半月城通信
No.114(2005.9.11)

[ トップ画面 ]


    目次

  1. 中曽根首相の靖国「公式参拝」
  2. 小泉首相の靖国参拝は憲法違反
  3. 靖国参拝は「私的」か「公的」か
  4. アサヒビールと「舒波楽」
  5. 読者便り「国家神道と靖国神社」
  6. サンフランシスコ平和条約での竹島=独島解釈
  7. 日韓会談資料公開と竹島=独島

  8. 中曽根首相の靖国「公式参拝」 2005.8.16 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」 http://jpbbs.chinabroadcast.cn   去る 8月15日、結局、小泉首相は靖国神社に参拝しませんでした。その理由を聞かれ ても「前にも申しているように、適切に判断しています」としか語りませんでしたが、さ ぞかし苦渋の選択があったことでしょう。   小泉首相が単に「戦没者の追悼」や「不戦の誓い」を目的にするなら、かつての軍国 主義の神社で祈願するよりも、むしろ千鳥ヶ淵戦没者墓苑で祈願するほうがふさわしいと いえます。実際、小泉首相はそう行動しましたが。   そのうえで、近隣諸国との関係を重視してか、首相はつぎのように異例の終戦記念談 話を発表しました。        --------------------   アジア諸国との間でも かつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まって います。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに 手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視 して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関 係を構築していきたいと考えています(注1)。        --------------------   日本と中国・韓国との関係は経済的にも密接であり、いずれも主要な貿易相手国に数 えられようになりました。今や対米貿易は全体貿易額の18%に過ぎないのに対し、対アジ ア貿易額は47%にまで達しました。   なかでも中国、韓国とはとりわけ緊密なのですが、そうした両国と亀裂を深めるのは、 日本の国益にも反する、そうした判断から靖国神社参拝を見送ったのでしょうか。   これは、過去の歴代首相の歩んだ道でもありました。その始まりは中曽根首相です。 1985年8月15日、同首相は歴代内閣のなかで初めて靖国神社の「公式参拝」をおこなった のですが、これが中国をいたく刺激しました。   それまでの首相は靖国参拝を「私的」なものであると強調していたので、ことさら中 国も目くじらを立てなかったようですが、中曽根首相のように軍備費を画期的に増大した うえ、にぎにぎしく「公式参拝」と銘打って靖国神社を参拝したのでは、中国としても 「軍国主義復活」の動きとして軽々しく見過ごすことができなかったのでしょう。   当時の内外の批判について赤澤史朗氏はこう記しました。        --------------------   8月15日に中曽根首相は、新方式での靖国神社「公式参拝」を実施した。この行動に 対して、「公式参拝」推進派は圧倒的に支持や感謝を表明し、逆に全野党と主要マス・メ ディアは、防衛費のGNP比率1%枠突破の方針と関連させながら、または憲法の政教分 離原則を破るものとして、批判の声明を発表する。   特にそこでは、「公式参拝」の直前の自民党軽井沢セミナーでの中曽根首相の発言、 「国のために倒れた人々に、国民が感謝を捧げる場所があるのは、当然のことだ。さもな ければ、だれが国に命をささげるのか」が引用され、現在の軍国主義復活のもくろみに 「公式参拝」の狙いがあることが強調されていた。しかし、首相官邸では、こうした批判 は折り込み済みだったであろう。   ただ中国の反発は、その予想を遙かに超えたものであった。中国側の批判は、靖国神 社への「公式参拝」が、日中友好の精神に背いて過去の「日本軍国主義」を肯定し「侵略 戦争の認識をあいまい」にするものだなどと、日本の政府当局者の戦争責任理解と歴史認 識を問いつつ、現在の日本軍国主義の復活を危惧するものであった。   その意味では、批判の基本線はその後も変わらないといえるが、9月18日の北京市内 での中曽根康弘首相への学生の反対デモを契機に、中国の批判の矛先は靖国神社への参拝 一般や日本軍国主義復活一般にでなく、問題を靖国神社がA級戦犯を合祀している点に 絞っていき、首相の靖国「公式参拝」の取りやめを日中両国間の正式の外交課題として取 りあげるようになった(注2,P205)。        --------------------   このとき、中国は政治的な妥協点を考慮したのか、靖国問題はA級戦犯のみが問題で あり、それ以外は不問に付すという姿勢を示したのが注目されます。   一方、中国のきびしい批判にさらされた中曽根首相の対応は、今回の小泉首相のケー スと瓜二つなくらい似かよっています。それどころか、今回のモデルケースといってもい いくらいです。   そこで、当時の中曽根首相がどう対応したのか、その跡をみることにします。赤澤氏 はこう記しました。        --------------------   そうした中で中曽根首相は、靖国神社の秋の例大祭への「公式参拝」の中止を決定す る。そしてこの「公式参拝」の中止判断をきっかけに、国会での野党の追及に対して、中 曽根首相は過去の戦争や戦争責任についての説明を、徐々になし崩し的に変化させていく こととなる。   1985年10月17日の衆議院本会議での社会党の代表質問に対する首相の答弁では、「太 平洋戦争はまことに遺憾な戦争であり、起こすべからざる戦争であった」と述べ、10月29 日の衆議院本会議での共産党の質問に対する答弁では、さらにそれを「間違った戦争」で あり、「中国に対しては侵略の事実もあった」と答えている。  ・・・   サンフランシスコ平和条約は、その第11条で「日本国は、極東国際軍事裁判所 並び に日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁され ている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」としており、さらにそ の赦免・減刑などに関する連合国の権限について規定している。  ・・・   つまり日本が「受諾」した「判決」とは、その最後に言い渡された被告たちの量刑だ けに限らないのであって、A級戦犯被告に戦争責任があったことを、日本は国際条約の中 で認めているのである。その事実がここにきて「発見」されたのであり、靖国「公式参 拝」がこれと抵触するおそれが出てきたのである(注2,P206)。        --------------------   A級戦犯が祀られている靖国神社を首相が公式参拝したことに各方面から批判が続出 し、これをかわすのに、中曽根内閣はA級戦犯の分祠を探りはじめました。また、中曽根 氏自身もA級戦犯について厳しくみていたようで、こう語りました。  「戦死者のほとんどは赤紙一枚で行きたくない戦争に行かされた人たちだ。それを追悼 するのであって、A級戦犯は戦没者ではない(注3)」   こう考える中曽根氏は、何とかA級戦犯の分祠ができないか模索を始めました。        --------------------   平和条約第11条が「発見」された頃から、中曽根首相など首相官邸と自民党首脳部の 一部による、靖国神社からのA級戦犯祭神の「分祠」工作が始まる。   