半月城通信
No. 41

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 英文和訳の適切性(1)
  2. 英文和訳の適切性(2)
  3. 皇軍のカニバリズム
  4. 天声人語の訂正、<帰化>
  5. 日本の先住民


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/10/19 - 04656/04657 PFG00017 半月城 英文和訳の適切性(1) ( 7) 97/10/19 22:41 04628へのコメント   #4628で、私の翻訳「日本の戦争世代」に対し、思いがけず翻訳上の 疑問が出されました。私は、そのコメントは見当はずれではないかと強い疑問 を持ちました。そこで念のため第三者の意見を知りたいと思い、私の訳と#4 628のコメントを翻訳の専門家に見てもらいました。その方からさっそく明 快なコメントがありましたので、下記に転載します(転載許可済)。            ---------------------- NYタイムスの記事のタイトルの訳についてですが、結論を先に言えば、半月 城さんの訳で問題はありません。   半月城さん、 > 新聞記事の原題は、"The Wounds of War:A Japanese Generation Haunted >by Its Past"であり、私はこれを「戦争の傷跡、過去にさいなまれる日本人 >世代」と訳しました。   #4628、  > 単にJapaneseとするのではなく、Aが付いている以上は、一般的  >な日本人と訳すのではなく、特定のグループを意味しているのであ  >り、本文を読めば日本軍兵士と訳すのは自明なのですが。こういう  >のを意訳といいます。  > また、次のGenereatonが大文字であることも考えあわせると、こ  >れを連続して日本人世代と訳すのは明らかな誤訳です。 まず、「A Japanese Generation」を二つに分離して「A Japanese」と 「Generation」と考えることはできません(この点は後述いたします)。さら に、「Japanese」は単数および複数を表しますが、「A」は不定冠詞・単数を 表すのですから、仮に「A Japanese」だけを独立させた場合には、「一人の日 本人」という意味を指す以外にはありません。   このタイトルを見れば分かるように、この中の多くの単語が大文字で書か れてありますが、それは、タイトルであることを示すためのルールの一つです。 このルールには二種類あって、全ての単語を大文字で表示するか、Ofやbyなど の前置詞などを小文字で表示するかです。つまり、原文のように 「The Wounds of War: A Japanese Generation Haunted by Its Past」 とするか、あるいは 「The Wounds Of War: A Japanese Generation Haunted By Its Past」 としても構いません。   批判者は、「A Japanese Generation」の「Generation」が大文字で書か れているから、「A Japanese Generation」を連続して、つまり一語と見なす ことは誤りである、と述べているのですが、こんな解釈は成り立ちません。こ れは、タイトルであるからこうしたスタイルになっているにすぎません。  > また、pastの前にItsを付けている以上、これが何を意味  >するかということですけど、これを過去とするのではあいまいで何  >を意味しているか不明ですので、本文の内容からいってItsが残虐行  >為とするのは意訳の範囲内といっていいと思います。 「Its」はむろん、「その」という意味ですが、この「その」は、 「A Japanese Generationの」という意味です。つまり、「A Japanese Generation」は単数第三人称であるために、その代名詞は「It」であり、その 所有格は当然にも「Its」であることは、この批判者の言葉を借りれば「自 明」なことです。 【本文の内容からいってItsが(を)残虐行為とするのは意訳の範囲内といっ ていいと思います】という部分も、誤りです。