半月城通信
No. 45

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 伊勢神宮と東アジア
  2. 伊福部と天日鉾
  3. 事大思想
  4. 小鹿島での断種手術
  5. 日韓漁業協定破棄(1)、韓国の論調
  6. 日韓漁業協定破棄(2)、交渉の争点


- FREKIJ MES( 2):【古代】古代の謎を解く/先史~飛鳥・奈良 98/01/07 - 751/751 PFG00017 半月城 伊勢神宮と東アジア ( 2) 98/01/07 20:23   私のホームページが、「新古代学の扉」にリンクされたのを記念して、こ ちらの会議室に初めて書き込みをします。   リンクは「歴史への視線」の中で、次のように紹介されていました。 >  HAN: 半月城通信(総目次)(http://www.han.org/a/half-moon/) > >私は、中華思想(中国)、事大思想(北朝鮮・韓国)、天皇思想(日本)は >「好まざる三匹の仲間」だと、思っています。つまり自分たちの内側だけで >いい気になっている思想です。それを克服する芽がここにあると思います。   私のホームページは、とても「芽」になるようなたいそうなものではない んですが・・・。近代史はともかく、古代史のほうは、私は初学者です。前々 から古代史を落ち着いて勉強したいと思っているのですが、FNETD 海外政策で 近代の歴史認識論争に忙しく、思うようになりません。そんなわけで、こちら にはあまり書き込みはできそうにありません。   前置きが長くなりましたが、本論に入ります。お正月にちなんで、手始め に神社について書きたいと思います。   一昨日のニュースで、新年の恒例行事として橋本首相以下11閣僚がそろ って伊勢神宮に参拝したことが報道されていました。このニュースに刺激され て、私は伊勢神宮についてすこし調べてみましたので、それについて記します。   伊勢神宮はいうまでもなく、天皇の祖先神である天照大神をまつっている ので、政府閣僚たちの集団参拝は、何やら過去の国家神道の影がちらつきます。 過去、神道や天皇は「皇国史観」により歪曲され、偏狭な民族意識の培養土に なり、不幸な侵略戦争を支えてきただけに、これらの起源を歴史学的にきちん と再評価することは重要であると思います。   そうした折、伊勢神宮の成立にいたる歴史的背景などについて、傾聴すべ き専門家の意見がありましたので、それを紹介したいと思います。   まず、日本固有のものと思われている神道などが、歴史的にいかに東アジ アと関係してきたかについて、古代史が専門の京都大学名誉教授の上田正昭氏 が、さる座談会で次のように述べていましたので引用します。           ---------------------------   かっては仏教渡来以前が日本の固有文化だという考え方が支配的でして、 仏教渡来以前が原神道とかプロト神道の世界とかよばれましたが、これにも中 国的なものや朝鮮的なものが混入されていて仏教渡来以前の文化が固有文化な どとは言えないのですね。   たとえば、固有の文化であると言われている原神道の世界においても中国 や朝鮮あるいは南方諸地域の影響があるし、朝鮮の道教なども渡来人の手によ ってもたらされています。「神道」の語自体が古く中国にあって、「易」の観 卦の象伝に早くもみえ、宗教的な意味では漢の武帝の頃から用例がある。そし て二世紀のなかば、後漢の順帝の頃には仙道の意味で使われている。   また、神道の禊(みそぎ)とか祓(はらい)とか言われるものもそうです が、これなども中国や朝鮮に先例がある。「周礼」に「祓除」のことがみえ、 春禊、秋禊は民間行事としてもあり、魏晋の頃になると、春禊は3月3日に固 定してくる。   有名な「三国史記」の「加羅国記」に亀旨(くし)峰に首露が降臨すると いう話がありますが、それは3月の禊浴の日です。禊の日に降臨するという伝 えなどもあります。それらの例をみてもわかると思います。  (民族)単一が尊いという世間の空気。これは後期水戸学や幕末以後の国粋 思想などによってたかめられているためで、それらを十分に克服できなかった。 大正年間には、日本民族や日本文化は決して単一なものではないと言った先学 もあります。   先学の例をあげると内藤湖南博士は、大正9年頃、日本文化の中心は中国 文化だと主張されて、中国文化は日本文化の苦汁(にがり)の役を果たしてい ると言われましたし、喜田貞吉博士は、大正5年頃には、天皇家の祖先は扶 余・百済系であるとはっきり言われております。   そういう主張があるにもかかわらず、大勢は日本中心の悪しきナショナリ ズムに陥っていった。貴重な問題提起はあったのですが、大勢を打ち破ること はできずにきたわけです。   そうした意味で(雑誌)「日本の朝鮮文化」の果たした役割のひとつは、 事実に即してそうした問題を見極めてきたというところにあるでしょう。豊葦 原瑞穂国、瑞穂(みずほ)がどこから来たか、江南・華中・朝鮮半島南部から 来たことは明らかです。   弥生文化の特徴は稲作と金属器、青銅器と鉄器であることはいまは常識と なっていますが、「日本の中の朝鮮文化」という雑誌はそうした事実や常識を 定着させることに多少寄与したところがあったと思います(注1)。            -------------------------   上田氏の主張によると、純粋に日本的と思われている神道の「みそぎ」や 「おはらい」なども、中国や朝鮮などにその起源があるようです。この発言を うけて、中国の影響を、先日なくなられた司馬遼太郎さんが具体的に伊勢神宮 の例をあげて、こう述べていました。            -------------------------   ぼくは伊勢の御遷宮をたまたま昭和20年代と数年前の二回行きましたが、 境内でドナルト・キーンさんにもたまたま会いました。もとの権宮司さんが側 に来てくれましたが、真夜中に御霊が、皇女が祭宮になって行列を作って通っ ていくのです。   ぼくがその権宮司さんに「あれは中国の行列ではないか」と言うと、その 人はぐっとつまって、「あれは奈良時代の女帝の最高の行幸行列なんです」と いうことを三べんも四べんも言うのです。単一性の強調です。「いや、それが 中国なんだって」とくり返し言いました。   ぼくは出かける前に『古事類苑』を見ていきました。偉いもので、平安時 代からの式次第から行列の絵までちゃんとかいてあるんです。これは中国だと あらかじめ気持ちを決めて行ったから、現実で見ても古代中国の匂いがありま すね。   なぜ古代中国の行列をやっているということで喜ばないのか、その行列に ひじょうに広い地域の匂いと姿を見ることができるんで、もう一皮むいて、次 の遷宮式年には中国の行列がいまだに残っておると宣伝するかもわかりません ね(注1)。            ----------------------   この話に出てくる宮司さんと司馬遼太郎氏はあまりにも対照的です。どん なに専門的な知識が豊富でも、国際的な視野を欠くと「井の中の蛙」になりか ねません。こうした注意は伊勢神宮の場合にかぎらず、日本の伝統文化や民族 などについて語るとき、とくに必要ではないかと思います。民族主義も偏狭に 走ると、ややもすると全体像が見えなくなってしまいそうです。   さて、伊勢神宮の祭神である天照大神についてですが、前掲書で上田正昭 氏はこう紹介しています。            ----------------------   神別というのは・・・奈良時代のはじめ頃は天津神(あまつかみ)グルー プと、地祇、つまり国津神(くにつかみ)グループの二つの類別です。そして、 この国津神グループというのはもともと吉野の国樔みたいな土着の神々です。 天津神グループというのは高天原(たかまがはら)の神々ですわね。これらの 神々のなかには朝鮮と大変関係のある神が含まれていると思うのですが、天照 大神、これは後に皇室の祖先神になるわけです。   それなら天照大神の前の神は何やったかということが問題になる。これは 高皇産霊(たかみむすび)なんですよ。高皇産霊というのはいったい何かとい うことを調べてみますと、タカミムスビ神社というのが延喜式でみると四つあ るんです。   天御中主はないんです。これはきのう岩波新書のために書いたところやか ら記憶は新しい(笑い)。大和に2社、山城国に1社。もう一つは対馬です。   大和の二つのうち一つは、十市群目原にます高御魂神社っていうんですよ。 これはどこから来たかというと、はっきりしているんです。対馬から来たんで す。   その次に山城の高御日産神社は、これはよくわからんのだけれども、これ とちなんで月読神社ってのがありますね。この神さんはどこから来たかといい ますと、壱岐から来たんです。   もう一つはなかなかわかりませんで宇奈太理にますタカミムスビの社って いうんです。宇奈太理というのはどこかと調べたらこれは法華寺のところなん です。法華寺のところにあった神社なんです。いま楊梅神社というのがそれら しいです。   ところが『日本書紀』に菟名足社つまりタカミムスビの社というのが出て くるんです。持統6年、これはおもしろいですね。新羅の使節が来たときには じめて新羅の貢物を献じた社が5社あるんです。持統6年に。5社のうち4社 は、伊勢などの有名な大社ですよ。他の一つの菟名足社なんて資料に全然でて こない神社です。それが新羅の貢物献上のおりに、わざわざこの社を祭るので すよ。これは新羅に関係ある神と考えられませんか。   そうすると全部対馬とか壱岐とか、新羅とかに関係してくるでしょう。 (注2)            ----------------------   上田氏の主張によれば、伊勢神宮もその起源をたどっていくと、新羅や中 国と関係があるようです。そもそも神宮という名前からして朝鮮などから来た ことは、明治時代の皇国史観論者の金沢庄三郎などの研究により明らかにされ てきました(注3)。これについて、先ほどの上田氏は次のように確認してい ます(注1)  「その(外からの)インパクトの問題が重要なんですね。たとえば神社とい う文字でも、『墨子』にある。神宮は2世紀後半の『詩経』の鄭玄註の中に出 てきます。朝鮮では『三国史記』に、5世紀後半から6世紀に神宮という用語 が出てきます。   