半月城通信
No.139

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    目次

  1. 韓国から見た沖縄の米軍基地問題
  2. 東アジアの安定と平和
  3. 「竹島=独島問題ネットニュース」22、2010.3.1
  4. 朴炳渉「山陰地方民の欝陵島侵入の始まり」 (pdf)
  5. 下條正男の論説を分析する(2) (pdf)
  6. 「竹島=独島問題ネットニュース」23、2010. 4.14
  7. 朝鮮学校がたどった苦難の歴史
  8. 
    韓国から見た沖縄の米軍基地問題
      2009.2.21
     メーリングリスト[CML 003072] 
    
    半月城です。
     沖縄の米軍基地問題は、今や普天間基地の移設先をどこへ移すのかに焦点がしぼられた
    感があります。しかし、日本は在日米軍基地の役割をきちんと理解したうえで移転問題を
    論じているのか、いささか気になっています。
     たとえば基地の県外移転ですが、これは取りも直さず、米軍基地の有用性を認め、かつ
    日本の役割をその人なりに考えた結果であると見られるのですが、そうした論者は米軍基
    地の役割を具体的にどう評価しているのでしょうか? 単に日本を守るために必要である
    と考えるのでしょうか?
    
     ひとまず、ここで米軍基地の役割について韓国サイドの見方を紹介したいと思います。
     沖縄の基地問題は韓国でも大きな関心をもって見守られています。というのも、沖縄の
    米軍基地は、単に日本を守るという次元をはるかに超えて、台湾や韓国など東アジアにお
    ける自由主義陣営の安全保障という役割が課せられているからです。
     最近、韓国の米軍基地移転問題に対する関心の深さや、日本に対する期待を朝日新聞
    (2009.12.20)はこう伝えました。
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     韓国政府高官は「日米関係の安定を強く願っている」と語る。韓国メディアにも「在韓
    米軍の機能や規模に影響を与える」(ソウル新聞) として、懸念を持って注視する記事
    が目立つ。韓国・外交安保研究院の尹徳敏(ユン・ドンミン)教授は東亜日報への寄稿で
    「我々の安全に支障がでないよう、日本の考えを問いただすべきだ」と主張した。 
     韓国の懸念の背景にあるのが、朝鮮半島有事の際に在日米軍が持つ重みだ。米韓両国は、
    有事に備えた共同作戦計画「5027」を持つ。かつて、最大時で兵力約69万人、艦艇
    約160隻、航空機約2千機からなる米軍の増援を約束した時期もあった。その中核を担
    うのが「後方支援基地」の機能を持つ在日米軍だ。
     米軍が機動性を追求して取り組むトランスフォーメーション(変革)や、米軍が保有す
    る戦時統制(指揮)権の韓国軍移管に伴う「5027」の見直しなどで、米軍の増援規模
    は縮小するが、在日米軍の役割の重要性に変わりはないとみられる。
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     現在の韓国は北朝鮮とは休戦中、すなわち戦争状態にあり、決して戦火が止んだわけで
    はありません。その証拠に、韓国は北朝鮮との軍事境界線の西海への延長である北方限界
    線(NLL)をめぐり、これまでにもしばしば北朝鮮と衝突して銃撃戦を繰りひろげ、犠牲者
    までだしました。先月は幸いにも相手を狙った銃撃戦には至らず、南北双方がお互いに空
    砲を撃ち合うだけに止まりました。
     このように韓国は北朝鮮との危険な火種をかかえるだけに、有事の際の安全保障体制は
    死活問題です。多少の南北衝突なら韓国軍で処理可能でしょうが、もし、中国やロシアが
    関係するような大規模な戦争になったら、もちろん在韓米軍や在日米軍が韓国を助けるだ
    ろうと信じています。そんな時に思い浮かぶのが、沖縄にいるアメリカ海兵隊などです。
    
     アメリカの海兵隊は、歴史的に「海外派遣の第一部隊として重視され,米西戦争(1898)
    以降はカリブ海諸国などへのいわゆる砲艦外交の手段となり,第2次大戦では太平洋戦線
    におけるアメリカ軍反撃の先兵として,ガダルカナル島,硫黄島,沖縄などへの上陸作戦
    において活動した(注1)」、勇猛果敢な「攻撃部隊」です。
     アメリカ海兵隊を見ならって韓国でも海兵隊が創設されましたが、体に自信のある志願
    者の応募が多く、入隊がむずかしい所として有名です。その難関ぶりは、軍隊の東大とで
    もいえましょうか。
     人気とされる秘密のひとつは、きびしい訓練をとおして培われる不屈の精神を養うこと
    にあります。何しろ、海兵隊は最も危険な戦闘地域に真っ先に果敢に飛び込んで、命がけ
    で戦うのが任務ですから、心身の鍛練は並大抵ではありません。それにあこがれる男性が
    多いのもうなずけます。
    
