半月城通信
No. 42

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 先住民族とは?
  2. 先住民の定義
  3. 半月城通信の紹介本
  4. 国籍条項(アマ無線)
  5. 「従軍慰安婦」83,櫻井よしこさんのこと
  6. 「従軍慰安婦」84,中国人「慰安婦」の強制連行とハーグ条約
  7. 韓国保護条約(6)、違法性の認識


文書名: 先住民族とは? [aml 6805],Date: Sun Nov 16 13:44:18 1997   れぷんくるさん、こんばんは。半月城です。 >> 結局、先住民であるかどうかは、単に渡来時期の差だけではないかと考え >> ています。 > >この発言には多少の問題があると考えます。現在、「先住民」という用語を用いる >際には、「本来その地域で主権を持っていた民族が後続に来た民族にその土地を占 >拠され、主権を奪われている」という意味が含まれるからです。ある土地に住み着 >いた時間的な順序だけでは先住民とはいえません。   先住民の意味が時代とともに変化してしまい、特に1993年の「世界の 先住民(族)の国際年」あたりから、先住民の定義はむずかしくなってしまっ たようです。   れぷんくるさんは、先住民の必要条件に「主権」を入れていますが、これ は妥当でしょうか? 主権というと国家という概念が前提にあるように思えま す。この場合、アイヌはまだしもウィルタが国家を形成していたとはすこし考 えにくいように思えます。   先住民をきちんと定義しようとするとかなりむずかしいようです。先住民 の定義は単に学問上の興味だけではなく、現実の政治問題としてきわめて重要 です。れぷんくるさんもご存じでしょうが、日本でも政策決定の際、重要な論 点になりました。           --------------------------   日本政府は、北海道ウタリ協会が1984年の総会で決議して以来求めて いるアイヌ民族に関する法律(以下、「アイヌ新法」)制定の障害として、 「『先住民族とは何か、またアイヌがそれに当たるか』『その権利とは何か』 など、最も基本的な論議」から抜け出ていません。  「先住民族の定義や権利が国際的に定まっていないという理由」から「国は アイヌ民族を少数民族と認めても、先住民族とは認定していない」のです。 (野村義一他「日本の先住民族、アイヌ」部落解放研究所)           --------------------------   少数民族を先住民として認定すると、先住民としての権利が確定し、場合 によっては民族自決権により分離独立を主張することもありうるので、日本だ けでなくどこの国でも先住民の定義や認定は慎重なようです。   国連の「権利宣言」をはじめ、最近の動きについて私はあまりフォローし ていないのですが、このあたりご存じでしたら教えてください。     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


文書名:先住民の定義 [zainichi:4184],Date: Tue Nov 18 22:22:46 1997   メーリングリスト[aml] からの転載です。ただし、文末に添付した文は、 以前に転載済みですので省略します。   れぷんくるさんは、李修二さんを迎えてのオフミの時、たしか埴原和郎の 二重構造説は少数派であるとおっしゃってましたが、これに異を唱えている研 究者はどのような方でしょうか?。             --------------------- >文書名:[aml 6832] RE:SENJUMIN >Date: Tue Nov 18 21:37:52 1997   半月城です。山崎カヲルさん、古屋哲さん、先住民の定義について紹介あ りがとうございました。   [aml 6805]で古屋さんが紹介された、上村さんの解説は容易に理解できます。 >先住民族とは近代国家の形成過程で、その土地とともに不当に「国民統合」され >た民族の子孫によって構成される集団と考えることができる。であるから、「国 >民統合」が不当であったか正当であったか、つまり、「先住民族」なのか「周辺 >少数民族」なのかは、これらの民族の「国家」に対する考え方にあるのであっ >て、客観性を装った「先住」の時間的問題は二次的であると断言できる。」   この解説を予備知識として、山崎さんが紹介された、国連で採用された暫 定的定義(ホセ・マルティネス・コボによる)を読み直すと、「国連の官僚用 語」もよく理解できました。   以前、私は「先住民であるかどうかは、単に渡来時期の差だけではないか と考えています」とラフに書きましたが、これは考古学的の観点から書いたも のでした。ご参考にそのときの原文を下記に転載します。   私はその文を、熱烈な「愛国者」や民族派の多いニフティの会議室FNE TDに書いたものですが、意外なことに、これに対しコメントは皆無でした。 反論を手ぐすね引いて待っていただけに、すこし拍子抜けでした。   今では、「ヤマト民族は渡来人の血がほとんどである」と書いても、右翼 にとってさして問題にならないのでしょうか。これは埴原和郎氏の二重構造モ デルがかなり受け入れられてきたためでしょうか。 (埴原和郎「日本人の成り立ち」人文書院、1996)     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


文書名:半月城通信の紹介本 [aml 6842] OWABI TO OREI Date: Wed Nov 19 23:04:45 1997   半月城です。今回はおわびとお礼です。   RE:[aml 6839], >[aml 6832] に半月城さんが私の名前で引用しているくだりは、市民外交センタ >ーの上村英明さんの「「国際先住民年」とアジア・太平洋の先住民族」(「アジ >アの先住民族」解放出版・所収)からとられた文章です。 >この問題に関する上村さんの著書には、他に「先住民族」(解放出版)がありま >す。   私の書き込み、[aml 6832]で原著者の名前を書き落としてしまいました。 古屋さんにはご迷惑をおかけしました。 >いつも「半月城通信」からamlへのアップ記事を読 >ませていただいております。   ありがとうございます。この機会に、ちょっと厚かましく「半月城通信」 の宣伝をしたいと思います。先日、出版社「コスモの本」からだされた本「イ ンターネット入門以前の超親切教室」(1300YEN)に半月城通信の簡単な紹介 がありました。   この本は題名のとおり、インターネットの超入門書ですが、その中の社会 運動のところで、兵庫区ボランティア、国際的自然保護団体[WWF」と並ん で半月城通信が写真入りで下記のように簡単に紹介されました。   『人権問題では「半月城通信」というホームページが差別問題、文芸、古 代史等、韓国・朝鮮にかかわる問題について、パソコン通信で議論されたこと を、テーマ別に編集して掲載しています』   私はこれまで自由主義史観シンパの方などと必死に議論してきましたが、 そうするうちに、ホームページも少しずつ中味がつまってきました。彼らは私 のホームページにとって逆説的にいえば、陰の協力者です。   一方、真の協力者は、[The HAN World] 主宰者の金明秀さんです。ホーム ページの作成や数十回の更新、さらにサイトの提供などと全面的に面倒をみて いただいています。この場を借りて、お礼を申し上げたいと思います。     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


