- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策
02857/02857 PFG00017 半月城 日本の戦争責任>世界の論調(8)、中国
( 7) 97/04/27 23:26
このシリーズは、「従軍慰安婦」や日本の戦争責任などの問題は「井の中
の蛙」の議論でなく、世界の土俵でするべきであるという立場から世界各国の
論調を紹介しています。
今回は中国の代表的な新聞、光明日報などをとりあげます。光明日報は日
本の「戦後50年国会決議」をめぐって、世界各国の論調を実によく研究して
いるようです。日本の新聞も、朝日、毎日をはじめ、時事通信社の記事なども
引用していますが、ここでは割愛します。
ーーーーーーーーーーーーー
1.「日本の国会『決議案』を評す」
中国「光明日報」1995年、6月11日
(引用は、和田春樹編「日本は植民地支配をどう考えてきたか」梨の木舎)
(前半省略)
決議案は「全世界の戦死者」に対し、真心から追悼を表している。これは
すなわち、かの日本軍国主義のために、他国を侵略して命がけで働き死んでい
ったともがらに対しても、真心から追悼の意を表すといっているのである。
この侵略者と被侵略者、正義と邪悪とを区別しない、まるで青菜と大根を
区別せず一緒くたに煮るようなやり方のどこが「反省」なのだろうか?
決議案が「過去の戦争に対する歴史観を乗り越えなければならない」こと
を認めるにいたると、さらに問題の本質は回避される。歴史観の違いはどうし
て乗り越えられようか? かの「侵略有理」「侵略有功」を堅持している人々
についていえば、いったいどうして「謙虚に歴史の教訓を学ぶ」ことができよ
うか?
その上、全文にははじめからしまいまで「謝罪」や「おわび」といった字
句は出てこない。
このような決議が、「過去の問題が決して後に尾を引かないようにする決
議」となりえようか? このような決議が、当時日本軍国主義の害を深く被っ
たアジア各国人民の承認をうることができようか?
・・・(日本国内の論調を省略)・・・
国際世論の評価も、おしなべていえばやはり批判的な態度である。韓国の
政府関係者は、この決議は韓国人を満足させることができるものではない、と
表明した。
アメリカの『ニューヨークタイムズ』は皮肉って、決議草案は誠実な謝罪
を述べたというよりは「曖昧」な勝利を説いており、ほとんどアジアの隣国を
信頼させることはできない、これは日本が相変わらず、アジア侵略を自己批判
するについては、ぐずぐずして決断できないことを表明したものだと述べてい
る。
村山首相は戦後処理問題について言及した時に、これは「日本が自分で区
切りをつける問題」であるべきだ、とすでに述べている。日本が過去に引き起
こした戦争は侵略戦争であることをはっきりと認め、かつ明確に責任を引き受
けてこそ、はじめて区切りをつける第1歩となるのである。この決議草案から
みると、少なくとも、この区切りはかなり無理につけたもので、ひどく不格好
な区切りとなったということができる。
戦争が終わってすでに50年経つ。しかし、「人類の歴史時代とその政治
行動を汚したやり方は永遠に忘れることはできない」。もちろん、当時最も深
い被害を受け、最大の犠牲を出し、損失が最もひどかった中国を含むアジアの
人民は、古い借金にこだわって許さないというつもりはない。戦後50周年に
あたって、日本の国会がひとつの決議を行ったのは他人が主張したことでなく、
日本自身の考えである。
シンガポール『連合早報』の一編の文章は以下のように指摘している。
「その実、不戦決議は日本とアジアの折り合いの悪い関係を治癒する特効薬で
