半月城通信
No. 27

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 「従軍慰安婦」55、新潟県議会の討論資料


「従軍慰安婦」55、新潟県議会の討論資料    「従軍慰安婦問題」に関する論争点をめぐる討論資料 ※この資料は、96年12月新潟県議会に提出された「中学校歴史教科書の訂正について の意見書提出に関する請願」について討論するために私たちが作成した資料で、12月 13日、議会内各党会派に配布した。再緑するにあたり若干の省略と加筆修正をおこ ないました。作成に当たり「日本の戦争責任資料センター」と「半月城」さんに御協 力を得ました。                  1996.12.      市民新党にいがた 1.「従軍慰安婦問題」の事実関係と「強制性」に関する日本政府及び国際機関の見解 ■政府の見解  すでに従軍慰安婦の存在、当時の軍や政府の関与については自民党単独政権の時か ら既に公式に認めており、自民党の地方組織がこうした見地に異論を唱えるとは理解 しがたい。事実関係の発覚と政府見解の経緯は以下に示すとおりである。 ●92年1月11日、防衛庁所蔵資料の中から吉見・中央大教授が慰安婦関係資料 を発見。 ●翌12日には当時の加藤紘一官房長官が日本軍の関与を正式に認め、13日には 謝罪の談話を発表。また訪韓した当時の宮沢喜一首相は17日、日韓首脳会談で 公式に謝罪。 ●政府は慰安婦問題について調査を進め、その結果を同年7月6日発表した。 報告書は慰安所の設置や経営・監督、慰安所関係者への身分証明所の発給などの 点で、軍隊のみならず「政府が直接関与」していたことを初めて公式に認めた。 ●この調査資料は防衛庁、外務、厚生省などから127件も集めらた。その公表 資料は次のような内容を含んでいる。 (1)軍占領地で「日本軍人が住民の女性を強姦するなどして反日感情が高まっているた め慰安施設を整備する必要がある」という内容の軍の指令。 (2)軍の威信を保持するため、慰安婦の募集にあたる人の人選を適切に行うよう求める 指令。 (3)慰安施設の築造、増強のために兵員の提供をもとめる命令。 (4)部隊ごとの慰安所の利用日時の指定、料金のほか、軍医の慰安婦に対する定期的な 性病検査を定めた「慰安所規定」 (5)慰安所解説のための渡航には、軍の証明書が必要とする指示。 ●同じ日、当時の加藤官房長官は記者会見で、韓国を始め中国、台湾、フィリ ピン出身などの元慰安婦に対する日本政府としての謝罪の意を次のように表明。 「政府としては、国籍、出身地を問わず、いわゆる従軍慰安婦として 筆舌に尽くしがたい辛苦をなめられた方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の気 持ちを申し上げたい。このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省 と決意の下にたって、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新し い日韓関係およびその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきた い。  この問題については、いろいろな方々の話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがす る。このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをいかなる形で表す ことができるのか、各方面の意見を聞きながら誠意を持って検討していきたい。」 ●日本政府は7月26日、ソウルで元慰安婦16人から聞き取り調査を始めた 。そして報告書で「慰安婦強制」を認め謝罪。報告書は宮沢内閣退陣の前日、 すなわち92年8月4日に発表。そのなかの「慰安婦の募集」の項では「斡旋業者 らがあるいは甘言を弄し、あるいは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反し て集めるケースが多く、さらに官憲等が直接これに荷担する等のケースもみら れた」と強制連行を明確に認めているのである。 ●さらに、この報告書に付け加える形で河野洋平官房長官が談話を発表し、慰 安婦の募集や移送、管理などが、甘言、弾圧によるなど「総じて本人たちの意 志に反して行われた」と述べて、募集だけでなく全般的に「強制」があったこ とを認めた。そして「心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対 し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と、日本政府として改めて謝罪 した。さらに「このような歴史の真実を回避することなく、歴史の教訓として 直視していきたい」と述べ、歴史教育などを通じて「永く記憶にとどめ、同じ 過ちを決して繰り返さない」と決意を表明した。 ●96年10月橋本政権の見解  「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の 名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として 改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒(いや) しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げ ます。  我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが 国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴 史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と 尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えておりま す。」  (1996.10. 「従軍慰安婦」への「おわび」の手紙、橋本首相) ●小杉隆現文部大臣の態度  現文部大臣の小杉隆氏は、就任時の記者会見で、来春から中学校の教科書に 登場する従軍慰安婦の記述について、アジア諸国に対する日本の侵略行為など を謝罪した昨年八月の村山富市首相(当時)の談話に「全く賛成だ」とした上 で「率直に事実は事実として載せる教科書検定調査審議会の判断を支持する」 と述べている。  また、同様の主旨で国会でも答弁しいている(96年11月)。  今回自民党が採択の方向で検討している「陳情」は、こうした日本政府及び自民党 の歴代幹部・党首などの公式見解、現内閣の文部大臣の姿勢にも真っ向から敵対する ものである。 ■国連による調査と見解・評価 ●国連はすでに92年に日本政府から「従軍慰安婦」に関する資料を入手して 検討を始め、国際法に関する論議なども人権委員会で論議してきた。同委員会 は早くから慰安婦の問題について関心を寄せ、日本政府が初めて公式に謝罪し た翌月(92年8月)には、差別小委(差別防止及び少数者保護小委)で特別報 告官が「日本政府に資料提出を求める」など本格的な調査を開始している。こ の委員会は、90年に予備報告、91年と92年に中間報告、93年に最終報告をお こなった。その中で、特に従軍慰安婦などのように国際的に違法だと認識され ている人権侵害は個人に国家賠償を請求する権利があり、加害国はこうした行 為を行った責任者を処罰し被害者を救済する義務があると結論づけている。  ※加害国の救済に関して言えば、アメリカは過去、戦時中に強制収 容した日系人に対し大統領が謝罪し、一人あたり2万ドルの謝罪金を支払った のは記憶に新しいところである。 ●同人権委員会差別小委ではこの報告をさらに深めるために、旧日本軍によ る従軍慰安婦・強制労働問題などの人権侵害を調査する「特別報告官」の設 置を決めた。 ●こうした調査と討論の結果、日本軍の慰安所は国際法違反であるとする IFOR(国際的な人権擁護組織)の提案が採択され、正式な国連文書として配 布されている。つまりこの時点で、日本軍の慰安所は国際法違反であるとい う、国連の正式な認識がすでに成り立っているのである。 ※IFORの提案は、(1)従軍慰安婦問題は、時効による免責規定がない国 際条約「強制労働に関する条約」(日本の批准は1932年)などに明確に違反する。 (2)日本は批准後、条約の精神を具体化する法整備を怠っている。(3)過去にさかの ぼって責任者の処罰をおこなうための立法化を進める義務がある。とする内容を含ん でいる。ちなみに、近代法では「法の不可遡及」、すなわち法律成立以前の行為につ いては責任を問われないというのが原則である。しかし、にもかかわらず、責任者処 罰は先進諸国では国際的な流れになっている。過去の戦争犯罪者を裁けるように、ド イツでは79年に、カナダでは87年、オーストラリアでは88年、イギリスでは91年 に国内法の整備をし、時効を停止するなどして戦犯を裁いてきた。 ●クマラスワミ報告調査  この問題はその後「女性に対する暴力問題」特別報告官のクマラスワミ氏 に引き継がれた。クマラスワミ氏はスリランカの民族学研究国際センター所 長としてアジア地域の女性問題に取り組んできた女性法学者だが、94年4月 に特別報告官に任命された。  クマラスワミ氏はこうした「国際的な認識」を基本に、各国政府やNGO から得た資料を検討し、予備報告書を人権委員会に提出した。その予備報告 書の中では慰安婦問題を「犯罪」と認定する立場を明らかにした。なお、ク マラスワミ氏は「国連調査団」として同年7月に日本を訪問しているが、国連 調査団が日本を訪れたのは旧国際連盟が「満州国」問題で派遣したリットン調 査団以来のできごとである。 こうしてアジア各国での調査をもとに、96年 3月、最終報告書が人権委に提出された。なおクマラスワミ報告が短期間の調 査に基づく、信憑性のないものとする批判があるが、こうした経緯からわかる ように同報告はそれまでの数年間に及ぶ一連の人権委員会の調査の成果を引き 継ぎそれを深化させるものとなっていることに留意すべきである。  調査は日本政府からも資料の提出を受け、慰安婦からの聞き取り調査も行な われた。