文書名:CTK:国籍条項(アマ無線) [zainichi:4165] Date: Sun Nov 16 13:59:49 1997   LiuKさん、こんばんは。半月城です。   私も郵政大臣発行の無線従事者免許証を持っています。問題の名前ですが、 「氏名」欄には、漢字で記載されています。また「本籍の都道府県名」欄には 「韓国」と記されています。   私の場合、このような漢字表記で何ら問題はありませんでした。といって も、これは世の中にまだパソコンがない時代、免許証のコンピュータ処理は 夢のような話でしたので、前例としてあまり役に立たないかもしれません。   しかし、その後、法規が変わったのであれば別ですが、単に役所の事務的 な都合で、外国人の漢字表記が認められなくなったとしたらおかしな話です。 私の前例を全面的に主張したら、あるいは漢字表記は認められるのではないで しょうか?   それに外国人の身分証明はパスポートか外国人登録証が基本になるのに、 それらと照合不可能なカタカナ表記は疑問です。   ところで、私は免許証(電話級アマチュア無線技士)を電波少年時代にと りましたが、国籍条項に阻まれ、長い間無用の長物でした。やっとそれを活用 できる時代になりました。     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/11/16 - 04832/04832 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」83,櫻井よしこさんのこと ( 7) 97/11/16 14:37 04795へのコメント   苔虫爺さんはじめまして。   #4795、強制連行について >「恥ずかしながら」存在した事実について「無理からぬことであった」とい >う、人間らしい情をあの兵隊さんたちとちょっとでも共有できるのなら、 >そっとしておいてください。   苔虫爺さんが「そっとしておきたい」気持ちや、日本の戦争世代が語るに 語れない事情はある程度察しがつきます。その一方で、むりやり「慰安婦」に させられ、青春どころかその後も苦難の道を余儀なくされた女性たちと「人間 らしい情」をすこしでも共有することを、私は優先させたいと思っています。   こうした考えから、私も櫻井よしこさんをめぐる論議に加わりたいと思い ます。おりしも、韓国保護条約の議論が一服したところですし、また、この会 議室で私が「従軍慰安婦」について書かないと、さびしがる人がおられるよう なので、その期待にこたえたいと思います。   報道によると、櫻井よしこさんは「従軍慰安婦」の強制連行と南京大虐殺 について、昨年問題になった講演会でこう語ったようでした(注1)。  「どの資料を見ても軍による(従軍慰安婦の)強制連行はなかった。南京大 虐殺と強制連行の二つの事件は日本の学校では誤って教えられている。先生は 心して語ってほしい」  「日本軍による強制連行はなかった。教科書で(従軍慰安婦の強制連行があ ったと)教えられる子供はたまったものではない」   櫻井さんが主張されたいのは、<自分が調べた資料の中に「従軍慰安婦」 の暴力的な強制連行はなかった。したがって疑問の多い強制連行を教えるのは 誤りである>ということでしょうか。   上記の発言からすると、櫻井さんは結論を出すのに性急すぎるようです。 そもそも政府資料は容易に公開されないものであり、眠ったままになっている 資料が相当多数あります。   資料の公開について、かって証拠の保管作業にたずさわったとされる苔虫 爺さんのコメント、#4795は意味深長なものがありそうです。 >  残念ながら、30~50年は >待っていただかざるを得ません。本人あるいは直の係累が物故者となった(なる) >後でも、それら証拠を直ちに公開するわけにはいきません。史料を扱う公的機関と >の取り決めでそのようになっているし、また、まだ封印せず預けていないものにつ >いては、個人が各自保管しています。   この証言の卑近な例が、日本政府が93年7月に行った、韓国「従軍慰安 婦」16人の聞き取り調査結果ではないかと思います。これは櫻井さんも知っ てのとおり公開されていません。   同じような聞き取り調査を韓国政府も前年に行いましたが、こちらの方は、 名前を伏せるなどプライバシーを配慮して要約したものが公表されました(注 5)。したがって、日本政府が調査結果を公表しないのはプライバシー配慮の ためではなさそうです。   また資料の公開については前にも書きましたが、上杉聡氏によりますと、 1994年、自治省が新庁舎を建てるため引っ越しを始めたところ、旧内務省 関係資料が積み上げると二万メートルもの量がでてきました。これにはまった く調査の手が及んでいません(注2)。   こうした資料からは、何が飛び出して来るやらはかりしれません。公表し たくない資料ほど未整理・未公開にしたがるものです。   他方では未公開資料のみならず、すでに公開された資料からも研究次第で は重要な資料が発掘されるものです。   その好例が極東軍事裁判資料です。以前紹介したように、この資料からイ ンドネシアのモア島で日本軍指揮官の陸軍中尉が、現地女性をむりやり「慰安 婦」にした証言が飛び出しました(注3)。   このような資料の発掘は、ジャーナリストの一人や二人の力でできるもの ではなく、日本全体の研究のなかから生まれるものです。そうした事情は櫻井 さんも承知のはずなのに、ご自分が調べた資料になかったからといって、強制 連行の存在を疑問視するのは、すこし思慮が足りないのではないでしょうか。   #4795, >藤岡教授がどこかで言われていますね。 「強制連行の証拠」とは、1公文書 >2連行当事者の証言 3目撃者の証言 4強制連行された者の証言 の四通りある >はずだが、自分はそのどれにも接した事はない。そして、これは桜井よしこ氏も同 >様ですが、その種の証拠を現在ひとつも知らないが、もし仮にそのようなものを自 >分が目にすれば意見を変えます、と。つまり、現時点で「なかった」と断言する根 >拠は(政治的意図は別にして)無いのです。   モア島での強制連行は、藤岡信勝教授の分類では連行当事者の証言、しか も公文書なのでなので第一級の価値を持つ資料でしょうか。この資料だけみて も、苔虫爺さんがおっしゃるように『現時点で「なかった」と断言する根拠は (政治的意図は別にして)無いのです』。   