日本の場合は石上(いそのかみ)神宮がもっとも文献的には古いのですが、 のちには神宮といえば伊勢が代表になってしまうけれど、もとは『日本書紀』 は伊勢大神の祠、五十鈴の宮とかいうように書いていて、6世紀になって神宮 ということばがたしかな用例として出てくるんですね。神宮や神社という用語 にしても、まさに東アジアの他の国につながっている」   伊勢神宮では天照大神のほかに、のちに丹波からきたとされる豊受大神も 祀るようになりました。こちらの起源も、東アジアのスケールで考えるとおも しろそうですが、次の機会に調べたいと思います。 (注1)司馬遼太郎、他編「朝鮮と古代日本文化」中公文庫 (注2)司馬遼太郎、他編「日本の朝鮮文化」中公新書 (注3)金沢庄三郎「日鮮同祖論」成甲書房   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


#5422/5422 日本史ボード ★タイトル (SPM07550) 98/ 1/15 23:34 ( 96) 伊福部氏と天日鉾       半月城 ★内容   コンコンさん、がんもさん、こんばんは。がんもさんの#5386に思い 当たるところがありますので、久しぶりに書き込みをします。   #5386, >さて、表題の「伊福部」ですが、こういう苗字の人いましたよね? >ウルトラマンのテーマ曲を作った方が「伊福部昭」さんでしたっけ? >この苗字というのは古代にまでさかのぼるのでしょうか? >そして、やはり銅や鉄の精錬と関係してたんでしょうかねえ…?   これは図星です。映画「神々の履歴書」(前田憲二監督)のなかに、当の 伊福部昭氏が登場して先祖の系図について語っていました。その映画の台本に はこう書かれています。  (この映画はビデオ化されており、そのビデオを日韓文化交流基金図書セン ター(TEL,03-5472-6667)で借りることができます)            -------------------- 白うさぎで有名な因幡には、因幡一宮・宇倍神社がある。  宇倍神社は、代々、伊福部氏が斎(いつ)き祀った神社で、産銅、産鉄の神 として信仰が深い。  歴代の宮司であった伊福部氏の墓が、神社近くにあるが、明治になると、そ の伊福部氏は神職を離れて行く。  この世田谷に伊福部家がある。  伊福部氏は高名な作曲家で、系図は伊福部家の直系で、昭氏の甥にあたる達 (とおる)氏が保管のため、わざわざ北海道からおいでいただいた。 前田「あの伊福部先生、この古い系図は、いつの時代に書かれたものですか」 伊福部昭氏「そうですね。西暦で言いますと、784年でしょうね。伊福部富  成という人が書いたということがここに書いてございますが」 前田「じゃあ大変古いものなんですね。それで系図では初代というのはどうい  う人物になるわけですか?」 昭氏「名前が七つ八つあるもんですから・・・。これは大国主命というのが、  まあ一番通りがいいかと思いますが」・・・ 前田「オオクニヌシがつまり、伊福部家の祖になると、まずはですね。それか  ら二代、三代とつながってまいりますね。そうしますと、第四代、これはど  なたになるわけですか?」 昭氏「そのイセニホの命ということになりますが・・・」 前田「これが天日鉾(あめのひぼこ)ですね」・・・ 昭氏「日鉾というのは、いわゆる朝鮮南部のですね。多羅の国から来たとされ  ている。大変文化の高いですね。鉄器文化、あるいは稲作文化をもった一族  といいますか、あるいは個人と考えましょうか。そういう人だと思うんです  けども、ということは伊福部家のそれが祖先になると、いうことですね」  ・・・ 前田「そうしますと、先生、第四代が天日槍ですよね。第5代、第6代という  のは、どういう人物なんですか」 昭氏「そうですね。読み方がいろいろあるんですけれども、まあここで、アメ  タニナノホコノミコトと読んでおきましょうか。六代もアミミヨノホコノミ  コトと、こうなっていますが・・・」 前田「と、言うことはですね、四代、五代、六代と鉾という字が入ってきます  ね。鉾は何を意味するのでしょうか」 昭氏「ええまあ、学者ではないからわかりませんけれども、大体、金属の精錬  ですが、鉄器であるとか、青銅であるとか、そういうものを作って、まあ最  近の研究ですと銅鐸の出る、発掘される場所に、この伊福とか、そういう地  名とか人物、人名が残っておって、そういうものと関係があるのではないか  というふうに、私としては考えておりますが・・・」 前田「ということは、先生、18代、19代、この20代ですね。これはどう  いう人物ですか」 昭氏「これは、あの風媛(かざひめ)を母親にもった子供で、ワカクコノオミ  と言われたり、いろいろな読み方があるらしいんですけれども、この時に、  いわゆる伊福部臣という名前を賜ったということに、ここでは書いています  が」 前田「で、伊福部というのは、吹くという、やはり鉄族からきた言葉でしょう  ね。この中には祈祷をもって、息をつむじ風に変化す、ということが書かれ  ていますよね。で、それは鉄を吹くという、その伊福・・・」 昭氏「ええ、まあ、蹈鞴(たたら)とかそういうようなことを含んでおるだろ うと、私は思っておりますけれども・・・」             ---------------------   伊福部氏がオオクニヌシの子孫という話はともかく、天日鉾一族の子孫と いうのはありそうな話で注目されます。   #5386, >滋賀県の伊吹も案外「天の日矛」を通して銅や鉄の精錬と関係しているかも >知れませんねえ。   これもご想像のとおりと思われます。国学院大学栃木短期大学の細矢藤策 氏はそれについて、こう記しています。 伊吹山東麓の鉄   伊吹山南東麓、大海人皇子が行宮(かりのみや)を置かれた野上のすぐ隣 の伊吹にも式内社「伊富岐神社」がある。美濃国の二宮で、近江側と同様、鍛 冶神多多美比古命を主神とし、御子神を配している。尾張氏がこの近隣に私弟 (邸?)を構えたのは、伊吹山の神を祀る伊福部氏による鉄器生産を管理する ためであろう。『和名類聚鈔』の美濃国池田郡伊福郷を、『大日本地名辞書』 では伊吹山の東の春日村に比定している。   南西麓の「天野川」は「海人(あま)の川」であろうと、先師高崎正秀よ り直接御教示いただいた。「天語連」は「海語連(あまがたりのむらじ)」で あり、海部は渡来人にも深く拘わっており(後述)、自らも鍛冶に関係してい たのであるから、伊吹山西麓の鉄の生産には息長氏と海語連朝妻氏があたり、 東麓の鉄の生産には海部尾張氏と伊福部氏があたっていたと考えられる。 (森浩一、門脇禎二編『渡来人』大巧社、1997)   新羅からきたとされる天日鉾の末裔である伊福部は、どうやら因幡や伊吹 などで神社を祀り、銅や鉄などの生産に従事していた一族であったようです。 ハイテクと神様との組み合わせとはおもしろいものです。   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FREKIJ MES( 2):【古代】古代の謎を解く/先史~飛鳥・奈良 765/765 PFG00017 半月城 事大思想 ( 2) 98/01/10 11:41 756へのコメント   KANAKさんの疑問、#756に答えたいと思います。 >半月城さんに、お願いします。 > >>>私は、中華思想(中国)、事大思想(北朝鮮・韓国)、天皇思想(日本)は >>>「好まざる三匹の仲間」だと、思っています。つまり自分たちの内側だけで >>>いい気になっている思想です。それを克服する芽がここにあると思います。 > >上記の発言は、何方のものか判別できませんが、半月城さんご自身も、是認さ >れたものと仮定して、確認させていただきたいのですが、 >>>事大思想(北朝鮮・韓国)<<とは何を意味しているのでしょうか?   上記の発言はホームページ、新古代学の扉(http://www.threeweb.ad.jp/ ~sinkodai/)に掲載されていますが、そのページの終わりには「制作 古田史 学の会 横田幸男」と書かれていました。   事大思想は事大主義と同義ですが、これは平凡社の「朝鮮を知る事典」に 次のように書かれています。 事大主義   小国が礼をもって大国に事(つか)えること、また転じて勢力の強いもの につき従う行動様式をさす。<孟子>梁恵王章句下に、斉の宣王が隣国と交わ る道を問うたのに対し、孟子は<大を以て小に事うる(以大事小)者は天下を 保(やす)んじ、小を以て大に事うる(以小事大)者はその国を保んず>と答 えた故事に由来している。   朝鮮史では李朝の対中国外交政策を事大主義と称する。1392年、高麗 王朝に代わって李成桂が創建した李朝は、その前期には明、後期には清に対す る<以小事大>の礼をもって、国号と王位の承認を得て国内の統治権を強化し、 定例的な朝貢使(燕行使)の派遣にともなう官貿易によって経済的利益を得、 1592-1598年に豊臣秀吉の侵略を受けたときは明軍の支援を得た。つ まり中国との事大=宗属関係によって国土を安んじえた。   朝鮮の日本および女真族との関係は、こう礼(対等の礼)による交隣関係 であったが、女真族の清王朝が中国を支配すると事大=宗属関係に代わった。 事大党と対立した開化派(独立党)は、1884年12月の甲申政変で清との 事大関係からの独立をその政綱にかかげた。   KANAKさん、これで「事大」は「自大」の変換ミスでないことがおわ かりでしょうか。   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


文書名:小鹿島での断種手術 [zainichi:4616],Date: Sun Jan 11 22:50:25 1998   尾上さん、愛媛新聞、出版文化賞の受賞おめでとうございます。受賞作の 「住友別子銅山で<朴順童>が死んだ」を、私は一気に読みました。さすが賞 に値する迫力でした。   さてハンセン病患者の隔離ですが、昨年末、たまたま私が目にしたテレビ 番組のことを紹介します。 RE:[zainichi:4583]、北野さん  >  日本国内ですすめた  >ハンセン病隔離政策は、朝鮮半島でも台湾でも同様に  >推進されたのであり、特に小鹿島の療養所では、日本  >同様の断種手術がおこなわれていたという記録がみつ  >かったという記事も最近報道されています。   韓国の小鹿島療養所をテレビ番組「筑紫哲也ニュース23」(97.12.22)で とりあげていました。