半月城通信
No. 65

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 京都・八坂神社とスサノオ
  2. 小林よしのりと一進会
  3. フランツ・ファノン
  4. 韓国の指紋制度
  5. 内外人平等の原則
  6. ドイツと出生地主義
  7. 人権規約と内外人平等
  8. 差別と帰化
  9. 金嬉老事件と姜尚中教授


#7844/7844 日本史ボード ★タイトル (SPM07550) 99/10/10 14:33 ( 65) 【古代史】八坂神社とスサノオ   半月城 ★内容   がんもさんに呼ばれたようなので、久しぶりに出てきました。とりあえず、 簡単にかけるテーマとして、話題になっているスサノオを取りあげたいと思い ます。   スサノオを祭る有名な神社に京都祇園の八坂神社があります。この神社に ついて、司馬遼太郎が意外なことを書いていますので、それを紹介します。   司馬は、薩摩焼の陶工を題材にした『故郷忘じがたく』(文春文庫)のな かで、陶工たちがあがめる韓神(からかみ)の玉山宮について、こう記しまし た。  「(玉山宮の)社家屋敷は、大地のはずれにある。その前は、一望の麦畑で あり、いかにも天が広く地があかるく、神々の神遊びの庭としてこれほどふさ わしいところはあるまいとおもわれた。   神遊びといえば、この小さな山の上の韓神の社に、京の祇園八坂神社から 毎年、会合の招待がくるという。八坂神社というのは全国に7千ほどある。祭 神はスサノオノ命(みこと)である。命は出雲に住んでいたが、どやら韓国の 新羅が故郷であったのか、新羅のソシモリにも住み、日韓の間を往来していた とも日本書紀などで書かれているから、この神は古代に日本列島にきた韓人た ちが奉祭していたものかもしれず、京の八坂神社も薩摩苗代川の山の上に鎮ま る玉山宮の祭神とが、たがいに同族であるがために毎年招待状を送っているの であろう」   この文章に触発されて、先ごろ私は八坂神社を訪れました。神社のパンフ レットをみた限りでは、司馬のいう新羅との関連は見あたりませんでした。そ こで200円出し『八坂神社由緒略記』を買ったところ、こちらには新羅との 関連が次のように書かれていました。        --------------------   八坂神社は明治元年まで祇園社と称していたので、祇園さんの名で親しま れ信仰されている。社伝によると八坂神社は斉明天皇2年(656)高麗(こま) より来朝せる調進副使の伊利之使主が新羅国牛頭山にます素戔嗚尊(スサノオ ノミコト)を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、八坂造の姓を賜ったのに始まる。   伊利之使主来朝の事、又素戔嗚尊が御子、五十猛(イソタケル)神と共に 新羅国に降り曾尸茂梨(そしもり、楽浪郡牛頭山)に降られた事は日本書紀に 記すところであり、新撰姓氏録に八坂造は狛(こま)国人万留川麻乃意利佐の 子孫なりとある記録と考え合せて、ほぼ妥当な創祀と見てよい。   尚この八坂の地は、華頂山の麓に位置し、牛頭天皇示現の地と伝える瓜生 石も現存し、又神社の南方に八坂塔で知られる法観寺もあり、この一帯は今も 清水寺、双林、長楽、安養、知恩院等あり、当時霊地として信仰の対象であっ た事を思えば当社創祀は斉明期以前をも想定しうる。        --------------------   文中にある高麗、狛とは高句麗のことをさしますが、八坂神社の社伝を信 じれば、この神社は高句麗系渡来人である八坂造が、新羅の牛頭(ごず)山に ますスサノオを祀ったということになります。   高句麗と祇園祭というのは、どうもイメージとしてそぐわないのですが、 一体、八坂にいた高麗氏族とはどういうものなのか当然疑問がわきます。   これについて、京都大学の吉田光邦氏は「それは、南山城(やましろ)の 方にいた高麗氏の北上したものです。その氏族がひろがって来たものです」と 述べておられました。その時期は、社伝もいうように斉明朝よりもっと早い可 能性もあります。これを4,5世紀にさかのぼるとみる見方もあるようです(注)。   一方、話かわって、がんもさんご期待の渡来人の件ですが、私はいま他の テーマにかかりきりになっていて、ちょっと余裕がありません。いずれ書くつ もりですが、とりあえず、私のホームページ、半月城通信<古代史>にある下 記タイトルをみていただければと思います。 宮内省の守護神 日本人のルーツ(1)、アメリカの見方 日本人のルーツ(2)、二重構造モデル 日本人のルーツ(3)、騎馬民族 日本人のルーツ(4)、大和民族の形成 (注)金達寿『日本の中の朝鮮文化8』講談社文庫,1983   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


小林よしのりと一進会 「歴史会議室」  10/09 21:28 http://hyper2.amuser-net.ne.jp/~auto/b19/usr/cha2maru3/brd1/comdsp.cgi?572&&&1 【名  前】半月城 【メッセージ】   小林よしのりは、マンガ『戦争論』(幻冬舎)で一進会にふれ「日韓併合 はコリア最大政党一進会が望み世界が承認した」と書きたてました。   あたかも韓国の多数派が日韓併合を望んでいたかのような書き方ですが、 あまりにもマンガチックな見方です。これを多くの人が真に受けるかと思うと 空恐ろしくなります   このレトリックについては、ここの会議室ですでにピエールさんが山田朗 氏の著書(注4)を引用する形で「当時の韓国は政党政治ではなく・・・」な どと批判を加えました。   ここではさらに前回に引き続き、一進会の主張が韓国ではたして影響力を もっていたのかどうか、そのあたりを明らかにしたいと思います。これは同時 に Tetsuさんへの反論にもなります。   Tetsuさんは、一進会の最高幹部・宋秉畯に関する記憶違いを訂正しただ けで、彼の過去にふれずじまいだったので、まずはそれから紹介します。   彼は暗殺者の命をうけ日本へやって来ました。ねらったのは、日本と結ん だ甲申政変の首謀者・金玉均でした。しかし、かれは暗殺の目的を果たさず帰 国したため、韓国で危険視されるようになりました。そのため危険を感じ、か れ自身も日本に亡命せざるを得ませんでした(注1)。   かれが再び韓国に帰国したのは日露戦争のときで、日本軍の通訳としてで した。もちろん身の安全は保証されました。こうした事実からわかるように、 かれは日本の庇護のもとでしか生きられなかったようでした。   このような見方は当時からありました。たとえば、釈尾東邦は『朝鮮併合 史』でこう記しました(注2)。        --------------------   宋秉畯が日韓併合の最も熱心なる主張者であったと云ふことは如何なる理 由であったのであろうか。此の点は少しく考へて見たい。内田(良平)に言は せると、宋秉畯は内田等の画策指揮に依りて動いたものの如く思はるるも、必 ずしも然らず。彼れは久しく日本に亡命漂浪して居った。彼は日本語に通じて 居った。彼れが朝鮮に帰って来たのは、日露戦争の初め、日本軍の通訳として である。  (中略)彼れは金玉均を庇護したと云ふので李太王より睨まれて居るので、 其の身の安全を保つには日本の庇護に立つのが一番安全であるから、終に親日 主義の一進会を起して飽迄日本党として戦い、日本が保護条約の決意あるや、 突如として保護条約の韓国に有利なることを唱へて韓人を驚かし、終に進んで 日韓併合を提唱するに至ったのである。  ・・・   彼れが李太王の譲位問題の時、最も勇敢に最も露骨に李太王に譲位を迫り しが如き、又日韓併合の提唱に邁在直進したのは彼れの精神の根底には日本の 監督無き李太王の治下と朝鮮人の内閣の下に在るのは、宋其れ自身の命ちの危 いと云ふことも、彼れをして徹底的の親日派たらしめた所以(ゆえん)である。 