竹島=独島問題ネットニュース 38号

2016.6.5

竹島=独島問題研究ネット

http://www.kr-jp.net

 <記事一覧>

1.【書籍】 池内敏著『竹島―もうひとつの日韓関係史』

2.【書籍】洪性徳・保坂祐二他『独島・鬱陵島の研究 - 歴史・考古・地理学的考察』

3.【論文】朴炳渉「明治政府の竹島=独島調査」

4.【論文】池内敏「日本外務省による大谷家文書調査」

5.【論文】坂本悠一「近現代における竹島/独島領有問題の歴史的推移と展望」

6.【論文】杉原隆「浜田県大参事藤原茂親と島根県参事境二郎」

.【論文】広瀬肇「海上保安事件の研究 第90回」

8.【論文】福原裕二「竹島/独島周辺海域・日韓暫定水域をめぐる漁場紛争の論点」

9.【論説】李俊揆「独島問題に対する韓国人の認識」

10.【報告書】内閣官房委託調査『竹島に関する資料調査報告書』

11.【集会】第11回「竹島の日」を考え直す集い

12.【ニュース】独島=竹島ニュース、No.11

 

<記事詳細>

.【書籍】 池内敏著『竹島―もうひとつの日韓関係史』、中公新書、2016.1

 日本と韓国などが領有権をめぐって対立する竹島。それぞれが正当性を主張するものの議論は噛み合わず、韓国による占拠が続いている。本書は16世紀から説き起こし、江戸幕府および明治政府の領有権放棄、1905年の日本領編入、サンフランシスコ平和条約での領土画定、李承晩ラインの設定を経て現在までの竹島をめぐる歴史をたどり、両国の主張を逐一検証。誰が分析しても同一の結論に至らざるをえない、歴史学の到達点を示す。

第1章 「于山島」は独島なのか/第2章 一七世紀に領有権は確立したか/第3章 元禄竹島一件/第4章 「空白」の二〇〇年/第5章 古地図に見る竹島/第6章 竹島の日本領編入/第7章 サンフランシスコ平和条約と政府見解の応酬/終章 「固有の領土」とは何か

 

【コメント】 本書は、池内の前書『竹島問題とは何か』を一般向けに説いた本である。本書に全面的な信頼をよせる小倉紀蔵は「ひとことでいえば、前近代資料による日韓双方の主張に根拠はない、と著者はいう・・・とするとやはり、サンフランシスコ平和条約が重要になる。明文規定はないが、サ条約は竹島を日本領と合意したと著者はいう」(日経、2016.03.20)と記した。しかし、前書に対する木村幹の批判が本書にてほとんど活かされなかったのが残念である。木村は、池内の韓国史料研究に対しては、資料的目新しさはなく、分析は「韓国側の文献やその解釈の信憑性を日本側の史料により検討する事に重きが置かれている」、戦後に関しては「講和條約に至るまでの過程についての先行研究の検討も不十分」「表面的な分析となっている」と指摘していた。

 

 

2.【書籍】洪性徳・保坂祐二他『独島・鬱陵島の研究 - 歴史・考古・地理学的考察』

明石書店、2015.12

 独島/竹島問題を長期的、体系的、総合的に研究・調査し、歴史認識問題の一助とするために、本書では、独島とともに鬱陵島を研究対象とし、古代から近・現代まで独島と欝陵島を媒介にした多様な歴史像を、歴史・考古・地理学的な観点から検討する。本書は2009年に韓國で東北アジア歴史財団から発刊された書籍の訳書である。

 目次:第1章「17世紀後半の韓日外交交渉と欝陵島-安龍福被拉と渡日事件を中心に」、第2章「高宗と李奎遠の于山島認識の分析」、第3章「明治初年太政官文書の歴史的性格」、第4章「古代鬱陵島社会と集団に関するいくつかの問題-鬱陵島の調査、古代の遺物を中心に」、第5章「独島の機能、空間価値と所属-政治地理・地政学的視角」

