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内海愛子教授インタビュー
メーリングリスト[CML 001483], 2009.9.27
半月城です。
今年8月、ソウルで開かれた歴史NGO世界大会に出席された内海愛子教授のインタビュー記
事が「東北アジア歴史財団ニュース」10月号に掲載されました。先生のひたむきな情熱に
心を惹かれましたので翻訳文を掲載します。翻訳は機械翻訳に若干手を加えた程度なので、
日本語として少し読みづらいかも知れません。
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内海愛子教授インタビュー
“被害者を加害者にした歴史を正してこそ”
東北アジア歴史財団ニュース、2009年10月号
文_イ・ユンジョン
歴史は忘れられる過去でなく、現在とともにして未来に影響を与える生きた現実だ。未来
の責任を負っている青少年らは誤った過去の歴史を正しく知り、それを土台に歴史の葛藤
を平和的に解決していく見解を持たなければならない。 このような趣旨で去る8月に開い
た第3回歴史NGO世界大会ではBC級戦犯問題など、韓国・日本歴史関連の主題を持って専門
学者と青少年らが一緒にする‘歴史対話’時間が用意された。 ここで30年間余り戦犯問題,
戦後補償問題を研究してきた内海愛子教授に会った。
韓国まできて,孫のような高校生らと会って講演して話を交わしたが所感は?
今日講演に自ら参加した学生たちは特別な問題意識を持っている優秀な学生たちだ。 歴史
に距離をおいて,特別な意識なしに生活している学生たちが多いが,このように歴史の影響
を感じて,関心を持って勉強しようとする若者たちが育っているという事実を確認できてう
れしく、喜ばしい。 歴史に対する情熱を見せる美しくて純粋な学生たちを見ると韓国の未
来が明るいという気がした。
歴史問題、特に戦争責任問題,戦後補償問題に個人的に関心を持つことになった契機は?
偶然に在日朝鮮人差別に対して書いた一編のドキュメンタリー本を読み、それまで知らな
かった事実にびっくりした。 二十三才の教師であった当時,これからどのように生きてい
くべきなのか悩んでいたが、そのことを契機に日本の歴史をもう一度振り返ってみる仕事
をしなければならないと決心した。 教師の仕事を辞めて大学院を通って,在日朝鮮人関連
主題で論文を書いたりもしたが、当時そのような主題で論文を書けば就職も難しいと、指
導教授をはじめ周囲で引き止めた。 就職できなくても関係ないとし,論文主題に固執して
着実にそのテーマで調査,研究をした。 おかげで就職はとても遅く,46才でまたすることが
できた。(笑い)
研究をしながら困難は?
まず資料を調査する時,望む資料を求めることができないという困難がある。 日本では資
料公開に制限が多くて見られない資料がある。 日本植民支配時期に徴用された朝鮮人らに
支給されなければならない供託金リストを要求すれば、金額だけあって受ける人の名前は
消したまま出てくる場合が一例だ。 政府で意図的に隠そうとすることもあり、無視するこ
ともある。 それで資料調査のために米国,オーストラリア,インドネシアなど関連国家を直
接尋ね歩いた。 おかげで日本軍に徴集されて,インドネシアで仕事をしてインドネシア独
立運動に功績を立てた朝鮮出身の梁チルソンのような人物を探して,光を当てることができ
た。 余裕があって海外を回って調査をしたのではない。 アルバイトをしながらお金を集
めてリュックサックを持って通って貧しい旅行をしたが期するところがあって大変ではな
かった。 問題意識があって意欲があれば方法はいくらでもある。
日本の科書問題に見られるように、現在の歴史教育は平和共存を目指した教育よりは自国
の優越主義を強調する教育に向かっているようだが、これに対する意見は?
教育が政府権力から自由で中立性を持たなければならないのに、現在の日本ではそうなる
のが難しい状況だ。 教科書採択問題に先立ち教科書を採択するシステムの変化がなければ
ならない。 これのために日本教師たちは1950年代からずっと戦ってきた。 それだけに教
師たちのこういう運動のおかげで扶桑社教科書が広く採択されなくなっている。 教科書問
題は政治とも関連がある問題だから容易ではない。
現在は子供たちを教える先生らが力を蓄え,正しい方向に引っ張っていくことが方法だと考
える。 そのためには先生らが力量を育む時間,勉強できる自分の時間を確保しなければな
らないのに現実がついていかない。 とても忙しくて,時間がない。 そのため、政府で提供
する指導要領のとおり教えることになる。 先生らの権利を保障して,研究をしながら自ら
感じて悟って,共に変化を作る運動をできるように環境を作る運動をできるように環境作り
をすることが必要だ。
国の未来のために,今後の歴史のために若者たちが自らできることを助言するなら?
