半月城通信
No. 34

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 「従軍慰安婦」68,クマラスワミ氏の活動
  2. 「従軍慰安婦」69,首相の謝罪と歴史認識
  3. 「従軍慰安婦」70,国民基金の評判


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/06/01 - 03347/03347 PFG00017 半月城 クマラスワミ氏の活動 ( 7) 97/06/01 21:33 02386へのコメント   「従軍慰安婦」68   今でも河原さんの「三択式質問」に対し、SKさんのように私の回答を期 待している人がいるようなので、最後まで残った次の質問にコメントしたいと 思います。 >2.クマラスワミと調査団の目的は別であると、 >  A.思わない B.思う C.どちらとも言えない   この質問はクマラスワミ氏と調査団とを文法上同格にしていて、その質問 内容は理解しにくいところがあります。どうもこの質問文からすると、河原さ んは基本的にクマラスワミ氏の役割を誤解されているように見受けられます。   クマラスワミ氏は国連の調査団として来日しましたが、それは特別報告者 としての活動の一部にしか過ぎません。したがって、調査団の目的は特別報告 者・クマラスワミ氏の目的の一部に過ぎません。そのあたりを明確にするため に、クマラスワミ氏の国連におけ活動のレビューを行いたいと思います。   話はさかのぼりますが92年2月、人権委員会の公開審議においてNGO が初めて日本軍「慰安婦」に関する情報を提供しました。そのうえNGOは 「慰安婦」は「性奴隷」であり人道に対する罪を構成するとして日本政府に個 人補償の要求をしました。   これをうけて差別防止小委員会などでは、従軍慰安婦などのように国際的 に違法と認識されている人権侵害は、個人に国家賠償を請求する権利があり、 加害国はこうした行為を行った責任者を処罰し、被害者を救済する義務がある と結論づけました。   その後、人権委員会には、旧ユーゴスラビアの組織的強姦に関する情報が もたらされ、これら性奴隷問題と組織的強姦の問題はともに国連の強い関心を 呼びました。その波に乗り、下記の各国NGOは、女性に対する暴力特別報告 者制度を人権委員会に設置することを求める活発な活動を展開しました。  国際友和会(IFOR)  韓国挺身隊問題対策協議会・世界キリスト教協議会  共和国元日本軍「慰安婦」太平洋戦争犠牲者補償対策委員会・国際民主法律家協会  朝鮮人強制連行真相調査団・リベレーション  国際法律家委員会(ICJ)   これらNGOの活動が実を結び、スリランカの女性法律家・クマラスワミ 氏は94年4月、国連人権委員会により「女性に対する暴力特別報告者」に任 命されました。その直後から同女史のもとに「国連人権センター」を通じて、 日本軍性奴隷問題を含む女性に対する暴力に関するあらゆる情報が提供されま した。   クマラスワミ氏はこれらの資料や人権委員会の過去の蓄積資料などを8ヶ 月かけ分析し、95年1月、予備報告書を提出しました。予備報告書は「慰安 婦」問題の概要や被害者である「慰安婦」の要求、首相の謝罪などについて言 及し、「その行為が、国際人道法の下で犯罪であったことが認定されなければ ならない」という方針を打ち出しました。   クマラスワミ氏の方針は、この問題は今日につながる問題であるので、国 際的に補償の先例を開くというスタンスであり、その意気込みを下記のように 示しました。   「第二次大戦後、約50年が経過した。しかし、この問題は過去の問題で はなく、今日の問題とみなされるべきである。それは、武力紛争時の組織的強 姦及び性的奴隷制を犯した者の訴追のために、国際的レベルで法的先例を確立 するであろう決定的な問題である。   象徴的行為としての補償は、武力紛争時に犯された暴力の被害女性のため に『補償』による救済への道を開くであろう」   この予備報告書は95年3月8日、人権委員会により採択されました。さ らに進んでクマラスワミ氏は公式調査のため、日本、韓国を訪問したのは周知 のとおりです。また、クマラスワミ氏を除く調査団は北朝鮮も訪問しました。 調査団の目的はクマラスワミ報告書によれば次の二点でした。 