はなかった。根本的な問題は、日本がアジアと共通の歴史観を持つかどうか、
戦後のドイツのように自発的に侵略戦争を否定し、積極的に軍国主義が犯した
侵略の罪行を追求することができるかどうかである。そうでなければ、日本は
やはりアジア人民の信頼を得るすべはないのである」。
「前事忘れざれば、後事の師たる」というのは、われわれの基本的な立場
である。われわれには、日本のこの決議案に対し遺憾の意を表すだけの理由が
ある。また、次のように指摘するだけの権利もある。日本がアジアに本当に溶
け込みたいと願い、アジアばかりか全世界で重要な役割を果たして広大なアジ
ア人民の了解をかちとりたいと思うなら、自身の歴史に対する正確で客観的な
認識を決して欠くことはできないのだ、と。 (路石)
2.「日本の動向に注意しよう」
中国「瞭望」1995年6月26日
(引用は、和田春樹編「日本は植民地支配をどう考えてきたか」梨の木舎)
(前半省略)
中国の人民はとうに気をつけていた。80年代に入って以後、日本は力を
つけ、第2次世界大戦と侵華戦争の評価を覆すような文章を書くものが現れは
じめた。まず教科書を書き直し、中国に対する「侵入」を「進入」に改めた。
続いて南京大虐殺を「でたらめ」とする者が現れた。
閣僚たちも次々に靖国神社を参拝し、東条英機を含む歴史上の罪人の亡霊
を慰めた。中国の人民はやはり気をつけていた。日本の歴代内閣閣僚の誰一人
として、侵華戦争が侵略戦争だったと認めたことはなく、せいぜい「侵略行
為」があっとと言及するのみで、ただ前首相の細川護煕が就任した当初にひと
こと、あれは「侵略戦争」だったと述べただけである。
その後、再び話題になったことはなく、その上、日本では、あれは彼個人
の見解であって政府を代表するものではない、とたびたび釈明している。だが
この時、日本の右翼勢力による歴史評価の巻き返し活動は最も集中し、最も突
出し、また最も大胆不敵になった。
まず、この決議の通過に反対する人数の多さは人々の予想を超えた。この
決議を打ち壊すために成立した自民党の「終戦50年議員連盟」は161名の
議員を網羅し、自民党議員のほぼ半分を占め、現在通産大臣の橋本龍太郎は猛
然とここに入った。
この連盟はかの決議に反対する署名運動を行ったが、署名人数はなんと4
56万に達した。その中で、中心となる勢力は「遺族会」と呼ばれる組織で、
140万人いる。これほど多くの人数は、すでに「少数」や「個別」だという
ことはできない。われわれは正気を取り戻して、これが一塊の大きな政治勢力
であることを認めなければならない。
ついで、いわゆる「改めて歴史を検証する」言論が一層集中した。ある者
は、中国に対し「侵略行為」はあったにせよ、その目的は中国と戦争をするこ
とではなかったと述べた。ある者は、日本が戦争を起こしたのは自衛のためで
あったと述べた。さらにある者は、いわゆる大東亜戦争は植民地を解放する戦
争であったと述べた。
彼らは、国会がこのような決議を通過させたら、今後の巻き返しに逃げ場
がなくなることを心配しているのである。かの議員連盟のボスである奧野誠亮
は最も正直である。彼はこう言った。
「もしも謝罪決議、あるいは不戦決議をすれば、日本の歴史上に汚点を残
すことになるだろう」
この言葉はいくぶん奇妙に聞こえるとはいえ、奧野の流派にはおのずから彼ら
の論理がある。歴史上のすべての侵略者、ファシズム分子は皆、墨で書いたで
たらめが、血で書いた歴史を塗りつぶせると信じているものである。彼らは今
ちょうど大変な苦労をして、少しずつ墨で書いたでたらめによって、自身の血
にまみれた歴史を塗りつぶし書き直しているのだ。この不名誉な歴史について
法的効果をもつ正しい総括を行うことをどうして許容できようか?