元広島県立図書館の副館長をされていた滝尾英二さんが 全羅南道の小鹿島を訪れ、「断種台」が今でも残っているのを確認されました。 木製のその台は異様な姿をしており、患者を固定するための頑丈な木の留め具 はいかにも断種台にふさわしい趣でした。   断種手術について、慶北大のある教授は「あの時代は一つの政策で、今の 考えでは犯罪でも当時はやむを得なかった」と語っていました。番組は、「カ ラスの子はカラス」などといってはばからない職員の偏見など紹介していまし たが、「民族浄化」につながるような内容はありませんでした。   しかし番組では、断種手術は医学的偏見からだけでなく、懲罰としても行 われていたことを告発していました。たとえば、脱走や盗み、反日的態度、反 抗などに対する罰として断種が行われていたと証言していました。   療養所の懲罰はすさまじかったようで、鉄の床の監禁室に30日間閉じ込 め、食事も半分に減らしたので、そこから出るときは死体になっていたケース もかなりあったとのことでした。   アメリカで南京虐殺事件を書いたチャン女史は、「残虐行為は極少数者の 手に絶対権力が集中したとき起きます」と述べていましたが、療養所という隔 離された社会でそのとおりのことが起きたようでした。非人道的行為は断種手 術以外にも建屋拡張の強制労働や、朝3時に起床して所長の銅像を強制礼拝さ せるなど、さながら囚人のような扱いでした。   この番組を見て、私は今でもあの断種台の映像を忘れることはできません。 もしあれに自分が寝かされ、断種手術をされたらどんな想いだろうか・・・。 考えるだけでも身の毛がよだちそうです。そうした体験を、ある犠牲者は次の ように詠んでいました。  その昔思春期に夢見た愛の夢は敗れ去り、  今この25の若さを破滅させゆく手術台の上で  わが青春を慟哭しつつ横たわる  将来、孫が見たいと言った母の姿・・・  手術台の上につらつく  精管を断つ冷たいメスがわが局部にふれるとき  砂粒のごと地に満ちてよとの  神の摂理に逆行するメスを見て  地下のヒポクラテスはきょうも慟哭する この作者をはじめ、納骨堂に眠る一万体の霊に黙祷を捧げます。   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 98/01/27 - 05610/05610 PFG00017 半月城 日韓漁業協定破棄(1)、韓国の論調 ( 7) 98/01/27 00:10   ソウルの街は二カ月にわたる「IMF」寒波が吹き荒れ、都会ではサラ リーマンが給与カットや名誉(早期)退職など、猛烈なリストラに泣く一方、 これに劣らず農漁村も泣いています。「農漁村は燃料、肥料、農薬等の原料費 上昇、投げ売りと消費減少にともなう価格暴落、当局の無策など三重苦の破綻 局面にあえいでいます」(韓国日報、98.1.25)。   今や「IMF時代」の標語は国の隅々まで浸透し、新聞、テレビはいうに 及ばず、デパートのセールや、はてはパソコン雑誌の表紙にまで「IMF時代 のPC」などと登場するほどです。かくしてIMFの名は小学生の低学年にも 知れわたりました。   そうした経済難局のさなか消費節約が徹底し過ぎたためか、金大中次期大 統領は過度の消費節約は経済を萎縮させるので考え直すよう訴えていたくらい でした。   こうした経済危機にあって、韓国民にとって近年まれにみる「侮辱的」な 一撃が日本からもたらされました。日本の一方的な漁業協定破棄です。まず、 これに対する韓国民の憤激のありさまを韓国日報にみることにします。この韓 国日報は、たしか読売新聞と提携している比較的穏健な新聞です。   この強硬論の一方、比較的冷静な日韓の意見もあわせて紹介します。 1.韓国日報、1998.1.25    社説「対日政策再検討を」   昨年、ワールドカップアジア地域予選の東京アウェイ戦競技のとき、サッ カー専門家の一般的評価は、日本の戦力が韓国より一段上であるとしていた。 しかし、わが方はこれを受け入れようとしなかった。やはり、競技結果は韓国 の痛快な2対1の逆転勝利であった。   このように韓日間には専門家の予想すら超える何かが勝敗を左右する。そ の何かとは他でもない民族的自矜心である。われわれには、他のチームにはみ な負けても、日本にだけは負けられないという民族的わだかまりがある。過去 35年間の植民支配で芽生えた感情である。   日本が23日、閣議で韓日漁業協定を一方的に破棄した行為は、民族的自 矜心にもう一度釘を打つ事件である。折しも難局に陥った隣人の背を銃撃する のと変わりない非紳士的行為として非難されてしかるべきだ。   IMF寒波と政権交代という混乱をついた日本の「奇襲」は、どんな名分 でも正当化することはできない。日本はもう一度、小貪大失の愚を犯したこと になる。甘ければ飲みこみ、苦ければ吐き出す式の行動がくり返されれば、果 たして誰が日本を善良な隣人と考えようか。   この際、政府は韓日関係を再検討せねばならない。とくに、来月になれば 金大中大統領政府が発足する。冷静に対処すべき点は冷静に当たらなければな らない。まず、誤りを認め謝罪と現状回復をするまでは日本の再交渉の企てを 断たねばならない。