半月城通信
No. 79

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  1. 戦争責任と各国のキーワード
  2. 外圧と多文化主義
  3. ソ連の対日宣戦布告
  4. 日ソ中立条約の破棄
  5. 侵略戦争にたいする反撃
  6. 国際紛争
  7. 連合軍指令は韓国にも適用
  8. 国際法の限界
  9. 明治政府の内探書と竹島=独島
  10. カイロ宣言と竹島=独島
  11. 日本の竹島=独島放棄


戦争責任と各国のキーワード メーリングリスト[aml 20849] Date: Tue, 06 Feb 2001   半月城です。「問答有用掲示板」#5325に書いた文を一部訂正して転載し ます。 http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain   久しぶりに書き込みます。NHKの番組「戦争をどう裁くか」は、ご指摘 のように途中で圧力による番組改変などがあったのかもしれませんが、それで もかなり見応えがありました。   私はまだ全シリーズを見終わってないのですが、初回の「人道に対する 罪」は示唆に富む番組でした。ドイツとフランス、それぞれの行き方に私は興 味をひかれました。   フランスはナチスに迎合したビシー政権のユダヤ人弾圧を反省し、95年 当時のシラク大統領が「文明、人権、友好を誇りとするフランスが取り返しの つかないことを行ってしまった」と語りましたが、自国の誇りをもちだす発想 は強く印象に残りました。   一方、ドイツはこれまでのユダヤ人にたいする補償に加え、最近は強制労 働にたいする補償に企業なども取り組みはじめたのですが、その基本的な考え は、法的責任はないが「道義的責任があるので被害者に補償する」というもの で、はっとするような発想でした。   ふつうは高橋哲也教授が指摘したように、道義的責任しかないので補償は できないという論理がまかりとおるのですが、ドイツの発想には感じ入ってい ます。もっとも、ドイツといえどもこうした考えが固まるまでには長い道のり が必要だったようです。当初は国策にしたがった行動であり、暗に企業に責任 はないといわんばかりのどこかで聞き覚えのある言い逃れがはばをきかせてい たようでした。   道義的責任にもとづく補償、ドイツがこの容易ならぬ結論にいたったのは、 戦争責任を厳しく追及する過去の真剣な取り組みが背景にあったのではないか と想像されます。   これは日本との決定的な違いですが、ドイツは自らの手で戦争責任者を裁 き続けました。そのうえで、被害者にワイツゼッカー大統領など国家指導者が 明確な謝罪をしました。かれの「過去に目を閉ざす者は現在にも目を閉ざすも のである」という名演説はあまりにも有名です。   この潮流にたち、ラウ大統領は強制労働に関しても99年にその責任をこ う語りました。  「強制労働の問題は賃金の未払いだけではありません。強制連行、故郷の喪 失、権利の剥奪、人間の尊厳に対する暴力でした。私はドイツ支配下で強制労 働を行ったすべての人々にドイツ国民の名において赦しを請います」   この発言は単なるリップサービスに終わりませんでした。国と企業がそれ ぞれ50億マルクを出資し「記憶・責任・未来財団」を創設しました。もちろ ん、財団を設立しても問題点はいろいろあるでしょうが、被害者救済に大きく 寄与することはまちがいありません。   戦争責任を語る場合、ドイツのキーワードは「責任」、フランスは「人権」 といえますが、日本はなんでしょうか? アメリカでの訴訟や世論など「外圧」 でしょうか? あるいは、それは今後の取り組みのなかで決定されるのでしょ うか? (半月城通信)http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/


外圧と多文化主義 「問答有用掲示板」 #5351 半月城 http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain 2001/02/06 22:49      フランスが植民地傭兵のセネガル兵に補償をするようになったのは決して 自発的なものではなく、規約委員会という「外圧」をうけて行なったという経 緯はよく理解できました。   フランスにせよ、ドイツにせよ、世界各国で外圧はとても重要なインパク トになっているようです。日本ではその外圧が弱いために、戦争責任の追求や 補償がおざなりだったというのも納得できそうです。   そうなると、なんとかして外圧を日本に導きいれるのが戦争責任認識の近 道だということになりそうです。その成功例が「従軍慰安婦」でしょうか。こ この掲示板でも紹介されたようですが、韓国の金学順さんが日本政府の見解 「従軍慰安婦なるものにつきまして・・・やはり民間の業者がそうした方々を 軍とともに連れて歩いている」に憤激して、敢然と名乗り出たのが大きな転機 でした。吉見教授の一連の研究も実は金さんの発言がきっかけだったようです。 この事例にかぎらず、さらなる外圧を期待したいものです。   ところで話はアメリカに飛びますが、米国の場合、外圧にそれほど左右さ れずとも日系人に対する補償を決定したのではないかと思われます。   #5349より引用 >第二次大戦中に強制収容した日系人にたいして、アメリカ政府が謝罪し、補 >償したとき、ブッシュ大統領は謝罪の手紙を被害者に送った。その中に次の >ような一節がある。 > > 損害賠償と心からの謝罪を申し出る法律の制定で、私たちアメリカ人は言 >葉の真の意味で、自由と平等と正義という理想に対する伝統的な責任を新た >にしました。   