閣とちがって、外交の前面にタカが 舞い出て、果たしてうまくいくのか懸念されます。麻生外相はデビュー早々、韓国のマス コミからヒジ鉄をくらいました。朝鮮日報は社説でこう論評しました。        -------------------- 日本の外相の嘆かわしい発言      朝鮮日報、2005.11.29  日本の麻生太郎外相が、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に関連し「靖国の話をするのは 世界で中国と韓国だけ」と「気にしなくていい」と放言した。麻生外相は、「(首相の神 社参拝問題で)日本が孤立しているとか、好かれていないとか、どうでもいいことは気に しなくていい」 と述べた。  なんとも嘆かわしい発言だ。麻生外相は小泉首相の靖国神社参拝を批判する韓・中両国 に対して「いくら騒ぎ立てても、微動だにしないから勝手に騒ぎ立ててみろ」と宣言した も同然だ。  麻生外相は、外相になる前に、「創氏改名は朝鮮人自らが希望していたこと」といった 妄言を頻繁に行なってきた人物だ。  日本の占領軍司令官だったマッカーサーが、日本の精神的年齢は未成年者に過ぎないと 述べたことを連想させるような発言だ。  麻生外相は、日本政界の妄言系譜に照らし合わせて、日帝の侵略に直接加わったり、同 調した「妄言1世代」と80年代に歴史教科書歪曲を煽り立てた藤尾正行元文部大臣などの 「妄言2世代」の後を受け継ぐ、いわゆる「妄言3世代」だ。彼らは先般の内閣改造に よって小泉内閣の中心勢力として浮上した。  彼らのほとんどは、日本が韓国やアジア諸国で犯した過去の罪状を知らない戦後世代で、 「日本はもう充分謝罪したので、これ以上ぺこぺことする必要がない」と考える人々だ。 彼らの言動については、中曽根元首相のような年配の保守右翼の人物すら心配するまでに 至った。  なかでも、米日関係さえ良ければ、アジアとの関係はどうでもいいというような極端な アジア軽視主義傾向を警戒する声が強まっている。 (以下省略)        --------------------   韓国から「妄言3世代」とまで酷評された麻生太郎外相ですが、能があるタカなら、 少しは爪を隠して手腕を発揮してほしいものです。それでこそ総理の器です。


    靖国問題の経済的影響 2005.12.18 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」   atroposさん、 >貴殿の反論が無かったので、「靖国問題」と貴殿の懸念する日本の国益つまり貿易・経 済的利 益との間に、相関関係は無いということで。   これはディベートのつもりで書いているのですか? それとも本当にそう考えて書い ているのですか?   靖国問題で日中関係がのっぴきならないアリ地獄に落ちこんだのは、今年秋の小泉首 相の靖国参拝以降です。影響はこれから徐々に出始めるのではないでしょうか。   今年の春、靖国問題や歴史認識問題、安保理問題で反日の嵐が吹いた時、日本企業は 中国に対するカントリーリスクをすこしアップし、中国進出をやや慎重にさせたのではな いでしょうか。   常識的に考えても政治、外交問題が貿易などの経済関係に影響を与えないとは考えら れません。最近、こんな記事がありました。        -------------------- 日中韓の投資協定交渉、「靖国」波及、暗礁に                    朝日新聞(05.12.7)  (交渉停滞に)追い打ちをかけたのが、小泉首相の靖国神社参拝だ。9月に訪中して投 資協定の必要性を訴えた日本経済界代表に、温家宝首相が前向きの姿勢を示し、「政治と 経済は別」という中国側のメッセージ」(経済産業省幹部)との期待感が高まった。   だが、小泉首相が10月17日に靖国神社に参拝して情勢は一変。韓国は投資ルール作り に靖国を絡める考えはないが、中国側に与えた影響は大きい。アモイでの協議も「目標と なるべき首脳会談はないだろうという雰囲気で、継続協議になった(日本交渉筋)。        --------------------   日中関係がつまづく一方、韓国は中国との間に靖国問題のような大きな阻害要因がな いだけに、中国とのパートナーシップを着実に深めているようです。中韓貿易の平均伸び 率は日中貿易を上まわっており、5~10年後には韓国が中国の最大交易パートナーになる という観測もあります。駐韓中国公使はこう述べました。        -------------------- 「韓国、5~10年後には中国の最大交易パートナーに」                      朝鮮日報(05.12.6)  韓国が5~10年後にはアジアで日本を超える中国の最大交易パートナーになるという見 通しが出た。  陳洲 駐韓中国経済常務公使(副大使級)は6日、三成(サムソン)洞のグランド イン ターコンチネンタルホテルで開催された「韓中貿易フォーラム」で「韓中経済関係の回顧 と展望」というテーマ発表でこのように予想した。  韓国貿易協会が主催したこの日のフォーラムで陳公使は「韓国と中国」、「中国と日 本」の交易規模を比較し、このような意見を提示した。  陳公使は「今年年末まで 韓国と中国の交易規模は1000億ドルを超えることが予想され るが、これは国交13年目に成し遂げる快挙」とし、「中国と日本が交易規模1000ドルを達 成したのは国交から30年かかった」と話した。  また、「これまで13年間、中国と日本の交易規模は16%ずつ増加したが、中国と韓国の 交易規模は27%ずつ増加した」とし、「このような比率を見ると、今後5~10年内に韓国が 日本を追い越し、中国の最大交易パートナーになることが予想される」と説明した。        --------------------   かつて韓国と中国は、朝鮮戦争(1950)時にお互い敵同士として戦いましたが、そうし た敵対感情を乗り越え、今や相互に最大の交易パートナーになろうとしています。   かつての日本とアメリカも敵同士として戦いましたが、今では両国指導者が同盟国と 認識するまでに成長したパートナーシップに似ています。   しかるに、日本と中国はなぜそのようなパートナーになれないのでしょうか? その キーワードは「三光作戦」と「靖国神社」にあるのではないかと思います。   かつての日本帝国は侵略戦争で焼くつくす、殺しつくす、奪いつくすという三光作戦 により中国人に骨の髄まで怨みをかったうえに、その侵略戦争を肯定し、かつ侵略指導者 を顕彰する靖国神社に首相が公用車で乗りつけ「個人の心の問題」と称して参拝したので は、中国は小泉首相の参拝目的を疑いこそすれ、日本と心から和解する気になれなくて当 然です。   小泉首相は「個人的な信条」から靖国神社参拝を首相になる時の「政治公約」にし、 それをかたくなに守るあまり中国や韓国の反発を招き、東アジア外交を不在状態におとし いれたのでした。   その結果、東アジアサミットで恒例になっている日中韓の三国首脳会談が靖国問題の ために頓挫しました。その余波で、中韓両国の懸念が東アジアサミット15か国に共有され るようになったようです。それを朝日新聞(05.12.15)はこう伝えました。        -------------------- 東アジアサミット、日中韓ぎくしゃく ●靖国懸念、他国にも拡大  東アジアサミットに参加した外交官は語る。  「一連の会議を通じて靖国問題への中韓両国の懸念が、(日本を除く)15カ国に共有 されることになった」  韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領はサミットで、全首脳を前に小泉首相の靖国参拝を 強く批判した。  「ドイツは一部領土をあきらめてまで歴史を徹底的に清算した。戦争で隣人に苦痛を与 えた人たちの追悼施設など一切つくらなかった」。さらに、「和解や相互理解があってこ そ、不信が解消できる」とも語った。        --------------------   ここまでこじれた日本と中韓間の関係ですが、頑固一徹の小泉首相に対し中韓両国は 共同歩調をとり、「日本の指導者が何度も靖国を参拝することは中韓国民の感情を傷つけ ている」と声をそろえて非難しました(読売新聞,05.12.12)。   靖国問題や歴史認識問題を一要因とする中国と韓国の接近は、政治面ばかりでなく経 済面でも深まるばかりです。12日の中韓首脳会談で韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は、 中国の原発建設プロジェクトへの韓国企業の参加を要請し、これに中国の温家宝首相は理 解を示したとされます(毎日新聞,05.12.14)。   今後、首相の靖国参拝問題が解決しないかぎり、日本は中国における大型プロジェク トで苦戦をよぎなくされそうです。   中国新幹線の建設についても、数年前から靖国問題が障害になっていました。最近、 ドイツへの新幹線発注は正式に決定したものの、日本への発注はいまだに正式決定に至っ ていないようです。   また、東シナ海の天然ガス田の日中共同開発にしても、靖国問題で大きくつまづいて いるようです。こうした案件も靖国問題さえ片付けば、話し合いが進むのではないでしょ うか。   atroposさん、こうした事実を目の前にしても、靖国問題は経済面に何の影響もない などと視野狭窄的なことを言い張るのでしょうか。


    靖国の影響「政冷経涼」 2005.12.25 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」   atroposさん wrote, >おや、、、「靖国参拝問題が日中間で深刻化したのは今年の秋」と仰りたいのですか。 靖国参拝はかなり以前から騒がれていた筈ですが。今年だけを見たとしても「今年の春」 は激しい反日暴動がありましたが、秋の靖国参拝時には特に目立ったものはありませんで した。「秋から」日中関係がアリ地獄に落ち込んだというのは、事実と異なる苦しい主張 ではありませんか。   先日、中国国営の新華社通信は「日中関係は厳冬期」と表現しましたが、中国政治が 専門の小島朋之・慶応大学教授もほぼ同じ認識のようで、最近の「事態はきわめて深刻」 と記しました。        --------------------  (目下の)「雰囲気と条件」とは、小泉首相による10月17日の靖国参拝に対して中韓両 国が批判の姿勢を強め、対日関係の改善・修復が難しくなっている状態である。事態はき わめて深刻である(注1)。        --------------------   10月17日、すなわち小泉首相の靖国神社参拝以前だったら、まだ日中関係はいくらで も改善や修復が可能でしたが、今やそれは絶望的に近いとみて「秋から日中関係はアリ地 獄に落ち込んだ」と記しました。けっして「苦しい主張」ではありません、事実経過から 明らかです。   実際、今年秋まで中国はガマンを重ね、靖国問題の影響をなるべく抑えようとしてい たとみられます。ここ数年の経過を小島氏はこう記しました。        -------------------- 中韓両国も一定の配慮   靖国神社への参拝は、2001年の小泉首相就任以来、中韓の厳しい批判にもかかわらず、 一年に一回は必ず実施してきた。