そしてまず調査団から見た日本政府の見解を、以下のように評してい る-「・・・日本政府が我々に渡した文書には、いわゆる『慰安婦』問題につ いて道義的責任を受諾する声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長 官による1993年8月4日付談話は、慰安所の存在及び慰安所の設置・運営に旧 日本軍が直接・間接に関与したこと、及び募集が私人によってなされた場合で も、それは軍の要請を受けてなされたことを受諾した。談話はさらに、多くの 場合『慰安婦』は、その意思に反して集められたこと、及び慰安所における生 活は『強制的な状況』の下での痛ましいものであったことを承認した」。また 、こうした政府の見解や資料と慰安婦の証言との関係・符号性についても、証 言が「性奴隷制が軍司令部および政府の命令で組織的方法で日本帝国軍隊によ り開設され厳重に統制されていたことを信じさせるに至った文書情報と符合し ている」としてその信憑性を示している。  この報告では、第二次大戦中、旧日本軍が朝鮮半島出身者などに強制した従 軍慰安婦は「性奴隷」であると定義し、奴隷の移送は非人道的行為であり、さ らに「慰安婦の場合の女性や少女の誘拐、組織的強姦は、明らかに一般市民に 対する人道に対する罪にあたる」と断定した。  その上で、従軍慰安婦問題を現代にも通じる女性に対する暴力の問題とする 観点から、次の六項目を日本政府へ「勧告」した。 (1)日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。日本政府はその法的  責任を認める。 (2)日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。 (3)慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開をする。 (4)被害者の女性個々人に対して、公開の書面による謝罪をする。 (5)教育の場でこの問題の理解を深める。 (6)慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及を可能な限り行う。  オランダを始めとする諸外国はこの報告書を高く評価したが、日本政府は この報告内容に抵抗した。しかし当初は膨大な反論資料を作成し各国に配布し たものの、むしろ反発を招き撤回した。この報告に対し日本政府は未だに「 事実関係については留保」という態度を示し個人補償などの必要性を認めて いない。補償問題は今回の議論にはなっていないのでおいておくが、日本政 府自身、この報告を「留意する(teke note)」という決議に賛成しているこ とを無視すべきでなく、なによりこれが国際的な公式評価であることを忘れて はならない。  国連で安保理非常任理事国に選出された日本は特に国連機関の決議を尊重す べきである。なかんずく人権委員会は「国連精神」具現の一つの場として国連 機関の中で特に重要な存在である。我々は-特に公党や公の議会関係者は-そ の機関の決議や公式見解を軽んじるべきではない。 2.「慰安婦問題はデマ」か?  慰安婦問題について、「強制ではなかった」とする主張ばかりでなく、驚くべき ことに「そうした事実はなかった」あるいは慰安婦本人やこれに関わった人々の証 言を「デマ」とする主張まである。  そうした人々が論拠としているのは、当時山口県の労務報国会で動員部長をしてい た吉田清治さんの証言で、「1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行した」というものである。これ に対してある歴史学者がその吉田証言の舞台となった済州島に出向き、島民の証言か らそうした強制連行はなかった、とする調査報告がおこなわれた。「デマ」と主張す る人々はこの件を引き合いに出し、「慰安婦証言=デマ」とするほとんど唯一の根拠 としている。  しかしこの「なかった」とする調査を行った学者本人(秦・千葉大教授)が、数万 人に及ぶ慰安婦の存在自体は認めていることを無視するべきではない。調査について も、慰安婦の多くが名乗りたがらない、家族・親族・地域の人々もそれを隠そうとす る韓国の文化的風土を考えれば、島民の回答を言葉通り受けとめるわけにはいかない と考えられる(事実、現地を取材したテレビ局はそうした雰囲気を報道した)が、も ちろん島民の表向きの証言が符合しない以上、この吉田証言は歴史事実の冷静な検討 の際にはその材料からははずすべきで、国連クマラスワミ報告もこの証言については 反対意見を併記して引用するにとどめている。 ※なお、中央大・吉見教授らの調査では吉田証言には決定的な矛盾は 見あたらなかったが、上記の理由により同教授はクマラスワミ報告の価値を防衛する ため同証言の採用をやめるよう要請している。吉見氏はその手紙の中で「吉田氏の本 に依拠しなくても、強制の事実は証明できる」と述べている。しかし、厳正な歴史的 事実の検証材料としての学問的価値としては100%ではないものの、当時の状況を示 す当事者の証言としては充分な価値があると多くの人が考えていることも付記してお く。  