半月城通信
No. 22

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 「従軍慰安婦」48 「従軍慰安婦」の総数
  2. 「従軍慰安婦」49 クマラスワミ報告書の背景
  3. 「従軍慰安婦」50 真相究明
  4. 「従軍慰安婦」51 補償および処罰
  5. ハングルの起源
  6. 「半月城通信」の姿勢


<179.「従軍慰安婦」48 「従軍慰安婦」の総数> - FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 96/11/02 - 01349/01350 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」の総数 ( 7) 96/11/02 00:13 01280へのコメント   順番に従い、ロードスターさんの#1280にお答えします。 >>強制従軍慰安婦の数は8万人ないし20万人と言われています。 >半月城さんの一連のシリーズの(2)には一日平均20人の相手をさせられた >ことになっていますがもしこれが普通ならは毎日20X20万=400万人近 >くが慰安婦の御世話になっていたことになりますね。日本軍の兵力がいくらだ >ったかわかりませんが、これが正しかったら日本軍人は戦争をしに行くという >よりは戦地で女を抱きに行ったと言う感じになってしまいますが。 ちょっと >誇張しすぎた数ではありませんか。   現在、「従軍慰安婦」の総数を推定するのはむずかしいものです。終戦直後、 日本軍は当然のことながら多くの重要書類を焼却しました。また#1318で紹 介したように、日本政府はまだかなりの資料を非公開としています。そのため 「従軍慰安婦」の総数は推定の域をでません。   この具体的な推定を、秦郁彦教授が次のように行いました。まず前提として、 太平洋戦争期に海外の日本兵を平均300万人、兵員50人に1人の慰安婦がい たとしました。この仮定のもとに、慰安婦が全く入れ替わらなかったとすると、 慰安婦の数は6万人、1.5交代したとすると9万人になると推定しました (「昭和史の謎を追う」、中央公論社)。   この計算の妥当性を吉見教授が検討しました(「従軍慰安婦」岩波新書)。 まず、海外の兵員数300万人の試算ですが、42年は232万人、45年8月 は351万人なので平均300万人は妥当であるとしていました。   次に、兵員対慰安婦の割合ですが、これが大きい数字として39年に第21 軍が把握した割合の100人対1人がありました。一方すくない方の数字として は、当時「ニクイチ」という業者の用語がありましたが、これは兵29人に慰安 婦1人が適正割合という意味でした。この比率に近い数字は、詳細は省きますが いろいろな作戦やプロジェクトの計画段階でよく使われました。しかし、これは 希望的数字で実際に集まったのはいつもこれより少なかったようでした。こうし た事情から、秦氏の推定50対1もほぼ妥当なようです。   さて、問題は交代率です。ロードスターさんはこの交代率を見落としている ようですが、これは難問です。ひとつの手がかりとして、吉見氏は台湾の「従軍 慰安婦」の調査報告書をチェックしました。(財)台北市婦女救援社会福祉事業 基金会の調査で判明した「従軍慰安婦」48人のうち、日本の降伏まで軍慰安所 にいたのはわずか16人でした。この場合、交代率は3.0で、これから「従軍 慰安婦」の総数を計算すると18万人になります。しかし、台湾の「従軍慰安 婦」の場合、7人が戦局悪化のため帰国していました。これを差し引くと交代率 は2.1、総数は13万人になります。   一方、東南アジアでは交代率はもっと高かったようでした。数年前、補償を 求めて東京地裁で裁判を起こしているフィリッピン「従軍慰安婦」46人の場合、 訴状によれば「従軍慰安婦」であった期間が、1ヶ月以内が18人、2-6ヶ月 くらいが15人、8ヶ月-2年余が13人でした。一人一人の監禁期間が短いと いうことはそれだけ交代率が相当高かったことを意味しますが、この場合は交代 率の考え方そのものが、どれだけ意味を持つのか疑問かも知れません。   他方、韓国では交代率は低かったようでした。「従軍慰安婦」19人のうち、 5人が日本の降伏の前に帰国しました。この場合の交代率は1.4、総数は8万 人になります。もっとも途中で死亡した人などを計算に入れると交代率はもっと 高くなります。   このように交代率の高かった地域、低かった地域とさまざまで、その加重平 均を求めるのは困難です。そのためか吉見氏自身は結局明確な総数算定はしませ んでした。このように「従軍慰安婦」の総数を正確に推定するのは困難なようで、 総数を8万人ないし20万人と幅を持たせて報道したNHKの判断は無難なよう です。   最後に研究者の数字を表にすると次のようになります。  千田夏光氏      8 万人  秦 郁彦氏   6- 9 万人  吉見義明氏   5-20 万人  金 一勉氏  17-20 万人    http://www.han.org/a/half-moon/       半月城


