#7844/7844 日本史ボード
★タイトル (SPM07550) 99/10/10 14:33 ( 65)
【古代史】八坂神社とスサノオ 半月城
★内容
がんもさんに呼ばれたようなので、久しぶりに出てきました。とりあえず、
簡単にかけるテーマとして、話題になっているスサノオを取りあげたいと思い
ます。
スサノオを祭る有名な神社に京都祇園の八坂神社があります。この神社に
ついて、司馬遼太郎が意外なことを書いていますので、それを紹介します。
司馬は、薩摩焼の陶工を題材にした『故郷忘じがたく』(文春文庫)のな
かで、陶工たちがあがめる韓神(からかみ)の玉山宮について、こう記しまし
た。
「(玉山宮の)社家屋敷は、大地のはずれにある。その前は、一望の麦畑で
あり、いかにも天が広く地があかるく、神々の神遊びの庭としてこれほどふさ
わしいところはあるまいとおもわれた。
神遊びといえば、この小さな山の上の韓神の社に、京の祇園八坂神社から
毎年、会合の招待がくるという。八坂神社というのは全国に7千ほどある。祭
神はスサノオノ命(みこと)である。命は出雲に住んでいたが、どやら韓国の
新羅が故郷であったのか、新羅のソシモリにも住み、日韓の間を往来していた
とも日本書紀などで書かれているから、この神は古代に日本列島にきた韓人た
ちが奉祭していたものかもしれず、京の八坂神社も薩摩苗代川の山の上に鎮ま
る玉山宮の祭神とが、たがいに同族であるがために毎年招待状を送っているの
であろう」
この文章に触発されて、先ごろ私は八坂神社を訪れました。神社のパンフ
レットをみた限りでは、司馬のいう新羅との関連は見あたりませんでした。そ
こで200円出し『八坂神社由緒略記』を買ったところ、こちらには新羅との
関連が次のように書かれていました。
--------------------
八坂神社は明治元年まで祇園社と称していたので、祇園さんの名で親しま
れ信仰されている。社伝によると八坂神社は斉明天皇2年(656)高麗(こま)
より来朝せる調進副使の伊利之使主が新羅国牛頭山にます素戔嗚尊(スサノオ
ノミコト)を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、八坂造の姓を賜ったのに始まる。
伊利之使主来朝の事、又素戔嗚尊が御子、五十猛(イソタケル)神と共に
新羅国に降り曾尸茂梨(そしもり、楽浪郡牛頭山)に降られた事は日本書紀に
記すところであり、新撰姓氏録に八坂造は狛(こま)国人万留川麻乃意利佐の
子孫なりとある記録と考え合せて、ほぼ妥当な創祀と見てよい。
尚この八坂の地は、華頂山の麓に位置し、牛頭天皇示現の地と伝える瓜生
石も現存し、又神社の南方に八坂塔で知られる法観寺もあり、この一帯は今も
清水寺、双林、長楽、安養、知恩院等あり、当時霊地として信仰の対象であっ
た事を思えば当社創祀は斉明期以前をも想定しうる。
--------------------
文中にある高麗、狛とは高句麗のことをさしますが、八坂神社の社伝を信
じれば、この神社は高句麗系渡来人である八坂造が、新羅の牛頭(ごず)山に
ますスサノオを祀ったということになります。
高句麗と祇園祭というのは、どうもイメージとしてそぐわないのですが、
一体、八坂にいた高麗氏族とはどういうものなのか当然疑問がわきます。
これについて、京都大学の吉田光邦氏は「それは、南山城(やましろ)の
方にいた高麗氏の北上したものです。その氏族がひろがって来たものです」と
述べておられました。その時期は、社伝もいうように斉明朝よりもっと早い可
能性もあります。これを4,5世紀にさかのぼるとみる見方もあるようです(注)。
一方、話かわって、がんもさんご期待の渡来人の件ですが、私はいま他の
テーマにかかりきりになっていて、ちょっと余裕がありません。いずれ書くつ
もりですが、とりあえず、私のホームページ、半月城通信<古代史>にある下
記タイトルをみていただければと思います。