     海兵隊は韓国であれ、アメリカであれ、敵地へ乗りこんで攻撃するのが任務なので、部
    隊は船やタンク、ヘリコプター部隊などが一体になって動く必要があります。また、海兵
    隊は有事に迅速に派遣される必要があるので、グァム島へ全部が移転したのでは、即応性
    に問題が生じます。グァムからソウルまで海兵隊が行くとなると沖縄に比べて2日程遅れ
    るので、作戦に支障がでることはいうまでもありません。
     一方、台湾の場合は一日程度の遅れに止まるでしょうが、もっと本質的な問題がありま
    す。アメリカは台湾との正式な外交関係を断絶したため、米軍は台湾には駐屯できません。
    その空白を沖縄の米軍が事実上肩代わりしており、そのために沖縄には海兵隊を1万数千
    人、何とハワイの倍も置いています。その部隊がすべてグァムへ移転するとなると台湾や
    中国などに対する心理的な影響は測り知れません。
     アメリカの立場からすると、海兵隊をすべてグァムへ移した場合、東アジアにおける自
    由主義陣営の安心感が大きく損なわれるので、必ず海兵隊の一部を沖縄に、最悪でも日本
    国内に残す必要があると考えて当然です。
     特に最近は米中関係が、ダライラマの訪米問題や台湾への武器輸出問題などでギクシャ
    クしているだけに、オバマ大統領は沖縄の海兵隊の役割をさらに重視することでしょう。
    岡田外相は、「海兵隊が沖縄にいなくても抑止力が完全に失われることはない」と語りま
    したが、問題は日本に対する抑止力ではなく、中国などに対する抑止力や有事の際の速攻
    能力が損なわれることがアメリカにとって痛手なのです。
    
     そうした事態を避けるため、アメリカにとって日本の協力は欠かせません。日本は自民
    党政権時代、政府は日本を守るためにという名分で、在日米軍基地が必要であると説いて
    きました。しかし、本音は日本を守ってくれているアメリカへの責務として、また、東ア
    ジアの平和を維持するという日本なりの「国際貢献」のため、東アジアの治安をになって
    いる海兵隊の沖縄駐屯を望んできたのではないでしょうか。
     話は余談になりますが、韓国では在日米軍の存在は北朝鮮に対する抑止力という効果以
    外に、日本軍が危険な存在にならないための歯止めとしても役に立っているという見方が
    あります。戦前、韓国は日本に侵略された記憶があるので、決して日本軍の強大化は望ま
    ないところです。在日米軍が東アジアにおける警察官の役割もはたしているといえましょ
    うか。
    