<180.「従軍慰安婦」49 クマラスワミ報告書の背景> - FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 01372/01372 PFG00017 半月城 クマラスワミ報告書の背景 ( 7) 96/11/04 19:53 01288へのコメント   河原さんと私は、お互いに相手がクマラスワミ報告書を文面通りに読んでい ないと今でも思いこんでいるようです。このままでは平行線かなと危ぶまれたの ですが、やっと河原さんの考えがわかりました。河原さんはなんと    クマラスワミ報告書=調査団報告書 と捉えていたのですね。これは意外でした。クマラスワミ報告書を、何か出張報 告書的(?)に考えたのでは、クマラスワミ氏の活動をあまりにも単純化しすぎ ではないでしょうか。クマラスワミ氏は、いくら何でもわずか2週間足らずの、 しかも訪問国が限られた調査団の活動だけをもとにしていたのでは、とても日本 政府への大胆な勧告を含む報告書を書けるはずがありません。このあたりの認識 のズレからお互いの誤解が広がっていったようです。   私の考えは#1276に書きましたが、クマラスワミ報告書は三つの重要な 柱をもとに完成したとするものです。それをあらためて整理すると (1)過去4年にわたる国連人権委員会による活動 (2)各国政府やNGOから事前に得た情報の予備調査 (3)事前情報の調査団による確認と関係者との面談 などがクマラスワミ報告書の屋台骨であると考えます。このように調査団の活動 はクマラスワミ報告書のための一部であって、両者は決してイコールではありま せん。この点の認識が河原さんと決定的に違う点です。なお、私は両者は決して 「無関係」であるとは書いていませんので念のために申し添えます。   こうした見方の違いは重要で、すべてはここから亀裂が広がりました。たと えば、河原さんは上記(1)の過去の国連活動が眼中にないので、クマラスワミ 氏の来日前の言動を、「予断と偏見」として批判したわけです。   私にいわせれば、これは過去、国連内部で四年間もかなり検討された成果に たち、クマラスワミ氏は各国政府やNGOの資料を加味し十分な検討の結果、あ る確信を持って日本に来たのでした。このあたりのいきさつは#907(クマラ スワミ報告書)に書いたとおりです。   くり返しになるのでくわしくは述べませんが、国連はすでに92年に日本政 府から「従軍慰安婦」に関する資料を入手して検討を始めていました。そればか りか、国際法に関する論議なども人権委員会でさんざん論議されました。その結 果、日本軍の慰安所は国際法違反であるとするIFOR提案が採択され、正式な 国連文書として配布されました。   つまりこの時点で、日本軍の慰安所は国際法違反であるという「国連決議」 がすでに成り立っていました。さらに関係者の処罰問題は何もクマラスワミ氏が 初めていい出したのではなく、この時点で「日本は過去にさかのぼって責任者の 処罰を行うための立法化を進める義務がある」と決議されていたのでした。   クマラスワミ氏はこうした「国際的な認識」を基本に、各国政府やNGOか ら得た資料を8ヶ月にわたり検討し、予備報告書を人権委員会に提出しました。 その骨子は  1.「従軍慰安婦」に対する日本軍の行為は国際人道法のもとで犯罪と認定さ   れねばならない  2.(戦時の行為に対する)不処罰性は、国家に対する女性の無力さの証明 というものでした。このクマラスワミ氏の確信を河原さんは「予断と偏見」と批 判しましたが、その背景になっている上記のような国際情勢を見落とされている のではないでしょうか?    このように、クマラスワミ氏は来日前にはすでに「従軍慰安婦」問題の経緯 や実状、問題点などを十分把握していたのでした。乱暴ないい方をすれば、調査 団の現地調査は特別報告官にとって出発点ではなく、終着点の一歩手前でした。   そのため、日本政府との会見では、河野官房長官談話に対する日本政府認識 の再確認、道義的責任の確認、法的責任に関する日本政府の見解確認、問題解決 のための日本政府方針の聴取など最終仕上げを行ったのであると思います。    #1288,河原さん >もし半月城さんが言われるように、「徴集や強制の問題などについては大きな >論争点」がないのであれば、『報告書』の作成にあたって今更「元従軍慰安 >婦」たちの証言を集めてまわる必要はなかったはずです。   「軍事的性奴隷制問題」の現地調査団が元「従軍慰安婦」に会うのは大局的 にごく当たり前のことで、論争点の解明などとは直接関係ないのではないでしょ うか。クマラスワミ氏もそうした目的で「従軍慰安婦」に会っていないことは、 報告書の記述「それ(証言を聞くこと)により当時一般的であった状況のイメー ジを作り上げることが可能になった」をみても明らかです。   さらに「従軍慰安婦」の陳述を「特別報告者に、性奴隷制が軍司令部および 政府の命令で組織的方法で日本帝国軍隊により開設され、厳重に統制されていた ことを信じさせるに至った文書情報と符合している」と受け取りました。   