またインドネシアのスマランで起きた<オランダ人「従軍慰安婦」>強制 連行事件も、暴力的な強制連行を証明する第一級の公文書です(注3)。   こうした証拠はたまたま運良く後世に残りましたが、公文書に残らなかっ た暴力的な強制連行は、インドネシア、中国、フィリッピンなど日本軍占領地 で相当な数にのぼったようです。そこではもちろん「強制連行された者」の証 言や目撃者の証言が数多く存在します。   なかでもフィリッピン「従軍慰安婦」の証言について、「新しい歴史教科 書をつくる会」の賛同人、秦郁彦・千葉大教授ですら「彼女たちの申し立ての 多くは事実を反映していると想像する」と断言しています(注4)。櫻井さん は、せめてこの秦郁彦氏からでも少し学ぶ必要がありそうです。   上記の事実の中で、櫻井よしこさんはさすがにスマラン事件のことはご存 じのようですが、この慰安所をなぜか強制連行の証明とみていないようです。 これについて、櫻井さんは朝日新聞に次のように投稿しています(97.1.22)。  「同慰安所は開設後二カ月足らずで閉鎖された。理由は「(女性が)自発的 に慰安所で働くという軍本部の許可条件」が満たされていないためだったと記 されている。   このことから二つのことがいえるのではないか。ひとつは軍人が女性たち を強制して慰安婦にしたこと、もうひとつは女性に売春を強要するのは日本軍 部の統一された方針ではなかったということである。開設後二カ月足らずで慰 安所が閉鎖されたことがそのことを物語っている。   他の資料でも慰安所の設置や監督に軍が関与した事実は出てきても、強制 連行、つまり、女性たちの強制的な募集に軍がかかわったことを示すものは、 私の知る限り、ない」   櫻井さんの主張はどうも矛盾しているようです。軍人が女性たちを強制し て慰安婦にしたことを認めておきながら、この場合も他の資料の場合も、軍は 強制的な募集にかかわったのではないと主張しています。何とも理解しがたい 話です。   これでは、苔虫爺さんの『「なかった」と強弁するのもコトバでは可能で すが、根拠の無い理屈にすぎません』というご指摘のとおりではないかと思い ます。   櫻井さんはご存じかどうか、スマランで皇軍が行った暴力的な強制連行の ようすは、被害者であるオフェルネさんの証言などにより、あますところなく 明らかにされています(注6)。   それにもかかわらず、彼女はごく最近の著書でも念入りに「現段階では、 日本軍および日本政府が募集の段階から強制をしたという、私が納得できる資 料がない」と強弁しています(注7)。   櫻井さんは、どんなに暴力的な強制連行でも、それが政府・軍中央による 方針でない限り、「日本政府・日本軍による強制連行」といえないと主張して いるようにみえます。そのためか「従軍慰安婦」問題について「大きな枠組み として日本政府に責任がある」と断定しても、法に基づいた賠償や謝罪はする 必要はないと考えているようです。   この考えにもとづく限り、櫻井さんが規定する強制連行の資料はあり得な いと私は考えます。なぜなら日本は、政府や軍中央の方針として、暴力的な強 制連行を指示するはずはないと、私は考えるからです。   ドイツのように自国内の他民族抹殺をもくろんだ政策の場合はともかく、 占領地や植民地など異国を支配するのに、わざわざ住民の反発を招くような暴 力的な強制連行といった愚かな政策は、古代ならいざ知らず近代では採用しな かっただろうと思います。   したがってモア島事件にせよ、スマラン事件にせよ暴力的な強制連行はす べて出先の皇軍が暴走した結果引き起こしたものではないかと思います。   つぎに、櫻井さんは法的賠償について「日本政府が強制連行した事実が具 体的に示されるのであるならば、私は日本政府は謝り、賠償もきちっとしてい くべきだろうと思うし、立たなければならないと思います」と考えておられる ようですが(注7)、上記のような事件も櫻井さんによれば強制連行ではない ので、賠償の対象にはならないと主張しています。   この点、国際法ではどうなっているのか紹介します。 1907年のハーグ条約、すなわち「陸戦の法規慣例に関する条約」3条は、 「条項に違反したる交戦当事者は、損害ある時は、これが賠償の責任を負うべ きものとす。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為に責任を負 う」と定め、交戦当事国の損害賠償責任を規定しています。   これについて、専門家は次のように解説しています(注8)。           --------------------------   1899年のハーグ陸戦条約にはこの損害賠償の規定は存在せず、190 7年条約の改正の主要な点はこの損害賠償条項の追加にあった。   この規定は1907年のハーグ敬和会議において、ドイツ代表のファン・ ギュンデルが「もし、法規慣例に関する規則違反によって被害を被った被害者 が、政府に賠償できず、加害者の将校や兵士にしか請求できないとすれば、そ れは賠償を取得するあらゆる可能性を被害者から奪うに等しい。したがって、 政府は責任から免れてはならない」と発言して規定されたものである。   このハーグ条約3条によって確認された交戦当事国の損害賠償に関する国 際的義務は、交戦当事国が、その軍隊を構成する軍人・軍属その他の者の、 ハーグ規則違反によって生じた損害について賠償の責任を負うことを意味し、 その損害とは、ハーグ規則に違反する行為から生じた個人または財産に対して もたらされた損害をさす。           --------------------------   このように、軍人の戦争犯罪は、たとえそれが個人的なものであったとし ても、国際法上、国家には損害賠償責任があるようです。   このハーグ条約は帝国主義国家間の秩序を定めた20世紀初頭の国際法の なかで、個人の人権にも配慮した数少ない条約のひとつです。これが人権尊重 の立場にたつ現代の国際法の萌芽になったことはいうまでもありません。   被害者の立場にたてば、加害国の政策によるものであれ、個人的な犯罪で あれ、日本軍に陵辱された事実には変わりなく、当然、補償の請求先は日本政 府に向けられます。   ハーグ条約第3条の被害者に対する加害国の賠償、補償責任はジュネーブ 四条約、ジュネーブ条約の追加議定書でもくり返し定められています。したが って、当時ハーグ条約を批准していた日本は、同条約第3条により、同条約お よび付属規則違反について法的に賠償責任を負っています。こうした国際法の 観点も、櫻井さんは見落としているようです。   以上、櫻井さんに対する批判をいろいろ書きましたが、なかには櫻井さん の意見に同調できる部分もあります。櫻井さんは藤岡信勝氏とちがって、歴史 認識の心構えについてこう語っています。  「戦争中、日本および日本軍が行ったことは、私は全部さらけ出したようが いいと思います。それ以前の、日本の植民地支配、それにいたる様々な歴史的 経緯など全てにわたって、先述のように日本人が知らなさすぎると考えていま す。知らないということが最も強い侮辱であり、最も無責任なことだと思いま すので、日本軍の罪悪を含めて、知らせたほうがいいと思います」(注7)。   