金(大統領)当選者までが、一方的破棄は「侮辱的なこ と」であると口をきわめて慰留したが、彼らは一蹴した。   両国関係を破局直前まで導いた責任は全面的に日本にある。金当選者は政 権についたら、日本との文化交流の幅を広げる問題を考慮する意図を示唆した ことがあった。しかし、現時点ではそのような問題は凍結する以外にない。   また、政治大国化をねらう日本の立場に同意してはいけない。信頼を捨て た者に善意でふるまうのは過恭にすぎない。政府の弾力ある外交政策が惜しま れる。 2.朝鮮日報、1998.1.24   記者手帳「日本の背信」   金大中大統領当選者は日本との関係改善をめざし、これまでいろいろな構 想を準備してきたとされる。金当選者は大統領選TV討論で「日本の高級文化 は積極的に導入したい」と、過去の政権と違う姿勢をみせてきた。また、外国 言論人との会見で「日本の天皇の訪韓推進を計画した」と明らかにしたことも ある。   新政府発足と同時に、前向きに発展すると予想された韓日関係は一転して 日本の一方的な漁業協定破棄で急冷局面に突入した。金当選者はこのような事 態を憂慮し、いろいろなルートを通じ「漁業協定破棄を留保するよう」努めた。 しかし日本はついに両国関係を袋小路に追い込んでしまった。金当選者は、日 本が韓国の新政権発足を前に協定破棄を強行したのは「侮辱的措置」と不快感 を隠さずにいる。   韓日漁業協定改定交渉は両国関係を再整理する重要な転機になるというの が一般的な観測であった。「独島(竹島)」という敏感な問題を内蔵した漁業 水域調整問題をうまく折衝できれば、両国関係はより一層成熟した段階に発展 するという判断であった。   両国の交渉陣は結局「独島周辺水域に対しては既存漁業秩序を維持する」 ということで交渉妥結の糸口を見いだした。この過程で、交渉の前面に立った 外務部の関係者は「日本に妥協的すぎる」と、国民の非難を受けたりした。   しかし日本は、交渉がほとんど仕上げ段階にさしかかった昨年末、急に協 定破棄の方向に転換した。柳宗夏外務長官と高村正彦日本外務次官が事実上合 意に達した案を一方的に破棄する「外交的欠礼」を敢えて行った。   日本政府は「水産業界や政界の反発のために・・・」と弁明している。し かし、漁業協定を速やかに妥結しようと努力した関係者までが「日本の偏狭な 発想に失望を禁じ得ない」と話していた。   両国関係は今や日本の「一方的」な努力が先行しなければ、おいそれと収 拾がむずかしい局面に入っている。 <金昌均・政治部記者> 3.毎日新聞ニュース速報、1998.1.23 <日韓漁業協定>緊迫する日韓関係 韓国側に自制求める日本  政府が23日、日韓漁業協定の終了通告を韓国側にしたことで、日韓関係は緊迫した 局面を迎えた。政府は「両国関係全体に影響を与えてはいけない」(柳井俊二外務事務 次官)と韓国側に自制を求めているが、日本側の一方的な措置に韓国側は反発し、日本 近海での操業自主規制措置の中断を表明するなど対立姿勢を鮮明にした。日韓関係の険 悪化は日朝関係にも間接的な影響を与えるだけに、日本の対朝鮮半島政策全体に深刻な 影を落としそうだ。  「日韓の友好はすべてにわたっており、(漁業問題などの)難問も一つ一つ解決して いき、さらに友好を増進していかなければならない」。小渕恵三外相は23日の記者会 見で、日韓の友好関係維持を強調したが、事態は逆の方向に向かいそうだ。  橋本龍太郎首相は、終了通告について「ギリギリの協議をしたが、整わなかった。条 約上の権限を行使せざるを得ない」と記者団に語ったが、それを冷静に受け止めるほど には日韓関係は成熟していない。日本側閣僚による歴史認識発言や、靖国神社への閣僚 公式参拝、従軍慰安婦問題、竹島(韓国名・独島)の領有権問題など、日韓関係は揺れ 続けてきた。  政府は、2月末の金大中政権発足を転機に、竹島問題などで傷ついた両国間関係の改 善に乗り出す腹づもりだった。金大中次期大統領が知日派であり、日本との関係修復に 意欲を示していたからだ。しかし、金次期大統領は終了通告に反発を示しており、阿南 惟茂外務省アジア局長も同日の自民党総務会で、「日韓関係がぎくしゃくするのは仕方 がない」と、当面の関係悪化は不可避との見通しを示した。  新協定の締結交渉をはじめ、今後は韓国次期政権の対日姿勢が焦点となるが、金次期 大統領が国内世論と折り合いをつけながら、どのようなアプローチを示してくるのか、 韓国側の出方を待つしかない。  一方で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交正常化交渉再開のタイミングに ついても政府は改めて検討を迫られそうだ。「米韓との連携」を対北朝鮮政策の基本に 置く政府としては、韓国との関係が険悪化した中での交渉はできれば避けたいからだ。  結果的に政府は、韓国との関係改善に向けた芽を自らの手でつんでしまった格好にな ったが、外交関係全体にはね返る影響については読みきれないでいるのが実情だ。  【桜井 茂】   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 98/02/01 - 05645/05645 PFG00017 半月城 日韓漁業協定破棄(2),交渉の争点 ( 7) 98/02/01 17:41 日韓漁業協定破棄(2),交渉の争点   前回、日本の一方的な日韓漁業協定破棄通告によるリアクションを紹介し ました。