宮内省の守護神
日本人のルーツ(1)、アメリカの見方
日本人のルーツ(2)、二重構造モデル
日本人のルーツ(3)、騎馬民族
日本人のルーツ(4)、大和民族の形成
(注)金達寿『日本の中の朝鮮文化8』講談社文庫,1983
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
小林よしのりと一進会
「歴史会議室」 10/09 21:28
http://hyper2.amuser-net.ne.jp/~auto/b19/usr/cha2maru3/brd1/comdsp.cgi?572&&&1
【名 前】半月城
【メッセージ】
小林よしのりは、マンガ『戦争論』(幻冬舎)で一進会にふれ「日韓併合
はコリア最大政党一進会が望み世界が承認した」と書きたてました。
あたかも韓国の多数派が日韓併合を望んでいたかのような書き方ですが、
あまりにもマンガチックな見方です。これを多くの人が真に受けるかと思うと
空恐ろしくなります
このレトリックについては、ここの会議室ですでにピエールさんが山田朗
氏の著書(注4)を引用する形で「当時の韓国は政党政治ではなく・・・」な
どと批判を加えました。
ここではさらに前回に引き続き、一進会の主張が韓国ではたして影響力を
もっていたのかどうか、そのあたりを明らかにしたいと思います。これは同時
に Tetsuさんへの反論にもなります。
Tetsuさんは、一進会の最高幹部・宋秉畯に関する記憶違いを訂正しただ
けで、彼の過去にふれずじまいだったので、まずはそれから紹介します。
彼は暗殺者の命をうけ日本へやって来ました。ねらったのは、日本と結ん
だ甲申政変の首謀者・金玉均でした。しかし、かれは暗殺の目的を果たさず帰
国したため、韓国で危険視されるようになりました。そのため危険を感じ、か
れ自身も日本に亡命せざるを得ませんでした(注1)。
かれが再び韓国に帰国したのは日露戦争のときで、日本軍の通訳としてで
した。もちろん身の安全は保証されました。こうした事実からわかるように、
かれは日本の庇護のもとでしか生きられなかったようでした。
このような見方は当時からありました。たとえば、釈尾東邦は『朝鮮併合
史』でこう記しました(注2)。
--------------------
宋秉畯が日韓併合の最も熱心なる主張者であったと云ふことは如何なる理
由であったのであろうか。此の点は少しく考へて見たい。内田(良平)に言は
せると、宋秉畯は内田等の画策指揮に依りて動いたものの如く思はるるも、必
ずしも然らず。彼れは久しく日本に亡命漂浪して居った。彼は日本語に通じて
居った。彼れが朝鮮に帰って来たのは、日露戦争の初め、日本軍の通訳として
である。
(中略)彼れは金玉均を庇護したと云ふので李太王より睨まれて居るので、
其の身の安全を保つには日本の庇護に立つのが一番安全であるから、終に親日
主義の一進会を起して飽迄日本党として戦い、日本が保護条約の決意あるや、
突如として保護条約の韓国に有利なることを唱へて韓人を驚かし、終に進んで
日韓併合を提唱するに至ったのである。
・・・
彼れが李太王の譲位問題の時、最も勇敢に最も露骨に李太王に譲位を迫り
しが如き、又日韓併合の提唱に邁在直進したのは彼れの精神の根底には日本の
監督無き李太王の治下と朝鮮人の内閣の下に在るのは、宋其れ自身の命ちの危
いと云ふことも、彼れをして徹底的の親日派たらしめた所以(ゆえん)である。
故に必ずしも内田良平等の慫慂使嗾(しそう)を待たずとも、彼れは飽迄親日
の方針で終始する外は無かったのである。
--------------------
宋は、身の安全を守るため親日に終始せざるを得なかったという見方はあ
るいは単純すぎるかも知れませんが、当たらずといえども遠からずでしょうか。
日本軍の威を借りてはじめて帰国できたのだし、その後も親日の立場に立って
こそ政治活動が可能でした。
Tetsuさん、
