半月城通信
No. 77

[ トップ画面 ]


  1. 地方「参政権」と嫁さん一家
  2. 排外主義と市民権
  3. 日本国籍の剥奪
  4. フジモリ氏の国籍
  5. 外国人の地方選挙権と重国籍
  6. 竹島(独島)関連番組
  7. 「外一島」とはどこか
  8. 竹島(独島)関連の新刊書
  9. 竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史
  10. 議論とディベート
  11. 竹島=独島と国際法
  12. 宋神道訴訟の高裁判決


排外主義と市民権 [zainichi:17296] Date: Fri, 10 Nov 2000 22:07:00 +0900   チッペルレさん、こんばんは。RE:[zainichi:17269] >「国籍付与」して2年間の「お試し期間」の後にどちらかを選んでもらう、 >という(法務省の?)案は面白いですね。2年間はちょっと短いかな? >という感じもしますが、それならばあまり抵抗なく「選べる」とも思います。   こんな案も法務省は検討していたとは意外でした。しかし、この案は実現 の可能性はあまりないかなと思います。反対派はおそらく「お試し期間」の 「危険性」を危惧することでしょう。   たとえば、その期間中に日本国民として外交官になったり防衛官僚になっ た二重国籍者が、期間後に日本国籍を放棄したらどんなリアクションがあるで しょうか。おそらく、国家機密漏洩の調査とかいいだす人がでてくるのではな いかと思われます。   また、それをさける方策として「お試し期間」に何らかの制限をつけるよ うな姑息なことをしたら、猛反発の声がでるのは目に見えています。ほかにも、 度量の狭い反対理由はいろいろありそうです。   そもそも、日本に「お試し期間」をみとめるだけの度量があるのなら、と っくに定住外国人の地方自治選挙権は実現していただろうと思われます。   さて、チッペルレさんの投稿は5つも採用されたとのことですが、私の3 番目の投稿も採用されました。そこには下記のように、すこしきつい追求の文 言を散りばめたのでカットされるかなと懸念したのですが、すんなり通ったよ うです。        -------------------- 朝日新聞社、 e-デモクラシー採用分 http://www.asahi.com/e-demo/ 微々たる存在、すこし誇張しているのでは(11.5) 荒木和博氏へ  国政と地方「政治」との間には厳然たる段差があり、地方の、国政への関与 は微々たるものです。沖縄の米軍用地特措法にみられるように、時の政府が 「国益」に反すると考えたときは、地方の決定や条例を簡単に吹き飛ばせるよ うな法律をいつでも制定することが可能です。このように、日本では米国や連 邦国家の地方政治に比肩できるような地方政治は存在しません。せいぜいのと ころ3割「自治」です。微々たる存在をすこし誇張されているのではないでし ょうか。 無意識の排外主義の表れでは(11.7) 荒木和博氏へ  地方自治という孫悟空がいくら暴れ回っても、しょせんはお釈迦様の掌中で あるように、地方の決定や条例は国の法律を一歩も超えられません。そのよう に国政は強固な砦であるにもかかわらず、「地方が国政に影響を与える」とい う針小棒大的な論理で外国人の住民としての権利を制限するのは、血統主義に 由来する無意識の排外主義の表れではないでしょうか。(半月城)        --------------------   この一撃に対し、帰化先決主義の荒木氏がどう書いてくるのか楽しみです。 その荒木氏も議論をとおして、帰化以外にも出生地主義に薄目を開きだしたの は収穫でした。さらに出生地主義をもう一押ししたいところです。 >オーストリアも1999年の国籍法改正で、部分的に生地主義を取り入れ >ましたが、日本も早く血統主義を改めて、 >生地主義で「市民権」という考えになって欲しいですね。  「市民権」というアイデアはすばらしいですね。下記の文章で日本国籍を 「市民権」と置きかえたら、私自身、引っかかっていたものがきれいさっぱり 解消されました。  「日本は在日4世であれ5世であれ、日本国籍を付与せず異邦人にしてしま い、住民としての権利である地方自治選挙権に難色を示しているのが現状で す」   日本で市民権と国籍は事実上同義語なのでしょうが、うえの文で日本国籍 を市民権と置きかえることにより「国民国家」の呪縛から解放されそうな気が します。具体的にいうと、市民の参政権を規定した世界人権規約とうまくマッ チする一方で、日本国籍取得=同化といううさんくささや周囲の疑惑がなくな りそうです。今後、このアイデアを積極的に借用することにします。   以前、このメーリングリストで金氏でしたか、たしか市民権の解説をされ ていたような気がしましたが、このあたりの学術的な解説を再度お願いできな いでしょうか。   チッペルレさんは誤解されてるようですが、私に欠けているのが「学術 的」な奥行きです。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


