半月城通信
No.134 (2008.5.30)

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    目次

  1. 島根県「竹島固有領土」論とらず
  2. 外務省「竹島」パンフ批判(7)、サンフランシスコ講和(平和)条約
  3. 外務省「竹島」パンフ批判(8)、竹島=独島の爆撃訓練区域指定
  4. 外務省「竹島」パンフ批判(9)、竹島=独島での不法漁業? 不法占拠?
  5. 外務省「竹島」パンフ批判(10)、国際司法裁判所
  6. 「竹島=独島問題ネットニュース」14、2008.5.26

  7. 島根県「竹島固有領土」論とらず  2008/ 5/18 Yahoo!掲示板「竹島」No.16566   半月城です。  読売新聞、2008.5.18 >文部科学省は17日、中学校社会科の新学習指導要領の解説書に、韓国と領有権を巡っ  て争いのある竹島を「我が国固有の領土」として新たに明記する方針を固めた。   下條正男氏は<「竹島問題」の本質が分かっていない日本政府>と題して外務省など を批判しましたが、これには同感です。ただし、下記の下條氏の意見には後段のみ賛成で す。        --------------------   1880年、欝陵島を調査した軍艦天城は、松島を欝陵島とし、竹島を竹嶼として報告し ていた。この時点で、今日の竹島は、「無主の地」となったのである。従って、島根県の 中間報告では、外務省の「固有領土」論をとっていない。  ・・・・・   事実関係を明らかにすることなく、外務省が竹島関連のホームページを「(韓国が) 不法占拠している」と書き換え、文科省が竹島を「固有の領土」と発言すれば、韓国側が 反論しても当然である(注1)。        --------------------   島根県が「固有領土」論をとらない理由を明らかにしたいのなら、島根県発行の 『フォトしまね』161号に書かれた下記の文章を載せたほうがもっとスッキリします。        --------------------   地籍編纂のため、内務省から1876年に竹島(現在の鬱陵島)に関する照会を受け た島根県は「山陰一帯ノ西部ニ貫付(所属)スベキ哉」と回答したものの、同省が最終的 な判断を仰いだ太政官は、同島と外一島を「本邦関係無之」とし、日本領でないとの認識 を示した。外一島とは、現在の竹島とみられる。        --------------------   なにしろ、明治政府が竹島=独島を日本に関係ないと指令を出したのですから、竹島 =独島は日本の固有領土であるはずがありません。明快な論理です。   なお、『フォトしまね』に書かれた「外一島とは、現在の竹島」とする常識的な見解 は下條正男氏から出されたようです。『フォトしまね』161号と同じころ書かれた『発信 竹島』にて下條氏はこう語りました。        --------------------   地籍編さんのため、内務省から一八七六年に竹島(現・鬱陵島)に関する照会を受け た島根県は、『山陰一帯の西部に所属すべきかと思われる』と回答したものの、同省が最 終的な判断を仰いだ太政官は、竹島(現・鬱陵島)と外一島を『本邦関係無之』とし、日 本領ではないとの認識を示した。外一島とは当時の松島、現在の竹島を指していると思う (注2)。        --------------------   幸か不幸か、下條氏や島根県の見解は文科省には届いていないようで、弘報が不十分 なようです。 (注1)下條正男<「竹島問題」の本質が分かっていない日本政府>『正論』2006.7月号、  P276 (注2)『発信 竹島』山陰中央新報社、2006、P19  半月城通信(ミラーサーバー) http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/ 外務省「竹島」パンフ批判(7)、サンフランシスコ講和(平和)条約  2008/ 5/ 5 Yahoo!掲示板「竹島」No.16523   パンフレットは、講和条約の成立過程で竹島=独島が一貫して日本領として扱われた かのように記述していますが、これは資料を恣意的に取捨選択した結果に他なりません。 外務省は真実を正しく伝えようとする意思はまったくないようです。   実際は、当時のアメリカは竹島=独島に対する方針が何度も大きく揺れ動き、講和条 約案もかなり迷走しました。それを具体的にみることにします。   外務省曰「7.サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領 土に竹島を含めるよう要請しましたが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否しま した」  「これらのやり取りを踏まえれば、竹島は我が国の領土であるということが肯定されて いることは明らかです」   外務省は「肯定されている」と記しましたが、この趣旨は講和条約で「竹島は我が国 の領土」であると各国から承認されたと言いたいのでしょうか? もし、そうでないのな ら、上のように書くのは日本国内向けの単なる自己満足に過ぎません。   ちなみに50余年前の外務省は韓国政府に宛てた公式書簡でこう述べました。        --------------------   平和条約は、「日本国は朝鮮の独立を承認し」と規定しているが(第2条)、ここに規 定する「朝鮮の独立を承認し」とは、日韓併合前の朝鮮が日本から独立したことを日本が 認めたことをいうのであるが、竹島は既に日韓併合以前において島根県の行政管轄下にあ り、また併合後も同県管轄下に置かれ、朝鮮総督府の管轄下に置かれたことはなかったの で、同島が日本領土の一部であることは、議論の余地がない(注1)。        --------------------   外務省は、国内向けの発言はいざ知らず、韓国に対して講和条約で竹島=独島の日本 領が承認されたなどとは主張しませんでした。逆に、韓国のほうが竹島=独島は講和条約 で韓国領であることが承認されたとして、こう主張しました。        --------------------   1946年1月29日付け連合軍総司令官指令 第677号は、独島をはっきりと日本の領有権 外に置いており、対日講和条約には、日本領土問題に関する限り、同指令の条項と矛盾す る条項がない。講和条約は、この問題に関する連合軍総司令官の意向を、なんら実質的変 化なしに確認した。・・・   対日講和条約には独島に対する韓国の正当な領有権主張に矛盾する条文はない。そし て同条約第1章第2条Aにより、独島が鬱陵島の属島として鬱陵島本島とともに韓国領土 として承認されたと解釈される(注1)。        --------------------   韓国政府の主張ですが、日本でも韓国でも竹島=独島は欝陵島の付属島、ないしは一 対の島と考えられてきただけに、竹島=独島は欝陵島と一緒に講和条約で韓国領とされた とする主張は自然な論法です。これに対する日本政府の反論は、その論理が注目されます。        --------------------   韓国側では、平和条約により竹島が、鬱陵島の属島として鬱陵島本島とともに韓国領 土として承認されたとするが、このような解釈は、平和条約の条文からは導き出すことは できない。   日韓併合以前に竹島が韓国の領土であったという法的根拠が示されない以上、平和条 約第2条に関する韓国側の解釈は、成立し得ない(注1)。        --------------------   日本政府は、もし韓国が日韓併合以前に竹島=独島が韓国領であったとの法的根拠を 示すことができるなら、韓国政府の講和条約に対する解釈は一理あると考えていたのでし た。決して、むやみに講和条約で竹島=独島は日本領になったなどとは主張しなかったの でした。   韓国政府は講和条約当時において、竹島=独島が欝陵島の付属島であるという論理だ けでは少し弱いとみたのか、条約に竹島=独島を韓国領として明記させるべく努力したこ とは、その一端を外務省のパンフレットが記すところです。   その努力は当初は実を結び、アメリカやイギリスの各講和条約草案で竹島=独島は韓 国領とされました。これは韓国が同島を統治していた下記の状況からも順当な案でした。   1946年1月、竹島=独島は連合軍の SCAPIN 677号指令により日本の支配から切り離 されて米軍政庁の管轄下に置かれました。