この考えから資料公開を強く求めておられるようで、妥当なところです。 最後に櫻井さんには望みたいのは、資料はありきたりの政府資料に限らず、も っと幅広くインドネシアやフィリッピン「従軍慰安婦」に関する資料なども分 析し、そのうえで結論をだしてほしいということです。 (注2)半月城通信、<「従軍慰安婦」72,吉田証言(2)> (注3)同上、<「従軍慰安婦」74,インドネシア「慰安婦」(1)> (注4)同上、<「従軍慰安婦」60,フィリッピン「従軍慰安婦」の強制連行> (注5)同上、<「従軍慰安婦」2,韓国政府報告書> (注6)同上、<「従軍慰安婦」5,白馬事件>、        <「従軍慰安婦」32,白馬事件(2)>     NHKTV「50年の沈黙を破って・「慰安婦」にされたオランダ人女性」          (96.8.16) (注7)櫻井よしこ、金両基「海峡は越えられるか」中央公論社 (注8)青年法律家協会弁護士学者合同部会報告書「歴史に向き合うために」 (注1) 共同通信ニュース速報(96.12.2)    「強制連行はなかった」  桜井さんが講演で発言  従軍慰安婦問題に関連して、ジャーナリストの桜井よしこさんが十月に行った横浜 市教育委員会主催の教員研修の講演で「日本軍による強制連行はなかった。教科書で (従軍慰安婦の強制連行があったと)教えられる子供はたまったものではない」など と発言、市民団体の「かながわ人権フォーラム」(会長・弓削達前フェリス女学院大 学長)が市教委に抗議したことを二日、明らかにした。  市教委は「内容については事前に知らなかった。エイズ問題や留学体験を話しても らうつもりだったが、結果的にお願いした趣旨とは違ってしまった」と話している。  研修は十月三日、市立小中高校の教員の希望者を対象に行われ、約二百人が参加し た。  桜井さんは「ジャーナリスト桜井よしこが見た日本、学校、子ども」と題して二時 間講演、このうち後半約一時間を日本の戦後の歴史教育に割き「どの資料を見ても軍 による(従軍慰安婦の)強制連行はなかった。南京大虐殺と強制連行の二つの事件は 日本の学校では誤って教えられている。先生は心して語ってほしい」などと述べた。  「かながわ人権フォーラム」は「強制連行は研究者の調査や当事者の多数の証言も あり、政府も認めている。桜井さんの発言は、元従軍慰安婦に対する冒とく。主催者 の市教委も責任がある」と述べ、強制連行の調査をしている研究者による講演をやり 直すよう申し入れている。  桜井さんは「人権への配慮が足りないとの批判は残念だ。慰安婦の存在を否定する 立場ではないが、強制連行が軍や政府の方針だったのか、という点について事実関係 を中心に提言したつもりだ」とのコメントを発表した。     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/11/23 - 04905/04905 PFG00017 半月城 中国人「慰安婦」の強制連行とハーグ条約 ( 7) 97/11/23 12:03 04851へのコメント   前回、#4832「櫻井よしこさんのこと」では主にインドネシアでの暴 力的な強制連行を紹介しました。これに対するコメントとして、なぜか私の書 き込みと直接関係のなかった韓国がしばしば登場しました。   これは、暴力的な強制連行をどうしても認めたくない一部の方が、#48 32に有効な反論ができないので、論点をそらすために私が一言半句もふれな かった韓国を持ち出したのかなと想像しています。   これまで私の書き込みに対し、たまに感情を露わにした反応がありました が、そうした書き込みも自説の展開が行きづまったときになされる場合が多い ようです。これでは議論になりません。そのため私はそれらを無視することに しています。   さて本題に入りまして、杉山 健さんの#4851にコメントしたいと思 います。 >>語れない事情はある程度察しがつきます。その一方で、むりやり「慰安婦」に >>させられ、青春どころかその後も苦難の道を余儀なくされた女性たちと「人間 >>らしい情」をすこしでも共有することを、私は優先させたいと思っています。 > > 熱心に研究されている方にこのようなことを言うのは大変失礼とは思います >が,私は上記の3行につきると思っています。これだけのことが共感できさえ >すれば,他のことは些細なことだと思います。   失礼に当たるかどうかは別にして、私もまったく同感です。ところが、世 の中にはそうした「人間らしい情」より、「国の誇り」などを優先させるあま り残虐な過去を認めまいとして、重箱の隅をつつき「慰安婦」証言の揚げ足を とり、はては「うそつき」呼ばわりする人がいるものです。こうした人たちに とって、「慰安婦」の証言は「人間的な情」を呼ぶどころか、逆に嫌悪の対象 になっているようです。   彼女たちの過去、ときには自分の夫や肉親にすら打ち明けられず、50年 もの間、ひとりでじっと心身の痛みに耐えてきた茨の道、その苦難の末、やむ にやまれぬ思いから長い沈黙を破り語りだした真情に、すくなくとも私は耳を 傾けたいと思います。   もちろん彼女たちの体験談は、長い歳月のトラウマを経て、多少はデフォ ルメされたり、被害意識がふくらんでいるかもしれません。また、半世紀前の できごとであってみれば、記憶もかなりあやふやになっていて当然です。   しかし、そうした枝葉末節なことがらは、すこしも彼女たちの証言の根幹 に影響を与えるものではありません。   この見方から私は元「慰安婦」の証言を暖かく見守りたいと思います。そ こで今回は、中国人「慰安婦」の証言を、暴力的な強制連行の実例としてとり あげたいと思います。   中国の場合、インドネシアと違って強制連行を示す「公文書」などの記録 は見つかっていません。そうなるとそれだけの理由で、櫻井よしこさんの分類 では「強制連行」に該当しないのかもしれません。   また、「慰安婦」たちの証言を裏付ける日本兵の証言などもまだ得られて いません。そのため、おそらく自由主義史観シンパの方々は、彼女たちの証言 を「慰安婦」のたわけごととして片づけてしまうか、せいぜい強制連行を認め ても、それをやったのは日本兵ではなく、日本軍をカサにきた不良中国人のし わざであると簡単に結論づけてしまうのかもしれません。   一方、中央大学の吉見教授は「『官憲による奴隷狩りのような連行』が占 領地である中国や東南アジア・太平洋地域の占領地であったことは、はっきり している」と明言しておられます(注1)。その根拠のひとつにもなっている 中国人「慰安婦」の証言を紹介します。            ------------------------ 李秀梅(リ・シウメイ)さんの証言                 1996年7月21日・日本青年館にて 石洞に監禁されて、恐怖の日々   山西省西藩郷李庄村で生まれました。15歳の時(1942年)の農暦8 月、母親と自宅にいたところ、突然4人の日本兵が入ってきました。