半月城通信
No. 76

[ トップ画面 ]


  1. 地方「参政権」と嫁さん一家
  2. 地方「参政権」の名称
  3. 地方「参政権」は住民の権利
  4. 地方「政治」と核艦船寄港
  5. 地方「参政権」と帰化
  6. 出生地主義と帰化
  7. 外国人の地方「参政権」、ネット論議
  8. 二重国籍者の役割
  9. 大量渡来の時期
  10. 渡来弥生人の性別
  11. 弥生人の渡来ルート


文書名:地方「参政権」と嫁さん一家 [zainichi:17052] Date: Thu, 5 Oct 2000 22:47:34 +0900   半月城です。地方「参政権」にからんで、嫁さん一家が地方新聞に載りま したので一部紹介します。なお、全文は下記のURLにあります。 http://www.shinmai.co.jp/news/2000/10/05/002.htm        -------------------- 「できぬ投票 思いは熱く 在日韓国人一家のまなざし」             信濃毎日新聞 10月5日(木)  県内に暮らす在日韓国・朝鮮人たちの間で、知事選への関心が高まっている。 かつてない顔ぶれがそろった選挙戦への興味に加え、日本に永住する外国人に 地方選挙の投票権を認める法案が国会に提出され、これまで「縁がないもの」 と割り切らざるをえなかった選挙が、身近な存在として迫ってきたからだ。与 党内の意見対立などで成立が危うくなっている法案の行方を気にかけながら、 自分なりの形で選挙にかかわり、意思を示す方法がないか模索している人もい る。知事選を自らの問題として考え始めたある在日韓国人一家の思いは―。  知事選告示前日の先月二十七日の夜。長野市の在日韓国人三世、鄭隆幸さん (36)は夕食後のテーブルで、妹の和子さん(28)と母親(58)に向か って「あしたの朝、選挙ポスターを張りに行くんだ」と切り出した。  韓国籍の隆幸さんは、選挙権がない。だから選挙も「第三者としてみてい た」。が、今回は、候補の顔ぶれが違う。国会でも永住外国人の地方選挙権が 論議されている。ある候補の集会を聞きに行き、共感した。  「一票を投じられるものなら、投じたい」と隆幸さん。その願いは今のとこ ろ、かなわない。ポスター張りを買って出た。「僕が張ったポスターを見て、 もしだれかが投票してくれれば、僕が間接的に投票したことになるのではない か」 (途中省略)  知事選告示の前後に、嫁ぎ先の千葉県から、一週間ほど里帰りしていた和子 さん。「政治に冷めていた」兄の変わりように驚いた。が、「今度の選挙はた だの知事選じゃない。これからの長野県がかかっているんだ」と熱っぽく語る 隆幸さんを見るうち、「私にも選挙の方から近寄ってきた感じがした」。友人 と話す時、「私は選挙権がないんだけれど」と前置きしながら、知事選を話題 にするようになった。  和子さんは「法案が通って、参政権が手に入るといい。一つの権利だし、少 しでも生活しやすくなる」と考える。自身の中の「韓国人」の部分を大切に考 え、日本国籍を取得する気はない。この夏には、子どもが生まれた。「参政権 が手に入れば、これから自分たちがこの日本でどうやって生き、どんな選択を していくのか、積極的に考え、参加するきっかけにしたい」と話した。


文書名:地方「参政権」の名称 [zainichi:17065] Date: Sat, 7 Oct 2000 20:52:48 +0900   半月城です。RE:17053 >地方参政権ですが、日韓で相互に認めあい、両国民がどちらの国に住んでも、実 >生活に直接関わる地方政治に参加できるようになるといいんですが。。。   どうも私は地方「政治」とか地方「参政権」という言葉には引っかかりを 感じます。日本にせよ韓国にせよ、地方政治は存在するでしょうか?   アメリカでは、各州は独自の法律を作成できるほどの権限をもっており、 名目だけかもしれませんが州兵、すなわち州の軍隊も存在します。そうしたと ころでは名実ともに地方政治という名はふさわしいのですが、「3割自治」と 自嘲される日本で地方「政治」は存在するでしょうか?   これに疑問をもつ私は、地方参政権とよばず、地方自治選挙権とよぶこと にしています。その獲得にはもちろん賛成です。   その一方で、外国人に国政参政権は必要ないと考えます。国政参政権は自 国に求めるべきだと考えています。


