半月城通信
No.124(2007.2.8)

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    目次

  1. 安倍晋三総理の器
  2. 古代、鉄は国家なり
  3. 下條正男氏の変説、「竹島外一島」
  4. 竹島=独島問題ネットニュース 5

  5. 安倍晋三総理の器 2006.12.30 メーリングリスト[AML 11232]   半月城です。   最近、安倍内閣の支持率がじわじわ下がっていますが、立花隆氏は、これは「安倍首 相が総理大臣の器ではないことがだんだん見えてきてしまったということではないだろう か」「別のいい方をするなら、安倍は総理大臣になるのが早すぎたのだと思う」と述べて おり注目されます。  「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」   世間ではよく「企業は人なり」というが、企業のみならず、組織が有機的に機能する ためには人材の活用がそのカギになることはいうまでもありません。   若い人が組織のトップに立つ場合、当然経験不足なだけに、よほどの能力がないと組 織の運営はむずかしいものです。それが、アメリカのケネディ大統領の場合はみごとでし た。若くても人を上手に動かす指導者としての素質にすぐれていました。   しかるに、史上最年少である安倍総理の場合はどうでしょうか。人材の起用が論功行 賞的であったり、仲良しクラブ的な発想であったり、前々から問題視されていましたが、 立花氏は、安倍首相には人材活用の能力が抜本的に欠けているらしいとして、こう述べま した。        --------------------  安倍内閣は、ミスキャストの高官たちがいっぱいである。  本日、例の怪しい政治資金団体問題で辞任のやむなきにいたった佐田玄一郎行革担当相 などもその典型だろう。事がはじめて明るみに出た昨日夜、記者団に取り囲まれて、次々 に質問を受け、「いま調べているところですので・・・」としか返答することができず、 ただただシドロモドロになっていく一方の佐田行革担当相を見ながら、「これでも大臣か よ・・・」と毒ずきたくなった。  つい数日前、愛人と官舎に同棲していたことがバレて辞任のやむなきにいたった本間正 明政府税調会前会長にしても同じだ。みっともない記者会見だった。あの醜態を見ながら 安倍首相は、どこか人を見る目が根本的に欠けているのではないか、と思った。おまけに、 情勢判断能力も弱いようだ。        --------------------   立花氏によれば、最大のミスキャストは官房副長官のようです。官房副長官というの はなじみが薄いのですが、これは官僚コントロールのカナメとのことでした。   一般に、日本の重要政策は閣議で決定されると思われているようですが、実は、閣議 はほとんど儀式化していて、前日の事務次官会議で決定した事項を承認するだけにすぎな いようです。立花氏はこう記しました。        --------------------  閣議でおこなわれていることはほとんど国家統治の儀式に属する部分であって、大臣た ちが閣議室にこもって何をやっているのかというと、ほとんどの時間が、大臣の署名が必 要な法案(これがものすごく多い)に対して花押を書いては書類をまわしていく事務的手 作業に費やされているのである。  では、実質的な国家統治の重要事項が、どこで語られ、どこで決まっていくのかといえ ば、閣議の前日に行われる事務次官会議である。事務次官会議で決定されたものだけが、 翌日の閣議にかけられる。その事務次官会議を仕切るのが、官房副長官なのである。いっ てみれば、官房副長官は、事務方の総理大臣役なのである。        --------------------   今日、事務方の総理大臣である官房副長官に無名の的場順三氏が就任しているが、こ の人は事務次官会議を仕切るどころか、「存在感がどんどんなくなり、おさえがきかなく なって現場の官僚たちに逆に仕切られてしまっている」ようです。   そういう状況下で「安倍首相も必然的に高級官僚たちになめられてしまっている」そ うで、とても「官邸主導力」を発揮するどころではないようです。今になって、論功行賞 的人事、仲良しクラブ的人事を断行したツケが回ってきたようです。そうした人事を行っ た安倍総理の器量が問われるところです。安倍総理は長持ちしないのかも知れません。 (追記,20072.10)その後、立花隆氏は続きを下記のように記しました。 