>なお、一進会は、伊藤博文が暗殺された後の1909年12月に、『韓日合邦』の
>請願書と声明書を、百万会員の名のもと、韓国皇帝や李完容首相等提出し、
>全国民に訴えました
Tetsuさんは、何の考察も無しに「百万会員」をそのまま信じているので
すか? 統監府(総督府の前身)調査によれば韓国併合(1910.8.22)のころ、
会員は 1/10 以下の91,896人にしかすぎませんでした(注3)。どうやら、
Tetsu さんは恣意的な資料をそのまま引用するのが特徴のようです。
それはともかく一進会の活動は、朝鮮人は無論のこと、朝鮮併合の急先鋒
だった京城(ソウル)にいた日本人居留民や日本人新聞記者団からも強く反対
される始末でした。当時、在京城日本人新聞記者団は次のような決議をしまし
た(注2)。
--------------------
・・・今や韓国の政党一進会突如として日韓合邦論を提唱したるに、与論の
痛烈なる反対を受け初期の目的を達する能(あた)はず、唯徒(いたずら)に
韓人朋党軋轢の具に供せられ、一敗地に塗るるの悲境に沈淪したるは同会の為
に是を遺憾とするのみならず、日韓関係の促進上甚大なる障害を残したるを痛
嘆せずんばあらず。
・・・
一進会の合邦提議は各派団体の大反対を受け、京城の天地は忽(たちま)
ち鼎(かなえ)の沸くが如く、一たび伊藤公の兇変に驚駭したる人心は、更に
合邦問題に逢着して一層の危懼心を起し、相率ひて排日気勢を昂騰せしめ紛糾
混乱の状態を現出し、之を小にしては親日党に以て標榜する一進会を窮地に陥
らしめ、之を大にしては日韓関係の促進を妨害するに至りたる等、吾人の深哭
痛嘆措く能はざる所也。
・・・
「斯の如くにして一進会の運動は全然失敗に終り、其の合邦提議も有耶無耶
の間に消滅せんとす」
--------------------
文中にある「伊藤公の兇変」とは、韓国統監をつとめた伊藤博文がハルビ
ン駅で義兵・安重根に銃殺されたことをさしますが、この事件をきっかけに韓
国では排日の気運が高まっていました。そこへ一進会が「日韓合邦」を提議し
たものですから、韓国民の袋叩きにあったのは当然といえます。
そのように韓国民の反感を買った一進会の存在は、日本の既定方針である
韓国吸収合併に障害になりこそすれ一利もないので、日本人からもついに見放
されたのでした。
一進会は日本のお先棒をかついだつもりが、当の日本人からも邪魔者扱い
にされ、はては統監府から集会・演説が禁止されました。さらに韓国併合が達
成されるや、もはや無用の長物である一進会はついに解散させられました。哀
れなピエロ、民族反逆者の結末でした。
こうした歴史からすると、小林よしのりの「日韓併合はコリア最大政党一
進会が望み」という記述は、およそ読者をたぶらかすレトリックであることが
歴然としているのではないかと思います。
(注1)『朝鮮を知る事典』平凡社
(注2)山辺健太郎『日韓併合小史』岩波新書,1966
(注3)海野福寿『韓国併合』岩波新書,1995
(注4)山田朗他『君たちは戦争で死ねるか』(大月書店),1999
- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/09 -
08035/08036 PFG00017 半月城 フランツ・ファノン
( 8) 99/10/09 22:47 07996へのコメント
むじなさんは、ご自身の思想遍歴を物語るのか、ファノンにえらくご執心
のようです。
RE:7996
>そもそも、何度も書いているように、スレイプニルさんの人生経験談,
>読書でファノンを上げたことなどから、あなたがなにも読み取れないとした
>ら、あなたの知性の低さを物語っているだけのことです。
>(ま、スレイプニルさんも、そういう意味では、素直ではなく、一筋縄では
>いかない人であるんだけど、ある種のイデオロギー的偏見なしに読めば、
>彼の「心情」はそんなに分かりにくいものではないはずなんだけど?)