この補償にこぎつけるまでには日系人のたゆみない努力があったことはい うまでもありませんが、その一方で日本からアメリカへの外圧はあまりなかっ たように記憶しています。   ま、たとえあったにせよ「超大国」アメリカは日本からの発言などをそれ ほどの外圧と感じないことでしょう。ヒロシマ・ナガサキがそのいい例です。 原爆投下はあきらかに人道に対する罪だと思われますが、そうした声はとかく 「原爆は終戦を早めた」という声にかき消されがちです。アメリカの「正義」 がいつそれに気がつくのか、道のりは遠いようです。   それはさておき、アメリカで外圧がそれほどなくても日系人補償などがう まくいったのは、日系人の活躍など多民族、多文化主義がうまく機能したこと によるのかもしれません。   さらにいえば、アメリカで南京事件に対する追求のきびしさや、日本の戦 後補償裁判、たとえば不二越強制連行訴訟解決などへの影響力などもアジア系 アメリカ人によるところが大きいといえます。   それに反し、日本の多民族、多文化主義は、とかく石原都知事の排他的発 言などが大手を振るなかで肩身が狭く、定住外国人の地方自治選挙権すら日の 目を見られそうにありません。何とも残念です。   ともかく、日本や韓国のように多民族、多文化主義が育ちにくいところで は外圧はある程度有用といえます。


ソ連の対日宣戦布告 ヤフー掲示板 > 地域情報 > 世界の国と地域 > 大韓民国:竹島問題を考える メッセージ: 1251  http://www.yahoo.co.jp 2001年1月03日   半月城です。net_browneyさんは、ソ連参戦の経緯を誤解されてるようです。   RE:1243 >宣戦布告もなく条約を一方的に破っての開戦が国際法の上で問題ないですか?   net_browneyさんは、ソ連は宣戦布告なしに対日戦を開始したと思いこん でるようですが、ソ連は日本のように卑劣なまねはしていないようです。   先日、NHKTVでソ連参戦の経緯を放送していましたが、それによると、 45年8月7日、ソ連はモスクワにある日本大使館に宣戦を通告し、翌日から 対日戦を開始しました。これは帝国主義時代の狼たちの申し合わせである国際 法に適合しているようです。   宣戦布告を受けた日本大使館は東京へ連絡しようとしましたが、電線を切 られてお手上げとのことでした。なんとも情けない大使館です。   もっと情けないのは東京のほうでしょうか。4月、日本は日ソ中立条約の 不延長を通告されていたにもかかわらず的確な情勢判断を欠き、ソ連に連合軍 との和平交渉仲介を依頼するなどワラをつかむ思いでトンチンカンなことをく りかえしていました。   これでは日本にとってソ連の対日参戦は寝耳に水で、宣戦布告がなかった と固く信じている人がいまだにいるのも無理はありません。   つぎに、ソ連は一方的に日ソ中立条約を破ったとの指摘ですが、狼たちの 申し合わせでは、宣戦布告した時点で両国の中立条約は失効するので、ソ連は 条約を破ったことにはならないのではないでしょうか?   ちなみにデジタル平凡社の『世界百科大事典』でも「ソビエトは8月8日対 日参戦を行い,ここに日ソ中立条約は失効した」と書かれており、私の見方を 裏付けているようです。どなたか、帝国主義時代の国際法にくわしいかたのコ メントをお願いします。


日ソ中立条約の破棄 ヤフー掲示板 > 地域情報 > 世界の国と地域 > 大韓民国:竹島問題を考える メッセージ: 1618 条約破棄の通告  http://www.yahoo.co.jp   半月城です。MOTER_MAN2さん、RE:1576 > 国際法に関して、ソ連の対日参戦は国際法違反ではないとする文がありま >したが、条約違反に関しては、認める見解なのでしょうか?   このヒントになるのが、日本政府や主なマスメディアはソ連が日ソ中立条 約に違反したと主張していないように思われることです。ただし、産経新聞は 関知しません。   もっともそれを主張しない、あるいは主張できないのは、日本はカイロ宣 言などで国際的に侵略国家と認定されているため、侵略国家には国際法を論じ る資格がないという隠れた事情があるのかもしれません。   それはさておき、二国間条約が失効するケースですが、期限切れのほかに 宣戦布告があげられると思います。宣戦布告は二国間の条約や約束などを国際 法に反しない範囲ですべて無効にするものであり、条約破棄通告も当然兼ねて いると考えられます。   また、これは前にも書きましたが、中立条約などが有効なうちに宣戦布告 するのは狼どもの国際法では禁じられていないようです。つまり条約の精神は 別にして、形式的には中立条約にかかわらず狼どもの国際法違反ではないと考 えられます。また、すでに失効した条約であれば、その内容に反する行為も国 際法違反でないことはいうまでもありません。   結論として、ソ連の宣戦布告は同時にすべての二国間条約を失効させるの で、条約違反を云々する条約自体存在しなくなると考えられます。したがって、 ソ連の対日参戦に関するかぎり、杓子定規にはなんら国際法違反や条約違反は なかったと考えられます。