     さて、これまでの日本は国際的な政治力学の中でアメリカに追従する姿勢で一貫してき
    ました。今、その路線が岐路に立たされていますが、そうした日米関係、日中関係を韓国
    の中央日報はコラムで次のように分析しました。
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       1945年の敗戦以降、日本は米国に対して徹底的に従順な態度を見せてきた。 こ
    のため従属国という声もあった。 その日本が米国に正面から反旗を翻す姿を見せている
    ため、米国としては衝撃であるしかない。 さる50余年間にわたり日本を支配してきた
    自民党政権では想像もできなかったことが起きているのだ。 
      一方、中国に対しては接近を図っている。 執権後、鳩山首相が個別国家のうち初めて
    訪問した国は中国だった。 民主党の実力者、小沢一郎幹事長は143人の国会議員を率
    いて中国を訪問し、胡錦濤・国家主席に‘謁見’した。 中国の有力な次期指導者である
    習近平副主席が日本を訪問すると、儀典上の慣例を無視して天皇との会見を取り持ったり
    もした。 鳩山首相が南京を訪問し、1937年の南京大虐殺について謝罪する一方、胡
    錦濤・国家主席が広島で平和の意志を宣言することで、日中和解の歴史的イベ ントを演
    出する案を検討中という声も聞こえる。 
      米国の衰退と中国の浮上で東アジアの地政学的な秩序が再編され、日本が本格的に‘脱
    欧入亜’と‘脱米入中’に方向を定めたという 分析も出ている。 中国はすでに日本の最
    大貿易国だ。 年間貿易額は3000億ドルに迫る。 中国の22都市と日本の18都市を
    つなぐ正規航空便だけでも週635便にのぼり、年間500万人以上が両国を往来してい
    る(注2)。 
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      中国を重視する鳩山首相は、一方では「対等な日米同盟関係」を口にしていましたが、
    それは単なる希望に止まるのか、あるいは実際にそれを実現するよう努力するのか、まだ
    先が見えないようです。いずれアメリカとの基地問題交渉ではっきりするでしょう。
     相手のアメリカですが、アメリカ政府は、基地移転先は建前では従来案の辺野古の海上
    がベストとしていますが、アメリカ内では多様な意見があるようです。先の中央日報はそ
    れをこう伝えました。
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       米国内では普天間基地問題を眺める視点がいくつかある。 一つは米国が絶対に譲歩
    できない問題だという保守派の視点だ。ジョージタウン大のビクター・チャ教授は、「反
    米がいけないのか」という客気で米国に立ち向かった盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の
    失敗を繰り返すなと鳩山首相に忠告している。 一方、ハーバード大のジョセフ・ナイ教
    授は普天間基地のため50年の日米同盟が損なわれるのは米国の損失だという立場だ。
      第2次世界大戦の勝利で覇権的な地位を獲得した米国は、欧州と日本を自由陣営の代表
    選手として重宝してきた。冷戦の終息と同時に米国の懐から抜け出して分家した欧州は欧
    州連合(EU)という名前で一家を築き、国際社会の責任ある一員として役割を果たして
    いる。北大西洋条約機構(NATO)という同盟の絆は維持しているが、性格はグローバ
    ル同盟に変わった。
     一方、体は大人になっても相変わらず親の保護を受けている日本としては、自国の立場
    を息苦しく感じているはずだ。韓国も米国の思い通りによく育ったが、北朝鮮問題のため
    まだ親の懐を離れるのは早い。 盧前大統領の自立の試みは思春期の少女の反抗だった。
    
      プリンストン大のジョン・アイケンベリー教授とジョージタウン大のチャールズ・カプ
    チャン教授は先日、ニューヨークタイムズへの寄稿で、日米同盟を維持するという前提の
    もと、日本の対中接近を認めることで、中国と日本が東アジア統合の‘双頭馬車’の役割
    をするのが望ましいという見解を提示した。EUの枠組みに縛られた統一ドイツがフラン
    スとともに欧州統合の両軸を形成したように、‘チャイパン(Chipan)’が東アジ
    ア共同体の中心になるようにしようということだ。 それが中国を国際社会の責任ある一
    員として編入・定着させる方法であり、米国はもちろん東アジアの利益にもなるというこ
    とだ(注2)。
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     たしかに、「チャイパン」は同盟国にはなり得ないものの、GDP世界第2位と第3位
    の「チャイパン」が東アジアの基軸として友好的、かつ有効的に機能するかぎり、台湾海
    峡や朝鮮半島など東アジアの安定も保たれることでしょう。もちろん日本の安全保障も安
    定的に保たれることはいうまでもありません。その時、はじめて対等な日米同盟関係が成
    立するのでしょうか。
    
     以上、長々と書きましたが、要は沖縄県外移設論などをどう考えるのか、その際に国際
    的な観点があやふやなままでは賛否両論は議論がすれ違いのまま平行線になり、双方とも
    に説得力を持ち得ません。日本が今後どのような選択をするのか、日本国民が明確なビ
    ジョンのもとに決定されるよう願う次第です。
    
    注1)日立デジタル平凡社『世界大百科事典』
    注2)中央日報「米国はもう日本の手を離す時だ」2010.1.26
    
      (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    東アジアの安定と平和
      2009.2.25
     メーリングリスト[zainichi:31344] 
    
     **さんにコメントします。
     朝鮮半島における大規模な戦争の可能性について、あなたは「全くありえない」との主
    張ですが、私は前回書いたように「可能性はどんなに低くてもゼロではありません」との
    立場です。
     あなたは、「全くありえない」理由として、北朝鮮軍装備の立ちおくれや物資欠乏など
    をあげ、北朝鮮は制空権の掌握が不可能であり、戦争を遂行できるような国力ではないと
    されました。
    