慰安婦問題を問題にしている人たちも事実関係の検討の材料として取り上げていな い証言だけをとらえて「デマ」とし、それをほとんど唯一の論拠として「まだ事実関 係が明らかでない」「事実と異なる」と主張するのは詐欺師のやり方である。  また、慰安婦の「証言」だけでは証拠にならない、とする主張もあるが、上であげ たようにさまざまな文書資料があり、また次項で述べるような軍参謀将校の日記まで もある。さらに「証言」の多くがこうした文書資料の内容と符合しており、「デマ」 とする主張こそ「本当のデマ」と言わなければならない。 3.「強制性」についてのさらなる検討 ■「中には望んで慰安婦になる者もいた?」 ●何事にも例外は無数にあるが、大まかこれら幾つかの要素を重ねて一つ一つの事例 を見ないと、木を見て森を見ないことになる。現在、繰り広げられているキャンペー ンの多くはそうした手法によるものである。部分的で強制にみえない事例を並べ、そ して最後に、「彼女たちは悲痛な顔付きをしていなかった」という「経験」まで駆り 出される。軍人がいつもいつも狂暴ではなかったように、彼女たちもいつも泣いて暮 らしているわけにはいかなかったのである。こうした問題を検証するためには、その 歴史的経緯をきちんと見る必要がある。 ●慰安婦集めの形態とその推移  現在知られている最初の軍慰安所は、海軍によって上海事変(1932.1)直後に設置さ れた。1932年から敗戦の45年のあしかけ14年にわたって慰安婦が集められたわけで あるが、その集め方は、当然にもこうした戦線の拡大の時期によって状況が異なって いる。初期には数は多くなく、1937年の「南京事件」を契機に急増した。この時期、 慰安婦集めはややもすると度が過ぎ、派遣軍が選定した業者が時には誘拐まがいの方 法で募集を行ない、このような不祥事が続けば日本軍に対する日本国民の信頼が崩れ ると恐れた陸軍省副官は「各派遣軍は徴集業務を統制し、業者の選定をしっかりおこ ない、業者と地元の警察・憲兵との連携を密接に行うよう行うよう」命じた(注1)。  なおこの通牒は兵務局兵務課が立案し、梅津陸軍次官が決裁した。この通牒の最後 には「依命通牒す」とあり、杉山陸軍大臣の委任を受けて発行されたことが明記され ている。日本政府の認識を決定的に変えさせたこの資料は、「従軍慰安婦」の必要性 自体を暗示しており、この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評 価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料「支那事変の経験よ り観たる軍紀振作対策」も各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志 気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防 のために必要であると説いているものである(注2)。  41年に対米宣戦布告し本格的に太平洋戦争に突入すると、こうした慰安所も泥沼化 していった。戦線が拡大し「慰安婦」の需要が増すと、陸軍省は従来派遣軍にまかせ ていた軍慰安所の設置を自らも手がけ始めた。1942年9月3日の陸軍省課長会報で倉 本敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を 報告した。それによると、設置された軍慰安所は、華北100、華中140、華南40、南 方100、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。  台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を陸軍大 臣に求めた公文書(注3)なども発見されている。この申請はもちろん許可され実行 にうつされた。 戦争末期になると兵士の数も増え、それにともない慰安婦集めも激しさを増し、朝 鮮では44年8月に「女子挺身勤労令」が出された。(注4)。   初期には余裕があり、中には望んで応募した者も当然いるだろう。事実、「慰安 婦」問題を調査する市民や研究者の呼び掛けで1992年末、「日本の戦後補償に関する 国際公聴会」が東京で開かれたとき、韓国からの研究報告は、26%が「奴隷狩り」で あり、68%が「だまされて」であったことを明らかにしている(戦争犠牲者を心に刻 む会編『アジアの声』第7集、東方出版)。台湾でもその数値に近く、さらに限られ た数だが「自発的に」というものもある。もし「強制」を狭く「連行」時の「暴力」 に限定するならば、問題のないケースも少なくないことになる。しかし、「従軍看護 婦」の名の下に募集された者であったり、たとえ自ら志願したものであっても、ある いは甘言にだまされていても、現地に到着し自分がいったい何をされるかが明確に なった時点で、それを拒否して自由に帰国できる経済的・法的保障がなければ、そし てその後軍事的圧力下で性行為を強要されていたとすれば、それはたとえお金を得て いたとしても「強制」以外のなにものでもない。こうして「自ら応募させ」て集めて 慰安婦とし、欺き、強制的に性行為に従事させることを「自発的に応じた」として切 り捨て、「強制の事実はない」などと強弁することは絶対にできない。 (注1)陸軍省副官通牒、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」   支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当 り、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を 招く虞あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起す る虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し 警察当局に検挙取調を受くる者ある等、注意を要する者少なからざるに就ては 、将来 是等の募集に当たりては、関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威 信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。 (注2)「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」  事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨 殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感 を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・・犯罪 非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・・事変地におい ては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情 を緩和抑制することに留意するを要す。・・  特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の 適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを 思わざるべからず。 (注3)台電 第602号 陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、南 方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営者 3名渡航認可あり度、申請す。 (注4)内務大臣請議「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」44.6.27 勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、 或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中に は此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と相 俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。 ■「(純粋な)商行為」あるいは「公娼制」の延長か? ●日本軍関係者資料も「慰安婦を酷使した」と証明  中国で第10軍の参謀をしていた山崎少佐は1937年12月18日付けの日記で、「参 謀が指揮し慰安婦を憲兵が集め・・・慰安所は大繁盛で・・・慰安婦を酷使に至 る・・・兵はおおむね満足」と述べている。強制性は明らかである。 ●「純粋の商行為」などでないことは、これらの強制の事実が何よりも具体的に物 語っている。強制を伴っている以上、そこで行われていることは強姦であり、強制猥 褻、監禁、強制、脅迫、略取・誘拐などの罪を併発させる。確かに慰安婦の多くは金 に相当する者を受け取っていたがそれは価値の危うい「軍票」であった(敗戦時には ただの紙切れとなっている)。またそれとは別に兵士が直接払う場合も少なくなかっ たが、このような形でたとえ金銭が支払われたとしても、元来が自由な契約に基づい て行われたものでないこと、また異境に無 一文で連れて来られている者にとって、金 銭を受け取ることはまず生きるためであり自力での帰還のためにも必要なのだから、 それを受け取ることは「純粋な商行為」など決して意味しない。 ●「 戦前の日本では、売春は公然と認められていた・・内地で売春が営業として行わ れていたのと同じく、戦地でも売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売をし た。これは違法なことでも何でもなかった。よい・わるいの問題ではなく事実の問題 である。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦後何年も経ってからのことだ。」と する主張がある。たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼 ばれるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていな い。  