A級戦犯「分祠」論とは、靖国神社の祭神からA級戦犯のそれを取り下げて、それら を靖国神社内の新たな別の社を作って祀るか、A級戦犯のみを祀った新たな神社を創建す ることで、中国などの諒解を取り付け、首相の靖国「公式参拝」を継続・定着させようと いう試みである。つまり靖国神社「公式参拝」論の一種といえるが、戦争責任に関する考 え方だけが異なるのである。   靖国神社に対する「分祠」工作は、政府が直接に介入すると政教分離原則に背くとの タテマエから、諸種の方面を介しておこなわれたようであり、自民党、財界人、遺族会の 一部を巻き込んでいたようである・・・。   しかし東条家では合祀取り下げの申し出にあくまで反対し、A級戦犯被告遺族の意思 一致が得られず、また靖国神社側では「分祠」工作自体に強く反対するのだった(・・・)。   靖国神社としては「分祠」を認めれば、もともとのA級戦犯合祀自体が誤っていたこ とを承認する結果になるからであろう(注2,P207)。        --------------------   中曽根氏の弟は戦死しているだけに、中曽根氏は公的にも私的にも参拝したい気持ち が強かったようですが、A級戦犯の分祠が困難であることを悟り、結局は1986年8月15日 の「公式参拝」を断念しました。そう決断したのは「一国の首相という立場と個人の信条 は区別すべきである(注3)」との信念が働いたようでした。   また、そのかげには首相の女房役ともいわれる後藤田正晴・官房長官の冷静な靖国観 もあったようでした。同氏は当時の決断をこう語りました。        --------------------   東京裁判の結果、処断された人たちであるA級戦犯を神としてまつる。これは死者を 追悼するとともに、その名誉をたたえる顕彰でもある。   そこに(サンフランシスコ講和)条約を締結した国の代表者が正式にお参りすること は、戦勝国の国民に対して説明がつかない。   日本国民としても、敗戦の結果責任を負ってもらわなくてはならない人たちを神にす るのはいかがなものか、という疑問があるだろう。首相は靖国神社参拝を控えるのが当然 だ(注3)。        --------------------   こう語る後藤田氏は、東京裁判およびサンフランシスコ平和条約は国際信義上かたく 順守するという信念があるようで、記者の質問にこう答えました。 質問:「東京裁判を受諾した51年のサンフランシスコ講和条約第11条について、「判決は 受け入れたが、裁判全体を認めたわけではない」という意見もあります」 後藤田:「負け惜しみの理屈はやめた方がいい。サンフランシスコ講和条約は、戦後日本 が国際社会に復帰し、新しい日本を築く出発点だ。それを否定して一体、どこへ行くんで すか。   東京裁判にはいろいろ批判もあるし、不満もあった。ただ、裁判の結果を受け入れた 以上、それにいまさら意義をとなえるようなことをしたら、国際社会で信用されるわけが ない。   条約を守り、誠実に履行することは、国際社会で生きていくために最低限守らなけれ ばいけないことだ(注3)」   このような信念で後藤田官房長官は首相に「公式参拝」中止を進言しました。それを 赤澤氏はこう記しました。        --------------------   8月14日 後藤田官房長官は談話を発表し、8月15日に首相が靖国神社「公式参拝」を おこなわない旨を明らかにする。   この談話の中で後藤田長官は、昨年の靖国「公式参拝」の目的は、「あくまで、祖国 や同胞等のために犠牲となった戦没者一般の「追悼」と「平和への決意」のためであり、 毎回実施するような「制度化されたもの」ではないと述べる。   その上で靖国神社への首相「公式参拝」が、「我が国の行為により多大の苦痛と損害 を蒙った近隣諸国の国民の間」から、過去の「我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対 して拝礼したのではないかとの批判を生み」、平和友好関係を損なうものとなるので、 「公式参拝」を中止すると述べたのであった(注2,P209)。        --------------------   このように、中曽根内閣はなぜ靖国神社を参拝しなかったのかを内外に明らかにしま したが、ここが小泉首相と大きく違う点です。内外の重大関心事に対する説明責任を小泉 首相はないがしろにしているようです。   ところで「負け惜しみの理屈」ですが、これは靖国神社がつとに強調している点です。 同社のホームページはこう記しました。        --------------------  「(平和条約)第11条では、東京裁判については、日本政府が連合国に代わり刑を執行す る責任を負うことについて規定されているに過ぎず、それ以上はなにも規定されていませ ん。つまり、日本政府の「受諾」の対象は、判決主文(刑の言い渡し)であって、判決理由では ないわけです(注4)。        --------------------   靖国神社は東京裁判の判決を受諾した意味を、判決主文は受け入れても判決理由文は 受け入れないなどと珍解釈してゴネているようです。靖国神社は国策を誤った過去の侵略 戦争を何としても肯定的に解釈するつもりのようです。   そのような神社に首相が「公式参拝」したら、周辺諸国から疑念の目でみられること は必定です。遅まきながら小泉首相は8月15日の参拝を見送りましたが、今後「過去を直 視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力 関係を構築」するのかどうか、じっと見守りたいと思います。   もちろん、小泉首相が選挙に勝って、首相をつづけることができればの話ですが。 (注1)首相談話の全文 http://www.asahi.com/politics/update/0815/007.html (注2)赤澤史朗『靖国神社』岩波書店、2005 (注3)朝日新聞「後藤田正晴さんに聞く」2005.7.13 (注4)靖国神社ホームページ「靖国神社関係資料」 http://www.yasukuni.or.jp/siryou/index.html (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


    小泉首相の靖国参拝は憲法違反 2005.8.24 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」 http://jpbbs.chinabroadcast.cn   入江一史さんは、私の意図をよく誤解しているようです。   私が指摘したいのは、アサヒビール関係者である中條高徳氏がアサヒビールの社名を だして、過去の侵略戦争を肯定する立場の靖国神社を賛美した発言に対し、アサヒビール がまったく関知しないというのは少しおかしいのではないか、という点にあります。   したがって、アサヒビールが「今後、中條の個人的な活動において、アサヒビールと しての肩書きを使用することがないように、厳重に申し渡し、本人も了解しております」 と回答したところで、私の意見が認められたなどとは露ほどにも考えていません。   公的な肩書きを使用しているのに、実は、あれは肩書きとは無縁な個人的言動です、 などという言い訳はとおるはずがありません。   同じようなケースが小泉純一郎首相の靖国神社参拝です。2001年8月13日、小泉首相 は内外からの厳しい批判・警告を受けるなかで靖国神社に参拝し、肩書き「内閣総理大 臣」の名で記帳しました。   