文書名:地方「参政権」は住民の権利 [zainichi:17081] Date: Mon, 9 Oct 2000 22:16:05 +0900    RE:17069   半月城です。私が地方「参政権」という言葉をさけ、地方自治選挙権とい うことばにこだわるのはそれなりの理由があります。   それは日本ではアメリカなどとはちがって、地方政治というより地方自治 という言葉がふさわしいという現実に加え、現在の混迷した議論において原点 をしっかり確認する必要があるからです。   私はこれまでしばしば書いているように、人権の基準として国連人権規約 をすえていますが、その自由権規約にはこう書かれています。 自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約) 第25条(政治に参与する権利)   すべての市民は、第2条に規定するいかなる差別もなく、かつ、不合理な 制限なしに、次のことを行う権利及び機会を有する。 (a)直接に、又は自由に選んだ代表者を通じて、政治に参与すること。   この条文における市民は外国人を除外するとされているようです。私はこ の観点から、外国人は国家主権にかかわる参政権を主張すべきでなく、国政参 政権は自国の政治に求めるべきであると考えます。   在日外国人でもこの規約を根拠にして地方「参政権」に反対している人も いるだけに、外国人の地方「政治」参加が国民主権の原則にふれるのかどうか は重要な論点になります。   幸か不幸か、日本の地方自治は3割自治と揶揄されるような現状で、地方 自治体はとても国家主権にかかわるような政治活動を行えないのはおおかたの 認めるところではないかと思います。   これは制度面でもはっきりしており、地方自治体のつくる条例は、国がつ くる法律の枠を超えることはもちろん不可能です。   最近、櫻井よしこ氏や反対論者は「国政と地方政治はつながっている」と ことを理由に外国人選挙法に反対していますが、たとえつながっていたとして も制度上きっちりした枠がはめられているので、そのつながりをとおして国家 主権をゆるがすことはまず無理です。私は、地方自治よりは貿易など経済のほ うがよほど国政に直結していると思います。   そうであれば、なおさら現実をありのまま認め、反対論者を刺激するよう な政治や参政権ということばは避けたほうがいいのではないかと思います。そ うすることにより、私達外国人には国政選挙権など毛頭要求する意志のないこ とがはっきりします。   そのような体制であるからこそ、憲法も93条は国民ではなく住民の権利 として「地方公共団体の長、その議会の議員・・・その他の官吏は、その地方 公共団体の住民が、直接これを選挙する」と規定しています。   この条文を根拠に、私は住民の権利として地方自治選挙権を要求したいと 思います。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


文書名:地方「政治」と核艦船寄港 [zainichi:17107] Date: Fri, 13 Oct 2000 23:21:21 +0900   ラズロさん、私の書き込みを「有意義な主張」と評価していただきありが とうございます。ラズロさんの考えがだいぶわかるようになりました。 >ご存知のように、石原は昨日、「(自治体の長)が国権の発動に直結する仕事を >担っている以上(外国人の地方参政権の付与は望ましくない)」と言っていますね。   石原の扇動は「三国人の脅威」といい、人の心をあやつることにかけては 実に狡猾です。新宿歌舞伎町はこわくて夜はやくざも歩けないとか、外国人の 「脅威」を針小棒大に増幅して人々にインパクトを与え、お得意の弁論で外国 人排斥をたきつけるこざかしい手法は心憎いばかりです。   