半月城通信
No. 25

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 在日韓国・朝鮮人の結婚割合
  2. サハリン残留韓国人の国籍
  3. 韓国・台湾居住者の「日本国籍」喪失
  4. 在日朝鮮・台湾人の国籍
  5. GHQの在日朝鮮人政策


文書名:在日韓国・朝鮮人の結婚割合 [zainichi:1116] Date: Tue Dec 31 00:38:18 1996   半月城です。金明秀@HANさんが#1106で >まぁ,細かい数字はともあれ,(在日韓国・朝鮮人と)日本人との結婚が多い >ことが重要なんだろうと思いますが,こと数字にはちょっとウルサイたちで >して。^_^; と書かれていましたが、この数字について私は2年前、PCVAN,ARIRANG に書き込 んだことがありますので、それを要約します。   厚生省統計によれば、日本における韓国・朝鮮人の結婚の統計は次表のとお りです。ただし、最後の列の「同胞を選ぶ割合」は、韓国・朝鮮人が結婚相手に 同胞を選んだ割合を示します。この計算方法は#1106に書かれているとおり です。 年    日本人との結婚件数   夫婦とも韓 総数  C対D 同胞を    妻日本人 夫日本人 小計(C) 国・朝鮮(D) C+D      選ぶ割合 1955   242   94 336   737  1,102 1:2.2 80.2% 1960 862 310 1,172 2,315 3,524 1:2.7 79.3 1965 1,128 843 1,971 3,681 5,693 1:1.9 78.5 1970 1,386 1,536 2,922 3,879 6,892 1:1.3 72.0 1975 1,554 1,994 3,548 3,619 7,249 1:1.0 66.6 1980 1,651 2,458 4,109 3,061 7,255 1.3:1  59.3 1985 2,525 3,622 6,147 2,404 8,627 2.6:1  43.6 1988 2,535 5,063 7,598 2,362 10,015 3.2:1  38.2 1989 2,589 7,685 10,274 2,337 12,676 4.4:1  31.1 1990 2,721 8,940 11,661 2,195 13,934 5.3:1  27.2 1991 2,666 6,969 9,635 1,961 11,697 4.9:1  28.7 1992 2,804 5,537 8,341 1,805 10,242 4.6:1  30.0 1993 2,762 5,068 7,830 1,781 9,700 4.4:1  31.0 1994 2,686 4,851 7,537 1,616 9,228 4.7:1  29.8   この表をみると「同胞を選ぶ割合」が年々さがっているのが歴然としていま す。しかし、その傾向もどうやら90年代になって下げ止まったようです。とこ ろで、この「同胞を選ぶ割合」は88年以降ちょっと注意が必要です。   88年ソウルオリンピック以降、日本人男性が韓国から花嫁を連れてくる ケースがかなり増えました。このことは上の表にも数字になって表れています。 そのため「同胞を選ぶ割合」は日本に「定住」している韓国・朝鮮人が同胞を選 んだ割合を正確に反映しなくなりました。   そうした数は、在留資格「日本人の配偶者等」として出入国管理統計年報に 載っているそうで、韓国人の場合、89年は1、503人でした(田中宏「在日 外国人」岩波新書)。   こうした人が多ければ多いほど「同胞を選ぶ割合」は少なくなります。この 人たちを抜きにして、「同胞を選ぶ割合」を計算すると、89年は3.5%増え て34.6%になります。現在でもこの割合はあまり変わらないのではないかと 思います。   次に離婚の話題ですが、夫日本人・妻韓国人の離婚割合が高いのが注目され ます。こうした統計が92年から公表されましたのでそれを引用します。       妻日本人・夫韓国人      妻韓国人・夫日本人 年   結婚  離婚  結婚:離婚 結婚   離婚  結婚:離婚 1992 2,804件  956件 2.93:1 5,537件 3,591件 1.54:1 1993 2,762 889 3.11:1 5,068 3,154 1.61:1 1994 2,686 885 3.04:1 4,851 2,835 1.71:1   韓国人を妻に持った日本人は、その逆のケースのほぼ倍近く離婚しています。 