文書名:在日韓国・朝鮮人の結婚割合
[zainichi:1116] Date: Tue Dec 31 00:38:18 1996
半月城です。金明秀@HANさんが#1106で
>まぁ,細かい数字はともあれ,(在日韓国・朝鮮人と)日本人との結婚が多い
>ことが重要なんだろうと思いますが,こと数字にはちょっとウルサイたちで
>して。^_^;
と書かれていましたが、この数字について私は2年前、PCVAN,ARIRANG に書き込
んだことがありますので、それを要約します。
厚生省統計によれば、日本における韓国・朝鮮人の結婚の統計は次表のとお
りです。ただし、最後の列の「同胞を選ぶ割合」は、韓国・朝鮮人が結婚相手に
同胞を選んだ割合を示します。この計算方法は#1106に書かれているとおり
です。
年 日本人との結婚件数 夫婦とも韓 総数 C対D 同胞を
妻日本人 夫日本人 小計(C) 国・朝鮮(D) C+D 選ぶ割合
1955 242 94 336 737 1,102 1:2.2 80.2%
1960 862 310 1,172 2,315 3,524 1:2.7 79.3
1965 1,128 843 1,971 3,681 5,693 1:1.9 78.5
1970 1,386 1,536 2,922 3,879 6,892 1:1.3 72.0
1975 1,554 1,994 3,548 3,619 7,249 1:1.0 66.6
1980 1,651 2,458 4,109 3,061 7,255 1.3:1 59.3
1985 2,525 3,622 6,147 2,404 8,627 2.6:1 43.6
1988 2,535 5,063 7,598 2,362 10,015 3.2:1 38.2
1989 2,589 7,685 10,274 2,337 12,676 4.4:1 31.1
1990 2,721 8,940 11,661 2,195 13,934 5.3:1 27.2
1991 2,666 6,969 9,635 1,961 11,697 4.9:1 28.7
1992 2,804 5,537 8,341 1,805 10,242 4.6:1 30.0
1993 2,762 5,068 7,830 1,781 9,700 4.4:1 31.0
1994 2,686 4,851 7,537 1,616 9,228 4.7:1 29.8
この表をみると「同胞を選ぶ割合」が年々さがっているのが歴然としていま
す。しかし、その傾向もどうやら90年代になって下げ止まったようです。とこ
ろで、この「同胞を選ぶ割合」は88年以降ちょっと注意が必要です。
88年ソウルオリンピック以降、日本人男性が韓国から花嫁を連れてくる
ケースがかなり増えました。このことは上の表にも数字になって表れています。
そのため「同胞を選ぶ割合」は日本に「定住」している韓国・朝鮮人が同胞を選
んだ割合を正確に反映しなくなりました。
そうした数は、在留資格「日本人の配偶者等」として出入国管理統計年報に
載っているそうで、韓国人の場合、89年は1、503人でした(田中宏「在日
外国人」岩波新書)。
こうした人が多ければ多いほど「同胞を選ぶ割合」は少なくなります。この
人たちを抜きにして、「同胞を選ぶ割合」を計算すると、89年は3.5%増え
て34.6%になります。現在でもこの割合はあまり変わらないのではないかと
思います。
次に離婚の話題ですが、夫日本人・妻韓国人の離婚割合が高いのが注目され
ます。こうした統計が92年から公表されましたのでそれを引用します。
妻日本人・夫韓国人 妻韓国人・夫日本人
年 結婚 離婚 結婚:離婚 結婚 離婚 結婚:離婚
1992 2,804件 956件 2.93:1 5,537件 3,591件 1.54:1
1993 2,762 889 3.11:1 5,068 3,154 1.61:1
1994 2,686 885 3.04:1 4,851 2,835 1.71:1
韓国人を妻に持った日本人は、その逆のケースのほぼ倍近く離婚しています。
これはソウルオリンピックのころ、流行にのって韓国から花嫁を迎えたカップル
の破綻を意味するのでしょうか?