男たちは うれしそうに「花姑娘」と言いながら入ってきました。当時50歳くらいだっ た母親を無視し、オンドルに座っていた私のところへ来て、私を連れ出しまし た。   私は恐ろしくて震え、泣き叫んでいましたが、口の中につめものをされ、 暴力的に家から連れ出されたのです。私は両手を結わえられてロバに乗せられ て、両側は兵士に固められて、進圭村という村にある日本軍の駐屯地まで運ば れました。   ここで監禁されたところは、この地方にはよくある石洞(注2)の一つで した。幅1.7m、奥行きが約3.3mで奥の半分はオンドルになっていまし た。   オンドルの上には麻袋や藁が置かれていて、私が連れてこられた時、そこ には二人の女性がいました。石洞の中には、便器用の桶があるだけで何もない ところでした。   入り口は鍵がかけられ、中国人の門番がいました。この石洞から出られた のは、排泄物を捨てにいく場合くらいで、そのまわりの様子はよくわかりませ ん。   監禁されてから、4,5日後、赤ら顔の「ロバ隊長」とよばれる日本兵が 入ってきました。この隊長はまず先にいた女性を強姦し、続いて私を強姦しま した。   その日から、戦闘に出かける日以外は、毎日、日本兵が私たち3人を強姦 しに入れかわり立ちかわりやってきました。3人の日本兵がやってきて、私た ち3人を同時に強姦することもありました。   石洞の中で順番を待つ兵士が、私たちを強姦されるのを見ていることもあ りました。一人の日本兵の強姦が終わると、続いて別の日本兵がすぐやってき て強姦することもありました。強姦は生理日でもかまわず行われました。   私は多い時には、日に10人、少ないときでも2,3人に強姦されました。 私たちが抵抗すると日本兵は暴行を加えました。私はある時ベルトで殴られ、 そのバックルが右眼にあたり怪我をしました。この怪我がもとで、私は後に右 眼を失明してしまいます。   また、革の長靴で大腿部を蹴られて怪我をしました。この怪我がもとで、 今では右足が左足よりも短くなっています。顔や腹、腰などはしょっちゅう殴 られていました。 暴力と強姦の5ヶ月   私は赤ら顔の「ロバ隊長」に強姦されるまでは性体験がありませんでした。 日本兵による強姦は恐怖以外の何ものでもありませんでした。しかし、石洞の 入り口には鍵がかけられていたし、逃げれば自分は捕まって殺され、家族や村 人たちにも危害が加えられると思って逃げないでいました。私は結局5ヶ月間、 石洞に閉じ込められていました。   この間、食事はまったく不規則で、一日に3回ある時もありましたが、一 回しかない時も多くありました。冷えた粟粥、とうもろこし粥がおもなもので した。まったく食事が出されない日もありました。   着るものは、連れてこられた時のものしかありませんでした。強姦が続い たり、体が痛い時はズボンをはくこともできませんでした。私たちは5ヶ月間、 強姦されるだけの日々を送ったのです。   日本兵はしょっちゅう暴力をふるっていたので、私はあちこちを怪我しま した。とくに頭の傷はひどく、これが原因で強姦の対象にならなくなりました。   私が連れ出されたことを知った家族が、銀600両をだして私を解放して くださいとお願いしましたが聞き入れてくれませんでした。しかし、怪我をし て強姦できなくなると、すぐに帰したのです。   私の母親は、私が連れ去られてから3ヶ月後に自殺していました。これは 家に帰って知ったことです。   私は村人に日本兵の「慰安婦」だったことを知られているため10キロ以 上離れた村の男性と結婚せざるを得ませんでした。18歳で結婚しました。夫 も日本軍に損害を負わされていましたから、夫婦間で私が「慰安婦」だったこ とは問題にはなりませんでした。   しかし、日本兵に強姦され続けたことには恐怖感が残り、今でも私を陵辱 した日本兵に対する恨みで悶々とした日々をすごしています。日本軍が憎いで す。早く謝罪してほしいです。私ももうすぐ70歳ですから。   日本の裁判官には、ちゃんと賠償をしてもらえるような結論を出してほし いと申し上げたいです。 (アジアフォーラム編「元『慰安婦』の証言」、皓星社ブックレット・5)           ---------------------------   中国では名乗り出た「慰安婦」はごく少数ですが、その理由について前掲 書は次のように記しています。   『中国には、もっとたくさんの元「慰安婦」の方がおられるはずですが、 現在名乗り出ている方はごくわずかで、そのうち6人の方が日本政府を相手ど って裁判をおこしています。中国では、これらの元「慰安婦」の方々を支援し ていく運動はおこっていません。   中国政府も日本政府への「配慮」があって、表だって、これら元「慰安 婦」の方々の要求を聞き入れる立場にたっているというわけではありません。 中国国内では「正義」(いま中国では、「人権」という言葉を口に出せない状 況にあります)のために弁護士さんたちが細々と支援の運動を続けています』   現地における弁護士の地道な活動は、すこしずつ実を結びつつあるようで す。それとともに、中国社会もだんだん「慰安婦」問題を理解するようになり ました。中国で「慰安婦」の聞き取り調査を行った大森典子弁護士は、そのあ たりの事情をこう書いています。           --------------------------   1995年の抗日戦争勝利50周年を記念しての出版物や展示物の中に 「慰安婦」の被害も載せられるようになり、本誌13号の笠原十九司宇都宮大 学教授の論稿「中国戦線における日本軍の性犯罪」によれば、1995年河北 人民出版社から刊行された『侵華日軍暴行総録』の中には、「中国女性を日本 軍駐屯地に連行した」との記述が散見されるようである。   これは最近の研究(注3)で類型化された「(C)前線に近い警備隊の非 定型的展開」という中に入る現地調達型の慰安所に連行され、監禁され性的奴 隷として蹂躙された女性たちのことを指していると推測される。   また、このことは、1996年6月6日、中国外務省の沈国放報道局長が、 奧野誠亮元法相や板垣正議員の発言を強く非難した中で「中国やアジアの女性 を強制的に従軍慰安婦にしたのは日本侵略軍の残虐な罪であり、公認された歴 史的事実だ」「中国にも少なくない被害者がいる。日本側が真剣に対応し、こ の問題を適切に処理するよう望む」と述べたと報ぜられているように(同年6 月7日付朝日新聞)、今日では中国政府にとっても、「慰安婦問題」の正当な 解決は対日本政策の中に重要な位置づけをもっていると思われる(注4)。           -------------------------   奧野元法相が「慰安婦は商行為」と決めつけた発言は中国当局をいたく刺 激したようでした。このとき、一緒にやり玉にあがった板垣氏は、もし李秀梅 さんにあったら「お金はもらわなかったのか」と質問するのでしょうか? こ うした「お金」亡者のような発言は、アジア各国との友好を損いこそすれ、日 本にとって何ら利にならないものです。   