この文書情報とは、#1304で紹介した陸軍省課長会報などを指すのでし ょうか。それによると1942年までに軍中央自ら直接設置した慰安所は、華北 100,華中140,華南40,南方10,樺太10,計400カ所でした。   前にも書いたように、「従軍慰安婦」問題は国際的な広がりを持ったテーマ であるだけに「国際的な視野」は不可欠です。特に国連の動向には注目する必要 があります。また、国連で安保理非常任理事国に選出された日本は特に国連機関 の決議を尊重すべきであると思います。なかんずく人権委員会は「国連精神」具 現の一つの場として国連機関の中で特に重要な存在です。その機関の決議を軽ん じてはなりません。   おわりに、国連精神をうたった国連憲章序文のさわりを引用します。              国際連合憲章    われら連合国の人民は、    われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争  の惨害から将来の世代を救い、    基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関す  る信念をあらためて確認し、    正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持でき  る条件を確立し、    一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、    並びにこのために、・・・(以下省略)    http://www.han.org/a/half-moon/      半月城


<181.「従軍慰安婦」50 真相究明> 01409/01409 PFG00017 半月城 真相究明 ( 7) 96/11/09 14:55 01298へのコメント    前回に引き続き,近藤 義孝さんの質問#1298に答えます。 >1.なぜ・今・日本人が・「官民をあげてもっと活発に究明すべき云々」 > しなければならないのでしょうか?(以下略) >2.「防衛庁はまだ資料を隠している云々」 > どんな証拠なのでしょうか? ご自分で推測すらできないのに相手が > 隠しているなんてよく言えますね? 社会通念上こういうのを > 「名誉毀損」 というのではないのでしょうか?(以下略)   今年、クマラスワミ報告書以来「従軍慰安婦」問題はとみに、国際的な注 目を集めてきました。また、国内的にも「アジア女性基金」問題を初めとして、 議論が沸騰していることは周知のことと思います。そうした最新情報の一端を 紹介します。   先日、旗揚げしたばかりの民主党は基本政策の筆頭で「過去の戦争によっ て引き起こされた元従軍慰安婦問題などの問題に対する深い反省と謝罪を明確 に」することを宣言して選挙戦に臨みました。もっとも選挙戦では歴史認識は あまり争点にならなかったようです。   また昨日、小林文部大臣は就任の会見でわざわざ「従軍慰安婦」問題を教 科書に載せることを支持する発言を行いました(注1)。これは明らかに「慰 安婦は商行為であった」とか、「従軍慰安婦」に関して「事実かどうかわから ない項目」を中学校の全教科書に載せるのは適当ではないという意見に対する 見解として出されたものと思われます。   文部大臣がこうした発言をせざるを得ないのは、ひとえに「従軍慰安婦」 問題に対する政府の公式見解に必ずしも賛成しない人がいることを意味します。 これは何よりも過去の真実が明確になっていなかったり周知徹底していないこ とが原因で、人によっては日本軍の関与すら否定する元閣僚もいます。こうし た歴史認識の混乱を防ぎ、誰もが納得する政策を明確にするには、その拠りど ころとなる過去の真相解明が何よりも必要なのではないでしょうか。   過去、日本はこうした真相解明を怠ったため、首相が窮地に立つ場面があ りました。92年1月、宮沢首相が訪韓する直前になって、「従軍慰安婦」に 関する重要な資料が防衛庁図書館から初めてみつかりました。それは日本軍が 慰安所に関係したことを示す証拠でした。案の定、訪韓した宮沢首相はソウル で抗議のデモ隊の出迎えを受けてずいぶん難儀しました。これなど、日本が真 相解明をおろそかにしたツケが跳ね返った例でした。   こうした事件は、アジアの各地で友好に貢献している日本人の地道な努力 をふいにしかねません。   以上のように日本の視点から真相解明問題をみてきましたが、この問題は 国際的な観点もとくに重要です。   かって、国連では「人権と基本的自由の重大な侵害を受けた被害者の回復、 賠償および更正を求める権利」について研究を委託された、ファン・ボーベン 特別報告官が92年1月、「日本は補償問題を検討し、過去の事実を収集、記 録、保管する『国際センター』が必要だ」と述べ、「これは日本人自らが設置 し、アジアでの信頼を回復しなければならない」と強調しました(#907)。   