http://www.han.org/a/half-moon/ 半月城
- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 96/12/30 -
01768/01768 PFG00017 半月城 サハリン残留韓国人の国籍
( 7) 96/12/30 11:34 01714へのコメント
河原さん、#1714
> 日本の『ポツダム宣言』受諾後も朝鮮人が日本国民であったことを主
>張されています。
>しかし、この点に関しては大沼教授の主張に疑問があります。『ポツダム宣言』
>の第8条には「日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに我らの決
>定する諸小島に局限されるべし」とあって、朝鮮半島には日本国の主権が及ばな
>いことになっています。
>日本国の主権が及ばない朝鮮半島の居住民を「日本国民」であると主張すること
>はできない道理でしょう。
この主張はもっともなように見えます。しかし終戦直前、朝鮮半島に居住し
ていたのは朝鮮人だけでなく日本人もいた事実に留意する必要があります。両者
はともに「日本国民」だったのですが、河原さんは、このなかで朝鮮人のみ日本
国籍を失った理由を単に、日本国の主権が及ばなくなったためと主張しているの
でしょうか?
私も心情的には、ポツダム宣言で朝鮮は独立し、その時点で旧植民地出身者
は、日帝崇拝者を別にして一律に日本国籍を失ったと考えたいところです。それ
はそれとして、ここでは感情論を抜きにして旧植民地出身者が「法律上」いつ日
本国籍を失ったのかきちんと検証したいと思います。
旧植民地出身者が日本国籍を失った時期を、下記のケースに分け考察したい
と思います。
1.サハリン残留の韓国人
2.台湾居住の台湾人
3.朝鮮半島居住の韓国人
4.日本居住の朝鮮半島、台湾出身者
最初に基本的な共通事項として、本人が日本の国籍を喪失するのは日本の法
律「国籍法」によってであり、決してポツダム宣言やサンフランシスコ条約ある
いは外国の法律などにすぐさま自動的に連動するものではないということを確認
しておく必要があります。
日本の旧国籍法は明治32年に、新国籍法は1950年に制定されました。
旧国籍法はよく知りませんが、新国籍法で国籍を失うのは、二重国籍の特殊な場
合を除けば次の第8条のみです(52年改正版、数年前にさらに改正)。
第8条(国籍の喪失)
日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍
を失う。
この条文からすると上記の人たちは「いつ外国籍を取得したか」が問題で、
その時点で日本国籍を失ったことになります。
1.サハリン居住の韓国人
河原さんの引用(#1706)によれば
>「戦後の厳しい米ソの対立のなかで、サハリンを統治するソ連は朝鮮半島におけ
>る唯一の合法政権として朝鮮民主主義人民共和国を承認し、大韓民国の存在を認
>めなかった。このため、サハリン州当局はサハリンの朝鮮人の法的地位を決める
>にあたって、さまざまな手段を用いてソ連か北朝鮮の国籍をとるよう勧めた。ま
>た、北朝鮮は、彼らになんとかして北朝鮮国籍をとらせるよう、ナホトカにある
>総領事館を通じて猛烈な働きかけを行った。
>こうした有形無形の圧力と、実生活上の便宜という点から、50年代初めからす
>こしずつソ連か北朝鮮の国籍をとる者が出てきた。しかし、かなりの者は、そう
>すると韓国に帰れなくなると考えてあくまでソ連国籍と北朝鮮国籍を拒み続けた。
このように、かなりの者は日本からみた外国籍を取得しませんでした。それ
にもかかわらず、日本政府は1952年、法律ではなく法務省の局長通達で彼ら
は一律に日本国籍を失ったとしました。この措置は一体どんな合理的な根拠があ
るのでしょうか?