一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。 つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれ る定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許され たのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処 せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前 だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察 署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人 が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得 ず」(同六条)とされていた。  これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押さ れて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の 一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに 至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白であ る。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿 に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、それは公娼制 度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しか し、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍 隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規 則」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼 妓口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていた のである。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を 得ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼 窟であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日 本軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監 禁し、強姦したことになる。  こうした意味で、従軍慰安婦制度は、国内法に照らしても完全な違法状態であった のである。 ●さらに、「戦時下だからある程度のことは仕方がない」とする論調もある。しか し、どんなに激しい企業間競争でも、それこそ生死をかけたような猛烈な活動でも一 定のルールがあるように、戦争でも一定の法や条約やルールがある。端的なものが捕 虜虐待を禁じた国際条約などである。  確かに戦争下ではこうした国際協約などをしばしば逸脱する行為がおこなわれるの も事実だ。しかしだからといってそうした行為が許されるかどうかは別である。日本 の従軍慰安婦制度は、こうした国際法や国際的ルールに照らしても完全な無法・違法 状態であって、許されざる行為がなされたことを無視するわけには行かない。いわゆ る従軍慰安婦問題は、以下のような国際条約や国際合意に違反していると考えられて いる。 A.婦女売買禁止条約(注1)  1938年、内務省は軍人相手の売春婦の渡航に関し各知事あてに重要な通達を出し た。「日本国内で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂慮され る事態は、1)帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。2)銃後の国民、特に出征兵 士遺家族に悪い影響を与える。3)婦女売買に関する国際条約に反する。」などと警告 をだした。この2)の理由で「従軍慰安婦」は本格的に植民地出身者に切り替えた。ま た、売春婦を21歳以上としたのは、未成年の場合たとえ本人の承諾があろうと売春は 国際法違反であったためである。  このように国際法を認識していながら、現実には朝鮮人・中国人の未成年者にまで 売春をさせていたわけだからこれは国際法違反である。しかし、これには「抜け道」 があった。1910年の条約は植民地などに必ずしも適用しなくてもよいとの規定があっ た。    これは世界的に一部の植民地で行われていた持参金・花嫁料などの社会的風習 (朝鮮にはない)を容認するために作られたものであるが、日本政府はこの条項を悪 用し積極的に植民地出身者の女性を「従軍慰安婦」にしたのである。