故に必ずしも内田良平等の慫慂使嗾(しそう)を待たずとも、彼れは飽迄親日 の方針で終始する外は無かったのである。        --------------------   宋は、身の安全を守るため親日に終始せざるを得なかったという見方はあ るいは単純すぎるかも知れませんが、当たらずといえども遠からずでしょうか。 日本軍の威を借りてはじめて帰国できたのだし、その後も親日の立場に立って こそ政治活動が可能でした。   Tetsuさん、 >なお、一進会は、伊藤博文が暗殺された後の1909年12月に、『韓日合邦』の >請願書と声明書を、百万会員の名のもと、韓国皇帝や李完容首相等提出し、 >全国民に訴えました   Tetsuさんは、何の考察も無しに「百万会員」をそのまま信じているので すか? 統監府(総督府の前身)調査によれば韓国併合(1910.8.22)のころ、 会員は 1/10 以下の91,896人にしかすぎませんでした(注3)。どうやら、 Tetsu さんは恣意的な資料をそのまま引用するのが特徴のようです。   それはともかく一進会の活動は、朝鮮人は無論のこと、朝鮮併合の急先鋒 だった京城(ソウル)にいた日本人居留民や日本人新聞記者団からも強く反対 される始末でした。当時、在京城日本人新聞記者団は次のような決議をしまし た(注2)。        --------------------  ・・・今や韓国の政党一進会突如として日韓合邦論を提唱したるに、与論の 痛烈なる反対を受け初期の目的を達する能(あた)はず、唯徒(いたずら)に 韓人朋党軋轢の具に供せられ、一敗地に塗るるの悲境に沈淪したるは同会の為 に是を遺憾とするのみならず、日韓関係の促進上甚大なる障害を残したるを痛 嘆せずんばあらず。  ・・・   一進会の合邦提議は各派団体の大反対を受け、京城の天地は忽(たちま) ち鼎(かなえ)の沸くが如く、一たび伊藤公の兇変に驚駭したる人心は、更に 合邦問題に逢着して一層の危懼心を起し、相率ひて排日気勢を昂騰せしめ紛糾 混乱の状態を現出し、之を小にしては親日党に以て標榜する一進会を窮地に陥 らしめ、之を大にしては日韓関係の促進を妨害するに至りたる等、吾人の深哭 痛嘆措く能はざる所也。  ・・・  「斯の如くにして一進会の運動は全然失敗に終り、其の合邦提議も有耶無耶 の間に消滅せんとす」        --------------------   文中にある「伊藤公の兇変」とは、韓国統監をつとめた伊藤博文がハルビ ン駅で義兵・安重根に銃殺されたことをさしますが、この事件をきっかけに韓 国では排日の気運が高まっていました。そこへ一進会が「日韓合邦」を提議し たものですから、韓国民の袋叩きにあったのは当然といえます。   そのように韓国民の反感を買った一進会の存在は、日本の既定方針である 韓国吸収合併に障害になりこそすれ一利もないので、日本人からもついに見放 されたのでした。   一進会は日本のお先棒をかついだつもりが、当の日本人からも邪魔者扱い にされ、はては統監府から集会・演説が禁止されました。さらに韓国併合が達 成されるや、もはや無用の長物である一進会はついに解散させられました。哀 れなピエロ、民族反逆者の結末でした。   こうした歴史からすると、小林よしのりの「日韓併合はコリア最大政党一 進会が望み」という記述は、およそ読者をたぶらかすレトリックであることが 歴然としているのではないかと思います。 (注1)『朝鮮を知る事典』平凡社 (注2)山辺健太郎『日韓併合小史』岩波新書,1966 (注3)海野福寿『韓国併合』岩波新書,1995 (注4)山田朗他『君たちは戦争で死ねるか』(大月書店),1999


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/09 - 08035/08036 PFG00017 半月城 フランツ・ファノン ( 8) 99/10/09 22:47 07996へのコメント   むじなさんは、ご自身の思想遍歴を物語るのか、ファノンにえらくご執心 のようです。    RE:7996 >そもそも、何度も書いているように、スレイプニルさんの人生経験談, >読書でファノンを上げたことなどから、あなたがなにも読み取れないとした >ら、あなたの知性の低さを物語っているだけのことです。 >(ま、スレイプニルさんも、そういう意味では、素直ではなく、一筋縄では >いかない人であるんだけど、ある種のイデオロギー的偏見なしに読めば、 >彼の「心情」はそんなに分かりにくいものではないはずなんだけど?)   ファノンとはなつかしい名前を持ちだしたものです。60年代から70年 代にかけて民族解放闘争の旗手としてもてはやされたファノンも、今やほとん ど忘れられた存在になってしまいました。それだけ時代が変化しました。   ベトナム反戦運動はとうの昔に終わり、カルチェ・ラタンや浅間山荘事件 も遠い記憶になる一方、ブラック・パンサーの元闘士が昔を懐かしんで同窓会 を開くような時代になりました。   かれらに影響を与えたファノンに関連して、スレイプニルさんの書き込み から何かを読みとれとのことですが、彼に限らず、論戦相手以外の書き込みを ほとんどナナメ読みするか、飛ばして読んでいる私には無理な話です。   むじなさんは、スレイプニルさんから一体何を読みとったのでしょうか? あるいは、スレイプニルさんから韓国で解放闘争でも展開したとかほのめかす ような文章でもあったのでしょうか? そうだとしたら人物を見直すのですが。  (本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/09 - 08036/08036 PFG00017 半月城 指紋(韓国の指紋制度) ( 8) 99/10/09 22:49 07996へのコメント   SKさんならともかく、むじなさんが日本の指紋制度と韓国の指紋制度を 同列に並べてか、韓国の制度を不問に付したまま日本を責めるのは「片手落ち」 じゃないかと書かれたのには驚きました。   RE:7996,むじなさん >そもそも、指紋押捺は、韓国では最も厳しく行なわれている制度のはず。 >クオンヒロも、プサンについて真っ先に全指紋押捺という儀式をやったじゃない? >それを不問に付したまま、日本の外国人への指紋押捺(たしかに、不愉快な >ことであるし、私は廃止したほうがいいと思うが)についてあれこれいう >のは、それこそ片手落ちの議論じゃないの?   この回答へのヒントとしてか、#8003で不如省事さんが姜尚中教授の 下記発言を引用しました。 <「内外人平等の原則」からすれば定住外国人にもにも日本人と同じ権利が与 えられなければならない。したがって日本人に強制されていない指紋押捺を外 国人にも強要してはならない。これは至極まっとうな議論です>   この引用で、むじなさんへのコメントとしては十分と思うのですが、ここ でついでに韓国の指紋制度について補足したいと思います。   韓国で指紋制度が始まったのは、金嬉老事件がおきた1968年でした。 このころは、南北ともお互いに武装浸透工作が盛んなころでしたが、この年、 韓国の東海岸で北朝鮮のゲリラと銃撃戦が展開され、韓国に衝撃を与えました。   その余波で、朴正煕軍事政権のもと指紋押捺制度が始まりました。南北の 冷戦が生んだ悲しい制度といえます。   この制度で、住民は韓国人であれ外国人であれ、ひとしく指紋の押捺が義 務づけられました。いうまでもなく「内外人平等」でした。   しかし、内外人平等であるからといって、住民をすべてを犯罪者扱いしか ねない制度に批判が集まるのは当然です。最近は拒否運動が活発になりました。 しかし指紋押捺制度撤廃が先か、南北統一が先か見通しはつけにくいようです。 (注1)半月城通信<近・現代雑考、韓国と北朝鮮の工作合戦>参照  (本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/10 - 08046/08046 PFG00017 半月城 内外人平等の原則 ( 8) 99/10/10 22:43 08040へのコメント   むじなさんは「内外人平等の原則」を早とちりしておられるのではないで しょうか?   