そもそも、石原や櫻井よしこが考える国権の発動とは何でしょうか? 核 兵器を搭載した外国艦船の寄港を認めるのか拒否するのか、日本の原点である 非核三原則がどうあろうと、その決定を地域住民にはまかせられないという発 想が出発点でしょうか。   もちろん、地方が核艦船の寄港拒否を断行するのも政治には違いありませ ん。しかし、それはあまりにもささやかな政治です。それは非核三原則など国 策の決定や、外国との軍事協力という国政の大枠からみたらささやかな政治で す。   そうした抵抗も、それに対抗した法律が国会で制定されたら、けし粒のご とく吹き飛んでしまうことでしょう。そのけし粒を「国権発動」というのは笑 止千万です。これは、風が吹けば桶屋がもうかる式の櫻井流こじつけ論理とい えましょう。   こんなことを書くと地方分権強化をめざす地方議員には叱られそうですが、 そうした非力な地方「政治」を、国政を連想させる政治という同じ言葉を用い て語るとしたら、デマゴーグに格好の口実を与えるのみで、私達定住外国人に はマイナスになるばかりです。   かれらが言葉遊びを利用して外国人排斥をはかるのであれば、私達も言葉 を慎重に選んで対抗する必要があるのではないでしょうか。   というわけで、私は地方「参政権」とよばず、地方自治選挙権とよんでい ます。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


文書名:地方「参政権」と帰化、RE:17150 [zainichi:17158] Date: Mon, 23 Oct 2000 22:50:33 +0900   閔さん、こんばんは。半月城です。   地方「参政権」にからめて、参政権がほしければ日本国籍を取得すべきだ という意見はたしかに多くみかけます。   しかし、地方「参政権」は国民主権の領域からは遠く隔たっているので、 単に住民としての権利を求めるのに国民の資格、すなわち日本国籍は元来不要 なのはいうまでもありません。   日本国籍取得の勧めは地方「参政権」問題にかぎらず、在日韓国・朝鮮人 の差別問題などにおいてもしばしば登場し、本人は善意のつもりで「帰化すれ ばいいじゃない」と助言する人はあんがい多いようです。   そうした日本人をイギリスの新聞・ガーディアンは、つぎのように「無意 識の人種差別主義者」とよびました。  「日本人は『純粋な』もしくは無意識の人種差別主義者であり、彼らがこの 国にも人種問題が存在すること、ないしは他民族に対する彼らの態度に何かが 欠けていることを認めない限り事態の改善は望めない」(1979.8.13 読売)   こうした無意識の差別は日本にかぎらず、韓国でも華人やアジア系外国人 に対して厳然と存在しますが、そもそもこうした排外思想の根源は「血統主 義」にあるのではないかと常々私は考えています。   人は生まれながらにして法の下に平等であるべきですが、それが親の国籍 を理由に法的な権利に制約を受ける現実は、国連の人権宣言の精神に反するの は明らかです。   そうした制約を取り除くために、日本や韓国はドイツのように血統主義か ら世界的スタンダードともいえる出生地主義に転換し、二世には原則的に、三 世には無条件にその国の国籍も付与すべきではないでしょうか。   こうした姿勢が欠けるがゆえに、日本は4世や5世にいたっても異邦人扱 いし、みずから排外主義に陥っているのではないかと思われます。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