この点に関して は国際法違反でないと強弁できるかも知れない。しかし、さすがに今の日本政府はこ の点を積極的に主張しない。条約本来の趣旨に反するし、また植民地出身者に対する 明白な民族差別をみずから告白することになるからである。 しかし、よしんば婦女売買条約が植民地に適用されないと強弁しても、植民地出身 の「従軍慰安婦」を船舶(日本の本土とみなされる)で連行したり、徴集の指令を陸 軍中央で行ったのは国際法違反とされるのは間違いない。 (注1)次の4条約で日本はa,b,cのみ加入  a.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定 1940年  b.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際条約 1910年  c.婦女および児童の売買禁止に関する国際条約   1921年  d.青年婦女子の売買の禁止に関する国際条約   1933年 B.強制労働に関するILO29号条約(1930)  まず、「従軍慰安婦」の強いられた行為が「労働」にあたるのかどうかであるが、 NGOの国際法律家協会(ICJ)は当初これを条約で言う「労務」とすることにつ いては慎重だった。しかし、労務とは「あらゆる労務およびサービス」をさすので、 最近は「従軍慰安婦」もやはりこの条約の検討対象と考えるのが大勢を占めるように なっている。  今年3月4日、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は1995年の一 年間に検討した問題の年次意見報告書を発表したが、その中で旧日本軍の『慰安所』 に監禁された女性たちへの大きな人権侵害や性的虐待にふれ、「こうした行為は、条 約に違反する性奴隷として特徴付けられる」との意見を表明している。 C.奴隷条約(1926)  奥野議員や板垣議員の思惑がどうであれ、クマラスワミ報告でも「従軍慰安婦」は 「性奴隷」であったと断定され「性奴隷」の認識は国際的に広がった。こうした認識 からすると「従軍慰安婦」は奴隷条約違反になる。  しかし、日本はこの時はまだこの条約に加入していなかった。こうした言い逃れに 対しICJは「20世紀初頭には慣習国際法が奴隷慣行を禁止していたこと、および すべての国が奴隷取引を禁止する義務を負っていたことは一般に受け入れられてい た」とし、奴隷条約違反であると主張している。当時単に条約に加入していないから 形式的に国際法違反ではないという主張は、少なくとも良識ある国なら言い出すべき ではない。 D.ハーグ陸戦法規(1907年)  この条約の付属書である「陸戦の法規慣例に関する規則」第46条は、占領地で「家 の名誉および権利、個人の生命、私有財産」の尊重を求めている。ICJは、この中 の家の名誉には「強姦による屈辱的な行為にさらされないという家族における女性の 権利」を含んでいるとしている。  ただし、この条約は全交戦国が加入しなければ適用されないという総加入条項があ るので直接には適用されない。しかし、ICJはこれも慣習国際法を反映したものな ので日本を拘束するものであるとしている。従って、総加入条項にかかわりなく、女 性は戦時において「強姦」や「強制的売淫」から保護されていると主張している。 E.人道に対する罪  人道に対する罪は戦後、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第5条で定められた。 この罪は戦前または戦時中の非人道的行為を裁くものである。日本政府は人権委員会 に提出した「非公式見解書」の中で、戦後生まれた法規で戦争中の犯罪は裁くのは伝 統的な国際法に反すると主張していた。  しかし、この「人道に関する罪」については「極東国際軍事裁判所条例」でも取り 入れられており、その裁判自体を日本政府は1951年の平和条約で承認しているので、 結果的に「法の不可遡及」を間接的に認めたことになる。したがって今日、日本がこ の「人道に対する罪」を過去に遡って適用できないと主張しても国際的には通用しな い。  この事実に気がついたのか、日本政府はそれまでの主張を撤回している。 4.慰安婦問題は教育上有害か?  「『従軍慰安婦』をとりあげることは、そもそも教育的に意味のないことである。 人間の暗部を早熟的に暴いて見せても、とくに得るところはない」 (「論争・近現代 史教育の改革歴史教科書批判運動の提唱」『現代教育科学』96年9月号)とする論調 がある。たしかに、多くの教師は戸惑っているかもしれない。いったいどのようにし て「慰安婦」問題を子供たちに教えればよいか、特に中学生などに、どのように話し かければよいのかという疑問は大きいだろう。 その戸惑いに乗じて「自虐的歴史観を 教えるべきではない」とする主張がされる。しかしよく考えてみるべきである。 性に 強制があってはならないこと、セクシャル・ハラスメントを行わない・また行わせな いような、男と女の関係をつくりあげていくためにも、なるべく早くからこうした問 題の教育はおこなわれるべきである。