また多くの「従軍慰安婦」が、「第二次世界大戦中の軍事的性奴隷問題の 歴史的事実についての徹底的な調査、日本国内とくに政府の公文書庫に現存す る本件に関するすべての公的な文書および資料の公開」を求めていることがク マラスワミ報告書に記されています。こうした「従軍慰安婦」の要求を織り込 んで、同報告書は日本政府に 「第二次大戦中の日本帝国軍の慰安所および他の関連する活動に関し、日本政 府が所持するすべての文章および資料の完全な開示を確実なものにすること」 と勧告しました。文書の公開に関しては#1318に書いたとおり、日本政府 はかなりの資料を非公開にしています。これは防衛庁のみならず、法務省でも 同様です。今年、同省では、NHKが事前合意に反して非公開資料を取材しよ うとしたためトラブルがありました。どうも何か重要な資料を非公開にしてい るようです。   こうした現状に韓国のみならず、香港の新聞までもが「もし日本政府が、 慰安婦たちの苦難にかかわる文書を公開し、断片的な証言以上の、より詳しい 実体を明らかにすれば、信頼の確立への第一歩となろう」との提言を行いまし た(#989)。ここでも日本人自ら真相究明を行うことが国際的に要請され ています。   このように各方面から資料公開が要請されても日本政府には馬耳東風のよ うです。昨年、日本政府がアジア女性基金で約束した、「慰安婦」問題を歴史 の教訓にするための歴史資料整備についても、来年度から「アジア歴史資料セ ンター」準備室を置くことが決まっただけで、関係省庁が尻込み・押しつけ合 いをして所管する官庁も決まらないありさまです(朝日、96.8.14)。これで は「信頼への確立」にはほど遠いようです。 (注1)共同通信ニュース速報から一部引用  小杉隆文相は八日、共同通信社などとのインタビューに答え、来春から中学 校の教科書に登場する従軍慰安婦の記述について、アジア諸国に対する日本の 侵略行為などを謝罪した昨年八月の村山富市首相(当時)の談話に「全く賛成 だ」とした上で「率直に事実は事実として載せる教科書検定調査審議会の判断 を支持する」と述べた。     http://www.han.org/a/half-moon/     半月城


<182.「従軍慰安婦」51 補償および処罰問題> - FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 96/11/11 - 01429/01429 PFG00017 半月城 補償および処罰問題 ( 7) 96/11/11 23:20 01298へのコメント   近藤 義孝さんの残りの下記質問#1298に答えたいと思います。 >3.「お金だけではすべて解決できないのが今やわかってきました。」 > そんなこと当たり前です。 > 今この会議室で問題にしているのは、(1)「強制制」があったのか? > (2)あったとしても新たな補償や関係者の処罰が必要か?ということ >   です(以下略)。  「従軍慰安婦」の「強制性」については、最近#1304,#1318に 詳しく書きましたのでここではふれないことにします。 (1)補償問題   補償問題はここの会議室でかなり熱心に議論がなされました。そのシリー ズで私は#518に次のように書きました。         ーーーー #518 ーーーーーー    これに対し、私も「従軍慰安婦」たちの補償の請求先はやはり日本政府 であるべきであると思います。    これまでの日本政府は<日本の法的責任はサンフランシスコ平和条約や 二国間の条約で(北朝鮮を除き)解決済み>との主張を繰り返してきました。 たしかに、これらの条約で各国は日本に対する請求権を放棄しました。 しかし、これらの条約はあくまで国家間の請求権を定めたもので、個人の請求 権とは別な問題です。この点に関し日本の外務省条約局長は次のような見解を 示しました。これは長くなりますが重要なポイントですのでそのまま引用しま す。    「・・・いわゆる日韓請求権協定におきまして、両国間の請求権の問題 は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございま すが、日韓両国間に存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決 したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持ってお ります外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、 いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものでは ございません。日韓両国で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げ ることはできない、こういう意味でございます」 (1991.8.27 衆議院予算委員会会議録第3号10ページ)    これは次のような意味です。日本政府は1965年の日韓協定に基づき、 3億ドルの無償の経済協力金を支払った。