日本国籍の剥奪 [zainichi:17444] Date: Wed, 22 Nov 2000 22:06:20 +0900   チッペルレさん、公民権の情報をいろいろありがとうございます。   RE:[zainichi:17411] >国民を国籍所有者と規定しているのは国籍法です。 >また、国籍法には「戸籍」という言葉は書かれていません。 >国民(国籍所有者)を「戸籍所有者」と規定しているのはどの法律で >しょうね?   国籍所有者と戸籍保有者とは直接関係ないのかもしれません。戸籍法25 条で「外国人に関する届出は、届出人の所在地でこれをしなければならない」 と外国人の届け出を暗示しているので、外国人でも養子などは戸籍に記載され、 戸籍保有者になるようです。 >いずれにしろ、憲法は変えなくても、国籍法の改正だけで「国民」の >概念は変えられると思います。   そのとおりですが、過去、日本は国籍法を改正せず国民の範囲を変更した ことがありました。日本の旧植民地出身の在日朝鮮人・台湾人の国籍です。サ ンフランシスコ条約発効にともない、日本国籍が一方的に剥奪されました。こ の措置は民事局通達でなされました。   このように法律によらず日本国民の範囲を決めたことは、チッペルレさん が書かれた日本国憲法10条「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」に 抵触すると思われます。   日本政府は当初、旧植民地人の国籍は本人の選択方式を考えていたようで すが、それを日本国籍剥奪に方針を変更した経緯はかならずしも明らかではな いようです。しかし、これは排外主義からなされた決定だということだけは確 かなようです。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


RE:フジモリ氏の国籍 [aml 19940] Date: Fri, 24 Nov 2000 23:15:04 +0900   RE:[aml 19930] > 出生登録が日本領事館でなされたとしたら、「出生からしてペルー人」という要件 >と齟齬を来すようにも思われます。どなたかこういう問題に詳しいかたがおられたら、 >ぜひお知恵を拝借できれば助かります。   半月城です。私は専門家ではありませんが、出生地主義にこだわる私はフ ジモリ氏の国籍にすこし関心をもっています。私は、フジモリ氏は二重国籍を もっているのではないかと推定しています。   まず、フジモリ氏は出生地主義の国、ペルーで生まれたので、自動的にペ ルー国籍が付与されたと思われます。これはかれがほかの国籍を同時にもとう が一切関係ありません。それが出生地主義です。   つぎに日本国籍ですが、日本政府はプライバシーを理由に明らかにしよう としませんが、もし、毎日新聞11月21日が伝えるように「私は日本人移民 の子であり、生まれた時に日本領事館で登録された。」というフジモリ氏の申 したてが本当なら、かれは日本国籍も有していると思われます。   さて、現在の国籍法では文末のように22才になった時点で、二重国籍者 は日本国籍か外国籍か選択する建前で二重国籍を認めていませんが、フジモリ 氏が生まれた当時の旧国籍法(1889年公布)にはこのような規定はなかったと 思われます。   それどころか、現行の国籍法でも1952年ころは国籍の選択制度はありませ んでした。そのころは二重国籍に寛大だったようで、次のように国籍離脱がゆ るやかに規定されていました。 第8条  日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍 を失う。 第9条  外国で生まれたことによってその国の国籍を取得した日本国民は、戸籍法の 定めるところにより日本の国籍を留保する意志を表示しなければ、その出生の 時にさかのぼって日本の国籍を失う。   フジモリ氏の出生当時にも第9条のような留保制度があったのかどうかは 調べないとわかりませんが、たとえあったとしても出生届を日本領事館にわざ わざだしたくらいなので、そのときに日本籍を留保していたとみてまちがいな いと思われます。したがって、フジモリ氏がみずから日本国籍を離脱した事実 がないかぎり、日本国籍は継続していたことになります。   なお、現行の国籍法で関係ありそうな条文は下記のとおりですが、これら の新しい規定はフジモリ氏の日本国籍剥奪や自動喪失には適用できないと思わ れます。どなたか旧国籍法での確認をお願いします。        現行の国籍法、http://www.houko.com 第14条(国籍の選択)外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍 を有することとなつた時が20歳に達する以前であるときは22歳に達するま でに、その時が20歳に達した後であるときはその時から2年以内に、いず れかの国籍を選択しなければならない。 2 日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法 の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄す る旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。 