お粗末大臣のクビを切れない安倍首相の「弱さの理由」   安倍首相も、ようやく的場では官僚全体を仕切ることなどとても無理ということに気 がついたらしく、最近は、なにかというととっくに引退したはずの石原信雄元内閣官房副 長官を呼び出して、相談役にしており、いまでは大きな問題になると、石原がカゲの官房 副長官として的場の頭ごしで官僚機構をリモコン操作しているのだという。 石原信雄といえば、竹下内閣から村山内閣と7代にわたって内閣官房を仕切り、古川貞次 郎に次ぐ史上2番目に長い副長官経験者だから、その影響力はいまも全官僚機構に及んで おり、カゲの官房副長官として立派にその役割を果たしていると聞く。 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


    古代、鉄は国家なり 2007.1.28 メーリングリスト[zainichi:30467]   半月城です。Re:[zainichi:30448] > 韓国にある この時代の大がかりな製鉄遺跡は、つまり石器や青銅器に代わって登場  した鉄器による農業革命であった訳です。   そのとおりだと思います。日本でも弥生時代中期の中頃(紀元前後)になって、朝鮮 半島からもたらされた鉄材や鉄器などが急速に普及し、そのおかげで稲作の収穫が飛躍的 に伸びてムラが発展し、小さなクニが誕生するようになりました。   近代、「鉄は国家なり」といわれましたが、古代こそ「鉄は国家なり」そのものズバ リといえます。中国の漢が盤石の帝国を築けたのも、その一因に鉄の徹底した国家管理が あったようです。鉄の専売制をしき、生産や貯蔵、管理を全国46カ所の鉄官という官府で 統制しました。これが大変な収入源になると共に、敵対勢力の台頭を抑えたようでした。 そのあおりで、鉄の先進技術は朝鮮に容易に伝わらなかったようでした。   韓国で大人気のTVドラマ「朱蒙」では、漢の鉄騎軍が持つ剣にまさる鉄剣を夫余が 開発するのに艱難辛苦を重ねる場面がありましたが、鉄は間違いなく国家を左右する最先 端技術でした。   今では科学技術が発達し、鉄材も数百種類が開発されていますが、鉄はその中に含ま れる炭素や酸素の割合、添加物、不純物の混ざり具合、熱処理などで性質が大きく変化す るので、鉄は金属の中で生産や精錬がもっとも複雑で、それだけに技術的にはおもしろい 素材です。その先進技術をいち早く確立した小国の加耶地方は、鉄のおかげで大国のなか にあってよく長らえたようでした。  『魏志』東夷伝弁辰条に「国、鉄を出す。韓、ワイ、倭みな従ってこれを取る。諸市買 うにみな鉄を用い、中国の銭を用いるが如し」とありますが、鉄は貨幣に代わるほど経済 の根幹的な存在だったようです。   そんな鉄の技術・芸術の極致が奈良にある石上神宮の七支刀だと思います。NHKテ レビで七支刀を再現する番組をみましたが、いまだにその製法が充分に解明されていない とは驚きました。   七支刀の銘文に「百錬」とあるので鍛造法、すなわち炭素分の少ない錬鉄を炭火で加 熱し、浸炭しながら鍛錬したのだと思われがちですが、実際に試作してみると、叩くのが 基本である鍛造では七支刀の丸みがどうしても出せず、疑問が残るとのことでした。   つぎに、NHKは溶けた鉄を型に流し込む鋳造を試みたのですが、何度も何度も失敗 し、いろいろ工夫した末、やっと七支刀を再現したようでした。鋳造法の方は、丸みを出 すのは問題なかったようです。結局、製法は鍛造か鋳造か、結論はでていないようです。   現代の技術でも容易には作れない七支刀を百済の人はよく作ったものだと改めて感心 させられました。技術の粋を集めた七支刀は、当時の倭でも国宝級の鉄剣だったことで しょう。   そうした鉄の技術を倭はノドから手が出るほど欲しかったに違いありません。古事記 によれば応神大王期に百済(くだら)より韓鍛冶(からかぬち)卓素が来朝したとありま す。また、敏達大王12年(583年)、新羅(しらぎ)より優れた鍛冶工を招聘し、刃 金の鍛冶技術の伝授を受けたと記されています。この六世紀ころから倭でもやっと製鉄や 鉄剣作りが本格化したようです。 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