しかし、韓国は1948年に独立するや、米軍政庁 から竹島=独島も正式に引き継ぎました。   引き継ぎにあたり、韓国は竹島=独島を憲法4条や関連法規で韓国領と定め、慶尚北 道の管轄下に置きました。これらの一連の措置に対して連合軍はもちろん、日本から何の 異議申し立てもなされませんでした。国際法上も道義上も何ら問題のない合法的な措置で した。   引き継ぎが正当になされたことは、その後の駐韓米軍が韓国政府へ竹島=独島使用願 いを提出したことからも確認されます。1951年6月20日、アメリカ第8軍のコルター将軍 は竹島=独島を爆撃訓練に使用したいとの許可願いを張勉首相へ提出し、公式に許可を得 ました(注2)。米軍政庁が竹島=独島を完全に韓国へ引き渡したことを示しています。   そうした流れに対して、日本はアメリカへ猛然とロビー活動をおこないました。具体 的には、事実上の駐日大使ともいえるシーボルド駐日政治顧問へ働きかけました。それが 功を奏し、シーボルドは竹島=独島を日本領とし、そこに気象およびレーダー局を設置す ることによる安全保障面の利点を国務省へ説きました。   竹島=独島の軍事施設を韓国の統治下で設置するのは、朝鮮戦争で領土範囲が目まぐ るしく変化していた当時の状況からすると安定的な運用にリスクがありました。そのため、 シーボルドは日本統治下で設置するほうが得策と判断したようです。   当時、米ソ対立の冷戦が極点に達していたので、シーボルドの提言は効果的だったよ うです。アメリカは独自の第6次草案で竹島=独島を日本領としました。  しかし、条約はアメリカ単独の考えで定まるものではなく、連合軍を構成する各国の承 認を得る必要があります。特に竹島=独島を韓国領とするイギリス草案との調整は重要で した。結局、米英共同草案で竹島=独島を日本領とする条文は除かれました。   外務省のパンフレットはふれませんでしたが、注目すべきは、竹島=独島を自国領と する日韓両国の主張は共に斥けられた厳然たる事実です。   7月9日、米英共同の第2次共同草案はダレス国務長官顧問から梁祐燦駐米韓国大使へ 提示されました。しかし、その時点ですら、アメリカ国務省の見解は一様ではありません でした。   7月13日、北東アジア課長のアシスタントであるフィアリーは、同省の地理担当官で あるボグスに南沙諸島やリアンコールト岩など問題になりそうな島嶼についての意見を求 めました。ボグスは、リアンコールト岩を日本が放棄する島のリストに加えるよう、こう 進言しました(注3)。        -------------------- リアンコールト岩   リアンコールト岩(タケシマ)は、1949年の条約草案に日本が朝鮮に対して放棄する 島とされている。日本外務省が刊行した「日本周辺の小島」4章(1947.6月)にリアン クール岩が含まれている。そのため、特に条約草案で次のように名前を挙げるのが望まし い(第2章): (a) 日本は朝鮮の独立を認め、済州島や巨文島、欝陵島、リアンコールト岩を含む朝鮮に  対するすべての権利や権原を放棄する。        --------------------   条約調印のわずか2か月前の段階でも、まだ国務省内でリアンコールト岩を韓国領と 明記すべきだとの意見が根強かったことが覗えます。   それから3日後の16日、ボグスはフィアリーへさらに進言し「リアンコールト岩には 韓国名がない」とか、「韓国製の地図にリアンコールト岩」はないなどの追加情報をもた らしました。実は、地理担当官のボグスですらリアンコールト岩が韓国で独島と呼ばれて いたことを知らなかったのでした。   7月19日、韓国の梁大使はダレスに面会し、独島とパラン島は日本の韓国併合前に韓 国領であったので、条約で韓国領に認めるよう要求しました。ダレスは、それが本当なら 条約で認めることに何の問題もないと解答しました。   韓国の要求を受けて、国務省は韓国のいう独島やパラン島がどこにあるのか調査を始 めました。ボグスがワシントン中の資料を探したのですが見つからず、韓国から独島の経 緯度を聞いて、やっと独島がリアンコールト岩であり、日本名の竹島であることがわかり ました。   一方、暗礁であるパラン島(スコトラロック)はその経緯度を確認できず、韓国政府 は領有の主張を断念しました。余談ですが、その後のパラン島は名前が離於(イオ)島と なり、海洋科学基地が建設され、8人が宿泊できるほどの基地になりました(注4)。   歴史に「もし」は禁物ですが、韓国は7月末の時点でダレスがアドバイスしたように 竹島=独島の領有根拠を明確に示していたなら、同島の韓国領有が条約で承認された可能 性は大でした。しかし、なにせ当時の韓国は戦争中であり、困難な状況のために絶好の機 会をのがしました。   当時の戦局ですが、韓国は首都ソウルを再度奪回し、戦闘のかたわら休戦交渉を始め ました。その時までにソウルの支配者が4回も入れ替わるほどの激戦ぶりであり、国は荒 廃し、すべてが混乱の極にあり、韓国はとても竹島=独島問題を充分検討できるような状 況ではありませんでした。   同年8月10日、まともな資料を出せない韓国に対して、パンフレットが記すように、 ラスク極東担当国務次官補は韓国の要求を拒否する下記の書簡を梁祐燦駐米韓国大使へ送 りました。        --------------------   合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた 地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を条約がとるべき だとは思わない。   独島、または竹島ないしリアンコールト岩として知られる島に関しては、この通常無 人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、 1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領 有権の主張がなされたとは見られない。        --------------------   この書簡を見ると、アメリカは1905年から当時に至るまで竹島=独島は島根県の管轄 下にあると勘違いしていたようです。これは竹島=独島の実状を知らないか、あるいは 知っていても無視しているのか、ともかく疑問の多い見解です。   これに対する韓国の反論は2か月近く経過した10月3日になって、やっと韓国の卞栄 泰外務部長官からなされました。   卞長官は、竹島=独島は島根県の管轄下にあるのでなく、SCAPIN 677号で日本の管轄 から切り離され、韓国が統治している現状などを訴えました。しかし、時すでに遅く、講 和条約が 9月8日に調印された後であり、後の祭りでした。   以上のような経緯から、サンフランシスコ講和条約に竹島=独島は一言半句も記載さ れませんでした。それにもかかわらず、塚本孝氏は「平和条約上、竹島を日本が保持する ことが確定したのである(注5)」と断定しましたが、これは疑問です。   塚本氏はその理由として韓国の領有権主張がラスク書簡により却下されたことなどを 挙げましたが、同様に竹島=独島を日本領とする明文規定も排除され、あいまいにされた のであり、竹島=独島は「日本が保持する島」にならなかったのは明らかです。   元来、講和条約は条文で領土範囲が明確にされるのが通例ですが、サンフランシスコ 講和条約にかぎってはオーストラリアやニュージーランドなどの強い懸念表明にもかかわ らず、竹島=独島やハボマイ・シコタンなどは条約に記載されませんでした。意図的にあ いまいなままにされ、未解決の問題にされたのでした。それを外務省の川上健三はこう記 しました。        --------------------   竹島=独島もまたそのような(平和条約の領土条項で)未解決の地域の一つで、現に 日韓間で紛争になっていることは周知のとおりである。平和条約第二条(a)にいう、日本 がその独立を承認する「朝鮮」のうちにそれが含まれているかどうか、ないしは竹島の島 根県編入という措置が国際法上の領土取得の条件からみてどのように判断すべきか、等と いう問題の検討は法律専門家にまつこととして・・・(注6)。        --------------------   竹島=独島が講和条約でどうあれ、確実に言えることは講和条約で韓国は決して不利 益をこうむらないということです。