 

 

3. 【論文】朴炳渉「明治政府の竹島=独島調査」

『北東アジア文化研究』41号、2016.3

明治時代に竹島=独島の所属がしばしば問題になり、何回か調査がおこなわれた。最初は1870(明治3)年の外務省の副次的な調査であった。その報告書『朝鮮国 交際始末内探書』の中に予定外の「竹島松島 朝鮮付属に相成候 始末」と題する一項があった。最近になってこれに関連する新資料が発掘されたので、それを紹介する。

次に政府内で竹島=独島の所属が問題になったのは竹島(欝陵島)・松島(竹島=独島)の地籍編纂時であった。内務省は両島を朝鮮領であると判断、太政官もこれを承認して竹島外一島は本邦に無関係であると1877年に指令した。最近になって竹島外一島の解釈に異論がだされ、論争が続いている。これに終止符を打つため、内務省や太政官が松島(竹島=独島)を指令当時にどのように理解していたのかを明らかにする。

一方、海軍では独自に水路誌や海図などを作成する過程で竹島=独島を調査した。最初は文献上の調査であったが、その結果が竹島・松島の島名混乱におよぼした影響を見る。その後、海軍はバルチック艦隊との日露海戦をひかえて竹島・松島の現地調査をおこなったので、その内容もみることにする。

最後に竹島=独島の所属が問題になったのは、隠岐の中井養三郎から政府に対して「リヤンコ島領土編入ならびに貸下願」が提出された時であった。この時、政府は関連部署に竹島=独島を照会したのでその内容をみることにする。

【リンク】 http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park-1603meiji.pdf

 

 

4. 【論文】 池内敏「日本外務省による大谷家文書調査」

『名古屋大学付属図書館研究年報』13号、2016.3

  外務省の川上健三は、大谷文子『大谷家古文書』によれば19551月に大谷家を訪れて同家の古文書を調査し、「このたびの調査のことは他言しないようにとのご注意」をしていた。川上はその調査を『竹島の歴史地理学的研究』にて活用したが、同書で意図的に葬り去った資料を発掘したのが本論文である。

  その資料とは大谷家が幕府の中枢機関である勘定奉行へ出した口上書であり、かつて大谷家が出した嘆願書に関するもので次のようなやりとりがある。勘定奉行から「以前のとおり竹島松島両島の渡海をお願い申し上げようという心づもりなのか」と尋ねられた大谷九右衛門は、「以前のとおりに両島渡海のことをお願い申し上げるのでは全くありません。島への渡海は先年御制禁に仰せつけられましたし…」と返答した。

  これは川上の主張「元禄竹島渡海禁令ののちも松島(竹島=独島)への渡海は継続された可能性がある」や外務省の主張「日本は17世紀末、鬱陵島への渡海を禁止する一方、竹島への渡海は禁止しませんでした」などを全面的に否定するものとなる。

  この論文によって川上の恣意的な資料選択や、資料の歪曲的な解釈の一端が明らかになり、それに根拠をおく外務省の主張の誤りを浮き彫りにしたといえよう。本論文は前回の寺社奉行に関連した資料発掘に次ぐ重要な成果であろう。

【リンク】 http://libst.nul.nagoya-u.ac.jp/report/f_report.html

 

 

5. 【論文】坂本悠一「近現代における竹島/独島領有問題の歴史的推移と展望 : ナショナリズム・グローバリズム・ローカリズムの交錯」、『社会システム研究』32号、2016.3