「Past」(過去)を「過去の残 虐行為」と解釈するのならば、意訳として成り立ちますが、「Its」(その) はあくまで代名詞ですから、このタイトルの中にある名詞の代わりとして用い られているのですが、どうも、彼はそんなことも分かっていないようです。 さて、【だいたい、日本人世代では、日本語として意味が通りません】という 部分にしても、「戦争の傷跡」という言葉があるのですから、この世代は戦争 にかかわった世代、つまり戦争世代を示唆していることは想像がつくことです。 だた、一点だけ言いますと、この批判者ではありませんが「日本人世代」とい う言い方は、不自然さを感じることも事実です。そのために、この部分を意訳 して、そして Itsの意味を生かして、たとえば「・・・・自らの過去にさいな まれる日本の戦争世代」とするのも一つの方法ではないか、と思うのです。 ところが、この「意訳」は、厳密に考えれば非常に面倒くさい問題を抱えてい ます。原文を正確に日本語(あるいは英語)に移しかえるという翻訳の目的か らすれば、いわゆる、直訳をベースにして自然な日本語(あるいは英語)にす るのが正当な考え方です(この点、このタイトルの日本語訳はこの考え方にも とづいているようで、感心いたします)。しかし、懸命に努力しても不自然な 日本語にならざるを得ない場合も多く、こうした場合には、文意を損なわない 程度に意訳することが必要になります。 実際問題としては、新聞記事などのタイトルの翻訳は直訳をした場合には、日 本語としてきわめて不自然になるケースが多く、意訳に頼らざるを得ないのが 実状で、私のように企業の注文によって仕事をしている場合などには、それが 当たり前の方法になっています。 また、訴訟などのケースには和訳した後に、それを英訳して、文意の解釈が間 違っていないことを示して相手側の承認を得るということもあります。 ただ、揚げ足をとるのを待ちかまえているような場所に提出する場合には、翻 訳が難しいタイトルは英文のままとし、その本文は要約したものを使うという 方法があります。 新聞の外国関係の記事は、記者が足で取材したものではなく、現地の新聞報道 などをいったん和訳して、それを記者が読んで要点を把握して、さらに日本の 読者に分かりやすい形に書き直したものが大半です。したがって、通常、日本 の新聞で報じられている外国のニュースなどは広い意味での翻訳といえるでし ょう。 むろん、要約でも文意をとらえていない場合もあります。私が思い出すのは10 年ほどまえに、読売新聞で、週に一回くらいの割合で、アメリカの経済学者や 政治学者の意見を要約して掲載していたのですが、ある時、ある政治学者が、 「自分としては親日的な姿勢でこのエッセーを書いたのだが、日本を批判する だけの内容になっている」との批判がだされて、それ以降、この連載が中止さ れたことがあります。 このように、翻訳にはいろいろと面倒な問題がつきまとっていますが、こうし た問題は、いわば高度なレベルのもので、この批判者のように低次元の批判は、 本人の問題としかいいようがありません。           --------------------------   上記のコメントに、私は完全に納得しました。翻訳の適切さはどうあるべ きか、なかなかむずかしい問題のようです。翻訳について、あらためて奥の深 さをしりました。専門家の見解には感心させられます。   この方の意見を参考に、記事の翻訳文をホームページに載せるときは、題 名を「戦争の傷跡、過去にさいなまれる日本の戦争世代」にしようと思います。     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/11/02 - 04711/04713 PFG00017 半月城 英文和訳の適切性(2) ( 7) 97/11/02 22:51 04679へのコメント   #4679, > " wrenching times " とは「ゆがんだ時代」ではなく「苦しかった時代」、 >inadvertently は「偶然に」ではなく「うかつにも」の意味です。   "inadvertently" を「うかつにも」とするのは容易に納得できるのですが、 "wrenching times" を「苦しかった時代」とするのはありきたりの英和辞書を ひくかぎり困難でしたので、翻訳の専門家に聞いてみました。意外にも「苦し かった時代」が正しいとのことでした。