(途中省略)
日本の国会決議がひきおこした動揺から、右翼言論界の勝手気ままな騒ぎ
まで、われわれはこうしたひとつの厳しい事実、すなわち日本列島上空に充満
している雰囲気はひどく不吉で、ひどく不健康だということを容易に見てとれ
る。そのために日本の国内でも、この国に新たなファシズムが現れるかもしれ
ないと憂慮する人がいるほどだ。
このことに対し、多くのアジアの国々は非常に警戒しており、みな目を見
張って日本の一挙一動に注意している。われわれ中国人はこれまで忠恕という
ことを重視してきた。とはいえ、何を忠恕というか? 世情が険悪になり、人
心が測り知れなくなれば、忠実で情に厚いのは良かろうが、ぼんやりしている
ことは断じて許されないのだ。 (未羊)
3.「問われる日本の主体性」
「歴史観に2つの尺度、右傾化警戒する中国」
郭承敏・沖縄大教授
(引用は朝日新聞、1996年10月7日)
著者紹介
1927年台湾生まれ。台南師範学校、日本の旧制第1高等学校卒業。5
0年中国へ。天津市人民政府外事課、中国共産党中央編訳局日本処副処長など
を経て、91年から沖縄大教授(日中関係史)。中国籍。
(前半省略)
○国会決議に失望
中国の外交は軟弱だろうか。日本の右傾化はどこまですすんでいるのだろ
うか。
対日認識で中国が目を覚まされる思いをしたのは去年の戦後50年「国会
決議」からではないだろうか。すったもんだの末に出てきた決議は、「悪かっ
たのは日本だけではなかった」「お互いさまだった」という不思議な文書で、
謝罪も反省もない、アジアの人々をしらけさせ、失望させるものであった。
その後、日本の伝統になったかのような閣僚の失言が続いた。そのたびに
外国の批判、謝罪、発言撤回、辞職などの繰り返し。だが、よく観察している
と、「失言」は実は「本音」であることが分かる。
しかも、日本の支配層にかなり共通する、侵略戦争や植民地支配の美化に
基づく暴言なのである。発言撤回や辞職はアジアの強い批判を浴びたからであ
る。そうしなければ、国際的な袋だたきにあい、内閣の命取りになりかねない
ので、トカゲのシッポを切るのである。
しかし、本人はもとより確信犯、「不名誉に思うどころか、まるで指をつ
めて英雄にでもなったかのように意気揚々としている。
そこで、アジアの人々は豁然(かつぜん)として悟る。国際的に失笑を買
い、袋だたきにあうような侵略戦争美化の歴史観が仲間うちでは大手を振って
いるのである。日本には尺度が二つある。権力の座にある有力政治家は対外的
にはシッポをつかまれないようなギリギリの国際尺度を用いるが、対内的には
「本音」の尺度が通用するのである。
いま一般に用いられている国際尺度は去年の村山富市首相の談話で、責任
逃れの情のこもらない作文であった。二つの尺度ゆえに日本の歴史教科書は長
きにわたって方向が定まらず、例の失言閣僚OBたちは歴史の改ざんに躍起と
なっていると伝えられる。
○賠償放棄裏目に
去年と今年の中国の対日批判文書で、第2次大戦で中国が被った物質的損
害は6千億ドルに達すると指摘された。72年の国交回復の時、毛沢東と周恩
来は日本人民への配慮から賠償請求権を放棄したが、それは裏目に出たのでは
ないか。
日本の為政者もメディアも、加害者であったことを日本人に忘れさせるた
めに「賠償問題は解決済み」と強調し、さらに日本がいかに円借款などで中国
に援助しているかを喧伝(けんでん)しているのである。
金そのものよりも戦争責任の忘却、歴史の改ざんをもくろむ勢力を利した
点で、後世の歴史家は、毛沢東や周恩来の決定をどう位置づけるだろうか。
トウ小平氏の言葉として、「とう光養かい」が確か90年ごろから中国人
の心すべきことのように伝えられてきた。その意味は、でしゃばらず、才知を
隠して時を待つということだ。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」とは違う。
中国では後の世代に敵討ちの思想を教えていない。
その抑制的だった中国の対外思想が、近来、日本の右傾化に高い調子で批
判を展開し、警鐘を鳴らしている。右傾化をチェックする力として日本の市民
団体は大きな力を発揮していると思う。政界はどうか。今度の総選挙の結果が