侵略戦争にたいする反撃 ヤフー掲示板 > 地域情報 > 世界の国と地域 > 大韓民国:竹島問題を考える メッセージ: 1391  http://www.yahoo.co.jp 2001年1月23日   半月城です。Torazo_xxxさんは1カ月近く熟慮したすえに侵略禁止の慣習 法を考えついたのでしょうが、そこから短絡的にソ連の北方領土占領を国際法 違反と結論づけるのは、論理にすこし無理があるのではないでしょうか。   たしかに第1次世界大戦後、大惨禍をもたらした戦争への反省から他国へ の侵略を許さない風潮が「連合国」の間で強まったのは当然の成りゆきでした。   この潮流に反して、日本やドイツなど後発の帝国主義国は無謀な侵略戦争 を引き起こしたのですが、もし、第2次大戦前にTorazo_xxxさんがいうように 侵略戦争禁止の慣習法が成立していたのなら、日本の侵略戦争は国際法に違反 していたことになります。   それについては何も語らず、他国の国際法違反をなんとかほじくり出そう とする姿勢は滑稽ですが、これがTorazo_xxxさんの流儀でしょうか。   とかく、重箱のスミばかりつついていると本末転倒になりがちです。ここ でまぎれのないように書いておきますが、侵略戦争は国際法違反でも、そうし た侵略に鉄槌をくだす戦争や自衛戦争は、湾岸戦争などをみてもわかるとおり、 現在すらかならずしも国際法違反にはならないと思います。   過去、アメリカやソ連など連合国の対日戦争がまさにそうでした。侵略者 に宣戦布告し、その領土を占領した行為は当時の国際法になんらふれるもので はありませんでした。したがって、アメリカが日本本土などを軍事占領したり、 ソ連がサハリンや北方4島を軍事占領したのは国際法違反というわけではない と思います。   なお、占領した領土をどう処理するのかは、その後の国際政治力学いかん で決定されるものです。北方領土の場合、日ソ共同宣言(1956)でハボマイ、シ コタン島だけは将来、日本への引き渡されることに合意したのは周知のとおり です。   一体、こうした一連の経過のどこに国際法違反があるのでしょうか? も し、ソ連が国際法に違反したのなら、それを国際司法裁判所に訴えるなり声高 に主張するのは相手にたいして交渉の有力な切り札になります。負け犬のよう な「固有領土」のみの主張より、国際法違反だから返還せよと迫るほうが効果 的なのは誰の目にも明らかです。   そうした方策を前面にうち出そうとしないTorazo_xxxさんは、本当にソ連 は国際法違反だったと信じているのでしょうか? たんに、日ロ間で協議が継 続中だから国際司法裁判所提訴は後回しという奇妙な理屈はほとんど説得力が ありません。   ちなみに、日本政府はロシアにたいし、国際法違反などという主張はしな かったようでした。ひたすら日本の「固有領土」だから返還してくださいとお 願いするのみのようでした。また、そうしたやり方を非難する人もあまりいな いようです。これは、国際法違反という主張がそもそも無理だからとは考えな いのでしょうか?   さらに日本政府は、ソ連の対日宣戦布告は国際法違反だと主張したことも ないようです。Torazo_xxxさんはそうした日本政府の方針も間違いだと非難す るのでしょうか?


国際紛争 ヤフー掲示板 > 地域情報 > 世界の国と地域 > 大韓民国:竹島問題を考える メッセージ: 1432  http://www.yahoo.co.jp 2001年2月03日   半月城です。これまで私は多くの人と議論をしてきましたが、「二十四時 間以内に回答がない場合・・・(発言は)取り消された」ものとみなすと自己 本位に書くような人は前代未聞で、あきれるばかりです。また、それをたしな める人がいないのも心外です。   もう自己中心的な人との議論はうんざりで、そのような人を相手に時間を 浪費するまいと思ったのですが、なかには私の発言を期待する人もいるような ので、ひとまず、その期待に応えることにします。   さて、多くの人が疑心暗鬼になっているのは、私がうろ覚えで書いた下記 #1238は、私自身フォローできないようないい加減な文ではないか、ひいては 私の書く文章全体の信憑性が疑わしいのではないかとことではないかと思いま す。  <とかく大局観が欠如した人には、物事は氷山の一角しかみえないものです。 Torazo_xxxさんは「国際司法裁判所は、1953年から1999年までの間に、領域主 権に関わる12件の争訟事件に本案判決を下しています」とかかれてますので、 どうやら領土紛争において国際司法裁判所による解決を快刀乱麻のごとく考え ておられるのかもしれません。   しかし、実際は国際政治において裁判はほとんど無力といっても過言では ありません。うろおぼえですが戦後の国際紛争は5百数十件あり、そのなかで 裁判で解決したのはたかが知れています。   最近ではユーゴの国境紛争にせよ、湾岸戦争、中ソ、印パ、中東紛争など 主な国境紛争において国際司法裁判所はまったく当事者の眼中にありません。 そうした現実はTorazo_xxxさんの眼中にないようです>   この文でTorazo_xxxさんが重視する「戦後の国際紛争は5百数十件」の資 料はすぐには見つからないのですが、この信憑性は身近な資料からすぐ検証で きます。日立デジタル平凡社『世界大百科事典』の「国際紛争」の項にはこう 書かれています。        -------------------- [国際紛争の類型と紛争理論]  国際紛争の形態は,その紛争の当事者の種 類から,大国間,大国・小国間,小国間,国家・脱国家主体間,国家集団間,脱 国家主体間,支配民族・少数民族間などに分類できる。より具体的にみると, (1)第2次大戦前の英独間や戦後の米ソ間の紛争のように,国際的地位や力関係 の対称的な主体間での対称的紛争形態,(2)アメリカ・ベトナム間やソ連・アフ ガニスタン間の紛争のように,地位や力関係の非対称的な主体間での非対称的 紛争形態,(3)インド・パキスタン間やイラン・イラク戦争のように,発展途上 諸国間での対称的紛争形態,(4)イラクと北部地域のクルド民族や,東チモー ルでのインドネシアと東チモール独立戦線など,ある地域の支配民族と少数民 族の場合のように,特定地域の非対称的主体間の非対称的紛争形態に区別され る。