直接海外を回って資料調査をする時,“日本人より韓国人がさらに悪い。 悪質だ”のよう
な話をたびたび聞いた。 捕虜収容所で捕虜生活をした戦争被害者と家族らがそのような話
をした。 これらは捕虜収容所で見張り役をした朝鮮人を思い出させて歯ぎしりしたが,こ
れは誤った状況だ。 日本によって連れられてきて,監視人にされ,任務を果さなければなら
なかったその朝鮮人も被害者だ。 それにもかかわらず、却ってBC級戦犯で裁判を受けて刑
務所暮らしもしたが日本政府から疎外され,日本でも韓国でもまともに生きることができな
かった朝鮮人らがいる。 そのような事実をそこまで知らずにいる人々が多い。
若い世代はその事実を正しく知って,正しく伝達しなければならない。 それに対して,説明
をしなければならない。 そのためには問題意識を持って,歴史に関心を持って勉強をしな
ければならない。 まず、最も簡単に開始できるのは、両親,祖父母,親戚らが体験した歴史
に関心を持ってインタビューをしてみよう。 彼らの人生が歴史で,彼らの証言が資料だ。
その資料が土台になって,また他の気がかりなことが生じ、また調査して研究できる基礎に
なるだろう。
今年で3回目を迎えた歴史NGO世界大会が日本の平和運動家や市民社会ではどんな意味があ
るだろうか?
歴史NGO世界大会は充分な支援と大きいエネルギーが必要な行事だ。 日本では簡単に開か
れることはできない行事なので参加して大いに驚いたし,羨んだ。 “これがまさに韓国の
力だな”と感じた。 歴史をテーマとする世界のNGOらが集まって交流するのは良い機会だ。
こういう交流の回数と時間がこれからますます増えなければなければならないと考える。
歴史NGO世界大会に望むなら、学生たちと戦争体験者などが一ヶ所で会うことができる対話
の場をさらに多く作ることだ。 本と資料で見ることよりは体験者などに聞く一言がより一
層関心を呼び起こし、直接動かすことができる動機になるためだ。
内海愛子
恵泉女学院大学教授,日本朝鮮研究所研究員,インドネシア パジャジャラン大学講師などを
歴任した。早稲田大学で社会学を専攻し、現在日本早稲田大大学院客員教授で日本とアジ
ア関係,戦後補償問題に関心を持ってアジアの歴史および平和に関し研究している。
http://www.historyfoundation.or.kr/data/Newsletterlist/0910/sub02.html
閔妃(明成皇后)暗殺
メーリングリスト[CML 001614]、2009.10.7
半月城です。
今日、10月7日は朝鮮王朝の閔妃(ミンビ)が日本公使 三浦悟楼によって殺害された命
日にあたります。先月9月1日、テレビ朝日がテレメンタリー2009で「114年目の氷解」と題
してこの事件を放映しましたので、ご存知の方も多いと思います。
テレビ朝日によれば、この事件は韓国における「反日感情の原点」とされます。たしか
にそうかも知れません。一国の王妃が日本公使館の責任者によって殺されたのですから、
しかるべき謝罪がない限り、韓国民の怒りは末永く残ることでしょう。ちなみに当時は大
使館がなかったので、公使館が現在の大使館に相当します。その公使館のトップが殺害し
たのですから、それは日本政府が殺害したことになります。
もし、日本の皇后が駐日外国公館の責任者によって殺害されたら、その本国に対していか
なる感情を持つでしょうか? 今の日本の天皇や皇后は日本国民の象徴とされますが、閔
妃(明成皇后)は、殺害首謀者の三浦悟楼の言によれば「事実上の朝鮮国王」でした(注
1)。それほどの人物を殺したのですから、衝撃的な事件です。当時、朝鮮で領事を務めて
いた内田定槌は「歴史上 古今未曾有の凶悪事件」として日本政府へ報告したくらいでした。
一世紀前、王族が殺害される事件がいかに重大か、ヨーロッパの例を引くまでもありませ
ん。オーストリアは皇太子が暗殺された報復としてセルビアに宣戦布告し、それが第1次世
界大戦につながりました。なぜ、日本は「未曾有の凶悪事件」を引きおこしたのか、韓国
の中央日報はこう伝えました。
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【その時の今日】明成皇后殺害は日帝の国家犯罪だった
中央日報、2009.10.7
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=121302&servcode=A00§code=A10
1895年10月7日未明、訓練隊解散令が下されると、翌日、駐韓公使の三浦梧楼(1847-
1926)は10日に予定されていた日程を繰り上げた。
「ロシア勢力がずけずけと朝鮮半島に侵入する根源は、まさにこの宮廷の女性、閔妃
(ミンビ)一人の一顰一笑のためだ。 恐ろしい東亜の禍根が迫っているのも知らずに閔妃
は日本の勢力を押し退けようという一心で将来の災いを考えていない。 東亜を救って朝鮮
を救うことができる目の前の唯一の方法は閔妃を殺害することにある。 閔妃を殺せ!閔妃
を殺せ!これが当時の京城にいた志士らの絶叫だった」。
(中略)
1894年9月15日、平壌城(ピョンヤンソン)戦闘で清国軍を退けた後、日本の為政者らは