そのうえ、法務省はこのことを本人に連絡さえもしなかったので、日ソ間に
国交がなかった当時、彼らは自分の身に何が起こったのかわからずじまいではな
かったかと思います。
国際法学者の大沼教授は、この措置は下記のように「きわめて違憲の疑いが
強い」と主張しています(「サハリン棄民」中公新書)。
『日本政府は、1952年4月サンフランシスコ平和条約の発効とともに日
本国民であった台湾・朝鮮人は一律に日本国籍を失ったとして、以後一貫して彼
らを外国人として扱っており、この措置(民事局長の通達)は61年の最高裁判
決で合憲とされていた。
しかし、子細に検討してみると、この措置は第2次大戦後の植民地独立に伴
う国籍処理のなかできわめて異例のものであり、国籍条項をもたないサンフラン
シスコ条約の解釈からも、韓国・北朝鮮が条約の当事国でない事実からも、きわ
めて違憲の疑いが強いものだった。
61年の最高裁判決も、旧朝鮮戸籍にはいっていた者はサンフランシスコ条
約発効とともに朝鮮国籍を取得したはずだという独断に立って、韓国・北朝鮮の
国内法を無視した判決であり、実証的にも論理的にもはなはだ脆弱な基礎にたつ
ものだった。
日本政府はサハリン裁判で、サハリン残留朝鮮人はもはや日本国民でないか
ら彼らの帰還についてソ連と交渉する余地は限られると主張したが、その前提自
体多くの問題を含んでいたのである』
この国籍問題は、サハリン裁判で主要な争点になりました。訴状で高木健一
弁護士らは次のように主張しました。
『人はすべて国籍をもつ権利を有し、これを専断的に奪われることがない
(世界人権宣言15条)以上、右のような事情にある原告たちは、社会的にはと
もかく、法律的にはすくなくとも本邦に帰国するまでは、未だ日本国籍を失って
いないのであり、日本国籍を喪ったとして原告らを引揚げの対象から除外した被
告国の行為は違憲、違法である』
(樺太残留者帰還請求訴訟事件訴状、1975.12.1)
裁判は14年の長きにわたり延々と争われ、この問題の存在を広くアピール
するのに役立ちました。そうした甲斐があって、サハリン残留韓国人に対する理
解が深まり残留者の帰還がついに実施されました。そのため帰還裁判は89年6
月に取り下げられました。したがって判決が出なかったので国籍問題は結局うや
むやのうちに終わってしまいました。
なお、高木弁護士は韓国人帰還実現を果たした功績を高く評価され、同年、
韓国政府から国民勲章「牡丹章」を授与されました。これは一般国民に贈られる
最高の勲章で、人権活動分野の功績で外国人に牡丹章が贈られたのは初めてでし
た。
(つづく)
http://www.han.org/a/half-moon/ 半月城
- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 97/01/03 -
01773/01773 PFG00017 半月城 韓国・台湾居住者の「日本国籍」喪失
( 7) 97/01/03 12:26 01714へのコメント
前回は#1768で、(1)サハリン残留の韓国人
の国籍について書きましたが、今回はその続きを書きたいと思います。
2.台湾居住の台湾人
台湾では1945年10月25日、「中国戦区台湾地区降伏式」が台北公
会堂で行われました。日本政府を代表して安藤利吉・台湾総督が、中国政府を
代表して陳儀・台湾省長官公署長官が降伏文書に署名をしました。
この日はのちに光復節と名づけられ国定記念日になりましたが、式典の終
了直後、陳儀行政長官はラジオ放送を通じて「今日より台湾は正式に再び中国
の領土となり、すべての土地と住民は中華民国国民政府(国民党政権)の主権
下におかれる」(要旨)との声明を発表しました。
この降伏式をもって、台湾居住の台湾人はおおかた「中華民国国籍」を得
たといえます。しかし、この声明は台湾の領有権の変更のみならず、台湾人の
意志にかかわらず一方的に、その国籍を日本から中華民国に変更するものでし
た(伊藤潔「台湾」中公新書)。
そのため、のちに自分は「日本人」であるとし、日本人なみの戦後補償を
求めて裁判を起こした人が現れました(#539,和解への道)。その人はた
しか少数民族出身者であったように記憶しています。この少数民族出身者の主
張にはそれなりの根拠がありそうです。
台湾は1895年、日清戦争の賠償として日本の植民地になりました。そ
