半月城通信
No. 60

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 日本の在韓資産放棄
  2. 在日韓国人への補償、戦後補償(5)
  3. 朝鮮分断と国籍選択
  4. 在日朝鮮人の選挙権剥奪
  5. 歴史家の役割、韓国保護条約(14)
  6. 戦争責任問題の原点
  7. メタな議論


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/04/25 - 05223/05223 PFG00017 半月城 日本の在韓資産放棄 ( 8) 99/04/25 22:34 04844へのコメント   SKさんはよほどお忙しいのか、あるいは反駁不能なのか、半月たっても まだ一言の反論もないようです。ともあれ、引き続きSKさんの誤りを指摘し たいと思います。   SKさん、RE:4844 > ご存じのように、日本・日本人は戦後のドサクサもあいまって朝鮮に膨大なイ >ンフラ・財産を残しました。この権利については、政府が日韓基本条約締結の際、 >韓国に対してきっちり請求しております。   SKさんの単純な間違いですが、65年の日韓条約締結時にはもはや日本 の在韓資産は問題外でした。日本は、日韓交渉の初期にはたしかにこれを重視 し、韓国と真っ向から対立していたのですが、57年、アメリカの調停を受け 入れ、財産権を早々に放棄しました。   また、SKさんは、日本は韓国に財産請求権を持っていると考えておられ るようですが、そもそも、この財産権を韓国に請求すること自体、無理だった のではないかと思います。その理由は、在韓日本資産の没収を行ったのは韓国 ではなくアメリカ軍であったためです。そしてその没収を日本は国際的に承認 したからです。   具体的にいうと、アメリカは日本の敗戦とともに韓国に軍政を布き、45 年12月、軍政法令第33条として帰属財産管理法を公布し、韓国における日 本の財産を国有・私有の区別なく、すべて米軍政庁に帰属させました。   国有財産はともかく、私有財産まで没収したこの軍令は、ハーグ条約から すると問題の多いところです。同条約は占領地で「私有財産は、之を尊重すべ し」と規定しているからです(注1)。   それにもかかわらず、米軍政庁が日本人の私有財産まで没収したのは、 ポーレー対日賠償使節団団長の「海外に存在する日本のすべての財産について 日本の所有権を剥奪」せよという勧告にしたがったものでした。   しかし問題があるにせよ、日本は米軍政庁の処置をそのまま公式に承認し ました。すなわち、サンフランシスコ講和条約を調印したので、その第4条 (b)「日本国は・・・合衆国軍事当局により、又はその指令に従ってなされた 日本国及びその国民の財産処理の効力を承認する」という条項も承認したこと になりました。   この結果、日本政府は「外交保護権はもとより、所有者の有する請求権を も同時に放棄し、米国に対する各請求権を国際法上消滅させた」と、一般に解 釈されました(注4)。   前期条項は韓国政府の要求によりわざわざ挿入されたものでした。それく らい、韓国は日本の財産問題を慎重に扱ってきました。その後も日韓交渉でし ばしば日本から持ち出された対韓請求権の主張にとどめをさすために、サンフ ランシスコ条約の解釈を国連総会に照会したくらいでした(注2)。   その結果ですが、同条約の起草に主導的な役割を果たしたアメリカから 「日本は対韓請求権は要求できない。その上、韓国にある日本財産はたとえ個 人私有財産といっても、いったん連合国が処理してから韓国政府に移譲したも のであるから日本は一切その財産権を主張できない」と回答(1952.4)があり、 韓国の主張を裏打ちしました。   どうみても日本の主張には分がないのですが、それにもかかわらず、日本 が対韓請求権を主張し続けたたのは、それなりの事情があったことはいうまで もありません。   その第一の理由ですが、日韓会談を検証した高崎教授は「もし、日本政府 が在韓日本人の財産の没収を認めてこれを放棄したなら、約50万人と称され た引揚者が、その責任と補償を日本政府に要求することは目に見えていたので ある」と記しましたが(注3)、日本国内の補償問題を先に解決しないかぎり、 日本は対韓請求権を放棄するわけにはいきませんでした。   これは、それまでにも日本がサンフランシスコ条約調印に際して、連合国 に対する対外資産などを放棄したことにからんで、補償請求裁判が相次いで起 こされたことなどを考慮したためでした。   こうして日本が対韓請求権放棄を最終的に決めたのは、当時の岸首相が引 揚者に対して一人最高28,000円を支給する引揚者給付金等支給法案を5 7年に国会に提出した後でした。   第二の理由ですが、対韓請求権は韓国の莫大な対日請求権要求に対する予 防線でもあったようでした。これにより、アメリカの「日本は対韓請求権を放 棄するが、韓国は対日請求に際してそのことを考慮し法外な要求はしない」と いう調停を引き出しました。日韓ともこの調停を受け入れ、長期交渉における 最初の難関をクリアーしました。   その後も紆余曲折のすえ、日韓条約において国家間の請求権問題は解決し たのですが、韓国・朝鮮に莫大な財産を残してきた人は、わずかばかりの補償 金ではとうてい納得できるものではありません。   どうしてもあきらめきれない人が、朝鮮での喪失財産は連合国に対する賠 償という公共の目的のために使われたのだから、憲法29条にしたがって日本 政府はそれなりの補償をせよと訴訟を起こしました。   しかし、この訴えは、財産喪失は戦争災害の一種であり、憲法の適用外で あるとして棄却されました(注4)。どうやら、日本の裁判所では救済がむず かしいようです。   他に救済策として、もし韓国における私有財産の獲得が法的にも道徳的に も正当なものであれば、米軍政庁による没収はハーグ条約違反であるとして、 国連あるいはアメリカに訴える道が可能性として残されているのではないかと 思えます。   しかし、正当であることの主張は骨が折れるかもしれません。何しろ当時 の風潮について、朝鮮総督府の元総務課長すら「従前の日本人所有の一切の企 業及び財産は、何れも過去に於いて朝鮮人を搾取して成立せしめたるものなる を以て、この機に於いて凡て之を朝鮮人に復帰せしめ、日本人は速に母国日本 に追い返すべしとの誤りたる観念全鮮に蔓延し」ていたと認めたほどでした (注3)。  「搾取」の観念が誤りであるかどうかは検証が必要ですが、すくなくともこ の認識は韓国において現在でも基本的に生きていることはいうまでもありませ ん。 (注1)ハーグ条約、「陸戦の法規慣例に関する規則」   第46条(私権の尊重)     家の名誉及権利、個人の生命、私有財産並宗教の信仰及其の遵行は、    之を尊重すべし。私有財産は、之を尊重すべし。 (注2)韓国経済企画院発行『請求権資金白書』1976 (注3)高崎宗司『検証日韓会談』岩波新書、1996 (注4)京都地裁判決、1968.11.22  「朝鮮軍政府長官による1945.12.6軍令第33号により、在外財産を(アメ  リカ)朝鮮軍政府が取得、1948.9.11大韓民国政府と米国政府との財産移転  協定により、所有権が前者に移譲された。   日本政府は、1952.4.28平和条約4条(b)において、前期の財産移転の効力  を承認したが、これは、日本政府が外交保護権はもとより、所有者の有する  請求権をも同時に放棄し、米国に対する各請求権を国際法上消滅させた。   このことは、公共の目的のために犠牲とされたとも言い得るが、一方非常  時における戦争災害の一種であり、憲法の予測しないところである」   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/05/05 - 05338/05338 PFG00017 半月城 在日韓国人への補償、戦後補償(5) ( 8) 99/05/05 21:31 05224へのコメント   SKさんのコメントは予想どおり、重箱の隅をつつくようなものばかりで、 肝心の本論にはふれずじまいのようです。そのうえSKさんは、自分の主張が 間違いでないという「いいわけ」じみたことを書くのに汲々としておられるよ うです。   たとえば日本の在韓資産請求権ですが、SKさんは「政府が日韓基本条約 締結の際、韓国に対してきっちり請求しております」と書いたのに対し、私は、 京都地裁も指摘したように、請求権を韓国にするのは筋違いで、アメリカに対 してすべきだったのだが、日本政府はそれを放棄してしまったという趣旨の反 論をしました。   