半月城通信
No. 57

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 外国人への門戸開放
  2. 人権の相互主義
  3. 「従軍慰安婦」99,台湾の慰安所
  4. 「従軍慰安婦」100,国民基金の苦衷
  5. 関東大震災と朝鮮人(6)、警察と自警団
  6. 関東大震災と朝鮮人(7)、内務省通達
  7. 関東大震災と朝鮮人(8)、警察の対応


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 98/12/30 - 03652/03652 PFG00017 半月城 外国人への門戸開放 ( 8) 98/12/30 19:33 03461へのコメント   NOVOさん、こんばんは。RE:3461, >ホンネをずばり言えば「外国人の移住は、出来るだけ制限する。それでも住み >着く人は、極力帰化して貰って、出来るだけ早く同化する」がコンセンサスだ >と思います。「開放度を上げる」のは、少なくとも一般の日本人自身の日常生 >活にとってはマイナスの方が大きく、実益は殆どありません。それを犠牲にし >てでも「開放度を上げなければならない理由」の方は、今一つピンと来ません。 >従って民主主義を前提にすれば、仲々変わらないでしょう。   NOVOさんは、問題にしている「開放」の意味を外国人の移住ととらえ ているのでしょうか? 外国人の移住は影響度が大きく、その国の政策に深く かかわることなので、政治的配慮が必要であり慎重にすべきです。   一方、私のいう開放とは在日外国人に対する「門戸開放」を指しています。 前回書いたように、国際人権規約や難民条約などをガイドラインとして、内外 人差別をなくすべきであるという意見です。   さらにいうならば、地方自治選挙権をはじめ地方公務員などへの採用など、 およそ国民主権に反しない範囲で国籍条項などの差別をもうけるべきではない という主張です。   開放をこのように考えるとき、NOVOさんは依然として「一般の日本人 自身の日常生活にとってはマイナスの方が大きく、実益は殆どありません」と お考えでしょうか?   逆に国際化がすすんだ日本では、外国人を差別する国籍条項がかえって障 害になるようなケースもあります。   そのいい例が船舶法です。海運業界についていえば、舞台が国際社会であ るだけにインターナショナルな視野の経営が要求されています。たとえば、日 本でも大型船などはその多くがリベリアなどに便宜的に籍をおいています。ま た日本人船員は十分の一に激減し、外国人船員が大半を占めるようになりまし た。   それに対応する船舶法は明治32年に制定された古色蒼然たるもので、そ の規定では、取締役は全員「日本臣民」でなければならないという国籍条項が 生きていました。   現在、海運業界はきびしい国際競争、大競争のまっただ中にあるので、か っての海運王国・日本も安閑としていられません。商船三井は取締役にアメリ カAPL社の前会長ジョージ・ハヤシ氏を迎えようとしましたが、これが国籍 条項に阻まれました。これにはさすがの通産省も「国際化時代にそぐわない法 律」であると、唖然としたそうです(日経産業新聞、1998.4.15)。   もっと身近な例では、大阪市の例をあげることができます。かっての大阪 市議会は門戸開放にかなり否定的でした。その声は次のようなものでした。  「在日韓国・朝鮮人には反日感情も強い。公平な仕事ができるのか」  「国籍条項の撤廃はやがて地方参政権の付与にもつながる。在日の多い生野 区では、市議に二人は当選してしまう」  「(国籍条項を)撤廃するなら、採用された外国人職員に日本への帰化申請 を強制すればよい」   こうした多数意見にもかかわらず、大阪市は一転して97年2月、劇的に 門戸開放を決めました。動かしたのは「国際社会の目」でした。それを朝日新 聞(97.7.29)はこう伝えています。  「2008年五輪の開催権獲得をめぐってしのぎを削るライバル横浜市が、 1月早々、国籍条項の撤廃に踏み切る方針を示した。(国際要件)プロジェク トチームは慌てた。『候補地選定で大阪市がハンディを背負うことになるかも しれない』。   納税義務を果たし地域の一員として暮らす外国人に市民としての権利を認 めないのは、海外からの批判を免れない。そういう感覚は市議団にもあった。   現に市役所は大阪大会の理念を『地球市民』のオリンピック」と銘打ち、 大阪のまちを『多様性を受け入れ、ともに生きる社会を願う自由都市』と売り 込んでいる。   プロジェクトチームは『かたくなに外国人の採用を認めないことは、大阪 市に対する国際的評価を損なうことになりかねない』との報告書をまとめた」   大阪市のキャッチフレーズ「多様性を受け入れ、ともに生きる社会を願う 自由都市」は、何と斬新的なうたい文句でしょうか。この「自由都市」という 発想は、織田信長時代以前に繁栄を誇った自由都市・国際都市「堺」のイメー ジから来たのでしょうか。   地方自治体の中で、外国人との共生がもっとも進んでいるのは川崎市では ないかと思います。同市は国際化の波を、「国民国家の壁が低くなり、日本の 地域社会の中でも多くの民族、文化が共存し共生しなければならない状況が訪 れている」ととらえています。   その上で川崎市は「外国人市民は地域社会創造のパートナー。市政に参加 する権利は保障されなければならない」という考えから「外国人市民代表者会 議」を発足させました。   会議の運営は日本で初めての試みとあって試行錯誤も多いようですが、ほ かの自治体からモデルケースとして注目されています。こうした試みは徐々に 広がっていくものと思われます。   川崎市が指摘するまでもなく、世界的に国際化の波は時代的な流れになり ました。特に西欧諸国で著しく、周知のようにEU加盟国は域内経済統合の総 仕上げとして共通通貨ユーロを99年から発効させるほどです。   同時に、市民権統合もそれにふさわしいものになりつつあります。ドイツ やフランスはマーストリヒ条約に適合するように、改憲までしてEU加盟外国 人の地方参政権を認めました。   こうした背景には「国民国家」の壁を低くして国際協調を考えないと、国 際社会に取り残され国が衰退してしまうという認識がその根底にあるように思 えます。   外国人の方もコミュニティの一員として地域社会にとけ込む一方、自治体 の方も外国人の人権を認め内外人の差別なく住民として遇するのがあるべき姿 ではないかと思います。   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/01/10 - 03820/03821 PFG00017 半月城 人権の相互主義 ( 8) 99/01/10 20:56 03658へのコメント   BIG FALCONさん、こんばんは。RE:3658 > 私が何故、人権問題に進歩主義教育を持ち出したか?「権利には義務が伴う」 >と云う事が忘れられている様に思えてならないからです。知識と理性が育って >いない子どもに、どれだけの責任能力があるでしょうか?いや、その程度では >「義務を課する事は酷である」とすれば、与えられる権利や自由にも限度があ >る筈ではないか?と云う事ですね。「権利だけを主張する」風土になりました。   BIG FALCONさんは、運転免許証のような権利と基本的人権を混同していな いでしょうか? 義務を伴なわない権利、それが基本的人権ではないでしょう か?   とりわけ、子どもの基本的人権は厳格に配慮すべきです。たとえば教育を 受ける権利ですが、「知識や理性が育っていない」子ども本人に何の責任もな いのに、不法入国者の子どもであるから教育は受けられないなどという法務省 式の考えは、子ども権利条約を持ち出すまでもなく改められるべきです。   この点、文部省の姿勢はさすがに柔軟で、そうした子どもでも教育を受け させる方針のようで好感が持てます。一方、法務省は法を重んじるのであれば、 国内法のみならず、グローバル・スタンダードになっている人権規約など国際 法をもっと順守すべきです。   RE:3688、NOVOさん、 >  日本の場合には、「帰化すれば良い」と言われると、これを「怪しか >らん」と感じる人が多いのが事実であることは認めます。 >そこで #3451 では、 >:しかし、この気持ちと、「国籍は出生地主義にすべし」と言う主張は、どのよ >:うに両立するのでしょうか?出生地主義は、見方によれば、「子供を自動的・ >:強制的に帰化させてしまう制度」と考えられるからです。 >と質問したのですが、お答えを頂いて居ません。   この質問に、私はとっくに回答したつもりになっていますが、NOVOさ んはそれに気がつかないようですね。   #3509に書いたように、私の基本的立場は国際人権規約などを基軸に おいています。その立場からすれば、NOVOさんが疑問視する「両立」も問 題になりようがありません。   規約の精神からすると、子どもは親の門地や国籍などで差別されるべきで ないのは明白です。