これはソウルオリンピックのころ、流行にのって韓国から花嫁を迎えたカップル の破綻を意味するのでしょうか?   http://www.han.org/a/half-moon/       半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 96/12/30 - 01768/01768 PFG00017 半月城 サハリン残留韓国人の国籍 ( 7) 96/12/30 11:34 01714へのコメント   河原さん、#1714 > 日本の『ポツダム宣言』受諾後も朝鮮人が日本国民であったことを主 >張されています。 >しかし、この点に関しては大沼教授の主張に疑問があります。『ポツダム宣言』 >の第8条には「日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに我らの決 >定する諸小島に局限されるべし」とあって、朝鮮半島には日本国の主権が及ばな >いことになっています。 >日本国の主権が及ばない朝鮮半島の居住民を「日本国民」であると主張すること >はできない道理でしょう。   この主張はもっともなように見えます。しかし終戦直前、朝鮮半島に居住し ていたのは朝鮮人だけでなく日本人もいた事実に留意する必要があります。両者 はともに「日本国民」だったのですが、河原さんは、このなかで朝鮮人のみ日本 国籍を失った理由を単に、日本国の主権が及ばなくなったためと主張しているの でしょうか?   私も心情的には、ポツダム宣言で朝鮮は独立し、その時点で旧植民地出身者 は、日帝崇拝者を別にして一律に日本国籍を失ったと考えたいところです。それ はそれとして、ここでは感情論を抜きにして旧植民地出身者が「法律上」いつ日 本国籍を失ったのかきちんと検証したいと思います。   旧植民地出身者が日本国籍を失った時期を、下記のケースに分け考察したい と思います。  1.サハリン残留の韓国人  2.台湾居住の台湾人  3.朝鮮半島居住の韓国人  4.日本居住の朝鮮半島、台湾出身者   最初に基本的な共通事項として、本人が日本の国籍を喪失するのは日本の法 律「国籍法」によってであり、決してポツダム宣言やサンフランシスコ条約ある いは外国の法律などにすぐさま自動的に連動するものではないということを確認 しておく必要があります。   日本の旧国籍法は明治32年に、新国籍法は1950年に制定されました。 旧国籍法はよく知りませんが、新国籍法で国籍を失うのは、二重国籍の特殊な場 合を除けば次の第8条のみです(52年改正版、数年前にさらに改正)。 第8条(国籍の喪失)   日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍 を失う。   この条文からすると上記の人たちは「いつ外国籍を取得したか」が問題で、 その時点で日本国籍を失ったことになります。 1.サハリン居住の韓国人   河原さんの引用(#1706)によれば >「戦後の厳しい米ソの対立のなかで、サハリンを統治するソ連は朝鮮半島におけ >る唯一の合法政権として朝鮮民主主義人民共和国を承認し、大韓民国の存在を認 >めなかった。このため、サハリン州当局はサハリンの朝鮮人の法的地位を決める >にあたって、さまざまな手段を用いてソ連か北朝鮮の国籍をとるよう勧めた。ま >た、北朝鮮は、彼らになんとかして北朝鮮国籍をとらせるよう、ナホトカにある >総領事館を通じて猛烈な働きかけを行った。 >こうした有形無形の圧力と、実生活上の便宜という点から、50年代初めからす >こしずつソ連か北朝鮮の国籍をとる者が出てきた。しかし、かなりの者は、そう >すると韓国に帰れなくなると考えてあくまでソ連国籍と北朝鮮国籍を拒み続けた。   このように、かなりの者は日本からみた外国籍を取得しませんでした。それ にもかかわらず、日本政府は1952年、法律ではなく法務省の局長通達で彼ら は一律に日本国籍を失ったとしました。この措置は一体どんな合理的な根拠があ るのでしょうか?   そのうえ、法務省はこのことを本人に連絡さえもしなかったので、日ソ間に 国交がなかった当時、彼らは自分の身に何が起こったのかわからずじまいではな かったかと思います。   国際法学者の大沼教授は、この措置は下記のように「きわめて違憲の疑いが 強い」と主張しています(「サハリン棄民」中公新書)。   