半月城通信
No. 17

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 帰化と人権
  2. 帰化と棄民
  3. 日韓の歴史教科書比較
  4. 創氏改名(1)
  5. 創氏改名(2)
  6. 弁辰も海人族
  7. 天日槍
  8. 首露王とニニギノミコト


文書名:帰化と人権 [zainichi:632] KIKA,RE:[ZAINICHI:580] Message-Id: <9608312300.QAA31847@hopemoon.lanminds.com> Date: Sat Aug 31 16:00:31 1996 Reply-To: 本稿は [aml],[zainichi] に同時掲載します。    倭奴:加藤さん、どうも返事が遅くなりました。 忙しいのはパソコンネットだけでなく本業のエンジニア稼業も忙しく、お盆休 み明けに気軽に出張に出たら、そこでまたたく間に10日も過ぎてしまいまし た。今やっと一息ついたところです。    倭奴さんが紹介された鄭大均都立大助教授の「在日の民族疲労」を読ん でみました。その論文の中で特に印象に残ったのが、<日本国籍取得を熱心に 説く鄭氏自身は日本国籍を取得してない>という一節です。    この文章を読んでとっさに浮かんだのは「言行不一致」ということわざ です。他人にはその人の幸せの道をおためごかしに説いても、自分の道はそれ と違うのだから別の道を進むとしたのでは誰が耳を傾けるでしょうか? 比喩 として適当でないことを承知であえていえば、競馬の予想屋が当たり馬券の予 想を売り物にするようなものです。予想を売る前に自分でさっさとその馬券を 買いなさいといいたいところです。    鄭教授が日本国籍を取得しないことからもわかるように、在日韓国・朝 鮮人の生き方はさまざまで、いうまでもなく一人一人にそれぞれの道がありま す。例として私の三人の妹を紹介します。妹たちはほとんど年子に近く、生ま れ育った環境も高校卒業まではまったく違いがありませんでした。しかし、そ の後の人生は大きく分かれ、   長女  韓国在住の韓国人と結婚、韓国居住 本国志向型   次女  在日韓国人と結婚、飲食店経営 典型的在日韓国人   三女  日本人と結婚、日本国籍取得 帰化志向型 と多様なそれぞれの道を歩んでいます。女性の場合は結婚相手により人生が劇 的に変わるので妹の場合は例として特殊かも知れません。しかし、在日韓国人 の生き方は制約が多い反面、グローバルに見れば妹たちのように多様な選択も 他方では可能なのも事実です。したがって、在日韓国人の生き方は画一的にこ うあるべきだと決めつけられるものではなく、その人にふさわしい道は他人が 簡単に決定できるものではありません。だからこそ鄭教授自身も日本国籍を取 得しないのではないのでしょうか? 上に、妹たちの生き方を便宜上何々型と分けましたが、これは表面的な 捉え方です。同じように、#580に書かれている埼玉大・福岡教授の次の分 類も表面的なものです。    祖国志向派≒総連的    同胞志向派≒青年会的    共生志向派≒民闘連的    個人志向派≒脱国籍・コスモポリタン的    帰化志向派≒積極的同化容認    倭奴さんも指摘されているように、人の生き方はこのように単純に割り 切れるものではなく、こういった志向が個人の中でも併存・葛藤しているのが 常です。私の場合でいえば、最後の「帰化志向派」を除けば全部当てはまると いっても過言ではありません。といっても、その後に続く「何とか的」という 表現はその意図はわかりますが、私の場合はいただけません。    前置きはこれくらいにして、鄭教授の主張する「国籍選択権の要求」に ついて私の意見を述べたいと思います。私は、国籍選択権を日本政府により 「恩恵」として認めてもらうのではなく、別な方策を考えるべきであると思い ます。その方策とは「世界人権宣言」や、それを具体化した「国際人権規約」 を規範にして、在日韓国・朝鮮人の権利を主張すべきであるというものです。    1966年に採択された国際人権規約のうち、社会権規約および自由権 規約に日本は遅ればせながら1979年に加入しました。いずれも原則的に 国籍による差別を禁止し、内外人平等をうたっています(注)。