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03126/03126 PFG00017 半月城 韓国文化財の返還
( 7) 97/05/11 13:12 03002へのコメント
¥顧問さん、こんばんは。#3002、
> 半月城さんにお聞きしたいのですが、日韓交渉当時韓国が要求していた、李
>王朝などの文化財はその後どうなったのでしょうか。少しは帰ったのでしょう
>か。韓国の文化財に対する日本人の尊敬を込めて、返還するというようなこと
>から始めたら、百年の計にかなうのではなかろうかと思うものですから。少し
>研究してみてください。
¥顧問のおすすめに従い少し調べてみました。
日韓交渉による文化財の引き渡しは二回行われ、「久保田発言」撤回時に
106点、日韓交渉妥結時に454点と852冊が返還されました(高崎宗司
「検証、日韓会談」岩波新書)。
しかし、これは全体から見るとごく一部です。たとえば、高麗青磁だけ取
りあげても、日本には大阪市立美術館をはじめとして、まだ数万点あるといわ
れます。また、三韓時代の考古学発掘資料などが東京の国立博物館に小倉コレ
クションとして、数多く展示されています。
一方、民間では東京根津美術館に韓国の美術品が庭園にまで陳列されてい
ますし、大倉集古館などもよく知られた存在です。特異な例として、寺内正
毅・初代朝鮮総督は李王宮内の一建築物を解体し、故郷の山口県萩市に「朝鮮
館」なる私設美術館を建てました(李亀烈「失われた朝鮮文化」新泉社)。
日韓協定で返還された文化財は、たとえわずかな数であっても、日韓両国
の文化協力の増進のためには喜ばしいことです。同じような文化財の返還はフ
ランスからもなされました。93年、フランスのミッテラン大統領訪韓のとき、
1866年にフランス艦隊が江華島に侵攻したとき奎章閣(宮廷文庫)から持
ち去った韓籍6130冊を返還しました。
日本からの返還にあたって、宮地茂・文部省社会教育局長は、「文化協力
の一環として、わが国の所有する韓国に由来する文化財の一部を韓国に引き渡
すのが趣旨である。『引き渡す』という意味は、奪ったものを義務的に返還す
るのではなく、わが方の気持ちとしては終始一貫して寄贈の謂であるが、韓国
側の事情もあるので、結局双方にとり受諾しうる表現が用いられた」と説明し
ました(「韓国関係文化財の引き渡しについて」『月刊文化財』65年9月
号)。
どうも、この言葉の裏には何やら複雑な事情がありそうです。そこで、そ
もそも韓国文化財、とくに高麗青磁がどのような経緯で日本に渡ったのかすこ
し当たってみました。
高麗青磁ブームは日韓併合前後から始まったようでした。そのブームのき
っかけに、韓国初代統監・伊藤博文がどうやら関係しているようです。そのあ
たりの事情を、高麗青磁愛好家の三宅弁護士は次のように記しました。
「しかし、その文化の関係とか芸術上の優秀を感じて、これを集めるとい
う人は稀で、多くは・・・内地からきた人や官を辞して去る人への贈り物とし
て集めた。・・・高麗青磁なら内地に持って帰っても珍重されるというので、
人参とともに識者間では盛んに贈答品とされたものである。
伊藤公も人に贈る目的で、盛んに集められた一人で、一時は、その数、数
千点にものぼったであろう。そのころ新田という人があった。公の宴席に侍し
て毎に歌ったり踊ったりして座興を助けていた男だが、後に旅館を開業した。
ここに公は、暇があれば行かれて、新田の手で、いくらでも高麗焼きを持って
こい、あるだけ買ってやるといった調子で、どんどん買い上げ、それを又、右
から左へ30点、50点と一気に人に贈って仕舞われた。
或る時などは、近藤の店の高麗焼きをそっくりそのまま買い取られたこと
があった。京城内、これがため一時、高麗焼きの売品の影を絶つに至ったよう
なこともあった」
このころから、たいへんな古墳の発掘ブームが起きたようでした。三宅氏
は続けて次のように書いています(「そのころの思いで 高麗古墳発掘時代」、
『陶磁』第6巻6号、東洋陶磁研究所刊 1934 )。
「この景気に刺激されたものか、ここに高麗青磁狂時代が出現して、一時、
これによって生活するもの何千人といわれ、従って盗掘された開城、江華島、
海州方面の大小の古墳の数は驚くべきものだとのことである。
古くは秀吉征韓の時にも、高麗古墳のいくつかが発掘されて、今日わが国
へ伝承する雲鶴青磁・・・の名物は、当時の招来に係るものが多いということ
である。しかし、一般に朝鮮は・・・祖先への敬心深く、特に墳墓は、これを
大切にする習慣があり・・・夢にも、これをあばいて古い事実を究めようとか、
或いは古器物を発掘してこれを楽しむといった考えは、毛頭ない。これは春秋
の筆法でいえば、日本人が発掘したのである」
このようなすさまじい盗掘ブームについて、専門家も憂慮していました。
当時、平壌博物館長であった小泉顕夫氏は次のように書いています