1.各国政府やNGOからすでに得ている情報を確かめ、関係者に会う。  2.そのような情報に基づいて、女性にたいする暴力の現状、その理由と結   果の改善について結論と勧告をひきだす。   調査中、クマラスワミ女史がとくに心がけたのは、元「慰安婦」の要求を 明確にすることと、日本政府が問題解決のためにどんな救済方法を提案しつつ あるのかを理解することでした。この言葉どおり、韓国などで元「慰安婦」1 6人から証言を聞きましたが、その結果、同女史は「慰安婦」問題について 「当時一般的であった状況のイメージを作り上げることが可能になった」そう でした。   さて、クマラスワミ氏が日本政府から得ている資料には、日本政府が道義 的責任を認めた公式文書なども含まれていました。その内容はクマラスワミ報 告書(第1付属文書)によれば次のようなものでした。 パラグラフ、128   1993年8月4日、日本政府は、これは特別報告者にも渡されたが、そ の日時点までに行われたこの研究の成果を文書にして公表した。同文書は、 「各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものである」とした。 同文書によれば、「慰安所の存在が確認できた国または地域は、日本、中国、 フィリッピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、香港、 マカオおよび仏領インドシナ(当時)」である。   日本政府は、日本軍が直接慰安所を運営した事実を、以下のように認めた。 「民間業者が(慰安所を)経営していた場合においても、旧日本軍がその開設 に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金 や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍 は慰安所の設置や管理に直接関与した」。 パラグラフ、129   また、同文書は、「慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において 軍と共に移動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられた」とし た。同研究は、募集は多くの場合、民間業者によってなされたが、募集者は 「あるいは甘言を弄し、あるいは畏怖させる等の形で」「本人の意向に反し て」集める手段をとったとの結論に達した。   さらに同研究は、官憲等が直接募集にあたった場合もあるとした。最後に 同研究は、日本軍が「慰安婦」の移送を承認しかつ便宜を図り、また日本政府 が身分証明書を発給したとしている。   さらにクマラスワミ氏は日本政府から、「多くの場合『慰安婦』は、その 意志に反して集められたこと、および慰安所における生活は『強制的な状況』 の下で痛ましいものであったことをも承認した」とする河野官房長官談話など の情報も受け取り、日本政府の立場を十分把握しました(注1)。   同氏はこのような訪問調査に基づき人権委員会において96年4月10日、 日本政府に法的責任を認め補償をするよう六項目の「勧告」を含む報告をしま した(注2)。この報告は万雷の拍手で迎えられ、会議場はしばし拍手が鳴り やまなかったほどの興奮につつまれたそうでした(戸塚悦郎「圧倒的な支持を 受けるクマラスワミ報告書」、『法学セミナー』96年6月号)。   しかし、クマラスワミ報告書の採決までには一波乱も二波乱もありました。 この報告書が採択されると、日本政府は「女性のためのアジア平和国民基金」 に支障が出ると危機感を持ち、何とかこれを拒絶しようとロビー活動を展開し ました。その詳細は、半月城通信<「従軍慰安婦」10,国際法(1)>に記 したとおりですが、この試みはアジア各国の反発を受け失敗に終わりました。   次に日本政府は、カナダ提案の「女性に対する暴力の根絶についての決議 案」に、「慰安婦」問題を扱ったクマラスワミ報告書・第1付属文書を含めな いようロビー活動を行いました(戸塚「挫折した日本政府のクマラスワミ報告 書拒絶要求『法学セミナー』96年7月号)。   