一方、北京で95年の「世界女性会議」と同時期に開かれた「慰安婦」証 言集会では、突然、会場の電気を止められるなど、元「慰安婦」にとって困難 なこともありました。しかし、奧野発言のような騒動をきっかけに、中国当局 が「慰安婦」の本格的な調査に乗り出すかもしれません。あるいはすでに乗り 出したのかもしれません。 ○裁判と国際法   さて、李さんの証言にある裁判のことですが、提訴は96年8月、七三一 部隊や南京大虐殺の被害者ならびにその遺族と共同でなされました。裁判で李 さんたちは国際法にふれ、次のように主張しました(注5)。 〈1〉旧日本軍の中国人女性に対する組織的な性的奴隷化は、占領地の法律尊   重を義務付けたハーグ条約規則に違反する。 〈2〉その違反行為による損害の賠償義務は、交戦当事国(日本)が負う   ところで、国際法には時効がありません。そのためか裁判で事実認否を拒 否していた日本政府も法律論のみ受けて立ち、答弁書で「ハーグ条約は、国家 間の違反行為に基づく損害について国家が賠償責任を負うことを規定したもの で、個人に損害賠償請求権はない」と回答しました。   ハーグ条約は最近、オランダの「従軍慰安婦」たちが提訴した裁判でも争 点になりました。オランダの市民団体「対日道義賠償請求財団」メンバーらは オランダの国際法専門家、カルスホーベン氏を証人にたて、条約3条の「(交 戦当事者は)損害あるときは賠償の責を負う」との規定の解釈について、「被 害をこうむった個人の請求権も含まれる」との証言を行いました。これらの論 戦の帰趨が注目されます(注6)。   さらに、同裁判でカルスホーベン氏は「2国間の一括金協定が結ばれても、 個人が損害賠償を請求する権利はある」との見解を付け加えました。この一括 金協定見直しに、日本軍に抑留されていたイギリス人捕虜も関心を示すなど、 今や日本の戦後補償裁判は国際的な注目を集めています(注6)。 (注1)吉見義明他『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店 (注2)石洞(ヤオドン)    レンガ作りで、ドアが一つしかない、ほら穴のような長屋型の家のこと。 (注3)原著書注、吉見義明・林博史編著『共同研究、日本軍慰安婦』大月書    店、81頁 (注4)大森典子『中国人「慰安婦」訴訟』「戦争責任研究、第15号」日本    の戦争責任資料センター (注5)元従軍慰安婦賠償訴訟 中国人女性が陳述/東京地裁                   読売新聞(96.7.19)  第二次大戦中に従軍慰安婦として旧日本軍に虐待されたとして、中国人女性六人が 国を相手取り、謝罪と一人当たり二千万円の慰謝料の支払いを求めた訴訟の口頭弁論 が十九日、東京地裁(塚原朋一裁判長)で開かれ、元従軍慰安婦二人の原告本人尋問 が行われた。午前の法廷には、李秀梅さん(69)が立ち、「日本兵の乱暴に抵抗で きず、泣くしかなかった」などと被害の実態を訴えた。  訴状などによると李さんは、十五歳だった一九四二年、山西省の自宅から四人の日 本兵に連れ出され、別の二人の中国人女性とともに旧日本軍駐屯地の洞穴式住居に監 禁された。  李さんは、「赤ら顔の隊長」に性的暴行を受け、その後も連日のように日本兵に乱 暴されたという。また、抵抗すると日本兵に殴られたり、けられたりして右目を失明 し、足も骨折した。李さんが解放されたのは監禁から約五か月後で、監禁されている 間に母親は、李さんを取り戻せないことを悲観し自殺したという。  虐待で足が不自由になったという李さんは、車いすで入廷。弁護団の女性弁護士の 質問に答える形で当時の模様を語った。  李さんは、「恐ろしさから抵抗できず、自分で服を脱ぎました。そして乱暴されま した」などと証言し、「悪いと言うなら、私に乱暴した日本兵みんなが悪い」と、強 い口調で述べた。  昨年八月に提訴した李さんらは、〈1〉旧日本軍の中国人女性に対する組織的な性 的奴隷化は、占領地の法律尊重を義務付けたハーグ条約規則に違反する〈2〉その違 反行為による損害の賠償義務は、交戦当事国(日本)が負う――などと主張している。  これに対し、国側は答弁書で「ハーグ条約は、国家間の違反行為に基づく損害につ いて国家が賠償責任を負うことを規定したもので、個人に損害賠償請求権はない」な どとして、訴えを棄却するよう求めている。  午後からは、劉面煥さん(68)への本人尋問が行われる。 (以下省略) (注6)<戦争補償>オランダ人学者、個人請求権を主張                  毎日新聞ニュース速報(97.6.23)  元従軍慰安婦を含むオランダ人元捕虜らが第2次大戦中の旧日本軍の行為について日 本政府に賠償を求めた訴訟の口頭弁論が23日、東京地裁で開かれ、原告側証人のオラ ンダの法律学者、フリッツ・カルスホーベン博士(73)が「武力紛争の賠償を個人が 国家に求める権利は、国際慣習法で認められる」と証言した。一連の戦後補償裁判で外 国の法律学者が、「法的には解決済み」と突っぱねてきた日本政府側の見解を否定し、 個人の請求権を認める証言をしたのは初めて。 カルスホーベン博士は旧ユーゴスラビ アの武力紛争で国連が設置した事実調査委員会のメンバー。同博士は、ハーグ条約(陸 戦の法規慣例に関する条約、1907年)第3条の「(交戦当事者は)損害あるときは 賠償の責を負う」との規定の解釈について、「被害をこうむった個人の請求権も含まれ る」と明言。さらに「2国間の一括金協定が結ばれても、個人が損害賠償を請求する権 利はある」との見解を付け加えた。  この訴訟はオランダの市民団体「対日道義賠償請求財団」メンバーらが1994年1 月提訴した。翌年には英、米など旧連合国の元捕虜らが同様の訴訟を東京地裁に起こし ている。この日、裁判を傍聴したイギリス人元捕虜、アーサー・ティザリントンさん( 76)は「博士の証言は私たちの主張が国際法上も認められたことを示す」と話した。 (以下省略)     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/11/30 - 04971/04972 PFG00017 半月城 韓国併合条約(6)、違法性の認識 ( 7) 97/11/30 17:59 04874へのコメント   現代と違って、かっての帝国主義時代はパワーポリティックス優先で国際 法は無視されがちでした。   そもそも当時の国際法は帝国主義国家同士の秩序を定めたもので、武力が 貧弱な国の法的正義は無視され放題の、弱肉強食の時代でした。   たとえば、前々回「帝国主義時代の条約」に書きましたが、第二回日英同 盟協約が日韓議定書などに違反するという韓国の抗議が、日英両国により完全 に「イグノア」されたのがその一例です。   周平さん、#4874 > またハーグ密使事件も、そういった意味では韓国保護条約が国際的に承認され >ているということを示す事例でしょう。議長国であるオランダ政府を初め各国 >は韓国皇帝に外交権が無いことを理由に密使を門前払いしました。 > > 以上の議論から、韓国保護条約が「法的に無効であると国際的に認められてい >る」ということは、論駁したと思います。   