これを国民国家という現状の枠組みのなかで実現しようと すると、子どもには形式的に出生地の国籍を与えることになります。   これがこの会議室のみならず、日本や韓国など偏狭な民族主義がはびこる 血統主義国ではなかなかなじまないようですが、西欧諸国ではドイツを除き、 こちらのほうがむしろ主流になっており、一部の例外を除き原則的に子どもに その国の市民権や国籍を与えています。   一方、血統主義国はそうした子に対する対応として、自国の国籍をさらに 与えるので、子どもは結局二重国籍を保有することになります。ただし、子ど もは成人したとき、どちらか一方の国籍を選択しなければなりません。   これからおわかりのように、出生地主義は自動的あるいは強制的な帰化に なるのではなく異質なものです。 >  日本の場合には、「帰化すれば良い」と言われると、これを「怪しか >らん」と感じる人が多いのが事実であることは認めます。   人権規約からすると、国家の主権にかかわるものを除き内外人平等が原則 なので、帰化で問題を解決しようとする発想を「怪しからん」と考えるのは当 然です。   この発想の転換ができない人は、ガーディアン紙のいう「無意識の人種差 別主義者」になるのではないかと思います。   RE:3552、何さん、 >        国民年金など、あえて加入したいなんていう殊勝な方がいら >っしゃるのであれば在日であろうと何であろうと加入していただく方がありが >たいような気はしてなりません。   現状の国民年金制度は、少子高齢化社会を迎え徐々に破綻しかかっていま すが、この制度の改革は外国人の存在を抜きには考えられない時代が来るかも しれません。それだけ日本で外国人の存在が少しずつ重みを増しています。   その例として新生児をあげると、外国人の血が次第に濃くなってきており、 毎日37人に1人の割合で外国人の血を受け継いだ新生児が誕生しています。 この割合はこれからも確実に増えていくことでしょう。少子化の進行とともに、 日本はそうした国際化社会に突入しました。   日本の国際化は外からの要求だけでなく、外国人との混血化といった日本 の社会自体も変化し始めています。それにふさわしい発想をすべきことはいう までもありません。   ここの会議室に見られるような数十年前の偏狭な民族主義にもとづく発想 は、国際化社会でいつまでも通用するものではないと思います。   RE:3726、かーく船長 > 私には、外国人が取締役になれないということが、それぞれの分野に於いての >事業の公共性、重要性に比較してさほど不都合であるとは思えません。   不都合であるかどうかは、どの立場で考えるかにより変わるものです。通 産省など行政の立場からすると、唖然とするような「国際化時代にそぐわない 法律」でも、多くの人にとっては何の不都合がないばかりか、なかには日本の 海運業界を守るためむしろ合理的であると、短絡的に考える人がいても何ら不 思議はありません。   私は、通産省の官僚も最近はあんがい国際感覚にたけてきたのかなと再認 識した次第です。数十年前は「国産品愛用」や「保護貿易」などの偏狭な「国 益」を守るのに躍起になっていた通産省も、国際化時代に大きく変貌したもの です。   近頃、アメリカが日本の問屋制度や系列など、日本の純国内問題を猛然と 攻撃しても、日本政府はいつのまにか「内政干渉」などと抗議しなくなりまし た。   また、それが当然の雰囲気である時代になりました。閉鎖的な非関税障壁 にこだわっていたら、そのしっぺ返しで打撃をより大きく受けるのは貿易立国、 日本なので、当たり前といえば当たり前です。   RE:3726 >      相互主義的な方向では、例えば外国に住む邦人に同等の権利を与え >る国に限って、わが国に居住する外国人の権利について議論の余地があるかもし >れませんが、しかし国家主権と公共性、安全保障上の観点から、認められない分 >野も多いように思います。 > それに相互主義的に権利を与えている国も、少数です。さらに相互主義でない >一方的な権利の付与は、わが国の国益に反すると考えます。   私はこれまで口をすっぱくしていってますが、国家主権にかかわる諸権利 については外国人に認める必要はないと思っています。   中国の元時代には、マルコポーロのような色目人とよばれる外国人が重用 され国政で活躍しましたが、国民国家が前提の現代にあっては、国民主権が原 則なので、国家主権行使は国民にのみ認めるべきです。   それ以外の権利に関しては、定住外国人に国籍を問わず広く門戸開放すべ きです。相互主義は一見妥当なようにみえますが、いかがなものでしょうか。 相互主義は、特恵関税とか最恵国待遇など外交上のかけひきでは多用されます が、人権との線引きが微妙な外国人の権利を国籍で差別するのは問題が多いの ではないでしょうか。   それに日本が開発途上国なら、人権規約がいうように経済的理由でそうし た外国人差別も方便として許されるでしょうが、国連の安保理常任理事国をめ ざすほどの日本にそうしたやり方はふさわしいでしょうか?   これは、かーく船長さんへのコメントではないかもしれませんが、そもそ も根本的に定住外国人に対し、国家主権にかかわるものを除いて一般的な権利 を一方的に与えたところで、本当に「日本の国益」に反するでしょうか? 私 には被害妄想的な発想にしかみえません。   財政的な負担はもちろん理由になりません。外国人も日本人同様に直接税 や間接税を納めているのですから。一体、それ以外にどんな理由が考えられる でしょうか?    http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/01/03 - 03699/03699 PFG00017 半月城 台湾の慰安所、「従軍慰安婦」99 ( 8) 99/01/03 21:32 03618へのコメント   J.M.GEARさん、横から失礼します。「従軍慰安婦」問題の議論で前からす こし気になることがあるのでコメントします。 > それに、この問題が国家間の問題に影響を及ぼしているのは、もっぱら我 >が国の妄言政治家の責任でしょう。条約で解決済み、などという姿勢は、長 >期的には国益を著しく損なう態度だと考えますが。   条約で解決済みなどという姿勢は、私も日本の国益を損なうと考えていま す。しかし、それ以前にこの認識自体が事実誤認ではないかと思います。   たしかに韓国やフィリッピンなどは、日本への請求権を「どんぶり勘定」 で解決したことになっているので、あるいは「慰安婦」問題もその中に含まれ ているはずだと強弁する人がいたとしても、これは一分の理があります。   しかしたとえそうであったとしても、「条約で解決済み」という論法はそ うした条約や協定がない国に対しては通用しません。具体的には北朝鮮と台湾 がこれに該当します。   北朝鮮についていえば、日韓協定当時(1965)、日本は北朝鮮という国家の 存在そのものを認めていませんでした。しかしその後、韓国・北朝鮮が国連に 同時加盟したとき、日本はそれに反対しなかったので、少なくともその時点以 降は北朝鮮という国家の存在だけは正式に認めたことになります。   したがって請求権や「従軍慰安婦」問題などは「国家」間の問題としても 未解決になっています。日本はこうした認識のもとに日朝協議を行っているこ とはいうまでもありません。   次に台湾の請求権ですが、こちらは1952年に結ばれた「日華平和条 約」議定書において、当時の中華民国は請求権を放棄しました。したがって国 家間の請求権問題はいったんは解決済みになりました。   しかしその後、田中内閣が中華人民共和国を承認し、台湾とは断交しまし たので日華平和条約そのものが無効になりました。したがって「請求権の放 棄」も空文になり、台湾の請求権は白紙に戻りました。   こうした経緯から日本はその後、戦時中の台湾被害者への補償を一部行っ てきました。元日本兵に対する国家補償や、日本帝国の軍事預金に対する支払 いなどです。その延長からすれば「慰安婦」に対し国家補償をおこなうのは自 然な成り行きになります。   台湾「慰安婦」への国家「賠償」は未解決であると、かの産経新聞が主張 していますので、次にそれを紹介します。          ------------------------------- 虚構に満ちた慰安婦問題   (産経新聞,96.6.6)  「女性のためのアジア平和国民基金」は、元従軍慰安婦への一時金を一律二 百万円以上とすることを決めた。基金によれば「償い金」である。   その原資は民間からの基金や財界からの献金である。これについて一部の 慰安婦団体の中には、あくまで日本の国家補償を求めて一時金の受け取りを拒 否する動きがある。当の国民基金内部にもこれに呼応する勢力がいる。   しかし、台湾を除いて韓国とフィリッピンに対する国家賠償は法的に解決 済みという政府の原則を曲げることは絶対に許されない。 (以下省略)          --------------------------------   上の記事で産経新聞は北朝鮮については何もふれていませんが、これは同 紙らしいやり方です。