『日本政府は、1952年4月サンフランシスコ平和条約の発効とともに日 本国民であった台湾・朝鮮人は一律に日本国籍を失ったとして、以後一貫して彼 らを外国人として扱っており、この措置(民事局長の通達)は61年の最高裁判 決で合憲とされていた。   しかし、子細に検討してみると、この措置は第2次大戦後の植民地独立に伴 う国籍処理のなかできわめて異例のものであり、国籍条項をもたないサンフラン シスコ条約の解釈からも、韓国・北朝鮮が条約の当事国でない事実からも、きわ めて違憲の疑いが強いものだった。   61年の最高裁判決も、旧朝鮮戸籍にはいっていた者はサンフランシスコ条 約発効とともに朝鮮国籍を取得したはずだという独断に立って、韓国・北朝鮮の 国内法を無視した判決であり、実証的にも論理的にもはなはだ脆弱な基礎にたつ ものだった。   日本政府はサハリン裁判で、サハリン残留朝鮮人はもはや日本国民でないか ら彼らの帰還についてソ連と交渉する余地は限られると主張したが、その前提自 体多くの問題を含んでいたのである』   この国籍問題は、サハリン裁判で主要な争点になりました。訴状で高木健一 弁護士らは次のように主張しました。   『人はすべて国籍をもつ権利を有し、これを専断的に奪われることがない (世界人権宣言15条)以上、右のような事情にある原告たちは、社会的にはと もかく、法律的にはすくなくとも本邦に帰国するまでは、未だ日本国籍を失って いないのであり、日本国籍を喪ったとして原告らを引揚げの対象から除外した被 告国の行為は違憲、違法である』 (樺太残留者帰還請求訴訟事件訴状、1975.12.1)   裁判は14年の長きにわたり延々と争われ、この問題の存在を広くアピール するのに役立ちました。そうした甲斐があって、サハリン残留韓国人に対する理 解が深まり残留者の帰還がついに実施されました。そのため帰還裁判は89年6 月に取り下げられました。したがって判決が出なかったので国籍問題は結局うや むやのうちに終わってしまいました。   なお、高木弁護士は韓国人帰還実現を果たした功績を高く評価され、同年、 韓国政府から国民勲章「牡丹章」を授与されました。これは一般国民に贈られる 最高の勲章で、人権活動分野の功績で外国人に牡丹章が贈られたのは初めてでし た。 (つづく)   http://www.han.org/a/half-moon/       半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/01/03 - 01773/01773 PFG00017 半月城 韓国・台湾居住者の「日本国籍」喪失 ( 7) 97/01/03 12:26 01714へのコメント   前回は#1768で、(1)サハリン残留の韓国人 の国籍について書きましたが、今回はその続きを書きたいと思います。 2.台湾居住の台湾人   台湾では1945年10月25日、「中国戦区台湾地区降伏式」が台北公 会堂で行われました。日本政府を代表して安藤利吉・台湾総督が、中国政府を 代表して陳儀・台湾省長官公署長官が降伏文書に署名をしました。   この日はのちに光復節と名づけられ国定記念日になりましたが、式典の終 了直後、陳儀行政長官はラジオ放送を通じて「今日より台湾は正式に再び中国 の領土となり、すべての土地と住民は中華民国国民政府(国民党政権)の主権 下におかれる」(要旨)との声明を発表しました。   この降伏式をもって、台湾居住の台湾人はおおかた「中華民国国籍」を得 たといえます。しかし、この声明は台湾の領有権の変更のみならず、台湾人の 意志にかかわらず一方的に、その国籍を日本から中華民国に変更するものでし た(伊藤潔「台湾」中公新書)。   そのため、のちに自分は「日本人」であるとし、日本人なみの戦後補償を 求めて裁判を起こした人が現れました(#539,和解への道)。その人はた しか少数民族出身者であったように記憶しています。この少数民族出身者の主 張にはそれなりの根拠がありそうです。   台湾は1895年、日清戦争の賠償として日本の植民地になりました。そ の事実を台湾の少数民族出身者からみれば、支配者が清朝から日本に変わった だけで、異民族支配という枠組みには依然として変化がありませんでした。   その後、日本統治下の台湾でも「皇民化教育」が実施されたこともあり、 少数民族の人々は終戦時に「中国人」という意識はあまりなかったといえます。 