その結果、1998年の日中共同宣言で合意された両国最高 首脳の相互訪問は、2000年の朱鎔基首相の訪日以来中断したままである。   しかし、それでも最近までは北東アジア3カ国の関係が完全に悪化したというわけで はなかった。1999年に当時の小渕首相の提案で始まった ASEAN+3首脳会談開催中の日中 首脳会談は、小泉首相の就任後の2001年11月に定例化で合意され、2003年には3国間の 「協力推進に関する共同宣言」が初めて発表された。   韓国とは2003年以来、一年に一度ずつ最高首脳が相手国を訪問して会談することが定 例化してきた。中国とは最高首脳の相互訪問は中断したままだが、APEC(アジア太平洋経 済協力会議)や ASEAN+3などを利用した首脳会談が繰り返されてきた。   関係が完全に悪化しなかったのは、中韓両国が経済、政治や安全保障などさまざまな 領域において、日本との関係がきわめて重要であると認識したからだ。・・・   中国の胡錦濤政権も、歴史問題の解決を優先した江沢民時代の対日政策を軌道修正し、 今年3月には歴史問題よりも首脳の相互訪問の復活を最優先する対日政策の調整方針を決 定していた。   この方針は4月に反日デモが連鎖的に発生して一部が暴徒化し、政権内部でも異論が 強まったにもかかわらず、基本的には維持されてきた。異論は、胡錦濤国家主席が小泉首 相に対して歴史問題への反省を「行動に移す」ことを「完全に合意」させることで押さえ 込まれた(『人民日報』4月24日)。  「行動に移す」ことを示す具体的な事例が、靖国神社を参拝しないことであった。しか し、10月17日の参拝でこの「完全な合意」が破られてしまったのである。   それでも中国側の対日批判は小泉首相と靖国参拝に限定され、反日デモは完全に抑え 込まれている。そして首脳会談は「延期」であり、「延期」理由の「雰囲気と条件」は 「目下」のそれであり、「適当な時期」が到来すれば開催されるのである(注1)。        --------------------   こうした経過をみれば終始一貫、中国の戦略は明快ではないでしょうか。日本との政 治・経済関係重視をベースに、日本に対し「歴史問題への反省を行動に移すことを完全に 合意させる」方針であり、それまでは余程のことがないかぎり、春のような反日デモを抑 えるという戦略がありありと伝わってくるようです。   一方、日本の中国に対する外交戦略はどうでしょうか? 小泉首相の発言から伝わっ てくるのは、せいぜい「私は日中友好論者です」とか「外国にいわれて靖国神社への個人 的な参拝をやめるわけにはいかない」「一つの問題にこだわってはいけない」など、場当 たり的な発想であり、戦略らしきものは聞こえてきません。   中国問題の専門家も日本には外交戦略がないと見ているようです。慶応大学の添谷芳 秀教授は「中国が戦略的な対応を打ち出しているのに対し、日本には戦略性がない。その コントラストが日中韓に問題を起こしている。国際社会から見ると日本は孤立している (朝日新聞,05.12.20)」と手厳しく日本の外交戦略不在を批判しました。   そもそも小泉首相の靖国参拝が「個人的な信条」にもとづくかぎり、靖国問題が最大 の障害になっている日中外交で日本は国家的な戦略を立てようがありません。そうなると 当然、中国や韓国の反発に対する対応は行き当たりばったりにならざるをえません。   小泉首相は負け惜しみのように「一つの問題にこだわってはいけない」などとのんき に言ってますが、まさにこの「一つの問題」こそが中韓両国にとり、譲れぬ最低限のライ ンであることを小泉首相は理解しようとしないようです。   かつて、小泉首相は郵政民営化という「一つの問題」にこだわって衆議院まで解散し ました。それに負けず劣らず、小泉首相は「個人的な」靖国参拝という「一つの問題」に 意固地になりすぎているのではないでしょうか。   その「個人的な信条」を貫きとおすためなら、たとえ中国や韓国との首脳会談を棒に 振ろうが、国益を損なおうが、まったく意に介しないようです。中曽根元首相と違って小 泉首相の場合「国益より首相個人の信条」が優先するようです。   その結果はどうでしょうか。日中間では首脳会談のみならず、閣僚級の会合までもが 靖国問題のため「延期」になっているようです。具体的には、来年1月9日に中国・アモ イで開かれる予定だった日中韓3国の情報通信相会合が「準備の都合」で延期になったよ うです。靖国問題のため、会談を開く「雰囲気と条件」が整わなかったとみられます。   まさに日中関係は厳冬期ではないでしょうか。共同通信(05.12.20)は中国の見方をこ う伝えました。        -------------------- 日中関係は厳冬期 「政冷経涼」と新華社   ・・・中国国営の新華社通信は19日、今年の日中関係を回顧する論評を配信、小泉 純一郎首相の靖国神社参拝で日中関係は1972年の国交正常化以来最悪の「厳冬期」に あるとする一方、経済も悪影響を受け「政冷経熱」の関係が「政冷経涼」に変化しつつあ ると指摘した。  論評はまた、麻生太郎外相が「靖国の話をするのは世界で中国と韓国だけ」と述べたこ とを挙げ、「相手の立場を尊重する最低限の基本的姿勢さえ持っていない」と非難した。  論評は、中国にとって対日貿易の比率が2000年の17・5%から04年には14・ 5%に低下、過去11年間、最大の貿易相手だった地位は欧州連合(EU)に取って代わ られたと強調した。  さらに、日中両国は環境やエネルギー、安全保障問題など世界的範囲で戦略的対話を行 い協調すべきなのに、小泉首相の靖国参拝で「双方は国際社会であるべき役割を十分に発 揮できない」と訴えた。        --------------------   今年の冬は例年になく寒いようですが、厳冬期から抜けだす解決策はあるのでしょう か? イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙はこう提言しました(05.12.14、引用は朝 日新聞 05.12.18)。        --------------------   解決策は明らかだ。日本は過去の侵略とは関係のない戦没者追悼施設を新たに作るか、 中立的な神社で戦没者を追悼すべきだ。引き換えに中国は日本が繰り返し表明した戦争に 対する謝罪を受け入れ、日本の首相との会談拒否をやめるべきだ。        --------------------   しかし、新たな戦没者追悼施設となると、その調査予算すら見送られました。解決の 道は遠いようです。当面の対処として小島氏は田中明彦氏の「停戦」提案をこう紹介しま した(注1)。        --------------------   当面の問題への迅速な対応が求められる。具体的には中韓両国が対日関係の最大障害 とみなしている靖国問題への対応である。短期的な方策として、首相在任中に参拝はしな いなど、靖国問題の「停戦」提案も考慮してよい(田中明彦 東京大学教授『読売新聞』 11月24日)。        --------------------   どんな解決策の提案も小泉首相には馬耳東風かもしれません。そうなると、唯一の可 能性は小泉首相の退陣ということになるでしょうか。 (注1)小島朋之<どうする「日中韓」、下>『日本経済新聞』2005.12.13


    靖国神社に代わる新追悼施設 2005.12.31 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」   メタ議論や枝葉末節の発言が多いこの会議室で、atroposさんは日中間の貿易分析を とおして日本の国益など大局的な立場から反論をしていたので、その発言には注目してい たのですが、私の書き込み「政冷経涼」にはまだ反論がないようです。   前回書いたように、日中関係は小泉首相の「私的な」靖国参拝という最重要な「ひと つの問題」のために冷え切ってしまい、首脳会談はおろか、閣僚級の会談すら開ける雰囲 気にない状態になってしまいました。   それを反映して内閣府の世論調査では中国に「親しみを感じる」人が2年連続で5- 6%も急降下し、32%にまで低下してしまいました。中国の世論も似たようなものでは ないかと思われます。   そうした日中友好関係悪化の第一原因が小泉首相の「個人的な信条」にもとづく靖国 参拝にあることは、ここの会議室でも異論がないと思われます。その第一原因に他の要因 が重なると反日デモに発展したり、時には暴動を誘発しかねません。憂慮される現状です。   現在、日本にとって中国は最大の貿易相手国になって経済的な重要度が増したのに反 し、中国にとって日本は最大貿易国の地位からすべり落ち、経済的な重要度を減じました。 このまま、靖国問題で膠着状態が持続すると、どちらが国益をより損じるでしょうか?   中国は外交戦略的に日本に対処しているのに反し、日本は外交戦略なしに小泉首相の 「私的な信条」に縛られて受け身的に動いているだけに、心理的には日本のほうが影響が 大きいのではないかと思われます。その間、漁夫の利を得るのは韓国でしょうか。   膠着状態を脱するにはどうすればいいでしょうか? 日本の小手先の解決努力が手詰 まりになった現在、やはり第一原因を取り除くことしか道はないようです。   第一原因を作りだしている小泉首相は、来年秋には退陣するのとの決意なので、小泉 内閣に関するかぎり、来年秋には第一原因が取り除かれることになります。   しかし、つぎの内閣はどうでしょうか? 有力な首相候補とうわさされる安倍晋三氏 や麻生太郎氏は、これまた熱心な靖国参拝派なので、小泉内閣以降、第一原因が取り除か れるのかどうか未知数です。   そんな不安要因を取り除くためには、いかなる個人的な信条をもった「変人」が首相 になろうと、そうした私的な信条に左右されない抜本策を講じる必要があります。その解 決策は、靖国神社自体の変容か、それが不可能なら靖国神社に代わる新たな追悼施設を建 設するしか道がないように思われます。   靖国神社の変容とは、中国や韓国が問題視しているA級戦犯の名前を霊爾簿から削除 することや、先の侵略戦争を「自存自衛の戦争」と美化する戦争博物館「遊就館」の廃止 などですが、これは靖国神社が私的な宗教法人であるという立場上、ほとんど絶望的なよ うにみえます。   ただし、わずかな可能性が天皇がらみで残されているように思えます。もともと靖国 神社は、戦争や内乱で天皇のために命を捧げた人を顕彰するために創建されました。しか るに、その天皇すらA級戦犯の問題が障碍になり参拝できない現状を靖国神社自身すこし は憂慮しているのではないでしょうか。   とくに先の侵略戦争で君国、すなわち「天皇の国」のために命を捧げた軍国青年は 「靖国で会おう」を合い言葉にして戦場で散華しました。「靖国で会おう」という言葉の うらには、軍国青年は死後そこに顕彰され、大君、すなわち天皇に拝礼される「栄誉」を 最高至上の喜びとするようマインドコントロールされていました。   しかるに、その天皇が拝礼できないとあっては、軍国青年も浮かばれないことでしょ う。ともかく、そうした世論次第では靖国神社が変容する可能性は完全なゼロではなさそ うです。   しかし、解決策として現実的なのは、靖国神社に代わる新たな追悼施設の建設です。 実は、この解決策は小泉首相自身の発案だったようです。小泉内閣は「世論が割れてい る」ことを理由に追悼施設の建設に消極的なようですが、実際は日本人の半数から2/3 が賛成しています。   