それはともかく、同紙の台湾に関する「国家賠償」は法 的に解決されていないとの見方だけは妥当と思われます。   一方、条約を結んでも、そのなかで補償問題などを棚上げしたケースもあ ります。日韓条約の中の在日韓国人への補償問題がそれで、協定から除外する、 つまり棚上げすることを取り決めました。   したがって、在日韓国人の元「慰安婦」宋神道さんのケースに対し「条約 で解決済み」という論法はもちろん通用しません。   以上のように、条約で解決済みという論法は事実誤認になります。   さて話は台湾にもどりますが、同国では国民基金への反発は韓国同様に厳 しいものがあります。台湾でも官民あげて国民基金に反対していることは特筆 に値します。   反対は「慰安婦」支援団体の「婦人女性救援基金会」のみならず、台湾政 府も国民基金に批判的で、当局は97年12月、日本が賠償金を支払うまでの 一時金として台湾の元「慰安婦」42人に対し、一人当たり50万台湾元(約 二百万円)を支払うことを決めました。   国民基金のほうでは、台湾でもある「慰安婦」にこっそり償い金を渡した ようですが、同国で何人にいくら渡したのかすら発表せず、極秘扱いにしてい ます。このような秘密主義や姑息な手段はとうてい通用するものではありませ ん。台湾でも国家補償する以外に「慰安婦」問題の解決は困難と思われます。   なお、台湾では現在でも「慰安婦」問題への関心は高く、先日、韓国人の 元「慰安婦」が「台北市婦女救援社会福利事業基金会」と共に台湾の慰安所を 再訪した記事が大きく報道されました。   場所は台北の南西約60kmに位置する新竹市で、ここは最先端の半導体 工場が密集した台湾のシリコンバレーとして世界的に有名な所です。軍事基地 の平和利用が台湾を代表する先端技術のメッカを生みました。   ここを訪れた元「慰安婦」李さんの記事は、『英文中国郵報』など数紙に 写真入りで大きく報道されました。台湾でも依然として関心が高いようです。 報道記事の中から、ここでは『英文中国日報』の記事を紹介します。           ---------------------------- 「慰安婦」日本の慰安所を再訪   (China News、英文中国日報,1998.8.23)   昨日、韓国人の元「慰安婦」は、台湾北部にある新竹空軍基地の東ウィン グが世界第二次大戦当時、日本帝国軍により設けられた軍慰安所であることを 確認した。   李容洙(71)はかって日本軍の性奴隷として足かけ三年間従事した場所 を涙のうちに探しだした。   その場所は現在、中華民国空軍の将兵用三階建ての寮になっていた。彼女 は、1944年(43年の間違い)のある夜、韓国の故郷からどのようにして 日本軍により誘拐され、いかにして日本軍の性奴隷になったかを涙ながらに語 った。   彼女が、日本空軍(ママ)カミカゼ隊の駐屯する見知らぬその地の慰安所 に送られた時はわずか数え年16歳であった。李は、ハセガワという日本人将 校からそこは台湾北部の新竹であると聞かされて、初めてその地名を知った。   李は日本軍慰安所の生活を悪夢として語った。彼女は木造二階建ての家に 住まわされた。彼女は慰安所の前100mくらいの範囲で動くことを許された だけなので、思いだせるのは青い野原と近くを流れる小川くらいである。   彼女は50年以上、夢にまでみた川岸に立った瞬間、どっと涙がこみ上げ た。彼女は日本軍が連合軍に降伏した後、韓国・大邱にもどったが、こうして 再びかっての苦難の地を訪れることができたことに感謝した。   「たとえ私にとってはつらい記憶であっても、かっての日本軍慰安所跡の 発見により、日本政府が戦争中多くの外国人女性を性奴隷にした罪を認めるこ とにつながるなら本望です」   さらに彼女は、日本政府には今回の新事実をつきつけ、他の生き残った元 慰安婦と力を合わせ、日本政府が公式謝罪と生き残ったすべての慰安婦に補償 するよう要求すると語った。彼女たちはほとんど70代で孤独の身である。   李の他に、14人の韓国人女性がその慰安所で性奴隷として従事していた。 そのうち二人の同僚は、連合軍の空襲で死んだとつけ加えた。           ---------------------------   まったく見知らぬ外国で動き回れるのは慰安所の前わずか100m、これ ではオリの中の象とあまりかわりません。逃げだそうにも道はわからず、言葉 も通じず、そんな環境でひたすら日本軍兵士相手に性交を強要される生活は 「性奴隷」としかいいようがありません。   李さんは故郷に帰っても、もし自分が「従軍慰安婦」であることが知れた ら、父親に殺されるのではないかという恐怖感を持ち、誰にもいえず、ひたす ら苦難の過去を隠し、必死に忘れるよう努めてきたようでした。   そんな李さんが「慰安婦」にさせられたいきさつは次のとおりです(注)。          ----------------------------   1928年大邱に生まれた容洙さんは、(満)14歳のとき家から呼び出 され、他の4人の少女とともに日本人に連れられて汽車で慶州から大連まで運 ばれました。帰りたさに泣くとそのたびに激しく殴られ蹴られながら、海軍兵 士の乗った軍船の船底に入れられ、44年の正月を上海で迎えます。   船の中で男が襲いかかってくる意味も何をされているのかも理解できない まま、くりかえし強姦され、上陸した台湾の新竹で「慰安所」に入れられまし た。   軍人の相手をするのを必死で拒んだため電気拷問を受け、戦争が終わるま で、主に特攻隊兵士の相手をさせられ、46年に祖国に帰りついたときには1 8歳になっていました。          -----------------------------   14歳の少女を性奴隷にしてしまうなんて、なんとむごいことでしょうか。 楽しかるべき青春が待っているはずなのに。その青春を軍靴で無惨に踏みにじ り、電気拷問までかけて特攻隊員の性のいけにえにしてしまうなんて、「従軍 慰安婦」ほど女性を根底から踏みにじった制度は空前絶後ではないでしょうか。 元「慰安婦」の方々にはどれほどのトラウマを与えたかはかり知れません。   李容洙さんも長い沈黙の後、自分は従軍した「慰安婦」ではないと、汚名 をはらすべく、ついに名乗り出ました。その弁をおわりに紹介します(注)。          ------------------------------   人間を、少女を泥棒して、「従軍慰安婦」させたんでしょう。どうして 「強制」をつけないんですか。強制連行されて私はね、「従軍慰安婦」させら れたんです。   その責任をとらないで、その罪を知ろうとしないで、なぜ「国民基金」で すか。私は物乞いじゃないですよ。お金の問題じゃないです。きっちり調査を して、私の名誉を回復しないといけないし、犯罪者を処罰しないといけないで す。ただしね、犯罪の最高責任者。   そして調査をしてから、私たちの名誉を回復させるために、国家が謝らな いといけないです。そうして、国際的な法律にそって、賠償しないといけない と思います。          ------------------------------   元「慰安婦」が本当に求めているのは何か、李さんの短いことばにすべて が集約されているのではないかと思います。 (注)戦争犠牲者を心に刻む会編『私は「慰安婦」ではない』東方出版,1997   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/01/17 - 03891/03891 PFG00017 半月城 RE:国民基金の苦衷、「従軍慰安婦」100 ( 8) 99/01/17 21:37 03709へのコメント   ぺくすこんだるさん、こんばんは。RE:3709、 >    拙者としては、アジア女性基金にもう少し頑張ってもらって、 >元慰安婦のみならず、支援団体や大衆レベルに我が方の誠意が伝わる >よう相勤める以外、道はないと思っております。   国民基金の意図は、関係者の努力により韓国や台湾などに十分伝わってい るのではないでしょうか。それにもかかわらず国民基金が同国などで拒否され ているのは、国民基金自体に限界があるからではないでしょうか?   たとえば国民基金の努力ですが、一例をあげれば韓国で国民基金の趣旨を 理解してもらうために、全面広告(98.1.6)をハンギョレ新聞など3紙などに大 きく掲載しました。しかし、これが国際的に猛反発を招いたのは、ぺくすこん だるさんもたぶんご存じのことと思います。   この広告に対抗して、韓国や台湾、フィリッピンなどの「慰安婦」を支援 する5団体(注1)が連名で、ハンギョレ新聞に反対意見の広告(98.1.23)を 載せました。そこに支援団体の意思を明確に読みとれます。   支援団体が何を問題にしているのか、その見出しからひろってみます。 (翻訳・作成:ICR’98)          -------------------------------  “女性のためのアジア平和国民基金”(略称“国民基金”)の欺瞞的な広告 に驚きを禁じえません   1月6日、国内3紙に日本の「国民基金」は奇襲的に全面広告を載せまし た。その広告は多くの読者に混乱を与えています。   日本の橋本総理の手紙と「国民基金」理事長の文を載せ、あたかも日本政 府がお詫び金を渡し、賠償するかのように見せていますが、実際には日本政府 は公式謝罪と賠償を全く行っていません。   民間次元の「国民基金」を通してこの問題をおおい隠そうとしています。 このような欺瞞的な広告に対して韓国と日本、台湾、フィリッピンの被害者と 市民たちは怒りを禁じえません。   そして、心と意思を合わせ、アジアの被害者たちと同じく連帯し、貴重な カンパを集めてこの広告を出すことになりました。 (以下は小見出しのみ) ○日本人(元軍人)には40兆円出しても、アジアの被害者に補償しない日本  政府 ○アジアの被害国を差別する日本政府 ○私たちは日本政府の公式謝罪と賠償を要求しています ○国連人権委員会などの国際機構は「日本政府は被害者に賠償すべき」と主張  しています  “女性のためのアジア平和国民基金”は日本政府の賠償ではありません ○「国民基金」は日本政府の謝罪と賠償を回避するためのまやかしの仕組みで  す           ------------------------------   この見出しをみると、「慰安婦」支援団体が求めているのは、国連も主張 する「日本政府」の賠償と謝罪であることが明確です。これに応えられない国 民基金は、いかに日本国民の誠意や善意に満ちていようと、しょせんは問題を 解決することは無理だと思います。   「慰安婦」支援団体と趣旨はちがうものの、日本大学の秦郁彦教授も「ア ジア女性基金は後退せよ」との意見を発表し、注目されます。同氏の主張によ ると、国民基金の趣旨は韓国政府が「慰安婦」に生活支援金の支給をおこなっ たことで達成されたので、この際、国民基金は引きさがるべきであると、次の ように主張しました。           ----------------------------- アジア女性基金は後退せよ(朝日新聞,98.8.27)                          秦郁彦 (前略)   償い金の趣旨は、貧しい孤独な老後に苦しんでいる元慰安婦たちの生活を 少しでも支援しようとする点にあったはずだ。   韓国政府と支援組織が償い金に相当する額の支援金を給付した以上、その 目的は達せられたのだから、喜んで引きさがるべきではないか。  (国民基金の)和田氏は、韓国政府が5月の支援金給付に際し、基金の償い 金を二重に受けとらないよう誓約書を書かせたことを、非民主的なやり方で、 「ハルモニ(おばあさん)には日本からお詫びと償い金を不十分でも受け取る 権利があるはずである」と主張する。だが、それは本質的に「家庭内事情」で あって、わが国がとやかく干渉する事柄ではない。   また、二重取りを問題にしているが、すでにハルモニたちは、 (1)女性基金を拒否、韓国政府と支援組織の支援金を受領 (2)別に女性基金の給付も受領 (3)女性基金の給付だけを受領 (4)一切の給付を受けていない、 に四分されている。   (2)と(3)の人たちが各種のいじめを受けているのは気の毒だが、わ が国としては打つ手はない。基金が給付を強行すれば、いじめがますますひど くなる構造なのだ。   加えて、太平洋戦争従軍者や遺族からは、なぜ慰安婦だけを手厚く支援す るのか、という不満の声もあがっている。善意から発したこととはいえ、これ ほど混乱した状況を作り出したのは、日本側にも責任があることは否定できな い。   したがって、基金は少なくとも韓国からは手を引くべきだろう。 (途中省略)   そもそも、女性基金には事務費や女性尊厳事業に毎年4億円前後の政府予 算が支出されている。事務費の相当部分は、支援組織の妨害をかいくぐって償 い金の受けとりそうな元慰安婦にわたりをつける工作費に使われてきた。   女性尊厳事業は、「援助交際」の実態調査など、本来の趣旨と無関係のプ ロジェクトにも使われている。このままだと、女性基金はこの種の無駄な仕事 や発展途上国のあちこちに女性会館を寄付して建てる「特殊法人」と化して、 延命をはかることにもなりかねない。   基金は昨年秋から、償い金を受けとった人の総数と国別の内訳を公表しな くなった。もらった人が「いじめ」を受けないための措置だというが、結果的 に浄財を寄せた人たちへの情報公開もできないようでようでは、本末転倒とい うべきだろう。   基金は時限を設定し、償い金をスムーズに受けとれる人だけに渡して、解 散するのが適切だと考える。           -----------------------------   秦氏のいう時限ですが、償い事業の実施期間は各国の事業開始から5年と されています。受付終了は、フィリピンで2001年8月、韓国で2002年 1月、台湾で2002年5月になります。   この期限をまたず、国民基金は方針転換を迫られています。韓国や台湾な どでは事業が暗礁に乗り上げました。   打開策を見いだすべく、国民基金を創設した当時の首相・村山氏や和田氏 は去る12月、韓国の金大中大統領に面談し、配慮を「直訴」しましたが、な んら道は見いだせないようです。そうした現状を毎日新聞は次のように紹介し ています。           ------------------------------ <ニュース展望>アジア女性基金の行方                    毎日新聞(99.1.12)  財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金、原文兵衛理事長) が、元従軍慰安婦に1人当たり200万円の「償い金」を届ける現在の方式を転換する か否か「決断」を迫られている。韓国政府が昨年5月、独自の生活支援金を被害者に支 給して以来、韓国での償い事業は中断したまま年を越した。台湾などでも暗礁に乗り上 げている。基金の運営審議会委員で、韓国側と折衝を重ねてきた和田春樹・東京大名誉 教授は「このまま解決策が見いだせなければ、日本の国民から意見を募集するなどして 別の方法を考えざるを得ない。3月までには基金としての結論を出したい」と語る。  国家間の問題は日韓基本条約(1965年)で解決済みとする韓国政府は、慰安婦問 題で「国家賠償は要求する立場にない」との姿勢をとる一方、日本政府に「国際的に恥 じない対応」を求めてもいる。日本の償い金を受け取らないことを条件に昨年5月、被 害者百十数人に1人3150万ウォン(当時のレートで312万円)の生活支援金を支 給した。韓国の支援団体にアジア女性基金への反発が強いことも考慮し、基金に対して 償い事業に代わり「歴史の教訓」となる事業への転換を求めた。  一方、基金は韓国の生活支援金と日本の償い金は「並行して行える」との見解を示し 、韓国政府に配慮を求めた。昨年12月には村山富市・元首相と和田教授がソウルに飛 び、金大中(キデジュン)大統領と会談した。村山氏は95年夏、基金設立当時の首相 だ。日朝国交正常化の問題とともに従軍慰安婦問題を持ち出し、「信頼と対話の精神で 解決策を」と“直訴”した。金大統領は「韓国政府は償い金を受け取るなとも受け取れ とも言わない」と答え、韓国の支援団体や被害者と話し合うよう望んだという。  償い事業に頭を悩ます一方、基金はもう一つの柱である女性の尊厳事業に力を入れる 。「援助交際」やアジアの女性の人身売買など今日的な問題がテーマで、2月下旬には 東京と大阪で、夫や恋人の暴力やセクシュアル・ハラスメント、レイプなどで心身が深 く傷ついた女性のためのメンタルケアのセミナーを初めて主催する。  償い事業に絡む企画もある。昨年11月、東京で開いたフォーラムは「アジア女性基 金の取り組み」と題し、基金運営審議会委員の横田洋三・東京大教授(国際法)が、国 連差別防止・少数者保護小委員会(人権小委)に昨夏提出された「マクドゥーガル報告 」を説明した。同報告は被害者への国家賠償などを提言し、基金に反対する市民グルー プから支持されている。横田教授は「報告書はあくまでも審議の材料。報告書を基にし た女性への暴力防止に関する人権小委の決議も、紛争下における女性への暴力全般につ いてで、慰安婦問題はその一つ」と話した。  現在、基金への募金総額は4億8300万円に上る。各国政府の認定に基づいて、こ れまで韓国、フィリピン、台湾の約90人が計約1億8000万円の償い金を受け取っ たが、まだ3億円余が残っている。韓国以外に台湾も支援団体と政府が償い金を拒否し 、インドネシアとオランダは政府が個人への支給を認めていないため、基金が日本政府 の拠出金をもとに医療・福祉事業の資金を提供している。オランダは現地の戦争被害者 団体が「基金の事業にはかかわらない」ことを表明した。中国や朝鮮民主主義人民共和 国(北朝鮮)は白紙の状態だ。 (以下省略)           -------------------------------   アジア各国に混乱をもたらした国民基金は、このへんでそろそろ基本的な 存在意義を再検討すべきではないでしょうか。   