これは首相としての「職務行為」であり、かつ憲法が禁止している「宗教行為」であ るので、誰しも憲法の政教分離の原則に反すると考えて当然です。すぐさま、各地での違 憲訴訟が7件も提起されました。   しかるに、「政府は小泉首相の参拝を「私人」としての行為と説明し、被告の国側で は「自然人」の行為と称していた(注1)」というからあきれます。入江さんも中條氏と のアナロジーでそのようにお考えでしょうか?   しかし、そんな強弁はとおるものではありません。各地の裁判所はつぎのように判断 し、政府の見解をほぼ否定しました。        --------------------   これら七件の小泉靖国参拝訴訟のうち、2005年3月現在、六つの地裁判決が出されて おり、原告たちの権利あるいは利益侵害の国家賠償請求については、いずれも訴えが斥け られている。問題は首相参拝に関する司法判断である。   最初の大阪地裁判決(2004年2月27日)は、小泉参拝を「総理大臣としての参拝」す なわち公式参拝として認めたが、にもかかわらず憲法判断は回避した。   松山地裁判決(2004年3月16日)は、憲法判断のみならず、小泉参拝が公式参拝であ るか否かの認定も回避した。   二つ目の大阪地裁判決(2004年5月13日)は、総理大臣の「地位にともなう行為」と して参拝行為の公的性格は認めたものの、国家賠償法上の「職務を行うについて」の「職 務」にはあたらないと述べた。   千葉地裁判決(2004年11月15日)は、首相の参拝は「職務行為に該当する」として公 式参拝であることを認めたが、憲法判断は回避した。   那覇地裁判決(2005年1月28日)は、松山地裁判決と同様、参拝が公的か私的かの判 断すら回避した。   これらに対して、福岡地裁判決(2004年4月7日)は、首相の靖国参拝に関してあえて 憲法判断に踏み込み、明確な「違憲」判断を下した点において画期的であった(注2,P109)。        --------------------   小泉首相は神社への献花料を公費でなく私費でだしましたが、それは目くらましにす ぎません。公的な肩書きをもちいたのであれば、当然それは公的な活動と判断されます。 中條氏の場合も同様ではないでしょうか。   ついでに記せば、小泉首相の靖国神社参拝は外交問題がクローズアップされています が、それ以上に国内問題としても重要です。というのも、小泉首相の靖国神社参拝が憲法 違反と判断されたからです。昨年4月、福岡地裁では下記の判決がだされました。        --------------------   本件参拝当時、内閣総理大臣が国の機関として靖国神社に参拝することについては、 他の宗教団体だけでなく、自民党内及び内閣府からも強い反対意見があり、国民の間でも 消極的意見が少なくなかった。   こうした中で、被告 小泉に、内閣総理大臣として靖国神社に参拝する強い意志を有 していることがうかがわれたことからすれば、単に社会的儀礼として本件参拝を行ったと は言い難く、また、国の機関である内閣総理大臣としての戦没者の追悼は、靖国神社への 参拝以外の行為によってもなし得るものである。   靖国神社が特に戦没者のうち軍人軍属、準軍属のみを合祀の対象とし、空襲による一 般市民の戦没者などは合祀の対象としていないことからすれば、内閣総理大臣として第二 次世界大戦による戦没者の追悼を行う場所としては、宗教施設たる靖国神社は必ずしも適 切ではないというべきであって、・・・。  ・・・   以上の諸事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断すると、本件参拝は、憲法上 の問題があり得ることを承知しつつなされたものであって、憲法二〇条三項によって禁止 されている宗教的活動に当ると認めるのが相当である(注2,P111)。        --------------------   この裁決は最高裁に上告されることもなく、完全に確定しました。これに対し、まさ か小泉首相は、判決主文は認めても判決理由文は受け入れないなどとは言わないでしょう ね。憲法違反の靖国参拝は中止すべきです。 (注1)赤澤史朗『靖国神社』岩波書店、2005,P250 (注2)高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書、2005


    靖国参拝は「私的」か「公的」か 2005.9.4 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」 http://jpbbs.chinabroadcast.cn   入江さん、人の名前を間違えるそそかしさは「ご愛敬」としても、そもそもあなたは 私の書き込みを間違えずに理解しているのでしょうか? もしそうであれば、下記のよう な質問は出るはずがないと思っています。   入江一史さん wrote > いつになったら靖国を肯定的に捉える事が問題であるとの説明を頂けるのですか? >そして氏の発言の何処に問題があるのですか?   これらについて今まで十分書いてきたつもりですが、ご要望に応じて改めて書くこと にします。まず「靖国を肯定的に捉える事が問題である」要点は下記のとおりです。 1.戦前は、陸軍・海軍が軍国主義昂揚のために直接管理した神社であった。 2.死者をもっとも悼む遺族の意向に反してまで、皇国に殉じた「英霊」を祀ることを優  先している。追悼よりも顕彰が優先する。 3.過去の誤った侵略戦争を指導したA級戦犯も祀って「顕彰」している。「顕彰」とは  「功績などを世間に知らせ、表彰すること」という意味である(『広辞苑』)。 4.靖国神社は、「東京裁判(極東国際軍事裁判)は、国際法を無視した不当な裁判で  あった」「東京裁判そのものを認めたのではない」などと主張するとともに、過去の侵  略戦争を「自存自衛の戦争」と肯定化している。 5.以上のような点が、周辺諸国から靖国神社は日本の軍国主義を象徴する神社として警  戒されている。   なお、念のためにもう一度書くと、靖国神社は私的な宗教法人のひとつに過ぎないの で、その神社がどのような政治信条を持ち、誰を祀ろうがもちろん神社の自由です。 問 題はその神社周辺でうごめく人々です。   その中のひとりが中條高徳氏です。入江さんは「氏の発言の何処に問題があるのです か?」と質問しましたが、これこそこのトピの最初に書いたとおりです。同氏の「靖国神 社に詣でる事をしない政治家に、国政に参加する資格はない」という発言に異議を提起し たのが、このトピのそもそもの始まりです。   なお、私は中條氏が靖国神社に毎日参拝しようと、これは個人的カルトのたぐいであ るので、なんら問題にしていません。同時に、中條高徳氏が私人として靖国神社に関して いかなる発言をしようと自由です。   私の中條氏に対する異議のひとつは、国政にたずさわる政治家、なかんずく首相や閣 僚が靖国神社に参拝したら、内外面でともに重大問題になるという点にあります。   内政面においては、政教分離を定めた憲法上の問題です。憲法違反についていえば、 小泉首相の靖国神社参拝は、すでに書いたように違憲であるとの確定判決がだされました。   さらに、小泉首相のいう「私人」としての靖国神社参拝が憲法違反であるなら、1985 年当時の中曽根首相の靖国「公式参拝」はさらに違憲であることはいうまでもありません。   前回は小泉首相の違憲判決について書いたので、今回は裁判所が中曽根首相の靖国神 社参拝にどのような判断を出したのかをみておきたいと思います。高橋哲哉氏はこう記し ました。        --------------------   中曽根首相の公式参拝に対しては、ただちに三カ所で違憲訴訟が起こされ、90年代は じめに確定判決が出ている。   