黒田さんは相当な英語の使い手のよう ですね。   #4679, > 高山記者が「満州」と訳した箇所は ”northeastern China”と >なっています。これをとらえて半月城さんは「中国東北部を満州になどと、随分 >原文と違っているところがある」と批判されていますが、これはあたらないと >思います。何故なら、そのまえのパラグラフでは ”From the time they invaded >Northeast China in 1931 and ---- " と旧満洲は Northeast China と表記されて >います。従って northeastern Chinaは中国東北部(旧満洲)ではなく、旧支那 >本部東北部の意味でしょう。   まず申し上げたいのは、私は産経新聞、高山論説委員の「満州」という訳 を「批判」するつもりはありません。ホリエ氏の世代では満州という表現が普 通であり、たぶんホリエ氏はクリストフ記者にそのように語っていただろうと 思っています。したがって「満州」という訳は、原文とは違っていても、意訳 として受け入れられると思います。   それにもかかわらず、私がわざわざ「原文と違っているところがある」と 指摘した理由は、そのときの書き込みのなかで、「これは些細なことですが、 高山氏の論文では、中国東北部を満州に、第二次世界大戦を太平洋戦争などと 訳すなど、随所に原文と違っているところがあります。この会議室の特色を考 慮し、私の書き込みの片言に妙な疑問を持たれないよう、あらかじめ指摘して おきたいと思います」と述べたように、私の文章のスミをつついて、ヒステリ ックに品性のない書き込みをする人が現れるのを懸念して、あらかじめ客観的 な指摘をするのが目的でした。   一方、先の専門家は、この「中国東北部」や黒田氏の指摘について、次の ようなコメントを寄せていましたので、ご参考に転載します(転載許可済み)。           ---------------------------- じつは、英語で「northeastern」や「Northeast」という場合、アメリカ に関しては「北東部」と訳すのが通例になっています。北東部は大体において ニューヨーク州やマサチューセッツ州、さらに北方のメイン州などの 地域を一括りにした表現で、そのため、「東北部」という訳をみて一瞬、 おやっと思いました。 ただ、東北部でも北東部でも一緒ですので、中国の場合は「東北部」という 固有名詞になっているようです。ご存じのように中国の東北部は、旧満州国ですが 現在は満州は存在せず、 そのためNYタイムスの記者は「Manchuria」を使わずに「Northeast」などを使って のだろうと推測します。ともあれ、日本では中国東北部よりも満州のほうが通りがよい (理解しやすい)ので、高木記者は「満州」を選んだのであろうと考えます。同様に 第二次世界大戦を太平洋戦争にしたのもその理由ではないかと思います(おそらく 第二次世界大戦とすると、欧州での戦争を思い起こす人もいる、と考えたのかも しれません)。 確かにこうした訳は正確ではないのですが、上述のように高木記者は意図した のだろうと思いますので、ある程度はこの記者の意図も汲んで、この程度の意訳は、 原文の意味を変化させているのでもないのですから、めくじらを立てるほどでもない のではないか、と思います。 さて、次の箇所に移ります。 ===== 日本がこのような認識を持つようになった背景のひとつに、戦争末期、 ウキタさんのような無数の市民が、日本軍のせいで厳しい試練にさらされたことが 挙げられる。 ===== この訳は手直しが必要です。この訳を黒田氏は、次のように訂正しています。 ===== 「戦争末期には、以前 日本軍にひどい目にあわされた人々が出会ったのとおなじような厳しい試練に、 今度は一般市民をもまきこんで、ウキタさんのような人々の多くが堪え忍ば なければならなかった」 ===== この黒田氏の訳は主語が曖昧で読みにくいものになっています。 そして、たぶん「along with」の意味がはっきりと 分からなかったのではないかと思います。 この部分を、直訳調で訳すと次のようになります。 日本においてこうした認識(が形成された)の理由の一つとして、戦争が終わるまで、 ウキタ氏のような多くの人々は - 他の無数の一般市民と共に- かつて日本軍が(他国民に)与えたものと同様の過酷な苦しみに耐え忍ぶことに なったことがある。 