RE:8040,むじなさん >国連というのは、常任理事国である中国が強調するように、「主権国家が >前提となって、主権国家によって構成されるもの」に過ぎないわけで、 >カン教授もあなたも「定住外国人にも日本人と同じ権利」というなら、 >国連を否定しないとダメなんです。 >主権国家、国民国家という前提があるかぎり、「定住外国人にも多数民族と >同じ権利を」という主張は、まったく認められません。   むじなさんに限らず、多くの日本人は私たちが主張している「内外人平等 の原則」を「定住外国人にも日本人と同じ権利」を要求するものと勘違いして いるようですが、ここに大きな誤解があります。   一般に「原則」には例外がつきものですが、「内外人平等の原則」もその 例にもれません。私が依拠している国連の基準で若干の例外があります。   国連の基準とは、これまで何度も書いてきましたが、国際人権規約をさし ます。これはご承知のように、社会権規約(A規約)と自由権規約(B規約) からなりますが、自由権規約のほうに原則の例外があります。それは国民主権 の原則に立つ、次の第25条です。 第25条   すべての市民は、第2条に規定するいかなる差別もなく、かつ、不合理な 制限なしに、次のことを行う権利及び機会を有する。 (A)直接に、又は自由に選んだ代表を通じて、政治に参与すること。 (B)普通かつ平等の選挙権に基づき秘密投票により行われ、選挙人の意思の   自由な表明を保障する真正な定期的選挙において、投票し及び選挙される   こと。 (C)一般的な平等条件の下で自国の公務に携わること。   この条文で「市民」とありますが、これには国民国家の原則上、外国人は 含まれないとされています。私はこの原則に反してまで、外国人に国政参政権 や国政に関係した公務員採用を認めるよう要求するつもりはありません。   それでは地方参政権のほうはどうなのかという質問が出されると予想され るので、あらかじめ私の考えを記しておきます。   そのまえに地方参政権の定義ですが、私はアメリカのように各州独自の法 律を制定できるような権限を持った地方政治に参加する権利を地方参政権と呼 んでいます。   このようなアメリカタイプの地方参政権の場合は人権規約とのかねあいか ら、国家間の相互主義にもとづき外国人にその権利を認めるべきだと考えてい ます。   これに対し、日本のように3割自治と呼ばれるような地方自治権は、およ そ地方参政権とはほど遠いもので、私はこれを地方自治選挙権と称しています。   この程度の地方自治選挙権を定住外国人に付与することは、国民国家の原 則を損なうわけでもないし、逆に地域社会の国際化や発展にプラスになるので、 定住外国人に門戸を開くべきではないかと思います。   日本の国際化は人口の面でも進み、いまや東京都区部で生まれる赤ん坊の うち14人に1人、大阪市では13人に1人の親が外国人であるような時代に なりました(朝日新聞,99.10.8)。国際化社会には国際的な基準をマッチさせ るべきなのはいうまでもありません。   ちなみに韓国ですが、最近、在日韓国人の地方自治権要求運動を支援する 目的もあって、在韓外国人の地方自治選挙権を検討し始めました(注)。これ により日本は相互主義を理由に実施を引き延ばすのは困難になることでしょう。 (注)民団新聞、1999.9.22 「在韓外国人にも地方参政権付与」   韓国の金杞載・行政自治副長官は8日に行われた記者会見で、韓国に5年 以上居住している外国人に、地方参政権を与える方針であることを明らかにし た。   現在、行政自治部、外交通商部、法務部、中央選挙管理委員会などの関連 部処間協議に入っているという。   これによって、2002年に実施される次期地方自治体選挙(第3期)か ら在韓外国人に地方選挙権が与えられることになる。在韓外国人が選挙権を行 使するためには、各世帯が所得に関係なく、韓国人と同様の住民税納税の義務 が課せられる。ただ、今回付与されるのはひとまず投票権だけ。   これによって、民団が「永住韓国人に地域住民としての権利である地方自 治体参政権の付与を」と全組織を挙げて展開している「地方参政権獲得運動」 で、日本の一部から声が出ている「相互主義論」に完全に対応した形となり、 同運動の進展に大きな影響を及ぼすのは確実だ。   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/17 - 08115/08115 PFG00017 半月城 ドイツと出生地主義 ( 8) 99/10/17 22:35 08049へのコメント   SKさんは、最大の在日韓国人団体である民団に対して誤った認識をもっ ておられるのではないでしょうか?   RE:8049 > そのようなことを考えると、民団が音頭をとって「指紋押捺反対!」などとい >うことを呼号したというのはほんとうに信じがたい。さらに韓国政府が外交ルー >トを使ってこの指紋押捺撤廃を俎上に上げたというのもなおさら信じがたい。   SKさんの思考回路では信じがたいのでしょうが、85年当時、民団が発 行した書籍に撤廃運動がこう書かれています(注1)。        --------------------   私たちは、つとに外国人登録法の「指紋押捺・常時携帯・提示義務」撤廃 を要求する運動を進めてきました。そして、その一環として1983年の百万 人署名運動は全国各地で広く日本人の関心を集め署名数は百八十万余に達し、 画期的な成果を収めたことは周知のとおりであります。   また、1984年9月には我が国の全(斗煥)大統領が訪日され、在日韓 国人にとって、重大な関心事である外国人登録法改正問題について、日本政府 に申し入れを行いました。   しかしながら、日本政府はこれに対しては明言を避け、その後法務省は今 日まで指紋押捺をはじめとする現制度を改正する意志のないことを公言しては ばかりません。   指紋押捺義務撤廃要求の運動は、単に日本国内の問題に止まらず、広く人 権問題として、国連の人権擁護委員会においても取り上げられ、国際的な関心 を集めております。        --------------------   日本の指紋制度に反対した民団や韓国政府を「マヌケ」と決めつけるよう なSKさんですので、その発言にいちいち目くじらをたてても得るところがな いのですが、不如省事さん流にいえば「冷や水を浴びせる人がいるからこそ運 動のやりがいがある」のかもしれません。ただし、私は運動家ではありません が。   そこであえてSKさんに質問するのですが、SKさんは国連人権規約がめ ざす内外人平等の「原則」をどのようにお考えですか? また、人権規約委員 会の勧告を蹴ってまで、在日外国人三世や四世にも外国人登録証の常時携帯を 義務づけている現状をどのようにお考えですか?   そもそも、SKさんは反帝国主義さんのように人権規約をあまり重視しな い立場でしょうか? ちなみに社会権規約(A規約)第2条ではこううたわれ ています。  「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言 語、宗教、政治的意見その他、国民的(民族的)若しくは社会的出身、財産、 出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障すること を約束する」   この精神からすれば、人は生まれながらにして法のもとに平等であるべき で、国連からも勧告があったように、親の国籍のゆえにその子が外国人登録証 の常時携帯を義務づけられるような法律はあってはならないと考えます。   SKさんは、まさか在日外国人の子どもは、たとえ5世であろうと法的に 差別されて当然とお考えなのではないでしょうね?   生まれながらにして法的に平等という精神を、国民国家が原則の現状の枠 組みで実現するには、各国は出生地主義を採用するしかないのではないかと思 います。   