     北朝鮮の現状はその通りだと思います。しかし、だからといって戦争が起きないとは限
    りません。類例をあげると、ベトナム戦争はあなたが掲げた諸条件がそのまま当てはまる
    実例でした。それにもかかわらず、北ベトナムはアメリカを相手に長期にわたって戦争を
    遂行したうえ、兵力や装備の比較では到底勝ち目がないのにもかかわらず、最後には勝利
    しました。
     この例は北朝鮮を相当鼓舞したことでしょう。これら社会主義国や、かつての日本帝国
    などにとって兵力や装備は二の次で、最も重要視されるのは大義と精神力です。日本軍が
    サイパンや硫黄島などで絶望的な状況に陥っても決して降伏せず、「天皇陛下のために」
    万歳をさけんで玉砕したことは周知のとおりです。
     このような、大義のためには兵力の差などの実力を度外視し、死を覚悟で戦う精神は今
    の北朝鮮にしっかりと根づいているのではないでしょうか。
    
     一方、戦争はいつの場合でも偶発的に起きる可能性があります。かつて、アメリカのク
    リントン政権は本気で北朝鮮の核施設爆撃を検討したことがありました。結局、クリント
    ン政権は想定される事態を熟慮して思いとどまりましたが、もし爆撃したら、北朝鮮がそ
    れへの報復として実行する可能性が高いとされたのが、韓国に駐屯する米軍への攻撃でし
    た。
     それが現在の北朝鮮なら、なおさら報復攻撃の可能性は高いと思います。「強盛大国」
    を自称する北朝鮮がまったく報復しないとは考えられません。もし、その報復によってア
    メリカに多大な犠牲が出たら、事態は容易ならざる方向に向かうことでしょう。
    
     かつて、イスラエルがイラクの核施設を空爆して破壊した実例がありましたが、北朝鮮
    の核問題をめぐって6カ国協議による解決が絶望的になれば、いつまたアメリカで北朝鮮
    の核施設に対する爆撃の声があがるか測り知れません。
     その時期は、爆撃の大義、具体的には朝鮮半島の平和のためとか、核テロを未然に防ぐ
    ためとか、そうしたアメリカの主張がどれだけ世界各国から支持されるのかにかかってい
    ます。
    
     大義とは、これほど危険なシロモノはありません。いったん戦争が始まれば、その大義
    の魔力で人々はマインドコントロールされがちです。実際、そのため「善良な市民」に支
    えられてユダヤ人の大量虐殺がなされたし、日本の侵略戦争がなされました。
     そうした悲惨な過ちを繰り返さないために、何としても戦争は防ぐべきです、と言いた
    いところですが、そうもいきません。一方的に侵略されたり、敵の大義が理不尽であれば
    戦わざるを得ないでしょう。そのため、古今東西「平和のために」といいつつ、戦争は絶
    えることがありませんでした。
    
     そうした中、日本は平和憲法およびアメリカの世界戦略に支えられて65年間も平和な
    時代が続きました。その代償としてアメリカに基地を提供し、沖縄県民に過重な基地負担
    を強いてきたわけです。
     沖縄の米軍基地問題をどうするのか、これは日本人が解決すべき問題なので、私にはい
    うべき意見がありません。単に韓国の現状などを参考程度に紹介するくらいで、事態の推
    移を見守るだけです。
    
     そんな私に、ニューヨークタイムズにも紹介された「鳩山論文」は新鮮に映りました。
    長くなりますが、その一節を引用します。
           --------------------
     「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、
    日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは紛れも なく重要な日
    本外交の柱である。
     同時にわれわれは、アジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならな
    いだろう。経済成長の活力に溢れ、ますます緊密に結びつきつつある東アジア地域を、わ
    が国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の
    枠組みを創る努力を続けなくてはならない。
    
     今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、また
    ドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。私も、イラク戦争の失
    敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一
    極支配の時代から多極化の時代に向かうだろうと感 じている。
     しかし、今のところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通
    貨も見当たらない。一極時代から多極時代に移るとしても、そのイメージは曖昧であり、
    新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にしている。それ
    がいま私たちが直面している危機の本質ではないか。アメリカは今後影響力を低下させて
    いくが、今後二、三〇年は、その軍事的経済的な実力は世界の第一人者のままだろう。
    
     また圧倒的な人口規模を有する中国が、軍事力を拡大しつつ、経済超大国化していくこ
    とも不可避の趨勢だ。日本が経済規模で中国に凌駕される日はそう遠くはない。 
    
     覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭
    間で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか。これから
    の日本の置かれた国際環境は容易ではない。
    