これについてSKさんからは、日韓交渉における対韓請求権の存在可否な どといった本質的なことがらに関してはまったくコメントがなく、かわりに日 韓間の請求権は「互いにチャラにすることにしたというわたしの指摘はこれま た間違いではありません」などと、見当違いの弁明がなされました。   このように核心を避けるやり方は、在日韓国人の補償問題においてもしか りです。SKさんは単に韓国政府の怠慢や冷淡さを強調するのみで、日本のと るべき方策には一切言及がないようです。   SKさん、RE:5224 >                        半月城さんの主張する >「未解決の補償」は実際問題として、韓国国民が宙ぶらりんの状態にあるわ >けですから、まずもって韓国政府が何らかの方策を講じるべきです。   この主張は肝心なところを意識的に避けているためか理解しにくいのです が、SKさんは、日韓条約でも未解決になっている在日韓国人への補償、たと えば戦傷軍属・石氏に対する第一義的な補償責任は日本ではなく、韓国にある とお考えなのでしょうか?   元来、補償すべきは加害者や有責者側にあることは自明のことですが、そ れにもかかわらず、突拍子もない補償の責任転嫁をこじつけるのは、ディベー トを得意技とする自由主義史観シンパ特有のやり方なのかもしれません。   SKさんも仮面忍者とびかげさんのように、日本官憲の偏狭な名誉を守り たいため、日本の補償責任や加害責任には極力ふれない方針で、上記のような ことを言いだしたのでしょうか。   こうした手法の人たちは、国連人権委員会の非難も、京都地裁勧告なども まるで聞く耳を持たないようで、ひたすら近視眼的な「日本の誇り」という偏 狭な井の中の民族意識がその行動原理になっているようです。   もちろん韓国政府の主張もSKさんには馬耳東風でしょう。ついでに書く と、冷淡で怠慢な韓国政府もこの問題にまったく無関心であったわけでもあり ません。忘れられた皇軍・石成基氏の補償問題に関し、あるときは日本政府に こう申し入れました(注1)。  「1971.10.11-12両日間東京で開催された“在日韓国人の法的地位第4次 韓・日実務者会議”の時、韓国側は以下の要旨を日本側に提起した。   日本国軍人であった在日韓国人は請求権協定第2条2項(a)でも除外され ているのであるから、彼等に対し遺族援護法及び戦傷者関係諸法の適用を韓・ 日国交正常化時点で整理したことは不当である」   この申し入れに日本がどう回答したのかは明らかでありません。しかし、 国連の勧告にすら耳を貸さない日本政府ですから、結果は推して知るべしです。 韓国政府の申し入れを聞き流したことだけは確かです。こんな姿勢では解決の きざしすら望めません。   ところで、未解決になっている在日韓国人の補償問題にどのようなケース があるのか、この機会に調べてみました。その中で、現在も係争中の裁判を列 記すると下記のとおりです(注2)。 1.大阪韓国・朝鮮人援護法の援護を受ける地位確認訴訟                          (91.1.31提訴)   元傷痍軍属・鄭商根氏が国に援護地位確認と1,000万円の請求を求めた訴 訟。95年10月の大阪地裁判決は請求自体は退けたが、「日韓請求権協定 (65年)以降、在日韓国人に何らの補償もしないのは重大な差別で憲法一四 条(法の下の平等)違反の疑いがある」との判断を示している。 2.韓国・朝鮮人BC級戦犯国家補償請求訴訟                          (91.11.12提訴)   元BC級戦犯李鶴来さんたちとその遺族が「日本の戦争責任の肩代わりを させられ、人間としての人格を侵された」として、日本政府を相手に一人あた り二百万円の「象徴的補償」と謝罪文の交付などを求めた訴訟。   昨年7月の東京高裁判決は「国政関与者においてこの問題の早期解決を図 るため適切な立法措置を講じることが期待される」と結びました。 3.シベリア抑留在日韓国人恩給地位確認訴訟                          (92.1.9提訴)   日本軍人としてシベリアに抑留された在日韓国人の李昌錫さん(71) =京都府在住=が「日本国籍がないことを理由に恩給などが支給されないの は憲法違反」として、国、総務庁恩給局長らを相手に恩給受給資格の確認など を求めた訴訟。 4.援護法障害年金支給拒否決定取消訴訟                          (92.8.14提訴)   太平洋戦争中、旧日本軍の軍属として戦地に赴き、腕や足を切断するなど 戦傷を負った在日韓国人、いわゆる「忘れられた皇軍」の石成基さんらが、援 護法の国籍条項を理由に障害年金を受けられないのは憲法の法の下の平等に反 するとして、厚生大臣を相手取り年金支給を求めた訴訟。   東京高裁は、昨年9月、判決文において「日韓両国の外交交渉を通じて、 日韓請求権協定の解釈の相違を解消し、適切な対応を図る努力をするとともに、 援護法の国籍条項及び本件付則を改廃して、在日韓国人にも同法適用の道を開 くなどの立法をすること、または在日韓国人の戦傷病者についてこれに相応す る行政上の特別措置を採ることが、強く望まれる」とつけ加えました。 5.在日韓国人「従軍慰安婦」国家補償請求訴訟                          (93.4.5提訴)   第二次世界大戦中、日本軍の従軍慰安婦にされたと主張して、在日韓国人 の宋神道(ソンシンド)さん(76)=宮城県在住=が日本政府に首相名の謝 罪文と国会での公式謝罪を求めた訴訟。5月28日判決予定。 6.在日韓国・朝鮮人元傷痍軍属国家補償請求訴訟                          (93.8.26提訴)   元傷痍軍属の姜富中さんが援護法地位確認と9,200万円の請求を求めた訴 訟。   これらの裁判においても、憲法違反の疑いとか、行政上の特別措置が望ま れる、立法措置が望まれると、司法からはさかんにシグナルが送られてきてい ます。しかし、行政も立法もなかなか動きをみせません。選挙の票にならない と動かないのでしょうか。それでも次のように、すこしは立法化の胎動がある ようです。       ------------------------------------------ 戦争の実態を明らかに、と議員連盟が発足            朝日新聞ニュース速報、1998.9.30  近く来日する韓国の金大中大統領やアジア各国が求めている「歴 史認識の共有」を実現するため、国会が先頭に立って戦争の実態を 明らかにしていこうという「恒久平和のために真相究明法の成立を 目指す議員連盟」が三十日、発足した。与野党九十六人が参加した 前例のない議連誕生に「画期的」という声が上がる一方で、戦争観 の微妙な違いも漂い、会長など役員は決まらずじまい。戦後補償訴 訟で立法府の責任を指摘する判決が相次ぐ中、前途多難ながら第一 歩を踏み出すことになった。  「私は呼びかけ人の一人だが、代表に、と言われれば当惑する。 戦争を経験し、マレー半島に敵前上陸もした。戦争に勝っていたら 勲章をもらっていたに違いない。体験談はいくらでも話すが、(議 連の)先頭には立てない」  会長を引き受けると予想されていた最長老の鯨岡兵輔氏(自民) が口火を切ると、会場に緊張が走った。議連参加に消極的な自民党 内の事情もあったとみられ、この日朝、正式に拒否を決めたという 。  一方、鳩山由紀夫氏(民社)は「戦後生まれですが」と前置きし 、「アジアに行くと、おわび外交などと言われることがあるが、謝 罪外交は最も忌み嫌うことだ。しかし、心からの謝罪を果たすため に、勇気をもって真相を明らかにする義務が国会にはある」と意義 を強調した。  「一国だけに通用する歴史は、歴史でなく小説になってしまう」 (浜四津敏子氏=公明)など呼びかけ人五人が個人的な思いを重ね てあいさつしたが、役員決定の決め手がなく、会長などの人事は次 回以降に見送られることになった。  配布された規約案についても、参加議員から「『今次の大戦』と は何を指すのか」などの意見が出た。今後も規約や法案の字句をめ ぐって激論が予想される。  設立総会終了後も参加の申し込みが続き、関心の高さを示した。 事務局役の田中甲氏(民主)は「各党や個人の事情でまとまるのは 難しいだろうが、法案を提出するだけでなく成立させないと意味が ない。国会が動き始めたことは来週、金大中氏にも直接伝えたい」 と話した。        ----------------------------------   どうやら立法化の動きも多難なようです。もたもたしている間に、高齢の 犠牲者がどんどん亡くなるだけに、一日も早くまとめてほしいものです。   さて、話は在日韓国・朝鮮人の補償問題にもどりますが、懸案事項は上記 ですべてではありません。強制連行・強制労働に対する補償などが未解決の問 題として残されています。   