第15条 法務大臣は、外国の国籍を有する日本国民で前条第1項に定める期 限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択 をすべきことを催告することができる。 2 前項に規定する催告は、これを受けるべき者の所在を知ることができな いときその他書面によつてすることができないやむを得ない事情があると きは、催告すべき事項を官報に掲載してすることができる。この場合にお ける催告は、官報に掲載された日の翌日に到達したものとみなす。 3 前2項の規定による催告を受けた者は、催告を受けた日から1月以内に 日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失 う。ただし、その者が天災その他その責めに帰することができない事由に よつてその期間内に日本の国籍の選択をすることができない場合におい て、その選択をすることができるに至つた時から2週間以内にこれをした ときは、この限りでない。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


文書名:外国人の地方選挙権と重国籍 [zainichi:17529] Date: Sat, 2 Dec 2000 22:30:59 +0900   半月城です。やっと李在一さんの懸念がある程度わかるようになりました。   RE:17843 >血統主義を採用している日本国の「帰化」において、出生地主義の >理念が動機のひとつとしてカウントされるとしたら、それは絶対に >相容れぬ血統主義と出生地主義の理念が混同されているといったま >ちがいに他ありません。   たしかに、櫻井よしこ氏などは国民「固有」の権利にこだわるあまり、帰 化の簡易化であれ、出生地主義の採用であれ日本国籍をもつ者のみの地方「参 政権」をゆずらず、いわば日本への同化を前提にしたような議論を展開してい ますので、李在一さんの懸念もある程度理解できます。   私は、帰化制度の簡易化は日本の少子高齢化社会の行く末などともからみ、 日本の多文化社会のありかたを見通した国家政策レベルで決定されるべきもの であり、定住外国人の地方選挙権の問題とは次元がちがうと考えています。   おまけに、九州産業大の近藤氏によれば下記のように「単一国籍原則を前 提とした帰化要件の緩和は、永住外国人の地方選挙権に代わる代案としての実 効性は乏しいことも欧米の経験が物語っている」とのことなので、帰化の緩和 は地方選挙権と切り離して議論されるべきだと思います。   実際のところ帰化条件の垣根を低くしても、日本で地方選挙権目当てに帰 化する人はあまりいないと思われるので、帰化要件の緩和はなんら問題の解決 にはならないと思います。もちろん、私自身そのような帰化をするつもりは毛 頭ありません。   つぎに血統主義と出生地主義の関係ですが、出生地主義のほうはもともと 二重国籍を容認するものなので血統主義を包容する寛容な制度ではないかと思 われます。そうした事情や世界の潮流について、近藤氏が注目すべき論文を書 いていますので、それを紹介します(注1)。        --------------------  (外国人の地方選挙権をめぐる立法政策上の論点の)第三に、国籍取得を容 易にする対案もある。この場合、「政治に参加するには、国籍の取得が必要 だ」という主張のために、アメリカの例を出すことが多い(注2)。   ただし、アメリカのような生地主義の国では、二重国籍に寛容であり、二 世は出生とともに国籍を取得している事実を考慮しないと、この問題の全体像 を見誤ることになる。二世・三世の外国人が政治参加から排除され続ける民主 主義の欠乏はアメリカにはない。   また、外国籍をもつ者が政治に参加すべきではないという者は、アメリカ では選挙権を行使している国民の中には、外国籍を保持している二重国籍者も 多い事実に留意すべきである。   もともと、外国人の地方参政権は、血統主義のヨーロッパ大陸で二重国籍 に寛容でない場合の政策課題になることが多かった。   1990年代になって、欧州諸国も二重国籍を認める潮流を強めており、 欧州評議会による1997年のヨーロッパ国籍条約15条は、かって国際法の 理想とされた重国籍回避原則を否定し、同14条は生来の重国籍者の選択制度 を禁止する。   反対派の誰ひとりとして重国籍の容認に言及しておらず、単一国籍原則を 前提とした帰化要件の緩和は、永住外国人の地方選挙権に代わる代案としての 実効性は乏しいことも欧米の経験が物語っている。        --------------------   90年代になって、ヨーロッパはグローバルな視点を一段と強めたようで す。その一端として、重国籍の容認が潮流になりつつことはチッペルレさんの 書き込みからうかがい知ることができました。 (注1)近藤敦「永住外国人の地方選挙権をめぐる最近の論点」『法学セミ  ナー』2000.12 (注2)櫻井よしこ『日本の危機2、解決への助走』新潮社,2000   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