    下條正男氏の変説、「竹島外一島」 2007.1.27 Yahoo!掲示板「大韓民国 > 竹島 」   半月城です。   拓殖大学の下條正男氏は「竹島外一島」の解釈でまた変説したようです。まずはその 軌跡からみることにします。   明治政府が領土外と指令した「竹島外一島」について、下條氏は 2004年になって やっと長い沈黙を破り、否定的な考えをこう記しました。        --------------------   この太政官による審査は、十分とはいえなかった。「竹島外一島」の「一島」が、今 日の竹島を指すのかそうでないのか、判然としないからである。もしその「一島」が今日 の竹島だったとすれば、「本邦関係これ無き」というはずがない。佐田白茅の報告を考察 した際と同じ議論で、今日の竹島を日本領とする「書留」がすでにいくつもあったからで ある(注1)。        --------------------   ところが下條氏は、昨年は一転して「外一島」を松島(竹島=独島)と認めました。 同氏は、CSスカパー256ch「ニュースの深層、竹島問題 現状と今後の課題」('06.5.15) で30分以上熱弁をふるいましたが、そこで「日本の太政官が、竹島は日本の領土ではない、 関係がないといっている」と語りました。しかも、明治時代に太政官の指令があったので、 竹島=独島を日本の固有領土とするのは適切でないと語りました。明らかな変説といえま す。   今回、その見解をさらに変えたようで注目されます。山陰中央新報はこう報じました。        -------------------- 竹島・太政官決定文書で下條氏が新たな見解  日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で、明治政府の最高機関だった 太政官が「竹島(現在の鬱陵島)と、ほか一島は日本と関係なし」とする内容を記載した 1877年の太政官の決定文書について、島根県が設けた竹島問題研究会の座長を務める 下條正男・拓殖大教授が、政府が無関係とした中に、現在の竹島は含まれていない、とす る見解を明らかにした。  ・・・・・  下條氏は先ごろ開かれた研究会で、「太政類典」に収録されている太政官の決定に関す る文書を示し、現在の鬱陵島を示す竹島と、松島の記述に着目。竹島に住む動植物などが 紹介されているのに続き、隠岐諸島から竹島に向けた同一線上に松島という島があり、米 子の商人の大谷家が越後(新潟県)からの帰りに日本海で遭難して漂着したのが、この島 (松島)であった、と記していることを明らかにした。  だが、大谷家に関する文書では、漂着したのは現在の鬱陵島としており、下條氏は「太 政官決定の文書にある竹島と松島は、ともに現在の鬱陵島のことが書かれている。当時の 政府発行の地図には、現在の竹島の位置に何の記載もなく、竹島と松島が描かれているこ とから、太政官は、この二つの島は関係なし、としたにすぎない」と指摘。        --------------------   この見解は一見もっともらしく見えます。しかし、内容をよく調べると疑問がわきま す。まずポイントは「太政類典」で大谷家が漂着したのが松島であったかどうかです。漂 着の記事は添付文書である「由来の概略」に書かれましたが、その口語訳は下記のとおり です。        --------------------   磯竹島、あるいは竹島と称する。隠岐国の北西120里ばかりのところにある。周囲 およそ10里(40km)である。山は峻険で平地はすくない。川は3条ある。また滝がある。 しかし、谷は深く、うっそうと樹木や竹が繁り、水源を知ることはできない。  ・・・   魚貝は枚挙にいとまがない。なかんずく、アシカ、アワビが物産の代表である。アワ ビを採るのに、夕方に竹を海に投げ、朝にこれを引き上げれば、枝葉につくアワビは無数 である。その味は絶倫である。またアシカ一頭から数斗の油を得ることができる。   次に一島あり。松島と呼ぶ。周囲30町である。竹島と同じ船路にある。隠岐をへだ てる80里ばかりである。樹木や竹は稀である。また、魚や獣を産する。   永禄年間(1558-1569)に伯耆(ほうき)国・会見郡米子町の商人、大屋(のちに大谷 と改名)甚吉が航海で越後より帰るさい、熱帯性低気圧に遭遇し、この地に漂流した。つ いに全島を巡視したところ、すこぶる魚貝に富んでいるのを知り、帰国の日、検使の安倍 四郎五郎 <時に幕名により米子城に居る>にそのおもむきを申し出、以後、渡海を申請 した。安倍氏が江戸に紹介して、許可書を得た。じつに元和4年(1618)5月16日である (注3)。        --------------------   下條氏は、大谷家が永禄年間に漂流した「この地」を松島と解釈したようです。しか し、それは無理ではないでしょうか。松島は竹島と違って、周囲が30町、約3.3㎞の小 さな島であり、あらためて「全島を巡視」するまでもありません。