これからする と、日本国憲法はこの規約に反しているといえます。    日本国憲法は第14条で、「すべて国民は、法の下に平等であって、人 種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係 において差別されない」としていますが、この基本的人権は「国民」には保証 されても「在日外国人」それがたとえ3世であれ、4世であれ適用されません。    日本で生まれた在日外国人は、親の国籍で生まれながらにして法的差別 を背負っています。これは日本が血統主義を捨て出生地主義を採用しない限り 法的差別は必至です。事情は韓国でも同様です。ドイツは最近になって出生地 主義を検討し始めたとのことで注目されます。かってゲルマン民族の優秀さを 誇り、血の純潔維持に腐心した歴史を考えると隔世の感があります。これはド イツ社会の成熟度を示す尺度として特筆すべきできごとです。    さて、日本国憲法に基づく法的差別を前に、鄭教授は現実的対応とし て「国籍選択権」の要求を掲げているようですが、私は日本国憲法を越えた世 界人権規約に基づいて在日外国人2世、3世の「内外人平等」を主張したいと 思います。この考えは、鄭教授がやり玉にあげていた東京都保健婦の鄭香均さ んも同じであると思います。鄭教授の論文を読む限りでは鄭教授の視点に「世 界人権規約」がすっぽり抜けているのではないでしょうか? 私たちはこの「世界人権規約」を重視する立場から、日本の法規の「国 籍条項」撤廃にあくまでこだわるのです。なお、世界人権規約は「完全な」内 外人平等までは要求していないことを付け加えます。    日本の社会がより成熟し、より国際化し、国際人権規約を条文どおり受 け入れる日を私は夢見ています。さらにその精神がより浸透し「マイノリティ 差別」や「部落差別」がもっと和らぐ日を、米国キング牧師のように夢見てい ます。 世界人権規約、自由権規約、第26条    すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律によ る平等の保護の権利を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別 を禁止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国 民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等のいかなる理由による差 別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保証する。 (注)世界人権規約、社会権規約、第2条、第2項    この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、 言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的(民族的)若しくは社会的出身、 財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保証す ることを約束する。  http://www.han.org/a/half-moon/       半月城


文書名:帰化と棄民 [zainichi:649] RE:636,帰化 Message-Id: <9609042115.OAA26379@hopemoon.lanminds.com> Date: Wed Sep 4 14:15:55 1996 Reply-To:    倭奴さん曰く、 >帰化したくない、という心情は理解できるのですが、はたからみるとそうい >った極端なナショナリストとしか思えない言動をとる人が、自身の権利のた >めに国際化や人権を掲げるのがとてもご都合主義のように見えて不思議な気 >がします。 倭奴さんにとって不思議にみえるこの考えはいうまでもなく過去の歴史 から生まれたものです。そのあたりをくわしく書く余裕がないので、その代わ りに先日、民団に寄稿した私の文章の一部を転載します。その中には、池東旭 氏の「在日をもうやめなさい」についても若干ふれています。    