これを、分かりやすくするために、次のように大胆に訳しても 構わないのではないかと思います。 かつて日本軍は他の国々の人々に惨禍をもたらしたが、反面では日本において もアメリカ軍によって同様の悲惨な苦しみが与えられ、 戦争が終結するまではウキタ氏のような軍人のみならず、無数の一般市民も 耐え忍ばざるを得なかった。これが日本においてこうした認識が形成された 理由の一つである。 次に、 ===== 彼自身は誰も殺さなかったが、「that in the entire war he saw only one barbaric incident」 生涯忘れられない野蛮な事件を目撃したと語った。 ===== この部分は、 彼自身は誰も殺さなかったと語った。さらに、決して忘れることのできない 記憶となっているとはいえ、目撃した残虐行為は戦争全体を通じて一例だけ だったと付け加えた。 ではどうでしょうか。              -------------------   この専門家のご指摘はもっともなので、そのように訂正したいと思います。     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 04713/04713 PFG00017 半月城 皇軍のカニバリズム ( 7) 97/11/02 22:53 04642へのコメント   #4642, > 何しろ人肉食は中国文化の基層に組み >込まれていましたからね。例を挙げれば、かの劉備玄徳がとある村で一夜の宿を >求めたとき、その家の主が妻を殺し、その肉を料理して客をもてなしたくだりが >「三国志」にあります(小川環樹訳、完訳三国志 第19回-岩波書店)。いう >までもなく作者はこれを美談として物語にしているのです。   文化の基層? よくわからない言葉です。三国志の時代といえば、日本で は弥生時代です。そんな二千年近い昔の物語が文化の基層になっているという 主張は、なにやら土人党の方の主張と一脈通じるものがあるのでしょうか?   基層や深層などという語はたぶんに感覚的なもので、それだけに一般論と して、独創的というか、独善的というか、とにかく奇妙な発想につながりやす いものです。   さて、話題のカニバリズムについてですが、これに関連して、旧日本軍の 辻正信参謀をめぐって次のようなエピソードが伝えられています。             ---------------------------   人間が人間を食べる・・・。   たしかに、聞くにいたましく恐ろしい話である。耳を塞ぎたくなる。聞い た話をそっくりそのまま耳から捨て去りたい衝動にかられる。   人間が人間を食べたことについて、元後方参謀中尉からこんな話を聞いた。  「アメリカハムっちゅうてね・・・アメリカ兵の人肉を食べたことがありま したよ・・。飛行士でした。イギリス軍に配属になっておった兵士です。単座 偵察機できたのを撃ち落としたんですわ。ところが、墜落したところにいった ら生きておったんですね。参謀がすぐに調書を取って資料を作った。   その後ですよ・・・おまえ、川で体を洗ってこいといって洗わせましてね、 その後、そいつの首をはねた。辻正信参謀でした。死んだ体の肉をそぎ、腿の 肉を塩漬けにしたんです。   わたしがそれを知ったのは、一カ月ほどしてです。瓶の中に入れて落とし 蓋をし、その上に石がのっけてあった。その塩漬けの腿の肉を取り出してジ ュージュー焼いて、おまえも食べろっちゅうわけですよ。焼く前は、薄いきれ いなピンク色をしておった。私はとても食べられん、かんべんしてくれって言 いましたら、敵愾心が足りんと怒られましてね。辻参謀は、作戦主任参謀で、 強い人だった。戦況の偵察に、自分で第一線まで出かけていって確かめる行動 力のある軍人でしたよ。日本が降伏すると知ると、なぜ最後まで戦わんのかと、 あのときはそりゃ大変でしたわ」   これらの話を、「戦争だから仕方なかったのだ」という形で顛末をつけて しまうことは、もうとうしたくはない。人肉を食べた話も、「生きて虜囚の辱 めを受けず」というあの戦陣訓を叩きこまれ自決していった兵士らの話も、何 万という朝鮮人女性をその祖国から連れだし、あるいは侵略地の女性を、ある いは捕虜収容所の女性を、戦場の兵士の性の相手にさせたという話も、植民地 下朝鮮の男たちを軍需産業へ、あるいは戦場へ強制的に駆りだしていった話も、 そのどれもが「戦争だから仕方ない」として片づけられるものではなく、侵略 の行きついた先にある戦争の実像としてとらえなければならない。 (西野留美子「従軍慰安婦と15年戦争」明石書店)            -----------------------------   一方、千葉大の秦教授は、戦時中の父島事件を中心に、皇軍のカニバリズ ムを次のように分析しています。 (秦郁彦「昭和史の謎を追う(下)」文芸春秋)            -----------------------------   第二次大戦でカニバリズム(人肉食)が登場するのは、太平洋戦線の日本 軍だけのようだ。大小の離島に置き去りにされ、飢餓の淵をさまよう戦争は、 日本軍にも初経験であった。200万を超える戦没者の7割前後が広義の飢餓 によって倒れたとする試算もあるくらいだが、実数は確かめようもない。   指揮系統が切れ、軍規が崩壊した前線の末端でカニバリズムが横行したと いう風聞は、決して少なくない。ニューギニア、ガダルカナル、フィリッピン、 インパール戦線の従軍記には、この種の内輪話がよく出るが、事柄が事柄なの でほとんど間接話法で語られている。   東京裁判には、ニューギニア戦線で1944年12月、第18軍司令官か ら「連合軍の屍肉を食うことは許すが、友軍の屍肉の場合は処罰する」旨の軍 令が発せられ、該当する4名の兵が処刑された事実が報告された(1946.12.11 法廷記録)。   それ以上の詳細は模糊としてつかめないが、カニバリズムが連合軍の法廷 で裁かれたのは父島事件だけであり、それも飢餓という極限状況下の事件でな かっただけに人々を驚かせた。   文献によっては父島の食生活が窮迫していたとするものもあるが、カニバ リズムを少しでも正当化するほどの条件がなかったのは確実である。   部隊により給養の程度に差はあったが、前記の鍵和田は終戦直前まで定量 5合の白米が2合7勺に落ちた程度で、終戦後は3合5勺に増量された、と回 想する。日本内地よりはむしろ恵まれた食料事情といってよい。   その他の条件も、父島は決して悪くはなかった。空襲も断続的、散発的で 死者も毎回数名の程度にとどまっていた。島民は内地へ疎開していたので、被 害はほとんど出ていない。   処刑と人肉食が硫黄島上陸の直後に集中しているので、苦戦する友軍への 同情が、復讐感情の爆発をもたらしたと見る向きもあるが、父島部隊は硫黄島 部隊とは編成がまったく別で、連帯感は薄かったという。   そうなると、原因はある種の集団的異常心理としか考えられないが、死刑 になった中島中尉が判決直後に「捕虜になると国賊扱いにする日本国家のあり 方が、外国捕虜の虐待へと発展したのではないでしょうか。捕虜の虐待は日本 民族全体の責任なのですから、個人に罪をかぶせるのはまちがっていません か。・・・私は国家を恨んで死んで行きます」とボロボロ涙を流しながら堀江 に訴えたのが、カギになるかも知れない。   たしかに捕虜になるのを禁じられた日本人に、敵の捕虜を愛護する感情が 生まれるはずはなかった。孤島父島の将兵は、いわば逃げ道のない袋のネズミ であった。きっかけがあれば、その抑圧感からモラルがとめどなく堕落してい く可能性はあったと思われる。            --------------------------   皇軍の人肉食については、河原巧さんの推薦図書である、大岡昇平の戦争 文学「野火」に描かれ、衝撃的に一般にも知られるようになりました。(そう いえば、河原さんはいつぞやの「謝罪」論議以来、この会議室にパッタリ姿を 見せないようですが、どうされたのでしょうか? 案じられます)   人肉食はあまりにも衝撃的であるために、国際的にさまざまな波紋を起こ しました。父島事件を裁いたグアム法廷について、米軍新聞のグアム・ニュー スが大々的に取り上げていたようですが、ある日、突然に報道を中止しました。 なんでも、アメリカ本土の母親たちが<息子は名誉ある戦死と信じていたのに、 敵に食べられてしまったとは>と大統領に訴えた結果、中止になったようです。   事情はオーストラリアでも同じで、政府は被害者の近親に与える精神的シ ョックなどを考慮し、情報秘匿の立場を採用しました。そうした経緯は、A級 戦犯を裁いた東京裁判にも影響を与えました。