そのため日本の降伏時に、中華民国国籍を押しつけられたという意識を持った としても不思議ではありません。したがって彼らは、日本の国籍法にいう「自 己の志望によって外国の国籍を取得した」とは必ずしもいえない場合があるか も知れません。 3.朝鮮半島居住の韓国人   朝鮮(当時)では国権の回復は台湾のように簡単にはいきませんでした。 1945年8月15日「玉音放送」の直前、民族主義左派ともいうべき呂運享 が朝鮮総督府の政務総監と面談し、日本降伏後の処置について話し合いを持ち ました。この会談後、呂運享は直ちに建国準備委員会を組織し、国内外で独立 運動をしてきた指導者の名を連ねた朝鮮人民共和国を宣布しました。   しかし、この朝鮮人民共和国はアメリカの反対であえなく潰れてしまいま した。また、中国で組織された臨時政府や韓国光復軍は、河原さんが#116 8に書かれたように、組織としての帰国がこれもアメリカにより認められず、 日本から権力を受け取ることができませんでした。   結局、台湾とは違って、日本の降伏は45年9月9日、米軍に対してなさ れたので、この日は朝鮮が主権を宣言する日にはなりませんでした。さらに不 幸なことに、米ソの取り決めにより、38度線の北はソ連が、南はアメリカが 軍政を敷きました。その後は米ソ冷戦体制のもとに、朝鮮は分断国家への道を 歩みました。その結果、南北はそれぞれ別々に1948年に独立し、「大韓民 国」および「朝鮮民主主義人民共和国」を建国しました。   この独立の時点でそれぞれの国の「国民」が確定したので、朝鮮半島の韓 国・朝鮮人はこの時に日本国籍を失ったとするのも一つの考え方です。しかし、 こうした見方はすくなくとも当事国はしませんでした。   まず日本ですが、この時点で米軍政下にあった日本政府は韓国・北朝鮮と もに国交がなく、国家として未承認だったので韓国籍や朝鮮籍を外国籍として 認めることはしませんでした。さらにいえば、朝鮮籍は今でも外国籍として認 めていないようです。   日本政府の考え方は、#569で浅原八郎為頼さんが紹介された次の法務 府通達に明確に示されました(前回、法務省と書いたのは法務府の誤りでし た)。   「朝鮮および台湾は、条約の発効の日から、日本国の領土から分離するこ とになるので、これに伴い、朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含 めて、全て日本の国籍を喪失する」(1952年4月19日付民事、甲、第438号、民 事局通達)。    #1714, >半月城さんが支持されている大沼教授の「朝鮮人、台湾人は平和条約発効まで >は日本国籍を失わない」主張の通りだとすると、「大韓民国」や「朝鮮民主主 >義人民共和国」の国民は、『サンフランシスコ講和条約』発効の52年までの >5年間は二重国籍者であったことになります。   日本政府が「朝鮮人、台湾人は平和条約発効までは日本国籍を失わない」 と断言する以上「当事国以外の外国」からみると、河原さんの主張どおり二重 国籍になりそうです。   このサンフランシスコ条約についていえば、この調印の時に台湾(中国) や朝鮮は招かれませんでした。また、旧植民地出身者の国籍などについては何 の取り決めもありませんでした。それにもかかわらず日本政府が国籍問題で同 条約にこだわるのは、この条約のなかで日本は朝鮮の独立を承認したことと、 同条約発効時に、別に日華平和条約を調印し台湾を承認したためです。   一方、韓国政府の考えは、1910年の日韓併合条約や、その導火線とな った1905年の保護条約などは当初から無効であり、韓国人は一貫して「韓 国籍」を持っていたと主張しています。ただし、植民地時代の36年間「日本 帝国臣民」であることを強要された歴史的事実は否認していません。 (つづく)   http://www.han.org/a/half-moon/       半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/01/04 - 01779/01779 PFG00017 半月城 在日朝鮮・台湾人の国籍 ( 7) 97/01/04 17:27 01714へのコメント   前回に続き、(4)日本居住の朝鮮半島、台湾出身者(在日朝鮮・台湾人 とする)の国籍問題を考えたいと思います。   