これにより、韓国政府は一切の請求 権を放棄した。しかし、個人の請求権までなくなったわけではない。ただし、 韓国政府はそれを個人に代わり、外交保護権として請求したりすることはでき ない。    ここで注意したいのは、日本が払ったのは実質はどうあれ「賠償金」や 「補償金」ではなく、「経済協力金」であったわけです。したがって、このお 金はその性質上、個人の被害を補償する性格のものではあり得ませんでした。         ーーーーーーーーーーーーーーーー   これに対するコメントや議論が数多くなされました。私の書き込みだけで も下記のようにありますので、まずはそれらを参考にしてください。 #518 RE:ドイツと日本の戦後補償の違い #523 国際法による賠償 #525 個人請求権と外交保護権 #530 RE:個人請求権と外交保護権 #566 「従軍慰安婦」補償問題 #584 韓国政府の「個人補償」に対する考え #586 個人補償   これらの中で、とくに#566「従軍慰安婦」補償問題を一部引用します。         ーーーーーー #566 ーーーーーーー    さて、河原さんの質問(#550)ですが、疑問符のついているところ を文末に(注)としてピックアップしました。これらを総合すると河原さんの 意見は次の三点に集約されるように見受けられます。 1。「従軍慰安婦」の日本政府に対する個人補償や請求権はすでに存在しない。 2。その請求権は「日韓協定」や「日中共同宣言」などですでに解決された。 3。その認識に基づいて、韓国政府は「従軍慰安婦」に生活支援策を実施して  いるし、中国政府は「従軍慰安婦」などの発言を抑えている。したがって、  「従軍慰安婦」の個人補償請求はそれ自体無理がある。    このように整理すると、問題の焦点は日韓協定などで「従軍慰安婦」個 人の請求権は消えたかどうかに絞られると思います。そのためには日韓協定、 特に請求権協定をもう少しくわしくみる必要があります。    もともと日韓請求権協定はそのタイトルにあるように、  (1)財産および請求権  (2)経済協力 について「どんぶり勘定」で合意し、3億ドル相当の生産物・役務の無償供与 がなされ、あわせて2億ドルの有償借款がなされました。これについて、日本 政府は(2)の経済協力を強調し、他方の韓国政府は(1)の請求権を強調し ました。    日本、韓国政府共に、国民をだましたというと語弊がありますが、両国 政府は請求権協定に限らず、日韓併合条約など協定全般を自分に都合のいいよ うに一方的に解釈し、相手国民にはとうてい通用しないような独善的な説明を それぞれの国民にしてきました。外交交渉はお互いの妥協の上にまとまるので すから、それはそれでやむを得ない面があります。    さて、請求権協定に達するまでの韓国政府の立場ですが、財産および請 求権についてそれなりの根拠を示し一貫してそれを要求してきました。その要 求の成果として、3億ドル相当の無償供与を賠償ないし補償金として1965 年から受け取りました。    それまでの韓国政府の要求の根拠の中にはもちろん「従軍慰安婦」に対 する補償は含まれていませんでした。これについて、国連のクマラスワミ報告 書は次のように指摘しました。        ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   日本政府は法的責任について、サンフランシスコ講和条約(一九五一年) や日韓協定(一九六五年)で解決済みとの立場を取っているが、報告書は、当 時は慰安婦問題は考慮されておらず、被害者が個人補償などを求める権利は国 際法で認められていると反論している(96.02/06 読売: 慰安婦問題で国連人 権委が報告書)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私もこの報告書のように、少なくとも「従軍慰安婦」については請求権 協定の範囲外で韓国政府が補償する筋合いはないと思っています。    現在、韓国政府は「従軍慰安婦」に対し、河原さんが指摘されたように 「93年8月から生活支援策を実施」していますが、これはもちろん補償では なくあくまでも生活支援策です。彼女たちが負った「精神的」「肉体的」苦痛 は生活援助金ではとうてい償えるものではありません。 次に、「従軍慰安婦」以外の個人補償ですが、当時すでに問題視されて いた分については少なくとも韓国政府は請求権協定の中に個人補償も含まれる と当時解釈していたと思います。 一方、日本政府の国会での公式見解は#525に書いたように「個人の 請求権は条約により消滅していない。しかし国が個人に代わり外交保護権とし てそれを請求することはできない」というものです。 私も、「従軍慰安婦」のような悲惨な人権侵害は、財産権などお金で解 決がつく問題とは違って、「個人補償の権利を国家が条約で勝手に放棄するこ とはできない」という日本政府の主張に共感します。これについて、河原さん はどのようにお考えでしょうか?          