これについて、メルボルン大学 の田中利幸氏はこう語っています。           -------------------------   東京裁判でこれを取り上げれば、証拠書類として彼(ウエッブ裁判長、 オーストラリア)が作成した関係書類が当然提出されることになり、百名を優 に越す犠牲者の名前が明らかとなる。   世界各国から派遣されて東京裁判を傍聴しているジャーナリストたちがい っせいにこの問題を報道し、オーストラリアのプレスでも大問題として取り上 げられるであろう。   オーストラリア国内の犠牲者の近親者へのインパクト、また戦没者の親族 全般の間に呼び起こすであろう死亡状況への深い疑念、これらは重大な政治問 題を引き起こすことは間違いない。   こうした可能性を考えてウエッブとオーストラリア検察陣は、この問題を 審理リストからはずしてしまったのではなかろうか。 (粟屋憲太郎他「戦争責任・戦後責任」朝日選書)            --------------------------   あまりにも影響が大きすぎるのと、プライバシーに対する配慮からこの問 題は東京裁判では封印されてしまったようです。一方で、人肉食が戦争犯罪に 該当するのかどうかは議論の余地がありそうです。   BC級犯罪を調査している岩川隆は「人肉嗜食という行為は猟奇の感を免 れないが、法的には、いわゆる<死体毀損侮辱>という種類のもので、グアム 法廷の長であるマーフィ大佐も、とくにこれを戦争犯罪として訴追しなかった。 まがりなりにも、感情と法は別、という態度がみてとれた」と書いているよう です。   しかし、捕虜の人権は日本も調印だけしたジュネーブ条約により、「人道 的に扱われなければならず、また暴行、侮辱及び公衆の好奇心に対して特に保 護されなければならず、その人格及び名誉を尊重される権利がある」とされて います。   したがって、すくなくとも塩漬けにされたり、焼肉にされたのでは捕虜の 名誉が尊重されたとはいいがたいのではないかと思います。   東京裁判で人肉食が免責された影響を、前掲書で田中氏は次のように述べ ています。  「東京裁判でこの問題を取り扱うことが避けられたため、日本軍の軍指導者 たちのオーストラリア兵、インド・パキスタン人捕虜、ニューギニア原住民な どの被害者に対する責任がうやむやにされただけでなく、彼らが十数万人とい う数の自国の兵隊をジャングルに置き去りにし、飢餓に追いやり、『人肉食』 という極めて非人道的な行為に走らせ、その多くを餓死させたという、その重 大な事実を日本人自身が国民総体の共通の認識として獲得する機会を抹殺して しまった」  「この『人肉食』問題は日本軍指導者たちが日本国民に対して犯した戦争犯 罪と密接に絡んでいる典型的な例の一つである」     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 04712/04713 PFG00017 半月城 「天声人語」の訂正、<帰化> ( 7) 97/11/02 22:52 04679へのコメント   #4679, >ただ一点 >半月城さんに申し上げたいことがあります。かくも長大な紙幅をさいてクリストフ >リポートを紹介されたからには、そこにかかれていることに真実であり、できるだけ >多くの人々に読んでもらうだけの価値があると認められたためでしょう。   外国紙が伝える日本報道について、私はすべてが真実であるとは毛頭考え ておりません。特派員の予算や言語の壁など制約が多く、そのために100% の正確さを期待することはとうてい無理であると考えています。   私はそうした前提に立って、世界の論調シリーズなどでは海外の新聞が日 本をどのように伝えているのかを知ることに重点をおいています。したがって、 その記者の主張に100%共感しているわけではありません。同時に、記事の 内容を100%信じているわけでもありません。その上で、ささいな誤認にめ くじらをたてず、大意をくみ取り著者の主張を理解するよう心がけています。   そもそも外国の新聞どころか、日本の新聞にも時には間違いや誤報はある ものです。   こうした間違いを読者がどんどん指摘することにより、よりよいものにな っていくのではないかと思います。先日、そんな例が朝日新聞にありました。 それは外国人の帰化をめぐるコラムでした。