冷戦構造崩壊後の1990年代では,(3)と(4)の紛争形態が著しく増大してい る。  また,とりわけ戦争(紛争)の基盤や争点の内容から,ホルスティ K. J. Holsti が試みているように,次のように区別することも可能である。(1)領土 をめぐる紛争,(2)国民国家形成をめぐる紛争,(3)イデオロギーをめぐる紛争, (4)経済的利益をめぐる紛争,(5)エスニシティや宗教をめぐる紛争,(6)略奪 や生存をめぐる紛争,(7)自立その他の問題をめぐる紛争。1945年から89年ま での間,273回の戦争が発生しているが,そのうちの52回が(1),42回が(2), 21回が(3)だった。(以下略)        --------------------   紛争の数でいえば、45年から89年まで273回の戦争(紛争)があり、 その後の90年代は(3)と(4)の紛争形態が「著しく増大」したとあるので、戦 後の国際紛争「5百数十件」という数字はまずは妥当ではないかと思われます。   こう書くと私のあら探しをねらっている人は、東チモール問題などは内戦 であり国際紛争ではないといいだすのかもしれませんが、意に介さないことに します。そうした人は平凡社と見出しの妥当性を議論してください。   ところで、Torazo_xxxさんはしつこいくらい「5百数十件」という数字に こだわってますが、こんなに多いと裁判形式にこだわるTorazo_xxxさんとして は具合が悪いのでしょうか?   ともかく、国際紛争において裁判はいかに無力であるのかおわかりになり ましたか?


連合軍指令は韓国にも適用 ヤフー掲示板 > 地域情報 > 世界の国と地域 > 大韓民国:竹島問題を考える メッセージ: 1295  http://www.yahoo.co.jp 2001年1月08日   Torazo_xxxさんも生半可な知識をひけらかせているようです。   RE:1274 > 最も重要な点ですが、日米安保が日米間の条約だからその関係が理解でき >ないのであれば、SCAPIN-677も連合国が日本に示したものですね。韓国には >関係のないものです。   Torazo_xxxさんのいう「最も重要な点」で重大な誤解があります。竹島= 独島を日本から切り離したSCAPIN 677指令は下記の資料から明らかなように韓 国にも有効でした。   その経緯ですが、日本の降伏後、韓国はアメリカ占領軍すなわちマッカー サーの統治下におかれました。したがって、連合軍のSCAPINで韓国に関係する 司令はもちろん韓国もしたがう義務がありました。アメリカ占領軍の声明文に こう書かれました(注1)。        --------------------         朝鮮駐留米軍司令官声明文  朝鮮人民諸君  余は、マッカーサー太平洋方面米国陸軍総司令官および連合側総司令官に代 り、本日、南朝鮮における日本軍の降伏を受理せり。  朝鮮における米国軍司令官として、余はここにその降伏条件を実施する。余 はここに、法律と秩序を維持すると共に、諸君の経済を高揚し、その生命財産 を保護し、国際法に依る占領軍の義務を遂行する。  余の支配下にある諸君も同様に履行すべき義務を持つ。余の指揮下にある諸 君は、連合国総司令官の命令並びに、その指揮下に発する余の諸命令に厳格に 服さねばならぬ。  諸君は平和を維持し、かつ、律儀にして、正しき人たるの行動をせよ。 (以下省略) 1945年9月9日                       朝鮮駐留米軍司令官                       ジョン・R・ホッヂ        --------------------   これから明らかなように、朝鮮駐留米軍(通称、米軍政庁)は連合国総司 令の指揮下におかれたので、その命令であるSCAPINは韓国にももちろん有効な 国際的取り決めでした。   Torazo_xxxは、せめて「最も重要な点」は確認してから書き込むようにし てください。また、そうした確認作業は他人にたよらず、みずから行ってくだ さい。   ついでに、在韓日本人の財産接収が話題になっていましたのであえて脇道 にそれて記しますが、財産接収を行ったのは米軍政庁です。これに関し、韓国 は次のように主張しました(注2)。  「日本の朝鮮領有を不法であったというふうに初めから前提をいたしており まして、かかる不法な領有の上に蓄積された日本の財産は、ことごとく非合法 的性質を帯びたものである。従って米軍政庁法令第33号(中略)及び米韓協 定によって一切韓国のものと、この財産はされたのである」   結局、日本政府は米軍政庁接収の財産にたいする補償を放棄して日韓条約 を締結しました。 (注1)統一朝鮮新聞社『統一朝鮮年鑑』1965 (注2)高崎宗司『日韓会談』1996