そのうち播磨靖国訴訟の高裁判決(1993年3月18日)のみは、憲法判断に踏み込まずに 確定したが、九州靖国訴訟の福岡高裁判決(1992年2月28日)は、「公式参拝」を継続す れば違憲」であるとし、関西靖国訴訟の大阪高裁判決(1992年7月30日)は、公式参拝を 「違憲の疑いがある」と判断した。   三つの確定判決のうち二つが違憲判断に傾き、いずれにせよ、合憲判断を下したもの はひとつもない結果であった(注1)。        --------------------   こうした判決は、それまでの自民党による、首相の靖国公式参拝は合憲とする我田引 水的な党議決定を真っ向から否定するものでした。その一方、判決はそれまでの内閣法制 局の考えを裏打ちする判断でした。法制局は、昭和天皇の靖国神社参拝についてこう判断 していると赤澤氏は記しました。        --------------------   天皇の「公式参拝」については野党の国会での追及を受けて、吉国一郎 内閣法制局 長官が1975年11月、憲法第20条第3項に「直ちに違反する」とは言い切れないが、「第 20条第3項の重大な問題になる」という判断を示したのである(・・・)。   「重大な問題」とは、違憲の疑いを払拭できないとの意味である。そのためこの時点 から、首相、閣僚などのおこなう靖国神社参拝は、その都度「私人として」か「公式」か ということが問われるようになる。   その後 1980年11月に鈴木善幸首相のときに、改めて閣僚の靖国神社への「公式参 拝」に関しては、「違憲でないかとの疑いを否定できない」との政府統一見解が確認され ることとなる(注2)。        --------------------   今年8月15日、靖国神社を参拝した石原慎太郎・都知事に記者が「参拝は公人か私人 か」とたずねたら、都知事はご機嫌ナナメに「公人か、私人か。そんなばかな質問をする な(注3)」と捨てゼリフをあびせたシーンがありましたが、公式参拝であれば、もちろん 憲法違反の疑いが濃厚です。   そうした憲法違反の疑いも配慮してか、今年の8月15日には多くの閣僚が靖国参拝を 見送りました。政治家として当然の配慮です。当日、参拝したのは閣僚17名のうち、尾辻 秀久厚生労働相と小池百合子環境相のふたりだけでした。   余談ですが、小池環境相は今回の衆議院選に東京10区から小泉首相が放った「刺客」 として立候補しましたが、当選するかどうか見ものです。   話はそれましたが、中條氏の「靖国神社に詣でる事をしない政治家に、国政に参加す る資格はない」という意見は、すくなくとも閣僚などの公職者には憲法上ふさわしくあり ません。   逆に、中川昭一氏のように靖国神社へ「現閣僚(注4)」の資格で参拝した政治家は、 閣僚になる資格がないというべきかも知れません。他の4閣僚は「公的参拝」を否定する か、明言を避けました。政教分離をわきまえているのか、外交上の配慮か、あるいはA級 戦犯問題のためか、本人と神のみぞ知るところです。 (注1)高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書,2005,P106 (注2)赤澤史朗『靖国神社』岩波書店,2005,P186 (注3)http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1337031/detail (注4)http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/seiji/20050814/20050814a1050.html?C=S


    アサヒビールと「舒波楽」 2005.8.28 北京放送BBS中日友好関係「アサヒビールへの公開質問書」 http://jpbbs.chinabroadcast.cn   david leeさんはご存知でしょうが、アサヒビールは「舒波楽」というブランドで スーパードライを発売しています。ネーミングには、快適、波、楽しいというイメージが あるようです。また、発音もスーパードライに近づいていて、それなりに「舒波楽」は浸 透したようです。   そうした矢先の不買運動は、さぞかしアサヒビールにとって心外だったことでしょう。 この不買運動のきっかけが中條高徳氏の靖国発言にあったことはいうまでもありません。   アサヒビールは、こうした理不尽な代価を甘受しても、靖国発言における中條氏の肩 書きを削除しないようです。大企業にしてみれば、中国での不買運動など、蚊に刺された 程度のかゆみだったのかもしれません。同時に、アサヒビールの経営陣は中條氏に対して 強くモノを言えないような間柄かもしれません。   聞くところによると、中條氏は毎日のように靖国神社に参拝しているそうです。それ ほどの信念なれば、不買運動などモノともせず、自己主張のためには企業の看板すら好き 勝手に利用する、中條高徳氏はそんな人でしょうか。        -------------------- (上記の文を載せる前に、下記の文を投稿したのですが、なぜか掲載されませんでした)   david leeさんはご存知でしょうが、アサヒビールは「舒波楽」というブランドで スーパードライを発売しています。ネーミングには、快適、波、楽しいというイメージが あるようです。また、発音もスーパードライに近づいていて、それなりに「舒波楽」は浸 透したようです。   中国におけるアサヒビールのビジネスについて、ジャーナリストの莫邦富氏はこう語 りました。        --------------------   そのビジネスが中国で完全に成功したという評価までいかないものの、私はアサヒ ビールのブランド・イメージを含む中国進出手法を比較的評価してきた。   ところが、このアサヒビールが最近の反日の嵐の中で、突如中国人消費者から抗議を 受けた。中国のスーパーマーケットやショッピング・センターから相次いで商品が撤収さ れたのだ(注1)。        --------------------   軌道に乗りかけてきた矢先の不買運動は、さぞかしアサヒビールにとって心外だった ことでしょう。この不買運動のきっかけが中條高徳氏の靖国発言にあったことはいうまで もありません。莫邦富氏はこう解説しました。        --------------------   中国報道機関の取材力や記事の信憑性を疑うことは否定できないが、私人としての発 言なのに公的な肩書きを使用したことで誤解を招いた恐れがある。   今回の場合は、その肩書きが企業であったがために、個人の発言が中国における企業 のビジネス活動に大きなマイナス効果をもたらしてしまった。しかも、中條氏はすでに企 業の経営からは実質的に離れて久しいのに、発言するときは依然として企業の看板を担ぎ 出した。結果、企業は理不尽な代価を払うこととなった(注1)。        --------------------   アサヒビールは、こうした理不尽な代価を甘受しても、靖国発言における中條氏の肩 書きを削除しないようです。大企業にしてみれば、中国での不買運動など、蚊に刺された 程度のかゆみだったのかもしれません。同時に、アサヒビールの経営陣は中條氏に対して 強くモノを言えないような間柄かもしれません。   聞くところによると、中條氏は毎日のように靖国神社に参拝しているそうです。それ ほどの信念なれば、不買運動などモノともせず、自己主張のためには企業の看板すら好き 勝手に利用する、中條高徳氏はそんな人でしょうか。 (注1)莫邦富「反日の嵐の中で見た新たな中国進出リスク」 http://nikkeibp.jp/style/biz/marketing/china_biz/050428_risk/