日本政府は在日朝鮮・台湾人の国籍を52年、サンフランシスコ平和条約 までは日本人としましたが、この措置について各方面から次のように疑問がだ されました。 A.一片の局長通達で、在日朝鮮・韓国人の日本国籍を勝手に剥奪したのは憲 法違反ではないのか(注1)。 B.終戦後も引き続き在日朝鮮・台湾人が日本国籍を持つとした政策は正しか ったのか。   この指摘は、そもそも誰が日本国民であり、誰が日本国民でないのかとい う根源的な問いにも関連しており、「日本国民」の定義にかかわる重要な問題 です。言葉をかえていえば、「日本国民」の意味を真に理解するためには、在 日朝鮮・台湾人の歴史的存在の理解が欠かせないと思います。   こうした重要性を考えて、上の指摘を二回に分けて紹介します。 A.日本国籍剥奪   前々回、#1768に紹介したように、大沼教授は「日本国籍剥奪」は憲 法違反ではないかと疑問を出しましたが、当事者からも同じように疑問の声が あがりました。その一人、京都の宋斗会さんを紹介します。宋さんは、日本政 府の措置を不当であるとして1960年に「日本国籍確認訴訟」を最初におこ しました。宋さんの主張は明快です。   「かって自分たちは大日本帝国から日本人であることを強要され、私は日 本人として生活してきた。私は、日本の中で日本人としてより生きてはいけな い」   宋さんは、自分が勝手に外国人にされて差別されるのは納得できないとい う基本的な考えに立ち、自分が外国人登録証を持つのは理不尽であるとして、 刑罰を覚悟で自分の外国人登録証を法務省の玄関先で燃やし、日本政府の措置 を告発しました。   宋さんの訴えは最高裁で却下されましたが、時にはこうした訴えに理解を 寄せる判決もありました。広島高裁は90年、趙健治さんの「日本国籍確認訴 訟」で日本国籍自体は認めなかったものの趙さんの訴えに理解を示し、日本政 府の、過去の歴史を考慮しない立法政策や内外人差別政策の誤りを責めました (注2)。   こうした政策の妥当性の追求もさることながら、日本国籍の一斉喪失とい う政策の妥当性も検討する必要があります。   在日朝鮮・台湾人の日本国籍剥奪は、形式的には法務府・民事局長の一片 の通達によりなされましたが、官僚にはこのような重大な問題を決定する力量 はもちろんなく、これは政治決着を反映したに過ぎません。   こうした結果について、東京大学の大沼教授は「この措置は第2次大戦後 の植民地独立に伴う国籍処理のなかできわめて異例のものである」と主張して いますが、外国では、旧植民地出身者がどのように法的に扱われたかを参考の ためにみることにします(引用書、田中宏「在日外国人」岩波新書)。 イギリス   1948年のイギリス国籍法によると、新独立国の国民は「英連邦市民」 という地位をもち、イギリス本国では「外国人」とは扱われなかった。こうし た状態が1962年までつづき、その後、徐々に改められ、1971年の「移 民法」になって、初めて出入国についても一般外国人と同様に扱われることに なった。 フランス   アルジェリアのフランスからの独立は、民族解放戦争をへて、1962年 の「エビアン協定」によって達成された。同協定の付属文書には、フランスに おけるアルジェリア人は、政治的権利を除いてフランス人と同様の権利を有す る、とうたわれている。 西ドイツ   朝鮮の独立は、日本と朝鮮との関係で達成されたのではなく、日本の敗戦 の結果として実現したのである。その点は、ドイツの敗戦とオーストリアの独 立が、日本によく似た事例といえよう。   1956年5月、国籍問題規制法を制定して問題の解決をはかっている。 それによると、併合により付与された「ドイツ国籍」は、オーストリア独立の 前日にすべて消滅すると定めるとともに、一方で、ドイツ国内に居住するオー ストリア人は、意志表示によりドイツ国籍を回復する権利をもつ、すなわち 「国籍選択権」が認められたのである。   さて、日本では「国籍選択」はどのように扱われたのでしょうか。関係者 の発言は次の通りです。 <堀内内相>45年12月5日、衆議院選挙法改正委員会   「内地に在留する朝鮮人に対しては、日本の国籍を選択しうることになる のが、これまでの例であり、今度もおそらくそうなると考えています」 <川村外務政務次官>49年12月21日、衆議院外務委員会   「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定される、ことにな るという見通しをもっている」 <吉田茂首相>51年10月29日、衆議院平和条約特別委員会   「(朝鮮人の)名前まで改めさせるなど、日本化に力を入れた結果、朝鮮 人として日本に長く『土着』した人もいれば、また、日本人になりきった人も いる。   