韓国やソ連は講和条約の調印国ではなかったので、条 約により韓国や現ロシアの既得権益などが侵されることはあり得ません。   条約の当事国でない第三者は、その条約により不利益をこうむらないという当たり前 の原則は、当時すでに国際慣習法とされました。後日、これは条約法条約(ウィーン条 約)として 1969年に明文化されたのは周知のとおりです。   したがって、韓国の竹島=独島に対する合法的な支配は講和条約により何らの悪影響 を受けないことはいうまでもありません。その状態が現在まで続いています。   講和条約に竹島=独島はなぜ記述されなかったのか長い間ナゾだったのですが、その 理由を明らかにした資料が最近みつかりました。それは駐日アメリカ大使館から国務省へ 出された1952年10月3日付の書簡ですが、こう述べました。        --------------------   国務省はリアンコールト岩の歴史をすでに数回も検討したことがあるが、それをここ で詳述する必要はない。その岩はアザラシの繁殖地であり、ある時期、朝鮮王朝の一部で あった。その岩は、日本がその帝国を朝鮮に拡張した時、もちろん朝鮮の残りの領土とと もに併合された。   しかしながら日本政府は、帝国支配の過程においてこの領域を日本の本土に編入し、 ある県の行政下においた。そのため、日本が平和条約の第二章で「済州島、巨文島及び欝 陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権」を放棄することに同意した時、 条約の起草者はこの岩を放棄すべき領域に含めなかった。   日本は、リアンコールト岩に対する日本の領有権は理由のあることとしている。それ に韓国が異議を唱えているのは明白な根拠にもとづくものである(注7)。        --------------------   竹島=独島が「朝鮮王朝の一部であった」という史実と、「帝国支配の過程でこの領 域を日本の本土に編入」したという覇権行為とのはざまで、連合軍は日韓どちらの言い分 も根拠があると考えて結論をだすのを避けたようでした。そのため、最終的に講和条約に 竹島=独島は明記されなかったのでした。   アメリカはその後も、共に友好国である日韓両国の板挟みになることを避けるように なりました。もし、アメリカが関与して竹島=独島が日韓どちらかの所属に決定したなら、 もう一方の国から恨みをかうことは必定なので、ヤブヘビになることを懸念したようです。 (注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両国政府の見解」『レファレンス』2002.6月 (注2)The US Military Request to Use Dokdo as a Live Bombing Target in June 1951 (注3)(連合国歴史)Spratly Island and the Paracels, in Draft Japanese Peace Treaty TO: NA - Mr. Fearey FROM: OIR/GE - Mr. Boggs The following information and suggestions are furnished in response to your telephone request this morning. 1. Spratly Islands and the Paracel Islands   ・・・ 2. Liancourt Rocks The Liancourt Rocks (Takeshima) were among the islands to which, in a 1949 draft treaty, Japan would have renounced claim to Korea. In a Japanese Foreign Office publication, entitled "Minor Islands Adjacent to Japan Proper" Part 4, June 1947, Liancourt Rocks are included. It may therefore be advisable to name them specifically in the draft treaty, in some such form as the following (Article 2):  (a) Japan, recognizing the independence of Korea, renounces all right, title and claim to Korea, including the islands of Quelpart, Port Hamilton, Dagelet, and Liancourt Rocks.  (b)・・・ (注4)【ルポ】離於島の鉄塔に翻る太極旗、朝鮮日報 2006.9.23 (注5)塚本孝「戦後における竹島問題」『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』  竹島問題研究会、2007,P77 (注6)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(復刻版)古今書院、  1996(初版は1966),P296 (注7)朴炳渉「アメリカ大使館の秘密書簡」『竹島=独島論争』新幹社、2007,P328 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/ 韓国語版「外務省「竹島」パンフ批判」 外務省「竹島」パンフ批判(8)、竹島=独島の爆撃訓練区域指定  2008/ 5/10 Yahoo!掲示板「竹島」No.16542  外務省曰「8.竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、       日本の領土として扱われていたことは明らかです。」   単に、この一事だけを取りあげれば、竹島=独島は「日本の領土」という解釈も成立 する余地があります。しかし、それでは余りにも早計です。これと正反対の見解を示す資 料も存在するからです。   前に記しましたが、1951年6月、在韓米軍のコルター将軍は韓国政府へ竹島=独島を 爆撃訓練区域に使用する許可を韓国政府から得ました。この一事だけを取りあげれば、ア メリカは竹島=独島を韓国領土として扱ったという結論になりかねません。   これまで度々指摘しましたが、外務省のように資料を恣意的に取捨選択すれば、まる で正反対の結論すら可能です。しかし、そのような我田引水は単なる自己満足に過ぎず、 情報隠しのそしりをまぬがれません。重要なのは、相反する見解などを総合的に分析して 矛盾の少ない論理を展開することですが、その基本がパンフレットに欠けているようです。   それでは、上記のように相反するアメリカの行動をどう理解したらいいのでしょう か? アメリカは、それら書簡が書かれた一年の間に竹島=独島の領有主体を韓国から日 本へと、見方を変えたのでしょうか?   もっと期間を狭めれば、在韓米軍のアクションから2か月もしないうちに、ラスク国 務次官補の書簡にみられるように、アメリカは韓国領から日本領へと見方を変えたので しょうか?   その疑問を解くカギは、コルター書簡とラスク書簡のバックグラウンドにあります。 ラスク書簡の背景についてはすでに書いたように、国務省は独島についてほとんど無知で した。その書簡のわずか1週間前に独島をワシントン中の資料で調べたのですが、探せな い始末でした。国務省は独島の歴史どころか、存在すら知らなかったのでした。   一方、コルター書簡の背景ですが、在韓米軍はある忘れられない事件のおかげで独島 をよく知っていました。その事件とは、韓国が独立する直前、まだ米軍政庁が竹島=独島 を管轄していた時に起きた第1次独島爆撃事件です。   1948年6月8日、竹島=独島へ出漁していた韓国人漁夫らが沖縄から飛来したB29の爆 撃により数十名が死亡するという悲惨な事件が起きました。この大事件は、韓国独立前の 制憲国会でもさっそく取りあげられ、アメリカ軍は窮地に追い込まれました。結局、アメ リカ軍は爆撃訓練を中止し、被害者に補償をおこないました。   そのような大事件があったので、韓国独立後、独島を周知している在韓米軍は竹島= 独島を管轄する韓国政府から同島の爆撃使用許可を得たのでした。