国際法の限界 ヤフー掲示板 > 地域情報 > 世界の国と地域 > 大韓民国:竹島問題を考える メッセージ: 1563  http://www.yahoo.co.jp 2001年2月11日   半月城です。私が#1433で書いた下記の文は、読む人により評価が分 かれるようです。  <紛争の数でいえば、45年から89年まで273回の戦争(紛争)があり、 その後の90年代は(3)と(4)の紛争形態が「著しく増大」したとあるので、戦 後の国際紛争「5百数十件」という数字はまずは妥当ではないかと思われます>   まず、竹島=独島問題で私とは基本的な見解が異なると思われる japan_goblinさんは「まったくその通り」と賛意を示しました。   一方、Torazo_xxxさんは、国際紛争が増大傾向にある背景など眼中になく、 鬼の首でもとったかのようにこう書きました。  <これは、もはや「うろおぼえ」どころか「あて推量」或いは「願望」の世 界ですね。まさしく「牽強付会」という言葉がふさわしいでしょう>   私はこのような感情的発言をふつうは無視するのですが、今回は親切心を 発揮してTorazo_xxxさんおよび自称ROMの方々に下記の資料を紹介しますの で、詳細については論戦相手をわざらわせず、ご自身であたってください。   浦野起央『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000)   この本は国家間のみならず、各国内の紛争も取りあげていますが、それに よると紛争は90年以降たしかに増えつつあり、年間200件内外あります。   そのなかで国際紛争はどれくらいあるのか、数えるのが億劫になるくらい 多いのですが、ともかく戦後「5百数十件」という数字が妥当なのはたしかで す。   どうしても「5百数十件」という数字を私の「願望」と固く信じて疑わな い人はどうか数えてみてください。同時に「45年から89年まで273回の 戦争」という百科事典の記述が正しいのかどうかを検証するのもヒマがあれば 一興です。   その結果、「半月城さんの主張の誤謬をただす、格好の題材」となるのか どうか、報告を楽しみに待っています。   さて、「5百数十件」という国際紛争のうち、一体どれだけの件数が国際 司法裁判所で解決されたでしょうか? 領土紛争が18件解決されたようです が、国際司法裁判所の役割は領土紛争の解決のみならず、紛争全般の解決が本 来期待されてしかるべきです。   それらの期待にどれだけ応えられるのか知ってか知らずか、Torazo_xxxさ んは領土紛争の「三分の一」が国際司法裁判所で解決されたとして、下記のよ うに国際司法裁判所の役割を高く評価しました。しかし、その論法は疑問です。   RE:1439,Torazo_xxxさん        -------------------- 領土紛争に関して比較するならばこうなります。 ・1433番によれば領土紛争が52件 ・裁判で解決した紛争が18件(仲裁裁判6件、司法裁判12件)1094番参照  (判決が1989年以降のものでも、紛争が起きた時期を基準として参入しました)  要は、領土・領域紛争の「三分の一」が裁判手続によって解決されているわ けです。        --------------------   私が #1433で紹介した領土をめぐる戦争の52件は、そのとき書いたよう に45年から89年までの件数で古いデーターです。もし、今日における国際 司法裁判所の役割を正しく評価したいのなら、89年以降の紛争件数もぜひ織 りこむべきではないでしょうか。   ちなみに、これはかならずしも全部が領土紛争といえないかもしれません が「帰属」をめぐる紛争は、上記の資料によれば90年から96年までの7年 間だけで27件ありました。これに97年以降の分も加えれば、Torazo_xxxさ んのいう分母はもっと大きくなり、とても解決率「三分の一」には達しないの ではないでしょうか? 最新のデーターを加味しないと、ときにはあべこべの 結論すら招きかねません。   そもそも領土紛争が裁判で「三分の一」も解決されるなんて、ちょっと考 えられない数字ではないでしょうか。net_browneyさんもそのような考えのよ うに見受けられます。   RE:1437,net_browneyさん        -------------------- 確かに国際紛争には第三者の調停などそんなに力はありません。 すでに100年に渡りイギリスとアルゼンチンの間で係争地となっている。 フークランド・マクベス諸島など良い例でしょう。 また。韓国には韓国の主張があるのは理解できます。 だからと言って現在の世界の採決を否定するのはどうでしょう。        --------------------   フォークランドのように植民地がらみの国際紛争となると、国際司法裁判 所や国連安保理に解決を望むのはしょせん無理な相談になります。両者におい ては古い狼どもの国際法ががぜん力を発揮するなど、帝国主義時代の亡霊がよ みがえるからです。   こう書くと読解力が不足している人からは、私は国際法をすべて否定して いると誤解されそうです。その点、crazyOWL123 さんはきちんと理解されてお られるようですが、私は力による侵略を禁止し道義的な正当性を織りこんだ現 代の国際法を否定するつもりはなく、逆にそうした「最新の国際法の精神」で 紛争を解決すべきだと考えています。   その精神を基本に、各国は帝国主義時代の弱肉強食式国際法をすみやかに 清算すべきだと考えています。   一例として、インドによるポルトガル領ゴアの接収(1961)をとりあげます。 これは「既存の国際法に従うなら、これを肯定しうる論拠はどこにもない」と されています。それはポルトガルのゴア領有が、たとえ道義的に不当で今日の 国際法の基準では不法なものであっても、当時の狼どもの国際法にはかなうも のであり、法の不可遡及からそれを現時点では不法と認定できないからです。   それにもかかわらず、インドの行為は「反植民地主義の直接行動として新 興国から広く支持された」ようでした。その結果、インドの国際法上における 違法行為が道義的には正当な行為と評価され、国際世論を味方にしたようでし た(注1)。   これは、ポルトガルが衰退した帝国だったからこそ可能だったと思われま す。