同時にまた何か騒動が起きると必ずその手先になって、地方の騒擾その他 に参加する者も少なくない。いいのと悪いのと両方あるので、その選択は非常 に・・・、選択して国籍を与えるわけではありませんけれども、朝鮮人に禍を 受ける半面もあり、またいい面もある。・・・   特に、朝鮮人に日本国籍を与えるについても、よほど考えねばならないこ とは、あなた(曾根議員)の言われるような少数民族問題が起こって、随分他 国では困難をきたしている例も少なくないので、この問題については慎重に考 えたいと思います」 <西村条約局長>51年11月5日、同上   「かって独立国であったものが、合併によって日本の領土の一部になった。 その朝鮮が独立を回復する場合には、朝鮮人であったものは当然従前持ってい た朝鮮の国籍を回復すると考えるのが通念でございます。   ですから、この(平和条約)第2条(A)には国籍関係は全然入っていな いわけであります。日本に相当数の朝鮮人諸君が住んでおられます。これらの 諸君のために、特に日本人としていたいとの希望を持っておられる諸君のため に、特別の条件を平和条約に設けることの可否という問題になるわけです。   その点を研究しました結果、今日の国籍法による帰化の方式によって、在 留朝鮮人諸君の希望を満足できるとの結論に達しましたので、特に国籍選択と いうような条項を設けることを(連合国側に)要請しないことにしたわけで す」   こうした動きについて、田中宏・一橋大教授は次のように日本の排他性を 批判しました。   「在日朝鮮人の国籍問題は、第一次大戦後のベルサイユ条約にある国籍選 択方式を念頭に置きながら、やがては日本国籍の一斉喪失へ、そして、それ以 降の日本国籍取得は『帰化』によって対処する、その際も、『日本国民であっ た者』とも『日本国籍を失った者』とも扱わないことによって完結した。   それは、かって帝国臣民たることを強制した者を、一般外国人と全く同じ 条件で帰化審査に付すことを意味し、みごとに『歴史の抹消』がなされたと言 えよう。   そもそも、帰化というのは、日本国家がまったく自己の好みによって相手 を自由に『選択』できる制度なのである。前にみた西ドイツにおける国籍選択 は、オーストリア人の選択に西ドイツが従う制度であり、日本とはまるで正反 対である。   かくして、いったん『外国人』にしてしまえば、後は日本国民でないこと を理由に国外追放も可能なら、さまざまな『排除』や『差別』も、ことごとく 国籍を持ち出すことによって『正当化』され、それが基本的には今日も続いて いるのである」   かって「帝国臣民」であった者を「日本国民」であった者としないという 通達は、在日朝鮮・台湾人の帰化を極力避けるためなら過去の歴史すら抹消し ようとする排外主義のなせるわざでしょうか。それとも大和民族の血を重視す る純血主義・国粋主義の表れでしょうか。 (注1)法務府・民事局長通達(1952.4.19、民事甲438)要旨 1.朝鮮人および台湾人は、内地に在住している者も含めてすべて日本国籍を  喪失する。 2.もと朝鮮人または台湾人であった者でも、条約発効前に身分行為(婚姻、  養子、縁組など)により内地の戸籍に入った者は、引き続き日本国籍を有す  る。 3.もと内地人であった者でも、条約発効前の身分行為により、内地戸籍から  除かれた者は、日本の戸籍を喪失する。 4.朝鮮人および台湾人が日本の国籍を取得するには、一般の外国人と同様に  帰化の手続きによること。その場合、朝鮮人および台湾人は、国籍法にいう  「日本国民であった者」および「日本の国籍を失った者」には該当しない。 (注2)広島高裁、判決理由(1990.11.29、民事第2部)   「在日朝鮮人が、その歴史的経緯により日本において置かれている特殊の 地位にもかかわらず、日本人が憲法ないし法律で与えられている多くの権利な いし法的地位を享有し得ず、法的、社会的に差別され、劣悪な地位に置かれて いることは事実であるが、右は在日朝鮮人が日本国籍を有しないためでなく、 主として日本の植民地支配の誤りにより在日朝鮮人が置かれた立場を考慮せず、 日本人が享有している権利ないし法的地位を在日朝鮮人に与えようとしなかっ た立法政策の誤りに基因する」   http://www.han.org/a/half-moon/       半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/01/06 - 01784/01784 PFG00017 半月城 GHQの在日朝鮮人政策 ( 7) 97/01/05 22:32 01541へのコメント   国籍シリーズの最後として、 B.