また、主要マスコミも産経新聞以外はほとんどが新追悼施設に賛成しました。そうし た実状について朝日新聞の社説(05.12.28)はこう主張しました。        -------------------- 「追悼施設 世論は賛成なのに」     朝日新聞社説、2005年12月28日  小泉首相の約束は結局、口先だけだったのか。自分の在任中はもう検討しないと表明し た、新たな国立戦没者追悼施設の建設のことである。  安倍官房長官は、ふたつの理由を挙げた。一つは「世論が割れている」というものだ。 だが、それは公平な見方とはとても言えない。  ことし10月、首相が5度目の靖国神社参拝をした後の世論調査の結果を見てみよう。 毎日新聞では新施設の建設に賛成が66%、反対が29%、共同通信では賛成が63・7 %、反対が26・4%、朝日新聞の調査でも賛成が51%、反対は28%。いずれも賛成 が反対を大きく上回った。  東京で発行している新聞では読売、毎日、東京、朝日の各紙が賛成の立場だ。   (途中省略)  「世論の分裂」を言うなら、首相の靖国参拝の方ではないか。多くの世論調査で賛否が 拮抗(きっこう)している。全国紙の論調で言えば、参拝支持は産経新聞だけだ。  もう一つの理由は「外国に言われてつくるものではない」というものだ。  だが、首相は忘れたのだろうか。4年前、最初に新施設の構想を打ち上げたのは、首相 自身だったことを。  01年8月、就任後初めて靖国神社を参拝した後、首相はこう述べている。「内外の方 が戦没者に対して追悼の誠を捧(ささ)げる。批判が起きないような、何かいい方法がな いか。今後議論していきたい」  その秋、首相は韓国の金大中大統領に直接、新施設の検討を伝え、ことし6月の盧武鉉 大統領との会談の際にも、「国民世論など諸般の事情を考慮し、検討していく」ことで合 意した。  検討するとは約束したが、つくるとは言っていないということだろうか。なんとも不誠 実な対応というほかない。  日本には戦没者を悼み、平和を祈るための公式な施設がない。これをつくろうというの が首相の初心だったとすれば、私たちも大いに共感する。こじれにこじれた韓国や中国と の関係をなんとか好転させたいという外交的なメッセージ、という効果も期待できたに違 いない。  せっかくの構想だったのに、首相が投げ出してしまったのは残念である。その理由には 納得がいかない。期待をもたせて裏切った首相の言動は、日本に対する信頼を損なうもの と言わねばならない。  先月、山崎拓氏らベテラン議員たちが新施設を求める超党派の議員連盟を旗揚げした。 だが彼らも含め、首相に面と向かって意見する動きはない。聞こえてくるのは「反小泉と 見られても……」「首相はどうせ人の言うことは聞かない」といった嘆きばかりだ。  靖国参拝が深刻な外交問題になってしまったことへの心配は広く共有されている。なの に、打開のためにだれも動こうとしない。この不作為の責任は重い。        --------------------   靖国神社に代わり、神道を信仰しないキリスト教信者でも、あるいは宗教に否定的な 無神論者でも、はたまた天皇でも、誰もが何のわだかまりなく死者を追悼できるような施 設の検討は、すでに小泉首相の意向を受けてなされていました。   2001年12月、福田康夫・官房長官の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等 施設の在り方を考える懇談会」で一年間じっくり議論されました。その結論として「国を 挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設が必要である」との報告書 が作成されました。   しかし、その報告書は、言いだしっぺである小泉首相の心変わりのためか、積極的に 活用されないままになってしまいました。これでは小泉首相の在任中は、いかなる解決策 も無用なようです。   なお、新追悼施設ですが、これは運用次第では第二の靖国神社になりかねません。本 来なら日本にかぎらず、世界各国が追悼施設など必要のない平和な世界が成就されること がベストであることはいうまでもありません。   国の追悼施設とは、極論すれば、国家が戦死者を顕彰することにより、戦争を可能に するために必要な仕掛けであり、戦争のない時代にはあり得ないものでした。


    日本のはて『隠岐国古記』 2005/11/13 Yahoo!掲示板「竹島」No.12290   半月城です。   まだ『隠州視聴合記』にある日本の限界「日本之乾 以此州為限矣」の解釈をめぐっ て、まだ未練がましく議論がつづいているようです。   te2222000さん、No.12275 >「蛸木浦の節の『此州』は隠州ではなく松島を指す可能性もゼロではない。そして、そ れと同 程度の可能性で『以此州為限矣』の『此州』が竹島を指すこともあり得る」   古来、松島(竹島=独島)が日本の領土であったとする権威ある史料がほとんどない だけに、藩命を受けて編纂した『隠州視聴合記』(注6)に書かれた「日本の乾(西北)の 限界」が隠州か、あるいは松島・竹島かという論点はきわめて重要です。   これは、ややもすると日本の竹島「固有領土」説の死活問題にかかわるだけに、「可 能性もゼロではない」などと譲歩したくなる気持ちだけはお察しします。   史料は、下條正男氏のように恣意的に読めばいかなる解釈も可能ですが、それは我田 引水的な自慰行為にすぎません(注1)。もっともそうした曲解が日本ではもてはやされ、 田中邦貴氏のホームページなどに引用されたりするようです。   