竹島(独島)関連番組 Yahoo!掲示板 ホーム>地域情報>世界の国と地域>大韓民国>竹島問題を考える。 投稿者: hangetsu_joh 2000年10月28日 午後 4時53分 メッセージ: 929 / 932   かっての常連だった半月城です。   最近の、主題からかけ離れた極端な舌戦は目にあまるものがあり、私もこ この掲示板に竹島(独島)問題を書き込んでいいものやらどうやら迷うほどで す。ま、あえて一石を投じるつもりで投稿します。   竹島(独島)に関心をもつものとしては、見逃せない番組がありました。 さる10月7日、スカイパーフェクTVのKNTV局番組で「朝鮮王朝実録ー 朝鮮時代、独島の守護人・安龍福」と題して竹島(独島)問題が放映されまし た。韓国ではKBS局で9月30日に放映されたようです。   この番組をみて、なぜ、一漁師である安龍福が官吏を装ってまで日本へ鬱 陵島、于山島(竹島=独島)は朝鮮領であると抗議するにいたったのか、その 背景がある程度理解できました。   安は、釜山にあった倭館近くの出身で日本語を話せるなど、もともと日本 との縁は深かったようでした。   番組は安を拉致したことに始まるいわゆる「竹島一件」にふれ、対馬藩の 陰謀や朝鮮王朝の対応などをドラマ風に描き、江戸幕府は竹島(鬱陵島)を放 棄したことを紹介しました。   ついで日本側の領有権主張にも簡単に反論し、明治政府が竹島(鬱陵島) 外一島(竹島=独島)を放棄したことなども紹介しました。   そうした大筋に異論はないのですが、ただ、安の証言の扱いにはすこし疑 問が残る番組でした。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


「外一島」とはどこか Yahoo!掲示板 ホーム>地域情報>世界の国と地域>大韓民国>竹島問題を考える。 投稿者: hangetsu_joh 2000年10月29日 午後 5時40分 メッセージ: 933 / 944   明治政府が放棄した「外一島」については、すでに#508(竹島「外一 島」とは)で議論ずみですが、Kunitakaさんはまだ疑問をおもちですか?   そこに書いたように、「外一島」が松島であることは日本政府の公文書に 明記されており、それが現在の竹島(独島)であることは疑問の余地がありま せん。今回は誰でも納得できるように、もうすこし詳細に書くことにします。   1876年、日本の内務省地理寮が地籍を編纂するために、島根県に同県 の沖にある竹島(鬱陵島)なる島の情報を照会しました。その一連の処理が下 記のようになされましたが、その過程で「外一島」が松島(竹島=独島)であ ることが明確にされました(注1)。        --------------------   島根県当局は、17世紀の大谷・村川両家による竹島=鬱陵島開拓の経緯 を取調べ、竹島と松島=独島の略図を付し、「日本海内竹島外一島 地籍編纂 方伺」として内務省に提出した。つまり、島根県当局は、松島を竹島の属島と して理解していたため一括して取扱ったのであった。   内務省は、独自に元禄期の「竹島一件」の記録を調べ、島根県の「伺」の 情報と合わせ検討したうえで、この両島は朝鮮領であり、日本のものではない と結論をだした。   しかし、「版図ノ取捨ハ重大之事件」であるため、同省は翌77年3月1 7日太政官に「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を提出して、その判断をあ おいだ。附属書類中で「外一島」とは松島であると明記され、その位置と形状 も正しく記述されていた。   太政官調査局の審査では内務省の見解が認められ、次のような文章が起草 された。  <この文章は(注2)に移します>   この指令按は、右大臣岩倉具視、参議大隈重信、寺島宗則、大木喬任によ って承認された。そして、同年3月29日正式に内務省に指令された。   即ち、当時の日本の最高国家機関たる太政官は、島根県と内務省が上申し てきた竹島=鬱陵島と松島=独島をセットにする理解に基づいて、両島を日本 領に非ずと公的に宣言したのであった。この指令は4月9日付で内務省から島 根県に伝えられ、現地でもこの問題に決着がつけられた。        --------------------   Kunitakaさんは、下記(注1)の文献はすでにお読みですか? これは竹 島(独島)問題に関心をもつ者の必読文献です。   なお安龍福のビデオですが、録画したのですが誤って別の番組を上書きし てしまいました。私ももう一度みたいと思っています。 (注1)堀和生「1905年日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第  24号、1987 (注2)別紙内務省伺 日本海内竹嶋外一嶋地籍編纂之件   右ハ元禄五年 朝鮮人入嶋以来 旧政府該国ト往復之末 遂ニ本邦関係無之   相聞候段申立候上ハ 伺之趣御聞置左之通御指令相成可然哉 此段相伺候也     御指令按   伺之趣竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