「(古墳が)近頃のような惨状を呈するに至ったのは、何といっても、併
合前後から、内地人が朝鮮の田舎にまで入り込むようになってからの事で、一
攫千金を夢見て渡来した彼らが、金のサバリ(茶碗)が埋められてあるとか、
正月元旦には金の鶏が鳴くとかいう伝説の古墳を近頃流行の金山でも掘るよう
なつもりで掘り回ったらしい。所に依っては、当時、各地に駐屯して居た憲兵
にまで彼らと行動を共にする者があったというのだから堪らない」
(「古墳発掘漫談」『朝鮮』朝鮮総督府編、1932年6月号)
こうした数々の証言からすると、あの美しい高麗青磁の陰には醜い盗掘の
歴史が秘められているようです。そのような歴史的背景について、考古学者・
近藤義郎氏の次のように書いています。
「(美術品を)朝鮮で朝鮮人から金銭で「正当に」購入したのだという人
もいるだろうし、貰ったのだという人もいるかもしれない。しかしそれが、植
民地化・・・朝鮮人の劣悪な生活と教育事情・・・という条件の下に、日本の
研究者の発掘乱掘あるいはその結果それを手本として助長された盗掘が遺跡か
らひきはなした文化財であることを、私たちは銘記しなければならない」
(「朝鮮の文化財に思う」『考古学研究』1965年6月号)
盗掘された美術品の輸入は、密猟された稀少動物や象牙の輸入を思い起こ
させます。密猟動物の方は現在、輸入国に返還の義務があるようです。
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
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02761/02761 PFG00017 半月城 文明の衝突
( 7) 97/04/20 22:05 02743へのコメント
#2743,柴田さん
>つまり、我々は世界の大勢を知らず、知ろうともせず、世界の人々がボランテ
>ィア活動から見ようとしているものから、遠く遅れたものしか見ていないよう
>に感じました。これは何もボランティア活動だけでなく、すべてについて言え
>ることですが、どうして日本はこんなに世界の孤児のままで平気でいられるの
>か、ひと事のような表現になりますが、心配です。
海外交流の一線に立たれている柴田さんのこの言葉は万金の重みが感じら
れます。同じ趣旨のもとに、我田引水ながら私は世界の論調を続けたいと思い
ます。
話は変わりますが、同じ文中で柴田さんは
>元々、この会議室で「中国分裂?」が話題になった一つのきっかけは
>#2097「安全保障の次は文明保障?」で引用したハンチントンの「文明の
>衝突」でした。
と書かれていますが、このハンチントン教授の「文明の衝突」についてすこし
コメントしたいと思います。
私は同教授の「文明の衝突」説を、WASPの人種差別主義の表れかなと
軽く見過ごしていたのですが、この説は意外に影響力を持っているようです。
その影響力について、野村総研の福島さんが朝日新聞に書かれていました。
すでにお読みかもしれませんが、まずはこれを紹介します。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「米国で出始めた在アジア米軍縮小論」
野村総研、福島清彦主席研究員(朝日新聞、97.4.16)
(前半は省略)
異文明とは同盟できないという縮小・撤退論は、ハーバード大学のハンテ
ィントン教授が、昨年末に出した大著『文明の衝突と世界秩序の再構築』の中
で展開している。同氏は、世界には九大文明があり、冷戦後の世界は文明の衝
突が基調になる。米国は西洋文明を守り、西欧とだけ連帯するべきだとする。
21世紀に中国が東南アジアで行う小規模な武力行使が、文明間の大戦争に発
展していくシナリオが5ページにわたって描かれている。
冷戦終了後の日米安保は不要だし、米国にできるのは、日本がやがては、
異なるが似た文明である中国陣営に参加するのをすこし遅らせるだけだと同氏
は見る。「米国と西欧は結束するべきだ。そうしないと、ほかの文明によって
共に縛り首にされてしまう」というのが結論だ。
同氏はカーター政権の国家安全保障会議の部長で、いま米国政治学会会長
だ。無視できるような人物ではない。むしろこの本は、米国から出てきた初め
ての体系的な米・西欧同盟論であり、長く影響力を持つだろう。
(以下略)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ハンチントン教授の著書を私は読んでいないので、全体的な流れはよくわ
からないのですが、「米国と西欧は結束するべきだ。そうしないと、ほかの文
明によって共に縛り首にされてしまう」という説はすこし突飛に聞こえます。
私は、米・西欧文明が現代をリードしてきたと思っていますが、その文明
がほかの文明によって縛り首にされてしまうと同教授がいみじくものたまうの
はどうしたことでしょうか。これは米・西欧文明の自信喪失とも受け取れます
が、この弱さはどこから来るのでしょうか?