問題の「此州」について『大日本史』(注7)が松島・竹島とは解釈していないことは すでに紹介したとおりです(注2)。それに加えて、池内敏氏が『隠州視聴合記』の徹底 分析をとおして「此州」は隠州であり、松島・竹島とは解釈できないこともすでに紹介し たとおりです(注3)。それでもte2222000さんにはまだ粟つぶほどの疑問が残るのでしょ うか?   古く「此州」を隠州と読んだのは『大日本史』だけではありません。『隠岐国古記』 を編纂した大西教保も同様です。『隠岐国古記』は1823年『隠州視聴合記』を底本にして、 さらに増補された史料なので、それは『隠州視聴合記』の最良の注釈書ともいえます。   この本もいくつか写本があるようで内容の細部は少しずつ違いますが、問題の個所は 私の知るかぎり、「この国」すなわち隠岐国になっています。したがって大西教保は「此 州」を「此島」あるいは松島・竹島と読まなかったことになります。   具体的にその内容を紹介します。内閣文庫所蔵の『隠岐国古記』は冒頭にこう記しま した。ただし、以下で万葉仮名は平仮名に変換しました。 『隠岐国古記』内閣文庫 隠岐古記集 嶋後  「隠州の所在は歴代史を考るに日本の乾地 此國を以て限りとする也(注4)」   一方、隠岐郷土研究会編『隠岐島史料』近世編下では冒頭にこう書かれました。 『隠岐古記集(上)』隠岐郷土研究会編 隠岐古記集 島後之部  「隠州の所在は歴代史を考ふるに日本の乾地 此国を以て限りとするなり(注5)」   上の両書は、字句はわずかちがっても『隠州視聴合記』の「此州」を「此國」や「此 国」に置きかえています。「此州」を文字どおり「この州」すなわち「隠州」と解釈した ことが明白です。   このように『隠州視聴合記』の江戸時代の研究家である大西教保も「此州」を「隠 州」と読んでいたのですが、さまざまな状況からすれば、下條正男氏が主張するように、 『此州』は隠州ではなく松島・竹島を指す可能性は、人が隕石に当って死ぬ可能性よりも 低いのではないでしょうか。 (注1)半月城通信<下條正男批判> (注2)半月城通信<竹島=独島と『隠州視聴合記』『大日本史』> (注3)池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」『青丘学術論集』2005 (注4)『隠岐国古記』内閣文庫 (注5)『隠岐古記集(上)』隠岐郷土研究会編 (注6)『隠州視聴合記』群書類従 『隠州視聴合記』内閣文庫 (注7)『大日本史』巻308,志3「隠岐國四郡」 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


    竹島(欝陵島)と朱印船 2005/11/20 Yahoo!掲示板「竹島」No.12296  半月城です。    te2222000さん、No.12292 > 池内論文は、以下のように主張しています。 (i) 隠州視聴合紀は竹島・松島を日本とはみなしていない (ii) 隠州視聴合紀は竹島・松島を朝鮮ともみなしていない (iii) したがって、隠州視聴合記は日韓いずれの側にとっても竹島・独島の領有の根拠に  ならない   これはどうも te2222000さんらしからぬ書きぶりのように見えます。池内氏の趣旨か らずれてるのではないでしょうか。池内論文の該当個所にはこう書かれています。        --------------------   この史料(『隠州視聴合紀』)をもって、1660年代に竹島/独島が日本領と認識され ていたとすることはできないことについては先に述べた。   一方、この史料をもって、竹島/独島が当時の日本の版図から外れたものと認識され ていたとする(II')のは妥当だとしても、それがすなわち朝鮮領だ(II'')ということには ならない。   (II'')は文章を逸脱した無理な解釈である。したがってこの「隠州視聴合紀」なる史 料は、竹島/独島の帰属を示す歴史的根拠として使用することは日韓いずれの側にとって も適切でなく、そうした議論の現場から退くべきものなのである(注1)。        --------------------   私はこの池内氏の結論には同意しますが、te2222000さんの要約には同意しかねます。 池内氏の意図をふまえて下記のようにしたらいかがでしょうか。 (i') 『隠州視聴合紀』は竹島・松島を日本の版図から外れたものと認識していた (ii')しかし『隠州視聴合紀』は竹島・松島が朝鮮領かどうかについてはふれていない (iii')したがって『隠州視聴合紀』は、日韓いずれの側にとっても竹島・独島の帰属を示  す根拠にならない   そもそも『隠州視聴合記』では「朝鮮」という文字すら登場しないのではないでしょ うか。そのため、竹島・松島が朝鮮領かどうかという判断や記述は皆無です。したがって、 『隠州視聴合記』から竹島・松島は日本の版図外と読めても朝鮮領ということにはならな いというのが池内氏の主張ではないでしょうか。   日韓両国に「帰属を示す根拠にならない」はずの『隠州視聴合紀』の利用のされ方で すが、竹島=独島を自国領として引用したのは日本政府だけであり、韓国政府はそのよう な主張をしていないようです。両国政府の言い分を塚本孝氏は次のように要約しました。        -------------------- 日本政府の見解   たとえば、『竹島図説』(1751-63年)には「隠岐国松島」と書かれており、また、 『長生竹島記』(1801年)では松島(今日の竹島)をもって「本朝西海のはて也」としてい る。これは、幕府の竹島(鬱陵島)渡海禁止以前の『隠州視聴合紀』(1667年)が竹島(鬱陵 島)及び松島(今日の竹島)をもって日本の西北部の限界とみなしているのと比べて、興 味深いものがある(注2,P54)。 