交渉の結末は韓国側の報道によれば「日本は、交渉がほとんど仕上げ 段階にさしかかった昨年末、急に協定破棄の方向に転換した」とされています (朝鮮日報,98.1.24)。   この点に関し、日本側ではそれを裏付ける報道がみあたらないようで、す こし気になります。そこで今回は、なぜ韓国側がそのような見方をしているの かを紹介します。同時に、決裂した日韓漁業交渉の当初の動機とその問題点に もふれたいと思います。   まず、そもそも漁業交渉がどのようにスタートしたのか、その出発点を新 聞報道にみることにします。            ------------------------- 毎日新聞[社説]海洋法条約 200カイリ水域の適用を急げ 95.12.25 東京本紙朝刊  日本の漁業が危機的な状況を迎えている。近海の資源が乏しくなっているだけでは ない。輸入増大、生産減少、魚価低迷に加え、中国、韓国漁船による近海での乱獲が 続いているからだ。  このため、一九八二年に採択された国連海洋法条約が昨年十一月、十二年ぶりに発 効したのを機に、日本も同条約を批准して直ちに二百カイリ水域を設定し、両国に全 面適用せよとの要求が、西日本や北海道の沿岸漁民から高まっている。私たちも、漁 業資源管理のために条約批准と、両国への二百カイリ適用に賛成である。政府は来春、 国会に批准を求める方針だが、直ちに日中、日韓両漁業協定の全面見直しの話し合い に入るべきだ。  ただ、一部に両国との尖閣列島、竹島の領土問題や外交摩擦を懸念する慎重論もあ る。しかし、資源管理に基づく漁業への移行は世界の常識であり、漁獲量世界一の中 国と、同三位の日本が現状を放置することは許されない。幸い、両国とも二百カイリ に前向きであり、実務者協議も始まった。あとは知恵を出し合って賢明な解決策を探 るだけだ。  海洋法条約では、沿岸二百カイリの排他的経済水域を設定できると同時に、水域内 での生物資源を保存する義務がある。魚の種類ごとに漁獲可能量(TAC)を決め、 漁獲量を制限し、乱獲を防がねばならない。これを実行することで、中韓漁船への漁 獲割り当てを大幅削減し、日本近海から事実上締め出せというのが、国内漁民の要求 である。  しかし、中韓漁船の一方的締め出しは慎重にすべきだ。歴史的な経過をたどれば、 乱獲は戦後二十数年間、日本漁船が中国、韓国沿岸で行っていたものだ。ところが八 〇年代に入り、北米沿岸を締め出された両国漁船が日本近海で乱獲するという形勢逆 転が起きた。その中韓から日本は水産物を輸入している。ミナミマグロを、国際管理 に入らない韓国、台湾から買うのも日本だ。  従って、今日の世界的な資源枯渇、乱獲の責任を日中韓は共有すべきである。日本 が二百カイリ水域を一方的に全面適用し、中韓漁船を追い出すという姿勢では、話し 合いは円滑に進まない。資源管理の重要性を説き、三カ国漁民が共存共栄できる道を 求めるべきだ。  二百カイリ水域は、すでに国際慣行としてほとんどの国で実施されている。またT ACも先進国はほとんど導入している。二百カイリ未設定は地中海、ペルシャ湾と日 本海、東海・黄海である。いずれも政治的に設定が困難とされてきた。  だが海洋法が発効し、資源管理が重要になってきた以上、政府は二百カイリの設定 と全面適用を避けて通れない。日本は七七年に米、欧、旧ソ連が二百カイリを設定し たのに対抗し、二百カイリの線引きを実施したが、東経一三五度以西の日本海、東海 ・黄海では適用除外した。また、二百カイリ中での厳しい漁業規制も、日中、日韓漁 業協定に基づいて、これを適用除外とした。これが今日の乱獲の遠因なのである。  日本は早急に海洋法を批准し、二百カイリを中国、韓国についても適用すべきだ。 同時に両国との漁業協定も、海洋新秩序に沿った資源管理型のものに改定すべきであ る。とくにサバ、メヌケ、ズワイガニの資源状況が悪化しており、これ以上事態を放 置することは許されない。 ------------------------   日本は漁業に対する考え方が大きく変化しました。1960年頃、日本は 日韓協定交渉において領海「3カイリ」説をもちだし、領海外では公海におけ る「自由操業」をとなえ、漁業資源保護を強硬に主張していた韓国との交渉は 難航続きでした。   両国の主張の背景には、漁船装備が貧弱であった韓国は沿岸漁業中心であ るのに対し、漁業技術にすぐれた日本は近海・遠洋漁業など自由自在であった という事情がありました。そのため、韓国は日本の「自由操業」に対し強い懸 念をもち、漁業資源枯渇の不安にさらされていました。   こうした当時の日韓の主張および交渉結果を簡単にまとめると下記のとお りです。日韓協定では請求権資金を渇望していた韓国が漁業交渉で譲歩したた め、日本側の主張が強く反映され、結果的に漁業資源保護がおろそかになりま した。             