注目される。中国とどうつきあうかは、右傾化に懸念がもたれる日本の主体性
こそが問われているのではないか。
(以下省略)
half-moon@muj.biglobe.ne.jp (新ID)
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
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02983/02983 PFG00017 半月城 世界の論調(9)、天皇とマスコミ
( 7) 97/05/03 15:46 02867へのコメント
JKさん、#2867
> いつも、貴重な資料をアップしていただいてありがとうございます。私は、
>日本のマスコミはフェアだとは思いません。ことにテレビはひどい。電波管理
>委員会などがあるから、当局の意向に戦々恐々としています。与党に思わしく
>ない報道があると、国会の証人喚問などといっておどかされます。民間からの
>右翼の殴り込みも警戒しなければいけません。そういう中で、日本マスコミが
>取り上げるべきなのに、取り上げられない報道は貴重だと思います。期待して
>いますから、アップする手間も大変だと思いますが、是非今後とも掲載してく
>ださい。
励ましの言葉をありがとうございます。「世界の論調」シリーズは意外に反響
があり、私も苦労のしがいがあります。ここの会議室では、私がことさら「反日的」
な記事を紹介していると思われている方も多いかもしれませんが、ことナチスのホ
ロコーストや日本の戦争責任に関するかぎり、戦争犯罪を追求する声は今でも根強
く、世界各国で共通するものがあります。そうした一端は、このシリーズである程
度明らかにできたのではないかと思っています。
さて、JKさんの上記のコメントから、私は昭和天皇の崩御をめぐる報道を思
い起こしました。JKさんの意図からはずれることと思いますが、今回はこのビッ
グニュースを日本を含む世界のマスコミがどのようにとらえたのかを紹介したいと
思います。
ーーーーーーーーーーーーーー
[新聞と戦争]/17 平和の中で 天皇報道 集団主義に落ち込む
95.01.29 東京本紙朝刊
(前半省略)
■長崎市長に凶弾
地方議会は争って「ご快癒祈念」を決議。それに異議を唱えたり、天皇の戦争責任
に言及した共産党議員は議会で糾弾され、発言を封じられた。保守系の本島等長崎市
長は「天皇の戦争責任はある」と発言しただけで連日の脅迫にさらされ、ついに銃弾
を浴びた。朝日、毎日両紙は社説をもって発言を擁護したけれど、発言内容への深入
りを避けた。本島市長は「敗戦直後の新聞は、もっと天皇の戦争責任が自由に発言で
きていたのではないかと思いますが、その点が論じられなかったのは残念」と述べて
いる。
要するに言論の自由は守るが、新聞自らは天皇問題で積極的に発言しようとはしな
かった。それが本島市長の無念であり、また外国報道機関の突くところとなった。
天皇の戦争責任を初めに厳しく取り上げたのは九月二十一日の英大衆紙「ザ・サン」
と「デイリー・スター」だった。サンは「日本軍部が四一年に戦争を始めたとき、国
民から神とあがめられていた天皇は戦争をやめさせることができたのに、何もしなか
った」と非難。スターも「天皇の名において無数の犠牲者が残酷な仕打ちを受けた」
と批判した。
外務省が英政府に不快感を表明、当時の渡辺美智雄自民党政調会長が「それらの新
聞特派員に国外退去を求めてはどうか」と発言したことが在京外国特派員を刺激した。
以降、日本の天皇報道も絡めた【東京発】が次々と打電されるのである。
「日本人の心に潜んでいる国粋主義が再び首をもたげている」(韓国・東亜日報九
月二十三日)「天皇の危篤は率直な反省のきっかけとはならず、むしろ事態はその逆
に進んでいる」(独シュピーゲル十月三日)「天皇の戦争責任に関する問題の蒸し返
しは政府高官を少々神経質にさせている」(米ニューヨーク・タイムズ同三十日)
なるほど、日本の新聞は自粛の行き過ぎを戒めてはいた。「集団主義が今でも、い
たるところに見られる」(毎日新聞十月九日)「集団主義が、こと皇室にからむ問題
では、ひときわ敏感に現れる」(朝日新聞九月二十九日)「大勢順応の国民性が、こ