たいするにフォークランドの場合、イギリスは落日とはいえ安保理の常任 理事国で国際的に力があるだけに、アルゼンチンは国際世論を味方にできなか ったようでした。また、国際機関も帝国主義時代の残渣の前では無力です。   この例から明らかなように、国際法はこと領土問題に関する限り、大国の 栄光や利益を温存し、帝国主義時代の慣行を引きずっているため、新興国の立 場からすると、ときには道義に反したものになりがちで「固有領土」の主張は 無視されがちです。   ここでふと思いだしたのですが、私はTorazo_xxxさんに、あなたがもつ国 際法の教科書では「固有領土」の主張を重要視していますかと質問したのです が、1カ月以上たっても回答がないようです。ま、回答がなくても私は「黙視 の同意」などと身勝手なことは申しません。   さて、インドにもどりますが、私はしばしば書いたように帝国主義国家の 侵略や、古い弱肉強食式国際法を非難するものであり、インドの場合はもちろ んインドを支持します。それに反し、法匪はおそらく反対にインドの行為を非 難することでしょう。ここに決定的な見解の相違があります。   その見解の相違が竹島=独島問題に直結しているようです。古い狼どもの 弱肉強食式国際法でいえば、日露戦争当時の日本による竹島=独島の軍事占領 (1905)は合法的だったといえます。しかし、それは道義的に不当なものであっ たためか、結局、竹島=独島は連合軍のSCAPIN 677で日本から切り離される形 で仮清算がされました。   仮清算とはいうものの、その後はこれを補強する指令(SCAPIN 1033)はあ っても、逆にそれを明らかに否定したり覆したりするような国際的な取り決め がまったくありませんでした。   もちろん、国務次官補(ラスク)から韓国大使への書簡などは国際的な取 り決めではないので、国際的に効力を発揮しないことはいうまでもありません。   さらに、サンフランシスコ講和条約や日韓条約においてすら竹島=独島は 一言半句の記述もありませんでした。その結果、竹島=独島に関するかぎり SCAPIN 677は有効なまま残り、最終的に韓国政府に引き継がれました。 (注1)梶村秀樹『朝鮮史と日本人』明石書店、1992 (半月城通信)http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/


明治政府の内探書 ヤフー掲示板 > 地域情報 > 世界の国と地域 > 大韓民国:竹島問題を考える メッセージ: 1566  http://www.yahoo.co.jp   半月城です。RE:[zainichi:18385] >> 「たとえ島名の混乱があったにせよ、重要なのは当時の日本政府の認識です。 >>当時の明治政府は、隠岐の沖合には松島、竹島の二島があり、そのいずれもが >>朝鮮領だという認識をもっていたという事実です。つまり、隠岐の沖合に日本 >>領の島はないという結論を出していたことです」 > >これの、原典をもしご存知でしたらお教えください。   この原典は「朝鮮国交際始末内探書」および太政官指令です。後者は Yahoo!掲示板に書きましたので、後ほど転載します。  「朝鮮国交際始末内探書」は、外務省高官の佐田や森山が1869年(明治2 年)に朝鮮の内情を調査したときの報告書ですが、その小見出しに「竹島・松 島、朝鮮付属に相成(あいな)り候(そうろう)始末」とあります。その読み くだし文は下記のとおりです(注1)。        --------------------   竹島と松島が朝鮮に属している顛末   この件は、松島は竹島の隣島で、松島の件についてはいままで掲載された 文書もない。竹島の件に対しては、元禄年度後しばらくの間、朝鮮から居留の ため人を派遣したことがある。当時は以前と同じ無人島であった。竹木また竹 をはじめとして、大きな葭(あし)が繁茂し、人参などがとれる。それ以外、 漁産に適しているとのことである。・・・        --------------------   この報告書は外務省から太政官に提出されたので、その後の明治政府の竹 島および松島放棄政策に重要な影響をおよぼしたようでした。 (注1)愼ヨンハ『独島(竹島)』インター出版(TEL075-212-6559)1997 (半月城通信)http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/


カイロ宣言と竹島=独島 ヤフー掲示板 > 地域情報 > 世界の国と地域 > 大韓民国:竹島問題を考える メッセージ: 1612  http://www.yahoo.co.jp 2001年2月18日   半月城です。MOTER_MAN2さん、お待たせしました。RE:1576 >竹島は、SAPIN-677で示す通り、日本主権は停止しましたが、朝鮮本土のよ >うに、放棄はしていないはずですが。   そのとおりです。私も#1064で書きましたが、竹島=独島を日本から切り 離した連合軍指令SCAPIN 677(1946)は、第6号にあるように諸小島の最終的決 定に関する連合国の政策を示すものではなく暫定的な指令です。   したがって、日本は SCAPIN 677にひるむことなく、竹島=独島に固執し ているのは周知のとおりです。そもそも竹島=独島を軍事占領し、40年間も 「実効支配」した日本が、そう簡単に竹島=独島をあきらめきれるものではな いという心情はよく理解できます。   