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03347/03347 PFG00017 半月城 クマラスワミ氏の活動
( 7) 97/06/01 21:33 02386へのコメント 「従軍慰安婦」68
今でも河原さんの「三択式質問」に対し、SKさんのように私の回答を期
待している人がいるようなので、最後まで残った次の質問にコメントしたいと
思います。
>2.クマラスワミと調査団の目的は別であると、
> A.思わない B.思う C.どちらとも言えない
この質問はクマラスワミ氏と調査団とを文法上同格にしていて、その質問
内容は理解しにくいところがあります。どうもこの質問文からすると、河原さ
んは基本的にクマラスワミ氏の役割を誤解されているように見受けられます。
クマラスワミ氏は国連の調査団として来日しましたが、それは特別報告者
としての活動の一部にしか過ぎません。したがって、調査団の目的は特別報告
者・クマラスワミ氏の目的の一部に過ぎません。そのあたりを明確にするため
に、クマラスワミ氏の国連におけ活動のレビューを行いたいと思います。
話はさかのぼりますが92年2月、人権委員会の公開審議においてNGO
が初めて日本軍「慰安婦」に関する情報を提供しました。そのうえNGOは
「慰安婦」は「性奴隷」であり人道に対する罪を構成するとして日本政府に個
人補償の要求をしました。
これをうけて差別防止小委員会などでは、従軍慰安婦などのように国際的
に違法と認識されている人権侵害は、個人に国家賠償を請求する権利があり、
加害国はこうした行為を行った責任者を処罰し、被害者を救済する義務がある
と結論づけました。
その後、人権委員会には、旧ユーゴスラビアの組織的強姦に関する情報が
もたらされ、これら性奴隷問題と組織的強姦の問題はともに国連の強い関心を
呼びました。その波に乗り、下記の各国NGOは、女性に対する暴力特別報告
者制度を人権委員会に設置することを求める活発な活動を展開しました。
国際友和会(IFOR)
韓国挺身隊問題対策協議会・世界キリスト教協議会
共和国元日本軍「慰安婦」太平洋戦争犠牲者補償対策委員会・国際民主法律家協会
朝鮮人強制連行真相調査団・リベレーション
国際法律家委員会(ICJ)
これらNGOの活動が実を結び、スリランカの女性法律家・クマラスワミ
氏は94年4月、国連人権委員会により「女性に対する暴力特別報告者」に任
命されました。その直後から同女史のもとに「国連人権センター」を通じて、
日本軍性奴隷問題を含む女性に対する暴力に関するあらゆる情報が提供されま
した。
クマラスワミ氏はこれらの資料や人権委員会の過去の蓄積資料などを8ヶ
月かけ分析し、95年1月、予備報告書を提出しました。予備報告書は「慰安
婦」問題の概要や被害者である「慰安婦」の要求、首相の謝罪などについて言
及し、「その行為が、国際人道法の下で犯罪であったことが認定されなければ
ならない」という方針を打ち出しました。
クマラスワミ氏の方針は、この問題は今日につながる問題であるので、国
際的に補償の先例を開くというスタンスであり、その意気込みを下記のように
示しました。
「第二次大戦後、約50年が経過した。しかし、この問題は過去の問題で
はなく、今日の問題とみなされるべきである。それは、武力紛争時の組織的強
姦及び性的奴隷制を犯した者の訴追のために、国際的レベルで法的先例を確立
するであろう決定的な問題である。
象徴的行為としての補償は、武力紛争時に犯された暴力の被害女性のため
に『補償』による救済への道を開くであろう」
この予備報告書は95年3月8日、人権委員会により採択されました。さ
らに進んでクマラスワミ氏は公式調査のため、日本、韓国を訪問したのは周知
のとおりです。また、クマラスワミ氏を除く調査団は北朝鮮も訪問しました。
調査団の目的はクマラスワミ報告書によれば次の二点でした。
1.各国政府やNGOからすでに得ている情報を確かめ、関係者に会う。
2.そのような情報に基づいて、女性にたいする暴力の現状、その理由と結
果の改善について結論と勧告をひきだす。
調査中、クマラスワミ女史がとくに心がけたのは、元「慰安婦」の要求を
明確にすることと、日本政府が問題解決のためにどんな救済方法を提案しつつ
あるのかを理解することでした。この言葉どおり、韓国などで元「慰安婦」1
6人から証言を聞きましたが、その結果、同女史は「慰安婦」問題について
「当時一般的であった状況のイメージを作り上げることが可能になった」そう
でした。
さて、クマラスワミ氏が日本政府から得ている資料には、日本政府が道義
的責任を認めた公式文書なども含まれていました。その内容はクマラスワミ報
告書(第1付属文書)によれば次のようなものでした。
パラグラフ、128
1993年8月4日、日本政府は、これは特別報告者にも渡されたが、そ
の日時点までに行われたこの研究の成果を文書にして公表した。同文書は、
「各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものである」とした。
同文書によれば、「慰安所の存在が確認できた国または地域は、日本、中国、
フィリッピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、香港、
マカオおよび仏領インドシナ(当時)」である。
日本政府は、日本軍が直接慰安所を運営した事実を、以下のように認めた。
「民間業者が(慰安所を)経営していた場合においても、旧日本軍がその開設
に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金
や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍
は慰安所の設置や管理に直接関与した」。
パラグラフ、129
また、同文書は、「慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において
軍と共に移動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられた」とし