この観点からすれば、前にも書きましたが、日本のみならず韓国などの血 統主義も人権規約の精神に反するのではないかと思います。   現在、世界的には出生地主義の国が圧倒的多数ですが、そのなかで珍しく 血統主義を採用していたドイツも最近ついに出生地主義を導入しました。   同国のシリー内相は、この切り替えを「歴史的な第1歩」と評しましたが、 血統主義の日本や韓国からみると、ドイツの新国籍法はおいそれと真似のでき ない画期的な変革です。その概要を下記に引用します。        -------------------- 国籍取得条件を大幅に緩和――  外国人のドイツ社会への融合を目指して     『ドイッチュラント』NO.4/99 8月/9月号     http://www.net4you.net/user/ciperle/yciperle.htm#003  ドイツでは、毎年約10万人の外国籍の子供たちが生まれる。 だが2000年1月1日に新国籍法が発効すると、事情は 変わる。親が外国人でも、ドイツ生まれの子供たちには、 ドイツ国籍が認められるようになるからだ。従来の ドイツ国籍規定の血統主義に、出生地原則が加味されるのである。  ・・・  改正法の骨子は次のとおりである。 ドイツに8年以上合法的に滞在する外国人を父または母としてドイツで 生まれた子供は、自動的にドイツ国籍を得る。ただし、この父親または 母親は、滞在権または少なくとも3年前から無期限の滞在許可を所持して いなければならない。子供が誕生と同時にもうひとつの国籍を得る場合は、 18歳で成人に達した時点から5年以内に、ドイツ国籍と第2の国籍の いずれかを選択しなければならない。23歳になった後もドイツ国籍を 保持しようとするものは、23歳になるまでに外国籍の放棄または喪失 の証明を提出しなければならない(オプション・モデル)。これが行な われない場合、ドイツ国籍は消滅する。  ・・・  シリー内相は連邦参議院の最終審議の場で、改革はドイツの国籍法を ヨーロッパ的水準に引き上げ、ドイツの社会的平和を強化する措置、 と述べている。同内相によれば、これによってドイツでも国民の概念が より現実に近いものとなる。国民という概念は民族的均質性に依拠する と考えるのは幻想であり、社会的まとまりは共通の言語や地理的な境界、 あるいは統一的な宗教だけではけっして達成できない。開かれた現実的な 国民の概念は、平和的に共存しつつ共同で未来を建設していこうとする 意志、さらに自由な社会の基本である諸価値への忠誠に立脚しなければ ならない。その意味で、新国籍法は「異なる文化の、豊かで平和的な 共存の基礎」となる。シリー内相は、このように述べている。  ・・・        --------------------   戦前、ゲルマン民族の優秀さを誇らしげに叫び、はなはだしくはユダヤ人 とのセックスまで禁じたドイツも、ついに民族的均質性にもとづく国民という 概念を根本的に覆す道を選択しました。   こうまで激変した背景には、現在、ドイツ在住外国人がトルコ系の211 万人をはじめとして730万人、人口の約9%も占め、多文化・多民族共存が 日常化していた現実がありました。   この新国籍法の施行により、定住外国人の新生児にはドイツ国籍が認めら れ、法的な差別は完全になくなりました。なお、成人後の扱いですが、今回の 改正では妥協的な措置として、本人が23歳になるまでに最終的な国籍を選択 しなければなりません。ただし、今後の議論次第では、成人でも二重国籍が容 認される可能性は皆無ではありません。   改正を機にドイツでもうたわれましたが、世界的な傾向として「異なる文 化の、豊かで平和的な共存」が潮流になりつつあるようです。また、その方向 は私の理想とするところでもあります。 (注1)在日本大韓民国居留民団発行『指紋拒否した人のために』1985  (本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/24 - 08186/08186 PFG00017 半月城 人権規約と内外人平等の原則 ( 8) 99/10/24 21:02 08122へのコメント   反帝国主義者さん、RE:8122 > それから人権規約については、半月城さんの解釈は誤読と思います。この >文章は、「締結の国民」であることが要件になっていませんか。 > >>> 「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、 >>>性、言語、宗教、政治的意見その他、国民的(民族的)若しくは社会的 >>>出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使される >>>ことを保障することを約束する」   反帝国主義さんは、私が国連の社会権規約を誤読していると思いこんでお られるようですが、これは決して誤読ではありません。   たしかに、上記の社会権規約2条(2)では差別禁止の対象者として、外 国人を含むのか含まないのかあいまいなところがあります。しかし、これは上 記に続く条文(3)を読むと、外国人を含むことが明確であり、内外人平等の 原則がはっきりします。   この第2条について、専門家はこう述べています(注1)。        --------------------   この規定(第2条)をみてもわかるように、国際人権規約は、現実に存在 している一切の差別を否定し、すべての人をかけがえのない価値を持つ人間と して承認し、国際人権規約で定めた権利を保障していこうという考え方を明確 にしています。   なお、この点に関して一点補足しておきますが、それは国籍の違いによる 差別を原則的には否定しているということです。例えば、社会権規約の第2条 の3項では次のような規定があります。  「開発途上にある国は、人権及び自国の経済の双方に十分な考慮を払い、こ の規約において認められる経済的権利をどの程度まで外国人に保障するかを決 定できる」   この規定をみても、日本のような経済の発達した国では、国籍による差別 が否定されていることは明らかで、内外人平等の原則と呼ばれています。        --------------------   この解説からわかるように、開発途上国を除いて社会権は内外人平等が原 則です。開発途上国で社会権に関し外国人差別が許容されるのは、納税義務の ない一時入国者に国民と同じような社会保障をした場合、経済的に重荷になる ためです。   なお、国連の人権規約は上記の社会権規約(A規約)とならんで、自由権 規約(B規約)も同時に制定されましたが、両方とも世界人権宣言をもとにつ くられただけに、差別禁止は両方とも重要な柱になっています。   したがって自由権規約にも同じような差別禁止規定があります。すなわち、 第2条と第26条ですが、どちらも対象が「すべての個人」と明記されており ます(注2)。   その一方で、こちらには社会権の場合のような開発途上国に関する猶予規 定はありません。そのかわり、前に書いたように、外国人には国政参政権など 「市民」としての権利を保留しています。それ以外ではもちろん内外人平等で す。   日本は、この自由権規約がしばしば問題にされてきました。規約の実施状 況を5年ごとに審査する規約委員会で日本は毎回、耳の痛い勧告をされてきま した。   ここの会議室でいま問題になっている外国人登録証の常時携帯義務も第2 6条に違反するとたびたび勧告されました。たとえば、昨年はこう勧告されま した(注3)。 ○日本政府第4回報告書審議後の規約人権委員会による最終見解(98.11.5)  第17項   委員会は、外国籍の永住者に対し、外国人登録証を常時携帯していないこ とを犯罪とし、刑事罰を課している外登法は、規約第26条とは合致しないとし た、日本の第3回定期報告書審議後の最終見解で記した意見を再び述べる。委 員会は、このような差別的な法律は廃止されるべきであることを再度勧告する。   