ファノンとはなつかしい名前を持ちだしたものです。60年代から70年
代にかけて民族解放闘争の旗手としてもてはやされたファノンも、今やほとん
ど忘れられた存在になってしまいました。それだけ時代が変化しました。
ベトナム反戦運動はとうの昔に終わり、カルチェ・ラタンや浅間山荘事件
も遠い記憶になる一方、ブラック・パンサーの元闘士が昔を懐かしんで同窓会
を開くような時代になりました。
かれらに影響を与えたファノンに関連して、スレイプニルさんの書き込み
から何かを読みとれとのことですが、彼に限らず、論戦相手以外の書き込みを
ほとんどナナメ読みするか、飛ばして読んでいる私には無理な話です。
むじなさんは、スレイプニルさんから一体何を読みとったのでしょうか?
あるいは、スレイプニルさんから韓国で解放闘争でも展開したとかほのめかす
ような文章でもあったのでしょうか? そうだとしたら人物を見直すのですが。
(本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/09 -
08036/08036 PFG00017 半月城 指紋(韓国の指紋制度)
( 8) 99/10/09 22:49 07996へのコメント
SKさんならともかく、むじなさんが日本の指紋制度と韓国の指紋制度を
同列に並べてか、韓国の制度を不問に付したまま日本を責めるのは「片手落ち」
じゃないかと書かれたのには驚きました。
RE:7996,むじなさん
>そもそも、指紋押捺は、韓国では最も厳しく行なわれている制度のはず。
>クオンヒロも、プサンについて真っ先に全指紋押捺という儀式をやったじゃない?
>それを不問に付したまま、日本の外国人への指紋押捺(たしかに、不愉快な
>ことであるし、私は廃止したほうがいいと思うが)についてあれこれいう
>のは、それこそ片手落ちの議論じゃないの?
この回答へのヒントとしてか、#8003で不如省事さんが姜尚中教授の
下記発言を引用しました。
<「内外人平等の原則」からすれば定住外国人にもにも日本人と同じ権利が与
えられなければならない。したがって日本人に強制されていない指紋押捺を外
国人にも強要してはならない。これは至極まっとうな議論です>
この引用で、むじなさんへのコメントとしては十分と思うのですが、ここ
でついでに韓国の指紋制度について補足したいと思います。
韓国で指紋制度が始まったのは、金嬉老事件がおきた1968年でした。
このころは、南北ともお互いに武装浸透工作が盛んなころでしたが、この年、
韓国の東海岸で北朝鮮のゲリラと銃撃戦が展開され、韓国に衝撃を与えました。
その余波で、朴正煕軍事政権のもと指紋押捺制度が始まりました。南北の
冷戦が生んだ悲しい制度といえます。
この制度で、住民は韓国人であれ外国人であれ、ひとしく指紋の押捺が義
務づけられました。いうまでもなく「内外人平等」でした。
しかし、内外人平等であるからといって、住民をすべてを犯罪者扱いしか
ねない制度に批判が集まるのは当然です。最近は拒否運動が活発になりました。
しかし指紋押捺制度撤廃が先か、南北統一が先か見通しはつけにくいようです。
(注1)半月城通信<近・現代雑考、韓国と北朝鮮の工作合戦>参照
(本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/10 -
08046/08046 PFG00017 半月城 内外人平等の原則
( 8) 99/10/10 22:43 08040へのコメント
むじなさんは「内外人平等の原則」を早とちりしておられるのではないで
しょうか?