     これは、日本のみならず、アジアの中小規模国家が同様に思い悩んでいるところでもあ
    る。この地域の安定のためにアメリカの軍事力を有効に機能させたいが、 その政治的経
    済的放恣はなるべく抑制したい、身近な中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化
    する経済活動の秩序化を図りたい。これは、この地域の諸国家のほとんど本能的要請であ
    ろう。それは地域的統合を加速させる大きな要因でもある。
    
     そして、マルクス主義とグローバリズムという、良くも悪くも、超国家的な政治経済理
    念が頓挫したいま、再びナショナリズムが諸国家の政策決定を大きく左右する時代となっ
    た。数年前の中国の反日暴動に象徴されるように、インターネットの普及は、ナショナリ
    ズムとポピュリズムの結合を加速し、時として制御不能の政治的混乱を引き起こしかねな
    い。
    
     そうした時代認識に立つとき、われわれは、新たな国際協力の枠組みの構築をめざすな
    かで、各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルー ルを創りあげ
    ていく道を進むべきであろう。
     ヨーロッパと異なり、人口規模も発展段階も政治体制も異なるこの地域に、経済的な統
    合を実現することは、一朝一夕にできることではない。しかし、日本が先行し、韓国、台
    湾、香港がつづき、ASEANと中国が果たした高度経済成長の延長線上には、やはり地
    域的な通貨統合、「アジア共通通貨」の実現を目標としておくべきであり、その背景とな
    る東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない。
     アジア共通通貨の実現には今後十年以上の歳月を要するだろう。それが政治的統合をも
    たらすまでには、さらなる歳月が必要であろう。 
    
     今やASEAN、日本、中国(含む香港)、韓国、台湾のGDP合計額は世界の四分の
    一となり、東アジアの経済的力量と相互依存関係の拡大と深化は、かつてない段階に達し
    ており、この地域には経済圏として必要にして十分な下部構造が形成されている。
     しかし、この地域の諸国家間には、歴史的文化的な対立と安全 保障上の対抗関係が相
    俟って、政治的には多くの困難を抱えていることもまた事実だ。
    
     しかし、軍事力増強問題、領土問題など地域的統合を阻害している諸問題は、それ自体
    を日中、日韓などの二国間で交渉しても解決不能なものなのであり、二国間で話し合おう
    とすればするほど双方の国民感情を刺激し、ナショナリズムの激化を招きかねないものな
    のである。
    
     地域的統合を阻害している問題は、じつは地域的統合の度合いを進める中でしか解決し
    ないという逆説に立っている。たとえば地域的統合が領土問題を風化させるのはEUの経
    験で明らかなところだ。
    
     私は「新憲法試案」(平成十七年)を作成したとき、その「前文」に、これからの半世
    紀を見据えた国家目標を掲げて、次のように述べた。「私たちは、人間の尊厳を重んじ、
    平和と自由と民主主義の恵沢を全世界の人々とともに享受することを希求し、世界、とり
    わけアジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力及び集団的安全保障の制度が確立
    されることを念願し、不断の努力を続けることを誓う」
     私は、それが日本国憲法の理想とした平和主義、国際協調主義を実践していく道である
    とともに、米中両大国のあいだで、わが国の政治的経済的自立を守り、国益に資する道で
    もある、と信じる。またそれはかつてカレルギーが主張した「友愛革命」の現代的展開で
    もあるのだ(注)。
           --------------------
    
     このように、かつての鳩山幹事長は「東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創
    出する努力を惜しんではならない」と説いたのですが、首相になった途端「努力」するい
    とまがなくなってしまったのか、鳩山ビジョンは影も見当たらないようです。
     この鳩山論文には共感できるところも多いので、これが単に論文だけに終ってしまうの
    は残念ですが、支持率が低迷している現状では先行き明るくないようです。
    
    (注) "A New Path for Japan", NYT 2009.8.26
     原文の翻訳は、NYT引用文を補足した下記サイトより引用
    http://longtailworld.blogspot.com/2009/09/nyyukio-hatoyamas-op-ed-on-nyt-full.html
    
      (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
    
    
    
    
    
    
    
    
    朝鮮学校がたどった苦難の歴史
    「レッツ」第67号、2010年6月号
    
     北朝鮮による日本人拉致問題などにからめて「高校無償化」問題で朝鮮学校をはずそう
    とする動きがありますが、これには私も納得できません。教育には差別的取り扱いを持ち
    込むべきではありません。
     これまで朝鮮学校などに対する差別は、多くの人の長年にわたる地道な努力により少し
    ずつ改善され、日本政府も国連の人権委員会などでやっとある程度の申し開きが出来るま
    でになりましたが、今回の動きはそうした進歩の流れに逆行するものです。
    