全島を巡視したのは周 囲が10里もあり、付属文書の主題をなす竹島であることは文脈から明らかです。   具体的には、上記の文章で魚貝が豊富としているのは竹島であり、松島は「魚や獣を 産する」とのみ記し、豊富であるとの記述がないばかりか、貝についての記述もありませ ん。「この地」は竹島(欝陵島)とするのが妥当です。   さらに歴史的にも大谷家が松島へ渡海を申し出たのは上記に書かれた1618年ころでは なく、1650年代だったことが大谷家文書「幕府巡検使に対する請書」から知られています。   このように、うえの文章における「永禄年間」以降の説明は松島ではなく、竹島に終 始していることが明白で、したがって「この地」は松島ではあり得ません。   他方、下條氏は今回の変説の他の根拠として「当時の政府発行の地図」と称して日本 の陸軍参謀局が作製した「亜細亜東部輿地図」を持ちだしましが、これには開いた口がふ さがりません。今回、太政官指令を問題にしているのにもかかわらず、その関係文書に付 属している「磯竹島略図」を引用しないのは、まぎれもない資料の恣意的引用ではないで しょうか。磯竹島略図をみれば、太政官が放棄した松島が今日の竹島=独島であることが 明らかなので、わざと他の地図を引っぱりだしたのでしょうか(注4)。   ここで、下條氏が磯竹島略図を知らなかったかというと、決してそんなことはありま せん。下條座長を含む竹島問題研究会が昨年11月上旬に韓国を訪問した時、韓国の研究者 からその地図を突きつけられたので、よもや忘れるはずはありません。   これまで下條正男氏はしばしば「我田引水的文献解釈」を諫めていましたが、今回の 変説はその見本ではないでしょうか。そんな下條氏の「研究」発表が「竹島研究会」では まかりとおっているようです。 (注1)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004、P123 (注2)山陰中央新報 2006/12/10  「竹島・太政官決定文書で下條氏が新たな見解」 (注3)原文および解説は、半月城通信「明治政府、竹島=独島の版図外確認」 (注4)「磯竹島略図」 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


    竹島=独島問題ネットニュース5   2006.12.31 1.「100トン級「独島管理船」建造、08年進水へ」 2.「暫定水域の水産資源管理について水産庁が報告」 3.「島根県が竹島資料室整備へ」 4.「鳥取県議会が竹島条例陳情を研究留保」 5.「孫栄冠教授<独島・竹島が沈没中>」 6.「竹島・太政官決定文書で下條氏が新たな見解」 7.「竹島問題研究会が韓国側論拠の誤り指摘」 8.「中井養三郎の「竹島」聞き取り文書見つかる」 9.「独島めぐる太政官指令、日本が存在認めるも解釈留保」 10.「独島問題専門家として活躍中の在日僑胞・パクピョンソビ氏(韓国語)」 1.100トン級「独島管理船」建造、08年進水へ」   朝鮮日報、06.12.28  独島(日本名:竹島)の領有権を確固たるものとする100トン級の独島管理船が建造さ れる。慶尚北道は27日、鬱陵島・独島周辺の漁業指導をはじめ、独島訪問者の安全管理や 独島住民の行政支援に使われる独島管理船を建造し、2008年に進水する計画を発表した。 2.「暫定水域の水産資源管理について水産庁が報告」    山陰中央新報、06.12.28  水産庁資源管理部国際課の梶脇利彦課長補佐が交渉経過を説明。韓国側が竹島(韓国 名・独島)の領有権問題を背景とする国内事情から政府間協議を拒否したため、これまで 通り両国の水産団体による民間協議を主体に話し合いを続ける一方、民間の合意事項に問 題が生じた場合は両国政府が責任を持って対応することを確約したと報告した。 3.「島根県が竹島資料室整備へ」   山陰中央新報、06.12.15  島根県が、竹島関係の歴史的公文書や県竹島問題研究会が収集した資料を保管、整理、 展示する「竹島資料室」(仮称)を来年度中に整備することを決めた。財政難に配慮して 新たな施設は造らず、松江市殿町の県立博物館の一部を改修。公文書の散逸を防ぎながら、 竹島問題の調査研究と啓発活動の拠点として活用する。 4.「鳥取県議会が竹島条例陳情を研究留保」   山陰中央新報、06.12.16  鳥取県で2月22日を「竹島の日」とする条例の制定を求めた住民団体の陳情に関し、 同県議会企画土木常任委員会(生田秀正委員長、9人)は15日、現段階で制定できる状 況にないとして、継続審議に相当する研究留保とすることを全会一致で決めた。 5.