なかでも千葉市在住の鄭雲模さん(75)は、戦時中に朝鮮半島から強制 連行され過酷な労働を強いられたとして、二年前、国と鉱山会社に謝罪と賠償 金の支払いを求め、日弁連に人権救済を申し立てをしており、在日韓国人とし ては最初のケースであり注目されています(注4)。   なお、裁判で和解になったケースもあります。宋ビョン郁さんたちが起こ した新日鐵の未払い預金・賃金請求、遺骨返還請求、謝罪請求、慰謝料請求裁 判ですが、97年9月に一部和解しました(注3)。 (注1)戦後補償問題研究会編『戦後補償問題資料集第11集』1994     TEL 03-3359-8831 (注2)戦後補償裁判一覧表   (http://www.asahi-net.or.jp/~pr1y-twr/hosyousai.htm)に加筆 (注3)大口昭彦「日本製鐵元徴用工問題と新日本製鐵(株)との和解について」   『戦争責任研究』第20号、1998 (注4)共同通信ニュース速報、1997.5.16  連行者名簿に名前あった     在日朝鮮人に労働省が回答  千葉市の在日朝鮮人鄭雲模さん(75)が労働省に強制連行者名 簿の公開を求めていた問題で、同省は鄭さんの氏名が朝鮮人徴用者 名簿に載っていることを確認、十六日支援者を通じ知らせた。強制 連行された民間人を国側が本人と認めた初のケース。鄭さんを支援 する「朝鮮人強制連行真相調査団」の洪祥進事務局長は「鄭さんへ の国の謝罪、賠償に向け一歩前進だ」と評価している。       鄭さんの氏名があった名簿は一九四六年七月、栃木県が国に提出 した「朝鮮人労務者に関する調査報告」の一部。労働省の報告によ ると、鄭さんは四三年三月「官斡旋(あっせん)」で栃木県・足尾 銅山の古河鉱業(現・古河機械金属)鉱業所に入所、翌年三月に逃 亡するまで線路夫として働いたと記載されており、鄭さんの主張と ほぼ一致する。                         同省は戦後、国に提出された同様の約九万人分の名簿を九一年韓 国政府に提出したが、プライバシー保護などを理由に非公開として きた。同調査団は三年前、名簿のコピーの一部を韓国の非政府組織 (NGO)を通じ入手。その中から鄭さんの名前を見つけ今月九日 、同省に本人確認と全名簿の公開を要請していた。         全名簿の公開については同省は同日「内閣と協議中」と答えた。  鄭さんは現在、国と企業に強制連行、強制労働に対する謝罪と賠 償を求め、日本弁護士連合会に人権救済を申し立て、強制連行され たことを証明するため名簿公開を求めていた。   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/05/02 - 05291/05291 PFG00017 半月城 朝鮮分断と国籍選択 ( 8) 99/05/02 21:41 05234へのコメント   かんさん、こんばんは。RE:5234, > さて、いろいろ述べましたが、まず明らかなことは、講和条約の段階までは、在日 >韓国人は限定的ながらも日本国籍を有しており、1948.8.15.に大韓民国政府が樹立さ >れてからは、変形的な二重国籍状態にあった、ということです。問題は、それでは何 >故、このような二重国籍状態が解消されたか、言い換えるなら、何故、在日韓国人の >日本国籍が「剥奪」されたか、と言えば、これを理解する為には、1951年に先立って >行われた日韓会談の内容を見る必要があります。 > > 因みに当時の交渉に当たった兪鎮午はこの会談について、次のように書いています。 > > 「財産的利害と比較的関連が少なかったのは、在日韓国人の法的地位問題だけであ >ったが、この問題においては、日本側も韓国側も在日韓国人に国籍選択権を与えるこ >とに反対であり、戦後処理に関する国際条約の先例を排除することにおいて、両国と >もに特に異義はなかった。問題となったのは、日本に永住を希望する韓国人にどのよ >うな待遇を与えるか、であった。」   日韓両国が国際的な先例に反してまで、在日韓国・朝鮮人の国籍選択権を 排除した最大の理由は、日韓会談の合意というより以前に、朝鮮の南北分断と いう冷戦の影響ではないかと思います。   1951年当時、もし在日韓国・朝鮮人の国籍選択権を認めたら、さまざ まな国籍の希望が出されたことでしょう。大韓民国(韓国)籍、朝鮮民主主義 人民共和国(北朝鮮)籍、日本籍などです。   それ以外にも、自分の祖国は南北を含めた朝鮮全体であるとして、それま で一律に強制されていた朝鮮籍をそのまま希望する人も多数いたことでしょう。 今でも『火山島』の作家・金石範氏はこの立場に立ち、「準統一国籍」とかの 朝鮮籍を保持しています(注1)。   余談ですが、この生き方を芥川賞作家の李恢成氏は「無国籍者」と批判し、 両者間の論争が一部に注目を集めています。   さて話を当時にもどすと、日本も韓国も北朝鮮籍だけはとうてい認められ ないという点で利害が完全に一致していました。もし日本が国籍選択の申請窓 口になっていたら、まちがいなく北朝鮮籍の受付を拒否したことでしょう。今 でも日本は北朝鮮籍をかたくなに拒否しているくらいですから。   それどころか、当時の日本は韓国籍すら承認してはいませんでした。形式 的に日本はGHQの指導(1950)により、希望者には外国人登録証の国籍欄を朝 鮮から韓国に書き換えはじめましたが、法務官僚によれば、意外にも当時の韓 国籍は国籍ではなく単なる符号であったそうです。これは65年に日韓協定を 締結してはじめて国籍として承認したとの見解でした(注2)。   さらにつけ加えるならば、法務省は、現在同省が発行する公文書である外 国人登録証の「国籍欄」に、当局みずから記載した朝鮮籍も国籍ではなく、国 籍を示す単なる符号であると独りよがりの解釈をしています。   表面上は金石範氏と解釈が似かよっていますが、この珍妙な解釈は、たと え朝鮮半島が統一されても国名が朝鮮にならないかぎり永遠につづくのかもし れません。   国籍をめぐってこうも珍奇な解釈まで登場するのは、明らかに南北朝鮮分 断の影響であり、これでは当時の日本は、国際基準の国籍選択権など考える余 地などなかったと思われます。これがチェコスロバキアのように戦後はもとの 単一国家に復帰していたら、日本でも国籍選択権はあるいは認められたのかも しれません。   しかし、これは日本国籍剥奪を正当化するものではありません。もちろん、 希望者がごく少数であったというのも理由にはなません。   希望者に日本国籍を保持させることは日本の国内法のみにより決定される ので、冷戦や国際政治がどうあろうと、日本に確固たる人権擁護思想さえ備わ っていればもちろん可能でした。   それを当時の日本に要求すること自体、ないものねだりかもしれません。 当時の日本の在日朝鮮人政策ときたら、選挙権問題などもそうですが、風に揺 れる柳のごとく時流に流される無定見なものでした。   RE:5234, > いずれにせよ、重要なことは、国籍の付与そのものは、法的には日本の問題なので >すが、この問題はGHQ・日本・韓国の3者の交渉を通じて決められたものであり、 >簡単に「日本政府が剥奪した」とは言えない部分があるように思います。最低限、そ >の制定過程を見て行くことが必要でしょう。   日本籍剥奪の最終決定は、サンフランシスコ講和条約調印の半年も後のこ とであり、GHQはもはや口出しをしなかった時期なので、GHQの影響はほ とんどなかったのではないでしょうか。   また韓国に関していえば、両国はことごとく対立していた時期なので、日 本は韓国の意見などまるで聞く耳を持たなかったのではないでしょうか。もっ とも韓国が賛成していればそれなりの口実になるので、やりやすいのは確かで すが。   一方、歴史的経緯からいっても、日本政府は日本籍を選択しうる方式を一 貫して主張しており(注3)、これにGHQの反対はなかったようでした。と ころが、GHQの支配力が弱まった講和条約調印後、剥奪への方針が確定した ようで、最終的に民事局長通達(注4)という形で剥奪を一方的に決定しまし た。   このくわしい経緯は明らかではないのですが、ともかく日本籍剥奪は日本 独自の判断でなされ、これにGHQの影響力はなかったのではないかと思いま す。   話はずれますが、このように土壇場になってそれまでの方針を急変させる のは、日本の在日朝鮮人政策ではしばしばありました。その典型例に、かんさ んもご承知のことと思いますが、在日朝鮮人の選挙権剥奪をあげることができ ます。   それまで保有していた選挙権を、そのまま存続することで閣議決定(1945. 10)したにもかかわらず、1カ月もしないうちにそれを覆したくらいです。し かも不透明なことにその理由すらはっきりせず、その経緯をめぐって現在でも 学者のホットな研究テーマになっているくらいです(注5)。   