     かつて国連の人権委員会で指摘された、日本での外国人学校に対する重大な差別として
    大学受験資格問題がありました。長い間、朝鮮学校やアメリカンスクールなどの高校卒業
    生は、日本の大学への受験資格すら与えられませんでした。理由は、外国人学校は洋裁学
    校などと同じ資格の各種学校であり正規の高校(一条校)ではないとの理由でした。
     こう書くと、それなら大学受験資格が得られる大検(大学入学資格検定試験)をとれば
    問題ないと思われる方がおられるかも知れませんが、昔はそれすら日本の中学校(一条校)
    卒業生でないと受験できませんでした。信じがたい話です。
    
     そのため、外国人学校の中・高校卒業生が日本の大学を受験するためには、昼間は民族
    高校に通いながら、夜間は日本の通信制高校で学んで受験資格を得るしか道はありません
    でした。ただし、大学の中にはまれに温情で受験を認めた私立大学もありました。そうし
    た理解ある大学を一校でも増やすべく、外国人学校は長年にわたって各大学と個別に交渉
    するという地道な努力を根気強く積み重ねてきました。
     その甲斐あって私立大学のみか、やがて公立大学も受験を認め始めるようになりました。
    この段階に達するのにざっと数十年はかかったでしょうか。実に長い道のりでした。
     しかし、国立大学は文部省の指導のもと、頑として外国人学校生の受験を拒否し続けま
    した。認めない理由は、受験生が文部省の定めた高校のカリキュラムを受けていないから
    ではありません。
     というのも、そうしたカリキュラムを受けていない外国の高校卒業生には国立大学の受
    験資格があったので、カリキュラムが理由でないことは明らかです。文部省のねらいは大
    検の場合と同様、朝鮮学校がターゲットであり、その卒業生を締め出すことにあったと言
    えます。文部省は終戦以来、徹底して朝鮮学校を敵視してきました。
    
    朝鮮人学校の歴史
    
     終戦直後、在日朝鮮・韓国人は日本の植民地支配から解放された祖国へ帰国することが
    何よりの希望でした。それまで異国の日本で「半島人」としてしいたげられ、多くは下層
    民として炭坑や貧民街などでどん底の生活を送りましたが、彼らの生きる支えは、第一に
    故郷にいる肉親の存在であったといっても過言ではありませんでした。
     そうした彼らにとって、子どもたちに自国の言葉や歴史を教えることは焦眉の急でした。
    現在、中国残留日本人が日本へ帰国しても言葉などが壁になってなかなか日本へ溶け込め
    ないケースが多々ありますが、故郷へ帰ろうとした朝鮮人たちにとって子どもの朝鮮語習
    得は最優先の課題でした。
    
     そのため、日本各地に雨後の竹の子のように寺子屋もどき、ないしはささやかな国語
    (朝鮮語)教習所を設立しました。その数は小学校541校、中学校7校に達しました。そこ
    で朝鮮語や祖国の歴史などを重点的に教えたのですが、その運営には相当な困難がともな
    いました。何しろ、終戦まで日本の植民地であった朝鮮では朝鮮人を皇民化して忠君愛国
    精神を注入するため、創氏改名を始めとして朝鮮の言語や文化を抑圧する同化政策が強力
    に推進されたので、朝鮮語や歴史の教科書などは皆無でした。まさにゼロからのスタート
    でした。それでも教師や父母たちの愛国的な教育熱に支えられ、多くの困難に直面しなが
    らも民族教育が熱烈になされました。
     そうした草の根の民族教育もやがて時代の大波に翻弄されるようになりました。米ソ二
    大国間の冷戦がますます激化し、すでに分断されていた母国の朝鮮では左右の対立が日ご
    とに激しさを増すとともに、日本では朝鮮学校の運営母体である朝連(在日本朝鮮人連盟)
    が急速に左傾化し、これに反発した勢力が分裂するなど、朝鮮学校はちょっとした転換期
    を迎えました。
    