ーーーーー #566終 ーーーーーーー (2)処罰問題   次に関係者の処罰問題ですが、これもこの会議室で今まで少しは議論がな されました。国際的には#907に書いたように、「国連人権委員会・差別防 止及び少数者保護小委員会」の特別報告官、ファン・ボーベン氏が93年に最 終報告書を国連に提出し、そのなかで次のように述べました。   <特に従軍慰安婦などのように国際的に違法だと認識されている人権侵害 は、個人に国家賠償を請求する権利があり、加害国はこうした行為を行った責 任者を処罰し、被害者を救済する義務がある>   この結論を受け、人権委員会では<日本は過去にさかのぼって責任者の処 罰をおこなうための立法化を進める義務がある>との決議を94年にしました。 こうした流れを背景にクマラスワミ報告書では   <第2次大戦中に、慰安所への募集及び収容に関与した犯行者をできる限 り特定し、かつ処罰すること> との勧告を日本政府にだしました。ここで注目されるのは、クマラスワミ氏は 先の国連決議とは違って「できる限り処罰すること」と柔軟な姿勢をみせてい ることです。これは日本の実状から処罰がかなり困難であることを配慮したの と、日本政府が道義的責任を痛感し「女性のためのアジア国民基金」を実行し たのでそれを道義的観点にのみ絞り評価したためと思われます。   国連では引き続き「従軍慰安婦」問題が討議されました。上記の人権小委 員会で今年8月、日本に対する決議を採択しました。そのなかで、クマラスワ ミ報告書で勧告された行政審査機関の設置を日本に催促しました(注)。   一方で、人権委員会の決議は、新聞報道を読むかぎり、意外なことに処罰 問題についてはふれていないようです。またクマラスワミ報告同様、日本政府 の国民基金を多少は評価しています。現在、国民基金の受取人が5人(10月 1日現在)と少なく成果がはかばかしくないのにもかかわらず、意外にも国連 では国民基金は少しは評価されているようです。   しかし、国連はもちろん日本政府の方針を全面的に評価しているわけでは ありません。法的責任の有無に関しては依然として見解が対立していますが、 それでも道義的責任の取り方に関してのみ日本政府の努力を買い、処罰問題を 不問にしたのかも知れません。そうであるとしたら画期的なことです。この点 に関し詳しい情報をお持ちの方は教えていただきたいと思います。   なお、私は処罰問題は50年たった今となっては、日本では馴染みにくい 問題であると思います。しかしそれでも当時の「小物」、たとえば#627に 書いた中曽根元首相のような人は別にして、陸軍省中央にあって「慰安所を4 00ヶ所作った」と豪語している倉本敬次郎恩賞課長(#1304)のような 人は処罰問題は別にして、その功罪をもっと明らかにすべきであると思います。 (注)08/24 毎日速報: <従軍慰安婦>国連人権小委 対日決議を採択  【ジュネーブ23日福原直樹】従軍慰安婦問題などを討議していた国連人権 委員会の「差別防止及び少数者保護小委員会」は23日、この問題で国連に協 力するよう日本政府に求め、被害者救済の行政審査機関の設置を要求する内容 の決議案を採択した。  同決議は「女性のためのアジア国民基金」を評価しつつも、昨年に続き日本 政府に一歩踏み込んだ対応を求める内容で、人権委員会に送付される。  決議では今年1月、元従軍慰安婦への国家賠償を求める報告書をまとめたク マラスワミ特別報告官の活動を評価。さらに日本政府が「行政審査機関」を早 急に設置することは「奴隷と同様に扱われた人々(被害者)の訴えを効果的に 解決する」とした。また日本政府に「この問題で国連や他の特別機関に協力し ていく」ことを求めている。  決議について日本政府筋は「日本政府のこれまでの対応を評価したものだ」 とし「日本の憲法上、(行政審査機関など)行政裁判所的な機関は作るわけに はいかない」と話してる。一方、朝鮮人強制連行真相調査団は「基金を見切り 発車した日本政府は、決議を深刻に受け止め、自らの法的責任を明確にすべき だ」としている。     http://www.han.org/a/half-moon/     半月城


<183.ハングルの起源> #3495/3495 日本史ボード ★タイトル (SPM07550) 96/11/ 2 19:36 ( 84) 近世】ハングルの起源、RE:3487 半月城 ★内容   ハングルの起源については、アコさんが紹介されたように諸説あって決め 手がないのが現状です。起源のひとつとしてakira2さんが書かれた、口 と舌など発音器官をかたどったというのも有力な説です。   ここでひとまず諸学説を並べてみます(崔鉉培「ハングルの起源」、 「韓」通算第75号、1978)。  1.古篆起源説  2.梵字起源説  3.モンゴル・パスパ文字起源説  4.チベット文字説  5.パーリ文字起源説  6.古代文字起源説  7.発音器官象形起源説  8.窓戸(障子)象形起源説  9.太極思想起源説 10.その他    契丹文字・女真文字起源説、日本の神代文字起源説、楽理起源説、    28宿起源説、シリア文字起源説、etc。 