こにも顔をのぞかせたように思われる」(読売新聞十月十八日)と社説で指摘した。
しかし表現の奇妙な一致に見られるように、マスコミ自身が集団主義に埋没していた。
天皇が亡くなられた八九年一月七日の各紙夕刊が「天皇陛下、崩御」で見出しを統
一していたことはよく指摘されるが、それから数日間の集中豪雨的な天皇報道もなべ
て画一的だった。社説などに論調の違いは見られるものの、読む人によっては気付か
ない程度だった。
天皇の戦争責任について表現に苦慮しながら社説で言及したのは朝日新聞だった。
「在位中最大の痛恨事は……日本が逆の方向に押し流されて行くのを止めえなかった
点であろう」「戦争回避のため天皇の影響力がもっと行使されていたならば……との
思いが、昭和史を回顧するだれの胸にも去来するのである」
毎日新聞はもっと注意深く書いた。「陛下の戦争責任を問題にして『天皇制打倒』
『天皇退位』を求める主張も少なくなかった」「天皇であるがゆえに避けられない道
義上の責任、そこに、陛下の人知れぬ苦労がおありであったのであろう」。これに対
して読売新聞は素通りして「その一方で、戦争責任をめぐる論議もあった」と触れた
だけだった。
■厳しい海外論調
これに比べると海外の社説や論説は単刀直入だった。
「いかに否認しようとも、すべての宣戦布告が彼の名によってなされたという事実
までも否認することはできない」(東亜日報一月九日)「晩年の天皇が人の善行を助
けたからといって彼の犯した許すべからざる過ちを巧みにごまかすことはできない」
(香港・経済日報同十一日)「勇気さえあれば流血を食い止め、歴史や第二次世界大
戦の流れを変えることができたかもしれないときに、彼はその力を行使しなかった」
(豪キャンベラ・タイムズ同十日)「天皇の個人的責任をめぐる議論がこれまでなさ
れずにきたことが過去と真剣に取り組むことをほとんどあらゆる領域において疎外し
てきたといえる。……いまや、死者を悪くいうべきでない、という声が聞こえてくる。
このようにして人々は、歓迎すべからざる議論を、将来もしないままで済ませようと
している」(独・南ドイツ新聞同九日)
フィリピンのジャングルから三十年ぶりに生還した元軍人・小野田寛郎氏は報道陣
に一言求められ「私は天皇について絶対に話さないことを決めている」とかたくなに
口をつぐんだ。天皇問題が戦後何年たとうと日本ではタブーであることを知っていた
からだろう。
本島市長はこう言っている。
「(日本では)制限付きの言論の自由という考えを持っている人が多い……言論の
自由のために、たとえ自分がもん絶して死ぬようなことをいわれても、それが暴力や
相手のプライバシーを侵すことや非難中傷などではない限り、受け入れなければなら
ない、そこまで言論の自由が徹底されるようにしなければならない」(『長崎市長の
ことば』)
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策
03116/03125 PFG00017 半月城 日本の戦争責任>世界の論調(10)ドイツ
( 7) 97/05/10 22:53
日本の戦争責任・戦後処理というと、すぐ比較されるのがドイツですが、その
ドイツ自身は日本の戦争責任や戦後処理をどのようにみているのか紹介します。
1.[日曜論争]日独の戦後処理 ゲッパート・ヒールシャーさん/西尾幹二さん
94.08.21 毎日新聞、東京本紙朝刊
第二次世界大戦終結から来年で五十年。日独両国は敗戦の廃虚の中から、世界有数
の経済大国にのし上がった。両国の戦後には類似と相違の二面がある。ともに一九三
五年生まれの、日本をよく知るドイツ人と、ドイツをよく知る日本人に両国の戦後処
理を比較、検証してもらった。(構成=論説委員・五島昭)
◇独の方が誠実に対処 教科書でも反省、不十分--ゲッパート・ヒールシャーさん
1 日本政府は過去から目をそらそうとしてきた。概して日本よりドイツが過去へ
の取り組みが誠実。
2 日本はアジア諸国と歴史の教科書について協議すべきだ。
3 終戦五十周年に当たる来年八月までに国会で過去を反省する決議採択を。
……………………………………………………………………………………………………
過去への対応をめぐり日独両国政府は全く異なる姿勢をとってきた。日本はできる