それとも、ぺくすこんだるさんは国民基金に関し何か有効な提案をお持ち でしょうか? (注1)「慰安婦」支援団体  (韓国)挺身隊問題対策協議会  (日本)リドレス(戦後補償実現)国際キャンペーン’98  (台湾)台北市婦女救援社会福利事業基金会  (フィリッピン)リラ・ピリピーナ  (フィリッピン)マラヤ・ロラズ   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/01/24 - 04008/04008 PFG00017 半月城 警察と自警団、関東大震災と朝鮮人(6) ( 8) 99/01/24 23:25 03988へのコメント   仮面忍者とびかげさん、お待たせしました。どうやらこれまでの主要テー マであった韓国保護条約や、国際人権規約にもとづく外国人の権利については、 もはやさしたる反論もないようなので久しぶりに関東大震災について書くこと にします。   これまでの議論を簡単に整理します。まず、旧日本軍による朝鮮人虐殺で すが、仮面忍者とびかげさんは#1831でその数を東京の荒川流域を中心に 「700人を超えない」としており、これについてはお互いにそれほど意見の 違いはないようです。   しかしながらその700人のとらえ方については差があるようです。幹部 自衛官である仮面忍者とびかげさんは旧日本軍の残虐行為を過小評価したいの か、700人の虐殺があったにせよ「軍・警察が虐殺の主体ではない」という 意見のようです。   それに対し私の考えは、東京で700人といえば虐殺された朝鮮人1,3 47人(注2)の半数にあたるので、すくなくとも首都では軍・警察が虐殺の 主体であったという見解です。   一方、相互の見解が大きく食い違うのは警察の評価にあるようです。仮面 忍者とびかげさんは、震災時に大川常吉鶴見署長のように、いわゆる「不逞鮮 人」虐殺に荒れ狂う暴徒から身を挺して朝鮮人を救った美談などをあげ、それ から類推して警察は朝鮮人を虐殺するどころか、自警団に命をねらわれた朝鮮 人のいわば救世主であったとし、その帰結として警察・内務部は不逞鮮人のデ マを流すことはあり得ないと結論づけているようです。   RE:3988、 >既に一部はアップしたが、関東大震災時、神奈川県警察部はその全力を挙げて >一般国民・自警団の暴行から当地在住の朝鮮人を保護・救助していた。   警察は自警団の暴行という不法行為を取り締まるのが職務とはいえ、仮面 忍者とびかげさんが紹介した岡田巡査のように身の危険をかえりみず、血走っ た自警団相手にサーベルで威嚇してまで朝鮮人を守りぬいた行為はたしかに賞 賛にあたいします。   こうした正義感あふれる巡査がいる一方で、自警団を抑えるどころか逆に 自警団に虐殺の「お手本」を示した警察官が同じ神奈川県にいたのはご存じで しょうか? その事実を福岡日々新聞(1923.10.21)はこう伝えました(注1)。         ----------------------------------- 横浜方面の鮮人虐殺   異常の亢奮時で種々の失態  横浜方面の鮮人殺害事件で検事局の最も重大視しているのは人民保護に当る 巡査が殺害に加担した事で、夫(そ)れは去る9月4日午後5時頃根岸町の自 警団に捕らわれた三名の鮮人(内一名女)が同町吉野巡査派出所に逃げ込み保 護を願った所、巡査は鮮人の所有する風薬を毒薬と思ひ男二人を派出所の側に 縛って現場で惨殺し、戒厳令発布後問題の発生を防ぐため同夜火葬場で焼棄て、 助命を乞ふた女をも同夜二時頃某所に連れ出し殺害した。之が為め同所自警団 はこの処置を署長の命令と誤信し引続き暴挙に出でた形勢がある。(東京電話)         -----------------------------------   虐殺を防止すべき警察が、よりによって命乞いをしている女性まで逆に虐 殺するなんて信じられない話です。一体、この女性を巡査はどのような方法で 殺したのでしょうか? ピストルで撃ったのでしょうか? それとも自警団の ように殴り殺したのでしょうか?   新聞も指摘したように、このような官憲自体のアウトローが自警団の狂気 に拍車をかけたことは想像にかたくありません。集団ヒステリー状態にある自 警団が朝鮮人を殺すのは手柄であると勘違いするようになったとしてもなんら 不思議はありません。   またこれも同じ横浜ですが、数名の警官が自警団と一緒になって朝鮮人を 虐殺した次のような重大事件がありました(注1)。         ------------------------------------  正服正帽の警官も    加はって大暴行      囚人と自警団が共力        して避難民を殺害す  横浜に某重大事件発覚し司直の手は動いてゐる。事件の内容につき採聞する 所によれば去月二日三日両日昼夜に亘り横浜市中村町中村橋派出所付近を中心 として根岸刑務所から解放された囚人二十名と同町自警団が全体として○○ (鮮人、半月城注)十数名を殺害し、更に同所を通行した罹災民各地から来た 見舞人十余名を殺害し種々の金品を奪って、屍体を針金で両手両足を縛して大 岡川に投込み、或は火焔の中に投じて焼却し焼跡を湮滅せんとしたのである。  殊に奇怪なる某警察署の警官数名が正服正帽のままでこれら掠奪団に加はり、 帯剣を引抜いて数名を殺傷したといふのである。被害者中には鶴見から見舞い に来た二名の他、元自治倶楽部書記吉野某も無惨な死を遂げてゐる・・・ (河北新報、大正12.10.18)         ------------------------------------   この警官による暴行事件はうやむやになってしまったようですが、こうし た警官の暴行は氷山の一角だったようです。そうした官憲の不祥事はほとんど 伏せられ、もっぱら自警団が悪者の主役にされました。   こうした官憲のやり方はもちろん自警団の憤激を買いました。直接手を下 して罪に問われた彼らは、関東自警同盟を結成し、内相や法相を下記のように 詰問しました。その中で流言の責任追及とともに「幾多警官の暴行」とあるの が注目されます(注1)。  我らは当局に対して左の事項を訊す。 1.流言の出所に付当局が其の責を負はず之を民衆に転嫁せんとする理由如何。 1.当局が目のあたり自警団の暴行を放任し、後日に至りその罪を問はんとす  る理由如何。 1.自警団の罪悪のみ独り之を天下にあばき、幾多警官の暴行は之を秘せんと  する理由如何。  我らは当局に対し左の事項を要求す・・・   これは詰問状というより抗議文に近いものです。このように自警同盟幹部 の鼻息が荒いのも一理あります。彼らは警察当局の流すデマを信じ、官憲のす すめにしたがって自警団を組織し不逞鮮人を成敗したという功労者意識を持っ ており、殺人者よばわりされるのははなはだ心外だったようです。その汚名を そそぐためこう語っています。          -------------------------------  死を賭して汚名を雪ぐ    流言者は果たして誰か      幹部の恐ろしい鼻息  なほこの外、檄文三千枚を印刷して各方面に配布し、われわれは内相等に陳 情するのではなく抗議するのだと恐ろしい鼻息だが幹部の菊池義郎氏は曰く 「某々方面より鮮人襲来の惧(おそれ)あり、男子は武装せよ、女子は避難せ よ、○○(鮮人)と見れば、○(殺)しても差し支えないとふれまはったのは 何者であったか、当局は、これを横浜に強盗を働いた某々等の宣伝であるとい ふも直接我等に伝えたものは、明らかに他にあった。  ところが今日になって自警団の功績は、ことごとく顧みられず全国七千万の 同胞から兇器無頼の悪徒と見られ、事情を知らざる外人よりは血に餓えた蛮人 のやうに誤解されている。尤も中には殺人強盗を働いたえせ団員もまじってい たけれどもこれ等はわれ等の仲間ではなく、われ等の責任を負ふべきものでは ない。  そこで名誉恢復の為に決議を当局に致すことになったのだが、汚名をそそが ぬ以上は一同死すともやまぬ決心である。」 (東京日々新聞、大正12.10.23)          ------------------------------   もともと自警団員は凶行に対する罪の意識がまったくなく、それどころか 中には凶行の後、警察に出頭して恩賞を要請した者もいたくらいです。そのた め事件後、無頼の悪党よばわりされるのはさぞかし我慢がならなかったのでし ょう。そのうらみに新聞などもむしろ同情的ですらありました。東京日々新聞 (1923.10.23)は、でく人形にもたとえられる自警団を代弁し、警察を非難して こう書いています(注1)。          ------------------------------   角笛事実三つ  自警団の殺傷沙汰はまことに遺憾にたへない。  無論法の命ずるところに従って、厳罰に処せられるべきであろうが、同時に 自警団をしてこの過誤におちいらしめたる責任者がいまだ一人も表面にあらわ れないのは何事であろう。  