なお、倭奴さんは日本人として在日韓国・朝鮮人に対しどのように接し たいのかお聞かせ願えればと思います。        ーーーーー 転載 ーーーーーーー 帰化論争    話は韓日協定当時にさかのぼるが、在日韓国人の幸せについて日本の法 務官僚・池上努氏は、氏の著書「法的地位200の質問」で次のように述べた。   「遠い将来において在日韓国人が真に幸福になる道は何かということを十 分検討した結果、日本政府としては、真に日本に定着して日本の社会人になろ うという韓国人には、何時までも外国籍でいたんでは好ましくないし、同化つ まり帰化して貰うことが一ばんよいのではなかろうか・・・」  池上氏は外国人の人権をまったく存在を認めない立場から、かの有名な 池上発言「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」と述べた人物である。 こうした発想は、民族・人種差別主義者の妄言として当時は簡単に片づけるこ とができた。    しかし、立場は違ってもこのように「定住外国人は日本に帰化すべきで ある」考える日本人は案外多いし、また日本政府の基本的考え方も同様である。 しかも、この考えは日本人のみならず、韓国のジャーナリストからも出されて いるのは注目に値する。その説を唱えている人は「週刊韓日BUSINESS」 を発行している池東旭である。氏は日本のマスコミにもしばしば登場しそれな りの影響力を持った知識人である。同氏は、在日同胞への直言として論文 『「在日」をもうやめなさい』を発表しているが、その中で同氏は   『在日70万はタテマエ上、永住権という特別在留資格が認められている 外国人だ。だがホンネを言えば、70万「在日」は日本の居候だし、韓国にと っては捨て子に他ならない」(月刊「論座」9月号、朝日新聞社) と極論している。この中の「在日は日本の居候」である主張が妥当かどうかに ついては後にふれることにし、「韓国にとっては捨て子」という論拠は次のよ うになかなか説得力がある。   「はっきり言って、本国政府の「在日」に対するホンネの姿勢は一種の棄 民政策だったといって過言ではない。51年の日韓会談で日本政府は、「在日」 のうち生活保護対象者の6万人は強制退去させるか、それとも保護費受領の放 棄かの二者択一を迫った。韓国政府は、日本政府の裁量に任せるとした。その 時点で、韓国政府は「在日」を見捨てたのだ。混乱と貧困にあえぐ韓国政府に は、現実問題として、「在日」の面倒を見る余裕がなかった。むしろ「在日」 の豊富な財力にすがった。事実、東京・麻布の駐日韓国大使館は「在日」の富 豪だった坂本紡績オーナーの徐甲虎が寄付したものだ。    駐日韓国代表部は、「在日」のなかでも、富める者にはペコペコし、そ の分、貧しい者には威圧的態度をとった。だから、三分の一もの「在日」同胞 が北朝鮮支持に回った。「在日」の九割は三八度線の南の出身。本来なら北朝 鮮を支持するはずがない。韓国政府の無能、腐敗に比べて、北朝鮮はプロパガ ンダが目的だったとはいえ、乏しい財政をやりくりして日本に朝鮮人学校をつ くり、民族教育を行った。収容所半島としての北朝鮮の実態が明らかにされる につれ、幻想は覚めてゆくが、北への幻滅と南への反感で、総連系の「在日」 はいま深刻なジレンマにある。日本への帰化希望者の多くが元総連系なのもう なずける。つまり「在日」は、本国からも疎外された集団なのだ』    韓国政府が棄民政策をとり、在日同胞を見捨てたというのは語弊がある が、しかし、一面の真実を含んでいるのも確かである。また、駐日韓国代表部 の貧者に対する威圧的態度や過去の韓国政府の無能・腐敗ぶりが同胞を総連系 支持に追いやったとする主張もある程度うなずけるところである。    このように池氏は過去の流れをかなり的確に捉えている。しかし「在日 は日本の居候」という主張は、在日同胞が日本に居住するようになった歴史的 経緯を軽視するものであり、また在日同胞の韓日間における役割をあまりにも 過小評価するものであり、同氏の認識不足もはなはだしいといわなければなら ない。このように在日同胞を居候、すなわち日本の厄介者といったニュアンス でとらえる同氏の認識は許されるものではない。これは民団が掲げる「共生社 会」の考えに真っ向から対立するものである。    