この勧告後、日本の法律が改正され、刑事罰は行政罰に変わりましたが、 依然として規約委員会の勧告にそっていないことには変わりありません。これ が5年後に再々勧告されることになるかどうか、これはいうまでもなく日本国 民の意向次第です。ちなみに、第3回の最終見解ではこう勧告されました。 ○日本政府第3回報告書審議後の規約人権委員会による意見(93.11.4)  第9項   当委員会は、在日韓国・朝鮮人、部落民及びアイヌ少数民族のような社会 集団に対する差別的な取扱いが日本に存続していることについて懸念を表明す るものである。永住的外国人であっても、証明書を常時携帯しなければならず、 また、刑罰の適用対象とされ、同様のことが日本国籍を有する者には適用され ないことは、規約に反するものである。・・・   これから5年もたてば、日本もさらに国際化されているでしょうし、規約 人権委員会から再々勧告を受けることはないだろうとは思いますが・・・   なお、このほかに日本が内外人平等に関連して勧告されたことがらは下記 のとおりです(注3)。 第11項   委員会は、「合理的な差別」という概念の曖昧さに懸念を表明する。これ には客観的な基準がないため、規約第26条とは合致しない。・・・ 第13項   委員会は、朝鮮学校が承認されていないことを含めて、日本国民ではない 日本の韓国・朝鮮人マイノリティに属する人々に対する諸々の差別の実例に懸 念を抱く。委員会は締約国に、規約第27条に基づく保護は、国民のみに限定さ れないとする一般的意見23への注意を促す。 第18項   出入国管理及び難民認定法第26条は、日本から出国する外国人は、事前に 再入国を許可された者のみが、滞在資格を失うことなく日本へ帰ることができ るとしており、そのような事前の許可は完全に法務大臣の裁量によって与えら れている。この法律の下では、日本における第二、第三世代の永住者や日本に その生活の基盤を置く者は、日本を離れる権利と日本に再入国する権利を奪わ れるであろう。委員会は、この規定は規約第12条第2項及び同条第4項に違反 するという意見である。委員会は政府に「自国」という言葉は「国籍国」と同 義ではないことを注意する。委員会はそれゆえに政府が、日本で出生した在日 韓国・朝鮮人の人々のような永住者に関しては、事前に再入国許可を取得しな ければならないという要件を取り除くよう、強く要求する。   なお、次のような勧告だけは、5年後に極力避けるべきではないかと思い ます。 第6項   委員会は、第3回定期報告書審議の後に委員会が出した勧告が大部分実施 されていないことを残念に思う (注1)友永健三「人権とは? 国際人権規約と日本」部落解放研究所,1992 (注2)市民的及び政治的権利に関する国際規約  第2条(締約国の義務)1   この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつその管轄の下にあるすべ  ての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意  見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる  差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを  約束する。  第26条(法律の前の平等)   すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに、法律によ  る平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁  止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民  的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる理由によ  る差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する。 (注3)『RAIK通信』第58号(1999)、在日韓国人問題研究所         (TEL:03-3203-7575)  (本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/17 - 08116/08116 PFG00017 半月城 差別と帰化 ( 8) 99/10/17 22:36 08053へのコメント   南さんは、私の下記発言にある「差別フリー」という言葉を問題にしてお られるようですね。  <それに反しスレイプニルさんのように、在日韓国人にとって「差別フリー」 の象徴と考えられている医者になられたような人は、えてしてこうした在日韓 国人の心情には疎い存在になってしまうのではないかと思います>   南さんは、私の書き込み「金嬉老の釈放」#7841を最後までお読みになり ましたか? 文末で<記者の目>を次のように紹介しました。  <彼ら(在日韓国人・朝鮮人)は、大学を出ても公務員はもとより民間でも 大企業にはほとんど就職できなかった。就職先としては、いまでは近代的なレ ジャー産業になりつつあるパチンコ店や飲食店などが多く、将来に希望が見え ない若者の間には、少なからず脱力感が広がっていた。  「医者にさせるしかない」。親たちからは、こんな話をよく聞いた。こう語 る親はとりわけ教育熱心で、町工場で夜遅くまで働きながら、塾に通う子供を 気遣う姿には、何か心に迫るものを感じた>   記事のもとになった取材は83年ころですが、そのころの親は、子どもに 就職差別でみじめな思いをさせたくないという親心から「医者にさせるしかな い」と考える傾向は、涙ぐましいほど一途なものがありました。   かくいう私も就職差別にはほどほど手を焼きましたが、そんなとき医学部 を受験して再入学しようかと真剣に考えたくらいでした。その計画はどうあが いても経済的に不可能だったので断念しましたが。   南さん、これで医者という職業が私たちにとっていかに「差別フリーの象 徴」であったかおわかりになりましたか? 今でも、医者志向は在日韓国・朝 鮮人に根強いものがあり、身近なところでは愚妻の近親者も医者になりました。   医者以外に「差別フリーの象徴」としては弁護士があります。金敬得氏の 苦闘のおかげで外国人にも弁護士の道が開かれて以来、文系志向の秀才はこち らを目指すようになりました。   一方、医者や弁護士になれそうもない子どもをもつ親の「差別フリー」解 決策として、子どものためにという理由で一家あげて帰化する家庭が少なから ず見受けられます。   さて、帰化がここの会議室でも話題になっているようなので、この際、こ れについてすこし書いてみたいと思います。話題に合わせて、帰化の動機にふ れますが、まずはそのデーターを示しておきます。   帰化した人たちが組織した「成和会」のアンケートによると、帰化の理由 は下記のとおりですが、そのなかで「子どものため」という理由が一番多いの が目を引きます。(注1)。  成和会会員の帰化動機(137人回答) 1.子どものため        60人  44% 2.社会的理由(差別、不利益) 30人  22% 3.事業上の理由        42人  31% 4.政治的理由          5人   4%   帰化する在日韓国・朝鮮人は毎年7,8千人いるのに、サンプル数が13 7人とはあまりに少ないのですが、帰化した人は大半が民族組織とのかかわり を嫌ったり拒否しているので、全体的なアンケートは望めません。   そんな理由から上のデーターは貴重です。サンプルは少なくても、結果が 示す傾向は私の実感にも合います。なお、表で「事業上の理由」とありますが、 これもつきつめれば、ほとんど差別から逃れるのが目的で、日本国籍でなけれ ばできない事業につくために帰化する人は稀です。   