若しこのままで葬るならばでく人形に使われたる自警団員のうらみはとも角、 国法の威信はどうなるであろう。  私は三田警察署長に質問する。9月2日の夜××(鮮人、半月城注)襲来の 警報を、貴下の部下から受けた私どもが御注意によって自警団を組織した時 「××(鮮人)と見たらば本署につれてこい、抵抗したら○(殺)しても差し 支えない」と親しく貴下からうけたまはった。あの一言は寝言であったのか、 それとも証拠のないのをよいことに覚えがないと否定さるるのか、如何(四国 町自警団の一人)  私は巣鴨の住人だが、巣鴨警察署は、警察用紙へ「井戸に毒を投ずるものあ り各自注意せよ」と書いて各所にはり出した、次ぎに「脱獄者数十名あり警戒 を要す」その他(以下は三行けずる)などつたへ、われわれが竹槍やピストル を持って辻を堅めてゐると、巡回の警官は禁じもせずかえって「御苦労様」と あいさつしてあるいた。いまさら責任を自警団にのみ負はせるとは何事だ(渡 辺清三)・・・(以下省略)          ---------------------------------   こうした証言から推定されるように、警察・内務省は「不逞鮮人」のデマ を流し、自警団を結成させ朝鮮人虐殺をそそのかしたのでした。   その結果、自警団による虐殺がフィーバーし過ぎたので、当局は9月5, 6日以降はそれを抑えにかかりました。自警団が武器を持つことを禁じ、不逞 鮮人は警察・軍隊に任せよとの指導をしました。   こうした経過について私は「軍や警察はうわさに火をつけ、それが燃え広 がると、次にポンプで消すという、いわばマッチポンプの役割を演じたといえ ます」とニフティのフォーラム FASIAE に記しました。その一連の書き込みリ ストは下記の通りです。 <タイトル一覧> |- FASIAE MES( 9):【安寧文化堂】 朝鮮半島全般の話題 番号 ID 登録日 TO CO 題名 |1423 PFG00017 09/20 10:50 01415 2 関東大震災と朝鮮人 |1430 PFG00017 09/22 21:46 01425 0 犯人居直って善行者 |1433 PFG00017 09/23 16:25 01427 2 南十字星さんに質問 |1446 PFG00017 09/27 12:12 01424 1 軍・警察はマッチポンプ、関東大震災(2) |1525 PFG00017 10/18 16:50 01450 0 朝鮮人と労働運動、関東大震災と朝鮮人(3) |1555 PFG00017 10/25 21:50 01450 3 うわさと戒厳令、関東大震災と朝鮮人(4) |1567 PFG00017 11/01 21:05 01563 1 軍の虐殺、関東大震災と朝鮮人(5) |1590 PFG00017 11/28 21:54 01584 1 RE:軍の虐殺、関東大震災と朝鮮人(5) |1599 PFG00017 12/06 22:29 01591 2 現代史資料『関東大震災と朝鮮人』 (注1)姜徳相他「現代史資料6,関東大震災と朝鮮人」みすず書房,1963 (注2)高柳俊男監修「東京のなかの朝鮮」明石書店,1996   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/01/31 - 04049/04049 PFG00017 半月城 内務省通達、関東大震災と朝鮮人(7) ( 8) 99/01/31 23:51 04023へのコメント   仮面忍者とびかげさん、こんばんは。RE:4023、 ≫横浜方面の鮮人虐殺 ≫  異常の亢奮時で種々の失態 ≫    正服正帽の警官も ≫      加はって大暴行 > > 確かにこれらは忌むべき出来事であり、関係者の責任は軽くないと言える。 > しかし、警察官も人間であることを忘れてはならない。未曾有のパニックの中 >で疑心暗鬼に陥り、遺憾ながら自警団に乗せられた例が若干出たとしても、誰に >も責められないであろう。刑法上は「誤想防衛」という概念が成立し、罪には問 >われないのである。   仮面忍者とびかげ氏は、命がけで朝鮮人保護をした警官がいる一方で、中 には朝鮮人虐殺に加担した警官もいたということはお認めになるのですね。   その一方で警官による虐殺は、相応の責任はあっても、刑法上は「誤想防 衛」すなわち正当防衛の一種であり、無罪であると主張したいのでしょうか?   さらにこれは、命乞いをした朝鮮人女性を警察署内で虐殺した警官にまで 適用されると考えておられるのでしょうか?   幹部自衛官である仮面忍者とびかげ氏は、どうも官憲の行為を涙ぐましい までに弁護しようとしているようです。   私は「警察・内務省は“不逞鮮人”のデマを流し、自警団を結成させ朝鮮 人虐殺をそそのかしたのでした」と書きましたが、これを仮面忍者とびかげ氏 はどうしても否定したいようです。   RE:4023, >この点は、極めて疑問である。流言を流言と知っていて三田署・巣鴨署が流 >したという証拠は全然ないからだ。既に再三述べたが、知っていて流したの >でなければ「そそのかした」ことにはならない。   三田署など末端の警察が、独自の判断でそのような流言を流せるものでは ないと思います。多くの自警団の証言から明らかなように、そそのかしたのは 上級機関である警視庁や内務部です。国民新聞は、流言は「公式に警視庁始め 他の官憲へ伝達された」とこう伝えています(注1)。           --------------------------------  鮮人襲来の流言と某重大事件を混同す    当局の錯覚から空前の大惨事      自警団事件が勃発する迄  警視庁並に裁判所から発表された自警団暴行事件の犯人は既報の如く130 余名、被害者250名(殺害されたもの)に上り、僅々二三日間に斯(かか) る不祥事の勃発を見たことは空前のことといふべく、然(しか)もこの大惨事 がもたらされた酵母ともいふべきは2日午後10時頃伝播した例の不穏流言で あって警視庁刑事部は暴行・・・(一行不明、編者注)流言の出所を究むべく 爾来(じらい)極力調査の結果、横浜と判明し、然も公式に警視庁始め他の官 憲へ伝達されたのであるが、当時某官某大官等はある方面で計画されていた某 重大事件とこの不穏流言と混同して考慮し、直ちに非常方針を取り、直ちに市 民にも此の旨を伝えたので、さなきだに大震災に恐怖せる市民・・・(一行不 明、編者注)となり恐怖は軈(やが)て異常なる緊張となり昂奮となる。                      (国民新聞、1923.10.22)         ----------------------------------   新聞は、某官・某大官などとあいまいに書いていますが、これは前後の文 脈から内務省高官をさすようです。内務省は9月2日早々に「朝鮮人暴動」と 断定し、これを上記の警視庁ルートをはじめ、あるゆる手段で各地に流しまし た。   このシリーズ(4)に書いたように、全国地方長官や朝鮮総督府へは9月 3日、内務省警保局長名で無電をうち、朝鮮人の放火や爆弾所持などといった デマを広範囲に流しました(注2)。   また近県の埼玉県では、無電と類似した内容を記した「其筋の来牒」が確 認されています。それを受けた埼玉県内務部長は「不逞鮮人盲動」のうわさを あおり、県内の各町村長に自警団結成など「適当の方策」を講じるよう通達を 流しました(注3)。   この通達が自警団の暴行を誘発したことはいうまでもありません。東京 日々新聞はこう伝えています(注1)。         ----------------------------------   警察はなぜ黙認したかと埼玉県の村長が伺書を出す  鮮人問題で自村から13人の縄付を出した埼玉県大里郡用土村長・前県会議 員清水近三郎氏は数日中に自警団検挙に関し県当局並びに内務省に伺書を出す 筈だが、氏は憤懣の面持ちにて語る。  「当時大里郡役所からは平井郡書記がわざわざ郡長の特使として役場へまい られ、自警団を組織してくれといふ話もあり、村民も色々な流言蜚語に惑はさ れ手に手に兇器を持って不眠不休の努力をしていたが、あの頃警察もこれを黙 許していて何等の注意をも与へなかった。   聞けば当時寄居警察へは五百名近くの群衆が押し寄せたらしいが、今日に なってその筋の注意をおこたったのを棚に上げて置いて、村民ばかりその罪に 問はれるのは不可解である。アアいう場合は兇器を持っていても差し支へない と認めて放任してゐたのかどうか伺書を出してみたい。」                  (東京日々新聞、1923.10.23)         -----------------------------------   以上、自警団の証言や新聞報道、はては公文書にいたるまで、内務省が 「朝鮮人暴動・放火」などのうわさに火をつけ自警団を結成させたのが明らか なのに、どうしても仮面忍者とびかげ氏はそうした官憲の行為を認めたがらな いようです。   