RE:5234, >おまけ > > 前にも書いたことがあると思うのですが、「国籍」に過度にこだわるのは、日本も >韓国も同じですよねぇ(^^;)。旧ソ連じゃないけど「国籍」と「民族籍」、更には、 >「国籍」とアイデンティティは別に直結する必要は全然ないんだから。この問題も基 >本的には、その問題に行き着くと思います。だって、大韓民国政府や韓国人は、何も >在日に「韓国籍」を与えることにあれほどこだわる必要はなかったし、日本政府も軍 >属等々の補償の基準に「国籍」を重視しなければならない理由はないんですからねぇ >(^^;)(^^;)「国籍」変ったら、変ってしまうアイデンティティって、悲し過ぎますよ >ね(^^;)(^^;)(^^;)。   おっしゃるとおりです。韓国の場合は、戦後、日帝の残滓を徹底的に払拭 したかったので、その延長で在日韓国人の日本籍選択など認めがたいものがあ ったのでしょうが、それにしても民族や国籍へのこだわりは相当なものですね。 その流れで、以前は在日韓国人が韓国をおとずれたとき、韓国語を話せないと よく叱られたものです。   それに劣らず、日本の民族意識も強烈なものがあります。その悪弊か、日 本人の血が流れていないという理由で戦傷病者補償を冷酷に切り捨てたり、元 帝国臣民である韓国人をサハリンに置き去りにしたり、民族エゴ丸出しではな いかと思います。そのために、いかに多くの人が翻弄され、泣かされたことか。   日韓とも、そろそろ自民族の血へのこだわりを捨てるべきではないかと思 います。その具体的なステップとして、血統主義をあらため、国際標準の出生 地主義に移行すべきではないかと思います。 (注1)金石範「再び“在日”にとっての“国籍”」『世界』、1999.5 (注2)池上努『法的地位200の質問』京文社、1965 (注3)関係者による、日本国籍選択に関する発言は下記のとおりです(注6)。 <堀内内相>45年12月5日、衆議院選挙法改正委員会   「内地に在留する朝鮮人に対しては、日本の国籍を選択しうることになる のが、これまでの例であり、今度もおそらくそうなると考えています」 <川村外務政務次官>49年12月21日、衆議院外務委員会   「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定される、ことにな るという見通しをもっている」 <吉田茂首相>51年10月29日、衆議院平和条約特別委員会   「(朝鮮人の)名前まで改めさせるなど、日本化に力を入れた結果、朝鮮 人として日本に長く『土着』した人もいれば、また、日本人になりきった人も いる。   同時にまた何か騒動が起きると必ずその手先になって、地方の騒擾その他 に参加する者も少なくない。いいのと悪いのと両方あるので、その選択は非常 に・・・、選択して国籍を与えるわけではありませんけれども、朝鮮人に禍を 受ける半面もあり、またいい面もある。・・・   特に、朝鮮人に日本国籍を与えるについても、よほど考えねばならないこ とは、あなた(曾根議員)の言われるような少数民族問題が起こって、随分他 国では困難をきたしている例も少なくないので、この問題については慎重に考 えたいと思います」 <西村条約局長>51年11月5日、同上   「かって独立国であったものが、合併によって日本の領土の一部になった。 その朝鮮が独立を回復する場合には、朝鮮人であったものは当然従前持ってい た朝鮮の国籍を回復すると考えるのが通念でございます。   ですから、この(平和条約)第2条(A)には国籍関係は全然入っていな いわけであります。日本に相当数の朝鮮人諸君が住んでおられます。これらの 諸君のために、特に日本人としていたいとの希望を持っておられる諸君のため に、特別の条件を平和条約に設けることの可否という問題になるわけです。   その点を研究しました結果、今日の国籍法による帰化の方式によって、在 留朝鮮人諸君の希望を満足できるとの結論に達しましたので、特に国籍選択と いうような条項を設けることを(連合国側に)要請しないことにしたわけで す」 (注4)「平和条約の発効に伴う国籍および、戸籍事務の取り扱いに関する  昭和27年4月19日付民事、甲、第438号、民事局通達」   朝鮮および台湾関係 1.朝鮮および台湾は、条約の発効の日から、日本国の領土から分離すること になるので、これに伴い、朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含め て、全て日本の国籍を喪失する。  (以下は要旨のみ) 2.もと朝鮮人または台湾人であった者でも、条約発効前に身分行為(婚姻、  養子、縁組など)により内地の戸籍に入った者は、引き続き日本国籍を有す  る。 3.もと内地人であった者でも、条約発効前の身分行為により、内地戸籍から  除かれた者は、日本の戸籍を喪失する。 4.朝鮮人および台湾人が日本の国籍を取得するには、一般の外国人と同様に  帰化の手続きによること。その場合、朝鮮人および台湾人は、国籍法にいう  「日本国民であった者」および「日本の国籍を失った者」には該当しない。 (注5)http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/publication.html (注6)田中宏『在日外国人』岩波新書、1991   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/05/09 - 05443/05443 PFG00017 半月城 在日朝鮮人の選挙権剥奪 ( 8) 99/05/09 22:21 05301へのコメント   かんさんは、ここの会議室を研究の息抜きとしてアクセスされているせい か、研究者本来の姿勢、過去の研究成果を確かめて発言するスタンスを脇にお いて書かれているようです。   たとえば在日朝鮮人の選挙権剥奪に関して、私が#5291で、 > 話はずれますが、このように土壇場になってそれまでの方針を急変させる >のは、日本の在日朝鮮人政策ではしばしばありました。その典型例に、かん >さんもご承知のことと思いますが、在日朝鮮人の選挙権剥奪をあげることが >できます。 > それまで保有していた選挙権を、そのまま存続することで閣議決定(1945. >10)したにもかかわらず、1カ月もしないうちにそれを覆したくらいです。 >しかも不透明なことにその理由すらはっきりせず、その経緯をめぐって現在 >でも学者のホットな研究テーマになっているくらいです(注5)。 と書いたのに対し、かんさんは(注)に紹介した資料、すなわち水野直樹教授 のホームページ(注1)を参照されかったようで、#5301でこう書かれました。 >この細かい経緯については、田中さんの本を読んでいないので何とも言えませんが、 >この時期の日本政府に、「外国籍の者に選挙権を与える」という発想はなかったはず >です(あったら斬新で凄いですが(^^;)。   かんさんにとって、日本政府が在日朝鮮人に参政権を「存続」させる方針 だったことは驚きのようですね。   水野氏の研究は、最近の在日韓国人による地方参政権(注2)獲得運動と からんで注目されていたのですが、かんさんはご存じなかったようですね。   在日朝鮮・台湾人の参政権について、水野教授は日本政府の発想および閣 議決定をこう記しました(注1)。       --------------------------------------------   敗戦後、選挙法の改正を重大かつ緊急の課題とみなした日本政府は、内務 省を中心に改正法案づくりを急いだ。その過程で、一九四五年一〇月二三日の 閣議で決定された「衆議院議員選挙制度改正要綱」は、「内地在住ノ朝鮮人及 台湾人モ選挙権及被選挙権ヲ有スルモノナルコト」として、日本に居住する旧 植民地出身者に参政権をそのまま保持させることを決めていた。この改正要綱 の内容は当時の新聞にも報道された。  ・・・   内務省がすすめた衆議院議員選挙法改正案の作成にあたっては、数回にわ たる閣議での協議を経たうえで日本在住朝鮮人・台湾人が選挙権・被選挙権を 保持することが決められたことを確認し得る。内務省が「思いつき」でそのよ うな案を立てたのでは決してなかったのである。   内務省が朝鮮人・台湾人の参政権保持を認めた理由は明かではないが、二 つの理由が推測される。一つは、講和条約締結まで朝鮮人・台湾人が日本国籍 を保持するという見解に立つなら選挙権・被選挙権も保持するのが法理論上当 然であると考えたこと、もう一つは、半年前の同年四月に衆議院議員選挙法が 改正されて朝鮮・台湾にも適用されることになり、朝鮮半島・台湾居住者にも 制限付きながら選挙権・被選挙権が与えられたばかりだったので、短期間にこ れを覆すかのような法律を作るのにはためらいの気持ちがあったことである。       ----------------------------------------------   ところが、慎重を期したはずの閣議決定はすぐ覆され、二カ月後に議会を 通過した法案では、付則で「戸籍法の適用を受けざる者の選挙権及被選挙権は 当分の内之(これ)を停止す」(以下「戸籍条項」と呼ぶ)と定められました。   これによって、日本の戸籍法の適用を受けなかった朝鮮人・台湾人の参政 権は当分の内、停止されました。ここにいう「当分の内」停止というのは官僚 用語で、これは事実上の剥奪でした。   実際、日本政府はサンフランシスコ講和条約の発効にともなって、朝鮮 人・台湾人から日本国籍を一方的に剥奪し外国人として扱ったので、朝鮮人・ 台湾人に参政権が認められることはありませんでした。   この参政権停止は単に選挙権だけの次元にとどまらず、「戦後日本の政 治・社会が在日朝鮮人などの基本的人権を制限し、あるいは戦争被害に対する 援護法適用などの諸権利から在日朝鮮人・台湾人を排除していく過程の始まり を示すものとしても重大な意味をもつ」のでした(注1)。   その流れのなかで在日朝鮮人の日本国籍剥奪がなされました。このように 選挙権剥奪は戦後の在日朝鮮人問題を理解する原点になるので、国籍問題を後 回しにして先に選挙権剥奪の問題にふれたいと思います。   さて、参政権存続の閣議案に衆議院では清瀬一郎が強く反対していました。 清瀬は東京裁判で東条英機の主任弁護士をつとめたことで有名な人ですが、彼 は東久邇内閣のもとで設置された議会制度審議会の副総裁もつとめており、そ の意見は内務省でも無視できないものがありました。   彼はみずからの名前で「内地在住の台湾人及朝鮮人の選挙権、被選挙権に 就いて」と題する文書を配布するなどの活動をくりひろげました。彼が強硬に 反対した理由は、水野氏によれば主に次の二点でした。  「第一に朝鮮人・台湾人は日本の降伏文書調印の時点で日本国籍を離れたも のと解釈すべきこと、第二に特に朝鮮人に参政権を認めると一〇人くらいの議 員が生まれ、彼らが「天皇制の廃絶」を叫ぶ恐れがあり、「寒心に堪えざる」 事態が生じること、の二つの理由から反対したのであるが、その反対論は主に 後者の理由によるものであった」   どうやら清瀬は、天皇制の批判が活発化することをもっとも恐れて、選挙 権の存続に反対したようでした。しかし、清瀬の意見書の「朝鮮人・台湾人は 日本の降伏文書調印の時点で日本国籍を離れた」という見解がかならずしも日 本政府の見解と相容れなかったことや、露骨な天皇擁護が刺戟的すぎたのか、 政府の態度を直接変えるものにはなりませんでした。   かわりに登場したのが、外務省作成の文書「朝鮮人、台湾人等の選挙権問 題」(45.11.5)でした。これは、在日朝鮮人などの法的地位を「帝国臣民と外 国人との中間的位置」と規定づけ、それを根拠に参政権停止措置の骨格をつく りました。その論理をこの文書の発掘者である水野教授はこう記しました。        ----------------------------------------   この文書が作成された目的は、朝鮮人・台湾人が依然「帝国臣民」として 参政権を有していると解釈することと、にもかかわらず平和条約締結によって 「大部分」が「帝国臣民たるの資格を喪失すべき運命」にあることの矛盾を解 決するために、内務省の見解とは異なる新たな論理を作り出すことにあったと 考えてよい。   その論理は結局、「建前」としては参政権の保持を認めながら、現実には 平和条約締結までその行使を「停止」するというものであった。文書ではその 理由を、朝鮮人・台湾人の大部分がやがて外国人となることが明かであって、 そのような者に「国民タル固有ノ権利」である参政権の行使を認めることは 「形式論」であり、かつ「徒ニ選挙ノ混乱」をもたらすことになるという点に 求めている。        -----------------------------------------   この文書は外務省の条約局第二課が作成したものですが、その過程にGH Qの影響があったかどうかは問題のようです。資料発掘者の水野教授はなかっ たと結論づけました。その理由のひとつに、GHQは参政権存続にむしろ肯定 的だったのではないかとしました。それを示す資料として、こんな後日談があ りました(注1)。        ------------------------------------------   GHQ/SCAP側は在日朝鮮人・台湾人の参政権停止を自らの政策によ るものと考えていなかった節がある。衆議院議員選挙法改正から二年以上後の ことだが、一九四八年二月二七日にGHQの民政局(GS)代表が記者会見で 行なった発言が問題となったことがある。   この記者会見は民政局代表が「近代的デモクラシー」に関する解説をする ことを目的に開かれたものだが、記者から「朝鮮人にも選挙権が認められるべ きではないか」との質問が出たのに対し、民政局代表は次のように答えている。 「朝鮮人たちが政府に対して責任を持ち、納税を怠らず、法律を遵守するなら ば選挙権は認められるべきである」        -------------------------------------------   民政局代表の発言は、GHQの下記方針にそったものといえます。その方 針はもちろん日本政府に命令されました。  「順番がきたときに引揚げを拒絶する朝鮮人は、正当に設立された朝鮮政府 が朝鮮国民として承認するまで、その日本国籍を保持する」(46.11.5)。  「日本官憲は、朝鮮人がどのようにも差別待遇されないように厳重な訓令を 受け又、占領官憲はこれらの指令が完全に実施されるのを確かめるためたえず 努力を払っている」(46.11.20)。   民政局代表の発言に日本政府は驚き、急いでGHQの真意を確かめました。 GHQからは、その発言は非公式なもので、GHQとしては「公式に現行選挙 法を改正し、朝鮮人に選挙権を与へるよう意思表示したものではない」との回 答がありました。   日本政府はこれで一安心したのですが、この機に在日朝鮮人の選挙権停止 を再確認する次のような見解をだしました。         ---------------------------------------- 在邦朝鮮人の選挙権及び被選挙権に関する件                            (48.3.25)   一、ポツダム宣言の受諾により日本が朝鮮を自己の領域外として遇するこ とは厳粛なる義務であり又明白なる事実である。従って朝鮮における朝鮮人は もとより、内地に在住する朝鮮人に対しても日本は完全なる主権を行使すべき ではない。   二、実際上に於ても例えば、外国人登録令においては、朝鮮人を外国人と して取扱い、又朝鮮人の多くは自ら日本人でないことを主張している。   三、選挙権は、国民の基本的な権利であってその反面当然重い義務の負担 を伴うものであり国家主権の完全なる支配下にあり然も支配下にあることを意 識する者にのみ与えられるべきものである。   故に国籍の確定していない朝鮮人に対して選挙権を賦与しないことは、日 本の現状から見て当然の義と解すべきである。         ----------------------------------------   この見解のなかで「内地に在住する朝鮮人に対しても日本は完全なる主権 を行使すべきではない」という一節がとくに注目されます。これは、GHQの 方針からかけ離れているばかりか、日本政府の方針、たとえば教育政策などと あきらかに矛盾するものでした。   当時の教育政策について文部省は「在日朝鮮人も日本国籍を有しているが 故に、日本の法律に従わねばならない」として、朝鮮人の民族学校を閉鎖する 弾圧措置をとりつつあった時期で、1カ月後には、警察力を動員して朝鮮人の 民族学校を強制閉鎖したくらいでした。   日本政府は、義務を強調する場合は在日朝鮮人を日本人扱いする一方、選 挙権など権利面などにおいては外国人であるとして権利を停止するなど矛盾し た施策を採るようでは、ご都合主義のそしりをまぬがれません。   日本は、日本籍を希望しない在日朝鮮人や台湾人は、連合軍の初期指令に いう解放国民あるいは外国人として処遇する一貫した政策を採るべきだったと 思います。 (以下省略、省略部分は次回に掲載) (注1)http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/publication.html、又は  水野直樹「在日朝鮮人・台湾人参政権“停止条項”の成立(1),(2)」     世界人権問題研究センター『研究紀要』第1号、第2号、1996,97 (注2)日本では地方参政権という用語はふさわしくないので、私は地方自治   選挙権とよんでいます。その地方自治ですら、3割自治にすぎませんが。   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