これらの説の学問的・体系的批判は著者にまかせることにして、ここではトピ ック的に興味本位で紹介します。   古篆起源説はもっとも有力視されています。何しろハングル制作当時に記 録された「世宗実録」にはっきりと、その字は古篆に倣うと書いてあるし、ま た形も一部の字たとえば k,n,t,l,m,b,s,ng などたしかに古篆に似ています。 また、テイ麟趾も「訓民正音序」にそのように述べています。   梵字起源説は日本では「日鮮同祖論」(#3446)を書いた金沢庄三郎 博士が支持しています。博士の著書「朝鮮語について」によれば母音の a,i,u, o、子音の ng,n,s,m,k が似ているとしています。たしかに、ng,m,sは似てい ますが、ほかの文字はどうも私にはこじつけのように見えます。   さらに、梵字の前段階のパーリー語になると、梵字以上に根拠は薄いよう です。   梵字と同じように、仏教をとおしてチベット文字の影響もあったかも知れ ません。チベット文字説は西洋の学者に多いようですが、その中のひとり、ハ ルバートは「チベット文字がハングルの鑑(かがみ)となりうる唯一の音表文 字である」と主張しています。   モンゴル文字起源説は、高麗末期に元の王女が忠烈王の后になったことか ら、宮中で多少モンゴル語が使われたことや、他のさまざまな理由を根拠にし ています。モンゴル語の影響としては、子音と母音との組み合わせの考え方な どにあるのではないかと想像されます。   古代文字起源説は韓国の権氏などが唱えていますが、この説は完全には否 定しきれないようです。朝鮮固有の古代文字があったことは論者の崔鉉培氏も 認めています。それは一種の表音文字であったようです。しかし、これが世宗 大王の時代まで命脈を保っていたかどうかは疑問としています。   権氏は「朝鮮語文経緯」で自説の展開に、比叡山の僧・行智の「講釈諺文 解」などを引用しています。同時に、日本の神代文字がこの古代文字に由来す るとも述べています。   次に発音器官をかたどったとする説ですが、筆者の崔鉉培氏は古篆起源説 と共に採用しています。当時の記録、テイ麟趾の「訓民正音解例」にハングル の初声17字は発音器官を形どって創ったと解いています。   白鳥庫吉博士は最初、「諺文」(1897年)でモンゴル文字説を唱えて いましたが、後に「朝鮮文字(諺文)の構造に就いて」では前と違って発音器 官説を主張しました。   窓戸象形起源説は一番わかりやすい説です。障子の桟の形から k,n,t,l,m, b など初声が創られた、あるいはヒントを得たと考えるのは案外当たっている かも知れません。   太極思想起源説もハングル制定にかなり影響しています。先に古篆起源説 や発音器官象形起源説を述べたテイ麟趾もハングルの制定が陰陽、五行の理に 基因していることを前提に説明しています。   テイ麟趾の「訓民正音解例」では陰陽五行の原理を説明した後に続けて、 初声17声は発音器官を象形し、また五行に基づき四時に合して、五音に和す ることを解き、中声11字が天地人三極の形を意味するとして、具体的に字母 を陰陽五行に分類しました。   この説は起源説というよりは、基本哲学として採用されたとするのが当を 得ているといえます。   ハングルは当時の優れた学者たちが長年の歳月をかけ創っただけに、その 研究の奥の深さが上の学説からしのばれます。その制定はモンゴル文字などの 構造を参考にし、字形は古篆や発音器官、はては障子の桟(?)などをヒント になされ、最後は陰陽の東洋哲学で仕上げたといえるのではないでしょうか。   しかし、この優れた文字も公用文として使われるようになるまで実に45 0年もかかりました。また、この文字の使用が公に禁止された時期もあったよ うで、その歴史は決して平坦な道ではなかったようです。     http://www.han.org/a/half-moon/     半月城


<184.「半月城通信」の姿勢> - FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 96/11/09 - 01408/01409 PFG00017 半月城 「半月城通信」の姿勢 ( 7) 96/11/09 14:54 01298へのコメント  近藤義孝さんはよほど自分の順番が待ちきれなかったのか、何度か催促をもら いましたが、やっと近藤さんの順番が回ってきました。何しろコメントを求め る方は5-6人、答える方は1人なので解答するのに通常の5-6倍はかかり ます。そのため、円滑なコミニュケーションが図れないのが残念です。   以前、メールで質問をもらった時に正面から答えなかったのは、その時に 説明したような理由もありましたが、それ以外にも隠れた理由がありました。 それは近藤さんの真意を測りかねていたからです。   今まで、私のホームページ「半月城通信」に対して寄せられたメールは前 にも書きましたが、すべて好意的なものばかりでした。