文書名:出生地主義と帰化、RE:17159 [zainichi:17169] Date: Wed, 25 Oct 2000 23:09:21 +0900   chongさん、私の意見に賛同していただきありがとうございます。出生地 主義については、外国人地方自治選挙権に批判的な櫻井よしこ氏ですら賛成し ているようで、こう書いているのが注目されます(朝日新聞,00.10.9)。  「(地方「参政権」)解決策としては、選挙権よりも国籍選択権として考え、 国籍は嫌な思いをしないで短期に取得できるようにする。   また、日本で生まれたら国籍を付与するとか、特別永住者は犯罪者など特 別の場合を除いて全員に無条件で国籍を付与することも考えてもいい。もちろ ん、それを選ぶかどうかは本人の選択だ」   日本国籍の取得で外国人がときどき「嫌な思い」をするのは、日本の帰化 制度が排外主義の伝統を基礎にしているためではないかと思われます。   将来、日本が多文化共生をめざし、出生地主義に転換するような社会にな れば、chongさんが批判されるような制度はきっと改善されることでしょう。   ところで、櫻井氏は日本国籍を「短期に取得」できるよう提言しています が、私は「恩恵」としての国籍付与は厳しくてもやむを得ないと思っています。 現状の各国は「国民国家」が原則であり、国民主権にこだわっているので、外 国人を「国民」にするのは、おおげさにいえば一大決心のいることなのは容易 に理解できます。   その一方で、このやり方は新生児にはあてはまらないし、また、あてはめ てもいけないと思っています。それは生まれるとき、外国人というレッテルや 入れ墨をして誕生する赤ちゃんはいないからです。   その赤ちゃんに恣意的に外国人とかのレッテルを貼って、自国民と違った 法的取り扱いをする現状は一刻も早く改めるべきだと思います。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


文書名:外国人の地方「参政権」、ネット論議 [aml 19631] Date: Wed, 01 Nov 2000 20:37:28 +0900   半月城です。朝日新聞社の e-デモクラシーでは「永住外国人の地方参政 権」について、一般の意見を下記で募集しています(朝日新聞、00/10.15)。   http://www.asahi.com/e-demo/ 問題提起者は田中直毅氏、パネラーはつぎの4人で、賛否こもごもです。  姜 尚中氏(東大教授)  荒木和博氏(拓大助教授)  奧野誠亮氏(自民党代議士)  枝野幸男氏(民主党代議士)    このホームページに投稿したらあっさり採用されましたので、ご参考に転載 します。        -------------------- 血統主義排して出生地主義を(10.30) 荒木和博氏へ  荒木氏がこだわる「実態が日本人で、国籍だけが外国人という不正常な状 態」を作りだしているのは、血統主義にもとづく日本の法律です。日本は在日 4世であれ5世であれ、日本国籍を付与せず異邦人にしてしまい、住民として の権利である地方自治選挙権に難色を示しているのが現状です。親の国籍いか んで、その子孫に何らかの制限をつける血統主義は不適切です。日本もドイツ のように血統主義を排し、早く世界的スタンダードともいえる出生地主義に転 換すべきです。        --------------------   文中で「人は生まれながらにして、権利について平等であるべきとするの が世界人権宣言の規定です」といれたのですが、字数200字以内という規定 にふれたためかカットされたことを付言します。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


文書名:二重国籍者の役割 [zainichi:17193] Date: Sat, 28 Oct 2000 20:29:53 +0900   チッペルレさん、こんばんは。半月城です。   RE:[zainichi:17187] >外国人参政権に関して半月城さんが在日MLに紹介しておられる >公の情報を、他のMLに転送させてもらってもよいですか?   どうぞ自由にご活用ください。私の情報がお役にたつなら本望です。 >フランスやドイツが2重国籍を認めており、スエーデン、チェコも2重国籍 >を認める法案を可決した。   ヨーロッパでは二重国籍容認が主流になりつつあるようですね。私は、返 還前の香港時代、香港政庁と台湾の両方の旅券をもった人に出会いましたが、 日本や韓国など血統主義の国では、未成年はともかく成人では考えられないこ とです。   