ハーグ密使が列強に相手にされなかった事件は、日露戦争の結果、韓国が 日本の勢力圏に組み込まれたことを列強が承認したことを意味し、ここで問題 にしている保護条約の違法性の国際的認識にはほとんど関係ないと思います。   同じように、ロシア総領事委任状問題もつまるところ、列強同士の外交か けひきの一環であり、日露両国とも国際法を遵守して対韓国外交を展開したも のではなかったのではないでしょうか。 ○違法性の国際的認識   #4874, > それ以上に半月城さんの議論におけるレトリックの護魔化しは、この議論の僅 >か4行上においてウォルドックの最初の草案が採択されたことについて「こう >して正式に国連文書として発刊されるにいたり、韓国保護条約が無効であると >いう国際的な認識が決定的なものになったのではないかと思います」と書いて >いることです。   周平さんは、報告書を意図的にか「ウォルドックの最初の草案」とのみ記 し、これが単なる提案に過ぎないかのような書きかたをしていますが、これは 再考を要します。   ウォルドック報告書は、たしかに条約法条約草案の性格もありますが、他 面#4748に書いたように、国連の常設委員会である国際法委員会(IL C)の「定期報告書」(注1)であり、正式な国連文書として権威あるもので す。   したがって、この定期報告書の影響力は国際的に相当なものです。その一 端を毎日新聞は次のように解説しています(注2)。             ------------------------  国際法委員会の六三年の報告は、国際慣行を法文化した「条約法に関するウィーン 条約」の原案を国連総会に提示したもので、「条約の署名、批准を得るために個人に 強制、脅迫を加えられた場合、国家が条約の無効を主張するのが正当であることは一 般に認められている」と明記。  日韓併合(一九一〇年)の基礎となった保護条約にまでさかのぼり、旧日本軍の行 為の国際法上の違法性が指摘されたのは異例のこと。しかも国連の常設委で無効との 見解が出されていることは、日本にとって今後重い足かせになるのは必至だ。 --------------------------   その「重い足かせ」の具体例として、IFOR(国際友和会)が国連人権 委員会で『日韓併合の足がかりとなった日韓保護条約(一九〇五年)について 国連の「国際法委員会」が無効との見解を発表していることを明らかにした』 と報告したことなどがあげられます(注2)。   また、韓国はいうにおよばず、日本でもロンドン大学客員研究員(執筆当 時)・戸塚悦朗弁護士などがこの定期報告書を引用し『締結の時から効力を発 生していない条約の実例として、この「保護条約」強制事件(ナチスドイツに よる行為を含む4事件の一つ)があげられていたという事実がわかったのであ る』と論文に記しています(注3)。   このような流れからすると、#4748に書いた次の文は「レトリックの 誤魔化し」でなく、国際社会の認識を明らかにするものであると自負していま す。 > 1963年の国連国際法委員会(ILC)の定期報告書(ウォルドック第 >二報告書)に、第二次日韓協約が国の代表に対する脅迫により結ばれた無効 >条約の例としてあげられました。こうして正式に国連文書として発刊される >にいたり、韓国保護条約が無効であるという国際的な認識が決定的なものに >なったのではないかと思います。   この定期報告書の影響を受けたのかどうかわかりませんが、前回書いたよ うにコロンビア大学の朝鮮半島史研究者、レドヤード教授は保護条約について 「合法性に疑問をもつ専門家は多い」と述べました。これなど国際的認識を知 る上で重要な発言ではないでしょうか。   コロンビア大学は、日本では「ドナルド・キーン・日本文化センター」の 活動でよく知られていますが、このセンターを擁する「東アジア文化学部」は アメリカで東アジア学のメッカに近い存在です。そこで朝鮮半島史を専門にし ているレドヤード教授の意見は相当な重みがあります。   同大学は資料も豊富で、最近、貴重図書・手稿図書館で乙巳条約に関連し た重要な資料が発見されました。それは高宗皇帝が9カ国の修好国国家元首に 「乙巳条約」の無効性を訴え、大韓帝国の国権回復に協力を要請する親書9通 と、ハルバートを特使に任命する委任状などでした(注4)。   このような資料は、保護条約の無効性を傍証する資料として価値の高いも のですが、同様の資料がドイツやハンガリーなどでも最近発見されました。そ れについてソウル大学の李教授は下記のように記しています(注4)。            ---------------------   ハンガリー貿易大学で韓国史を教えるカロリー・フェンドラー氏が、オー ストリア・ハンガリー帝国文書館にも関連資料が所蔵されているというニュー スを『コリア・ヘラルド』紙に知らせてきた。   該当文書は「乙巳条約」当時、韓国駐在ドイツ外交官だったフォン・ザル デルンが事件発生後、三日目にドイツの首相フェルスト・フォン・ブロウに送 った報告書で、ここには次のような事実が記載されていると知らせてきた。   つまり高宗皇帝が伊藤博文日本大使の提案に対して、最後まで「駄目だ」 を貫き、外部大臣の朴斉純も皇帝の前で自分は条約に署名した覚えはないと語 り、皇帝の側近の一人がザルデルンに、数分前に、条約文書の外部大臣捺印は 日本公使館の職員が官印を強制的に奪って押したものだと語ったことなどを明 らかにしているというのである。 (途中省略)   1994年3月1日付の『東亜日報』に報道された高宗皇帝のもう一つの 親書に関する資料も大変重要な内容を含んでいる。この資料は退位させられた 高宗皇帝が1914年12月22日にドイツ皇帝にあてた親書を、北京駐在ド イツ公使のヒンツェが受け取り、ドイツ語に翻訳したものだ。資料発掘者の鄭 用大氏は、親書の原本がドイツのどこかにあるものと推測したが、いずれにせ よこの資料は、高宗皇帝が退位させられた後も引き続き、国権回復のための外 交闘争を展開させていたという証拠として、大変重要な意味をもっている。            --------------------------   こうした資料の存在は、当時、高宗皇帝がいかに保護条約に猛反対してい たかを示すもので、その後、国際的認識の形成に重要な役割を果たしたことは いうまでもありません。   今までこのシリーズで書いてきたように、保護条約の専門家による検討は、 不十分ながらもフランスのレイ論文に始まり、ハーバード大学草案や国連国際 法委員会などに受け継がれ、国際法上違法とされる国際的な認識が形成されま した。   その一方で、保護条約を合法とする専門家の研究は有賀長雄氏の「日韓協 約と強迫問題」(外交時報102号)くらいでしょうか。しかしこれは関連資 料がまだ不十分なときのもので、これは前回紹介したように、坂元論文により ほぼ論駁されたのではないかと思います。   これ以外に、無効論に全面的に反論している研究論文は見あたらないよう です。