日本      韓国       協定  漁業専管水域    3カイリ    24カイリ    12カイリ  取締権限      旗国主義    沿岸国      旗国主義   協定の結果、違反船の取締を漁船の所属国が行う、いわゆる旗国主義が採 用され、日本の悲願が達成されました。この主張は現在の日本の主張と正反対 なのは特記に値します。   こうした漁業資源保護の視点を欠いた協定により、「乱獲は戦後二十数年 間(韓国沿岸は日韓条約後)、日本漁船が中国、韓国沿岸で行って」きました。   このような過去の所業から、日本は日韓・日中間において海洋条約にもと づく200カイリ水域の設定を簡単にはできない状況になりました。安易にそ のようなことをして、韓国や中国の漁船をしめだせば、両国から相当な非難を 受けることは必定です。   そのうえ、もし200カイリの設定を行うとすると、尖閣諸島や竹島(獨 島)の帰属問題を避けて通ることは不可能であり、解決の見通しはまったく立 ちそうにありません。   そこで海洋条約の精神を生かし、漁業資源を保護しながら秩序ある漁業を 行うためには、日韓・日中間の個別漁業協定がぜひとも必要になりました。こ れについて、朝鮮日報は次のように伝えています。              ------------------------ 朝鮮日報、「韓日漁業協定破棄」98.1.24   「日、近海魚族『獨食』宣言」  (前半省略) 問「韓日両国がUN海洋法にしたがい、EEZ(排他的経済水域)境界画定を  するかわり、暫定漁業協定を結ぼうとする理由は」 答「EEZを画定しようとすれば、獨島をどちらのEEZに帰属させるかとい  うむずかしい決定をくださなければならない。   したがって両国はEEZを画定するかわり、獨島周辺水域に対しては既存  の漁業秩序を維持するが、両国領海で一定幅を拡大、暫定漁業水域を設定す  ることにしたのである。   日本としては、韓国漁船が接近できない水域を拡大することで、沿近海の  魚族資源を保護しようとしている」 問「暫定水域に対する意見がどのように違うのか」 答「暫定水域の幅を韓国は34カイリ、日本は35カイリを主張した。日本は  暫定漁業水域の幅を最大限拡大することを願っているが、まかり間違うと、  鬱陵島(韓国領)周辺に拡大される暫定水域が獨島を含む可能性があり、3  5カイリ以上を主張できなかった。   両国の見解の差は1カイリ(1,852m)なので、交渉の余地はいくら  でもあった」 問「交渉が決裂した最終的な争点は何だったのか」 答「暫定水域を設定する東側限界線を設定する問題であった。わが方は東経1  37度を、日本は東経135度を主張し、136度で折衷が成立したが、日  本がこれに翻意し、135度を再び持ち出してきたので決裂したのである。   日本は暫定漁業水域東側限界線の東に対しては自国のEEZを一方的に宣  言すると主張した。これはEEZ画定を暫定的に留保するという交渉精神に  も反し、また韓国漁船のイカ漁獲量が多い「大和堆漁場」が135度東側に  あり、韓国としては譲歩が不可能であった」 問「漁業自主規制を破棄すると、韓国に何か利益になるか」 答「当面は日本側領海外である自主規制水域内で、制限なしに出漁することが  できるので、より多くの漁獲高をあげることができる。しかし、韓国漁船が  操業自主規制線を越えて魚をとり、日本が直線基線による領海で韓国漁船を  だ捕を強行する場合、両国関係が大きく悪化する憂慮がある」  (以下省略)             ----------------------------   交渉の詳細な経過は公表されていないので、その真偽は確定できませんが、 この朝鮮日報を読むかぎり、交渉決裂の原因は日本がいったん合意した東経1 36度の暫定水域を撤回、135度を再度主張したのに対し、韓国が応じなか ったことにあるようです。   このいきさつが日本で公表されないのは、それにより外交交渉担当者が苦 しい立場に立たされる可能性があるためでしょうか。   結局、交渉決裂の原因はどうやら海底火山のように盛り上がった「大和 堆」という絶好の漁場をめぐる両国のかけひきにあるようです。   大和堆は最近では大和(やまと)海嶺と呼ばれていますが、日本列島が大 陸から分離し、日本海(東海)が形成された時の大陸地塊の残存物と考えられ ています。   大和海嶺は緯度的には盛岡あたり、経度的には神戸あたりにあり、地図で 見ると韓国やロシアよりわずかに日本列島に近いところにあります。海底の高 まりは東北東に長さ130km、幅20kmでのびており、海嶺の頂部は水深 300mの平坦面で岩盤が露出し、漁場の宝庫とされています。   そのため、大和海嶺は夜ともなるとイカ釣り漁船のいさり火が明るく照ら し出され、衛星写真などからその位置が容易に確認できるそうです。   ともあれ決裂した日韓漁業交渉ですが、「今日の世界的な資源枯渇、乱獲 の責任を日中韓は共有すべきである」ことを心に刻み、両国の友好関係発展の ために、交渉が円満に来年の破棄期限内に妥結することを願ってやみません。   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


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