二重国籍と聞いただけで石原都知事あたりから、もしその両国が戦争した ら本人はどちらにつくのかといったアナクロな質問が続出しそうです。   第二次世界大戦中、在米日系人二世は日本に忠誠を誓うのか、アメリカ兵 としてアメリカのために戦うのか二分したことが、山崎豊子の小説『ふたつの 祖国』にえがかれていましたが、半世紀前には深刻な問題だったようです。   それに対する回答のひとつが、チッペルレさんにより示されたようです。 > 忠誠心とは、兵士として戦争に参加し、外国人を殺すこと >ではない。イスラエル人を父に持ち、パレスチナの母を持つ人が、イスラエルと >パレスチナの平和のために働いたら、それは、一番良質の忠誠心だ   戦争にならないように、あるいは相互に誤解をもたせないような活動が二 重国籍者にとって切実であるのは、容易に理解できます。   その程度は弱くても、在日韓国人にも同じようなことが求められているの ではないかと私は常々感じています。私は非力ですが、それでも両国間の論争 点に実証的に迫り、無用な誤解を解こうとする姿勢だけは、ときにはわかって もらえているのではないかと自画自賛しています。   たとえば、その一環で日韓間のアキレス腱ともいえる竹島(独島)問題に ついて Yahoo!掲示板などに投稿してきましたが、意外なこともあるものです。   かって、論争相手の右翼を自称するかたから、その人のホームページが韓 国人ショービニストに荒らされて困るので、論争にぜひ加わってもらえないか とお誘いを受けました。   そのときはちょっと余裕がなかったのでおことわりしましたが、実証第一 主義をとおせば論敵でも評価してもらえることを実感しました。ただし、実証 第一主義を貫くのはけわしい道で、私はしばしばそれてばかりいます。   自己宣伝になりましたが、チッペルレさんもマイウェイに邁進してくださ い。   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


#8782/8782 PCVAN 日本史ボード コメント数(0) ★タイトル (SPM07550) 00/10/29 15:45 ( 79) 古代史】大量渡来の時期         半月城 ★内容   渡来系弥生人にかんする**さんの疑問はもっともです。RE:8761 > 半月城 >さんの書き込みが正しければ、「弥生人」の人口が多すぎて「革新縄文人」が「弥 >生人」と全く接触を断って暮らすことは不可能の筈です。そうなれば様々な接触が >あり中には結婚という例もあったと言っても決して突飛な考えではないでしょう。 >この両人の間に生まれた混血児はどっちに含めたらいいのでしょう。   弥生時代の 500-600年間に、革新縄文人と渡来系弥生人の混血もあっただ ろうという推測はけっして突飛でなく、むしろ妥当な考えと思われます。   その混血児をどちらに含めるかですが、柔軟に考えてハーフは0.5人ず つにして両方に、クォーターは0.25人と0.75人に分け両方に数えます。 それ以降も同様です。   もちろん一人の人を分割できないので、この数え方は個人では意味があり ませんが、集団としての混血割合などを算出する場合には有効です。埴原氏の 渡来人口算定も同じ考えにたつのではないかと思われます。   これまで私の書き込みの趣旨は、宝来氏の「本土日本人の遺伝子プールの 約65% は,弥生時代以後に大陸からもたらされた遺伝子に由来している」 という説を念頭に、弥生時代の渡来人総数を推定することにありました。   65%という数字は、遺伝子レベルにおける渡来系の割合とされています が、これを上記のようにカウントした渡来系人口の割合としても、第1近似と しては成り立つのではないかと思われます。   というより、それ以上に精度を高めた議論はおそらく困難といったほうが 適切かもしれません。こうして私は#8692で、弥生時代に毎年平均して数 百人が渡来し、渡来人口割合が 50-60%になったのだろうという試算を行いま した。   