この論文は、同氏への反論が目的ではないので、同氏に対するこれ以上 の批判は避けるが、このような発言が、在日同胞の歴史的背景や現状をよく知 る韓国の知識人から発せられた土壌をわれわれは逆に重視しなければならない。 これはとりも直さず、民団の役割にもつながる問題である。    過去、民団は同胞社会の自治組織としての役割を重視してきたが、今後 の共生社会実現に向けて、日本人向けの広報活動も重視する必要があるように 思われる。共生社会では多種多様な考えの日本人と有機的に接し、お互いを理 解し合う土壌を醸成する必要があることは言うまでもない。そのためには、わ れわれ在日同胞の考え方や主張を今まで以上にもっと日本社会にアピールしな ければならない。    こうした努力は今までも、指紋撤廃運動や地方参政権獲得運動などでも かなり行われてきた。こうした過去の実績を基盤に、マスコミや言論界など多 様な方法で機会あるごとに民団や在日同胞の主張を展開していくことが要請さ れる。     http://www.han.org/a/half-moon/     半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 96/08/18 - 00669/00669 PFG00017 半月城 日韓の歴史教科書比較 ( 7) 96/08/18 22:11 00623へのコメント    河原さんは、#623で  >子供というのは正直なものですね。それほど教育の力は大きいということで >しょうか(韓国の反日教育の力を思いおこさせられます)。 と書かれて、韓国の「反日教育」を強調されておられますが、現在の韓国では 「反日教育」がなされていると信じておられるのでしょうか?     韓国で本当に「反日教育」が今でもなされているのかどうかは慎重に検 討する必要があります。かって新進党の小沢一郎幹事長(当時)が、韓国は 「反日教育」を政策的に行っていると発言して外交問題になりました(注)。    1950年代の韓国では、反日家を自他共に認める李承晩大統領のもと で、日本が過去いかに非道なことをしたのかを明らかにする教育がなされまし た。しかし、その後1961年に登場した朴正煕元大統領の時代になると、歴 史教育の見直しがなされ、そうした非道な行為の記述が薄くなり今日に至って います。    現在、韓国の歴史教科書は国定で一種類しかありませんが、1990年 版の教科書について津田塾大学・高崎教授は「反日教育」の材料になりそうな テーマがどのように記述されているのかを検証しました。その一部を要約する と次のようになります。    韓国の歴史教科書は、日本に侵略されたことよりも独立を守る闘いに重 点をおいている。このため、日本の征韓論や関東大震災時の「朝鮮人虐殺事件」 などは全く無視されている。また、反日教育には格好な材料のはずの「閔妃暗 殺事件」も意外に短い文章で淡々と書かれている。    さらに、最近問題になっているサハリン残留韓国人の問題や「従軍慰安 婦」については全くふれていない。この他、日清戦争や韓国併合、3・1運動、 徴兵・徴用(強制連行)などどれをとっても反日をあおるような書き方はして いない。 (高崎宗司「反日感情、韓国・朝鮮人と日本人」(講談社現代新書、1993)    最近、同じような試みが雑誌「SAPIO」8月7日号でもなされまし た。この雑誌では、日韓両国の今年の歴史教科書で問題になりそうなテーマと して   663年    白村江の戦い  1592、6年  朝鮮出兵(文禄慶長の役)  1868ー73年 征韓論  1909ー10年 安重根と韓国併合  1919年    三・一独立運動  1923年    関東大震災  1937ー45年 皇民化教育 などを取り上げ、両国の記述を紹介しています。ここでは、もっとも争点にな りそうな皇民化教育を例として紹介します。 〇韓国、中学校「国史」1996年(国定教科書) 日帝の大陸侵略が敢行されるにつれ、(中略)日帝の侵略戦争に利用さ れ、わが民族と民族文化も抹殺される危機に瀕するようになった。いわゆる内 鮮一体、皇国臣民化などの体のいい口実を掲げ、学校では母国語の使用が禁止 され、その代わりに日本語の使用が強要された。