竹島=独島問題ネットニュース 37号

2015.12.28

竹島=独島問題研究ネット

http://www.kr-jp.net

 

<記事一覧>

1.【書籍】前田朗・木村三浩編『東アジアに平和海を』彩流社

2.【書籍】木宮正史・李元『日韓関係史 1965-2015』東京大学出版会

3.【書籍】吉澤文寿『日韓会談 1965』高文研

4.【書籍福原裕二『北東アジアと朝鮮半島研究』国際書院

5.【論文】池内敏「「竹島は本固有の領土である」論」『歴史評論』

6.【論文】竹内猛「歴史研究の成果と領有権主張」『郷土石見』

7.【論文】崔長根「韓国の"島→石→独島"への名称変換に関する研究」

8.【論文】野中健一「韓国・海洋警察庁の竹島警」『海保大研究報告』

9.【論説】広肇「海上保安庁による竹島対応行動」『島嶼研究ジャーナル』

10.【論説】舩杉力修「竹島の日本地図についての韓国側の報道・論文に対する反論(3)

11.【論説】魚山秀介「日韓会談と漁業・竹島問題」『歴史地理教育』

12.【報告】韓哲昊「日本海軍水路部の「朝鮮全岸」(1896)の刊行・改正および活用と独島/竹島認識」

 

 

<記事詳細>

1.【書籍】前田朗・木村三浩編『東アジアに平和の海を』彩流社、2015

 左右立場のまったく異なる論者たちが、最大の論点である竹島/独島問題、尖閣問題を中心として「東アジアに平和の海をつくる」というテーマを掲げ、本音をぶつけあい、議論した。激しい言葉をぶつけあう論争ではなく「相手の主張に耳を傾けつつ、自らの見解を点検し、主張すべきは主張し、反駁すべきは反駁する。冷静な相互批判と相互学習の場にしたい」というコンセプトで討論した。竹島/独島問題のパネリストは、木村三浩(一水会)康煕奉(在日朝鮮社会科学者協会)、朴炳渉(竹島=独島問題研究ネット)。

 (PW必要) http://www.kr-jp.net/member/book/2015-6/maeda-2015.pdf

 

 

2.【書籍】木宮正史・李元徳編『日韓関係史 1965-2015』東京大学出版会、2015

9章:玄大松「独島問題と日韓関係 1965-2015

 独島問題の発展段階を終戦から、①講和条約・平和線宣言まで、②日韓条約成立まで、③領海法成立まで、④「竹島の日」条例成立まで、⑤李大統領の独島訪問までに分けて論じる。

(PW必要) http://www.kr-jp.net/member/book/2015-6/hyunDS-1506.pdf

 

10章:浅羽祐樹「日韓関係における境界問題」

 講和条約における竹島の曖昧さは東西冷戦中の戦略的理由によるものであった。その後、竹島問題は日韓双方が自制することで管理された。しかし、条例「竹島の日」や盧武鉉大統領「外交戦争」によって竹島問題は社会化する一方、海洋法条約によって竹島の重要度は点から面へと変わるなど、絶えずダイナミックに変化した。

(PW必要) http://www.kr-jp.net/member/book/2015-6/asaba-1506.pdf

 

 

3.【書籍】吉澤文寿『日韓会談 1965』高文研、2015

 歴史対話を欠いたまま、「未来志向」を目指す手法は限界にきている。2005年以降、日韓両国で公開された約10万枚に及ぶ新史料を分析、長年明らかにされてこなかった日韓会談の問題部分に光を当てた画期的な研究成果を元に、もう一度「何が未解決なのか」―原点に戻って考える。第6章は、竹島/独島領有権問題の帰着点は?(第六次会談―「議題化」をめぐって;第七次会談―妥結に向けて;竹島/独島領有権から見た「一九六五年体制」)にて墨塗りを解除された外務省公開文書を紹介する。

  (PW必要) http://www.kr-jp.net/member/book/2015-6/yoshi-1506.pdf

 

 

4.【書籍】福原裕二『北東アジアと朝鮮半島研究』国際書院、2015

 グローバル化した世界状況にあって普遍性を追究する立場から、「朝鮮半島問題」としての韓国・北朝鮮における秩序構想・統一・民族主義を論じ、竹島/独島問題を通して課題解決への展望を模索する。「実践としての竹島/独島研究」は「第三の視角」および「経済的価値と地域の生活」の視点から考察する。 福原裕二著作集 http://www.kr-jp.net/ronbun/ron_cl_list/fukuhara.html

 

 

5.【論文】池内敏「「竹島は日本固有の領土である」論」『歴史評論』785号、2015.9

 外務省のいう「竹島は日本固有の領土」という主張は、1956年ころからの「素朴論」と2008年ころからの「学問的外皮論」の二種類がある。学問的外皮論は韓国に対する防衛線を張る議論として、素朴論は日本国民に対して竹島を日本領とする合意形成を求めるものとして役割分担をしている。これら両論の併存こそ竹島問題のみならず、近現代史の歩みから日本人の目をそらせる役割を果たしている。しかし、外務省の「17世紀半ばには竹島の領有権を確立」という素朴論は、今日の歴史学の実証水準に照らすと完璧に破綻しており「日本固有の領土」なる主張は放棄すべきである。

  (PW必要) http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/ikeuchi/ike-1509koyu.pdf

 

 