の事実を台湾の少数民族出身者からみれば、支配者が清朝から日本に変わった
だけで、異民族支配という枠組みには依然として変化がありませんでした。
その後、日本統治下の台湾でも「皇民化教育」が実施されたこともあり、
少数民族の人々は終戦時に「中国人」という意識はあまりなかったといえます。
そのため日本の降伏時に、中華民国国籍を押しつけられたという意識を持った
としても不思議ではありません。したがって彼らは、日本の国籍法にいう「自
己の志望によって外国の国籍を取得した」とは必ずしもいえない場合があるか
も知れません。
3.朝鮮半島居住の韓国人
朝鮮(当時)では国権の回復は台湾のように簡単にはいきませんでした。
1945年8月15日「玉音放送」の直前、民族主義左派ともいうべき呂運享
が朝鮮総督府の政務総監と面談し、日本降伏後の処置について話し合いを持ち
ました。この会談後、呂運享は直ちに建国準備委員会を組織し、国内外で独立
運動をしてきた指導者の名を連ねた朝鮮人民共和国を宣布しました。
しかし、この朝鮮人民共和国はアメリカの反対であえなく潰れてしまいま
した。また、中国で組織された臨時政府や韓国光復軍は、河原さんが#116
8に書かれたように、組織としての帰国がこれもアメリカにより認められず、
日本から権力を受け取ることができませんでした。
結局、台湾とは違って、日本の降伏は45年9月9日、米軍に対してなさ
れたので、この日は朝鮮が主権を宣言する日にはなりませんでした。さらに不
幸なことに、米ソの取り決めにより、38度線の北はソ連が、南はアメリカが
軍政を敷きました。その後は米ソ冷戦体制のもとに、朝鮮は分断国家への道を
歩みました。その結果、南北はそれぞれ別々に1948年に独立し、「大韓民
国」および「朝鮮民主主義人民共和国」を建国しました。
この独立の時点でそれぞれの国の「国民」が確定したので、朝鮮半島の韓
国・朝鮮人はこの時に日本国籍を失ったとするのも一つの考え方です。しかし、
こうした見方はすくなくとも当事国はしませんでした。
まず日本ですが、この時点で米軍政下にあった日本政府は韓国・北朝鮮と
もに国交がなく、国家として未承認だったので韓国籍や朝鮮籍を外国籍として
認めることはしませんでした。さらにいえば、朝鮮籍は今でも外国籍として認
めていないようです。
日本政府の考え方は、#569で浅原八郎為頼さんが紹介された次の法務
府通達に明確に示されました(前回、法務省と書いたのは法務府の誤りでし
た)。
「朝鮮および台湾は、条約の発効の日から、日本国の領土から分離するこ
とになるので、これに伴い、朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含
めて、全て日本の国籍を喪失する」(1952年4月19日付民事、甲、第438号、民
事局通達)。
#1714,
>半月城さんが支持されている大沼教授の「朝鮮人、台湾人は平和条約発効まで
>は日本国籍を失わない」主張の通りだとすると、「大韓民国」や「朝鮮民主主
>義人民共和国」の国民は、『サンフランシスコ講和条約』発効の52年までの
>5年間は二重国籍者であったことになります。
日本政府が「朝鮮人、台湾人は平和条約発効までは日本国籍を失わない」
と断言する以上「当事国以外の外国」からみると、河原さんの主張どおり二重
国籍になりそうです。
このサンフランシスコ条約についていえば、この調印の時に台湾(中国)
や朝鮮は招かれませんでした。また、旧植民地出身者の国籍などについては何
の取り決めもありませんでした。それにもかかわらず日本政府が国籍問題で同
条約にこだわるのは、この条約のなかで日本は朝鮮の独立を承認したことと、
同条約発効時に、別に日華平和条約を調印し台湾を承認したためです。
一方、韓国政府の考えは、1910年の日韓併合条約や、その導火線とな
った1905年の保護条約などは当初から無効であり、韓国人は一貫して「韓
国籍」を持っていたと主張しています。ただし、植民地時代の36年間「日本
帝国臣民」であることを強要された歴史的事実は否認していません。
(つづく)
http://www.han.org/a/half-moon/ 半月城
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