    「読者だより」国家神道と靖国神社 2005.8.17 ***様より半月城へ   流石、半月城様!真面目なご議論、痛み入ります。   従軍慰安婦に関して、NHK上層部と安倍・中川両氏が癒着した事件は、私は最初か ら朝日に理が有ると思ってましたが、中川氏の方が非常に品性が低い物言いとの記事は意 外でした。   しかし、発言からすると、それもありそうな事ですね!と考え直しました。中国に対 する油田開発利権絡みの発言もまるでチンピラですが、最近、閣僚として言っちゃいけな い事を北朝鮮に関してまた、言ってしまって。私は勝手にJネオコンって呼んでいますが、 そのレベルですね。   靖国に関して、アーリントン墓地などと混同する議論も有るようですが、ある程度重 なる部分が有る事は認めます。しかしながら、2点違う点があり、1つ目の近隣からク レームがつく特殊性は、あの不幸な短い時代から意識を引き剥がせなくて、問題に対して 非常に意図的な択一を経る、近視眼的で不自由な精神構造の方からは、却って意地になっ て逆効果をもたらしたい理由となるでしょうが、それで事は済みません。   ヤルタ体制やポツダム宣言受諾にも障るんですけどね。2点目は、国家神道が曖昧に 持続する事による、本来の神道に対する破壊的な影響で、これもある種の精神構造の人達 は、意図的に古今の伝統の混同や選択を行うので混乱の元ですが、本当に本物の愛国心が あれば、許せる類の事とは違うでしょうけれども。既に一度、それが起こってますから。   国家神道に対するアンチ・テーゼで、神社離れが起こって「境内を駐車場にして経営 持続」とは、かなり全国津々浦々何処でも起こっている事です。GHQ当時、どうも神社 本庁が国家神道との完全分離と国家神道の完全廃止を嫌がったそうで、それじゃ因果応報 ですが。   しかし時代が下がれば下がるほど歪みが酷くなる恐れもあり、本当なら由々しき事と もっと危機感があってもよいのでしょうが、現状は太平楽ですね。これから経済の右肩下 がりで、お祭りの賑わいもどうなる事やら。馬鹿馬鹿しい事で御座います、過去の為に未 来が犠牲になるとは。ただ、それこそ自己責任ですから(皮肉ですが)。ま、結局は日本 の問題ですからね。 半月城から***様へ 2005.8.21   ***様 メールをありがとうございました。   雑誌『現代』に書かれた中川氏の品性の低さには本当にあきれるばかりです。そんな 人が国会議員だなんて、議員の面汚しではないでしょうか。ネオコンというとスマートな 語感があるのですが、かれの場合、昔ながらのヤクザにつながった右翼と呼んだほうがふ さわしい気もします。   靖国神社問題はいろいろ問題が多いだけに、今後もどんどん取りあげて書きたいと思 います。 半月城


    サンフランシスコ平和条約での竹島=独島解釈 2005/ 8/21 Yahoo!掲示板「竹島」#10385   竹島=独島の領有権問題を大きく分けると、下記の3点に集約されるのではないかと 思われます。 (1)歴史的に日本の「固有領土」か? (2)1905年の日本領への編入は問題なかったか?   特に当時において竹島=独島は無主地か? あるいは韓国の領土か? (3)日本の領土を決定すべきサンフランシスコ平和条約の解釈。   これまで(1)、(2)についてはかなり議論してきたので(注11)、今回は1952年に発効 した (3)のサンフランシスコ平和条約について書きたいと思います。   条約のくわしい研究は、日本では「竹島日本領派」である国会図書館の塚本孝氏によ りなされましたが、最近、同氏のサンフランシスコ平和条約をめぐる見解が変わったよう で注目されます。   9年前、同氏は論文「竹島領有権問題の経緯」のなかで「平和条約上は、竹島が日本 の保持する島として確定したわけである(注1,P10)」と断言していました。ところが、 最近の同氏の著作では上記の見解が姿を消しました。   といっても、同氏は平和条約を軽視しているわけではなく、その重要性について「国 際法上も領土の処理は平和条約によるべきものであって、占領軍の司令部の指令で決せら れるものではなかった(注2,P113)」と『中央公論』に記しているくらいです。   同誌に塚本氏は結論めいたことは書かず、ただアメリカが条約案の作成過程において 無能な韓国大使の要求を拒絶した事実を中心に、こう記しました。        -------------------- 平和条約と竹島   韓国が李承晩ラインの設定にあたり竹島を取り込んだ背景として、いまひとつ挙げら れるのは、平和条約の締結過程における一連の出来事である。   韓国は、条約草案を準備していた米国に対し竹島を韓国領とするよう申し入れ、拒否 されていた。  ・・・   韓国の条約案修正要求に対する米国の正式な回答は、同年(1951)8月10日付けの書簡 で行なわれた。この書簡で、ラスク(Dean Rusk)国務次官補は、国務長官に代わり、竹島 の領土要求を含む第一項について次のように回答した。  「ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無 人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、 一九〇五年ごろから日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮に よつて領土主張がなされたとは思われません。」    筆者は以上の国務省記録を米国の国立公文書館で確認したが、・・・。   ともあれ、この平和条約起草過程における経過をみると、韓国は外交交渉で得られな かったものを、李承晩ライン設定という一方的な国内措置で実現しようとしたことがわか る(注2,P114)。        --------------------   これで塚本氏の「平和条約と竹島」に関する説明は終わるのですが、問題の「平和条 約上は、竹島が日本の保持する島として確定」とする趣旨の発言はまったく見られません でした。   しかも、塚本氏は韓国の要求が入れられなかったことを記しても、日本の竹島=独島 に対する要求も紆余曲折のすえ、結局はとおらなかった重要事実を記しませんでした(注 9)。これは公平、客観性に欠く記述と思われます。   塚本氏は後者について『調査と月報』のほうではこう記しました。        --------------------   1950年8月以降、国務長官顧問 J.F.ダレスが中心となって従前の草案に比べ簡潔な草 案が起草されるところとなり、日本に残す島を列挙する方式もとられないことになった。   しかし、竹島の日本保持に変更はなかった。・・・   朝鮮放棄条項は、同年(1951)6月の「改訂米英草案」において最終条文の文言すなわ ち「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するす べての権利、権原及び利益を放棄する」(第2条a)に落ち着いた(注2,P9)。        --------------------   塚本氏は、竹島=独島を日本領とする条文が1950年の段階で削除されても「竹島の日 本保持に変更はなかった」と信じこんで「平和条約上は、竹島が日本の保持する島として 確定したわけである」という結論を導いたのですが、これは我田引水です。   その後の資料、とくに在日アメリカ大使館の極秘資料によれば、国務省は竹島=独島 について何度か検討した末、先の「岩島(ドク島)は、我々の情報によれば朝鮮の一部と して取り扱われたことが決してなく」とした見解を変え、最終的に 1952年にはこう結論 づけました。        --------------------   国務省はリアンコールト岩の歴史をすでに数回も検討したことがあるが、それをここ で詳述する必要はない。その岩はアザラシの繁殖地であり、ある時期、朝鮮王朝の一部で あった。その岩は、日本がその帝国を朝鮮に拡張した時、もちろん朝鮮の残りの領土とと もに併合された(注3)。        --------------------   アメリカ国務省が、最終的に竹島=独島は「朝鮮王朝の一部」であったと認識してい たことは重要な意味をもちます。これは、竹島=独島が無主地ではなかったとアメリカも 認識していたことを意味します。この資料は塚本孝氏など「竹島日本領派」にとってはさ ぞかし痛手になったことでしょう。   竹島=独島が無主地でないなら、日本の竹島=独島編入は「狼どもの国際法」に照ら しても違法になることはいうまでもありません。しかし、アメリカはそこまで踏み込んだ 判断をしなかったようでした。アメリカ大使館の極秘文書はこうつづけました。        --------------------   しかしながら日本政府は、帝国支配の過程においてこの領域を日本の本土に編入し、 ある県の行政下においた。   そのため、日本が平和条約の第2章で「済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対す るすべての権利、権原及び請求権」を放棄することに同意した時、条約の起草者はこの岩 を放棄すべき領域に含めなかった。   日本は、リアンコールト岩に対する日本の領有権は理由のあることとしている。それ に韓国が異議を唱えているのは明白な根拠にもとづくものである(注3)。        --------------------   条約の米英合同最終案は、日本が竹島=独島を領土編入した事実を考慮したのか、竹 島=独島を日本が放棄する島のリストには加えませんでした。といっても、これはアメリ カが竹島=独島を日本領と断定したわけではありません。韓国の領有権主張が「明白な根 拠にもとづく」と理解しているからです。   したがって、アメリカは竹島=独島の領有権を決着させず、意図的にあいまいにした といえます。すなわち、アメリカは 1905年の日本の領土編入がカイロ宣言にいう「暴力 および貪欲により略取」に相当するのかどうかの判断を避けたものとみられます。   領有権をあいまいにしたのは、ハボマイ・シコタン諸島も同様でした。これらは竹島 =独島と同様に1946年 GHQ指令(SCAPIN) 677号により日本の統治から切り離され、ソ 連により統治されたので、アメリカはその事実を重視しました。1951年6月、米国務省注 釈書はこう記しました。  「ハボマイ諸島およびシコタンについては、ソ連がその島を占領していることからして、 日本への返還を明確に規定しない方がより現実的であると思われる(注9)」   米英などの自由主義陣営が、ソ連の既得権益を無視して同島の統治権を強引にソ連か ら引き離すことは、どだい無理な話です。もちろん、ハボマイ・シコタン諸島も平和条約 に書かれなかったからといって、平和条約で日本領に確定したわけではありません。   領土を明確にすべき平和条約で、あえてそれが明確になっていないのなら、それは草 案作成者がわざとあいまいにしたと解釈すべきです。「領土の処理は平和条約によるべ き」であっても、実際の処理がそうなったのかどうかは別問題であるし、現にサンフラン シスコ平和条約ではそうなりませんでした。実際、ハボマイ・シコタン諸島の帰属は、わ ざとあいまいにされました。   塚本氏はこうした事実を知って「平和条約上は、竹島が日本の保持する島として確定 したわけである」という主張を引っこめたのでしょうか? あるいは他の理由からでしょ うか?   いずれにしても塚本氏は国際法学者ではないので、この辺でそろそろ国際法の専門家 の意見をみることにします。   なお、国際法の推移ですが、日本やドイツなどファシストたちが引きおこした戦争が 敗退したことにより「狼どもの国際法」も平和条約のころになると、だいぶ是正されてき ました。そのため、国際法の検討も戦前ほど無意味ではありません。   国際法学者ですが、まずは竹島=独島を日本領と考える芹田健太郎氏を取りあげます。 私は同氏については、前にこう紹介したことがあります。        --------------------   一方、なかには堀論文をさんざん批判しても、堀氏の一大成果である「明治政府の竹 島・松島放棄」から目をそらしたままで領土を論じる学者もいるから驚きます。   その人は前回すこし紹介した芹田健太郎氏です。同氏は著書で日本の松島(竹島=独 島)経営を竹島渡海免許や、今では否定されている「松島渡海免許」から説きおこし、明 治期の「松島開拓願い」や軍艦天城の派遣など含めて概観しましたが、なぜか肝心の明治 政府による「竹島ほか一島放棄」については一言半句もふれせんでした(注5)。        --------------------   芹田氏はこのように資料を恣意的に取捨選択しているようですが、同氏は竹島=独島 について『日本の領土』でこう記しました。        --------------------   敗戦後の日本の領土を確定したのは1952年4月28日に発効したサンフランシスコ平和 条約である。竹島の帰属を決めたのも対日平和条約である。   同条約第二条(a)は「日本国は、朝鮮の独立を承認し、済州島、巨文島及び欝陵島を 含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定め、日本が放棄した地 域から竹島は除外されている。   SCAPIN 第677号に明記されていた竹島の名が対日平和条約において消されているのは 実質的に意味のあることであると考えなければならない(・・・)。もし、鬱陵島から約90 キロメートルも離れた孤島である竹島を朝鮮領として認める意図があったのであるとすれ ば、朝鮮半島からやや離れている巨文島が条約中に明記されたように、そのことを条約中 に明記しておかなければならなかったであろう(注4,P158)。        --------------------   この文において、芹田氏が竹島=独島を日本領と考えるのが妥当としているのは明ら かなのですが、きっぱりとサンフランシスコ平和条約で「竹島が日本領に確定した」と断 言していないのが注目されます。   これは『中央公論』での記述も似たり寄ったりです。同氏は国際法上「竹島が日本領 に確定した」と確信できないためか、竹島=独島問題解決の道として次のような提案を行 ないました。        --------------------  (日韓の)友好関係が深まっている今こそナショナリズムに足をとられることなく、冷 静に歴史的 国際法的なカードを双方で提示しあい、議論を詰め、未来志向の共同利用自 然保護区とし、現状を認めながら日本・韓国共同の管理下に置くことを考えてもよい(注6)。        --------------------   もし、芹田氏が平和条約で竹島=独島は日本領と確定したと強く確信しているのなら、 共同管理案など提案しないだろうと推察されます。   それはともかく、芹田氏が竹島=独島問題の解決策として国際司法裁判所に言及して いないことは注目されます。それ以前に日韓条約の「日韓両国の紛争の平和的処理に関す る交換公文」を同氏は重視しているようです。ただし、この交換公文は現実に機能してい ないと考えているようですが。   