「孫栄冠教授<独島・竹島が沈没中>」   中央日報、06.12.01 慶尚(キョンサン)大学・孫栄冠(ソン・ヨングァン)地質学科教授は、ソウル大地質 環境研究所が1日に校内で開催した「第3回全在奎(チョン・ジェギュ、)追慕学術大 会」で「独島(ドクト、日本名・竹島)が速いスピードで浸食、風化し、遠からず水中に 沈むだろう」という見方を示した。 6.「竹島・太政官決定文書で下條氏が新たな見解」   山陰中央新報、06.12.10  日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で、明治政府の最高機関だった 太政官が「竹島(現在の鬱陵島)と、ほか一島は日本と関係なし」とする内容を記載した 1877年の太政官の決定文書について、島根県が設けた竹島問題研究会の座長を務める 下條正男・拓殖大教授が、政府が無関係とした中に、現在の竹島は含まれていない、とす る見解を明らかにした。 【コメント】また、下條氏が自己の主張を変更したようです。   文春新書で、ほか一島が竹島=独島を指すのかどうか「判然としない」としていまし たが、『フォトしまね』やTV番組「ニュースの深層」などでは「外一島とは、現在の竹 島とみられる」と主張を変えました。   今回はそれをさらに覆す見解です。しかも、太政官決定の付属文書である「磯竹島略 図」を無視して、なぜかその数年前の無関係な陸軍の地図を記事に掲載しているようです。 【解説】下條正男氏の変説、「竹島外一島」 7.「竹島問題研究会が韓国側論拠の誤り指摘」   山陰中央新報、06.11.28  島根県が設けた竹島問題研究会の第十一回会合が二十七日、松江市内で開かれ、十一月 上旬に竹島(韓国名・独島)の北西九十二キロに位置する韓国・鬱陵島周辺の地形を視察 した下條正男座長=拓殖大教授=らが、調査結果を報告。領有権を主張する韓国側の論拠 の誤りを指摘した。 【コメント】「欝陵島外圖」には欝陵島近くの島として「島項」と「竹島」(韓国名)の 二島が記入され、于山島は記載されませんでした。「欝陵島外圖」を作成した李奎遠は 『啓草本』で「松竹 于山などの島を現地仮住の同胞たちはみな近傍の小島をこれにあて ている」と書き、于山と「竹島」(韓国名)を区別しており、上記記事の内容は疑問です。 8.「中井養三郎の「竹島」聞き取り文書見つかる」   山陰中央新報、06.11.23  竹島(韓国名・独島)が1905年に島根県に編入されるきっかけを作った漁業者・中 井養三郎から領土編入の申請の経緯を聞き取った文書が、松江市内で見つかった。中井は 竹島を朝鮮領と認識していたが、論拠は領有権を示したものではない海図だった。研究者 は領有権を主張する日韓両国にとって第一級の研究材料と評価している。 【コメント】領土問題においては、国家や公的機関がどのように判断して行動したのかが 重要であり、中井のような市井の一私人が領土についてどのような認識を持とうと何ら問 題になりません。 9.「独島めぐる太政官指令、日本が存在認めるも解釈留保」   聯合ニュース、06.11.20 【ソウル20日聯合】1877年に明治政府の最高行政機関だった太政官が独島と鬱 陵島は日本領土ではないとした太政官指令について、日本の外務省がその存在は認めたが、 政府としての見解は現時点では明らかにできないとした。これは、1905年に日本固有 の領土として日本政府が独島を島根県に編入した措置に、根拠がなかったことを事実上認 めるものとみることができる。  ・・・  一方、自民党は10月18日に、「自民党としては(太政官指令書に対し)統一した正 式見解がないため現時点では回答を保留する。自民党は基本的に政府の見解に準じる」と 答えた。  共産党は9月30日の返答で、日本が明治時代に独島が日本領土とは無関係だと認め た太政官指令書の存在を知っており、独島問題に対しては検討すべき資料が多く太政官指 令書もそのうちの一つとの見解を示した。民主、社民、公明からの返答はまだない。 【コメント】外務省もそろそろ「竹島は日本の固有領土」という主張を再検討すべき深刻   な時期にさしかかったようです。 10.「独島問題専門家として活躍中の在日僑胞・パクピョンソビ氏(韓国語)」   ファイナンシャル・ニュース、06.11.20  在日僑胞の会社員が『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』という本に書いた独島関連 の論説が日本で大きな反響を呼んでいる。



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