(中略)    またわれわれの姓名を日本式に変えるように強要された。続いて太平洋 戦争中には、(中略)わが国の青・壮年男子が強制的に徴用されて鉱山や工場 で酷使され、学徒志願兵と徴兵制の実施で、青年と学生たちが各地の戦線に引 っぱられていった。    それのみならず、女性までが挺身隊という名のもとに侵略戦争の犠牲者 となった。このようにわが国の物資だけでなく、人力までもが彼らの侵略戦争 に強制的に動員された。(下巻141ー142ページ) 〇日本、「新しい社会・歴史」1996年(東京書籍)・・よく使われる。    戦争(第2次世界大戦)が長引くと、多数の朝鮮人や中国人までも強制 的に日本に連れてきて、ひどい条件のもとで、工場や鉱山などの重労働に従事 させた。1945年には、在日朝鮮人の人数はそれまでに移住した人々と合わ せて、朝鮮総人口の1割に当たる二百数十万に達した。また、政府は、朝鮮の 人々に対して、日本人に同化させる政策をさらに強め、日本語を使用すること や神社に参拝すること、姓名を日本風に変えること(創氏改名)など、朝鮮の 人々にとっては、たえがたいことを強制した。(281ページ)  ※皇民化教育についてはこの他口絵3点などで言及。    両方を読み比べると、きわだった違いはみられません。日本の教科書に なくて韓国の教科書にあるものといえば「挺身隊」くらいなものでしょうか。 しかし、これも他社の教科書には記載されています(7社中2社)。この比較 からわかるとおり、韓国の歴史教科書を読むかぎり「反日教育」を見いだすの はむずかしいと思います。    一方、「従軍慰安婦」の記述は両国ともありません。ただし、日本では 社会科教科書を出している7社全社の来春の中学校歴史教科書で、第2次世界 大戦の史実として、あるいは戦後補償の問題に関連して「従軍慰安婦」が記述 されました。その一例を紹介します。   「中には(中略)朝鮮半島から連れてこられた女性をはじめ、日本に占領 されていた地域の女性も含まれていた。日本政府は1993年、公式に謝罪し た。しかし政府間の賠償とは別に、従軍慰安婦にされた人々に与えた心と体の 痛みに対する個人への謝罪や補償が新たに求められている」    これについて、新海教諭(東京学芸大付属中)は「従軍慰安婦や戦後補 償の記述が各社に載ったことを過大に評価しては本質を見失う。アジアの人々 の目でとらえた日本の戦争の加害事実をきちんと子供たちが理解することが大 切で、その面では不満」と語りました(毎日新聞、96.6.28)。 (注)朝日新聞記事(95.12.20)  タイトル:歴史教育批判報道、「小沢発言は誤った認識」、韓国外務省                韓国外務省のスポークスマンは19日、新進党の小沢一郎幹事長が18 日に東京で開かれた日本評論家の懇談会で、韓国と中国の歴史教育のあり方を 批判したと報道されたことについて、「小沢氏の発言内容が事実だとすれば、 これは日本の影響力ある政治家が、韓国の教育が政治的意図による反日教育だ と誤った認識を持っていることであり、驚きを禁じえない」という論評を発表 した。    小沢幹事長は18日の懇談会で、日韓、日中関係のあり方について「私 は韓国や中国に『政治的意図で反日教育をしておいて、何が将来の友好だ。い つまでも憎悪を忘れさせず、残るのは憎しみだけだ』などといつも言っている。 そのようなことをきちんと面と向かっていうことが大切だ」などと話した。 http://www.han.org/a/half-moon/      半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 96/09/05 - 00838/00839 PFG00017 半月城 創氏改名(1) ( 7) 96/09/05 23:12 00678へのコメント    河原さん曰く > また、その中の記述で、「またわれわれの姓名を日本式に変えるように強要 >された。」とあるのは、少し史実と違うのではないでしょうか。 >以前、洪思翊中将について書きましたが、彼は最後まで朝鮮名のままで通しま >したし、慰安婦募集の新聞広告にも広告主が「許」である事例がありました。 >これは日本の教科書でも同様で、創始改名についてはすっかり間違った知識が >定着しているようです。    創氏改名について確かに間違った知識が定着しているようです。特に、 「創氏」、氏を創るという意味を正確に理解している人は少ないようです。作 家の梶山季之さんも、小説「李朝残影」を読む限り誤解しているようです。    ところで河原さんは、「洪思翊」中将は創氏改名をされなかったと考え ておられるのでしょうか? 法規上は洪思翊中将も「創氏」を行ったことにな っています。すなわち、姓名が洪思翊であったのが、新たに創氏の法規(制令 第19号)が強制的に適用され、氏名が洪思翊になったと考えられます。何が 変わったのでしょうか?    クイズみたいな話になりますが、洪という「姓」がなくなり洪という 「氏」が強制的に創られました。実質は何も変わっていないようにみえます。 これは洪思翊中将が男性なので結果的には世間的な個人名は変わりませんでし た。 しかし、既婚女性の場合は事情が違います。洪思翊中将の奥さんが仮に いたとしてかつその人が韓国人であったら、本来の自分の姓、たとえば「金」 から法的に強制的に夫の氏の「洪」にさせられました。したがって「創氏」は 自発的であれ強制的であれ100%完全実施されました。 なお、「自発的な」創氏届けは誰にでもできるものではなく、戸主に限 られました。逆にいうと戸主が創氏届けをしたら、その家は全員「自発的な」 創氏がされたことになりました。 今回は河原さんに対する簡単なコメントのみとし、本格的な反論は本業 が一段落したら書きたいと思います。    http://www.han.org/a/half-moon/ 半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 96/09/08 - 00857/00858 PFG00017 半月城 創氏改名(2) ( 7) 96/09/08 23:16 00838へのコメント    #755、スカンクさん >創始改名については手元に資料がない(朝鮮研究家及び新聞記者に聞いた話し。) >のですが、国の公文書に日本姓を認めるという記述があるそうですから強制 >ではないことは明らかです。 スカンクさんがいう記述に相当する資料があります。1939年、創氏 に関する制令「朝鮮民事令中改正の件」が公布された時、南次郎・朝鮮総督が 談話「司法上における内鮮一体の具現-内地人式氏の設定について」の中で次 のように述べました。   「本令の改正は申すまでもなく半島民衆に内地人式の「氏」の設定を強制 するものではなくして、内地人式の「氏」を定め得る途を拓いたのであるが、 ・・・」(金英達著「創氏と改名」、雑誌「青丘」1996年春号P51、青 丘文化社)    この談話は南総督自身が「創氏」を誤解していたのか、あるいは意図的 に発言したのかは定かではありません。いずれにせよ、この発言は事実と異な ります。「創氏」は自発的であれ強制的であれ、100%完全実施されました。 それは「創氏」の手続きを定めた制令第19号の次の条項から明らかです。  ○朝鮮人戸主は本令施行後6月以内に新たに氏を定め之を府〓又は邑面長   に届出づることを要す(付則第2項、〓は伊からにんべんを取った字)  ○前項の規定に依る届出を為さざるときは本令施行の際に於ける戸主の姓を   以て氏となす(付則第3項)    この制令をわかりやすく京城帝大の安田教授が次のように解説しました。 (「創氏改名と実際取引」、殖銀調査月報・第30号、1940) 問 そうすると創氏は皆やらなければならないわけですね。 答 そうです。朝鮮人のすべての家に各々従来無かった家の称号たる氏が新た  に設定されなければならないわけです。それで各家の戸主はこれを8月10  日までに考えて届出ることとされました。そして8月10日までにこの届出  をしなかった家については戸主の従前の姓の名前たとえば李とか金とかがそ  のままその家の氏とされたものと見なされることとされたのです。 問 戸主が8月10日までに新たな氏を設定届出しなかった時は、理屈は別と  してその家の人の名前は従来と変わりないわけですね。 答 そうは言えません。