文書名:歴史家の役割、韓国保護条約(14) [zainichi:9692] Date: Tue, 18 May 1999 21:18:34 +0900   最初に、私が書いた文のうち前回の転載で省略した部分を記し、その後に 本題に入ります。   ニフティ、FNETD MES(8) #5443、半月城 <おまけ>   かんさんは「毎回、半月城さんには若干、きつめのコメントを書いていま す」とのことですが、この意味するところは、かんさんは自分の意見をバラン スよく書くのではなく、私に対しては特別配慮からわざと偏頗的に書いている ということでしょうか?   そうだとしたら、口はばったいことをいうようですが、それが招来する結 果について配慮が必要かと思われます。たとえば韓国保護条約の議論で言うと、 もし、むじなさんのかんさんに関する弁護がなかったら、かんさんは「御用学 者」というイメージがメーリングリスト[zainichi]やその筋で定着してしまっ たことでしょう。   それに関連して、ここで裏話をひとつ紹介します。私は、かんさんたちと の議論をまとめた小冊子「韓国保護条約」を知己に配布しましたが、それを読 まれた海野福寿教授から、かんさんについての問い合わせがありました。これ にどう答えたものかどうか、かんさんの体面やプライバシーを考え、こたえあ ぐねています。   ついでに記すと、同教授から読後の感想として社交辞令かもしれませんが、 「自分の気が付かなかった誤りや、不明確な点をご指摘いただき、役立ててお ります」という趣旨の私信をいただき、励みにしております。   それを念頭に、海野氏の新しい論文<日本の韓国「保護」から併合へ」 (明大紀要、45号)をこれから読むところです。 |- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/05/15 - |05570/05570 PFG00017 半月城 歴史家の役割、韓国保護条約(14) |( 8) 99/05/15 20:29 05510へのコメント   かんさんも研究者としての体面をすこしは気になさるようですね。    RE:5510 > 何で「体面」なのかは私も考えたのですが、可能性は次の二つでしょうね。 >1)「御用学者」だから(^^;) >2)私が議論に「負けた」と看做しているから   ふたつともはずれています。まず(1)ですが、私はかんさんを「御用学 者」でないと断定していますので問題外です(注1)。また(2)も、私の小 冊子「韓国保護条約」あるいは同文の半月城通信<日韓関係>を読んだ人は、 議論の結末を知ることはできず「勝ち負け」を判断するのは困難なので、これ も当たっていません(注2)。   私が問題にしているかんさんの体面とは、そのような低次元のものではあ りません。私の小冊子から読者が受けるかんさんのイメージは、もしかすると、 かんさんの学問的態度とかなりかけ離れたものではないだろうかという一抹の 疑念もしくは期待を考慮したものです。   私は韓国保護条約についてかんさんとの議論を深めるうちに、かんさんを むじなさんの推測どおり「侵略を弁護しようとしている」学者なのかもしれな いと思っていました。その思いこみは私の書き込みに相当にじみ出ていたと思 います。したがって、それを読む人はなおさらその印象をもつのではないかと 思います。   しかし、かんさんの良き理解者と思われるむじなさんによれば、そうした 理解は、かんさんの書き方が悪いために生じた誤解とのことなので、もしそれ が本当なら、私の小冊子は誤ったイメージを読者に植えつけることになります。   それがサイバースペースにとどまるうちは、それほど問題にならないでし ょうが、それがかんさんの本業に直結した研究者の世界にまで影響するようで したら、私はやはり心配せずにはおれません。   このため、かんさんを海野教授にどう伝えたらいいのか考えまどい、いま だに返事が出せずにいます。なお、海野教授の問い合わせは、かんさんの書か れた論文はどのようなものがありますかという内容でした。   私が迷う理由はもう一つあります。むじなさんの次の解説からすると、か んさんの誤ったイメージが広がるのは、むしろ戦後補償推進の立場からマイナ スになるのかもしれないと考えています。   RE:#3367、 >               かん氏の他の論文を見ると分かるように、 >彼は決して「日本の植民地統治は正しかった」と個人的に思っているわけじゃ >ないんですよ。むしろ個人的な感情としては、ここにいる右翼連中よりは、 >半月城氏のほうに近いと思う。 > >ただ、「侵略や植民地統治を教訓に、今後どうすればいいか」が、かん氏の >問題意識のはずです。 >だからこそ、保護条約について「事実に反する前提」を設ける必要はない >といっているだけでしょう。 >事実は認めたうえで、「しかし、歴史を将来の鏡として見た場合に、植民地 >にいたる様々な問題は、反省材料にすべきで、繰り返してはいけない」という >ことであって、それはわざわざ半月城氏なんかに言われなくても、かん氏は >十分に分かっていることです。分かっているから、わざわざ書かないのです。 > >でも、それが彼の書き方の問題だと思う。論文そのものじゃなんだから、ここで >は、そうした個人的な感情もせんめい(漢字で変換されない)したほうがいいと >思う。   この指摘について、かんさんからは否定も肯定もなかったので、私はいま でもかんさんには半信半疑です。とくに「侵略や植民地統治を教訓に、今後ど うすればいいか」という問題意識をかんさんが本当にお持ちなのかどうか、私 にはナゾです。   これは、むじなさんがいうように、単にかんさんの書き方が悪く「誤解さ れる論理展開」になってしまっただけの話ならそれに越したことはないのです が、それをうち消す材料が見つかりません。   つい先日もかんさんは、#5510で半年ぶりに韓国保護条約の続きを書かれ ましたが、そこにもそんな気配は微塵もなく、一般的な研究者の修正手法の話 など、私にはただご託を並べているだけのようにみえます。私が問題にしてい るのは、書き込みや論文の正確さといった次元の話ではなく、歴史家の問題意 識のほうです。   もし、かんさんが本当にそうした問題意識をお持ちでしたら、場合によっ てはそれを加味して海野教授に伝えたいと思います。   話はかわりますが、日本の戦後史を書いたアメリカMITのジョン・ダ ワー教授は「歴史家の役目は、歴史がどのように人びとに記憶されていくか、 その記憶がどのようにイデオロギーになり、現実の政策に反映されていくかを 見極めることだ」と語りましたが、近・現代史の歴史家は単に見極めるだけな のか、それとももう一歩踏み込んで、不条理を正すべくそれなりに発言するの か、生き方の分かれるところではないかと思います。   この点、海野教授ははっきりと後者の立場に立ちました。むじな氏の分類 とレッテルでは「市民運動系」の学者になるのでしょうか、「韓国併合の合法 不当論」を主張する海野氏は、最近、日本は植民地支配について被害者に補償 すべきであると次のように記しました(注3)。        ----------------------------------------   李泰鎮は、「日本の韓国併合は無効なのではなく成立しなかったので・・ 日本の36年間の韓国支配はもちろん不法強占である」(『世界』98.8)と結 論づける。   日本の朝鮮支配を「強占」(強制占領=軍事占領)と規定する考えは、 「日帝36年」を植民地支配と規定する私たちの考えと対立することになる。  「過去の清算」が叫ばれている今日、清算さるべき過去とはいかなるものか が不明確であってはならない。そして「強占」であり交戦関係にあったとすれ ば、日本は戦争賠償を支払う義務があるのは当然であり、植民地であるならば、 その不当な支配により被害を受けた朝鮮人に対し相応の賠償・補償を行い、可 能なかぎり原状回復の努力を払う責任が日本にあるはずである。   したがって韓国併合史研究が担っている賠償・補償責任の発生原因を明ら かにする課題は重大であるといわなければならない。   しかし、私は李泰鎮論文を通じて、その「韓国併合条約」等旧条約の当初 からの無効=不成立説を承服することはできず、やはり不当ではあるが諸条約 は有効であり、植民地支配を成立させたとする説をとる。   