順当な措置です。   結局、竹島=独島を日本領と考えるのか、韓国領と考えるのかという見解の差は、竹 島=独島をアメリカの当事者がどれだけよく知っていたのかに起因していたことによりま す。独島をほとんど知らない国務省は竹島=独島を日本領とし、独島をよく知っていた在 韓米軍は同島を韓国領として扱ったのでした。   独島をよく知らなかったのは在日米軍も同様でした。在日米軍およびその意を受けた GHQは第1次独島爆撃事件の時に演習区域の警告を日本だけにおこない、韓国の米軍政 庁や韓国政府に知らせなかったようです。その理由としてGHQのマッカーサーと米軍政 庁のホッジ将軍との不仲説がささやかれています。   このような爆撃事件と同様なことが 1952年にもう一度起きました。第2次独島爆撃 事件です。パンフレットに記されたように、日米行政協定にもとづいて設立された日米合 同委員会は竹島=独島を爆撃訓練区域に指定し、在日米軍が同島の爆撃を始めました。   それを知ってか知らずか、9月7日、在韓米軍は竹島=独島へ民間の科学調査隊を派 遣したいという韓国海軍参謀長からの申請を許可しました。当時は戦争中であり、海上の コントロールは国連軍、実質的には米軍が握っていました。   竹島=独島の爆撃は9月15日と22日の2回おこなわれました。幸い、同島で操業 していた韓国人漁夫や海女たちは緊急避難し、かろうじて難を逃れました。また、科学調 査隊も竹島=独島へ2キロまで接近した段階だったので遭難をまぬがれ、人的被害はあり ませんでした(注1)。   この第2次独島爆撃事件により、日米韓の3カ国間で竹島=独島問題がにわかにク ローズアップされました。前に書いたように、10月3日、駐日アメリカ大使館は国務省 への報告において、日本の領有権主張やそれに対する韓国の根拠ある異議などを考慮し、 アメリカがこの問題に巻きこまれる懸念を伝えました。   また、駐韓アメリカ大使館も竹島=独島を訓練場として使用しつづけるのは、アメリ カが日韓の領土紛争に巻きこまれる懸念があるとの見解を示しました。   このような出先の大使館の見解に対し、国務省のヤング北東アジア課長は、問題のラ スク書簡からサンフランシスコ条約に至る国務省の立場を説明し、国務省は竹島=独島が 日本に属するとの立場をとるので、日米合同委員会の射爆場指定は正当化されると説明し ました。   ラスク書簡は、たとえ無知に起因するものであれ、外交文書として一旦出されたから には、外交上はそれが国務省の原点になります。   しかし、駐韓米軍や極東空軍の考えはもちろん国務省と異なりました。第2次爆撃事 件をめぐって韓国内でアメリカ軍の過失を追求する与論が高まるや、極東空軍のウェイラ ンド司令官は韓国外務部長官の申し入れを受け、1953年2月27日、竹島=独島が韓国領で あることを認め、同島の爆撃を中止したことを韓国へ通告しました。   この通告の内容を韓国の国防部長官が発表するや、日本に大きな反響を巻きおこしま した。日本に何も連絡しないまま、アメリカ軍が一方的に爆撃中止を発表したので、日本 のメンツは丸つぶれでした。しかも、竹島=独島を韓国領とウェイランド司令官が認めた という発表は衝撃的でした。   後日、国務省はウェイランド司令官がそのような見解を示したことはないと否定した ようですが、国防部の発表が事実であっても何の不思議もありません。それまでに駐韓米 軍は竹島=独島を韓国領として扱い、韓国政府と交渉してきたからです。   また、国務省管轄下の駐韓アメリカ大使館ですら、国務省が竹島=独島を日本領と考 えているとは知らずにいました。そのため、臨時代理大使のライトナーは、日米合同委員 会の爆撃区域指定は竹島=独島に対する日本の主権をアメリカが承認することになりはし ないかなどと懸念を表明したくらいでした。   それも無理はありません。国務省はラスク書簡や同省の見解を日本政府はおろか、関 係者である駐韓アメリカ大使館にすら爆撃事件が起きるまで知らせなかったのでした。   そもそも、ラスク書簡は独島をほとんど知らないまま拙速に作成されたうえ、その後 の見直しによって竹島=独島は「ある時期、朝鮮王朝の一部であった」事実が判明するな ど問題が多かったため、とても公開できるような資料ではありませんでした。   その後も問題のラスク書簡は日本政府に対して数十年間も秘密にされました。それを 公開すると領土問題は解決するどころか、ますます激化するとの判断からでした。基本的 にアメリカは、日韓両国を反共の防波堤として位置づけ、両国の良好な友好関係を願うと 同時に、両国間の領土紛争に巻きこまれるのを避ける政策をとりました。   そうしたどっちつかずのアメリカを頼みの綱にして、外務省はパンフレットで「竹島 が合同委員会で協議され、かつ、在日米軍の使用する区域としての決定を受けたというこ とは、とりも直さず竹島が日本の領土であることを示しています」と記しましたが、これ は我田引水の感があります。   韓国政府は、これに対し「むしろ、米空軍司令官は、韓国政府の抗議に応えて、1953 年2月27日、韓国政府に対し独島を指定演習地から除く旨 正式に通告した(注2)」と反 論しました。   もし、アメリカが竹島=独島を日本領とする揺るぎない確信を持っていたなら、演習 地の指定を取り消す必要はなく、なおさら竹島=独島の北方に新たな演習地をわざわざ設 定する必要はまったくありません。   日米合同委員会の措置を論拠にする主張がいかにもろいかを示しています。そうした 主張はむしろ日本にマイナスになるとの指摘がすでに1953年当時からありました。参議院 の外務・法務合同委員会で外務省出身の曽祢益議員は、爆撃演習地問題をこう指摘しまし た。        --------------------  (竹島=独島が)いわゆるアメリカの演習地として使用されておる、こういうような理 由を挙げることは却って(領土権の)論拠を弱めるのじゃないか。例えば、何らかの都合 で演習地から落としてしまうと、逆に韓国側の主張に応援するような論拠をこちらから与 えたことになる危険がある。そういう論拠をお使いになることは不適当ではないか、これ が第1点として伺いたい点です(注3)。        --------------------   曽根議員は竹島=独島はもちろん日本領であるとする立場から質問したのですが、外 交官としての経験が豊富な曽根議員の指摘は正鵠を得ているようです。それに対して下田 武三・政府委員はこう答弁しました。        --------------------   行政協定との関係につきましては、曽祢さんは、それは根拠に援用し得ないとおっ しゃるのでございますが、アメリカが若し竹島を韓国領だと見れば、韓国との間の取り決 めによって、韓国政府の同意を得て、施設を使用さしてもらうという立場をとるのであり ますが、それをしないで日米行政協定の規定に従って日米合同委員会にかけて貸してもら うという措置をとったことは、日米間の問題ではありまするが、これ又極めて明白な事実 だろうと思います。        --------------------   外務省は無知なのか、情報隠しなのか、かつてアメリカが竹島を韓国領だと見て「韓 国との間の取り決めによって、韓国政府の同意を得て、施設を使用さしてもらう」という 「明白な事実」があったことにはふれませんでした。   曽根議員と同様に、団伊能議員も日米合同委員会の件は、かえって日本の弱点になる として、こう発言しました。        --------------------   私は曽祢君の行政協定関係の論拠は、却ってこの領有に関する問題を侵すような形で 弱くなると言われる御思想はまったく意見一致しますので、若しもそういたしますと、先 ほどの韓国の発表にありました、真偽は知りませんが、ウエンライトその他の通告という ものも同じような価値を持って来るような形になりはしないかと思います(注3)。        --------------------   この記録でウエンライトはウェイランドの誤りと思われます。このように50余年前 すでに日米合同委員会関連の論拠は日本の弱点であると指摘されていたのですが、それを 外務省は懲りずに蒸し返しているようです。外務省はよほど領有権の論拠探しに苦労して いるのか、弱点になりかねない主張まで援用したようです。 (注1)朴炳渉「アメリカ大使館の秘密書簡」『竹島=独島論争』新幹社、2007,P327 (注2)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両国政府の見解」『レファレンス』2002.6、P64 (注3)第15回 国会参議院 外務・法務連合委員会 会議録第1号、1953.3.5 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/ 韓国語版「外務省「竹島」パンフ批判」 外務省「竹島」パンフ批判(9)、竹島=独島での不法漁業? 不法占拠? 2008/ 5/17 Yahoo!掲示板「竹島」No.16555   パンフレットは韓国の平和線、いわゆる李承晩ラインについてこう記しました。        -------------------- 9-1 1952(昭和27)年1月、李承晩韓国大統領は「海洋主権宣言」を行って、いわゆる 「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、そのライン内に竹島を取り込みまし た。        --------------------   パンフレットは平和線が作られた経緯について何も記しませんでしたが、平和線は連 合軍のGHQが日本船舶の航行を禁止したマッカーサーラインをほぼ引き継いだものでし た。   マッカーサーラインとは、GHQ指令 SCAPIN 1033号「日本の漁業及び捕鯨業許可区 域に関する覚書」を指すのですが、もちろん合法的なものでした。   マッカーサーラインが作られたのは、アメリカの漁業・海洋資源に対する保護政策に もとづきます。当時の背景をデジタル平凡社の百科事典はこう記しました。        --------------------   1945年9月にアメリカの大統領トルーマンは海洋政策に関する二つの宣言を発表した。 その一つは,大陸棚に関する宣言で,アメリカの領海以遠の大陸棚に存在する鉱物資源を アメリカの管轄権におくことを宣言したものである。他の一つは,保存水域に関する宣言 で,外国漁船の活動から漁業資源を保護するために,アメリカ沿岸に隣接する公海に保存 水域を設定する権利を主張したものであった。        --------------------   こうした保護政策の積み重ねが今日の 200カイリ時代を築いたのですが、GHQは優 秀な日本漁船による乱獲を警戒してマッカーサーラインを作ったのでした。しかし、当時 の日本は極度の食糧難時代とあって、日本漁船によるマッカーサーラインの侵犯はあとを 絶ちませんでした。例をあげると、1951年4月だけでも拿捕(だほ)された漁船は27隻、 抑留された漁船員は330人にも達しました(注1)。   こうした状況で、もしサンフランシスコ条約を機にマッカーサーラインが廃止された らどうなるでしょうか? 日本漁船による乱獲は火を見るより明らかでした。   これに危機感をもった韓国の李承晩大統領は、1952年1月「大韓民国隣接海洋の主権 に対する大統領の宣言」を発し、マッカーサーラインとほぼ同じような平和線を設定しま した。   前にも書きましたが、一般に条約当事国でない第3国は、他国間の条約により利益を 受けることはあっても不利益をこうむらないことは当時の慣習国際法です。   サンフランシスコ条約の非調印国である韓国は、同条約を機にマッカーサーラインと いう権益が損なわれるのを黙過できなかったのでした。そのため、同ラインを実質的に維 持する措置として平和線を設けたのは当然の成りゆきでした。それは今日の海洋200カイ リ時代を先取りしたアメリカの遺産といえます。   つぎに外務省はこう記しました。        --------------------   同(1952)年7月には、不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から撤去するよう 要求した海上保安庁巡視船が、韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃されるとい う事件も発生しました。        --------------------   外務省は、竹島=独島における韓国民の漁業が「不法」だと主張していますが、それ はいつから不法だと言いたいのでしょうか?    1948年6月、韓国漁船が竹島=独島へ出漁してアメリカ軍の爆撃に遭遇したことはす でに書いたとおりですが、この時の漁も不法だと言いたいのでしょうか? ちなみに、こ の時の竹島=独島は SCAPIN 677号により米軍政庁により統治されていたので、日本が不 法をいう筋合いではありません。   また、外務省が指摘する1952年の場合は、韓国が米軍政庁から合法的に竹島=独島の 統治を受け継いでおり、その既得権益はサンフランシスコ条約によって影響されることは ありません。   したがって、その時の出漁はもちろん合法的なのですが、あえて外務省がそれを不法 というのはどのような根拠でしょうか? 察するに、つぎのふたつのケースが考えられま す。 (1)1948年、韓国が独立して米軍政庁から竹島=独島を受け継いだことが不法? (2)1952年、サンフランシスコ条約で日本が放棄する島に竹島=独島は含まれていない、  したがって竹島=独島は日本領なので、そこでの漁業は不法?   前者の場合、日本を統治していたのは連合軍であり、日本政府は連合軍配下におかれ た米軍政庁の措置を不法とか主張できる立場にありませんでした。   後者の場合、サンフランシスコ条約に竹島=独島は一言半句も記されなかったので、 同条約の解釈において竹島=独島を日本領とするのが無理なのはすでに書いたとおりです。   さらに、同条約において韓国は不利益をこうむらないという慣習国際法からも韓国の 竹島=独島における漁業は肯定されます。   そうした条約がらみの主張が我田引水であることは、当時、竹島=独島を日本領と考 える団伊能議員すら、こう指摘しました。        --------------------   もともと日本の領土でないから日本の領土から離れるという(条約の)規定の中にない という主張をされた場合に、非常に問題が不明確になって来るんじゃないかと思います (注2)。        --------------------   もともと竹島=独島は日本領でないから、日本が放棄する島のリストに竹島=独島が 入っていないという見方もさすがに説得力があります。   結論として間違いなくいえることは、たとえ竹島=独島の領有権を別にしても、韓国 は竹島=独島の統治を米軍政庁から合法的に引き継いで今日に至っているのであり、韓国 は竹島=独島をけっして不法占拠しているのではありません。   したがって、その竹島=独島へ日本船が無断で近づけば銃撃されても仕方ありません。 また、そのような日本船を防ぐために警備隊が常駐するのは当然ではないでしょうか。 (注1)高崎宗司『検証日韓会談』岩波新書,1996 (注2)第15回 国会参議院 外務・法務連合委員会 会議録第1号、1953.3.5 半月城通信(ミラーサーバー) http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/ 韓国語版「外務省「竹島」パンフ批判」 外務省「竹島」パンフ批判(10)、国際司法裁判所  2008/05/25 Yahoo!掲示板「竹島」 No.16641 & 16728(一部)   パンフレットは、かつて竹島=独島問題を国際司法裁判所(ICJ)に付託しようと した日本の提案をこう記しました。        --------------------   この問題の平和的手段による解決を図るべく、1954(昭和29)年9月、口上書をもっ て竹島の領有権問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案しましたが、同年10 月、韓国はこの提案を拒否しました。また、1962(昭和37)年3月の日韓外相会談の際に も、小坂善太郎外務大臣より崔徳新韓国外務部長官に対し、本件問題を国際司法裁判所に 付託することを提案しましたが、韓国はこれを受け入れず、現在に至っています。        --------------------   この文章を読むと、竹島=独島問題をICJへ付託する話が、さも今日まで継続して いるかのような印象を受けますが、ICJに関する日韓両政府間の協議は、実は 1965年 の日韓協定で完全に終り、それ以来、ICJに関する話は両国政府間でまったくありませ んでした。   