帰化に関する問題は、この会議室 でもだいぶ興味を持たれている話題ですので、そのてんまつをあえて紹介した いと思います。   問題になった記事は、朝日新聞にのった次のコラムでした。          ----------------------------- 天声人語(朝日新聞、97.10.1)  先日のサッカー日韓戦に、日本人として出場した呂比須ワグナー選手は、十 数年前なら別の姓名を名乗っていたのかもしれない。一九八四年ごろまで、一 部の法務局は、日本の国籍を申請する人に、日本式の姓名を名乗るよう指導し ていたからだ   ▼台湾人を父にもつタレントの蓮舫さんは、十九歳のとき日本の国籍をと った。日本名は日本人の母の姓と、本名の「蓮舫」で申請した。すると、「本 当にいいんですか、日本人じゃないことが名前でわかりますよ」と言われた。 「何が悪いのですか」と言い返したが、一生忘れない言葉だ、と語っている。   ▼国籍を変える事情はさまざまだろう。ただし、国籍が変わることと、民 族の意識が変わることが、一致するとは限らない。そもそも名字と名前は、 「自分が何者であるのか」という、個人のよりどころと深く結びついている。   ▼日本式に変えた姓名を、韓国・朝鮮式に戻したいという訴えが八〇年代 になって起こり、裁判所が次々に認め始めた。それは、「個人」を尊重した結 果にほかならない。「帰化」という言葉を使わない人もいる。君主の臣下にな るという意味があるからだ。いまは人名に使える漢字、ひらがな、カタカナな ら、自由な姓名で申請できる(以下省略)。          -----------------------   この記事に対し、ホームページ「日本籍コリアン・マイノリティのマダン (広場)」を主宰されている鄭良二代表たちがさっそくクレームをつけました。 その骨子は、ホームページ(http://www.osk.threewebnet.or.jp)によると、 次のような内容でした。  1,「一部」の法務局ではなく「全部」であった。  2,「指導」ではなく「強制」だった。  3,1985年以降も日本式氏名の強制を行っているケースがある。   この申し立てを朝日新聞は全面的に認め、下記の記事をのせました。朝日 新聞は意外に率直に訂正に応じるものだと感心しています。         ---------------------------- 天声人語10月20日   日本の国籍を取ろうとする外国人に対し<1984年ごろまで、一部の法 務局は、日本式の姓名を名乗るよう指導していた>と先日、書いた。それは違 う、との指摘が読者から寄せられた。 ▼(1)「一部」法務局ではなく「全部」である。(2)「指導」ではなく 「強制」だった。(3)85年以降も残っている。そういう内容だ。一方、法 務省は十年前、戸籍法の改正が施行された八五年一月からは、それまで「一 部」で行っていた「アドバイス」はやめた、と説明したことがある。 ▼日本の国籍を得た人たちにあらためて聞いた。読者の指摘は正しい。八四 年まではどこの法務局でも、日本式の姓名を名乗るよう求めていたようだ。そ して、ほとんどの人が、その指導を強制だと感じていた。 ▼では、それ以降はどうか。91年に国籍を申請したベトナム難民の例を紹 介する。まず、窓口で「これ以外の文字は使わないように」と漢字表を渡され る。漢字一文字を名字にしようとしたら「一文字ではおかしい」と難色を示さ れた。名前は民族名をカタカナで書こうと考えていたが、「外国人とわかる よ」といわれた。「国籍をとりたかったので、言う通りにしました。 ▼日本式の姓名を促された例は、ほかにもいくつかあった。言い方は丁寧で、 強制的な響きは薄れているらしい。しかし、そうだとしても、これはおかしい。 姓名は「自分が何者なのか」という、個人のよりどころと深く結びついている。 どんな名前にするかは、個人に任せるのが大原則だ。 ▼申請者は、弱い立場にある。役所が日本式の姓名を勧めれば、ことばは優 しくても強制と感じるだろう。いったん名前を付けると、改名は簡単ではない。 そのことを説明するのはいいが、それ以上はおせっかいだ。(以下省略)           ------------------------   鄭代表によれば、1984年までに法務省が配布した「帰化申請の手引 き」には、帰化後に日本式の姓名を名乗るよう明記されており、申請時にはそ の予定姓名を申告するようになっていたとのことでした。   