その過程でカナダ案について各国間で調整が図られ、最終的に決議案は 「特別報告者の活動を歓迎し、かつその報告書(付属文書を含む)に留意 (テークノート)する」と一段弱い表現に変更されました。妥協後、決議案の 提案は日本を除く56カ国によりなされ、日本を含む全会一致で採択されまし た。   国連ではこの決議どおりクマラスワミ報告書に留意し、その後も人権委員 会などで「軍事的性奴隷」の議論が展開されているのはよく知られているとお りです。ここで軍事的性奴隷という言葉は「慰安婦」を意味する国連用語とし て定着しました。   その後のクマラスワミ氏の消息ですが、同氏は今年4月2日、人権委員会 において議題「女性に対する暴力ほか」で発言しました。内容は予想どおり地 域における問題(強姦、セクハラ、人身売買、宗教的女性差別など)で、今年 の報告書に関連したものでした。これに関連して「慰安婦」問題の論議が人権 委員会で活発に行われましたが、その詳細はここでは割愛します。   この会議で彼女の三年間にわたる特別報告者としての活動が締めくくられ ました。しかし同委員会でもし再任決議がなされたら、クマラスワミ氏は引き 続き国家による女性に対する暴力の問題を精力的に扱うものと思われます。 (注1)クマラスワミ報告書(第1付属文書)パラグラフ、125   日本政府は、法的責任を受諾していないが、しかし、多くの声明で、第2 次大戦中の「慰安婦」の存在について道義的責任については受諾しているよう に思われる。特別報告者は、これを歓迎すべき端緒と考える。   特別報告者に日本政府が渡した文書には、いわゆる「慰安婦」問題につい て道義的責任を受諾する声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長官 による1993年8月4日付談話は、慰安所の存在および慰安所の設置・運営 に旧日本軍が直接・間接に関与したこと、および募集が私人によってなされた 場合でも、それは軍の要請を受けてなされたことを受諾した。談話はさらに、 多くの場合「慰安婦」は、その意志に反して集められたこと、および慰安所に おける生活は「強制的な状況」の下で痛ましいものであったことをも承認した。 パラグラフ、126   その談話で、日本政府は「その出身地のいかんを問わず、・・・数多くの 苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対して 心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とした。その談話で、日本政府は 「われわれは歴史研究と歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとど め、同じ過ちを決してくり返さないという固い決意」を表明した。 (注2)同パラグラフ、137   日本政府は、以下を行うべきである。 (a)第二次大戦中に日本帝国軍によって設置された慰安所制度が国際法の下   でその義務に違反したことを承認し、かつその違反の法的責任を受諾する   こと。 (b)日本軍性奴隷の被害者個々人に対し、人権および基本的自由の重大侵害   被害者の現状回復、賠償および更正への権利に関する差別防止少数者保護   小委員会の特別報告者によって示された原則に従って、賠償を支払うこと。   多くの被害者が極めて高齢なので、この目的のために特別の行政的審査会   を短期間に設置すること。 (c)第二次大戦中の日本帝国軍の慰安所および他の関連する活動に関し、日   本政府が所持するすべての文書および資料の完全な開示を確実なものにす   ること。 (d)名乗り出た女性で、日本軍性奴隷制の女性被害者であることが立証され   る女性個々人に対し、書面による公的謝罪をなすこと。 (e)歴史的現実を反映するように教育内容を改めることによって、これらの   問題についての意識を高めること。 (f)第二次大戦中に慰安所への募集および収容に関与した犯行者をできる限   り特定し、かつ処罰すること。     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/06/08 - 03410/03410 PFG00017 半月城 首相の謝罪と歴史認識 ( 7) 97/06/08 23:00 03330へのコメント   「従軍慰安婦」69   ¥顧問さん、世界における謝罪の具体例の紹介ありがとうございます。