終戦後も引き続き在日朝鮮・台湾人が日本国籍を持つとした政策は正しか ったのか。 という問題を考えていきたいと思います。そのためにはGHQの施策をそのス タート時からチェックする必要があります。そこで手始めに、GHQ・日本政 府の、在日朝鮮人の引揚げに関する政策からふれたいと思います。   終戦の8月15日、シンガポール出身の蔡・津田塾大教授によれば、この 日のことを韓国では「光復」の日、中国では「対日勝利」の日、シンガポール では「日本投降」の日というそうですが、在日朝鮮人(当時)・台湾人にとっ て、この日は「解放」の日でした。   GHQは、米国SWNCCの基本指令(注1)、およびこれをそのまま引 き継いだ極東政策委員会政策決定(注2)にしたがい、在日朝鮮・台湾人を解 放国民、場合によっては敵国人と規定し諸政策を実施しました。その総括をG HQ自身の発表(46.11.20)からみることにします。   「占領の初期から、米国の、後には連合軍の政策決定に従って、朝鮮人に 対して解放国民としての待遇を与え、且つその福祉のため可能なあらゆること をすることが占領官憲の政策であった。   政治上の理由で拘禁されている者を刑務所から釈放し、事実上奴隷的労働 者であった者を解放するため、速やかに措置が執られた。   引揚計画が発議され、今日までに、不法に日本に再入国して再び送還され た 14,000 名を含まずに、919,000 名以上がその本国に帰還した。いま約 600,000 名の朝鮮人が日本にいるが、そのうち 75,000 名が引揚を請求してい る。   日本官憲は、朝鮮人がどのようにも差別待遇されないように厳重な訓令を 受け又、占領官憲はこれらの指令が完全に実施されるのを確かめるためたえず 努力を払っている。・・・」 (朝鮮人の地位及び取扱に関する総司令部渉外局発表、外務省訳)   この発表ではふれられていませんが、上記のように当局が把握した帰国者 のほかに、自費で約60万名の朝鮮人が怒濤のように帰ったとされています。 なお、中国人は約4万1千人、台湾省民は1万8千人が統計上帰国しました。   このように大量の朝鮮人・中国人の帰国は日本の産業にかなりの影響をお よぼしました。それまで炭坑では相当数の朝鮮人・中国人が、GHQのいう 「奴隷的労働者」として働いていましたが、彼らは常磐炭田や北海道の炭田で、 三大労働紛争に数えられるようなストライキを起こしてまで帰国を要求し、実 現させました。その結果、石炭生産は著しく減少する結果になりました(GH Q「総覧」,Summation No2,1945.Dec)。   一方、日本政府もこうした不穏な空気、ないしは暴動を恐れ、45年9月 1日、厚生・内務両省から通達「警保局発第3号」を出し、「朝鮮人集団移入 労務者」すなわち強制連行した朝鮮人を優先的に帰国させました。   こうしてかなりの人が帰国しましたが、なおも日本には約60万人が残り ました。   話かわって、こうして残った在日朝鮮人に関して、下落合95さんは何度 も下記のように、私のコメントを求めておられるので、このさい本題からすこ しはずれて、これにコメントをつけたいと思います。   #1771,下落合95さん   > 半月城さんの趣味か、あるいは上からの指示かどうかしり   >ませんが、民団系の調査結果で在日韓国人一世の大半は自由   >意思での渡日であるということが判明しているという指摘に   >対していまだに言及がありませんね。   上からの指示? 何のことやら。たわいもない話はともかく、上記に関連 して下落合95さんが「大半は自由意思」と断定した「民団調査」を下記に引 用します。 > #1514,えーす寝台さん >『アボジ聞かせてあの日のことを』(在日本大韓民国青年会/ > 88年2 月20日) >1、統計編 >P27 (3)渡日理由 サンプル 1106人 >             全体       男        女 >経済的理由       39.6%   44.1%    31.8% >結婚・親族との同居   17.3%    5.4%    37.7% >徴兵・徴用       13.3%   19.9%     2.0%   この資料についてサンプリングが適正かどうかなどといった統計学の基本 は、今は問題にせずにコメントします。   