たしかに、米・西欧文明の退廃的な断面は、イスラム原理主義の国などで
「縛り首」にされているようですが、そうした表面的な現象はともかく、私に
は東欧の共産主義社会を崩壊させた米・西欧文明の力はゆるぎないもののよう
に見えます。
柴田さんは、「大東亜共栄圏の延長としてのAPECやEAECに賭ける
つもり」とされていますが、日本は脱欧入亜をめざすにあたり、日本の戦争責
任を問うアジアの論調を軽んじてはならないのではないかと思います。
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
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03005/03005 PFG00017 半月城 謝罪と赦し、東西の違い
( 7) 97/05/05 07:40 02916へのコメント
河原さん、#2916
> ただ、私はこのとき半月城さんへのコメントとして、
>「東アジアとは、具体的には、中国、韓国・北朝鮮、そして日本を指すと思われ
>ますが、日本ではさほど「謝罪」にはこだわらないのではないでしょうか」
>と言ったのですが、その後、明治維新について史書を読んでいて、日本も「謝罪」
>にこだわる民族だということが分かりました。やはりこれは儒教文化圏独自の
>伝統のように思えてきました。
東アジアで謝罪を重視するのは、たしかに儒教の伝統が大きく影響してい
るのかもしれません。逆に、西欧の人たちが謝罪をあまり重視しないのは、私
はキリスト教の影響ではないかと思います。
インドネシアで暴力的に強制連行され「慰安婦」にされたオランダ人女性、
オフェルネさんは戦後も長い間、そのとき受けたトラウマ(精神的外傷)に苦
しむのですが、意外にも彼女は現在の心境をこのようにいいました。
「日本人のしたことを許した。しかし、忘れることはできない」
(半月城通信、「従軍慰安婦」32,白馬事件(2)より)
このように、オフェルネさんは謝罪を要求するどころか、日本兵が犯した
罪を許しているのです。この発想はキリストの教えからくるのではないかと思
います。キリスト教では罪についてこのように教えているからです。
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださ
います。しかし、人を赦さないのなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお
赦しになりません」
そのうえ、この教えは単なる説教にとどまりません。「赦し」や「赦す」
ことはキリスト教の基本であり、祈るときはこのように唱えなさいと聖書には
具体的に書いてあります。
「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのあるものを皆赦
します」(主の祈り)
敬虔な信者は毎日、このように祈るものですから、相手を憎む気持ちは次
第に薄れていくことは必定です。これからさらに進んで、キリストは究極的に
「汝の敵を愛し、迫害するもののために祈れ」
と説きました。
ただし、これは新約聖書の話で、旧約聖書になると事情は違うようです。
その違いを見るために、レビ記を引用します。
ーーーーーーーーーーーーーー
かりそめにも人を打ち殺すものは、必ず殺される。動物を打ち殺すものは、
命には命をもって償わなければならない。
もし人がその隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたと同じように
されなければならない。
骨折には骨折。目には目。歯には歯。人に傷を負わせたように、人は自分
もそうされなければならない。
動物を打ち殺すものは償いをしなければならず、人を打ち殺すものは殺さ
れなければならない。
ーーーーーーーーーーーーーーー
旧約聖書が登場したついでに、KEISAR さんの下記、#2991に一言コ
メントを加えたいと思います。
> ついでに言いますと、キリスト教的考えで見ますと、社会を
>裏切る彼らは殺されるべき人間なのかも知れません。聖書に書