かなり例 があるものですね。ところで¥顧問さんの引用記事ですが、英文は正直言って読むの に苦労します。できれば訳文も載せていただけないでしょうか。特にアメリカ議会で、 日本による戦争犠牲者に対し公式の謝罪と補償を求める運動は興味をそそられます。   一方、私は日本の首相が過去に行った謝罪を、韓国を中心に調べましたので紹介 します。また歴代の首相がどのような歴史認識を持っていたのか報道記事から拾って みました。   かって、オーストラリアのキーティング首相は日本の戦争責任について「どんな 悪いことが行われたのかを認めずに謝罪しても意味がない」と述べましたが(朝日新 聞,95.8.14)、この批判に下記の首相全員が果たしてこたえられるでしょうか。 1.海部首相   最初に韓国におわびの気持ちを述べたのは海部首相でした。海部首相は90年5 月、盧泰愚(ノ・テウ)大統領来日時に「朝鮮半島の方々が、わが国の行為により耐 えがたい苦しみと悲しみを体験されたことを謙虚に反省し、率直におわびの気持ちを 表明したい」と述べました。しかし、この「気持ちを表明したい」という表現は解釈 の仕方によっては謝罪したといえないかもしれません。 2.宮沢首相   一方、韓国に明確に謝罪したのは宮沢首相でした。宮沢首相は92年1月16日 訪韓、盧泰愚(ノ・テウ)大統領と会談した席で「従軍慰安婦」に関しおわびを表明 しましたが、それに至る経緯は下記のようにあわただしいものがありました。   宮沢首相訪韓の数日前、旧日本軍が中国大陸で「慰安所」設置や管理を実施した ことを示す文書が防衛庁防衛研究所図書館で吉見教授により発見されました。この資 料を検討した日本政府は、「従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が何らか の形で関与していたことは否定できないと思う」と旧日本軍の関与を初めて認めまし た。このような動きの中で、予定どおり訪韓した宮沢首相は次のように謝罪しました。   「朝鮮半島の、いわゆる従軍慰安婦の方々が体験された苦しみを思うと胸がつま る思いがする。従軍慰安婦の方々の募集や慰安所の経営に旧日本軍が何らかの形で関 与したことは否定できないと思う。この機会に改めて、従軍慰安婦として筆舌に尽く しがたい辛苦をなめられた方々に対し衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい。 政府としては昨年末から関係省庁において、この問題にわが国の政府がいかに関与し てきたかを調査しており、今後とも誠心誠意調査を行う。閣下にも深いおわびの言葉 を申し述べたい」(毎日新聞、92.1.18) 3.細川首相   次に登場した細川首相は、先の戦争を「侵略戦争」と明快に言い切りました。し かしその後、国会などでは「侵略行為」とトーンダウンしたようです。   93年11月、細川首相は韓国・金泳三大統領との会談で、過去の日本の植民地 支配に具体的に触れ「加害者として心より反省し、深く陳謝したい」と率直に述べま した。この陳謝は歴代首相として初めてということもあり、韓国から高く評価されま した。特に陳謝という言葉を、韓国政府筋は「韓国では謝罪は単に謝るだけで、陳謝 はそれより踏み込んだ感じ」と受け取りました(読売新聞、95.5.8)。   そうした韓国の雰囲気を反映し、日本でも毎日新聞は「日韓、言葉から友好具現 の時代へ」と社説を掲げたほどで、未来志向を予感させる謝罪でした。しかし、残念 ながら細川政権は短命に終わってしまい、その精神の具体化は先送りされました。 4.村山首相   94年7月、社会党出身の村山首相は訪韓、日本の植民地支配についての細川首 相の趣旨を受け継ぎ「わが国の植民地支配が朝鮮半島の多くの人々に耐え難い苦しみ と悲しみをもたらしたことについて心からのおわびと厳しい反省の気持ちをお伝えし たい」と述べました。ただし、焦点の「従軍慰安婦」については「鋭意検討中」とだ け述べ具体的な発言はしませんでした。   また村山首相は95年8月15日、終戦記念日に下記の談話を発表し、韓国に限 らず日本の植民地支配や侵略で被害を受けた人々に対し率直に謝罪し、海外で大きく 報道されたのは特筆に値します。  