た。同研究は、募集は多くの場合、民間業者によってなされたが、募集者は
「あるいは甘言を弄し、あるいは畏怖させる等の形で」「本人の意向に反し
て」集める手段をとったとの結論に達した。
さらに同研究は、官憲等が直接募集にあたった場合もあるとした。最後に
同研究は、日本軍が「慰安婦」の移送を承認しかつ便宜を図り、また日本政府
が身分証明書を発給したとしている。
さらにクマラスワミ氏は日本政府から、「多くの場合『慰安婦』は、その
意志に反して集められたこと、および慰安所における生活は『強制的な状況』
の下で痛ましいものであったことをも承認した」とする河野官房長官談話など
の情報も受け取り、日本政府の立場を十分把握しました(注1)。
同氏はこのような訪問調査に基づき人権委員会において96年4月10日、
日本政府に法的責任を認め補償をするよう六項目の「勧告」を含む報告をしま
した(注2)。この報告は万雷の拍手で迎えられ、会議場はしばし拍手が鳴り
やまなかったほどの興奮につつまれたそうでした(戸塚悦郎「圧倒的な支持を
受けるクマラスワミ報告書」、『法学セミナー』96年6月号)。
しかし、クマラスワミ報告書の採決までには一波乱も二波乱もありました。
この報告書が採択されると、日本政府は「女性のためのアジア平和国民基金」
に支障が出ると危機感を持ち、何とかこれを拒絶しようとロビー活動を展開し
ました。その詳細は、半月城通信<「従軍慰安婦」10,国際法(1)>に記
したとおりですが、この試みはアジア各国の反発を受け失敗に終わりました。
次に日本政府は、カナダ提案の「女性に対する暴力の根絶についての決議
案」に、「慰安婦」問題を扱ったクマラスワミ報告書・第1付属文書を含めな
いようロビー活動を行いました(戸塚「挫折した日本政府のクマラスワミ報告
書拒絶要求『法学セミナー』96年7月号)。
その過程でカナダ案について各国間で調整が図られ、最終的に決議案は
「特別報告者の活動を歓迎し、かつその報告書(付属文書を含む)に留意
(テークノート)する」と一段弱い表現に変更されました。妥協後、決議案の
提案は日本を除く56カ国によりなされ、日本を含む全会一致で採択されまし
た。
国連ではこの決議どおりクマラスワミ報告書に留意し、その後も人権委員
会などで「軍事的性奴隷」の議論が展開されているのはよく知られているとお
りです。ここで軍事的性奴隷という言葉は「慰安婦」を意味する国連用語とし
て定着しました。
その後のクマラスワミ氏の消息ですが、同氏は今年4月2日、人権委員会
において議題「女性に対する暴力ほか」で発言しました。内容は予想どおり地
域における問題(強姦、セクハラ、人身売買、宗教的女性差別など)で、今年
の報告書に関連したものでした。これに関連して「慰安婦」問題の論議が人権
委員会で活発に行われましたが、その詳細はここでは割愛します。
この会議で彼女の三年間にわたる特別報告者としての活動が締めくくられ
ました。しかし同委員会でもし再任決議がなされたら、クマラスワミ氏は引き
続き国家による女性に対する暴力の問題を精力的に扱うものと思われます。
(注1)クマラスワミ報告書(第1付属文書)パラグラフ、125
日本政府は、法的責任を受諾していないが、しかし、多くの声明で、第2
次大戦中の「慰安婦」の存在について道義的責任については受諾しているよう
に思われる。特別報告者は、これを歓迎すべき端緒と考える。
特別報告者に日本政府が渡した文書には、いわゆる「慰安婦」問題につい
て道義的責任を受諾する声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長官
による1993年8月4日付談話は、慰安所の存在および慰安所の設置・運営
に旧日本軍が直接・間接に関与したこと、および募集が私人によってなされた
場合でも、それは軍の要請を受けてなされたことを受諾した。談話はさらに、
多くの場合「慰安婦」は、その意志に反して集められたこと、および慰安所に
おける生活は「強制的な状況」の下で痛ましいものであったことをも承認した。
パラグラフ、126
その談話で、日本政府は「その出身地のいかんを問わず、・・・数多くの
苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対して
心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とした。その談話で、日本政府は
「われわれは歴史研究と歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとど
め、同じ過ちを決してくり返さないという固い決意」を表明した。
(注2)同パラグラフ、137
日本政府は、以下を行うべきである。
(a)第二次大戦中に日本帝国軍によって設置された慰安所制度が国際法の下
でその義務に違反したことを承認し、かつその違反の法的責任を受諾する
こと。
(b)日本軍性奴隷の被害者個々人に対し、人権および基本的自由の重大侵害
被害者の現状回復、賠償および更正への権利に関する差別防止少数者保護
小委員会の特別報告者によって示された原則に従って、賠償を支払うこと。
多くの被害者が極めて高齢なので、この目的のために特別の行政的審査会
を短期間に設置すること。
(c)第二次大戦中の日本帝国軍の慰安所および他の関連する活動に関し、日
本政府が所持するすべての文書および資料の完全な開示を確実なものにす
ること。
(d)名乗り出た女性で、日本軍性奴隷制の女性被害者であることが立証され
る女性個々人に対し、書面による公的謝罪をなすこと。
(e)歴史的現実を反映するように教育内容を改めることによって、これらの
問題についての意識を高めること。
(f)第二次大戦中に慰安所への募集および収容に関与した犯行者をできる限
り特定し、かつ処罰すること。
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
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