     そこへGHQ占領軍の朝鮮学校対策が容赦なく襲いかかりました。反共政策を強力に推
    進していたGHQにとって左傾化した朝連は邪魔な存在であり、その影響下にあった朝鮮
    学校は認めがたいものでした。
     1948年1月、GHQの命令を受けた文部省は、朝鮮学校に対して朝鮮語を正規教科の追加
    科目としてのみ認め、それ以外はすべて文部省の教育方針に従えとする48年通達を出し、
    民族学校の閉鎖を決めました。閉鎖令は3/31に山口県、4/8に岡山県、4/10に兵庫県、4/12
    に大阪、4/15に東京都で相次いで出されました。こうした文部省の方針は、戦前の朝鮮人
    に対する同化教育の復活であり、朝鮮学校としては受け入れがたい内容でした。
    
     文部省の措置は必然的に朝鮮人を激怒させました。各地で猛烈な閉鎖反対の運動が繰りひ
    ろげられましたが、中でも朝鮮人が多く住んでいた大阪や神戸では反対運動は激烈をきわ
    めました。ついに、反対運動は4月23,24日、いわゆる「阪神教育闘争」と呼ばれる事態に
    発展し、兵庫県庁を圧倒した朝鮮学校関係者や日本の左翼勢力は兵庫県に閉鎖命令を撤回
    させるのに成功しました。
     そうした事態にあわてたGHQは初めての非常事態宣言を神戸に布告して事態の収拾に乗
    り出し、1700余人を検挙しました(注1)。その騒乱の中で一生徒が警官に撃たれて亡くな
    るという不幸も起きました。いかに反対運動が熾烈であったかがうかがい知れます。
    
     しかし、熾烈な反対運動もGHQや日本政府の基本方針をくつがえすには至りませんで
    した。文部省は、翌1949年9月に朝連などが暴力主義団体として団体等規制令が適用されて
    解散を命じられるや、その機会をとらえて民族学校に対し、10月および11月の二度に分け
    て学校閉鎖命令を一方的に通告しました。
     朝鮮学校にとっては致命的な打撃でした。この通告は不当であると強硬な反対運動を展
    開したものの、国家の絶大な権力には抗しがたく、文部省に従わざるをえませんでした。
    朝鮮学校関係者は民族教育を何とか守りたいという一心で、朝鮮学校の1/4にあたる128
    校が文部省の認可を得るべく苦労して許可申請を提出しました。
    
     結果はわずかに1校、大阪の白頭学院(建国学園)が認められたのみで、他は翌年すべ
    て強制的に閉鎖させられました。そのため、私もやむなく日本の小学校へ転校を余儀なく
    されました。そこで文部省の48年通達にしたがってもうけられた放課後のクラスで民族教
    育を受けることになりました。
     こうした民族学級は今ではほとんど消えつつありますが、本格的な民族教育にはやはり
    ほど遠いものでした。そのため、朝鮮総連は都道府県に接収された校舎の返還を受けたり
    (注2)、北朝鮮の支援を得たりして、日本政府の許可ではなく各都道府県知事の認可で済む
    各種学校として民族学校を数多く設立しました。一方、韓国系の民団は5、6校の中・高
    校をやはり各種学校として設立し、日韓条約(1965)前後からは韓国政府の支援を得て運営
    するようになりました。
    
    外国人学校に対する最近の日本の政策
    
     外国人学校は先に述べたように、例外を除いて大学受験資格は認められませんでした。
    しかし、やがてこの問題に転機が訪れました。関係者がこの問題を国連へ訴えたところ、
    「子どもの権利条約委員会」がその訴えを認め、1998年6月「コリアン出身の児童の高等
    教育施設へのアクセスについて特に懸念する」との勧告を日本政府へ出しました。
     外圧を受けた文部省は、翌年やっと外国人学校生にも大検の受検を認めるようになりま
    した。これは大きな前進でした。さらに、日本の国際化が追い風になりました。といって
    も、追い風は単純な追い風ではありませんでした。日本政府は単なる国際化で朝鮮学校に
    対するスタンスを変えたりはしません。
    
     追い風というのは、経済大国になった日本に対する外国からの投資の増加でした。これ
    にともなって、中長期的に日本に滞在する外国人が増え、その子どもの大学進学が重視さ
    れるようになりました。その対応として政府は2002年に総合規制改革会議の答申を受け、
    国立大学への大学受験資格を認める方向で「インターナショナルスクール(IS)卒業生
    の進学機会の拡大」を閣議決定しました。
     しかし翌年、文部省は大方の予想に反して、ISをアメリカンスクールなど欧米系の高
    校に限定し、中華学校などアジア系などを除くとする方針を発表しました。アジア系に対
    する露骨な民族差別にはさすがに批判が集中しました。
    