上記の数字、特に下落合95さんや、えーす寝台さんが関心をお持ちの徴 兵・徴用の割合は、ひとまず妥当ではないかと思われます。私の周囲からする と、88年当時の在日朝鮮人一世の男性5人に1人が徴兵・徴用されたという 割合は、むしろ実際より高いかなという気がしないでもありません。   ときに、この割合は88年現在の数字であって、戦時中の数字でないこと はとくに留意する必要があります。つまり、終戦時に約200万人いた在日朝 鮮人は、上記のように大半が帰国し、残ったのは1/4強ですが、その1/4 強から全体を類推するのはもちろん注意を要します。   その理由は二点考えられます。その第一点は上に書いたように、日本政府 は強制連行した朝鮮人を優先的に帰国させたことにあります。   第二点は、強制連行された人の心理を考えると、この人たちの大半は、な にをさしおいても帰国したのではないかと推測されます。これに関し、福岡安 則・埼玉大学教授は「在日韓国・朝鮮人」(中公新書)で次のように述べまし た。   「強制連行者」たちにとって、日本は恨(ハン)の対象以外のなにもので もなかったはずだ。極限的状況に放り込まれた人たちの心理状態を、追体験的 に了解するなどということは不可能に近い。それは承知しているつもりだ。だ が、彼らの基本的な心情を、私なりに推察してみれば、次のように言えないだ ろうか。   日本に来たのは、いかなる意味でも、自分の意思ではない。ある日、突然、 家族から引き剥がされて連行されてきた。日本では、いっさいの自由を奪われ、 苛酷きわまりない条件下で、強制労働に従事させられた。炭坑、軍需工場、飛 行場などの建設現場、松代大本営や高槻地下倉庫(略称タチソ)などの巨大な 軍事用トンネルの掘削工事、等々。   出会う日本人は、そうした労働現場で、苛酷な労働を強制する監督たちだ けだ。彼らは朝鮮人を人間とも思わない。労働への対価としての賃金もまとも には支払われない。そして、次々と同胞が死んでいく。悪意の魂としてのみ現 前する日本人たち。   強制連行者にとって、日本は、ただひたすら恨みつらみの対象だったはず だ。彼を日本に引き留める要因は、なにひとつない。そして、あの日、突如と して拉致されるように身を引き剥がされた朝鮮の故郷には、家族、肉親が、自 分の安否を心配しながら、帰りを待ってくれているはずだ。----強制連行者の 母国帰還の想いは、文字どおり、矢も楯もたまらないものだったにちがいな い」   この分析を読んで、私はサハリン残留韓国人を思い浮かべました。故郷に 帰りたい一心から、日常生活でどんなに不利益になろうともソ連籍や北朝鮮籍 をかたくななまでに4,50年も拒否し続け、無国籍になった人たちの心の奥 にあるのは「故郷」のことだけだったのではないでしょうか。   韓国では、身内や親戚の絆は日本の数倍も強いだけに、強制連行され家族 から引き裂かれた人たちは肉親に会える日をどれだけ待ち望んだことでしょう か。 (注1)SWNCC(国務・陸軍・海軍・三省調整委員会)    日本占領および管理のための連合国軍最高司令官に対する降伏後におけ   る初期の基本的指令(1945.11.1)、内容は(注2)に同じ。 (注2)在日非日本人の引揚等に関する極東委員会政策決定(抄)1946.6.5   連合国最高司令官は、軍事上の安全が許す限り中国人たる台湾人及び朝鮮 人を解放人民として処遇すべきである。かれらはこの文書中に使用されている 「日本人」という用語には含まれない。しかし、かれらはいまもなお引きつづ き日本国民であるから、必要な場合は、敵国人として処遇されてよい。かれら は国籍、住所、現住地について、本人であることに相違ないことが確認されな ければならない。かれらは、希望するならば、連合国最高司令官の定める規則 によって引き揚げることができる。しかし、連合国人の引揚げに優先権が与え られる。(外務省訳) (つづく)   http://www.han.org/a/half-moon/       半月城


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