金嬉老事件の時代に比べれば、日本社会の差別は格段に薄まりましたが、 それでもいまだに差別が在日韓国人社会に相当な影を落としていることはいう までもありません。   そんな差別や不利益があるのなら、なぜ帰化しないのかという声が聞こえ てきそうですが、これについて私の考えはすでに書きましたので、半月城通信 <市民と人権、帰化と差別>を参照してください。   RE:8069,多摩川の帝王さん >私個人としては、日本に住み続けて、「日本籍をいらない」という理由 >を「心情」以外には思い当たりません。   在日韓国・朝鮮人が帰化した場合、それはそれでまた新たな問題が発生し ます。周囲の心情的な反対は別にしても、日本社会が帰化した人を差別なしに 完全に日本人として受け入れるのかどうか予断を許さないからです。   故・新井将敬代議士は、選挙ポスターに「北朝鮮からの帰化」とブラック シールを石原慎太郎陣営から貼られたのは前に書いたとおりですが、このよう な悪意のレイシズム以外にも無意識のレイシズムに遭遇することは珍しくあり ません。   姜尚中教授が学生時代にショックを受けた山村(梁)政明君などはその一 例です。大学で彼の後輩にあたる作家の徐京植氏がそのあたりをこう解説して います(注2)。        --------------------   梁政明さんは山口県の在日朝鮮人として極貧の中で生き、9歳の時に一家 が帰化しちゃうわけですけれど、本人はその矛盾をかかえ続ける。そして早稲 田大学に来て貧しくて学費が出せないために二部に変わって、それでも学業を 続けた人なんです。  ・・・   また、民青系の学生運動にも関わるんだけれど、当時の日本共産党の学生 運動のスローガンが、「祖国と学問のために」となると、彼にとって祖国とは 何だということになるわけです。        --------------------   山村君は、民青にかぎらず日本のナショナリズムあるいは無意識のレイシ ズムに遭遇し、そこで疎外されている自分を発見したのか、自分の居場所やア イデンティティを探しつづけたようでした。そのさまよえる心の遍歴を徐氏は こう続けました。        --------------------   梁政明君は帰化した人だったが、早稲田大学で(北朝鮮系の)朝文研にも 行ったし、(韓国系の)韓文研にも来た。大和書房から出た彼の遺稿集『いの ち燃え尽きるとも』を繰り返し読んでみると、そこには在日二世の典型的な経 験があるんです。   ところが、自分の本意でなく帰化したにもかかわらず、日本籍をもってい るという理由で、在日朝鮮人の学生運動は彼を受け止めることができなかった。   一方、彼はクリスチャンなんですけれど、神の前では国籍はなく平等だと いうが、しかし日本の教会にいくら行っても、彼の悩みに答えられる人は誰も いなかった。  ・・・   彼はものすごく頭のいい人で、当時の二十代前半の人間が書いたとは思え ないようなことを考えているんですが、最後の遺書には、在日韓国人に対する 差別反対とか、日韓条約反対とか、平和統一支持とか、朝鮮人としてのスロー ガンが書かれていた。   また金嬉老同胞裁判支援とか、自分もまたもう一人のRだと書いた。Rは 李珍宇ですね。        --------------------   結局、山村君は日本のレイシズムにはじき飛ばされる一方で、自分の意志 とは無関係に与えられた日本国籍がかえってあだになり、在日韓国・朝鮮人社 会にも入れず、苦悩のはてについに死を選びました。   かれは遺書に「日本人でもない、もはや朝鮮人でもない祖国喪失者・・・。 私の安住の地は、一体どこにあるのか?」という一文を残し、自分の身を燃や し尽くしてこの世を去りました。   その最後の瞬間に叫んだ言葉は「金嬉老同胞裁判支援」というスローガン でしたが、これからすると、かれは自分の位置づけを、民族差別を訴えた金嬉 老と同じ同胞においていたようでした。   多感な山村君は、日本と韓国・朝鮮のはざまの中で結局は自己を確立でき ず、このような悲しい結末を招いてしまいました。山村君に限らず帰化した人 の場合、程度の差こそあれ、自分のよって立つバックボーンやアイデンティテ ィの確立は、かえって重要なテーマになるのではないかと思います。   帰化した人の場合、これが試される人生の関門に恋愛や結婚があります。 恋愛の場合、相手に自分の出自をうち明けるのは当然として、それから先、相 手の家族にそれを話すのか話さないのかは悩ましいところです。   ふだんはとうていレイシストには見えない善良な市民も、いざ肉親の結婚 話ともなれば、なりふりかまわずレイシストに豹変する可能性は十分あります。   ふつう、家族の幸せな結婚を望み、興信所による結婚調査をする家庭が多 いようですが、お見合いのケースではこの段階で少なからずご破算になってし まうことでしょう。   この壁をどうクリアするのか、帰化した人には重大な関心事のようです。 これを解決するために、先ほど紹介した成和会の青年部がうまれたといっても 過言ではないようです。すこし古くなりますが、その部長はこう記しました (注3)。        --------------------   私は青年部に集まって来る多くの青年と話合った。そしてほとんどの「帰 化」青年は、私を失望させた。私は「帰化」することが、日本人になることだ とは決して考えない。   ところが、青年部に集まる青年は、仕事の面でも、考え方の面でも、祖国 朝鮮を意識していないという事実がある。そこにあるのは、日本人より、より 日本人的になろうとする青年の顔であった。   帰化一世のほとんどは、自ら味わった生きることの苦労を、わが子に味わ せたくないと言う。仕事の面でも考え方の面でも、あらゆる面で「苦労をさせ ない」ため過保護に徹する人がほとんどである。   金の苦労も、仕事の苦労も精神的苦労もない青年がただ一つぶつかる難関 は、結婚である。世間に「朝鮮人」であることをかくして生活して来て、結婚 の時打ち明ける苦痛は、彼ら過保護に育った青年には、耐えられないのであろ う。   そういう青年の集まりが、成和クラブ青年部である。成和クラブ青年部が、 活動をはじめてすでに4年を経過するにもかかわらず、何の成果もあげていな い原因は、ここに存在するのである。        --------------------   やはり日本国籍を獲得した人たちにとって、結婚という難関を突破するに は、確固たる信念やアイデンティティが必要なようです。   これは結婚にかぎらず、あらゆる場面でいえることかもしれません。日本 籍を獲得する前は、差別されて当たり前という心構えが無意識にでもあるので すが、日本籍を獲得した後に出会う予想外の差別や難関に打ちひしがれたので は、もはや立つ瀬はなくなります。   ちなみに、成和会の青木氏は自分のアイデンティティや生き方、祖国観を こう述べました(注3)。        --------------------   私の家族は、日本国籍を獲得して15年以上になる。私が中学生のころで あった。しかし日本国籍になったとはいえ、わが家では現在もなお、祖国朝鮮 の習慣や食生活は継承している。そして父は、今もなお一部の人の非難を無視 して、民団の会合に出ている。   私は特に礼儀作法をきびしくしつけられた。そのため私は祖国朝鮮を忘れ るどころか、かえってあこがれたもので、この気持ちは誰にも負けないと自負 している。   朝鮮が日常生活の場から少しずつ消滅し、日本社会に同化する傾向がある 中で、私の祖国朝鮮に対するあこがれの精神だけが残り、祖国を理想化し観念 的に純化してきた。   朝鮮の文化や歴史を学び、日帝の占領時代のことや、強制連行や強制労働 のこと、朝鮮戦争のことなど、知れば知るほど祖国朝鮮がいとおしくなる。そ してその思いがつのればつのるほど、日本人や日本政府の在日朝鮮人に対する 処遇が思い出され、怒りに震えるのである。   しかしその怒りは、例えば、日本の文化の象徴を拒否すること(ゲタや和 服は身につけない、日本の祭りを否定する等)には向かわないのである。