それもそのはずです。ICJへの付託は日韓協定の精神に反するからです。同協定の 締結時に両国は「紛争の解決に関する交換公文」を取りかわしましたが、そこにはこう記 されました。        --------------------   両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず外交上の経路 を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかつた場合は、両国政府が 合意する手続に従い、調停によつて解決を図るものとする。        --------------------   このように、外交交渉で解決できない問題は「調停」によって解決をはかることが定 められており、ICJは論外でした。もっとも、韓国は「紛争」の中に竹島=独島問題は 含まれないと解釈するが、日本は含まれると解釈しているので、双方に食いちがいが見ら れます(注1)。   いずれにせよ、日本が調停手続きを経ることなしに、竹島=独島問題を直接ICJに 持ちこむとか、国連へ持ちこんだりするのは日韓条約に反するので、あり得ないと思われ ます。   かつて、調停が日韓会談の中で話題になったようです。2005年に公開された韓日会談 議事録をみると調停をめぐる金ー大平会談があったようで、こう報道されました。        --------------------   (1964年)11月13日の第2次 金鍾泌・大平会談録では、大平外相が再び国際裁判所問題 を取り上げると、金部長は第3国の調停に任せることを示唆する発言をした。これに対し 大平外相は、「考慮に値する案」としながら第3国として米国を指名し、工夫してみると 答えた(朝鮮日報2005.8.28)。        --------------------     しかし、不思議なことに日本側代表は第7次会談において「日本政府としては第 三者の調停に関心を持ったことはない」と発言したようです。日本側代表はさらに続けて こう発言しました。        --------------------   これ(第3者の調停)は第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第 二に、第三国として米国を予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決さ れる印象を与えることになり、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府として は GOOD OFFICE,MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実 に解決する方法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った(注2)。        --------------------   日本は韓国側が出した調停案を「野党の反対」などを理由に受けいれませんでした。 ただし、これはあくまで韓国側の情報であり、日本側の情報はまだ明らかでありません。 先日、日本でもやっと日韓会談文書が5万ページ公開されましたが、重要な資料は非公開 とされました。市民団体「日韓会談文書・全面公開を求める会」によると、<竹島(独島) 問題に触れた部分も一部に見られるが、「竹島問題に関する文献資料」は交渉上不利にな るとして、一切不開示にされた>とのことでした。   それも無理ありません。もし、島根県が認めたように、あるいは下條正男氏も一時認 めたように、明治政府の太政官が竹島外一島、すなわち欝陵島と竹島=独島を日本の版図 外とした史実、これが広く知られたらどうなるでしょうか(注3)。   そうなると、外務省がこれまで言い続けてきた「竹島固有領土」論が崩れるので、そ のような資料は公開できるはずがありません。あるいは、もし外務省がその資料を知らな かったとしても、これまた非難を受けることになります。いずれにしても、外務省は情報 隠しを続けざるを得ないことでしょう。   話はふたたびICJにもどり、国際司法裁判の本質を見ておきたいと思います。国際 司法裁判は国内裁判とは本質的に違います。国内の場合は判断の基準になる憲法や法律な どが明文化されているのですが、国際司法裁判の場合はそのような判断基準の明文規定が 存在しません。   存在するのは単に(1)国家間の条約類、(2)これまでの国際慣習、(3)法の一 般原則などであり、これらが総称して国際法と呼ばれます。したがって、(1)の条約類 以外はほとんど成文化されていません。   特に(2)の国際慣習は、長年にわたり覇権を争ってきた列強諸国間の利害調整の積 み重ねであり、今日の価値基準とは必ずしも一致しないのが特徴です。そのいい例が戦争 で、第二次世界大戦以前は侵略戦争すらおおむね合法とされました。   たとえば、イギリスがアヘン戦争で香港を獲得したことなども、それがいかに道議に 反しようとも戦前の国際法(万国公法)では合法とされます。そのような狼どもの万国公 法が独島問題のような帝国主義時代の案件を裁くことに私は賛成できません。   個人的な見解はともかくとして、韓国政府は「韓国は独島に対して始めから領土権を 持っており、この権利に対する確認を国際司法裁判所に求めなければならない理由は認め られない」と日本政府へ主張しました(注4)。この見解は日本の尖閣諸島=釣魚島に対 する見解と同じような論法です。   さらにICJに関する日本の主張を見ることにします。不思議なことに、日本でIC Jによる竹島=独島問題の解決を安易に主張する政治家は多くいますが、北方領土問題で はICJによる解決を主張した人をほとんどみかけません。   これは外務省も同様です。むしろロシア側がICJにコメントしているようで、「エ リツィン訪日を前にした1992年にはロシアの高官がICJへ付託に言及したこともあっ た」とされます(注5)。   もし、北方領土問題をICJに付託したらどうなるでしょうか。おそらく、竹島=独 島問題に比べて日本は格段に有利と見られます。何しろロシアは韓国と違って、問題の領 土を自国の固有領土と主張していないのですから出発点から違います。   さらに、北方領土と竹島=独島問題との異同ですが、両方ともに連合軍の SCAPIN 677号で日本の統治から切り離されました。その後、竹島=独島は韓国が米軍政庁から正 式に引き継いだのに対し、北方領土はそのような手続きがありませんでした。もし、日本 が SCAPINの効力は占領軍の日本統治とともに終了したと本気で考えるのなら、北方領土 問題は日本にとってさらに有利なはずです。   なお、北方領土問題は竹島=独島と違って、侵略戦争の影がほとんどないだけに、I CJによる解決が妥当なように思えます。それに加えて、少なくとも4島返還の政治的な 解決は行きづまり、ほとんど絶望的です。それにもかかわらず、日本は官民共にICJへ の付託を一度も主張しないのはなぜでしょうか? 国際裁判で絶対勝てるという見込みが ないからでしょうか?   かつて外務省は竹島=独島問題に関して「本件は国際法の基本原則に触れる領土権の 紛争であるので、唯一の公正な解決方法は本件紛争を国際裁判に付託し判決を得ることに あると認められる」と韓国へ主張しました。   同じ論法でいえば、北方領土をICJへ付託するのが「唯一の公正な解決方法」のは ずです。それにもかかわらず、外務省がそうしないのはダブルスタンダードのそしりを免 れません。察するに、竹島=独島問題は負けても失うものは少ないが、北方領土は負けた ら時の政権が危うくなったり、暴動が起きかねないと見たからではないでしょうか。   次に、パンフレットの最終部分は、今まであまり知られていなかった資料「ヴァン・ フリート報告」を掲げ、こう記しました。        --------------------   1954年に韓国を訪問したヴァン・フリート大使の帰国報告(1986年公開)には、米国 は、竹島は日本領であると考えているが、本件を国際司法裁判所に付託するのが適当であ るとの立場であり、この提案を韓国に非公式に行ったが、韓国は、「独島」は鬱陵島の一 部であると反論したとの趣旨が記されています。        --------------------   独島の名前すら知らなかったアメリカが、外交上の行きがかりから竹島=独島を日本 領と考えるようになったことは前に記したとおりです。