竹島=独島関連の新刊書 Yahoo!掲示板 ホーム>地域情報>世界の国と地域>大韓民国>竹島問題を考える。 投稿者: hangetsu_joh 2000年11月09日 午後 8時51分 メッセージ: 989 / 989   半月城です。竹島(独島)に関心をもつ者として見逃せない本が出版され ました。内藤正中著『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』(多賀出版)です。   江戸時代、鬱陵島は日本では竹島とよばれていましたが、1693年ころ、こ の島の領有をめぐって日朝間で火花散る論争が展開されました。このきっかけ になったのが、韓国では英雄とされている安龍福の拉致による来日でした。   その後、かれは鬱陵島や子山島(竹島=独島)は朝鮮領であると主張して 日本に乗り込んだ実績から、韓国では竹島=独島領有権論争で火がついたとき は功労者としてかならず登場します。そのため、かれの名は韓国では小学生で も知っていますが、日本では専門家以外知らないのが実状です。両国のあいだ に大きな落差があるのが現状です。   その安の評価ですが、韓国では高校の歴史教科書などでも『朝鮮王朝実 録』を無批判に採りいれ、安龍福の手柄話をそのまま信じる傾向にあります。 これにメスを入れ、安龍福の足跡や行動を著者の地元である鳥取県の資料など もふんだんに用いて、綿密に検証を行ったのが内藤氏の著書です。   その結論として、内藤氏は「彼が鬱陵島と子山島(独島・竹島)が朝鮮の 領土であることを鳥取藩主に確認させ、関白(将軍)の書契をもらったという のは事実ではない」と断じました。その一方で、同氏はこの事件の扱いをめぐ る鳥取藩や対馬藩、さらに幕府や朝鮮王朝の動きを分析し、結局は「竹島一 件」を機に江戸幕府や対馬藩は竹島(鬱陵島)を放棄したことを記しました。   さらに明治時代についても「竹島(鬱陵島)はもとより、その属島である リャンコ島(現竹島、独島)も、明治政府により朝鮮領であることが確認され た」と書き、ごく妥当な認識を示しました。   このように同氏は両国の資料を客観的に検討する実証主義の立場を貫き、 偏狭な「一国主義史観」を排して竹島=独島問題も論じていました。   ここの会議室で竹島=独島の歴史的経緯について論じるなら、せめてこの 本の内容程度は把握しておくべきではないかと思われます。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史 Yahoo!掲示板 ホーム>地域情報>世界の国と地域>大韓民国>竹島問題を考える。 投稿者: hangetsu_joh 2000年11月11日 午後 7時39分 メッセージ: 994 / 995   内藤氏の『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』が高いのは学術書だから です。つまり、あまり売れそうにないからです。それでも出版できたのは、学 術振興会の補助金を受けられたおかげです。   その「細目」を書いてくれとのことなので、まずは目次を記します。竹島 =独島に関して明治時代までの歴史論争をされたい方は、この学術書を読んで からにしていただきたいと思います。  目次 序説 1.環日本海交流と歴史認識 2.北東アジアのなかでの見直し 3.一国主義史観の克服 4.研究成果と課題 第1章、磯竹島との関係史 1.日本人の鬱陵島認識 2.倭寇対策としての空島政策 3.于山島を独島といえるか 4.対馬宗氏の領有計画 5.磯竹弥左衛門事件 第2章、竹島渡海免許をめぐる問題 1.幕府公認の竹島渡海事業 2.幕府当局者の竹島認識 3.磯竹島を竹島と改称 4.御朱印は無御座候 5.竹島渡海事業と鳥取藩 第3章、竹島一件をめぐる諸問題 1.1692年(元禄5)の遭遇 2.1693年(元禄6)の朝鮮人連行 3.米子と鳥取での朝鮮人処遇 4.釜山倭館における日朝交渉 5.竹島渡海禁止の通達 6.安龍福の伯耆赤崎来航 7.鳥取藩における安龍福 8.城下鳥取での対応 9.竹島一件の落着 第4章、19世紀末の竹島(鬱陵島) 1.竹島一件以降の渡航状況 2.島名の混乱 3.竹島外一島の領有権明確化 4.日本人の鬱陵島渡航上陸禁止 5.鬱陵島在留日本人の強制帰国 6.空島政策の転換と鬱陵島開拓 7.鬱陵島監の松江地裁への告訴 8.ロシア伐木特許権をめぐる対立 9.境港の鬱陵島貿易 10.鬱陵島への出稼漁業 第5章、リャンコ島の日本領土編入 1.リャンコ島におけるアシカ漁 2.リャンコ島は韓国領ではないか 3.リャンコ島がもつ戦略的位置 4.リャンコ島の日本領土編入 5.領土編入をめぐる問題点 6.島根県官員一行の鬱島郡守訪問 7.領土編入に対する韓国の対応 第6章、明治期山陰漁民の朝鮮海進出 1.朝鮮海出漁研究の意義 2.沿岸漁業近代化の方向 3.日朝通商規則と朝鮮海漁業 4.朝鮮海出稼漁業の展開 5.朝鮮海漁業探検事業の実施 6.朝鮮海通漁組合の出漁者統制 7.江原道出漁の勧奨 8.奥田兄弟の江原道霊津進出 9.移住漁業の挫折 第7章、韓国における梅謙次郎の立法事業 (省略) あとがき   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