だけ過去から目をそらそうとし、大きな問題が起きたときだけ仕方なく頭を下げた。
その一例が従軍慰安婦、教科書問題だ。鈴木内閣当時、官房長官だった宮沢喜一氏
は教科書の内容に外国が口出しするのは内政干渉だと反発しながら、首相として訪韓
すると、当時大きな問題になった「慰安婦」について謝罪した。外から圧力がかから
ないと何もしない、という姿勢の表れだ。
ドイツは過去の克服を目指して自らイニシアチブをとり、過去から逃げようとはし
なかった。大陸の真ん中に位置するドイツは戦争で被害を与えた近隣諸国と常に接触
せざるを得ず、過去から目をそらそうとすると、外国から非難されることが分かって
いた。島国の日本は米国の意向だけ気にして他国を軽視した。
日韓正常化交渉時の記録をみると、日本側はひどい態度をとっている。「われわれ
はあなたの国を開発したじゃないか」などと、植民地支配を正当化していると受け取
られても仕方がないような発言まで日本側はしている。全然反省がみられない。
日独の姿勢の違いは、例えば戦争犯罪の追及の仕方にみられる。日本は一九五二年
にサンフランシスコ平和条約が発効して主権を回復したあと、極東軍事裁判で有罪判
決を受けた人々の相当数を恩赦の形で釈放し、過去は清算された、という姿勢を示し
た。
逆にドイツは五五年のドイツ条約発効に伴い西独が主権を回復したあと、ドイツ人
自らの手でナチ犯罪の追及を継続し、敗戦から半世紀近く経た現在も捜査を続けてい
る。賠償・補償についても、西独は主権回復後の五六年に連邦補償法を制定して、ナ
チスに迫害された個人に対する償いを開始した。
日独の戦後の違いは、両国の教科書に端的に表れている。七一年に昭和天皇が西独
を訪問されたとき、私は日本の中・高校の教科書で歴史をどう教えているかを調べた
が、日本が戦争でやったことについての記述が不十分なことに驚いた。量が少ないう
えに現象しか書いていないので、読んでも何が起きたのか分からない。日本の文部省
の意図的な政策としか思えない。
◆ナチスの犯罪を詳述
ドイツの教科書はナチスが犯した犯罪を具体的に取り上げ、だれが参加し、だれに
責任があったか、当時の文書も掲載して詳しく説明している。また、ドイツはポーラ
ンドなどと専門家の会合を開き、両国間の歴史の問題点について整理し、合意できる
点はドイツの教科書に反映させる努力をしている。
戦後教育の在り方も、日独間に大きな違いがある。戦前、ヒトラーの独裁に対しド
イツ国民が反発できなかった理由のひとつは、ドイツ社会に個人主義が確立しておら
ず、国民が集団主義に埋没したことにある。この反省を踏まえて戦後ドイツの教育は
個人の判断力を養い、自立を促し、時には上からの権威に挑戦することを若い世代に
教えてきた。
日本の場合は、戦前も戦後も行動規範は「集団内での調和」にある。社会の中にう
まく溶け込むこと、幼稚園から大学のクラブ活動に至るまで「いい仲間」をつくるこ
とが最大の目標となる。目立たない方がいい、反発しない方がいい、という風土は戦
前と変わっていない。日本の生徒や学生の集団行動はドイツ人からみると、上からの
命令に従順な点で軍隊と変わらない。
もちろんドイツの戦後処理も完全ではない。東西ドイツに分裂していた間、ポーラ
ンド、チェコスロバキアなど旧共産圏諸国に対する償いは十分だったとはいえない。
現在も旧東独再建に追われて財政事情が苦しいので、東欧諸国へあまりカネを払いた
くないのが本音だろう。しかし、概して日本よりドイツの方が過去に誠実に対処して
きたと思う。
◆国会で「反省の決議」を
今後、日本がなすべきことは、まず朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との関係が
正常化した段階で日韓基本条約(六五年)を修正し、過去への反省、賠償を含めた形
で朝鮮半島全体と最終的な戦後処理を実施すること。
中国は政府レベルでは請求権を放棄したが、元慰安婦、強制連行労働者らを含め、
相手国民になんらかの形で補償すべきだ。戦時中「日本人」だった台湾や朝鮮の人が
戦後日本国籍を失ったから補償の対象にならない、といった理屈が国際社会で通用す
るわけがない。
また、若い世代に過去の事実をきちんと伝えるために、日本は韓国、中国などと