 本稿は竹島/独島領有をめぐる紛争の平和的な解決のための近現代歴史学からの接近の試みである。

1905年に「無主地先占」として合法的に日本帝国の版図に編入された竹島/独島は,1910年以降の植民地支配下において,まず鬱陵島在住の日本人,続いて朝鮮人の漁場ともなっていった.その傾向は,日本人の減少に伴ってますます進行し,植民地末期には事実上朝鮮人のローカルな生業地域として,潜在的な領域権原が成立していた.1945年の日本の敗戦により,GHQ-SCAPは一連の指示により竹島/独島を日本の領域から分離し,その結果として植民地期の潜在権原が顕在化し,まもなく韓国政府の実効支配へと繋がった.しかし19519月のサンフランシスコ平和条約では,竹島/独島の帰属は米国の東アジア軍事戦略から曖昧にされ,「ラスク書簡」で日本領と非公式に通告したが,韓国側は条約発効直前の522月にいわゆる「大統領主権宣言」(李ライン)を宣布して,同島を囲い込み周辺の警備を強化した.この紛争は日韓国会談でも難航し,結局は19656月の日韓諸条約のなかの「紛争処理に関する交換公文」で曖昧な決着をみた.このように,国際法的な根拠には乏しいものの,韓国の支配はすでに60年余に及んでおり,これを否定することは実際には不可能である.日本側としては,地域住民のローカルな生活領域という歴史的な権原を尊重し,漁業や自然資源保全の観点から,その領有権を放棄することが望ましい選択肢であろう.

【リンク】 www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/sakamoto-1603.pdf

 

 

6.【論文】杉原隆「浜田県大参事藤原茂親と島根県参事境二郎―明治10年の「太政官指令」を再び考える」、『郷土石見』101号、2016.5

  隠岐県で大参事を務めたことのある藤原茂親が1871年に藤茂親の名で福岡藩庁へ「竹島航行漁猟願書」を提出した。それによると、藤茂親は鬱陵島を「竹島とか小磯竹とか松島」と称するのであって、竹島=独島を松島と呼ぶのは誤りであると考えていた。この当時から鬱陵島は竹島とも松島とも称するとの理解が広まっていた。

こうした状況は1877年太政官が本邦関係なしとした「竹島外一島」が竹島(欝陵島)・松島(竹島=独島)ではなく、「竹島一名松島」の一つの島であったとする自説を補強するものであるという。

http://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/index.data/kyoudoiwami101-sugihara.pdf

 

 

【コメント】 太政官指令の「竹島外一島」が一つの島であるとする杉原・塚本孝の主張に対しては、竹内猛からは「史料解釈の問題以前の、日本語能力(理解力)が問われかねない」、池内敏からは「受け入れたくない史実を真正面から受け止めきれないから、本来、そこに存在しない島名混乱の影響などというものを外から持ち込んで、矛盾の多い主張を押し通そうとせざるを得なくなっている」と手厳しい批判を受けた。今回、杉原はこれらへの反論を放棄したようである。副題は期待はずれであろう。

 

 

7. 【論文】広瀬肇「海上保安事件の研究 第90回」『捜査研究』780号、2016.1

2006年4月に,海上保安庁は竹島=独島周辺海域の海底調査をしようとした。これに対し,韓国側が,だ捕さえも含むあらゆる手段を使ってもこれを阻止するといった姿勢を示し,警備艦18隻を出動させたという,竹島=独島周辺海域を巡る海洋調査問題で,竹島=独島近海の状況が緊迫する可能性が生じ,最終的に外交的手段で解決された。これを契機に10月には竹島=独島周辺の放射能調査が海保の測量船「海洋」と韓国の海洋調査船によって共同で実施された。複雑な日韓関係は海の上にもまた大きく影を落としている。

PW必要】 http://www.kr-jp.net/member/media/z-2016/hirose-1601.pdf

 

 