議論とディベート Yahoo!掲示板 ホーム>地域情報>世界の国と地域>大韓民国>竹島問題を考える。 投稿者: hangetsu_joh 2000年11月18日 午後 2時37分 メッセージ: 1016 / 1026   半月城です。くにたかさんには#573で愼教授の著書『独島(竹島)』 すら知らないでよく竹島=独島の議論ができましたねと書いたのですが、今度 は「三国通航一覧」ですか。      竹島=独島問題を知るかたなら、purachaka さんのように、これは「通航 一覧」ではないかと容易に想像がつきそうなのに、くにたかさんは、どうやら 江戸幕府の外交文書集の存在すらご存じでないようです。それでよく竹島=独 島の議論が続けられますね。   もっとも「通航一覧」はかなり事情に通じている人でないと知らないので、 くにたかさんがそれを知らないのは無理ないとしても、それを持ちだしたと思 われる韓国人を「韓国人特有の虚偽の発言でない事を願う(#1002)」と考える 発想はいかがなものでしょうか?   これでは議論というより、勝ち負けにこだわる単なるディベートといった ほうがいいのかもしれません。   もし『通航一覧』についてというより、竹島=独島の歴史的背景をもっと くわしくお知りになりたいのなら、内藤氏の学術書『竹島(鬱陵島)をめぐる 日朝関係史』を読まれるようお勧めします。もし、お金を惜しむのなら、せめ て「半月城通信」の竹島(独島)くらい通読されるようアドバイスします。両 方とももちろん『通航一覧』にふれています。   くにたかさんのディベート的な姿勢は他でもみられます。たとえば「外 (ほか)一島」です。明治政府が放棄した竹島外一島について、明治政府がそ れをどこと判断したのかについて語ろうとすれば、当然明治政府が決定する際 にもちいた資料などを検証すべきですが、それらには一切ふれずに、くにたか さん流に結論を出したことです。   多くの竹島=独島問題研究者は、明治政府が判断した資料、たとえば#9 33に紹介した島根県の付属書類などを総合して、ことごとく外一島が竹島= 独島であると断定しましたが、せめてそれらにたいする反論でも書くのなら、 まだしも読むべき価値があります。   もっとも、くにたかさんは学術書や論文をほとんど読んでおられないよう なので、そうした研究動向をご存じないのかもしれませんが、とにかく、くに たかさんには失望するばかりです。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


竹島=独島と国際法 Yahoo!掲示板 ホーム>地域情報>世界の国と地域>大韓民国>竹島問題を考える。 投稿者: hangetsu_joh 2000年11月23日 午後 8時47分 メッセージ: 1063 / 1063   半月城です(半月ではありません)。ここのところメタ議論で横道にそれ てしまいましたが、本論にもどることにします。   国際法に関連して Torazo_xxxさんから下記にコメントするようにとの書 き込みがありました。   web_kantaroさん、#1018 >国際法で申し上げれば日本と韓国の間の領土の線引きが過去の条約でなされ ています。 > 韓国はその条約を一方的に破って竹島を併合したのですから。 >明らかな侵略であり。 > 日本は自衛権などの国際法で認められた権利を行使することができます。   私は、竹島=独島の線引きが「条約」でなされた事実はないので、韓国は 条約を破りようがないと思っています。それをふくめ、竹島=独島を国際法の 観点からみることにします。   その前にひとことことわれば、人権問題などで相当な成果を上げている国 際法も領土問題に関していえば、帝国主義時代の不当な残渣を引きずっている うえ、領土問題の解決にはほとんど無力であるので、竹島(独島)問題を国際 法の面から考えることに私自身消極的なことは前にここでしたか書いたとおり です。   さて、領土に関する国際法ではいうまでもなく最新の国際的な取り決めの みが重視され、過去の歴史的背景などはほとんど無視されます。したがって国 際法の前では「固有領土」の主張はほとんど意味をなしません。   そのいい例が日本の北方領土です。これらの島は、今は日本人になってい るアイヌの居住地だったので、日本の「固有領土」という主張は正当かもしれ ませんが、国際法からすればサンフランシスコ条約以降、ロシア領であること は明白です。   たとえば、ハボマイ、シコタンに関する最新の取り決めですが、これらは 日ソ共同宣言(1956)でこう決められました(注1)。  「ソ連邦は、日本国の要望に応え同時に日本国の利益を考慮して、ハボマイ 諸島および色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島 は日本国とソ連との間に平和条約が締結された後に実現する」   この宣言で、ハボマイ、シコタンは、平和条約後に日本領になることが予 定されていますが、それまでこれらの島をソ連が統治することを日本は認めま した。したがって、現時点でこれらが「国際法上」ロシア統治領であることは 明白です。