誤解を避けるために付言すれば、それは日本の朝鮮植民地支配を正当化す るものでは絶対にない。不当であることはいくら強調しても強調しすぎること はないほど、正当性のひとかけらもない植民地化と植民地支配を合法的強制を 通じて行ったのである。        ----------------------------------------   海野教授はこのように植民地支配の不当性を強調するにとどまらず、自己 の信念を行動で示しました。たとえば、宋ビョン郁さんたち「日本製鉄元徴用 工裁判を支援する会」(注4)の呼びかけ人になられたり、最近では「大平洋 戦争・沖縄戦被徴発者恨(ハン)之碑建立をすすめる会」の呼びかけ人になら れたようでした。   歴史家にはそれぞれの信念があることと思います。ときに、かんさんはど のような信念や行動原理をお持ちなのでしょうか? (以下別途転載予定) (注1)メーリングリスト(ML)で、ある日本人からなされた表現は正確に いうと「御用学者」でなく「曲学阿世」でした。一応訂正します。こちらの表 現のほうが、学者にとってはもっときついことと思います。何しろ、世におも ねるために学問を曲げるのがその本来の意味ですから。   なお、この表現は特定の人を名指ししてなされたものでなかったことも念 のために申し添えます。くわしくはML[zainichi:07762]を参照してください。   そのMLを知らずして、MLを非難している極端な人もいるようですが、 そうした方のために、MLへの入会法を知るホームページを下記に紹介します。  http://www.tcp-ip.or.jp/~axson/zainichi/zainichi.html (注2)ニフティの記事をホームページなど他に転載することについて、「ニ フティでの議論を、当該発言者の同意を得ることなく、勝手に会員でない第三 者に見せびらかしてもいいんでしょうか?」と疑問をもたれた方がいますが、 私の場合、友人弁護士の話ではまったく問題にならないとのことでした。   他人の書き込みを勝手に転載すれば問題になりますが、私のように、著作 権を有する自分の書き込みをMLや自分のホームページ、小冊子などに転載す るぶんには著作権上何ら差し支えありません。   また、私の転載はMLのローカルルールにも反しません。それどころか、 自画自賛かもしれませんがMLでは歓迎されているようです。 (注3)海野福寿「日本の韓国「保護」から併合へ」     『明治大学人文科学研究所紀要』第45冊、1999 (注4)大口昭彦「日本製鐵元徴用工問題と新日本製鐵(株)との和解について」   『戦争責任研究』第20号、1998   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/05/23 - 05837/05837 PFG00017 半月城 戦争責任問題の原点 ( 8) 99/05/23 17:42 05596へのコメント   RE:5661、かんさん >「メタな議論」ですが、もうこの辺で止めません?お互いの立場もわかったこ >とだし、これ以上は無益だと思うのですが???   そうですね。かんさんの考えもある程度わかったし、また、これ以上敵意 むき出しの不毛なメタ論議を呼び込まないためにも、この辺でピリオドにした いと思います。   終わるにあたって念のために書くと、私の書き込みはかんさんに「信仰告 白」のようなものを迫るものでなければ、「贖罪の為の研究」をもちろん強い るものでもありません。   私が脳裏に描いている研究者の社会的かかわりとは、たとえばパグウォッ シュ会議のように核兵器の恐ろしさを真に知る研究者なら核兵器廃絶を主張す るとか、各研究者には専門の研究以外に、それにふさわしい社会的役割がある べきだという意見です。   これが近・現代史研究者の場合その道は多様でしょうが、これにはふれな いことにします。ともかく、かんさんの、次のように語るダワー教授に賛意を 示すスタンスは理解しました。  「歴史家の役目は、歴史がどのように人びとに記憶されていくか、その記憶 がどのようにイデオロギーになり、現実の政策に反映されていくかを見極める ことだ」   RE:5596,かんさん > 私は明らかにダワーの側に立ちます(^^;)。 >       ↑↑↑ >(この人面白い人だけど、まあ、それはまた後日(^^;)   さて、ダワー教授ですが、なるほどこの人は面白いことを語っています。 そのインタビュー記事が朝日新聞に掲載されていました。   記事によると、同教授は「戦後日本」が民主主義と反軍国主義を定着させ たと高く評価しつつも、マッカーサーが昭和天皇の戦争責任を不問にしたまま、 その権威を利用したことが、上意下達の官僚統治機構を温存させ、日本の歴史 認識や責任をあいまいにしたと分析しました。   たぶんこの記事をアメリカ在住のかんさんは読めないことと思いますので、 ここに紹介します。   MITのダワー教授はマッカーサーの遺産についてこのように語っていま した(注1)。        --------------------  「米国の占領政策は、民主主義として日本の再生を実現させた点で、歴史上 まれにみる成功だった。しかし、それは植民地と同じ『上からの改革』で日本 国民の支持を受けて初めて定着した。  『戦後日本』は占領軍、日本の支配層、日本国民という三者が複雑にからみ あってできた日米混合(ハイブリッド)の遺産を受け継いでいる。   戦争放棄の第9条を含んだ憲法が『押しつけ』と批判されながら、半世紀 以上改正されなかったのもそのあかしだ」  「もちろん『負の遺産』もある。マッカーサーは保守的な人間だった。占領 政策を進めるうえで権威主義的な統治が有効とみて、昭和天皇を利用して『二 重の君主』として振る舞った。東京裁判をわい小化したうえ、昭和天皇の退位 を求めず、戦争責任をうやむやにしてしまった」  「また占領軍の検閲にみられるように、民主主義を目指したはずの統治は透 明性を欠いた上意下達だった。その傾向は日本の役所中心の『官僚主義』とな って残ってしまった。   それが、行政指導など官民一体の『日本型モデル』となり、今度は貿易摩 擦で米国を悩ませるようになったのは皮肉な巡り合わせだ」        --------------------   教授は、マッカーサーの上意下達が官僚主義という遺産を残したとみてい るようですが、官僚主義は戦前からの遺産で、マッカーサーはそれを温存した とみるべきではないかと思います。   一方、戦後日本は日米混合の遺産を強く受け継いでいるという主張はその とおりであろうと思います。   また、マッカーサーが天皇の権威を利用して統治を進めたことについては 異論はないのですが、その一方で、マッカーサーが天皇の神格化を見事に否定 し人間宣言をさせた実績については重要視していないのか、記事は何もふれて いないのが気になりました。   それは別にして、昭和天皇と戦争責任のあり方に関するダワー氏の次の見 解は注目されます。        --------------------  「私は昭和天皇が戦犯として裁かれるべきだったとは思わない。だが、旧日 本軍の大元帥だった昭和天皇は、戦争で死んだ日本とアジアの国々の数百万の 犠牲者に対して、少なくとも道徳的責任はある。   昭和天皇が東京裁判に呼ばれるのを防ごうと駆け回った木戸幸一、近衛文 麿らも天皇の責任は認めていた」  「旧大日本帝国の侵略と支配のシンボルだった昭和天皇が、戦時中に彼の名 のもとに行われた行為への反省を明言して退位していたら、戦後日本は今とは 違う歴史への責任感を持ち、近隣国との関係も早く改善されていただろう」  「敗戦直後と、48年に東京裁判の判決が出た時が天皇退位の機会だったが、 マッカーサーが反対した。最後の機会は占領が終わったときだったが、結局は 見送られた。民主改革と戦争責任の問題が絡み合ったまま尾を引くことになっ た。反軍国主義は強烈だったが、『被害者意識』が強調されたため、加害者と しての責任意識、国外の被害者への視点が欠けてしまった。   ドイツと違って日本は敗戦から何年たっても戦争責任の問題から逃れられ ないのはこうした背景からだ」  ・・・  「日本は自ら歴史に直面しない限り、いつまでも中国など近隣諸国のナショ ナリズムの『正当な標的』であり続ける。   日本の政治家が歴史をゆがめれば、怒るのは中国や韓国だけではない。全 土を戦場にされたフィリッピン、多数の人びとが『徴発』されたインドネシア なども怒るのだ」        --------------------   ダワー教授は、日本は加害者としての責任意識、国外の被害者への視点が 欠けてしまったとみていますが、これはうなづけるものがあります。