「慰安婦」問題は、現在起こっている性暴力や 性的いやがらせなどとともに反面教師としなければならない歴史的素材を提供してい る。女性の、ひいては等しく人間の尊厳や人権を理解させるためにも、この問題は教 えられていく必要がある。何よりも「国際化」時代にあって若年からそうした海外文 化との交流の機会がより多くなってくる今日、歴史事実を認識しておくことは重要な 必要条件である。    また教育には重要な課題がある。 かつて日本が多数の「慰安婦」を 作り出し深刻な被害をアジアに与えたことを、日本人がいかに記憶し、心にとどめる か、そして将来に向けて再び同じ 事を起こさないため、つまり再発防止のためにどう すべきかという課題は、歴史教育の本質的目的の一つでもある。被害者は、再び地獄 を見ない権利がある。そうできるか否かの鍵の一つ は教育にあるといってよい。  「自虐的」とレッテルを貼ろうと、事実は事実である。今や慰安婦の事実、その強 制性は証明され、その観点は国際的にも共通の認識である。これに目をそむけ続ける 限り、「国際化」時代にあって世界の各地でさまざまな精力的なボランティア活動や 国際交流活動を行なっている青年・若者達の成果を全く水泡に帰すものにしてしまう 危険すらあるのである。 <96年12月県議会報告記>  12月新潟県議会に対し民間団体が「『従軍慰安婦』は事実と異なる。自虐史観だ。 中学生にこんな事は教えられない」として教科書から削除するよう要求する陳情が提 出された。「自由主義史観」と呼ばれる歴史観に基づく右派勢力などによる一連の全 国運動の一環であり、これはエイズ問題では被害者の側に立った漫画家の小林よしの り氏なども巻き込んでおこなわれている「教科書偏向」キャンペーンとも軌を一にし たものである。昨秋以来いくつかの地方議会を狙って同様の陳情が提出されており、 県議会レベルでは今回の新潟と岡山、鹿児島が初めてだったようだ。 ■市民新党にいがたは63名の議会定数の中で武田貞彦県議1名を抱えるのみで、しか もこの陳情が付託された総務文教委員会には属していない。しかし私たちは考えうる あらゆる行動を展開した。市民グループ、女性グループ、宗教団体、高教組などの労 働組合、そしてアジア諸国の大使館や報道機関にもこの問題をアナウンスした。さら にインターネット上の市民運動関係のメーリングリストにもアナウンスし、そこから 間接的にいくつかの団体へも広がって、激励や助言なども寄せられた。  さらに私たちは、インターネット上に公開されている、この問題に関連する多くの ページからデータを収集し、さらに右派側の論理もチェックした。右派勢力の論調は だいたい以下の点に終始していることもわかった-すなわち、(1)連行時に必ずしも常 に「強制」があったわけではなかった (2)慰安婦は本土にもあった公娼性制の範囲内 である (3)「慰安婦集めをした」とした山口県の労務報国会動員部長(当時)の吉田 清治氏の証言はその後の調査で信憑性がない-等である。私たちは、これらの主張に 対して綿密な論証を加えて反駁するために、インターネットで収集した膨大な資料の 中から、「慰安婦」の方々の証言よりむしろ、発見された旧軍の資料、宮沢政権から 現政権に至るまでの歴代政権の公式見解、国連や国際人権組織などの調査報告などを 中心として整理して討論資料を作成し(これがこのページで公開してる討論資料で す)、そして私たちの意見を付してこの資料を議会内各派に配布した。  さらに私たちはこの問題が中央政治のレベルにおいても自・社・さ連立の歴史認識 に関する合意にも関わる問題だと考え、自民・社民の何人かの国会議員らにも、何ら かの行動をとってくれるよう要請した。  多くの団体・グループが申し入れ行動などをおこない、市民グループによる集会も 開催された。 ■この問題が付託された総務文教委員会では、自民党の某県会議員が「現在の道徳で 過去の道徳を縛ることができるのか」「戦後も残されていた公的な売春、いわゆる公 娼制度の範囲内だ」と発言した。傍聴席からは「売春じゃないぞ」と不規則発言が飛 び、某氏は「売春だ」と強弁し、「あの傍聴人を退場させて下さい。これじゃあきち んと議論できない」と発言した。  だが、当時のいわゆる「従軍慰安婦」のおかれた状況が「売春」や「公娼制度」と 似てもにつかぬものだったことは上記資料を参照いただければわかる通り明白であ る。あまりに非常識な発言に野次を飛ばしてしまった傍聴人に退場を迫って「こんな んじゃあ議論できない」と言うより、まず自分できちんと勉強してからじゃないと、 文字通り「きちんと議論できない」のである。報道機関の記者達もあきれていたほど だ。いやしくも県民の貴重な税金で活動しておられる議員が、学会の中ではほとんど 問題にされない「自由主義史観」の先生方のご教示ばかりを鵜呑みにして好き勝手に 発言していたのでは、取り返しのつかないような恥ずかしい事態になる、と警告して おきたい。 ■自民党以外の全ての会派およびほとんどの無所属議員はこの陳情に対し「不採択」 もしくは「保留」の態度を示し、議会内多数の自民党も「継続」としてとりあえず今 回の議会での採択は見送られることとなった。


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