6.【論文】竹内猛「歴史研究の成果と領有権の主張1」『郷土石見』100号、2016

 島根県竹島問題研究会『竹島問題100100答』は、現在までの歴史研究の成果を無視し史実に反する記述をおこなっている箇所が散見されるが、下記のようにすべきである。

①「竹島渡海免許状」の発給年は1618年ではなく、1624年以降である。

②元禄の「竹島渡海禁止令」では松島(竹島=独島)への渡海も禁止されていた。

③天保の「竹島渡海禁止令」でも松島への渡海は禁止された。

1877年の日本政府は竹島・松島ともに日本領ではないと断定した。

 最近の歴史研究の成果を無視して史実に反する「竹島問題」の歴史が学校で教えられ、結果として若い島根県民の歴史的視野を狭めてしまう。

 (PW必要) http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/takeuchi/take1601.pdf

 

 

7.【論文】崔長根「韓国の"于山島→石島→独島"への名称変換に関する研究」

  『法学新報』121(910) 2015

  副題:勅令41号の「"石島"=独島」の検証

 于山島が独島であることを否定する日本の論理は、地図に登場する于山島の位置が今日とは異なる、そして石島が独島であることを否定する論理は、当時、韓国が独島を領土として認識していなかったので、勅令の石島は今の独島ではなく、観音島であるとのことである。本稿は于山島と石島は、今日の独島の名称が生成される前の名称であることを明らかにする。

PW必要)http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/msc_ron_cl/choiJG-1503usan.pdf

 

 

8.【論文】野中健一「韓国・海洋警察庁の竹島警備」『海保大研究報告』

  591号、2014.10

 2006年、日本の海洋調査船が竹島周辺の海底を測量しようとして韓国海洋警察庁の警備船と対峙した。その事件前後から現在に至るまで韓国の海洋警備に関する問題点を探る。

 http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/jcga/metadata/12166

 

 

9.【論説】広瀬肇「海上保安庁による竹島対応行動」『島嶼研究ジャーナル』42号、2015

 巡視船による「竹島特別取締」(195354)、韓国の竹島周辺の海洋調査(2006)、韓国の灯台建設などが海上保安庁関係の刊行物にどのように記述されたかレビュー。

 (PW必要) http://www.kr-jp.net/member/media/z-2015/hirose-1503JCG.pdf

 

 

10.【論説】舩杉力修「竹島の日本地図についての韓国側の報道・論文に対する反論(3)

  『島嶼研究ジャーナル』42号、2015.3

 副題:江戸時代の地図(1)、林子平の地図について

 本稿は保坂祐二、久保井規夫への反論である。保坂は下記の論文で独島を朝鮮領に描いた林子平の三国通覧図説の地図が小笠原群島を日本の領土として確定するに決定的な役割をした幕府公認の地図であったと主張した。しかし、もし問題の島が松島(竹島=独島)なら、位置・形状が極めて不正確である。また、幕府公認説は歴史小説をもとにしたもので、学問的な歴史的根拠にならない。(保坂の論文は「『三国通覧輿地路程全図』と『伊能図』の中の独島」『独島領有権確立のための研究』嶺南大、2009

 http://www.kr-jp.net/member/media/z-2015/funasugi-1503.pdf

 

【コメント1】東亜日報(1970.5.6)「獨島は韓国領、18世紀 日地図発見」によれば幕府公認説を最初に唱えたのは、崔書勉である。同記事は「井戸石見守は横浜応対所にて小笠原の領有権をめぐってお互いに先占したと談判したが、日本側が証拠書類としてこの地図[三国通覧地図]のフランス語本を提示するや、アメリカ側は言葉に詰まったという記録があるという」と記した。この「記録」が明らかになれば、長年の保坂-舩杉論争の軍配の行方に影響を与えよう。

 

【コメント2】江戸時代の地図で離島は「位置・形状が極めて不正確」なのが普通である。舩杉は「三国通覧輿地路程全図」にて「朝鮮ノ持之」とされた竹島(欝陵島)の隣の小島を松島と認めたがらないのであろうが、その島は江戸時代に松島と理解されていたことが新発掘の「大三国之図」(1802)によって明らかになった。詳細は、『日本古地圖選集』(韓国語)ウリ文化、201526-27頁参照。

 

 

11.【論説】魚山秀介「日韓会談と漁業・竹島問題」『歴史地理教育』2015.6

 竹島=独島問題が日韓会談妥結において最後の障害になった。そこで両国は「この問題は解決せざるをもって解決したものとみなす」という「竹島密約」を結んだ結果、「紛争の解決に関する交換公文」方式で合意し、日韓条約を1965年に締結した。こうした竹島=独島問題を棚上げ方針は新日韓漁業協定(1999)にも受けつがれた。

 (PW必要) http://www.kr-jp.net/member/media/z-2015/uoyama-1506.pdf

 

 

12.【報告】韓哲昊「日本海軍水路部の「朝鮮全岸」(1896)の刊行・改正および活用と独島/竹島認識」

   『朝鮮史研究会会報』198号、2015

 リヤンコ(独島)を朝鮮領と信じた中井養三郎がリヤンコ貸下願いの活動をするまで、水路部が独島を日本領、または無主地であると認識した痕跡は見当たらない。むしろ「朝鮮全岸」と『朝鮮水路誌』などを総合して考察すると、水路部は独島を韓国領と認識してきたと判断される。

 (PW必要) http://www.kr-jp.net/member/media/z-2015/CHHan-1503.pdf

 

 

○ 竹島=独島問題ネットニュースのバックナンバーは下記で見られます。

 (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#net_news