「歴史」に関する協議機関を設け、そこで合意した内容を日本の教科書に反映させる
努力をしてほしい。
さらに国会で過去を反省する決議を採択してはどうか。村山富市首相、土井たか子
衆院議長という好条件下で、戦後五十周年に当たる来年八月までに実行すべきだ。過
去を直視して償う姿勢を示さない限り、アジアとの間に真の友好は生まれない。
<Gebhard Hielscher=独有力紙、南ドイツ新聞駐日特派員。1
935年旧ドイツ領東プロイセン(現ロシア領)生まれ。戦火に追われ大戦末期ハノ
ーバー郊外へ。60年代末来日。以来東京から「日本」を報道し続ける。夫人は日本
人。在日外国人特派員協会会長>
(以下、西尾幹二氏および論説委員の解説が続きますが、本題からはずれますので
割愛します)
2.「慰安婦問題」処理を明確に」
「シュミット元西独首相、本社と会見」、毎日新聞 1995年3月31日
シュミット元西独首相は27日、ハンブルグで毎日新聞の会見に応じ、日独両国
の戦後処理問題について 「侵略された国々との心理的な関係を改善することが最大
の課題だ」との認識を示すとともに、「個人的な助言」と断った上で「日本の首相は
アジアに対し、日本が戦争を始めたという歴史的事実を宣明し、従軍慰安婦問題の処
理をはっきりさせることだ。この二つを態度で示すことにより、日本はアジアで象徴
的成果を得ることになろう」と述べた。
また、日独両国の国連常任理事国入りについては「ボンと東京は国連での『権威
中毒』に陥っているとしか思えない。そもそも国連憲章の改正が可能だとは考えな
い」と語った。
この会見は、シュミット氏が共同発行人を務める独高級週刊紙「Die Zeit」の本
社で行ったもので、コール現独首相の前任者であるシュミット氏はワイツゼッカー前
大統領と並ぶ独を代表する論客。
日独両国の戦後処理は、ひと言でいえば、独がナチスの被害を受けたユダヤ人ら
個人への「補償」で、わが国は国家対国家の「賠償」と際だった対照をみせ、これま
で両国が支払ってきた「補償額」「賠償額」の差とも併せて、さまざまな議論を呼ん
できた。
これに対し、シュミット氏は会見冒頭、「私自身は独日両国にとり、戦後補償問
題が今一番重要なこととは考えていない」と述べたが、これは、専ら日本で問題にさ
れている国家賠償で救えなかった個人補償問題を念頭に置き、戦後処理をめぐる単純
な日独比較論を戒めたものである。
(以下、省略)
【ベルリン、長崎和夫】
3.(記事題名は不明)
「フランクフルター・アルゲマイネ」紙、1995年7月28日
(引用は、雑誌「正論」1997年6月号)
二年前まで、日本の戦後政府は、天皇の軍隊が7万人から20万人の間の少女を
占領各国から強制連行し、いわゆる聖戦の最前線へ娼婦として送り込んだ事実を認め
なかった。
歴史家や政治家が原爆投下は戦争犯罪か否かを論争している間に、旧日本軍の参
謀本部がいわば売春宿のヒモとなって組織していた犯罪には、疑念一つ抱かずにこら
れたのだ。
17歳から20歳までの間の、たいていは朝鮮人の未婚の女性がほとんど何も聞
かされず、なにも知らされず、1937年から45年の間に、ウソッパチの約束につ
られ、身代金で買われるか、あるいはかどわかされるかして、陵辱され、監禁され、
強姦の限りをつくされたのである。
1993年まで問題とされていたのは、日本政府の公式見解による歴史事実に対
する冷淡、横柄な黙殺か、もしくは否認であった。強制売春制度に軍のなんらかの直
接責任があるというのなら、どうか証拠を出してみてくださいといわんばかりの言葉
が、日本の関係省庁から漏れ出していたのだが、結局は関係省庁の文書庫の中に多量
の証拠書類が見つかったのである。
(注)新聞の紹介ですが、「フランクフルター・アルゲマイネ」紙は、引用者の西尾
幹二氏によれば、「極めて重要な、官報に近いとまでいわれるような、クオリリティ
ペーパー」とのことです。
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
ご意見やご質問はNIFTY-Serve,PC-VANの各フォーラムへどうぞ。
半月城の連絡先は half-moon@muj.biglobe.ne.jp です。