>いてありますが、裏切り者は殺せ(ヨシュア記より)ですから、
この旧約聖書の考えは、現代のキリスト教ではあまり通用しないのではな
いかと思います。現代ではキリストがユダを赦したように、裏切り者でさえも
赦すのがキリスト教でいう「愛の実践」ではないかと思います。
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/05/11 -
03115/03125 PFG00017 半月城 日系人に対する謝罪
( 7) 97/05/10 22:52 03087へのコメント
¥顧問さん、河原さん、こんばんは。
西欧諸国では、東アジアと違って謝罪という言葉はなかなか使わないよう
ですが、それでも極端な人権侵害に対し、実際に謝罪し補償を行ったケースは
たしかにあります。その一例として第2次世界大戦中、人種差別により日系人、
すなわち日系アメリカ人および永住日本人を抑留したことに対するアメリカ議
会の謝罪などを紹介します。
1.アメリカの謝罪
1988年8月、アメリカで「市民的自由法」が成立しました。その第1
編第2条aで、謝罪という語(原語は不明)が記されています。訳文は、日本
弁護士連合会編「日本の戦後補償」(明石書店)に依りました。
「議会は、戦時、市民転住収容に関する委員会が述べたとおり、第2次世
界大戦中における市民の退去、転住、収容により、日系の市民および永住外国
人の双方にたいして、重大な不正が行われたことを確認する。
同委員会が認定したとおり、こうした措置は、充分な安全保障上の理由も
なく、同委員会が認定するいかなるスパイ活動、利敵妨害活動もないのに行わ
れ、多くの場合、人種的偏見、戦時ヒステリア、および政治的指導の失敗によ
って動機づけられていた。
退去させられた日系人は有形無形の甚大な被害に苦しみ、教育、職業訓練
の計算しつくせない喪失が起こり、これらすべては膨大な人間的苦悩をもたら
したが、適切な補償は行われなかった。
これら日系人の基本的な市民的自由と憲法上の権利の根底からの侵害に対
し、議会は国を代表して謝罪する」
この謝罪文にある委員会ですが、設置は1980年、人権を重視するカー
ター民主党政権下のときでした。以後、同委員会は公聴会や資料調査、証言の
聴取など精力的な活動をし、83年6月最終報告書をまとめました。その一節
に次のように書かれています(同上書)。
「歴史は書きかえることはできない。われわれがなすべきことは謝罪であ
り、国家としてのより高い価値を確認することであって、事件を(金銭で)帳
消しにしたり、収支バランスをとったりすることはできない。・・・困難な時
期にも民主的価値を尊ぶことができる能力は、自由と正当な手続きをうたった
憲法を踏みはずしたあやまちを思い出すことにかかっている」
戦時中、日系人があじわった艱難辛苦は、山崎豊子の小説「二つの祖国」
に赤裸々に書かれていますが、そうした人たち一人ひとりにブッシュ大統領は
直接手紙を送り、その中でこう述べました。
「損害賠償と心からの謝罪を申し出る法律の制定で、米国人は言葉の真の
意味で、自由と平等、正義という理想に対する伝統的な責任を新たにしまし
た」
この手紙と共に、補償金2万ドルが外国人にも支払われたのは、よく知ら
れているとおりです。しかも補償は申請の有無に関係なく、アメリカ政府が責
任をもって被害者を捜し出すという方法で行われました。
対象者は、戦時中に日本へ帰った人を除き、補償法成立当時、存命のかた
約6万人で、それ以降死亡された方には家族に補償がなされました。
2.カナダの場合
アメリカと同じように、日系人の強制収容が行われたカナダでも同じよう
な補償が1988年になされました。こちらのほうは謝罪という語句はありま
せん。これは補償がカナダ政府と日系人協会との間の「合意」という形をとっ
たためでしょうか。しかし内容は実質的な謝罪と補償であり、アメリカとの違
いは単に謝罪という語句を表現に取り入れたかどうかだけではないかと思いま
す。
カナダ政府の補償は、日本ではあまりよく知られていないので、その合意