また当時の状況を想定して、関東一円で「お上」の積極的な誘導があった からこそ、ふだんは善良な庶民も一様にあれほどまで残虐な殺人者に豹変でき たと考えるのが自然ではないでしょうか?   それ以外の理由で、仮面忍者とびかげ氏は自警団の集団変貌を合理的に説 明できますか?   それにしても、自警団がどうしてこうもやすやすと当局のうわさに追随し てしまったのでしょうか。その原因を上記に登場した用土村(現寄居町)のあ る自警団員は次のように分析しています(注4)。         ------------------------------------   かかる不祥事を発生したる原因は那辺にあるか。  或は言ふ。日本民衆が流言飛語を盲信し平素教養の足らざる為、非常の場合 理性を失った為であると。それも一理あろうが、そは表面の原因で裏面に根本 の理由はないだろうか?   我輩は言ふ。其の流言を直ちに信じ恐怖に襲われたのは過去に於ける我が 国の治鮮方針に不安のある事を民衆自身があまりに良く知りぬいて居たからで はないか。   第二は感情である。我が国民は朝鮮人と見さえすれば、直ちに不逞人又は 異端者の様に思い、愛も親しみもなく常に侮蔑と冷笑の態度で彼等を遇して居 た。かかる民族偏見は永年のうち両者の間に踰(こ)え難い溝渠となって居た。 それが非常の場合妄動となって現はれた事は、むしろ当然の事ではあるまいか。 要するに今回の不詳事件は我が国の対鮮政策に誤りがあったからである。         ------------------------------------   批評家顔負けの意見です。特に日本人が朝鮮人に対し持つ感情についての 見解は簡単明瞭で実に的確です。このような感情から、犬コロを殺す感覚で朝 鮮人を殺したのでしょう。   なお、この青年が主張する「治鮮方針の不安」とは、いうまでもなく震災 の4年前に起きた朝鮮の3.1独立運動をさします。この不安こそ、内務省を して「鮮人暴動」のうわさに火をつけさせるもとになったのではないかと思い ます。 (注1)姜徳相他「現代史資料6,関東大震災と朝鮮人」みすず書房,1963 (注2)半月城通信『関東大震災と朝鮮人(4),うわさと戒厳令』 (注4)近代史研究所編『関東大震災と埼玉における朝鮮人』文化センター・  アリラン(TEL,048-259-2381),1994 (注3)埼玉県通達文(引用は注1)  庶発第8号  大正12年9月2日                           埼玉県内務部長  郡町村長宛   不逞鮮人暴動に関する件      移牒  今回の震災に対し、東京に於いて不逞鮮人の盲動有之(ありし)、又其間過 激思想を有する徒に和し、以って彼等の目的を達せんとする趣及聞。漸次其の 毒手を振はんとするやの惧(おそれ)有之候に付ては、この際町村当局者は、 在郷軍人分会消防隊青年団等と一致協力して、その警戒に任じ、一朝有事の場 合には、速かに適当の方策を講ずる様至急相当御手配相成度、右其筋の来牒に より、この段及移牒候也   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 99/02/07 - 04089/04089 PFG00017 半月城 警察の対応、関東大震災と朝鮮人(8) ( 8) 99/02/07 23:02 04052へのコメント   仮面忍者とびかげ氏は、なりふりかまわず軍や警察の汚名をぬぐうのに汗 だくのようです。 > 放置しておいたら、あなた方の嘘と妄言のために、民族丸ごと殺人鬼にさ >れてしまいますんでね。そんな事はご免こうむりますし、先祖を守るのは等 >しく国民の義務ですから。朝鮮人が何百人殺されようが、遥かに私らにとっ >ては重大事なんですよ、陸海軍と警察の名誉を回復するほうが。   驚いたことに幹部自衛官殿は、軍や警察が朝鮮人を何百人虐殺しようが、 軍や警察の名誉さえ保たれればいいとお考えのようです。ホンネが出たようで すね。   戦時中、兵隊の命は赤紙代(1銭5厘?)の値打ちしかなかったそうです が、目的のためとあらば人の命はどうでもよいという極論は、旧日本軍将官や 幹部自衛官の伝統なのかもしれません。   人命軽視のカミカゼ特攻隊的発想から生まれる思考方式はあまりにもさも しいものです。自警団の多くの証言には目をつぶり、官憲の「陰謀」を伝える 新聞記事はねつ造と退け、内務省が全国に流した「朝鮮人暴動」の無電はさほ ど流布されなかったはずだと楽観するなど、かなり方向選択性の強い偏光メガ ネをとおして事件をみているようです。   それでも、さすがに埼玉県の内務部長がその筋の来牒により「不逞鮮人盲 動」のうわさをあおった事実だけはしぶしぶ肯定しているようです。   このように仮面忍者とびかげ氏は、総合的に全体の森をみようとしない反 面、偏光眼鏡にかなう数本の木にはいたくご執心のようです。   RE:4023 >        宮下氏の証言によれば、警視庁は既に2日から自警団に対 >して凶器を携行しないようにさせると共に、朝鮮人に関する流言を否定させるよ >う警察電話の通じる所轄には厳命しているのである。   仮面忍者とびかげ氏は、交番勤務にすぎない一巡査の証言を何の検証もな しに用いて全体を類推し、警視庁は「不逞鮮人」の流言を広めたことはないと 短絡的な結論をだされているようですが、当時の証言をもうすこし幅広くみる 必要があるのではないでしょうか。   警視庁は初期のころ、流言をあおっていたとする有力な証言があります (注1)。          ----------------------------------  シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井 光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。石井は内務省の出 身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。  震災当日の1日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集 部を構えた。ところが食料がまったくない。石井の伝記『回想八十八年』(カ ルチャー出版社)には、つぎのように記されている。 「記者の1人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主 事だった。 『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。それと同時に、食い物と飲み物が、 あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』 といいつけた。それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。ところが、 帰って来た者の報告では、正力君から、『朝鮮人がむほんを起こしているとい ううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るとき に、あっちこっちで触れてくれ』と頼まれたということであった」  ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはお かしい」と断言した、予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるは ずはない、というのが下村の論拠だった。下村は台湾総督府民政長官を経験し ている。植民地や朝鮮人問題には詳しい。そこで、石井によると、「他の新聞 社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」とい う制止にしたがったというのである。          ---------------------------------   正力松太郎といえば、震災の翌年に読売新聞社長になり、その後の活躍は よくしられていますが、同氏は警視庁幹部時代、証言のように積極的に「朝鮮 人がむほんを起こしている」といううわさを広めたことは十分考えられます。   それに符合するかのように、後日、正力は朝鮮人来襲の虚報に責任を感じ、 次のように「面目なき次第」であると失敗を自覚しています(注2)。          ---------------------------------    米騒動や大震災の思い出      <警視庁における講演(1944.1.11)>                             正力松太郎 (前半省略)    朝鮮人来襲虚報の責任  次に朝鮮人来襲騒ぎについて申し上げます。朝鮮人来襲の虚報には警視庁も 失敗しました。大震災の大災害で人心が非常に不安に陥り、いわゆる疑心暗鬼 を生じまして一日夜ごろから朝鮮人が不穏の計画をしておる、との風評が伝え られ、淀橋、中野、寺島等の各警察署から朝鮮人の爆弾計画せるもの又は井戸 に毒薬を投入せるものを検挙せりと報告し、二、三時間後にはいずれも確証な しと報告しましたが、二日午後二時ごろ富坂警察署から又もや不逞鮮人検挙の 報告がありましたから、念のため私自身が直接取り調べたいと考え、直ちに同 署に赴きました。  