この指導に従わないと、もちろん日本国籍取得は認められませんでした。 しかし、知恵を絞れば方法はあるものです。アイディアの人、ソフトバンクの 孫正義社長は作戦を練り、当時のかたくなな法務省に韓国式の姓「孫」を認め させ、日本籍を取得しました。   その方法は今では語りぐさになっています。まず夫婦同姓原則のもと、日 本人である奥さんの姓を「孫」に変えました。そのうえで、日本人にも「孫」 姓がいることをたてに、日本式の姓である「孫」を日本国籍取得時に認めさせ ました。国際化が叫ばれる現在では、笑い話として語り継がれています。   当時の法務相が日本国籍を取得する人に執拗に求めたもの、それは名も心 もすべて日本人に成りきることでした。この背景には「日本は単一民族」とい う思い入れが、中曽根元首相をはじめとして日本では根強かったのではないで しょうか。   ちなみに目下のところ、日本における最大の少数民族は、アイヌでなく日 本籍コリアンではないかと思います。   おわりになりますが、帰化に対する私の考えはすでにこの会議室に書きま したので、ここではふれないことにします。興味のある方は下記を参照してく ださい。 <半月城通信、2.市民権>  5.定住外国人の地方自治権(5)、帰化と差別(1)  6.定住外国人の地方自治権(6)、帰化と差別(2)  7.帰化と人権  8.帰化と棄民     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/11/09 - 04747/04748 PFG00017 半月城 日本の先住民 ( 7) 97/11/09 17:49 04720へのコメント 松本さん、久しぶりです。#4726, >:  文化の基層? よくわからない言葉です。三国志の時代といえば、日本で >:は弥生時代です。そんな二千年近い昔の物語が文化の基層になっているという >:主張は、なにやら土人党の方の主張と一脈通じるものがあるのでしょうか?  > > なぜ、あるいは私の主張のどこに、それを感じられるのか、興味があ >ります。よろしければ教えていただけませんか?   私は、松本さんが提唱する「土人党」の考えをまったく理解していません。 そのため誤解があることを承知で書きますので、失礼がありましたらご容赦く ださい。   まず、土人党という名称ですが、この言葉から私はすぐに異民族支配の象 徴である「旧土人保護法」を連想します。しかし、松本さんはたしか対馬と縁 が深く、アイヌは遠い存在のようですね。また、松本さんの書き込みのなかに、 キーワードとしてアイヌはなく、かわりに縄文という言葉が登場していたよう に思います。これからすると、土人という蔑称を「先住民」の意味に理解する のが妥当かなと、私は勝手に想像しています。   この前提に立って、私は、土人党を先住民ないしは先住民の記憶を持った 人たちの場であり、その文化をある程度受け継いでいる人たちと勝手に理解し ています。   私の分類では、先住民はアイヌ及び琉球民であり、先住民の記憶を持った 人たちはエミシ、ハヤト、鎌倉人などで、ヤマト民族は該当しません。   ヤマトを除外したのはわけがあります。話は飛びますが、司馬遼太郎さん は「街道をゆく2、韓国へ」でこう記しました。   「明治のころ、日本の東洋学の学者で朝鮮史に関心をもつ多くが、日韓同 祖論という気分であり、喜田貞吉などはその代表的な存在であった。日本にコ ンパスの針を置くことさえやめれば、大きい場所で私はいまでもこれらの考え がまちがっているとは思わないが、しかしこの種の学説は朝鮮人を決して喜ば さなかった」   私も司馬遼太郎さんの考えにほぼ賛成です。埴原和郎氏によれば、古墳時 代、ヤマト民族は渡来人の血がほとんどであり、アイヌに比して先住民の資格 はないと考えています。ただし、アイヌも2、3万年もさかのぼれば、ヤマト と同じように渡来人であったのではないかと思っています。   結局、先住民であるかどうかは、単に渡来時期の差だけではないかと考え ています。     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


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