内容を参考のために上記の本から引用します。
ーーーーーーーーーーーーー
承認
カナダ人は国民として、人種的、民族的起源を問わず、万人のための平等
と正義が確保される社会の創造を追求する。
第2次世界大戦中、大戦後、その大部分がカナダ市民であった日系人は、
カナダ政府がそのコミュニティに対して行った前例のない行為によって損害を
蒙った。
当時、軍事的に必要と考えられたことであったとしても、第2次世界大戦
中の日系カナダ人の強制移動と収容、そして大戦後の強制送還と追放とは不当
なものであった。
振り返ってみると選挙権の剥奪、抑留、個人ならびにコミュニティの財産
の没収と売却、強制移動、日本への強制送還、移動の自由の制限など大戦後ま
で続いた処置は人種差別思想の影響によるものであった。収容された日系カナ
ダ人の財産は売却処分され、その代金は彼ら自身の収容の経費として用いられ
た。
上記のような不正の数々を承認することは、過去の行き過ぎが非難される
べきものであり、カナダにおいて正義と平等の原則が再確認されたことを、カ
ナダ全国民に告げることになる。
それゆえに、すべてのカナダ人を代表して、カナダ政府は以下のことを行
うものとする。
1.第2次世界大戦中、大戦後の日系カナダ人の取り扱いは不当なものであり、
今日理解されている人権の原則を侵害するものであったことを承認する。
2.政府の権限を最大限に行使して、同様な事態が起こらないよう努めること
を誓う。
3.容赦のない威圧や非常な困難にもかかわらず、カナダに対する献身的な態
度と忠誠を守り続け、国家の発展に多大な貢献をした日系カナダ人の不屈の精
神と決断力とを認め、これに大いなる敬意を表する。
上記のような一連の不正に対する象徴的補償として政府は以下のことを行
う。
(a)第2次世界大戦中および戦後に収容、強制移動、強制送還、財産収奪の
対象となり、その他基本的権利と自由の享受を妨げられた者を補償の有資格者
とし、その者の申請に基づいて個人補償金2万1千ドルを課税免除の一時金と
して、できるだけ簡便な方法で支払う者とする。
(b)全カナダ人協会を通じて、日系カナダ人社会に1,200万ドルをコミ
ュニティの福祉ないし人権の擁護に役立つ教育的、社会的、文化的な活動、企
画に対して支払う。
(c)日系カナダ人に代わり、上記の不正の犠牲となった人を記念するために、
1,200万ドル、さらにカナダ政府が1,200万ドルをこれに加え、カナ
ダ人種関係基金を創設する。同基金は人種間の協調、異文化間の相互理解、そ
して人種差別の根絶を推進するものとする。
(d)該当有資格者の申請により、戦時処置法および国家緊急暫定権限法に違
反したとして有罪になった日系人の犯罪記録を抹消する。
(e)該当有資格者の申請により、1941年から1949年の期間にカナダ
から追放され、ないしは市民権を剥奪された日系人の生存者および子孫に、カ
ナダ市民権を授与する。
(f)補償の実施期間中に行われるコミュニティへの連絡、補償の実務を含め
た援助のために全カナダ協会と契約を結び、それに基づいて最大限300万ド
ルを同協会に提供する。
本合意署名の日現在生存している者が、a,dそしてe項(eの場合には
同日に生存している子孫を含む)の補償の対象になる。
アート三木 全カナダ日系人協会会長
ブライアン・マルローニ カナダ国首相
ーーーーーーーーーーーーー
アメリカ、カナダ両国の措置には、自由・平等を重んじ、たとえ戦時中の
出来事であっても極端な人権侵害など不正義には正面から取り組むという姿勢
が読みとれます。
日本では時々、「戦時中のことだからひどいことがあっても仕方がない」
という意見をよく耳にしますが、アメリカなど西欧諸国ではこうした論法は通
用しないようです。ドイツ政府はかって「人道に対する犯罪には時効はない」
と宣言したのはよく知られているとおりです。
http://www.han.org/a/half-moon/ (半月城通信)
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