近藤さんのように、批 判的な内容をわざわざメールでもらったのは初めての経験で、近藤さんは私に とっては何とも理解しがたい特別な人でした。   「半月城通信」は公共機関のホームページでもなければ、特別興味を持た れるような有名人の通信集でもなく、無名な一私人のホームページなのに、そ れに対しクレームをつけてくる動機は一体なんなのだろうか? 「善意の忠 告」なのだろうか? それとも私に対する挑戦なのだろうか? いろいろ憶測 しましたが、その答えが明確にならなかったので答えずらかったのです。   今では近藤さんの動機がどうあれもはや問題ではないので、この会議室で はっきりと答えることにします。それも何回かに分けて書くことにし、最初は 近藤さんのいう「核心部分」から始めます。   #1298,近藤 義孝さん >4. 今回の質問の核心部分です。 > 「あなたが、日本について否定的な発言ばかりする理由はなんでか?」 > 「そこまで非難する国になぜあなたは住み続けるのですか?」 > (これは、いやなら出て行け式の質問ではありません。) > (あなたの発言を聞いての自然な疑問です。)   まず、私のホームページ「半月城通信」ですが、これはタイトルや「あい さつ文」に書いてあるとおり、パソコン通信での議論をほぼそのまま転載した ものです。したがってその目的は、私の思想「全体」の「宣伝」や、ある特定 の問題について教科書的に全般的な「解説」などを行うものではありません。 ましてや日本国に対する誹謗中傷などではありません。あくまでも単純に私の 「発言の記録」が目的です。   そのため当然のことながら、過去に発言する機会がなかった問題について は私の意見はまったく表明されていません。この点が重要です。すなわち、そ こに書かれた内容は私の思想の一部にとどまり、私の思想全体を網羅している わけではありません。したがって半月城通信に載ったいわゆる、日本に対する 「否定的な発言」は私の思想の一断面にしかすぎません。   パソコン通信は文字通り通信、すなわち双方向のコミニュケーションから 成り立ちます。そのため一人相撲をとるのでない限り、対話相手によりその方 向が左右されます。その結果、時には自分の思惑とは違って、思いがけない テーマで深みにはまったりします。   私にとって「従軍慰安婦」問題がその典型です。この問題はご存じのよう に河原さんとの論戦をとおし議論がどんどん深まり、今では通信集の中で相当 な分量、4分の1くらいを占めるようになりました。しかしこれは「魚心に水 心」かも知れません。つまり、潜在的な発言欲求が刺激を受け表面化されただ けかも知れません。他のテーマなどもしかりです。   これから明らかなように、私の書くテーマは対話相手との議論の成り行き でその内容が決まります。つまり論戦相手の興味に歩調があったときにどんど ん議論が深まり、書き込み意欲をそそられ発言量は増大していきます。したが って逆説的にいえば、ボリュームのあるテーマは、対戦相手との主義主張の違 いは別にして、それだけ相手との「あうんの呼吸」が合ったことを物語ってい ます。   逆に、そうした共振の糸が切れてしまうと、そのテーマでの書き込みはス トップしてしまいます。卑近な例を挙げます。今まで「従軍慰安婦」問題につ いて私とかなりやりあってきた河原さんは最近「従軍慰安婦」問題で私に対す る反論を断念されたのか、発言を見かけません。そうなるとさしもの「従軍慰 安婦」問題も、パソコン用語にいう「横レス」を残すのみになりここの会議室 ではそろそろ終了かも知れません。   その次は下落合95さんが望むように、サハリン残留韓国人の問題や強制 連行などが私のテーマになることと思います。こうしたテーマは近藤さんを初 めとして多くの方は望まないのかも知れませんが、私としては土俵に引っぱり 出されている以上どうしても書かざるを得ません。   また、それは半面では私の望むところです。そうした発言の山がよく誤解 を受けますが、下記の例は特記に値します。   一例をあげます。兵士は戦場にあっては「人道に対する罪を犯さない範 囲」で敵を倒すのがその役割であるし、サラリーマンは会社にあっては「社会 的通念の範囲内」で金儲けをするのがその役割であるのと同様、私はこの会議 室にあっては「ルールの範囲内」で過去の日本の歴史認識の問題を書くのがそ の役割です。   こうした役割の個人の一断面をとらえて、誰も兵士を日常的に殺人鬼など と思わないでしょうし、またサラリーマンを金の亡者などと捉えないことと思 います。それと同様に、パソコン通信での私の言動を取り上げ、私を「反日 家」と考える人がもしいたら、その方は視野の狭い人といわざるを得ません。   そもそも、日本の過去の歴史事実を明らかにすることは少しも「反日的」 であるとは私は思いません。なお余談かも知れませんが、私は日本文化や風 土・伝統などを愛する親日家であることを付け加えます。     http://www.han.org/a/half-moon/          半月城


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