そんなアメリカは日韓間の領土問 題に巻きこまれるのを避け、かわりにICJを勧めるのがアメリカの国益にかなうとする 方針をこの報告書にかいま見ることができます。   外務省は、竹島=独島問題で手を引いたアメリカに、まだ何らかの役割を期待して ヴァン・フリート報告書を紹介したのでしょうか? あるいはヴァン・フリート報告書を 単に「錦の御旗」として飾りたかったのでしょうか? いずれにしても外務省はアメリカ の権威が頼りのようです。   しかし、外務省の頼りとするアメリカが竹島=独島問題を避けているのは明らかです。 1953年12月9日、ダレス国務長官は日本大使館へ宛てた電報でこう述べました。        --------------------   アメリカは、平和条約から起きる日本の国際紛争や領土、その他の問題に自動的に責 任をもったり、関与したり、解決する必要はない。アメリカのタケシマに関する見解は、 多くの条約調印国のうちの一つの見解に過ぎない。・・・アメリカはタケシマ紛争に巻き こまれてはならない(注6)。        --------------------   ダレスは、米韓相互防衛条約の調印を目前にして韓国との友好も重視しました。その ため、竹島=独島問題で「アメリカは何もしないのがいい」としたうえで、もし、問題が アメリカに持ちこまれたら、日韓両国にICJへ問題を持ちこむよう勧める方針を定めた のでした。そのため「何もしない」を実践して、根拠が薄弱なラスク書簡の存在を日本に 知らせなかったのでした。   今後はそのようなアメリカの一挙手一投足に振りまわされることなく、日韓両国共に 歴史の真実をしっかり見きわめ、筋のとおった主張をすることが重要です。   昨年『サンデー毎日』は、「歴史の真実を理解し、今度こそ米国の思惑などとは関係 なく、友好的な解決が目指されんことを」と記しましたが、全面的に賛成です(注7)。   このシリーズを終るにあたって、外務省にお願いがあります。外務省は竹島=独島問 題の真実を明らかにするため、一日も早く4、50年前の「竹島問題に関する文献資料」 などをすべて公開してください。すべての真実を明らかにすることが問題を解決する近道 です。情報隠しは決して真の問題解決につながりません。   もし、真実を明らかにしたために日本の領有権が危うくなるようだったら、もともと 日本の領有権主張が無理だったのです。外務省が潔く行動されんことを願って、この文を 結びます。 (注1)2007年4月3日、安倍晋三総理は「衆議院議員鈴木宗男君提出 竹島密約に関する質  問に対する答弁書」を衆議院議長に提出したが、その中で<「両国間の紛争」には、竹  島をめぐる問題も含まれているとの認識である>と回答。 (注2)<[AML 19509] 日韓会談日本側文書5万ページ開示> (注3)<島根県「竹島固有領土」論とらず> (注4)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」『レファレンス』2002.6月号、  P67 (注5)塚本孝「冷戦終焉後の北方領土問題」『国際法外交雑誌』100巻1号、2006、P97 (注6)<A Timeline of U.S. Actions Regarding Dokdo (Liancourt Rocks)> (注7)斉藤貴男「自由のために、その(1)、日韓歴史家が編む真実は」『サンデー毎日』  2007.4.29 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/ 韓国語版「外務省「竹島」パンフ批判」 「竹島=独島問題ネットニュース」14、2008.5.29   2008.5.29                  竹島=独島問題研究ネット発行  記事一覧 1.新刊書、朴炳渉『安龍福事件に対する検証』(日本語、韓国語併記) 2.日本外務省、また“独島は日本の領土” 3.「独島は韓国領土」、英文報告書を世界に初配布へ 4.韓国外相「直ちに修正を」 「竹島は日本領」文科省方針 5.独島「日本領」明記問題、教員団体などが糾弾 6.李-福田両首脳が会って1カ月足らずなのに… 7.李大統領が独島を日本に譲った? 8.北朝鮮メディア、日本の独島領有権主張を非難 9.ネット上での独島認識に危機感、民間団体VANK 10.独島:「日本の中高教科書7種に“竹島は日本領”」 11.【主張】竹島 「固有の領土」明記は当然 12.竹島で小中生用副教材作り 13.竹島標柱引き抜き写真見つかる 14.島根県が竹島問題で連続講座 15.江原道との職員相互派遣4年ぶり復活 16.独島地価は8億4千万ウォン、前年より9%上昇 17.高松の右翼団体 竹島上陸再検討 18.鬱陵島に安竜福記念館、「独島愛精神」学ぶ場に 19.独島付近の海底地名を韓国語に 20.日本の「竹島固有領土論」は根拠のないまやかし(韓国語) 記事概略 1.新刊書、朴炳渉『安龍福事件に対する検証』(日本語、韓国語併記)  定価:15,000ウォン、  発行元:韓国海洋水産開発院  販売元:韓国政府刊行物販売センター  (日本での入手は、下記へご相談ください。   新幹社:文京区水道2-1-12 tel;03-5689-4070, fax;03-5689-2988) 2.日本外務省、また“独島は日本の領土”   中央日報、2008/04/09  李明博(イ・ミョンバク)大統領就任をきっかけに“韓日新時代”を開いていくと言い 放った日本が、独島(トクト、日本名竹島)が日本領土だという主張している。 日本は今年の2月、外務省インターネットホームページ(下記)に“独島領有権に関す る我が国の一貫した立場”という文を掲載した。ここで外務省は「竹島は日本の領土」だ と主張した。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html 【コメント】半月城の外務省パンフレットへの批判 日本語版:http://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#gaimusho 韓国語版:http://www.han.org/a/half-moon/kor/mofa-J/mofa-critics.html 3.「独島は韓国領土」、英文報告書を世界に初配布へ   聯合WoW!Korea、2008/05/20  【ソウル20日聯合】独島は韓国の領土だと知らしめる英文報告書が、下半期に全世界の 韓国学学者に配布される。  国土海洋部が20日に明らかにしたところによると、韓国海洋水産開発院の独島研究セン ターが最近、「独島は果たして日本の領土だったのか」と題する英文報告書の作成に慶尚 北道とともに取り掛かった。下半期までに完成させ、海外の学者に配布する計画だ。  この英文報告書は、日本外務省が2月にホームページに掲載したパンフレット「竹島問 題を理解するための10のポイント」に対し、独島研究センターが1項目ずつ反論した韓国 語の報告書を中心に作成される。 4.韓国外相「直ちに修正を」、 「竹島は日本領」文科省方針   朝日新聞、2008年05月19日  【ソウル=牧野愛博】文部科学省が中学の改訂学習指導要領の解説書に、韓国と領有権 を巡って争いがある竹島(韓国名・独島(トクト))について「我が国固有の領土」と明 記する方針を固めた問題で、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は「事実である場合 は厳重に対応するように」と韓国外交通商省に指示した。柳明桓(ユ・ミョンファン)外 交通商相が19日、重家俊範・駐韓日本大使を同省に呼んだ際に伝えた。 5.独島「日本領」明記問題、教員団体などが糾弾   聯合WoW!Korea、2008/05/20  【ソウル20日聯合】日本の文部科学省が、中学校の次期学習指導要領の解説書に独島を 「わが国固有の領土」と明記する方針を決めたとの報道を受け、各方面から反発の声が挙 がっている。  韓国教員団体総連合会は20日に声明を発表し、独島は日本の領土だとの主張を記載しよ うとするのは大韓民国主権と領土を侵奪する行為であり、50万人の教育者とともに強く糾 弾すると主張した。・・・  一方、慶尚北道議会も同日に臨時会議を開き、独島をめぐる日本の動きに対し糾弾決議 文を採択した。 6.