韓国政府の見解   日本側は、自己の主張を補強するために『隠州視聴合記』を引用したが、その引用が 大きな誤読である。この本は、隠州が日本の乾地(西北限界)であるとしているのである。  ・・・(『隠州視聴合記』の原文引用)・・・   ここでいう松島は独島、竹島は鬱陵島を指しているので、この二島から高麗(韓国) 本土を望見する距離関係が、まるで雲州から隠州を望観するのと同じであり、それすなわ ち、日本の西北部はこの州を限界とするということである。日本側が二島を「日本の北西 部の限界」としたのは、誤りである。『隠州視聴合記』の記事こそ正当な見解である(注 2,P56)。        --------------------   池内敏氏の実証的な研究の成果からすると『隠州視聴合記』に関するかぎり、日本政 府の主張は誤りであり、韓国政府の主張が正しかったという結論になります。   ついでにいえば、日本政府が帰属の根拠としてあげた他の史料『竹島図説』と『長生 竹島記』ですが、これらは私的な伝聞資料であり、とても領有権の根拠として使えるよう な権威あるものでないことは特筆したいと思います。   そのため「我田引水的 文献解釈」が口癖の下條正男氏すら、『竹島図説』と『長生 竹島記』には見向きもしないようです。下條氏がひたすらよりどころにしている史料は 『隠州視聴合記』ですが、それによる領有根拠が池内氏によって微塵に打ち砕かれてし まっては、下條氏も立つ瀬がないようです。  te2222000さん、No.12292 >(c) 朱印状は外国へ行く場合以外にも様々なケースで発行されており、焼火山縁起の記  述は竹島を外国とみなしている証拠にはならない。  『隠州視聴合記』が書かれた斉藤豊仙の時代において「様々なケース」とは具体的にど んな場合でしょうか。   江戸時代、幕府の朱印状が発行される場合を『世界大百科事典』は下記のように記し ました(注3)。 1.朱印船 2.外交文書 3.10万石未満の所領安概・社寺領寄進   徳川幕府初代の家康の時代はいざ知らず、幕藩体制が固まったころから、これは徳川 第2代あるいは第3代あたりからでしょうか、将軍家は上記以外の軽微な公文書には黒印 状を発行したようです。そうした中で、徳川第3代・家光の時代に斉藤豊仙が脳裏にえが いた「官より朱印を賜った大舶」というのは、やはり朱印船のイメージが強かったのでは ないでしょうか?   なお、ここでは村川の大舶が朱印船であったかどうかを問題にしているのではありま せんので、念のために書きそえます。   VIVA_VIVA_21さん、No.9304 >前述のように朱印とは外国との貿易だけのものであるという妄想を持った方も見受けら れますが、朱印とは公儀公認という意味であり、決して海外貿易だけに適用されるもので はありません。もっと分かりやすくするために、いくつか例をあげましょう。 関ヶ原の戦いの後、大久保長安は石見銀山に奉行に入る際に徳川家康発給の「朱印状」を 持っており、石見銀山は「御朱印地」となりました。この時点での朱印は幕府の独占開発 権の設定という意味合いを持ちます。その権限を大久保長安が命じられたわけです。   VIVA_VIVA_21さんは、幕藩体制以前の古い朱印状として石見銀山の例をとりあげ、こ れは「独占開発権の設定という意味合い」と書いてますが、この時の朱印状は「開発のた めの朱印状」というより、幕府直轄地(天領)の奉行に大久保を任命した「任命状」だっ たのではないでしょうか?   石見銀山は1533年にはすでに精錬が始まっており、鉱山開発は大久保の任命より約70 年も昔のことです。それにVIVA_VIVA_21さんは「ご朱印地となりました」と書きましたが、 なぜ「天領になりました」と書かなかったのでしょうか? 銀山が天領になったことを 『世界大百科事典』はこう記しました。  「関ヶ原の戦後に銀山と銀山領の石見国の一半は天領となり,1601年(慶長6)大久保長 安が奉行に任じ,邇摩郡佐摩村に大森の陣屋が開かれた」  「我田引水的 文献解釈」は下條氏だけにしてほしいものです。もし「斉藤豊仙の時 代」に朱印状が「開発」のためだけに発給されたケースがあるのならお目にかかりたいも のです。 (注1)池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」『青丘学術論集』2005,P164 (注2)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両国政府の見解」『レファレンス』2002.6月号 (注3)「朱印状」『世界大百科事典』デジタル平凡社  ・・・また豊臣・徳川両氏は国外に発行する外交文書に朱印判を用い,朱印状によって 貿易を許可したので,朱印船の称が生まれた。さらに織田・徳川両氏は伝馬の給付に朱印 判を用い,とくに徳川氏は幕末に至るまで独特の使用法によって給付した。  一般に印判状は朱・黒両印が多いが,その機能上の区別は戦国大名や織田氏では明瞭で ない。越後上杉氏のように用途による印判の区別を定めている場合でも朱・黒両印の差に は言及していない。しかし幕藩体制下においては機能上の差異が生じ,徳川将軍家は書状 や軽微な事項には主として黒印状を用い,10万石未満の所領安概・社寺領寄進などには朱 印状を用いた。  ただし旗本については家綱以後朱印状の交付がなかったという。そして社寺に対する所 領寄進や年貢・課役の免除などに黒印状を用いる場合もあったので,朱印地,黒印地の称 が生じた。 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