RE:8753, ****さん >                  発行日2000年8月22日 初版発 >行、洋泉社「縄文時代の商人たち」小山修三+岡田康博著で、「日本列島では >縄文時代以降、少なくとも現代まで人種の交代はないといわれていますから、」 > これはどういう意味か?弥生人が渡来人だったら人種の交代があったことに >はならないのか?   私は人種交代説を主張しているわけではありません。弥生時代、平均して 毎年たかだか数百人程度が渡来したのでは、急激な人種交代は起こらないと考 えています。   弥生時代や古墳時代、奈良時代に渡来した人たちが500年ないし100 0年くらいかかって、しだいに在来系縄文人と混じりあい、その結果、渡来系 遺伝子が優勢になった現代日本人が形成されたとみています。   混じりあったといっても埴原和郎氏によれば、その度合に地理的勾配がみ られるそうです。身体的特徴として頭蓋計測値や指紋の特徴、血液型にいたる まで縄文の子孫とされているアイヌが住む北海道から、縄文の痕跡が希薄な西 日本にかけてきれいな地理的勾配がみられるそうです(注1)。   ところで、****さんは宝来氏の65%という数字をどのように解釈さ れますか? 弥生時代の渡来をなかなか認めたがらない****さんは、古墳 時代以降の渡来の波は認めるのでしょうか?   古墳時代以降の渡来について、池田氏はこう要約しました(注2)。        --------------------   古代史家の上田正昭(元京都大学)によれば、古墳時代の渡来の波が高ま った時期は3回あったという。   最初の高波が押し寄せたのは、大和王権の支配が軌道にのりだしていた5 世紀前後で、渡来者の多くは朝鮮半島から渡ってきた。   第2段階は、5世紀後半から6世紀初頭を中心とする時代で、渡来の波は いっそうの高まりをみせる。とくに、新羅・高句麗の勢力がしだいに強まり、 朝鮮半島西南部の百済が深刻な政治情勢をむかえたころ、百済人を主体とする 大勢の人たちが渡来した。   しかし、渡来の波が頂点に達するのは、7世紀後半である。663年には 百済が、さらに5年遅れて高句麗が滅亡し、朝鮮半島の三国時代は統一新羅へ 移るが、その前後に百済から貴族・官人以下おそらく 5,000人以上の人たちが、 高句麗からも王族を含むかなり多数の人々が日本に亡命してきた。   8世紀になっても唐・新羅からの渡来は散発的に続くが、その数は急速に 減じていった。        --------------------   もし、弥生時代に渡来人の割合がすくなく、たとえば10%とか20%だ としたら、古墳時代は人口爆発の後になるので、大規模な渡来がなければ65 %という数字にはなかなか達しません。   ****さんは #8753で「確かに埴原説によれば、朝鮮半島や中国大陸か ら100万人ぐらいの人がきている」という専門家の言を引用されてますが、 渡来の主力を古墳時代以降のことと考えておられるのでしょうか? (注1)埴原和郎『日本人の成り立ち』人文書院、1995 (注2)池田次郎『日本人のきた道』朝日選書、1998   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


#8718/8718 PCVAN 日本史ボード コメント数(0) ★タイトル (SPM07550) 00/10/15 20:51 ( 61) 古代史】渡来弥生人の性別        半月城 ★内容   弥生時代の渡来人は男性だけだったのか、それとも女性もかなりいたのか、 このテーマはおもしろそうです。   RE:8639 > さらに、熊本大学・甲元眞之氏(専門は東アジアの考古学)は、「縄文文化」 >から「弥生文化」へ継承されたものとされなかったものを比較したところ、前者 >には女性的な文化が多く、後者には男性的な文化が多いことから、“「弥生文化」 >形成に関与した大陸からの渡来集団は、多数の男性と少数の女性から構成されて >いたのではないか?”としている、という話を何かの本で読んだ記憶があります。   