RE:8040,むじなさん
>国連というのは、常任理事国である中国が強調するように、「主権国家が
>前提となって、主権国家によって構成されるもの」に過ぎないわけで、
>カン教授もあなたも「定住外国人にも日本人と同じ権利」というなら、
>国連を否定しないとダメなんです。
>主権国家、国民国家という前提があるかぎり、「定住外国人にも多数民族と
>同じ権利を」という主張は、まったく認められません。
むじなさんに限らず、多くの日本人は私たちが主張している「内外人平等
の原則」を「定住外国人にも日本人と同じ権利」を要求するものと勘違いして
いるようですが、ここに大きな誤解があります。
一般に「原則」には例外がつきものですが、「内外人平等の原則」もその
例にもれません。私が依拠している国連の基準で若干の例外があります。
国連の基準とは、これまで何度も書いてきましたが、国際人権規約をさし
ます。これはご承知のように、社会権規約(A規約)と自由権規約(B規約)
からなりますが、自由権規約のほうに原則の例外があります。それは国民主権
の原則に立つ、次の第25条です。
第25条
すべての市民は、第2条に規定するいかなる差別もなく、かつ、不合理な
制限なしに、次のことを行う権利及び機会を有する。
(A)直接に、又は自由に選んだ代表を通じて、政治に参与すること。
(B)普通かつ平等の選挙権に基づき秘密投票により行われ、選挙人の意思の
自由な表明を保障する真正な定期的選挙において、投票し及び選挙される
こと。
(C)一般的な平等条件の下で自国の公務に携わること。
この条文で「市民」とありますが、これには国民国家の原則上、外国人は
含まれないとされています。私はこの原則に反してまで、外国人に国政参政権
や国政に関係した公務員採用を認めるよう要求するつもりはありません。
それでは地方参政権のほうはどうなのかという質問が出されると予想され
るので、あらかじめ私の考えを記しておきます。
そのまえに地方参政権の定義ですが、私はアメリカのように各州独自の法
律を制定できるような権限を持った地方政治に参加する権利を地方参政権と呼
んでいます。
このようなアメリカタイプの地方参政権の場合は人権規約とのかねあいか
ら、国家間の相互主義にもとづき外国人にその権利を認めるべきだと考えてい
ます。
これに対し、日本のように3割自治と呼ばれるような地方自治権は、およ
そ地方参政権とはほど遠いもので、私はこれを地方自治選挙権と称しています。
この程度の地方自治選挙権を定住外国人に付与することは、国民国家の原
則を損なうわけでもないし、逆に地域社会の国際化や発展にプラスになるので、
定住外国人に門戸を開くべきではないかと思います。
日本の国際化は人口の面でも進み、いまや東京都区部で生まれる赤ん坊の
うち14人に1人、大阪市では13人に1人の親が外国人であるような時代に
なりました(朝日新聞,99.10.8)。国際化社会には国際的な基準をマッチさせ
るべきなのはいうまでもありません。
ちなみに韓国ですが、最近、在日韓国人の地方自治権要求運動を支援する
目的もあって、在韓外国人の地方自治選挙権を検討し始めました(注)。これ
により日本は相互主義を理由に実施を引き延ばすのは困難になることでしょう。
(注)民団新聞、1999.9.22
「在韓外国人にも地方参政権付与」
韓国の金杞載・行政自治副長官は8日に行われた記者会見で、韓国に5年
以上居住している外国人に、地方参政権を与える方針であることを明らかにし
た。
現在、行政自治部、外交通商部、法務部、中央選挙管理委員会などの関連
部処間協議に入っているという。
これによって、2002年に実施される次期地方自治体選挙(第3期)か
ら在韓外国人に地方選挙権が与えられることになる。在韓外国人が選挙権を行
使するためには、各世帯が所得に関係なく、韓国人と同様の住民税納税の義務
が課せられる。ただ、今回付与されるのはひとまず投票権だけ。
これによって、民団が「永住韓国人に地域住民としての権利である地方自
治体参政権の付与を」と全組織を挙げて展開している「地方参政権獲得運動」
で、日本の一部から声が出ている「相互主義論」に完全に対応した形となり、
同運動の進展に大きな影響を及ぼすのは確実だ。
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/17 -
08115/08115 PFG00017 半月城 ドイツと出生地主義
( 8) 99/10/17 22:35 08049へのコメント
SKさんは、最大の在日韓国人団体である民団に対して誤った認識をもっ
ておられるのではないでしょうか?