    高句麗の竹島(欝陵島) 2005/12/11 Yahoo!掲示板「竹島」No.12357   半月城です。te2222000さんの質問に答えたいと思います。   Re:12354, >「朱印船が行くような異国」とは、どういう意味でしょうか。 単に「異国」と書いた場合と何か意味の違いがあるのでしょうか。   単に「異国」とだけ書いたのでは、斉藤豊仙がえがいたイメージにそぐわないと思い ます。かれの脳裏には朱印船のイメージがあったのではないかと思い、竹島、松島を「朱 印船がいくような異国」と表現しました。   斉藤豊仙は、出雲松江藩の郡代として隠岐に赴任したので、他藩である鳥取藩の舟が 竹島(鬱陵島)へ行くという、海禁政策にふれかねない重大事には統治者として注意をは らい、一応のチェックをしたことでしょう。   そのプロセスで郡代は老中の連署のある渡海許可書を実際に目にしたのだろうと思い ます。竹島(欝陵島)渡海の大谷船が許可書を携帯していたことは、大谷船が朝鮮へ漂流 したときに対馬藩がおこなった検査によって明らかになっています。   そのうえで斉藤豊仙は、そのような許可書が必要な竹島(鬱陵島)は異国であると考 え、日本の領土ではないと結論づけたのではないかと思われます。   また、渡海許可書には朱印がないにもかかわらず、朱印状のごとく考えたのは、一般 によく知られた朱印船のイメージが脳裏にあったので、許可書から朱印状を連想したので はないかと思います。朱印船のイメージが相対的に強ければ、朱印状の他の用途など眼中 になかったことでしょう。それに他の用途などは「一介の地方藩士にすぎない」斉藤豊仙 には思い浮かばなかったのではないかと思います。   こうしたことから、私は斉藤豊仙が竹島(鬱陵島)を「朱印船が行くような異国」と 考えていたのではないかと書きました。これは、朝鮮へ行くのに朱印状は必要であったか どうかという議論とは無関係です。斉藤豊仙がそんな分析までしていたとは思われないか らです。   一方、斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)をどのような異国と理解していたのかですが、これ には『隠州視聴合記』の「焼火山縁起」の記述が参考になります。それを読みくだすと、 こうなります。  「伯耆の国の大賈・村川氏、官より朱印を賜り、大船を磯竹島に致す。颶風に遇い高句 麗に落つ。日が暮れるも津を知らず。舟の翁が焼火山を念ずるに、たちまち漁火あり。そ の津に入るを得る」   当時、高句麗という国名はなかったので、江戸時代の日本人が中国やインドを唐、天 竺と称するのと同じような感覚で、隠岐島の住人は異国である竹島(鬱陵島)のあたりを ぼんやりと高句麗くらいに考えていたのではないかと思います。隠岐島の住人にとって、 竹島、松島とはそのような感覚の異国だったのではないでしょうか。 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


    村川船「高句麗」へ漂着 2005.12.25 Yahoo!掲示板「竹島」No.12379   半月城です。   Re:12370,te2222000さん, > 私は、村川の船は竹島の西方に存在する高句麗の海域に流され、隠岐の港ではなく、  最寄の朝鮮の港に入ったと考えます。   そうした史実があったようです。それを池内敏氏は「寛永14(1637)年に漂流した竹島 渡海船が村川市兵衛船だけであった(注1)」と記しました。   漂流先がどこかは明記していないのですが、大谷船が朝鮮へ漂流した事例を考えると、 村川船もやはり朝鮮へ漂流したものと思われます。その史実が焼火山縁起につながったと すると、『隠州視聴合記』にある「たちまち漁火がみえた」津は焼火山付近の津というよ り、高句麗の津であると解釈したほう適切に思えます。また、漂流の時間的な経過からも つじつまがあいそうなのです。   そのように解釈しても、斉藤豊仙は異国である竹島(鬱陵島)を漠然と高句麗の海域 にあると考えていたのではないだろうかという私の考えに変わりありません。   つぎに、焼火山縁起が神社の古文書にあったかどうかですが、おそらく縁起は古文書 を写したというより史実の伝承を書いたものだろうと想像されます。   Re:12364, >したがって『朱印を賜り』の『朱印』は朱印船の朱印状のことではない」という主張の  方が説得力があります。   斉藤豊仙のような地方の下級武士にとって「朱印を賜った船」の朱印から朱印船以外 にどんな連想が可能でしょうか? 朱印を発行する幕府の役人ならあれこれ思いつくで しょうが、斉藤豊仙の立場では朱印船を連想したと理解するのが最も自然だと思います。 >次に「すこしは吟味して」という表現は、随分曖昧な表現です。思うに半月城さんは以  下のように言いたいのでしょうか。 ・異国と認識していない島への渡航に朱印という言葉を使わない程度には、吟味した ・実際には老中奉書であるものを朱印と書く程度にしか、吟味していない   これには同意します。 >ついでに、次も加えていいかもしれませんね。 ・交易を目的としていない船を朱印船と考える程度にしか、吟味していない  「交易」の用語は意味がすこし狭かったかも知れません。斉藤は、ともかく異国へ行っ て異国の物を持ち帰るのは、朱印船にしか許されないだろうくらいには考えていたのでは ないでしょうか。 (注1)池内敏「竹島渡海と鳥取藩」『鳥取地域史研究』第1号,1999,P38 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/



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