もし、ロシアによる統治を不法として、日本が国際司法裁判所に訴 えたりしたら、世界中の物笑いになりかねません。   このように、国際法では固有領土とか潜在主権とかの主張はまったく通用 しません。これを認めて領有権を決め直したら、ヨーロッパなどはたちまち混 乱の渦と化すことでしょう。あくまで国際法では国際的な公文書がおもにもの をいいます。   それゆえに竹島(独島)では国際司法裁判所による解決にこだわる日本政 府も、北方領土に関するかぎり国際司法裁判所はまったく眼中になく、かって の沖縄のようにひたすら政治的解決をはかろうと努力しているわけです。   このような観点から竹島(独島)問題をみてみます。竹島(独島)の場合、 最新の国際的な取り決めはGHQの指令第677号になります。46年1月、こ の指令により竹島(独島)は沖縄などとともに日本の統治から次のようにはず されました。 ○連合国最高司令部 (GHQ) 指令第677号 (SCAPIN 677) 「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する覚書」  ・・・ 3.この指令において、日本とは日本四大島(北海道、本州、九州及び四国)  及び約1000の隣接諸小島を含むものと規定される。上の隣接小島は、対馬及  び北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口の島を除く)を含み、また、次の 諸島を含まない。 (a)鬱陵島、リアンクール岩礁(竹島)、済州島 (b)北緯30度以南の琉球(南西)諸島(口ノ島を含む)、伊豆、南方、小笠  原及び火山(硫黄)群島並びに大東諸島、沖鳥島、南鳥島、中鳥ノ島を含む 他のすべての外かく太平洋諸島、 (C)クリル(千島)列島、歯舞諸島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽各島を  含む)及び色丹島 ・・・   ただし、この指令は第6号にあるように、諸小島の最終的決定に関する連 合国の政策を示すものではなく、暫定的な指令です。   実際、上記の島のなかで沖縄などがアメリカとの交渉により日本に返還さ れたのは周知のとおりです。   そのような別途の取り決めや、あるいは他の SCAPIN指令があるまで、上 記の島に日本の統治権は及ばないとされたのですが、竹島(独島)の場合、そ うした取り決めなどは、その後まったくありませんでした。   それどころか、上の SCAPIN 677 を補強するGHQの指令すら発せられま した。つまり SCAPIN 1033です(1946.6.22)。これは李承晩ラインのもととな ったいわゆるマッカーサーラインを設定するもので、日本の船舶および国民は 竹島(独島)周辺12マイル以内に接近することが禁止されました。   こうした経緯により、竹島(独島)の統治権は在韓米軍になりました。さ らに48年8月に韓国が独立した後、統治権は韓国政府に移りました。したが って現在、韓国政府が竹島(独島)を統治することは国際法的に正当といえま す。   一方、日本政府は、竹島(独島)に関する規定がサンフランシスコ平和条 約(1952.4.28発効)になかったことから「竹島が日本の領土であることは、平 和条約で明らかである」(岡崎外相)と首をかしげるような主張をしました。   ちなみにサンフランシスコ条約の関連部分ですが、第2条(a)で「日本国 は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するす べての権利、権原及び請求権を放棄する」とあるのみで、竹島(独島)につい ては一言半句もありませんでした。   したがって、この条文から竹島(独島)は日本領になったと読み解くのは 困難です。なかには、上記の三島は韓国領の最外側を示したものなので、これ からはずれる竹島(独島)は韓国領と認められないと誤解する人もいるようで す。これは竹島(独島)と同じようなケースとして、済州島の外側に疑いのな い韓国領の馬羅島が位置することから、そうした解釈は成り立ちません。やは り、三島は代表的な島を例示したと解釈するのが妥当です。   日本の外務官僚はさすがにこのような「三島外側」説はいわないようです。 公式には条約局長が「平和条約では日本から剥奪する領土だけを書くのが当然 で、書かない限り日本に残る。もし平和条約に明かにされている鬱陵島よりも っと日本に近い竹島を奪うならば、正に平和条約に特記すべきである」と衆議 院外務委員会で答弁しました(1952.9.17)。   この見方は我田引水に過ぎるようです。もし同条約が竹島について書かな いのであれば、それまでの竹島(独島)に関する規定 SCAPIN 667が否定ない しは改定されたことにならず、ひいてはそれにもとづく韓国政府の措置が継続 されて当然と考えられます。もちろん韓国側はそのようなとらえ方をしていま す。   一方、同条約で竹島(独島)について明記されなかったのは、韓国政府に とっても残念な結末でした。韓国は第2条に竹島(独島)を含めるよう連合国 に修正を申し入れましたが、実現しませんでした。