そう いう面では、少しあいまいな面を持っている。限界はあるにしても、これは 「日本人志向」では決してないことを明確に認識されたい。   そして心の中で純化された「祖国朝鮮」の観念は、長く都会に出ていた者 が故郷に帰って失望するごとく、南・北朝鮮の現実の祖国とのあまりの相違に 気づき、私は完全に失望した。祖国朝鮮は二つに分断され、在日同胞も憎悪を むきだしに対峙する、その現実に。  「祖国朝鮮」の観念が、現実の祖国と重なってくる、そういう存在であった ならば、もっと日本国籍であることを呪い、悩み、苦しんだであろう。山村政 明君のように。しかし残念ながら現実は、私をそんなに苦しめなかった。        --------------------   帰化した人の中で、青木氏のような考えはおそらく少数ですが、そこに帰 化した人の悩みや問題が集約されているとみることができそうです。   差別や不利益から逃れるための帰化は、マジョリティの差別構造が変わら ないかぎり、マイノリティの表面的なラベルを韓国・朝鮮から日本にしただけ にすぎないので、それで本質的な問題が解決されるわけはありません。   やはり根本的には血統偏愛の風潮を改めるしかないのですが、これにはド イツのように出生地主義への転換が有効であろうと思います。日本に四世代も 五世代も住み続けている人を、単に血統のゆえに生まれながらの国民にしよう としないやり方は、社会にとってもむしろマイナスであるのはいうまでもなく、 グローバルにみてもあまりに異常です。 (注1)閔寛植『在日韓国人の現状と将来』白帝社,1994 (注2)徐京植「引き剥がされた者たち」『在日朝鮮人「ふるさと」考』       新幹社,1998 (注3)青木宏純「日本国籍をもつ朝鮮人として」『まだん』3号       季刊まだん編集委員会,1974  (本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/24 - 08185/08185 PFG00017 半月城 金嬉老事件と姜尚中教授 ( 8) 99/10/24 21:01 08118へのコメント   かりんさんは、私が差別問題でスレイプニルさんと姜尚中教授を対比させ て書いていることに気づかれましたか?   二人とも在日韓国人からすると、差別からかなりフリーである職業につか れた方ですが、こうした人はえてして在日韓国人の心情には疎い存在になりが ちです。   しかしだからといって、こうした人たちがみなそういう存在になってしま うわけではもちろんありません。この場合でいうと、スレイプニルさんと違っ て姜尚中教授は差別問題、とくに金嬉老事件に関し、在日韓国人の心情に疎い どころか、むしろその胸中をよく伝えていると私は思っています。   したがって、かりんさんの憶測「要するにあなたはスレイプニルさんの職 業が医者であることをつつくことによってしか批判に答えることができないと いうことですか?」はまったく見当はずれになります。   前置きはこれくらいにして、そろそろ本題に入ることにします。   スレイプニルさんは、金嬉老事件について#7934でこう書きました。 >                   蔑視されたり赤貧にあえい >だりしていた人間が金嬉老氏一人であったわけでもなし,彼の主張が >貴方の関心事と一致するからと言って「反逆」などと牽強付会するの >は滑稽なだけです。まあ本当に彼の主張がホンモノだったとしても >それは所詮は彼個人のちっぽけな「反逆」に過ぎず,周りで騒ぐ連中 >はその尻馬に乗って一喜一憂しているだけの話ということ。「在日」 >が独立戦争でも起こしたとかであったら歴史の審判を仰ぐこともでき >ましょうが,あの程度じゃ評価の対象にもなりませんね。   この発言から推測すると、昔の苦学時代のかれはいざしらず、現在の差別 に縁遠いスレイプニルさんは、在日韓国人の歴史に由来する心情にはもはや疎 い存在になってしまったのではないかと思います。   ここでひとます、事件当時の在日韓国人の心情はどうであったかについて ふれておきます。在日韓国人最大の団体・民団の李祐天団長は、籠城中の金嬉 老に面会しましたが、そのときかれに「辛かったろう、よくやった。同胞みん なの気持ちをよく代表してくれた。なんで我々はこんなに日本の奴らに苦しめ られなければならないんだ」と語ったとされます(週刊新潮、99.10.14)。   この発言は状況が状況だけに、また金嬉老が極限状態にあるときの記憶だ けに話半分に聞く必要がありますが、それでも「同胞みんなの気持ちをよく代 表してくれた」というせりふは、真実に近いのではないかと思います。   これを裏付けるかのように、当時の民団の機関誌である「韓国新聞」(68. 3.5)のコラムもこう書いていました。 「率直に、筆者は、この事件をテレビを通じて知り、見た刹那、彼の犯した 重大なる罪を忘れて、彼の演出した“朝鮮人侮蔑”という言葉に、心の隅にあ った共感が無意識的に、彼に対する同情心へ、変わってゆくのを覚えたのであ る。   われわれ韓国人は大なり、小なりに、日本人に対する、このような感情を 持っていることは、否めない歴史的事実である」   このコラムはやや控えめですが、このような見方ないしは李団長の見方は 在日韓国・朝鮮人の間で支配的なようでした。さらに、金嬉老に対する同情心 は韓国人のみならず、人質として恐怖のどん底に突き落とされたはずの人まで もが一部もっていたようでした。それについて金嬉老は手記でこう語りました (週刊新潮、99.10.14)。        --------------------   寒い冬の晩のこと。寝間着姿の13人はただ押し黙って私の言うことに耳 を傾けました。  「私は朝鮮人です。朝鮮人として日本の人から随分惨めな思いをさせられ、 傷つけられてきました。母や兄弟、同胞たちの苦痛も、同じように見てきてい ます。   私は警察に対して許せない屈辱を受けました。警察相手にどうしても決着 をつけなければならないんです。決着がついたら、自殺する。協力してくださ い。迷惑をかけてすみません」   気がつくと私は土下座をしていました。もう何日かしたら俺はこの世の中 にはいない。この見ず知らずの人たちに一生懸命訴えながら、そんなことが頭 をよぎりました。自然と涙が溢れてきました。   それから皆で窓側に畳でバリケードをつくりました。ライフル銃も放り出 したままです。ダイナマイトも車の中から運んでもらいました。   これから結果的に88時間にわたって立てこもりが続くことになりますが、 私は彼らを人質だと思ったことは一度もありません。のちに裁判で検察官が、 「一人逃げれば一人殺す」と私が彼らを脅迫したなどという“作文”を冒頭陳 述に書いてきますが、そんな事実は一切ありません。   私は、ご主人の望月さん一家のお子さんが怖がらないように、当時流行っ ていた『赤影、青影』の歌を歌ってあげたり、お小遣いをあげたりしたことも 覚えています。   私は、彼らが、差別に苦しんだ朝鮮人としての自分の訴えをある部分、理 解してくれていたのではないか、と今でも信じています。        --------------------   このエピソードも話半分に聞くべきでしょうが、「人質」も金嬉老の人間 としての訴えには同情的ですらあったようでした。そんな和やかな雰囲気を物 語るかのような写真が先ほどの週刊誌に掲載されました。   その写真をみると、金嬉老は旅館の一室でライフルを構えるどころか、背 中を丸め、寒そうにこたつの中に両手・両足をつっこむかたわら、同室の「人 質」たちも一緒にこたつに入ったり、あるいは七輪に手をかざしたりしながら 皆で平穏にテレビを見ているようでした。   このスナップは、ライフル魔が人質をむりやり監禁しているという恐怖の シーンにはほど遠いものです。こんな場面で、金嬉老が要求した警察官の謝罪 がテレビをとおして行われたのでしょうか。しかし、それはあまりにお粗末だ として「人質」たちも金嬉老とともに憤っていたのかもしれません。