8. 【論文】福原裕二「竹島/独島周辺海域・日韓暫定水域をめぐる漁場紛争の論点」

            『漁業経済研究』60巻1号、2016.1

本稿は、「国境漁業の現状と課題(日本周辺海域の漁場紛争の論点を探る)」を考察する一助として、国際関係論や日韓関係史の立場から、竹島/独島領有権問題,日韓暫定水域をめぐる漁場紛争を軸に議論を展開しながら,「隣国のEEZ(排他的経済水域)内や隣国のEEZに接する公海域で行われている漁業」も含み込む,日本の「国境水域周辺で行われている漁業」の論点について抽出することを試みるものである。その際,議論の大半では,筆者の既発表の知見を用いることをあらかじめお断りしておきたい。

PW必要】 www.kr-jp.net/member/media/z-2016/fukuhara-1601.pdf

 

 

9. 【論説】李俊揆「独島問題に対する韓国人の認識-領有権と歴史、イシュー・リンケージの過程と構造」、『PRIME39号、2016.3

 2012年以来、日韓関係は悪化の局面が続いている。その原因として日本の方はイ・ミョンバク大統領の「竹島上陸」を取り上げるが、韓国の方は日本の歴史否定とその延長線での「独島領有権」主張が加速化している局面だと見ている。一つの現象を見ながらも、韓国(人)と日本(人)は目線のスパンも違うし、歴史問題か領土問題かというアプローチも違う。現に、国交正常化以来の韓国と日本の関係は良好な時期より関係が悪化した時期が多かった。その根底には葛藤のイシューに対する両国の認識の隔たりと隔たりの拡大があると考えられる。特に両国のホットイシューは、歴史、領土、またはその二つのリンケージであり、国家と国家の関係で一番敏感な問題である。

 そのような背景を念頭において、本稿は独島、独島イシューに対する韓国人の認識を検討し、その認識と日本人の認識の格差、それから認識と認識の格差が形成されている歴史構造を分析したいと考える。

PW必要】 www.kr-jp.net/member/media/z-2016/leeJG-1603.pdf

 

 

10. 【報告書】内閣官房委託調査『竹島に関する資料調査報告書』

()ストリームグラフ、2016.3

  2015年度の内閣官房領土・主権対策企画調整室の委託調査事業(調査統括 藤井賢二)では、対象とする資料の作成年代を江戸時代以降とし、さらに、調査範囲を島根県から鳥取県・東京都に拡大することで、竹島関連調査資料の一層の充実とその体系化を目指した。・・・東京都においては、外交史料館、国立公文書館及び国会図書館を中心として、各機関に所蔵されている公文書・絵図・地図・海図等の調査・収集を行い、さらには東京海洋大学図書館(品川)等で漁業関連資料を調査した。

【リンク】 http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/report/takeshima.html

 

【コメント】池内・塚本論争の対象である1877年太政官指令関連の重要な『公文録』や『太政類典』に関して報告書は沈黙している。委託調査は、日本政府に不利な資料や外務省がタブーにしている史料は対象外なのか、あるいは公表対象外のようであり、学術調査とはほど遠い。内閣官房の委託であれば御用研究は当然であろうか。

 

 

11.【集会】第11回「竹島の日」を考え直す集い

 日時:2016.6.1814

 主催:「竹島の日」を考え直す会

 会場:八尾市韓国人会館

 講演1:漆崎英之「明治10年 太政官指令は独島=竹島を朝鮮領とした」

 講演2:朴炳渉「サンフランシスコ講和条約と独島=竹島問題」

【リンク】 www.kr-jp.net/sympo/s-2016/kangae-160618.pdf

 

 

12.【ニュース】独島=竹島ニュース、No.11

 去る221日、第10回「竹島の日」を考え直す集いを開催した。当日、黒田伊彦が「日韓首脳会談の歴史認識と竹島・独島問題」、相可文代が「中学校教科書における領土教育の現状」、久保井規夫が「リアンクールロック(竹島=独島)初出の地図原本を対比分析した新しい発見」と題する講演をおこなった。

【リンク】 www.kr-jp.net/ronbun/kuboi/dtnews11.pdf

 

 

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○ 竹島=独島問題ネットニュースのバックナンバーは下記で見られます。

 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#net_news