RE:1576, >寅三さんは、1068、1104、1105によって、占領当事者の米国と、韓国の外交 >文書によって、韓国に竹島の主権が委譲された事実とする1064の内容が事実 >上否定されていますが、それに対する反駁が、軍政の当事者である米国に否 >定されたとする寅三さんの資料に言及されていないように思いますが・・・   それらの書簡や外交文書を MOTER_MAN2さんも重視されてるようですが、 それらの文書の性格を掘りさげて考える必要があります。それらは、つきつめ ていうと単にアメリカ一国の考えを明らかにする資料であり、連合軍の指令で はありません。   つまり国際的な拘束力をもたないので、国際法に関するかぎり言及する価 値のないものです。さらに、それらアメリカ一国の見解でサンフランシスコ講 和条約の解釈が定まるものでないこともいうまでもありません。   日本人の多くはGHQ=米国と考えているようなので、アメリカの政策と 連合軍の指令を混同しがちです。ここに事大主義的な誤りがあります。   あらためて書くと、GHQとは General Headquarters の略で総司令部の 意味ですすが、第2次大戦後、連合国最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers,略称 SCAP)の総司令部をさして用いられました。   日本や韓国にたいする占領管理の最高機関であるGHQは,1945年12月モ スクワ協定で決定されワシントンに置かれた日本管理の政策決定機関である極 東委員会の指令を受け,また最高司令官の諮問機関として東京に置かれた対日 理事会の勧告を受け日本の占領実施にあたりました。   このように、GHQは米・英・ソなど11か国(後に13か国)からなる 極東委員会の指令を受ける形式になっているからこそ、GHQ指令 SCAPINは 国際的な拘束力や権限をもつのです。   もちろん、極東委員会のなかでアメリカの果たす役割は大きいので、アメ リカが何を考え何をしようとしているのかは重要ですが、アメリカ政府機関の 単独名義では国際的な拘束力をもちません。いってみれば、強制執行力のない 「狐」にすぎません。それが SCAPINという「虎」が登場してはじめて国際的 に有効になるのです。   結論として、竹島=独島に関するかぎり、アメリカ一国の考えや書簡がど うであれ、国際的に有効なのは SCAPIN 677,1033のみです。その後も竹島=独 島や北方のハボマイ・シコタンに関するかぎり、SCAPIN 677に言及あるいはそ れを変更した条約などなく、韓国やロシアが SCAPIN 677を根拠にそれらの島 を今でも「実効支配」しているのは周知のとおりです。   なお、ハボマイ・シコタンは将来の日ソ平和条約締結時に日本に返還され ることにいったん合意を見たのはすでに記したとおりです。すなわち将来は SCAPIN 677の変更が予定されていますが、現状はまだ生きつづけています。   この合意に達したのは、日ソ共同宣言当時のソ連がハボマイ・シコタンは 日本の「固有領土」であるということを政治的に配慮したからにほかなりませ ん。けっして国際法上の配慮でないことは明らかです。というのも、そもそも 日本政府は国際法違反を主張していないのですから。   そういえば、国際法における「固有領土の記述」に関し、いまだに寅三さ んからまったく回答がないようです。それが枝葉末節ならともかく、寅三さん の書き込みでは重要な要素だったような気がします。寅三さんの口癖は「仮借 ない議論」でしたか、それはどこへいってしまったのでしょうか?   固有領土に関していえば、ハボマイ・シコタンはともかく、竹島=独島の 場合、日本の外務省がいうように、はたして日本の「固有領土」といえるでし ょうか? 私は #1566で下記のように記しましたが、1週間以上たっても誰か らもなんの反論もないようです。  「たとえ島名の混乱があったにせよ、重要なのは当時の日本政府の認識です。 当時の明治政府は、隠岐の沖合には松島、竹島の二島があり、そのいずれもが 朝鮮領だという認識をもっていたという事実です。つまり、隠岐の沖合に日本 領の島はないという結論を出していたことです」   日本政府は、明治初期に領有意識がなかった竹島=独島を、それでもがむ しゃらに「固有領土」と主張しないことには、竹島=独島領有の根拠が根底か らくずれかねません。それというのも、カイロ宣言(1943.11.27)にこう記され ているからです(日立デジタル平凡社『世界大百科事典』1998)。  「領土については,第1次大戦開始以降日本が奪取,占領した太平洋のすべ ての島は取りあげられ,満州,台湾,澎湖島のような中国より奪取した領土は 中国に返還され,その他日本が暴力と強欲によって略取した地域においても日 本は駆逐される」   このカイロ宣言の条項は履行されるべきであるとポツダム宣言に規定され ているので、日本はもちろんこれを守る義務があります。したがって、もし竹 島=独島が日本の固有領土でなく、日露戦争時に軍事占領すなわち暴力で略取 した地域ということになれば、日本は両宣言にしたがい竹島=独島を放棄せざ るをえません。   こう考えると、日露戦争以前に日本政府が竹島=独島に領有意識をもって いたのかどうかも国際法上で重要な争点になりそうです。そこで問題になるの が竹島=独島放棄を決定した太政官指令ですが、これは稿を改めて書きます。 (半月城通信)http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/