「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡 の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々 に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故 に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省 の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明します。また、この歴史がもたらした内 外すべての犠牲者に哀悼の念を捧げます」   歴代首相の中で、村山首相は言葉だけでなく、謝罪を形に表そうと一番努力した 首相でした。サハリン問題、「女性のためのアジア平和国民基金」の創立、戦後50 年国会決議など、その内容はともかく日本の戦争責任に最も誠実に対応した首相では ないかと思います。 5.橋本首相   96年、韓国を訪問した橋本首相は金泳三大統領との共同記者会見で「従軍慰安 婦」問題にふれ、「これほど女性の名誉と尊厳を傷つけた問題はない。心からおわび と反省の言葉を申し上げたい」と述べました。さらに「従軍慰安婦」本人に対しては、 「女性のためのアジア平和国民基金」を受け取った人だけに「おわびの手紙」を送り 謝罪したのは周知のとおりです。   また橋本首相はこの年の8.15戦没者追悼式において、過去の戦争についてふ れ、「また、あの戦いは、多くの国々、とりわけアジアの諸国民に対しても多くの苦 しみと悲しみを与えました。私はこの事実を謙虚に受けとめて、深い反省とともに、 謹んで哀悼の意を表したいと思います」と反省の念を述べました。 6.羽田首相   順番が入れ替わりましたが、村山首相前任の羽田首相は在任期間が短く、謝罪に ついてふれる機会がなかったようです。退任後、戦争責任についての認識を朝日新聞 に投稿(95.9.8)していますので、この稿の締めくくりとして紹介します。          ーーーーーーーーーーーーーーー 「過去の直視」を行動で示そう        羽田 孜 (前半略)   戦争の悲劇性は、時として被害者を加害者に、加害者を被害者にしてしまうこと である。あの時代に生きた日本人の一人ひとりはこの双方の側面を併せ持つかもしれ ないが、国政をあずかる者はそうはいかない。まず、あの戦争を回避できなかったの かを真摯(しんし)に反省し、その戦争の教訓を風化させないためにも、常に歴史と 真っ正面から対峙(たいじ)することが責務である。   先に国会で採択された戦後50年の決議は、われわれ新進党のみならず、与党内 からも70人に及ぶ欠席者を出した。反対者は「歴史の評価を、当時に責任を持たな かった政治家がすべきではない」「すでに歴代の首相がおわびしている」「戦争でな くなった人々の霊を冒涜(ぼうとく)する」といった理由を挙げる。これは大きな誤 りといわねばならない。   「今」を負託された政治家は、この国の「過去」と「未来」にも責任を持つべき である。諸外国との間で絶えることのない戦争責任をめぐる論議を、今の政治家が正 面から受け止めなければ、結果的に、その責任を戦争で亡くなった方々に押しつける ことになる。それこそ英霊に対する冒涜とはいえまいか。   政治家の中には、先の大戦を「アジア解放のための戦いであり、欧米列強の植民 地支配から解放したのだ」と主張する人もいる。そうであるなら、「解放後」には、 アジアの諸地域から引き揚げる決意、意志があったことを証明しなければ、アジアの 人々も納得すまい。日韓併合を正当化する人は、もし日本人が創氏改名や他国語を強 要されても、民族の誇りは傷つけられなかっただろうか、と考えてみるべきである。   村山富市首相は終戦の日に当たり、わが国が「遠くない過去の一時期、国策を誤 り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多く の国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」という 談話を発表した。   