当時の署長は吉永時次君(前警視総監)でありました。私は署長と共に取り 調べましたが犯罪事実はだんだん疑わしくなりました。  折から警視庁より不逞鮮人の一団が神奈川方面より来襲しつつあるから至急 帰庁せよとの伝令が来まして、急ぎ帰りますれば警視庁前はすでに物々しく警 戒線を張っておりましたので、私はさては朝鮮人騒ぎは事実であると信ずるに 至りました。   私は直ちに警戒打合わせのため司令部に赴き、参謀長寺内大佐(現南方方 面陸軍最高指揮官)に会いましたところ、軍は万全の策を講じておるから安心 せられたしとのことで、軍も鮮人の来襲を信じ警戒しておりました。  その後、不逞鮮人は六郷川を越え或は蒲田付近にまで来襲せりなどとの報告 が大森警察署や品川警察署から頻々と来まして、東京市内は警戒に大騒ぎで人 心匈々としておりました。  しかるに鮮人がその後なかなか東京へ来襲しないので不思議に思うておるう ち、ようやく夜の10時頃に至ってその来襲は虚報なることが判明いたしまし た。  この馬鹿々々しき事件の原因については種々取沙汰されておりますが、要す るに人心が異常なる衝撃を受けて錯覚を起こし、電信電話が不通のためいわゆ る一犬虚に吠えて万犬実を伝うるに至ったものと思います。警視庁当局として 誠に面目なき次第でありますが、私どもの失敗に鑑み大空襲に際しては、この 点特に注意せられんことを切望するものであります。  ・・・         -----------------------------------   講演の要旨は冊子にまとめられ、内務省警保局より全国道府県警察部に配 布されたので、あからさまに警視庁が「朝鮮人騒ぎ」の虚報を広めたとは書か れていませんが、そんなニュアンスがくみ取れます。さらに「虚報の責任」を 痛感していることも自然に納得がいきます。   しかし、これは正力松太郎ひとりの責任ではありません。警視庁全体が 「一部不逞鮮人」の予断をもち対処していたようでした。最高責任者の赤池警 視総監は「一部不逞鮮人は暴挙を行うだろう」という下記のような予断を持っ て指揮していました(注3)。         -----------------------------------   大震災時に於ける所感                     前警視総監 赤池 濃 (前半省略)    所謂(いわゆる)不逞鮮人問題  当時最も遺憾とせるは不逞鮮人暴動の騒ぎであった、余は二日は午後より閣 議や赤坂離宮や又は災害地巡視で外出し、帰庁せるは午後九時頃、その時鮮人 二千名二子の渡しを通過して又市内にて諸処暴動をなせる報を聞いた。  余は其瞬間に一部不逞鮮人は必ずや暴挙を行ふだろうが、大部分の鮮人が団 結連絡して組織ある暴動をなすが如きは断じてない無いと思ふた。  仍(よっ)てそれ等の悪徒に対しては飽迄も之を検挙すべし、同時に大多数 の鮮人は飽迄(あくまで)も之を保護すべきを告げた。官房ではその夜二時頃 より、朝鮮人の大多数は温良なる故之を迫害し乱暴せられぬ様注意あり度(た し)旨のビラを三万枚印刷し三日払暁五時より市内各所に撒布貼付た。・・・         ------------------------------------   この証言をみると、流言は主に官房がコントロールしていたことがわかり ます。そこの主事である正力松太郎は記者相手に「虚報」を流したのですが、 同じころ、警視庁は都内の各警察署に下記のように「不逞者」に対する取締り を命じました(注2)。  「万一の変を慮(おもんばか)りて警戒を厳にせんが為に同五時各署に対し 左記命令を発せしめたり。    不逞者取締りに関する件  災害時に乗じ放火その他狂暴なる行動に出づるもの無きを保せず、現に淀橋、 大塚等において検挙したる向あり、就てはこの際これら不逞者に対する取締を 厳にして警戒上違算なきを期せらるべし」(警視庁編『大正大震火災誌』)   警視庁はこのように「不逞者」の放火などといったデマを流しましたが、 不逞者とはおもに不逞鮮人を指すことはいうまでもありません。   さらに一時間後、警視庁は「仮令(たとい)事の真偽は詳(つまびらか) ならずとするも、変に処するの覚悟を要するを以て、渋谷、世田谷、品川等の 各署に対しては、『若(も)し不穏の徒あらば署員を沿道に配置して撃滅すべ き』を命じ」ました。   翌3日午前5時、警視庁は、前掲の赤池警視総監所感にあるようなビラ3 万枚を撒布しました。これは所感にあるように温良な朝鮮人を保護する方針の 一方で、不逞鮮人は「あくまでも検挙すべし」とするもので、「不逞鮮人の放 火」などの流言が吹き荒れるなかでこのビラは朝鮮人狩りを推奨する役割を果 たしたようでした。   実際に、末端の巡査は「朝鮮人武装」のデマなどを自警団に盛んにあおっ ていたようでした。このような証言があります(注3)。  「三日目になると朝鮮人が横浜の方から押しかけてくるから、みんな注意し ろ。ことに井戸に毒を投げ込むそうだから、井戸の警戒を厳重にしろ、と巡査 がふれてきた。   そこでめいめい鉄棒や竹槍をもちだし井戸のまわりに縁台をならべて、徹 夜の見張りをすることになった」(田辺貞之助「女木川界隈」)   仮面忍者とびかげ氏は、軍・警察の偏狭な「名誉」を回復するため、上記 のように警察が「不逞者」関連のデマを流布していた事実を認めたがらないの でしょうが、そろそろ下記のような指摘にすこしは耳を傾けるべきではないで しょうか(注2)。         ------------------------------------   鮮人騒ぎの調査                           布施辰治  昨秋の変災中における鮮人殺害問題は、激震劫火(こうか)、海嘯の襲来に 惨死した、自然の罹災者よりも、人為の兇刃に斃(たお)された襲撃であった だけに真に私の心を傷ましめた悲惨事件の一大惨事である。  それゆえ、私どもの自由法曹団では、九月二十日第一回の変災善後策総会で、 「変災中における鮮人殺害の真相及其の責任に関する件」の調査を付議し、 着々その調査を進めたのであるが、どうしたものか当局官憲では、私どもに調 査の便宜を与えないばかりか、かえってこれを妨害して居るような感があるの で、確定的事実の調査を発表する程度に至って居らない。  従って、私はここにいわゆる鮮人殺害問題の真相を「こう」と定めて発表す ることはできないが、当時官憲当局の発表したいわゆる鮮人殺害問題の顛末は、 あまりに杜撰(ずさん)で又あまりに卑怯な発表ぶりである事は、これを断言 し得る。  ・・・  第三は、鮮人殺害下手人の種類であるが、官憲当局の発表によると、その殺 害下手人はことごとく自警団員であって、当局官憲のものには何ら関係がない 事になって居る。  けれども現在鮮人殺害事件の被告人は、自警団員が自ら進んで鮮人の殺害を 企てたというわけのものではなくて、すべてが警察官憲の教唆か、使嗾(しそ う)か、指揮かに基づいたものであるといって居る。  私の友人で在郷軍人分会長をして居る弁護士さえも、幸い鮮人に出会わなか ったから殺さずに済んだが、二日の晩に一人の警察官が、今朝鮮人が来るから 各自武器を持って警戒せよというて来たので、自分らは警察官のいう通りに日 本刀を提げて戸外に出た。  そこへ又一人の警察官が来て、鮮人が来たならばヤッツケてもカマワないと いうて来たので、鮮人が来たら暴行の有無如何にかかわらず、これを斬るつも りだったといって居た。  又現に警察官や軍隊のある者が手を下して斬り殺したり、銃殺したりした鮮 人の殺害が少なくないというて来る者がある。  しかるに、鮮人の殺害が全部自警団の所為であって、いやしくも官憲に在職 するものは、全部これに関係しないという当局の発表は、あまりにひどい白々 しさであった。  ・・・  官憲当局はすべからく臭いものに蓋の事実隠蔽や発表の誤魔化しを計るよう な従来の態度を更めて、私どもの調査に便宜を計って貰い度い事を希望する。 (日本弁護士協会録事、大正一三年九月)         ----------------------------------   この批判は、あたかも仮面忍者とびかげ氏に向けられたような錯覚を起こ させます。官憲の名誉を守るという官僚の偏狭な発想が、事実の隠蔽や発表の ごまかしを招くのは昔も今も変わらないようです。 (注1)ホームページ,http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/sinsai-1.html (注2)今井清一他編『関東大震災と朝鮮人虐殺』現代史出版会,1975 (注3)姜徳相他「現代史資料6,関東大震災と朝鮮人」みすず書房,1963   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


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