弥生時代に渡来集団の主力を占めていたのは男性だったと最初にいいだし たのは金関丈夫氏でした。これは渡来説批判への反論としてのべられました。   当時の渡来説批判のひとつに、山口県土井ヶ浜から出土した弥生人の抜歯 様式が西日本の縄文系様式を踏襲しているので、弥生人は縄文人が小進化した 結果ではないかという説がありました。   これにたいし金関氏は、渡来人の男性たちは移住地の縄文女性をめとった 結果、女性文化である抜歯風習の伝統が弥生人に受けつがれたとすれば、土井 ヶ浜人骨に進歩的な形質と保守的な抜歯風習が同居していても、なんら不思議 はないと反論しました。   この金関氏の考えを、考古学の立場から支持したのが上記の甲元真之氏で した。かれは、弥生文化の諸要素のなかで縄文文化の伝統をひきつぐ要素の多 くは土器作りなど女性にかかわるもので、大陸から到来した要素は磨製石斧な ど男性に関するものが多いと主張し、結論として「大陸からの渡来集団は、多 数の男性と少数の女性から構成されていた」と推論しました。   さらに、以前紹介した中橋孝博氏は、弥生時代の三遺跡における男女別の 縄文系比率を研究し、女性の縄文人タイプの比率が一番高いのが古い島根半島 で、次に高いのが響灘、それほど差がないのが比較的新しい北九州地域としま した。   その一方で、渡来集団の男女の構成比はあまり違いがないとみる人も多い ようです(注)。たとえば多賀谷昭氏は、土井ヶ浜弥生人は四肢骨の計測値で も性差でも韓国・朝鮮人とほぼ完全に一致するので、土井ヶ浜弥生人は男女と も渡来人だったと主張しました。   また、埴原和郎氏も各地の人骨の頭蓋計測の結果から土井ヶ浜や三津の女 性が縄文系とはいえないとのべました。   このように、専門家のあいだでも各自のデーターをもとに意見がわかれる ようですが、これらの食いちがいは、どうやら時期や地域差によるのではない かという見解が有力なようです。   さきほどの甲元氏も、弥生前期末に朝鮮系の土器が北九州に出現し、中期 の初めになるとこの種の土器がかなり出てくるようになることから、最近は渡 来人女性の増加を認める発言をしているようです。   そうした考古学会の趨勢を池田氏はこう記しました。        --------------------   島根半島の弥生人のように、前期中ごろまでに到着した先駆的な集団は、 男性を中心に編成されていたが、前期後半から中期初頭にかけて響灘沿岸部や 北部九州に移住した渡来の主力部隊は男性だけでなく、かなり多くの女性も加 わっていたのだろう。   中期前半以降、北部九州平野部に誕生した渡来系弥生集団で、男女とも縄 文タイプの弥生人が激減しているのは当たり前である。このように考えれば、 中橋の結果も、初期の渡来人の主力は男性だったという金関・甲元の主張も矛 盾なく説明できる。        --------------------   結局、弥生も中期になると渡来者がふえるとともに、縄文系の女性が相対 的にすくなくなり、ひいては縄文文化もしだいにすたれていったようです。 (注)池田次郎『日本人のきた道』朝日選書、1998   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


#8753/8754 PCVAN 日本史ボード コメント数(0) ★タイトル (SPM07550) 00/10/22 19:29 ( 74) 古代史】弥生人の渡来ルート       半月城 ★内容   ****さん、RE:8687, > ところで朝鮮半島にいた倭人たちはいつ頃からいたのでしょうかね。   まず時期ですが、朝鮮の記録では1世紀ころから朝鮮半島に倭人がいたこ とが記されています。井上氏によれば『三国遺事』で倭の位置をしることがで きる記述が13例あるそうですが、そのうち8-9例までが倭は朝鮮の南海岸 か新羅に南接しているとされているようです(注1)   つぎに中国の資料ですが、後漢書韓伝では「弁辰の南もまた倭と接してい る」と書かれているのをはじめ、魏志倭人伝では「倭の北岸・狗邪韓国」と書 かれております。