その内容については、私自身一定の評価をしているが、国政の最高責任者として 言葉だけで終わらせるとしたら、決して責任ある態度とはいえまい。8月15日に予 定されていた政府主催の記念式典は、外ならぬ与党内の反対から無期延期を余儀なく され、混乱の揚げ句、改造した新内閣の閣僚からは、近隣諸国の誤解を招く発言が飛 び出している。   政治にとって、「言葉」は非常に重要な要素であるが、その言葉と現実との乖離 (かいり)が著しい分だけ、かえって諸外国の反発と不満も大きいのである。   私自身も率直に反省しなければならない。戦後50年にあたって、大戦とそこに 至った経緯を振り返り、反省し、内外の犠牲者への追悼とおわびを通じて、わが国の 新しい未来への決意を表明すべきだ、としたのは、二年前の総選挙で新生党党首とし て訴えた公約であった。それを果たせなかった責任は、私が負わなければならない。   50年を節目として、私は改めて次の三点を提案したい。 1.8月15日を「平和を考える日」として制定する。 2.各国の歴史家による共同研究の場を日本が提供し、歴史認識を共通のものとする   努力をする。 3.関係各国と教科書を共同で編集し、学校教育でも現代史を重視していく。   過去の問題が一朝一夕には解決できない重い課題であればこそ、日本という国家 が行きつ戻りつせず、たとえ一歩ずつでも歩を進めることが不可欠である。国際社会 での信頼を得るためには、過去に対しても目をそむけぬ国であることを、絶えず行動 で示していかねばなるまい。           ーーーーーーーーーーーーーーーー     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/06/15 - 03473/03473 PFG00017 半月城 国民基金の評判 ( 7) 97/06/15 21:43 03419へのコメント   「従軍慰安婦」70   ¥顧問さん、#3419  >                    なかでも、橋本総理の、従  >軍慰安婦本人に対して送られた手紙は、日本語は持っていないので、下  >に英文を掲げますが、文言上は、丁寧で申し分ないものです。総理から  >彼女らをMadameと呼びかけ最高の敬意を表し、しかも、慰安婦問題への  >当時の軍当局の関与を認めています。「総理として」と明言していますか  >ら、国の謝罪としての効力を持つ正式のものでもあります。受け取った  >人には満足なものと思われるのですが、感想はどうだったのでしょうか。  >どこかで、ご本人の反応を見られましたか?   橋本総理のおわびの手紙は、「女性のためのアジア平和国民基金」を受け取った人 だけに渡されましたが、この手紙と償い金を受け取った元「慰安婦」は感無量なようで す。その一人、フィリッピンのヘンソンさんは日本の償い事業式で「夢が現実となりま した。ようやく日本の政府が・・・」と込み上げてくる感情に言葉を詰まらせたようで した。   また、フィリッピンのあるローラは「疲れました」と語りました。そのもようを毎 日新聞は次のように伝えました。  「疲れました」と元従軍慰安婦の老女が語っていた。フィリピンで14日行われた 日本の償い事業式でのことである。老女は一緒に戦ってきた同志たちと別れて、橋本 竜太郎首相の「おわびの手紙」と償い金200万円を受け取ることにした。  老女は自分の青春を奪い、耐え難い犠牲を強いた日本という国家の責任はあくまで 追及したいという。しかし、もう「デモや集会には参加しない」と涙ぐみながら語っ ていた。「疲れた」というのが償い金の受領に踏み切った元従軍慰安婦たちの率直な 気持ちだろう。51年間も放っておいた責任を痛感する。  今回の一部被害者を先行させた償い事業には、韓国や台湾を中心にして諸団体から 厳しい批判が上がっている。フィリピンでも受取りを拒否する元従軍慰安婦から「分 断行為」との非難が出ている。残念の一語に尽きる。が、それは「女性のためのアジ ア平和基金」が発足したときから分かっていたことだった。・・・ (毎日新聞社説、96.8.16)   一方、韓国で償い金を受け取ったハルモニの心境も複雑なようです。「国民基金」 に対し韓国では「従軍慰安婦」支援団体はいうに及ばず、韓国政府も強く反対していま す。そのため、韓国で償い金をもらうにはたいへんな勇気がいります。