日本の竹島=独島放棄 ヤフー掲示板 > 地域情報 > 世界の国と地域 > 大韓民国:竹島問題を考える メッセージ: 1614  http://www.yahoo.co.jp 2001年2月18日   半月城です。#1508で titleist_userさんが紹介された国立公文書館の資 料はカイロ宣言にも関係する貴重書類であると思われます。   それらは、タイトル「日本海内竹島外一島ヲ版図外トス」からも想像され るように、隠岐の沖合に日本の領土はないという初期明治政府の認識を示す重 要資料といえます。   この資料については、内藤氏などの学術書(注1)以外ではほとんど無視 されていますが、反面、韓国ではくわしく研究されています。その成果は愼教 授の著書に詳述されています(注2)。   たとえば資料「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」(1887)は、その原文の コピーとともに読みくだし文が下記のように紹介されています。        --------------------    日本海内竹島外一島の地籍編纂に対する伺書  竹島所轄(しょかつ)の件に対して島根県から別紙の稟議書が回ってきて調 査したところ、該島の件は、元禄5年朝鮮人(安龍福、著者)が入島して以来、 別紙書類に抜き書きしたように、元禄9年正月の第1号の旧政府の評議の主旨 によると、第2号訳官に与えた達書(たっしがき、通達)、第3号該国から来 た公簡、第4号本邦回答及び口上書などと同じであり、すなわち元禄12年に なって双方からの書状の交換が終了し、本邦は関係ないと聞いていますが、版 図の取捨は重大案件である故、別紙の書類を添付し、指示をお伺いします。  明治10年3月17日                内務卿  大久保利通代理                内務少輔 前島密  右大臣 岩倉具視殿        --------------------   念のために書くと、ここでいう竹島とは現在の鬱陵島であり、外(ほか) 一島と書かれている島は竹島=独島と考えられます。その根拠を愼教授はこう 記しました(注2)。  「日本内務省は、この稟議書において、鬱陵島は名前を挙げて、独島につい ては“以外の一島(外一島)”と竹島の付属島として名前を記さず取り扱い、 稟議書に添付した別紙の書類で“外一島”を説明し、“他に一つの島があるが、 松島と呼ぶ。広さは30町歩程であり、竹島と同一線上にある”とし、他の一 島が松島であることを明らかにしている」   この松島が現在の竹島=独島であることは付属書類・略図から明らかなよ うです。この認識は島根県の稟議書にもとづいているだけに、位置関係や島名 について混乱はないようで、外一島が竹島=独島であることは疑いの余地がな いと思われます。日本の学者でも内藤氏や堀氏が同様の見方をしています(注 3)。   この伺い書に対して、岩倉具視はそれを承認する指令を稟議にかけました。 その文書(注4)の読み下し文は下記のとおりです(注2)。        -------------------- 明治10年3月20日 大臣 岩倉具視の印  別紙内務省稟議の日本海内竹島外一島地籍編纂の件  右の件は元禄5年朝鮮人(安龍福、著者)が入島以来、旧政府と該国(朝鮮、 著者)との往復の結果、本邦とは関係なしと聞き、申し立ての稟議の趣旨を聞 き、次のような指令を作成し、この件に稟議する。  指令案  稟議書趣旨の竹島外一島の件に対して、本邦は関係なしと心得るものなり。        --------------------   この稟議は寺島宗則や大木喬らも判を押し決裁されました。1887年、内務 省はその指令を受けて、最初に太政官に提出した上記伺い書の最終部分に「伺 い書趣旨の竹島外一島の件は日本と関係ないと心得たり」(伺之趣 竹島外一 島之儀 本邦関係無之儀ト可相心得事)明治10年3月29日」と添付しまし た。   この資料が、日付から考えてtitleist_userさんが紹介した資料「日本海 内竹島外一島ヲ版図外トス」ではないかと思われます。内務省はこの指令を同 年4月9日付で島根県に通達し、竹島外一島の件は完全に落着しました。   このように、日本政府も島根県も竹島(鬱陵島)および松島(竹島=独 島)は、元禄時代における朝鮮との交渉の結果から判断して、日本の領土では ないと明確な結論をくだし、さらにそれらの島は朝鮮領であると暗示しました。   この認識が、日本による竹島=独島軍事占領のころまで続いたのは、すで に#410に記したとおりです。   こうしてみると結局、竹島=独島は日本の固有領土ではなく、カイロ宣言 にいう「暴力により略取した地域」に相当するのではないかと思われます。 (注1)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000 (注2)愼ヨンハ『独島(竹島)』インター出版(TEL075-212-6559)1997 (注3)堀和生「1905年日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』24号, 1987 (注4)別紙内務省伺 日本海内竹嶋外一嶋地籍編纂之件   右ハ元禄五年 朝鮮人入嶋以来 旧政府該国ト往復之末 遂ニ本邦関係無之   相聞候段申立候上ハ 伺之趣御聞置左之通御指令相成可然哉 此段相伺候也     御指令按   伺之趣竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事 (半月城通信)http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/


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