なお、芹田氏が竹島=独島を日本領と推論する根拠の核心は「SCAPIN 第677号に明記 されていた竹島の名が対日平和条約において消されているのは実質的に意味のあることで あると考えなければならない」という部分にあるようです。   これは確かにそのとおりです。うえに書いたように、竹島=独島やハボマイ・シコタ ン諸島について条約の起草者が領有権判断を避けて、意図的にあいまいにしたからです。   一方、竹島=独島が条約に書かれなかったことを韓国の国際法学者はどのようにみて いるのかを次にみていきたいと思います。   大韓国際法学会長の金栄球氏は、SCAPIN 677号などで日本から切り離されて今は韓国 の統治下にある竹島=独島が、サンフランシスコ平和条約で日本領になることは国際法上 あり得ないと指摘しました。   しかも、仮に平和条約が竹島=独島を日本領であると明記したとしても、それは条約 の第三者である韓国の権益を侵すものであり、国際法上において問題であると、こう記し ました。        --------------------   もし この平和条約の立案者達が この前説明した(条約一般の)明示的但し書きを根 拠に、彼らの立案者としての裁量権を活用して 1951年サンフランシスコ平和条約の領土 条項を今のものとは異なって起案したとしたら(それをここでは“第2条-bis”と指称す ることにしましょう) どうなったでしょうか。   そうして独島(または竹島)が日本の植民地統治的管轄権を放棄しなければならない 範囲の島の中から除外されただけではなく、日本に属する島として平和条約の領土条項に 特別に明示されたら 平和条約(第2条-bis)の法的根拠は何でしょうか。   この問題は与えられた条約規定を文言的に または目的論的に解釈することとは、全 く異なる法的な理論の問題になるのです。これは いわゆる条約の第3者的効力に関する 問題になることでしょう。   韓国は この平和条約の当事者ではない第3者として、同条約第21条に基づいてこの 条約の受恵国になっています。同21条は、  「この平和条約第25条にもかかわらず 中立国はこの条約の第10条、14条a項、そして韓 国はこの条約の第2条、4条、9条及び12条の受恵国となる。」 と規定しています。   上の条項の中、もし第2条 領土条項でリアンクール岩/独島(または竹島)が日本 に属した領土だという意味を特定的に規定してあったとしたら、これは実に問題の多い条 項になるところだったのです。   条約は第3国にその国の同意なしでは権利を付与できず、義務を創設することもでき ません。古いラテン語法諺で、・・・(ラテン語省略)・・・「条約の第3者には権利も 義務も与えることはできません」という一般的国際法の原則は、「Vienna条約法協約」第 34条に明確に規定されています。   それから条約が規定する権利や義務に関する第3者の同意は、文書として表示される 明示的な承認の形式で表現されなければなりません。この国際法上の一般的原則は今まで 大変よく確立されていたので、他の特別な根拠を引用する必要もありません(注7,P190)。        --------------------   これは当たり前の話です。他国同士の条約によって条約の第3国は利益を得ることが あっても、同意なしに義務を課せられる道理はありません。平和条約当時、この一般的国 際法の原則は慣習法として確立されていました。また、それら慣習法の集大成は1969年 「ウィーン条約法」として明文化されました。   これは竹島=独島問題に適用可能です。韓国は1948年に独立し、SCAPIN 677号で国際 的に承認された竹島=独島の統治を米軍政庁から引き継ぎ、さっそく竹島=独島に「慶尚 北道 鬱陵郡 南面 道洞1番地」として行政を及ぼす措置をとりました(注10)。   この措置に対して、日本をはじめとして諸外国からはなんら異議がだされませんでし た。そのように平穏裡に得た竹島=独島統治権を、平和条約を根拠に同条約の第3者であ る韓国が突然に剥奪されることは国際慣習法上ありえません。   同様に、ソ連もSCAPIN 677号をベースにしてハボマイ・シコタン諸島の統治を行なっ たのですが、その権利を平和条約の第3者であるソ連が同条約でいきなり剥奪されること は国際法上ありえません。   したがって、日本外務省の見解「韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がない まま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行 ういかなる措置も法的な正当性を有するものではない(注8)」という主張こそ根拠があ りません。   このように、もしサンフランシスコ平和条約で竹島=独島やハボマイ・シコタン諸島 が日本領と明示されたとしたら、それは条約の第3者に義務を課することなるので、国際 慣習法に違反し無効になります。   いうまでもなく、国際慣習法の積み重ねなどが国際法であるので、慣習法違反はすな わち国際法違反になります。したがって、そのように解釈されるような条文は平和条約に は存在しえません。   実際、平和条約には竹島=独島およびハボマイ・シコタン諸島については何も書かれ ませんでした。したがって、条約に書かれないから「平和条約上は、竹島が日本の保持す る島として確定したわけである(注1,P10)」という塚本孝氏の主張は誤りです。   最近、塚本氏がそのような主張をしないのは、そうした誤りに気がついたためではな いでしょうか。また、国際法学者の芹田氏が決して「平和条約上は、竹島が日本の保持す る島として確定した」などといわないのは、後にウィーン条約34条として明文化された国 際慣習法の存在を知っているからでしょうか。 (注1)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と月報』289号,1996 (注2)塚本孝「竹島領有権紛争」が問う日本の姿勢」『中央公論』2004.10 (注3)半月城通信<竹島=独島と駐日アメリカ大使館> http://www.han.org/a/half-moon/hm111.html#No.822 (注4)芹田健太郎『日本の領土』中央公論社,2002 (注5)「竹島日本領派」の松島(竹島=独島)放棄への対応 http://www.han.org/a/half-moon/hm093.html#No.672 (注6)芹田健太郎「政治は国民と領土を守ることを忘れていないか」『中央公論』2004.10 (注7)金栄球『ドクト問題の真実』(日、韓、英語)法英社(韓国),2003 (注8)外務省ホームページ「竹島」 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html (注9)半月城通信<対日講和条約草案> http://www.han.org/a/half-moon/hm096.html#No.703 (注10)半月城通信<韓国独立と竹島=独島対応> http://www.han.org/a/half-moon/hm104.html#No.759 (注11)半月城通信<竹島=独島は日本の固有領土か?> http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/half-moon2005.html (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