そんな中で数人 のハルモニは、残り少ない余生の幸せを求めてひっそりお金を受け取りました。そうし たひとり、金田きみ子さん(軍隊当時の仮名)の心情をマスコミはこう伝えています。  『関係者の話によると、金田さんは集会の席で「私たち元慰安婦はきょう、明日死ぬ かもしれない命。死んでから何億円もらっても意味はない」などと発言。  その上で「日本政府に賠償を要求したい気持ちは変わらないけれども、一時金二百 万円のほかに医療・福祉事業から三百万円の計五百万円を一括して支給してもらえる なら受け取りたいと思っている」と訴え、アジア女性基金の取り組みに理解を示した』 (共同通信、96.12.10)   金田さんは日本政府に二千万円の国家補償を求め、1992年4月、東京地裁に訴 えを起こしています。これからもわかるように、本心はもちろん日本政府に補償を求め ることにあります。この公的補償を求める声は韓国のみならず、フィリッピン「従軍慰 安婦」にも共通します。   フィリッピンでは日本の償い事業式のあった翌日、黒い服を着た元慰安婦約40人 を中心に、支援団体「リラピリピーナ」は日本大使館前でデモを行い、「公的補償でな い民間基金からの償い金は受け取れない。日本政府が補償をすべきだ」と訴えました。 (毎日新聞、96.8.16)   このように日本政府の公的補償を求める声は各国で根強いものがありますが、台湾 でもその例にもれず強硬です。日本政府は5月2日、台湾で「国民基金」に申請を呼び かける新聞広告を出しましたが、これに「従軍慰安婦」支援団体である「台北市婦女救 援社会福利事業基金会(婦援会)」は強く反発しました。台湾政府の委託を受け「従軍 慰安婦」三十数人の認定を行ってきた婦援会は、国民基金を「日本政府の責任を隠そう とする事業だ」と酷評しました(共同通信、97.5.2)。 ¥顧問さん、 >(首相の)謝罪も随分なされたし、いろんな名目で金も随分使ったのでしょう  >が、それが必ずしも問題全体の解決には繋がっていない、何故でしょう  >か。そこがこの問題の本質でしょう。考えさせられます。   まったく同感です。医療・福祉事業として7億円にのぼる国家予算の投入や、国民 基金関係者の懸命の努力などにもかかわらず、¥顧問さんご指摘のように問題の解決に 結びつかないのは、ひとえに日本政府の基本方針がネックになっているのではないかと 思います。台湾・婦援会の張碧琴代表は日本政府に対する不信を次のように語りました 。 「(国民基金を)当事者には政府と無関係な民間基金だといい、国連などの国際的 な 場では、日本政府は基金を通して解決を目指すという。矛盾だらけの組織だ」(朝日新 聞、96.8.27)。   この声に代表されるように、矛盾と取られかねない日本の施策の背景には、個人補 償が他の戦後処理問題に波及することを恐れている日本政府の基本姿勢があります。   本来、日本政府は慰安所の経営や「慰安婦」の募集などについて、当時の政府・軍 の関与や強制性を認めているので、被害者の「従軍慰安婦」に国費で個人補償するのが スジではないでしょうか。これを避ける限り、いくらお金を出しても問題の根本的な解 決はむずかしいのではないかと思います。   お金といえば、「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長・藤岡信勝教授は償い金 について、「たまたま元慰安婦だったというだけでこんな大金を手にできるとすれば、 宝くじに当たったようなものである」と雑誌「サピオ」に記しています。   この人の胸中には、皇軍により踏みにじられた「従軍慰安婦」の苦難を思いやる心 情はまるでないようです。お金の計算がこの人にとってかなり重要な要素なのでしょう か。この発言に、私は藤岡教授の人間性をかいま見た気がします。自国の歴史の誇りに こだわるあまり、外国の被害者への思いやりを欠いた視点で歴史を見るのが自由主義史 観の必然的な帰結なのでしょうか。   話を本題にもどして、国民基金の償い金を受け取った人の数ですが、発足以来10 ヶ月たった5月現在フィリッピンで15人、韓国で7人の合計22人とされています。 当時、8万人とも20万人ともいわれた「従軍慰安婦」全体からするとまさに九牛の一 毛に過ぎません。   