また、魏志第二弁辰伝では「弁辰の涜廬国は倭と境界を接し ている」とされているので、時期はおおむね2-3世紀ころと思われます。   これらを総合すると、弥生時代中期から後期にかけて玄界灘をはさんで日 本と朝鮮に倭人がいたと朝鮮や中国では認識されているようです。 >考え方としては、半月城さんのいうとおり、倭人は朝鮮半島から日本にきた >という考え方と、日本から朝鮮半島に行ったという考え方もありますよね。   たしかに両方の可能性が考えられますが、いまだに渡来説に疑問をはさむ 人がいるとは、いかにもここの会議室らしい雰囲気です。固有日本人説をとな えた鳥居ですら弥生時代の倭人は朝鮮半島を通って来たと考えているようです。 それを池田氏はこう記しました(注2)。  「弥生時代の移住民の原郷と渡来経路については、固有日本人説を唱えた鳥 居龍蔵をはじめとし、彼らが北東アジアから朝鮮半島を経由して西日本に到着 したとみる人が圧倒的に多い」  「稲作や金属器の伝来経路とその源流、渡来前後の各地の社会情勢などを勘 案すると、検討に値する渡来人の移動ルートは次の二つに絞られる。   その一つは、稲の起源地に近い江南地方、もしくは山東半島から東シナ海 を渡って直接、あるいは朝鮮半島経由で北部九州へ到来したルートである。   もう一つは、早生品種の稲や畑作用の雑穀類・金属器の伝来コースとして 有力視されている中国東北部から朝鮮半島を南下するルートである」   いまや、考古学会では移住民の原郷や渡来経路に関心がもたれているよう です。第1の渡来経路は水田稲作の渡来経路でもあるのですが、それについて 佐倉の国立歴史民俗博物館では館内パンフレット『稲作の系譜』でこう説明し ていました。  「朝鮮半島では無文土器・支石墓の遺跡から籾痕(もみこん)土器や炭化米 が検出されるので、遅くとも紀元前6世紀ころに稲作が存在したことは確実で あるが、その実態については青銅器の絵画などから垣間見ているのが現状であ る。   出土した米は日本と同様に、すべて日本型(短粒種)に属し、また木製品 をつくる石斧のセットも共通している。   中国での稲作は古く、紀元前約5,000年前とされる逝江省河姆渡遺跡から、 インド型(長粒種)の稲籾とともに木や骨の鋤(すき)が出土している。しか し、日本型の米は長江以北の華中に分布しているので、長江下流から江蘇省の 稲作民の一部がまず西朝鮮に移動するという歴史があり、その後、朝鮮半島南 部で土着化した文化がまた稲作民の移動とともにそっくり九州に伝えられたと 考えられる」   江南の稲作民の一部が移動したとされる西朝鮮ですが、その地域は具体的 にはBC600年ころの松菊里遺跡をさします。ここから出ている稲の穂づみ に使う石包丁や農具製作用の磨製石斧の形式が日本最古の唐津市菜畑遺跡のも のとそっくりです。   しかも菜畑遺跡の推定年代がBC500年ころなので、歴史博物館がいう 「朝鮮半島南部で土着化した文化がまた稲作民の移動とともに九州に伝えられ た」という推理は妥当ではないかと思われます。   ところで稲の西朝鮮への渡来経路は、山東半島からの渡海ルートと、山東 半島から遼東半島を経由したルートが有力ですが、先ほどの池田氏は水田用の 晩生品種は渡海ルートで、畑作用の早生(わせ)品種の稲や雑穀は遼東半島経 由で渡来したとみているようです(注2)。   なお、松菊里遺跡では同時にびわ型銅剣も出土しましたが、これは別名、 遼寧式銅剣とよばれ、中国東北部から朝鮮半島にかけてひろく分布していまし た。この銅剣文化圏と古朝鮮との関係は韓国でホットな話題として関心をよん でいるようです。 (注1)井上秀雄「中国・朝鮮・日本の“倭人”」   諏訪春雄編『倭族と古代日本』雄山閣、1993 (注2)池田次郎『日本人のきた道』朝日選書、1998   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


ご意見やご質問はNIFTY-Serve,PC-VANの各フォーラムへどうぞ。
半月城の連絡先は
half-moon@muj.biglobe.ne.jp です。