    日韓会談資料公開と竹島=独島 2005/ 8/28 Yahoo!掲示板「竹島」#10756   半月城です。竹島=独島問題について、匿名の方から質問のメールを受けたので(注 4)、ここでその方の疑問に答えたいと思います。   匿名さん、あなたのメールの中に「この問題の本質は、どちらの領土かと言う事では ないと思います(注4)」とありましたが、この一節は少し意外でした。しかし思いめぐ らすと、日本人の多くはそんなものかも知れません。   竹島=独島に関するかぎり、北方領土問題とちがって、あまりにも歴史的な事実にか んする情報が少ないからです。外務省は竹島=独島問題の資料集すら作成せず、簡単な ホームページのみで済ませています。また、そうした姿勢に対する批判もほとんど耳にし ません。   そもそも日本の外務省は、なるべく竹島=独島問題を秘密扱いにする方針のようです。 たとえば、韓国政府との領有権論争です。これは1953年から1965年の日韓協定の年まで実 に12年間もつづけられました(注3)。   あなたは「日本側はあくまでも話し合いで解決しようとしている」と書いてるので、 過去にそうした話し合いが両国政府の間で長年おこなわれた事実すらご存じないようです。 それも無理ないかも知れません。その往復書簡全文は、日本ではついに公表されませんで したので。   ひるがえって北方領土問題の場合、公式な外交記録がほとんど公表されているのです が、それにひきかえ、外務省が竹島=独島問題を秘密にするのは、外務省の自信のなさを 物語っているのではないでしょうか。公表すると、外務省が窮地に陥るためでしょうか。 それ以外に何か理由が考えられるでしょうか?   一方、韓国は両国政府の往復書簡をすべて公表しました(注1)。官民ともに竹島= 独島問題の研究は盛んで、多くの研究書や学術論文が発表されました。そうした成果から 韓国政府は竹島=独島が韓国領であることにますます自信を深めているのが現状です。 >(2)日韓条約の「日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文」書にもかかわらず、  韓国は国際司法裁判への提訴に応じない。   これは時間的な順序が逆です。日韓会談のとき、韓国政府は、独島は明らかに韓国の 領土であるので韓日協議の議題ではないし、さらに国際司法裁判所となると「そうすれば、 国民に対する責任を免れず、重大な過ちだと指摘されるだろう(注2)」として拒否しまし た。   両国の協議の結果、国際司法裁判所での解決案のかわりに、第三者による調停案が浮 上しました。それを朝鮮日報はこう伝えました。        --------------------  11月13日の第2次金鍾泌・大平会談録では、大平外相が再び国際裁判所問題を取り上げ ると、金部長は第3国の調停に任せることを示唆する発言をした。  これに対し大平外相は、「考慮に値する案」としながら第3国として米国を指名し、工 夫してみると答えた(注2)。        --------------------   この時、国際司法裁判所による解決案は消え、かわりに第三者による調停が合意しか かったのですが、その後、どうやら日本側から具体的な提案はなかったようです。その結 果、日韓会談で竹島=独島問題は最終的に下記のように処理されたようです。        --------------------   日本は交渉の最終年の65年、紛争処理に関する交換公文議定書に独島が紛争地域であ ることを明示しようとしたが、韓国政府は「独島は韓日間の紛争対象になりえない」とい う強硬な立場を堅持し、独島を取り上げない文案で確定した(注2)。        --------------------   日本は、かつて竹島=独島を爆破してしまえば問題は消滅すると考えていたくらいな ので(注2)、もともと竹島=独島への執着心は薄かったようです。 >(3)日本の教科書・大使・自治体が「竹島は日本の領土」と主張しても韓国による実  効支配にはなんら影響を与えないのに、韓国は官民あげて日本を激しく非難する。   経過はかならずしもそうではありません。今年初めまで韓国政府の態度は「弱腰」で した。竹島=独島問題はなるべく争点として浮上させず、静穏な実効支配をつづける方針 をとってきました。   実際、日本政府要人の問題発言などには一応 型どおりの抗議を申し入れましたが、 基本的には日本政府を刺激しないようにしていました。そんな例が、国立公園の指定延期 や、一般人の竹島=独島への立ち入り禁止であり、海洋二百カイリの基点を竹島=独島に しなかったことなどでした。   しかし、その政策はある事件により転換を余儀なくされました。今年2月、島根県に よる「竹島の日」制定による余波です。これに韓国のマスコミなどが教科書問題、靖国問 題とあわせて総合的に反応した結果、韓国政府も「弱腰外交」を転換せざるをえなくなり ました。   それ以降、韓国政府は竹島=独島問題で積極姿勢に転じ、領有権主張を積極的におこ なうとともに、竹島=独島への観光旅行なども許可しました。今後は韓国も攻勢を強める ことでしょう。   そうなると、これからは歴史論争がより活発になることが予想されます。それにとも ない、この掲示板の注目度があがるかも知れません。 (注1)愼鏞廈『獨島領有權資料の探求』第4巻(韓国語)獨島研究保全協会,2001 (注2)朝鮮日報、2005.8.28 <【韓日協定文書公開】「独島爆破」は日本側の発言だった> http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/28/20050828000001.html (注3)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両国政府の見解」『レファレンス』2002.6, P49 (注4)匿名の方からのメール        -------------------- 半月城様 はじめまして 匿名で失礼致します。 半月城様がYahoo! 掲示板「竹島」に書いた文を拝見しました。 それに関連して一言。   独島(竹島)の帰属問題では、日韓双方が古文書の記述などを根拠に領有権を主張して いますが、この問題の本質は、どちらの領土かと言う事ではないと思います。そんなこと はハッキリ言ってどうでも良いと考えています。問題なのは、韓国側の主張があまりにも 一方的だったと言う事だと思います。理由を以下に書きます。 (1).韓国は独島(竹島)を武力により実効支配しているが、日本側はあくまでも話し合いで  解決しようとしている。 (2).日韓条約の「日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文」書にもかかわらず、韓  国は国際司法裁判への提訴に応じない。 (3).日本の教科書・大使・自治体が「竹島は日本の領土」と主張しても韓国による実効支  配にはなんら影響を与えないのに、韓国は官民あげて日本を激しく非難する。(一切黙  れ、と言うことですよね。)   日本はロシアや中国とも領土問題を抱えています。 しかしロシアは、話し合いには応じてくれます。 中国も、今のところは軍事力を行使する様なことはしていません。 ロシアや中国に比べれば自由で民主的な筈の韓国は、何故かたくなな態度をとるのでしょ うか?先進国とは思えません。 以上、私が書いた内容に認識誤り等がございましたら、指摘していただければ幸いです。 失礼致します。(*^_^*)        -------------------- (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/



    半月城へメール送信

    [トップ画面]