彼女たちが真に求めているもの、それがもし「宝くじのような大金」なら、今ごろ 国民基金がパンクするくらい「従軍慰安婦」が押しかけ、この問題はまるくおさまって いることでしょう。しかし残念ながら、この問題においてお金は万能ではないようです 。  多くの「従軍慰安婦」が真に求めているもの、それは自分たちの青春が日本軍の 軍 靴で無惨に蹂躙されたことに対する精神的償いがキーポイントではないでしょうか。し かるに現実は精神的に報われるどころか、フィリッピンのバルサリサさんなどは、元閣 僚・奧野氏の「慰安婦と称する女性たちは商行為に従事していた。強制的に徴用したな どという事実はない」とする発言に深く傷ついているようです(注)。   戦後も後遺症やトラウマ、貧困、社会的蔑視などに苦しみ、いばらの道を歩んでこ られた元「慰安婦」には、何とか心安らかな余生を送られるよう心の底から願わずには いられません。   おわりに、主題の国民基金が国際社会でどのように評価されているかを知るために 、4月に行われた国連人権委員会のもようを報道記事から紹介します。 <従軍慰安婦問題>女性のためのアジア平和国民基金に批判              毎日新聞ニュース速報、97年4月4日  【ジュネーブ4日福原直樹】3日から4日未明にかけて当地で開かれた国連人権委員 会で、アジア各国の代表らから従軍慰安婦問題の解決策として支払いが始まった「女性 のためのアジア平和国民基金」に対し「日本政府の責任回避だ」とする発言が相次いだ 。 日本側はこれまでの基金の活動を紹介し、日本政府が基金の活動資金を支払うなど 、 全面協力していることを表明、各国の理解を求めたが、基金を最終的な解決策とは受け 止めていない国際社会の現実が表面化している。  宣・韓国代表部大使は「日本政府が法的な義務を負うべきだ」とした同委員会特別報 告官・クマラスワミ氏(スリランカ)の報告書を引用。「日本政府はこの1年間、報告 に沿うよう努力していないが……老いた数人の犠牲者に基金を支払い始めている」と基 金を批判。暗に日本政府の謝罪を求めた。  また、韓国の非政府団体(NGO)である「韓国挺身隊問題対策協議会」の申・韓一 神学大学教授は、昨年12月、米が慰安婦問題などにかかわったかつての日本人戦犯に 入国禁止措置をとったことを評価。「犠牲者が求めているのは尊厳で、慈善金ではな い」と基金を批判し、日本の国家賠償を求めた。  朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表も申教授の発言を一部引用し、日本政府に再 度、遺憾の意を表明。さらに中国のNGOも日本政府の対応を批判しており、中国政府 も、来週の演説で批判を行う方針だ。 (注)「慰安婦は商行為」発言に比の元慰安婦が謝罪求める            朝日新聞ニュース速報、96年12月9日  元法相の奥野誠亮衆院議員(自民、奈良三区)らが今年六月の会 見で、「慰安婦は商行為」などと発言したことに対し、フィリピン の被害女性が、名誉を傷つけられたとして九日、奥野氏らと政府に 対し公の場での謝罪と賠償を求めて日本弁護士連合会に人権救済の 申し立てをした。  申し立てたのは、日本政府に国家補償を求める裁判の原告で、フ ィリピンの被害者団体「マラヤ・ロラズ」の事務局長も務めるガー トルード・バリサリサさん(75)。奥野氏と板垣正参院議員(自 民、比例区)の発言を問題にしている。  申立書によると、六月四日の会見で奥野氏らが「慰安婦と称する 女性たちは商行為に従事していた。強制的に徴用したなどという事 実はない」などと発言した。これに対しバリサリサさんは「私は日 本軍の司令官と二人の部下によって自宅から連れて行かれた。決し て商行為としての契約など結んではいない」と反論。「日本軍によ る虐待の証拠は体の傷として残っている」などとし、謝罪を求めて いる。  バリサリサさんに代わって来日した支援者は「発言にどんなに傷 つけられ、怒りを感じたことか。半年たっても忘れられるものでは ないと本人はいっている」と述べた。     http://www.han.org/a/half-moon/  (半月城通信)


ご意見やご質問はNIFTY-Serve,PC-VANの各フォーラムへどうぞ。
半月城の連絡先は
half-moon@muj.biglobe.ne.jp です。