その理由ははっきりしない のでどうにでも憶測できるのですが、これが今日に禍根を残すこととなりまし た。   他方、サンフランシスコ条約をめぐるこうしたいきさつは、仮に竹島(独 島)問題が国際司法裁判所で審査されるようになっても、おそらく議論になる ことはないと思われます。これは決定的期日(critical date) の問題がからむ ためです。   過去のマンキエ・エクレア事例の判例からみて、裁判所は裁定の基準とす る時期、すなわち決定的期日として、日本が竹島(独島)の主権を公式に表明 した52年1月28日に設定する可能性が強いと思われます。   この日、日本は韓国の平和線(李ライン)宣言に最初の抗議をしました。 これは、韓国が平和線の中にマッカーサーラインと同様、竹島(独島)を取り 入れていたからです。   この決定的期日以降のことは、裁判ではすべて無視されます。したがって、 サンフランシスコ条約や、54年に韓国が竹島(独島)に灯台を建てたりして 同島を実効支配してきたことなども実績としてもちろん認められません。   こうしたことから裁判のポイントは、SCAPIN 677にもとづく在韓米軍によ る竹島(独島)の統治と、それを引き継いだ韓国政府の統治が52年1月の時 点で国際法上正当だったかどうかという点に絞られるのではないかと思われま す。   これらの統治はほとんど問題ないと思われますが、そうなると、よしんば 竹島(独島)が日本の「固有領土」であったとしても、現在、韓国が竹島(独 島)を実効支配していることは国際法上なんら問題がないことになります。   なお「固有領土」に関して念のためにつけ加えれば、初期の明治政府が竹 島(独島)の歴史的経緯を吟味し、本邦に関係なしと結論を出していますので、 外務省のいう「日本の固有領土」説は根拠薄弱であることはいうまでもありま せん。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


文書名:宋神道訴訟の高裁判決 [zainichi:17533] Reply-To: Date: Sun, 3 Dec 2000 18:40:08 +0900   半月城です。元「従軍慰安婦」だった宋神道さんにとって高裁判決(11/ 30)は謝罪や補償がまったく認められなかったので、たしかに「血も涙もな い」無慈悲なものでしたが、その一方でこの判決はそれほど捨てたものでもあ りません。 RE:17519 >恥ずべき判決です。この判事、自分の出世が第一なのでしょう。   これは高裁ではなく、一審の地裁判事に向けられるべき言葉です。昨年10 月、東京地裁で成田喜達裁判長は宋さんが強制的に「従軍慰安婦」にされたこ とだけは認めましたが、判決は「原告の請求はどれも棄却する」とそっけない ものでした。今回のように国際法などに踏みこんで判断しようとはしませんで した。   それが今回、判決で「従軍慰安婦の設置、運営については当時の国際条約 に違反する行為もあったと認められる」と述べ、戦後補償裁判で初めてはっき りと国際法上の国家責任を認めました。画期的なことです。   国際法とは具体的にいうと女性の売買などを禁じた「醜業条約」および 「強制労働条約」でいずれも当時の日本が加入していました。さらに、それら の国際条約に違反しているので「国には軍関係者に対する処罰や被害者救済の 義務が生ずる」とまで述べました。   しかし残念なことに、国際法違反を理由とした個人の損害賠償請求権は認 めませんでした。これは、国際法は国家間の関係を規定したもので、「個人が 加害国に直接賠償請求する権利はない」という古典的学説を採用したものと思 われます。それでも、国際法には国内法のような時効がないだけに、司法が国 際法違反を認定した重みははかりしれません。   一方、国内法に関する判断ですが、民法上の責任について「意思に反して 日常的に長期に強制的売春を強いられたことについて国は慰安所経営者ととも に監督者として不法行為責任を負う余地があった」と宋さんに損害賠償請求権 が生じた可能性を認めました。   しかし、日韓請求権協定が発効した1965年から20年たった段階で請 求権が消滅したと判断しました。またもや時効の壁にはね返され、歯ぎしりす る想いです。   さりながら、この判断は日本政府の従来の見解、「従軍慰安婦」など戦後 補償問題は国家間の条約などで「すべて」解決済みという主張をくつがえすも のといえます。在日韓国人の場合、日韓条約によりはじめて補償請求権が可能 になったと解釈できるからです。   この判断は、時効になる前に提訴していた在日韓国人の戦後補償裁判にた いしては援護になりそうで、せめてもの救いです。   宋さんは上告することを決めたそうですが、宋さんの率直な「悪かったな ら悪かったと言えばいい。金は千円だっていいの」という心情を満たす道はま だまだ遠いようです。国会の立法措置による解決も待たれます。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


ご意見やご質問はNIFTY-Serve,PC-VANの各フォーラムへどうぞ。
半月城の連絡先は
half-moon@muj.biglobe.ne.jp です。