強いていえば、保護条約は形式的合法性を有していたとする海野教授の 研究がある程度でしょうか。しかし、その主張は微妙なものがあります。 ○海野教授の見解   海野教授は保護条約を国際法上違反と考えているのか、あるいは合法と考 えているのか私には不明なところがあり、#4748で次のように疑問を呈し ました。            -------------------------   他方、同教授は前掲書から一年後に著した論文で、ご自身がこの違法性を 断定したことについては忘れたかのように、「『韓国併合条約』等無効論は、 論理的にも実証的にも不十分であるにもかかわらず、なぜ「合法」としての植 民地規定を否定しようとするのだろうか」と一見矛盾するような主張をしてい ます。この食い違いは私にはどうも謎です。            -------------------------   この疑問を解くべく、私は海野教授に失礼を顧みず、保護条約の合法性に ついて考えを変えられたのかどうか直接問い合わせてみました。後日、思いが けず返信がありました。   それによると疑問の核心部分について、同教授は表現不十分なところがあ ったかもしれませんが、『戦争責任研究』論文でそれまでの意見を変えたわけ ではありませんとのご回答でした。   そもそも学者は、「自由主義」史観論の藤岡教授はいざしらず、わずか一 年たらずの間に、自身の見解を大きく変えるなんてあり得ないと私は思ってい ましたが、海野教授の場合もそのとおりであることがはっきりしました。そこ で無謀を承知で、同教授の考えのエッセンスを複数の著書から抜き出すと、下 記のようになるでしょうか。 1.1905年『第二次日韓協約』の強制調印は、国際法に違反する不当なも  のである、とみなす(注5)。 2.第二次日韓協約は「形式的」適法性を一応備えていた(注1)。 3.旧条約無効論は、論理的にも実証的にも不十分である(注1)。 4.国際法学者があらためて「第二次日韓協約」締結の適法性の有無を検討さ  れることを期待したい(注1)。   これから私は、海野教授の見解を次のように理解しています。  <保護条約の体裁は形式的には一応適法性を備えていたが、これは強迫によ る強制調印であり国際法に違反するとみなすことができる。しかし現在のとこ ろ、学問的に無効論の証明は必ずしも完全ではなく、国際法学上にさらに論証 を重ねる必要がある>   海野教授は学者としてなかなか慎重なようです。しかし同教授の心証を察 するに、保護条約強制は当時の国際法に違反しており、学問的にみて無効であ るという見解のように見受けられます。   おわりに同教授はこの問題が今後、日朝国交正常化交渉で関係国の国民が 納得いく形で解決されることを切に望んでいますとのことでした。私もまった く同感です。 (注1)海野福寿「『韓国併合条約』無効論をめぐって」『戦争責任研究』第   12号、日本の戦争責任資料センター発行 (注3)戸塚悦朗「1905年『韓国保護条約』の無効と従軍慰安婦・強制連   行問題のゆくえ」『法学セミナー』1993年10月号 (注4)李泰鎮「統監府の大韓帝国宝印奪取と皇帝署名の偽造」(海野福寿編   『日韓協約と韓国併合』明石書店) (注5)海野福寿「研究の現状と問題点」(同上書) (注2)毎日新聞記事(93.2.16)   従軍慰安婦問題、スイスの人権組織「日韓保護条約は無効」 63年、国  連委が報告書  【ジュネーブ15日伊藤芳明】スイスの国際的な人権組織「国際和解団体」(IF OR、レネ・ワドロー代表)は十五日、ジュネーブの国連人権委に、従軍慰安婦問題 に関し日本政府の対応を非難する報告書を提出。日韓併合の足がかりとなった日韓保 護条約(一九〇五年)について国連の「国際法委員会」が無効との見解を発表してい ることを明らかにした。保護条約の無効性が明確になれば、戦前の日本による朝鮮半 島支配は国際法上違法な軍事占領となり、慰安婦ばかりでなく朝鮮半島からの軍人、 軍属徴用の根拠が問題になる可能性もある。当面の日本と朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮)との国交正常化交渉への影響もあり、日本は新たな難問を突きつけられた 形となる。  IFORは報告の中で、日本政府が、韓国人元慰安婦に対し、当時の日本の法律に 照らして違法性を証明するように要求している、といわれる点に反論。国連の常設委 員会「国際法委員会」が六三年に国連総会に提出した報告書の中で、日韓保護条約を 国家の代表者に対して強制して締結した条約の典型として挙げ、無効だとしているこ とを明らかにした。そのうえで報告は「韓国の人々に対し(戦前の)日本の法律によ って課せられた軍務を含むすべての行為は、国際法上違法である」と結論づけ、日本 政府こそ戦時中の従軍慰安婦や強制労働の国際法上の合法性を証明するべきだと主張 している。  国際法委員会の六三年の報告は、国際慣行を法文化した「条約法に関するウィーン 条約」の原案を国連総会に提示したもので、「条約の署名、批准を得るために個人に 強制、脅迫を加えられた場合、国家が条約の無効を主張するのが正当であることは一 般に認められている」と明記。  日韓併合(一九一〇年)の基礎となった保護条約にまでさかのぼり、旧日本軍の行 為の国際法上の違法性が指摘されたのは異例のこと。しかも国連の常設委で無効との 見解が出されていることは、日本にとって今後重い足かせになるのは必至だ。  ◇「国際的に無効とは受け止めていない」--外務省  外務省は十五日、「国際和解団体」が明らかにした一九六三年の国連国際法委員会 の報告について「報告の中で言及があるのは事実だが、委員会として公式に採択され ておらず、日本として日韓保護条約が国際的に無効とされたと受け止めてはいない」 としている。  同省条約局によれば、六三年三月から六月にかけて開かれた学者らによる国際法委 員会で、当時のサー・ハンフレー・ウォルドック委員が、文献を引用する形で「条約 締結に強制が加わったと主張されているものがある」と、特別報告している。この報 告に盛られた「条約無効」の見解は委員会全体の意思としては認められておらず、従 って「国際的に認定されたものとなっていない」との立場だ。  ◇「日本政府の主張崩れる」  四月には在日韓国人女性による初の提訴も予定されているが、裁判の弁護団の一人、 藍谷邦雄・弁護士はIFORの報告について「国内でも見逃されていた点を突いてき たことは確か。報告通り、無効だということになれば、これまでの日本政府の主張が 根底から崩れることになり、論議に一石を投じることは間違いない」とみる。  国会議員や弁護士らで結成する「国際人権研究会」会長の本岡昭次・参院議員(社 会)は「今後は、日本の植民地支配の時点にもう一度立ち戻り(慰安婦問題を)国会 でも追及していく」と話している。   http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


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