RE:8049
> そのようなことを考えると、民団が音頭をとって「指紋押捺反対!」などとい
>うことを呼号したというのはほんとうに信じがたい。さらに韓国政府が外交ルー
>トを使ってこの指紋押捺撤廃を俎上に上げたというのもなおさら信じがたい。
SKさんの思考回路では信じがたいのでしょうが、85年当時、民団が発
行した書籍に撤廃運動がこう書かれています(注1)。
--------------------
私たちは、つとに外国人登録法の「指紋押捺・常時携帯・提示義務」撤廃
を要求する運動を進めてきました。そして、その一環として1983年の百万
人署名運動は全国各地で広く日本人の関心を集め署名数は百八十万余に達し、
画期的な成果を収めたことは周知のとおりであります。
また、1984年9月には我が国の全(斗煥)大統領が訪日され、在日韓
国人にとって、重大な関心事である外国人登録法改正問題について、日本政府
に申し入れを行いました。
しかしながら、日本政府はこれに対しては明言を避け、その後法務省は今
日まで指紋押捺をはじめとする現制度を改正する意志のないことを公言しては
ばかりません。
指紋押捺義務撤廃要求の運動は、単に日本国内の問題に止まらず、広く人
権問題として、国連の人権擁護委員会においても取り上げられ、国際的な関心
を集めております。
--------------------
日本の指紋制度に反対した民団や韓国政府を「マヌケ」と決めつけるよう
なSKさんですので、その発言にいちいち目くじらをたてても得るところがな
いのですが、不如省事さん流にいえば「冷や水を浴びせる人がいるからこそ運
動のやりがいがある」のかもしれません。ただし、私は運動家ではありません
が。
そこであえてSKさんに質問するのですが、SKさんは国連人権規約がめ
ざす内外人平等の「原則」をどのようにお考えですか? また、人権規約委員
会の勧告を蹴ってまで、在日外国人三世や四世にも外国人登録証の常時携帯を
義務づけている現状をどのようにお考えですか?
そもそも、SKさんは反帝国主義さんのように人権規約をあまり重視しな
い立場でしょうか? ちなみに社会権規約(A規約)第2条ではこううたわれ
ています。
「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言
語、宗教、政治的意見その他、国民的(民族的)若しくは社会的出身、財産、
出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障すること
を約束する」
この精神からすれば、人は生まれながらにして法のもとに平等であるべき
で、国連からも勧告があったように、親の国籍のゆえにその子が外国人登録証
の常時携帯を義務づけられるような法律はあってはならないと考えます。
SKさんは、まさか在日外国人の子どもは、たとえ5世であろうと法的に
差別されて当然とお考えなのではないでしょうね?
生まれながらにして法的に平等という精神を、国民国家が原則の現状の枠
組みで実現するには、各国は出生地主義を採用するしかないのではないかと思
います。
この観点からすれば、前にも書きましたが、日本のみならず韓国などの血
統主義も人権規約の精神に反するのではないかと思います。
現在、世界的には出生地主義の国が圧倒的多数ですが、そのなかで珍しく
血統主義を採用していたドイツも最近ついに出生地主義を導入しました。
同国のシリー内相は、この切り替えを「歴史的な第1歩」と評しましたが、
血統主義の日本や韓国からみると、ドイツの新国籍法はおいそれと真似のでき
ない画期的な変革です。その概要を下記に引用します。
--------------------
国籍取得条件を大幅に緩和――
外国人のドイツ社会への融合を目指して
『ドイッチュラント』NO.4/99 8月/9月号
http://www.net4you.net/user/ciperle/yciperle.htm#003
ドイツでは、毎年約10万人の外国籍の子供たちが生まれる。
だが2000年1月1日に新国籍法が発効すると、事情は
変わる。親が外国人でも、ドイツ生まれの子供たちには、
ドイツ国籍が認められるようになるからだ。従来の
ドイツ国籍規定の血統主義に、出生地原則が加味されるのである。
・・・
改正法の骨子は次のとおりである。
ドイツに8年以上合法的に滞在する外国人を父または母としてドイツで
生まれた子供は、自動的にドイツ国籍を得る。ただし、この父親または
母親は、滞在権または少なくとも3年前から無期限の滞在許可を所持して
いなければならない。子供が誕生と同時にもうひとつの国籍を得る場合は、
18歳で成人に達した時点から5年以内に、ドイツ国籍と第2の国籍の
いずれかを選択しなければならない。23歳になった後もドイツ国籍を
保持しようとするものは、23歳になるまでに外国籍の放棄または喪失
の証明を提出しなければならない(オプション・モデル)。これが行な
われない場合、ドイツ国籍は消滅する。
・・・
シリー内相は連邦参議院の最終審議の場で、改革はドイツの国籍法を
ヨーロッパ的水準に引き上げ、ドイツの社会的平和を強化する措置、
と述べている。同内相によれば、これによってドイツでも国民の概念が