朝鮮を保護国にしようと野心を抱いた。 朝鮮をのみ込むためにはロシアと米国の同意を得
る最上級の外交が必要であり、これを自任したのが明治維新の主役の一人、井上馨だった。
内務大臣を退いて朝鮮公使になることをいとわなかった井上は、翌年4月23日、三国干渉で
自分の野望が断たれると危機に陥った。
高宗(コジョン)と王后がロシアを背に日本を押し出そうとすると、窮地に追い込まれ
た井上は2つの方法を模索した。 一つは王后と手を組んでこの地をロシアと共同支配する
こと、もう一つはロシアを引き込もうとする王后を殺害した後、目標通り朝鮮を支配下に
置くことだった。
井上は7月21日、本国政府を説得し、清国から受けた戦争賠償金から300万円を無
償で与えると約束し、王室の歓心を得た。 しかしこれは詐欺だった。 その時すでに井上
と総理大臣・伊藤博文は王后殺害を工作していた。 これを引き受ける下手人に選ばれたの
が極右派の退役軍人である三浦であり、推薦人は井上だった。
三浦が赴任して3日目の9月4日、日本政府は寄贈金の話をなかったことにした。 約束
を破り日本勢力の退潮が明らかになると、三浦は右翼浪人を動員し、10月8日、求心点
である明成皇后を殺害した。
「私たちの勢力を維持して当初の目的(朝鮮保護国化)を達成するためにこうするしか
なかった」。同月14日、伊藤博文総理大臣に送った三浦の報告書は、この‘天人共怒’
する犯罪行為に国家レベルの介入があったことを物語っている。
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事件後、首謀者の三浦悟楼らは日本へ召還されましたが、証拠不十分により免訴になり
ました。そのため、日本による国家犯罪は誰一人罰せられることはありませんでした。こ
うした後処理も「反日感情」の原点になったといえます。
その後もこの国家犯罪は解明されることはなく、戦後になってやっと山辺健太郎や朴宗
根によって三浦悟楼が首謀者であることが史料から解明されました。しかし、事件は三浦
の「使命感」によるものか、あるいは政府高官が関与していたのかなどについては現在も
不明です。これに最初に照明をあてたのが作家の角田房子でした。しかし、作家に歴史解
明は荷が重すぎるようです。角田はこう記しました。
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日本側で、閔妃暗殺を最も具体的に予測していたのは誰であろうか-。まず井上馨を考
えねばならない。公使時代の彼が閔妃にとり入る態度を示したとき、政府顧問官の一部や
在留邦人からも強い批判を受け、ある民間人は彼に「むしろ閔妃を消すことを考えるべき
だ」と進言した-という噂もある。井上は三浦着任後もなおしばらくソウルにいた。三浦
はすでに閔妃暗殺を決意してはずだが、二人の間で多少ともそれに触れた会話が交わされ
たのか。また帰国後の井上に、朝鮮にいる誰かが三浦の計画をもらしたか-。これらをう
かがい知ることの出来る資料はなく、私には想像する手がかりもない(注2)。
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角田の研究から十数年たって、韓国の歴史研究者である崔文衡が『明成皇后弑害の真実を
明かす』(2001)と題する著書を発刊しました。これは日本語に翻訳され『閔妃は誰に殺
されたのか』(2004)と題して彩流社から発刊されました。明治の元勲である井上馨を首
謀者とする説ですが、残念なことに日本史書の調査が不十分のようです。それを補ったの
が金文子『朝鮮王妃殺害と日本人』で、10年をかけた労作なのですが、王妃殺害の狙いは
「電信線」の確保だったと記すなど少々首をかしげたくなります。当時電信線がいかに重
要であったのかは理解できるのですが、日露両帝国の朝鮮をめぐる角逐など国際情勢を相
対的に軽視するなど、事件を矮小化しすぎるきらいがあるように思えます。
他に、民間で明成皇后殺害の実行犯を多く出した熊本県で「閔妃事件を考える会」が結成
され、5年来歴史研究を続け、テレビ朝日にも紹介されました。同会がどのような見解を
出すのか、いずれ明らかにされることでしょう。
いずれにしても、日本は日本の国家犯罪をもっと直視すべきではないでしょうか。韓国の
市民団体の太平洋戦争犠牲者遺族会は6日、日本の鳩山由紀夫首相に、日本の天皇が20
10年に訪韓することになった場合は明成皇后暗殺事件(乙未事変)の真相を明らかにし、
謝罪すべきだと促す声明を送ったと明らかにしました(注3)。はたして、過去の歴史を
直視すると明言した鳩山内閣に閔妃殺害事件への直視を期待できるでしょうか?
(注1)金文子『朝鮮王妃殺害と日本人』高文研、2009、p.349。
(注2)角田房子『閔妃暗殺』新潮社、1988、p.348。
(注3)聯合ニュース「明成皇后暗殺究明を、市民団体が鳩山首相あてに声明」2009.10.6
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2009/10/06/0400000000AJP20091006003800882.HTML