手記には こうあります。  <小泉刑事は気のない調子で、しかも事情を知らない人が聞けば、何のこと か分からないような謝罪をおこないました。一緒にいた同宿者たち(断じて “人質”ではない)から、「金さん、これはひどいよ。これじゃ何のことか分 からない。もう一度やらせた方がいい」と進言される始末でした>   おそらく、金嬉老の訴えは「人質」にも同調してもらえるほど説得力のあ ったものだったのでしょう。前にも書いたように、志願して人質になった新聞 記者も「差別問題を訴える彼の主張には共感を覚えた」と書いたくらいでした。   こうまで多くの人を見方につけた金嬉老なりの闘いを、スレイプニルさん は矮小化のためか唐突に「在日の独立戦争」とかを引き合いにだし、評価の対 象にならないと断じました。   さらに「例の一件はそんな平凡でいささか気が弱いいじめられっ子が,長 じて起こした昔の事件」と、単純な犯罪として葬り去ろうとしているわけです。 この発想は、在日韓国人としてはレアケースであるといえます。   ただスレイプニルさんは、むじなさんにいわせれば「(ある意味では)素 直ではなく、一筋縄ではいかない人であるんだけど、ある種のイデオロギー的 偏見なしに読めば、彼の「心情」はそんなに分かりにくいものではないはずな んだけど?)」ということなので、かれの発言には特別にアク抜きをほどこし た後、専用のフィルターでこして、上澄みだけを味わう必要があるのかもしれ ません。   とくに金嬉老事件の場合、不如省事さんが紹介されたように、在日韓国人 にとって「虎の尾を踏むような感覚」がつきまとうので、かれのいう「気まぐ れな議論」では饒舌なスレイプニルさんも、会議室用にある種の予防線を張っ て、真情の吐露をためらっている可能性はひょっとしてあるのかもしれません。   一方、姜教授の考えはどうなのか、この機会にあらためて紹介したいと思 います。文末の論評は韓国の新聞に載った記事ですが、私たちの想いをよく代 弁していると同時に、事件の背景を的確に分析しているといえます。   さらに、結論で「クォン老人をとおして、私たちが考えねばならないこと は、どのようにすれば、彼と同じような悲劇をつくりだした、三国の対立と相 克の歴史に終止符を打つことができるかという点だ。私たちのなかのクォン・ ヒロは、いまも、このような問いを投げかけていると思う」と述べているくだ りは傾聴に値します。        -------------------- <姜尚中コラム>権禧老が私たちに問いかけるもの   「文化日報」1999.9.14<姜尚中記者>(転載許可済み)      翻訳は、下記ホームページ「つぶやき会議室」に準拠。   URL: http://fboard.jp.cgiserver.net/CrazyWWWBoard.cgi?db=AKIZUKI      の211番  去る7日、マスコミの前に姿を現したクォン・ヒロ(権嬉老、日本名キム・ ヒロ、金嬉老)は、やはり、31年間の服役のため、老衰していた。歳をとっ たものだ・・・それが私の最初の印象だった。  かつて、ライフルとダイナマイトで武装したまま籠城した当時のトレード マークのように、今度も彼は自分が愛用している狩人帽(ハンチング)をかぶ ったまま、ふたたび世の中に出てきた。  狩りというのは、もしかすると「金の戦争」(映画)の象徴ではなかったか。 70歳に達した老人の、依然として輝きを失わない鋭い眼差しは、彼がなぜ、 狩人帽をかぶったまま日本を離れたのか、という彼の内心を語っているかのよ うだった。 悲しみの在日同胞の自画像  しかし、クォン老人の手には、今度は、ライフルもダイナマイトもなかった。 そのかわりに、太極旗で包まれた、母親の遺骨だけがあった。それだけが、す ぐる30余年の無情な歳月を物語っているものだ。  日本のマスコミが、当時、列島を震撼させた「不逞鮮人」(ママ)の仮釈放 と事実上の国外追放ドラマに焦点をあてたのは、当然のことだったかもしれな い。  そのうえ、度を超した過剰報道ではあったにせよ、韓国人たちがクォン・ヒ ロというひとりの人間の不遇な在日韓国人の闘争をとおし、自分たちの歴史を 振り返り、彼から「反日」という不屈の意志を読もうとすることも理解できな いところではない。  ただ、心に引っかかることは、クォン氏もその一員であった、平凡な在日韓 国人の声がほとんど聞こえてこないという点である。  圧倒的多数の在日韓国人は、民団と朝総連、あるいは、いろいろな立場の違 いに関係なく、そのことに沈黙したまま過去の亡霊がだまって日本を離れてい くのを眺めていたのかもしれない。  クォン氏はまるで在日韓国人の記憶のなかにとどまらねばならない悲惨な自 画像のシンボルであり、同時に、否定したい自分たちの分身ではなかっただろ うか。  かえりみると、あの68年、クォン氏が旅館の泊まり客を人質に籠城し、日 本のマスコミに民族差別を叫ぶ自滅的な行動にでたとき、世界は戦後最大の激 動におそわれていた。  ベトナム戦争は次第に激化し、反戦と反体制の、いわゆる68年革命が世界 的に拡散した。米国では黒人解放運動の指導者であるキング牧師が暗殺された、 血なまぐさい季節が続いていた。そして、旧ソ連のチェコ侵攻と中ソ対立が社 会主義の夢をこわしていた。  韓半島は、冷戦の熾烈さのなかで凍りついており、韓日条約締結から数年が 過ぎたものの、相変わらず、(韓日)両国のあいだでは、心がまったく通わな い厳冬の時代が続いていた。そして、韓国は貧しく、始まった独裁時代の苛酷 な支配を経験しなければならなかった。  しかし、過去の植民地支配の宗主国であった日本は、空前の高度成長と繁栄 を謳歌し、東京オリンピックの余勢を駆って、経済大国としての道を邁進しよ うとしていた。  事件は、このような日本の、ある平凡な温泉旅館を舞台として起きた。当時、 在日韓国人は、はたして、どのような存在だったのか。ひとことで言うなら、 「棄民」扱いを受け、日本社会から「潜在的な犯罪者」として扱われる、厄介 者以外の何者でもなかった。  このような冷遇にがまんできず、明日の希望を求めて、北朝鮮へ帰国した在 日韓国人と、日本社会にとどまり、そのなかで呻吟できず自滅的な暴挙に出ざ るをえなかったクォン氏は、ある意味で共通の運命を生きなければならなかっ たのである。  日本の外に出ていくか、それとも日本のなかにとどまるか。その違いはある としても、そこには、戦後の冷戦下で、日本・韓国・北朝鮮の三国のあいだに 挟まれたまま、呻吟しないではいられなかった、在日韓国人の歴史が刻まれて いる。 韓日の反目を終わらせる契機として  ここで、忘れてはならないことは、韓国の苛酷な独裁時代に祖国に帰国した のち、政治犯として残酷な歳月をすごさざるをえなかった在日同胞中の志ある 人士たちの歴史だ。  かれらは、クォン老人と違い、環境の偶然の違いのため、教育を受ける機会 をえて、犯罪という形態で民族差別を訴える道を選ばなかった。しかし、かれ らとクォン老人の違いは、紙一重の違いでしかない。そして、私とクォン氏を 分けた運命の違いも偶然のものにすぎないと思う。  このように見るなら、クォン氏は単純な犯罪者ではないが、また英雄でもな い。彼は、三国のよじれた戦後史の軋轢のなかでもがいた在日韓国人の自画像 の一部にすぎない。  クォン老人をとおして、私たちが考えねばならないことは、どのようにすれ ば、彼と同じような悲劇をつくりだした、三国の対立と相克の歴史に終止符を 打つことができるかという点だ。私たちのなかのクォン・ヒロは、いまも、こ のような問いを投げかけていると思う。        --------------------  (本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


ご意見やご質問はNIFTY-Serve,PC-VANの各フォーラムへどうぞ。
半月城の連絡先は
half-moon@muj.biglobe.ne.jp です。