より現実に近いものとなる。国民という概念は民族的均質性に依拠する
と考えるのは幻想であり、社会的まとまりは共通の言語や地理的な境界、
あるいは統一的な宗教だけではけっして達成できない。開かれた現実的な
国民の概念は、平和的に共存しつつ共同で未来を建設していこうとする
意志、さらに自由な社会の基本である諸価値への忠誠に立脚しなければ
ならない。その意味で、新国籍法は「異なる文化の、豊かで平和的な
共存の基礎」となる。シリー内相は、このように述べている。
・・・
--------------------
戦前、ゲルマン民族の優秀さを誇らしげに叫び、はなはだしくはユダヤ人
とのセックスまで禁じたドイツも、ついに民族的均質性にもとづく国民という
概念を根本的に覆す道を選択しました。
こうまで激変した背景には、現在、ドイツ在住外国人がトルコ系の211
万人をはじめとして730万人、人口の約9%も占め、多文化・多民族共存が
日常化していた現実がありました。
この新国籍法の施行により、定住外国人の新生児にはドイツ国籍が認めら
れ、法的な差別は完全になくなりました。なお、成人後の扱いですが、今回の
改正では妥協的な措置として、本人が23歳になるまでに最終的な国籍を選択
しなければなりません。ただし、今後の議論次第では、成人でも二重国籍が容
認される可能性は皆無ではありません。
改正を機にドイツでもうたわれましたが、世界的な傾向として「異なる文
化の、豊かで平和的な共存」が潮流になりつつあるようです。また、その方向
は私の理想とするところでもあります。
(注1)在日本大韓民国居留民団発行『指紋拒否した人のために』1985
(本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/10/24 -
08186/08186 PFG00017 半月城 人権規約と内外人平等の原則
( 8) 99/10/24 21:02 08122へのコメント
反帝国主義者さん、RE:8122
> それから人権規約については、半月城さんの解釈は誤読と思います。この
>文章は、「締結の国民」であることが要件になっていませんか。
>
>>> 「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、
>>>性、言語、宗教、政治的意見その他、国民的(民族的)若しくは社会的
>>>出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使される
>>>ことを保障することを約束する」
反帝国主義さんは、私が国連の社会権規約を誤読していると思いこんでお
られるようですが、これは決して誤読ではありません。
たしかに、上記の社会権規約2条(2)では差別禁止の対象者として、外
国人を含むのか含まないのかあいまいなところがあります。しかし、これは上
記に続く条文(3)を読むと、外国人を含むことが明確であり、内外人平等の
原則がはっきりします。
この第2条について、専門家はこう述べています(注1)。
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この規定(第2条)をみてもわかるように、国際人権規約は、現実に存在
している一切の差別を否定し、すべての人をかけがえのない価値を持つ人間と
して承認し、国際人権規約で定めた権利を保障していこうという考え方を明確
にしています。
なお、この点に関して一点補足しておきますが、それは国籍の違いによる
差別を原則的には否定しているということです。例えば、社会権規約の第2条
の3項では次のような規定があります。
「開発途上にある国は、人権及び自国の経済の双方に十分な考慮を払い、こ
の規約において認められる経済的権利をどの程度まで外国人に保障するかを決
定できる」
この規定をみても、日本のような経済の発達した国では、国籍による差別
が否定されていることは明らかで、内外人平等の原則と呼ばれています。
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この解説からわかるように、開発途上国を除いて社会権は内外人平等が原
則です。開発途上国で社会権に関し外国人差別が許容されるのは、納税義務の
ない一時入国者に国民と同じような社会保障をした場合、経済的に重荷になる
ためです。
なお、国連の人権規約は上記の社会権規約(A規約)とならんで、自由権
規約(B規約)も同時に制定されましたが、両方とも世界人権宣言をもとにつ
くられただけに、差別禁止は両方とも重要な柱になっています。
したがって自由権規約にも同じような差別禁止規定があります。すなわち、
第2条と第26条ですが、どちらも対象が「すべての個人」と明記されており
ます(注2)。
その一方で、こちらには社会権の場合のような開発途上国に関する猶予規
定はありません。そのかわり、前に書いたように、外国人には国政参政権など
「市民」としての権利を保留しています。それ以外ではもちろん内外人平等で
す。
日本は、この自由権規約がしばしば問題にされてきました。規約の実施状