李-福田両首脳が会って1カ月足らずなのに…   中央日報、2008/05/19  李明博(イ・ミョンバク)大統領と福田康夫首相が先月東京で会談し、韓日関係の修復 を目指すことで一致して1カ月足らずの時点に、両国関係が困難に直面している。 文部科学省が2012年から適用される新しい中学校の社会科・新学習指導要領の解説 書で「竹島(独島=ドクトの日本名)は日本固有の領土」と明記する方針を決めたからだ。 確定されれば新しい中学校社会科の教科書にはこうした内容が載せられることになる。 日本政府は今年に入って、独島領有権問題をめぐる攻勢をかけはじめている。外務省は 今年2月、同島が「日本固有の領土」という主張を補足、拡大したパンフレットの英語版、 ハングル版まで作り、公式ホームページに掲載した。 7.李大統領が独島を日本に譲った?   中央日報、2008/05/06 “怪談”が飛び交う理由は… 3日、午後1時ポータルサイトネイバーのリアルタイム検索語1位に「李明博」(イ・ ミョンバク)と「独島」(日本名竹島)がランクインした。 ネットユーザー数千人が一斉に「李明博大統領が独島を手放した」という噂を確認しよ うとインターネット検索をかけたのだ。 「独島放棄」を主張するブログと掲示物は、権哲賢(クォン・チョルヒョン)駐日大使 の先月の発言をもとに書き込まれている。権大使は「以前から続く課題であり、懸案でも ある独島、教科書問題は日本側から多少の挑発があっても、それに乗って感情をあらわに するのをやめよう」と述べた。 8.北朝鮮メディア、日本の独島領有権主張を非難   聯合WoW!Korea、2008/05/23  【ソウル23日聯合】北朝鮮のオンラインメディア「わが民族同士」は23日、日本の文部 科学省が中学校学習指導要領の解説書に独島を「わが国固有の領土」と明記する方針を決 めたとの報道に関する町村信孝官房長官の発言について、「わが民族の自主権に対する許 しがたい侵害であり、朝鮮半島の狙う露骨な再侵略宣言だ」と非難した。 9.ネット上での独島認識に危機感、民間団体VANK   聯合WoW!Korea、2008/05/19  【ソウル19日聯合】「ネット上で、独島はすでに日本領になりつつある」――。  日本文部科学省が、中学校社会科の新学習指導要領の解説書で独島(日本名:竹島)を 「わが国固有の領土」と明記する方針を固めたとの日本報道と関連し、インターネットで 外交活動を行う民間団体「VANK」の朴起台(パク・ギテ)団長が19日、聯合ニュースの電 話取材でこうした見方を示した。 10.独島:「日本の中高教科書7種に“竹島は日本領”」   朝鮮日報、2008/05/24  国民日報が報じる  日本の文部科学省が最近、「独島(日本名竹島)は日本の領土」という内容を教科書に 明記するよう各出版社に指示したことが伝えられる中、日本の高校の教科書に「竹島は日 本領」という内容の記述がある事実が初めて確認された、と23日付国民日報が報じた。同 紙によれば、高校だけでなく中学校の教科書でも、それまで知られていた極右陣営の扶桑 社の他に、複数の有力出版社が独島問題を歪曲(わいきょく)した教科書を発行している という。 11.【主張】竹島 「固有の領土」明記は当然   産経新聞、2008.5.25   学習指導要領改定に伴い、文部科学省が、教科内容などを詳しく示す中学社会科の解 説書で、島根県の竹島について「我が国固有の領土」と明記する方針という。  竹島は歴史的にも法的にも、まぎれもない日本の領土で、韓国が不法占拠している。韓 国の外交通商相が文科省の方針に対し「事実であれば不当」などとして抗議したが、日本 の領土について正しく教えることは当然である。 12.竹島で小中生用副教材作り   中国新聞、2008/5/23  日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島=トクト)をめぐり、島根県などは、 小中学生を対象にした竹島に関する独自の副教材づくりに取り組む。学校現場で竹島問題 への理解を広げるのが狙いで、県が副教材づくりにかかわるのは初めて。来年度から公立 小中学校での使用を目指す。 13.竹島標柱引き抜き写真見つかる   山陰中央新報、2008/3/6  「島根県隠地郡五箇村竹島」と書かれた日本側の標柱を引き抜く韓国山岳会のメンバー  竹島(韓国名・独島)が自国領であることを主張するため日本側が竹島に建てた標柱を 引き抜き、韓国側の標石を置く韓国人を撮影した一九五三年の写真が、インターネット上 で紹介され、関係者の注目を集めている。当時は日韓両国が領有権を主張するため、標柱 の「設置合戦」を繰り広げており、韓国側が竹島を実力支配する過程を示す貴重な資料と 言えそう。 14.島根県が竹島問題で連続講座   中国新聞、2008/5/20  日韓両国が領有権を主張している竹島(韓国名・独島=トクト=)について、島根県は 6月から、県の主張を分かりやすく解説する初の連続講座を始める。来年2月まで毎月1 回開く。受講者を募集している。県が2005年度から取り組んできた竹島問題に関する研究 の成果を紹介し、理解してもらう。県に協力した研究者らが講師を務め、歴史や国際法、 学校教育などの観点から講演する。無料。締め切りは6月12日。 15.江原道との職員相互派遣4年ぶり復活   山陰中央新報、2008/04/15  昨年十一月に交流を再開した鳥取県と韓国・江原道で、職員の相互派遣が四年ぶりに復 活した。十四日は江原道から鳥取県に着任した崔豪洵(チェ・ホスン)さん(40)が平 井伸治知事を訪ね「鳥取のために役立ちながら、行政の仕組みや業務を学びたい」と抱負 を述べた。 16.独島地価は8億4千万ウォン、前年より9%上昇   聯合ニュース、2008/04/21  【鬱陵・独島21日聯合】慶尚北道鬱陵郡は21日、独島全体の地価を約8億4824 万7000ウォン(約8800万円)と公示した。昨年の7億7737万ウォンに比べ9. 12%上昇した。  独島の地価は2000年6月に初めて公示地価を算定、当時は約2億6000万ウォン と評価されたが、毎年上昇を続け、8年間で5億8000万ウォン余り値上がりした。  独島で最も地価が高い地域は、接岸施設と独島警備隊、漁民宿所などがある10筆地で、 1平方メートル当たり13万ウォンと評価された。最も安いのは名前のない独島東・西島 の岩で、1平方メートル当たり380~399ウォン。 17.高松の右翼団体 竹島上陸再検討   四国新聞社、2008/05/08  日本と韓国が領有権を争っている竹島(韓国名・独島)へプレジャーボートでの上陸を 試みた高松市の右翼団体「日本士道会」(松下浩文会長)は七日、上陸に向けて再度準備 を進めていくことを明らかにした。  松下会長は「竹島の名前と位置を広く知ってもらえたと思う。費用や装備が整い次第、 再び挑戦したい」と話している。 18.鬱陵島に安竜福記念館、「独島愛精神」学ぶ場に   朝鮮日報、2008/05/26  朝鮮時代に日本に渡り、独島(日本名・竹島)が韓国領であることを最初に主張した漁 師で、「将軍」とも呼ばれている安竜福(アン・ヨンボク)先生の精神が鬱陵島によみが えることになった。  慶尚北道は2009年から11年まで鬱陵郡(鬱陵島)北面天府里にある4万9600平方メート ルの土地に150億ウォン(約15億円)を投じ、独島文学館や青少年研修館などを併設する 「安竜福将軍記念館」を建設することを25日、明らかにした。 19.独島付近の海底地名を韓国語に   朝鮮日報、2008/05/26  来年国際公認を申請、日本との「投票対決」は必至  韓国と日本は独島(日本名竹島)がある海底地形4カ所の国際名に自国語の名前を付け るため、来年対決することになりそうだ。  これは、世界海図などに記載される海底地名を決める国際機関「海底地名小委員会」の 決定方式が、従来の満場一致から早ければ来年には多数決に変更されるためだ。 20.日本の「竹島固有領土論」は根拠のないまやかし(韓国語)   ハンギョレ新聞、2008/05/21 http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/288677.html  10余年、反駁してきた内藤教授(インタビュー) 「子どもにまで固有領土論を注入する教科書指導要領は重大な問題。日本は毎年新しい主張を追加するが、韓国政府は充分な対応できていない」 以上



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