     中でも京都大学は果敢にも文部省の方針に抗し、朝鮮高校卒業生に受験資格をいち早く
    認めました。中央の権威に是々非々で臨む精神はなおも健在なようでした。こうした実力
    行使や各界の批判に押され、文部省はしぶしぶ全ての外国人学校卒業生に国立大学受験資
    格を認めざるを得ませんでした。外国人学校の悲願がやっと達成されたのでした。ここま
    で来るのに実に半世紀もの長い時間がかかりました。
     以上のような朝鮮学校を狙い打ちにした文部省の差別政策は依然として続いているのが
    現状です。そのあおりで日本の友好国である韓国やアメリカの外国人学校ももちろん朝鮮
    学校と同様の扱いにされ、数々の制約を受けてきました。たとえば、校舎を改築する際に
    寄付金を拠出しても免税扱いにならないとか、こまかい点をあげればきりがありません。
    
     文部省の政策の根底には、日本国内でのマイノリティー教育を認めようとしないスタン
    スがあります。日本はアメリカの日本人学校など、世界中で日本語による民族教育を実施
    していますが、日本国内では外国人の民族教育を抑圧してきたのが実状です。その悪しき
    伝統が今回、拉致問題という政治問題を子どもの教育にからめてきた背景になっています。
    
     先日、テレビ朝日にてあるコメンテーターが、朝鮮高校に対する授業料実質無償化の問
    題は「国民の税金」を使うだけに慎重にすべきであると、産経新聞ばりの発言をしていま
    した。「国民の税金」で非納税者の外国人に恩恵を与えるのなら、それもたしかに一理は
    ありましょう。
     そのコメンテーターは無知なのか、あるいは意図的なのか、朝鮮学校の親も納税者であ
    ることを無視しているようです。こうした人たちがこれまで政府の外国人政策を支えてき
    たといえます。
    
     在日外国人の義務は日本人と同等に、権利は外国人を理由に最小限に抑えるという政府
    の基本方針に異議を唱えた人は少数であり、そのため、教育問題に限らず、在日外国人へ
    の差別が露骨におこなわれてきました。
     それは「差別問題」と一括りされるような、なまやさしい次元ではないかも知れません。
    1960年代、在日外国人というと大半が韓国・朝鮮人でしたが、法務省の池上努検事は在
    日韓国・朝鮮人へのガイドブック『法的地位200の質問』でこのように述べました。
    
      外国人は自国以外の他国に住む「権利」はないのである。だからどんな理由をつけても
      (国際法上はその理由すらいらないとされている)追い出すことはできる。・・・・
      国際法上の原則からいうと「煮て食おうが焼いて食おうが自由」なのである。
    
     日本による植民地支配などの歴史的経緯はともかくとして、日本で生まれ育った子孫す
    ら外国人なので日本に住む権利はないというのが当局の公式な主張でした。
     しかも、その「外国人」のほとんどは、私のように法務府の一局長通達(注3)によって、
    ある日突然に日本人から外国人にされてしまった人たちでした。
    
     一方、池上発言からすると、私などはこれまで焼かれずに日本で生きてこられたのです
    からありがたいことです。差別などには馴れっこになってしまった私ですが、欲をいえば
    願いがひとつあります。
     江戸っ子とは、江戸に三代つづけて住んでこそ江戸っ子といえるそうですが、私の孫は
    四世になります。その孫が4,5年後には高校生になりますが、その子が民族的に何ら制
    度的・構造的な差別を受けることなく、日本国の住民として高校生活やその後の人生をエ
    ンジョイできるような世の中になることを願ってやみません。
    
    (注1)非常事態宣言の経過
     1948年4月24日、神戸では大阪の反対闘争に続いて生徒、教師、父母など1万5千名が
    兵庫県庁近くの公園に集まり、うち数百名が県庁に突入し閉鎖命令を撤回させた。あわて
    た連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥は第8軍司令官アイケルバーガー中将
    に指令し、抗議行動を「暴動」として非常事態宣言を公布し、武力で運動を鎮圧した。結
    果、1700名あまりが逮捕され、そのうち136名が軍事裁判にかけられた。
      http://www.mindan.org/sidemenu/sm_hundred_14.php
    (注2)東京の朝鮮中・高級学校はこの時に都立から私立に変わった。
    (注3)(注)半月城通信<朝鮮分断と国籍選択>
       http://www.han.org/a/half-moon/hm060.html#No.388
    
    (本稿はメーリングリスト[CML 003334]に加筆修正をおこなった)
    
    



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