況を5年ごとに審査する規約委員会で日本は毎回、耳の痛い勧告をされてきま
した。
ここの会議室でいま問題になっている外国人登録証の常時携帯義務も第2
6条に違反するとたびたび勧告されました。たとえば、昨年はこう勧告されま
した(注3)。
○日本政府第4回報告書審議後の規約人権委員会による最終見解(98.11.5)
第17項
委員会は、外国籍の永住者に対し、外国人登録証を常時携帯していないこ
とを犯罪とし、刑事罰を課している外登法は、規約第26条とは合致しないとし
た、日本の第3回定期報告書審議後の最終見解で記した意見を再び述べる。委
員会は、このような差別的な法律は廃止されるべきであることを再度勧告する。
この勧告後、日本の法律が改正され、刑事罰は行政罰に変わりましたが、
依然として規約委員会の勧告にそっていないことには変わりありません。これ
が5年後に再々勧告されることになるかどうか、これはいうまでもなく日本国
民の意向次第です。ちなみに、第3回の最終見解ではこう勧告されました。
○日本政府第3回報告書審議後の規約人権委員会による意見(93.11.4)
第9項
当委員会は、在日韓国・朝鮮人、部落民及びアイヌ少数民族のような社会
集団に対する差別的な取扱いが日本に存続していることについて懸念を表明す
るものである。永住的外国人であっても、証明書を常時携帯しなければならず、
また、刑罰の適用対象とされ、同様のことが日本国籍を有する者には適用され
ないことは、規約に反するものである。・・・
これから5年もたてば、日本もさらに国際化されているでしょうし、規約
人権委員会から再々勧告を受けることはないだろうとは思いますが・・・
なお、このほかに日本が内外人平等に関連して勧告されたことがらは下記
のとおりです(注3)。
第11項
委員会は、「合理的な差別」という概念の曖昧さに懸念を表明する。これ
には客観的な基準がないため、規約第26条とは合致しない。・・・
第13項
委員会は、朝鮮学校が承認されていないことを含めて、日本国民ではない
日本の韓国・朝鮮人マイノリティに属する人々に対する諸々の差別の実例に懸
念を抱く。委員会は締約国に、規約第27条に基づく保護は、国民のみに限定さ
れないとする一般的意見23への注意を促す。
第18項
出入国管理及び難民認定法第26条は、日本から出国する外国人は、事前に
再入国を許可された者のみが、滞在資格を失うことなく日本へ帰ることができ
るとしており、そのような事前の許可は完全に法務大臣の裁量によって与えら
れている。この法律の下では、日本における第二、第三世代の永住者や日本に
その生活の基盤を置く者は、日本を離れる権利と日本に再入国する権利を奪わ
れるであろう。委員会は、この規定は規約第12条第2項及び同条第4項に違反
するという意見である。委員会は政府に「自国」という言葉は「国籍国」と同
義ではないことを注意する。委員会はそれゆえに政府が、日本で出生した在日
韓国・朝鮮人の人々のような永住者に関しては、事前に再入国許可を取得しな
ければならないという要件を取り除くよう、強く要求する。
なお、次のような勧告だけは、5年後に極力避けるべきではないかと思い
ます。
第6項
委員会は、第3回定期報告書審議の後に委員会が出した勧告が大部分実施
されていないことを残念に思う
(注1)友永健三「人権とは? 国際人権規約と日本」部落解放研究所,1992
(注2)市民的及び政治的権利に関する国際規約
第2条(締約国の義務)1
この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつその管轄の下にあるすべ
ての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意
見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる
差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを
約束する。
第26条(法律の前の平等)
すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに、法律によ
る平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁
止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民
的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる理由によ
る差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する。
(注3)『RAIK通信』第58号(1999)、在日韓国人問題研究所
(TEL:03-3203-7575)
(本記事はML[aml],[zainichi]および下記のホームページに転載予定)
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
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