それに、 近隣諸国のナショナリズムの「正当な標的」を避けるには「自ら歴史に直面」 することであるという主張は、この会議室の多くの方には到底受け入れられな いことでしょう。   一方、日本の政治家が歴史をゆがめれば、フィリッピンやインドネシアな ども怒るという指摘は、むじなさんの見方と共通するものがあり、目を引きま す。   しかし、世界的に日本の政治家の妄言に怒るのはアジアだけではないと思 います。当のアメリカでも中国系アメリカ人などを中心にそれなりの声がある のではないかと思います。   かんさんもよくご存じのことと思いますが、そうした底流が米言論界など に影響を与えており、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムス(NYT) など代表的な新聞は、南京事件など旧日本軍の残虐行為をたえず追求している ようです。   先日もNYTは、南京事件に関連した記事を載せていました。記事はアメ リカのベストセラー『南京レイプ』の翻訳出版を柏書房があきらめざるを得な かった経過を扱ったものでした(注2)。   その内容は日本の新聞よりくわしいくらいで、アメリカの関心の高さには 驚かされます。それによると、右翼筋の攻撃は、もし柏書房がアイリス・チャ ンの『南京レイプ』を原本に忠実に翻訳・出版していたら、柏書房関係者が身 の危険を感じるほどの空恐ろしいものだったとのことでした。   そうした出版封殺のエピソードはともかく、記事は戦時の虐殺行為につい て責任をとりたがらない日本についてこう述べているのが印象的でした。  「日本は歴史的に戦時の虐殺行為について責任をとりたがらないのである。 ある著名な日本の公職者は南京事件はなかったのだと主張した。   最近、左翼系の歴史家やもろもろの人たちから、過去の事実を明らかにす るようにという圧力が増しつつある。しかし、政治家や教育当局者の主流はそ うした歴史をなおも軽視しがちで、逆に西欧諸国は誇張評価していると非難し ている」   日本の公職者とは、永野・元法務大臣などを指すのかもしれません(注 3)。その発言は5年前になされたものですが、その発言が今でも事あるごと にひきあいに出されるとは、それだけこの問題にアメリカも苛立っているとい えるのではないかと思います。   それを政策として示したのが、96年12月、旧日本軍の南京事件関係者 や731部隊関係者をナチス並みに入国拒否にしたことではないかと思います。   この措置の厳しさぶりには驚かされます。南京事件を告発する元下級兵士、 東さんの入国すら認めないというものです。これは、アメリカの公平原則を貫 いたものでしょうか?   東さんの入国すら認められないのであれば、本来は相当多くの人が入国拒 否になるべきなのに、まだ35人程度しか名簿にあがっていないのは片手落ち のような気がします(注4)。今後、調査が進むにつれ増えていくのでしょう が、その鍵は日本の情報公開にあるようです。それについて、ダワー教授はこ う語っていました。  「日本の役所は、戦時中の文書・資料をまだ大量に保管しているのに、一部 しか公開していない。日本自身が歴史を検証するためにも、自ら進んで記録や 資料を全面公開するべきだ。   それは戦後日本の『負の遺産』を打破する一歩になるだろう」   資料公開こそ、まさに「自ら歴史に直面する」姿勢を示すものであり、こ れを声高に要請したいと思います。自治省の倉庫には、積み上げると富士山よ り高くなるほどの資料が眠っているとのことです。また、法務省や他の省庁で も事情は似たり寄ったりです。   最後にかんさん、上記のように紹介されたダワー教授は、かんさんのイ メージに近いものでしょうか? (注1)朝日新聞、1999.5.12  「日本の戦後史を書いた米歴史家ジョン・ダワー氏に聞く」 (注2)The New York Times,1999.5.20  "History's Shadow Foils Nanking Chronicle" by Doreen Carvajal (注3)永野発言(毎日新聞、1994.5.5)。  『私は南京事件というのは、あれ、でっちあげだと思う。私はあの直後に南  京に行っている。   いずれにせよ、そういうこと(虐殺、放火など)は戦争に伴う悪であり、  これは「絶対に悪い」というのはその通りだ。それを侵略的行為と言うなら、  それはまあ言えるが、日本はそこを日本領土にしたのでもないし、そういう  所を占領したものでもない』   この発言はアジア諸国からの反発をよび、永野法相は発言を撤回しました  が、結局は閣僚辞任に追い込まれました。在任期間はわずか10日でした。 (注4)朝日新聞、1998.8.14  「波紋呼ぶ米の入国拒否、テレビ会議通じ戦争体験」   (本記事はML[aml],[zainichi]、HP「半月城通信」に転載予定)    http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/05/17 - 05655/05655 PFG00017 半月城 RE:メタな議論 ( 8) 99/05/17 22:49 05573へのコメント   何?さん、ご忠告ありがとうございます。RE:5573 > 何かの運動のために言論活動を行っている方にとって、メタな議論を続ける >ことは、マイナスになることはあってもプラスになることはないですよ。   私は運動家という自覚がないのですが、メタな議論については、何?さん のおっしゃるとおりです。私にダメージを与えるべく、私に何か失言がないか この会議室のみならず、ML[aml]などを丹念に検索されている人もおられるよ うです。以前から注意しているつもりですが、やはり筆がすべることもありま す。   何?さんのご忠告を考慮して、この場を借りてベトナムにおける韓国軍の 問題について記します。この問題について書かなかった理由を記した、当時の 発言を次に引用します。         -----------------------------------    また私のこのシリーズを熱心に読んで下さっている別な方は、私が日本 の「従軍慰安婦」レビューを書いているので、そこからさらに進んで韓国軍の ベトナムでの行為なども書いてほしいとのメッセージを寄せていますが、私に はそれほどの実力も時間もないのでこの場を借りてお断りします。   ここ1ー2週間、私はホームページ(http://www.han.org/a/half-moon/) の本格オープンに向け、毎晩お風呂に入る時間まで惜しんで熱中しています。 そのためこの連載もスローダウンしがちです。   <フォーラム FASIA MES(10):【アンニョンクラブ】韓国・北朝鮮、      #02313<「従軍慰安婦」12,吉田証言>(96.6.27)>         ------------------------------------   日付を見るとなんと3年前で、私がまだかけ出しのころでした。私は書い ていたことすらすっかり忘れていたのに、“反帝国主義者さん”のこだわりと いうか執念には驚くやら、感心するやら・・・。   そのころから、私の発言は片言隻句にいたるまで注目されていたかと思う と、改めて驚かされるとともに、身の引き締まる思いがします。   上の引用文から、何?さんならなぜ私が韓国軍について書かなかったのか、 ご納得いただけるものと思います。議論を適度に辞退しないと体が持ちません。 最近でも関東大震災の議論が小康状態にある時に、他の議論に集中するため、 仮面忍者とびかげさんとの議論を一時お断りしました。   基本的に私は口八丁ではないので、いつも一議題にのみ集中するようにし ています。そのため、現在ここで行われている「慰安婦」論議にも加わりたい のはやまやまなのですが、あえて我慢して、かんさんとの議論に集中するよう にしています。   そのかんさんですが、マルチレスでごめんなさい。RE:5596 > それから、他に転載した場合、転載先等を明記するのは、最低限、このフォーラム >のローカルルールだったと思います。   おっしゃるとおりです。このルールどおり、転載をまとめて報告したこと もあったのですが、その後、私が報告しなくても、他の方が、私の転載がML [aml]に転載されているとかよく書かれていたので、周知の事実と思いこみ、報 告を怠っていました。私の書き込みはすべて下記のML、HPに転載しました。 なお、この書き込みからは事後報告ではなく事前報告することにします。   (本記事はML[aml],[zainichi]、HP「半月城通信」に転載予定)   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


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