例えば金某男が戸主で別に創氏をしなかったとすると、  金某男およびその家族の中の男子の方は金がそのまま氏となるので別に名乗  りに変わりないのですが、金某男の妻またはその子の妻である李姓女または  柳姓女は8月10日以後はその家の氏たる金を名乗り金某女と称せねばなら  なくなります。   右のように8月10日以後は創氏改名を特にしなかった場合でも、女の場  合はその名乗りに変更が行われている場合が多いのですから注意せねばなり  ません。これはあるいはご本人も知らぬ場合が多いでしょう。    このように創氏届けは「戸主の義務」とされました。しかし、これに違 反しても罰則はありませんでした。それにもかかわらず、日本人式の創氏を行 う創氏届けは全戸数の81.6%という高率でなされました。特に、締め切り 間際の一ヶ月間で全体の2/3がなされました。ここに朝鮮総督府の「強制」 の跡をかいま見ることができます。    この強制について、創氏を「近代的なものへの前進」ととらえる積極論 者の鈴木武雄・京城帝大教授は「朝鮮統治の性格と実績-反省と反批判」で次 のように記しました。   「創氏制度は同時に日本人式の氏名をなのることを朝鮮人にも許すことで あったために、これが形式的皇民化運動に利用され、遂に創氏制度本来の意義 は没却されて単に皇民化の外形的指標として日本人式氏名をなのることが創氏 制度のすべてであるかのように考えられるに至った。創氏改名が末端行政当局 によって自己の皇民化行政の成績を誇示する手段として強制されるに及んで、 朝鮮人の反感を買うに過ぎない結果となったのである」 (大蔵省管理局「日本人の海外活動に関する歴史的調査」通巻第11冊,1947) 創氏届けの数が「皇民化」の度合いの指標として用いられたため、末端 行政機関は競って創氏届けを強制したようです。その強引なやり方がいかに朝 鮮人の怨念を買ったかは、梶山季之さんの小説「李朝残影」や金達寿氏の「玄 界灘」(青木文庫)に描写されているとおりです。    なお、創氏制度の導入によっても、旧来の朝鮮人の姓や本貫(先祖伝来 の出身地)をさすがの総督府も抹消することができず戸籍欄の隅に小さく残し ました。このように創氏は朝鮮伝統の「族譜」(家系図)には何ら影響を及ぼ すものではありませんでした。これからすると「李朝残影」の親日派の主人公 が創氏改名を強いられた結果、「族譜」を断つとし先祖へのお詫びに自殺した 結末はあまり適当ではないと思います。    一方、改名の方は制令第20号で定められました。こちらは裁判所の許 可制であったために、改名は9.6%の低率に終わりました。改名の基準は、 「一視同仁の御聖旨を奉戴する内鮮一体の統治方針に挌遵し皇民化に精進せん とするものなるを以て・・・」とされ、もちろん日本人式に改名されることを 要求されました。    日本人式改名は、数年前までの日本人への陰の帰化要件「日本人式改名」 を彷彿させるものがあります。    http://www.han.org/a/half-moon/       半月城


#1066/3346 日本史ボード ★タイトル (SPM07550) 94/10/26 7:32 ( 18) 古代史>弁辰も海人族    半月城 ★内容 アコさんが魏志韓伝の弁辰を#1055で紹介していましたが、この弁辰は なかなかおもしろい国です。後に伽耶或いは加羅と呼ばれますが、この伽耶国の王 妃は何と阿ユタ国(インド)から輿入れしたという神話が残っています。 またその時の王は金首露でニニギノミコトの天孫降臨のモデルになった人です。 これこそ正にアコさんの言う「耳族と目族との結婚」と言えるのかも。 そしてこの国は製鉄技術に優れ鉄挺の供給地であったことは先のMSGの通りですが この国が飛び抜けて優れた先進技術を持つようになった経緯などよくわかりません。 その他にもいろいろ謎がありますが、その一つは倭との関係です。 「韓は帯方郡の南にあって東西は海であり南は倭と接している」 「韓には三種類有って馬韓・辰韓・弁韓という。馬韓は西にある」 「辰韓は馬韓の東にある」  「弁韓は辰韓と雑居している」  「弁辰のトクロ国は倭と境を接している」  つまり倭が朝鮮半島の南部にもあったと魏の人は考えていたことになります。    この魏志韓伝をそのまま信じると、この時代倭族が北九州と朝鮮半島南部に住 んでいたことになります。もっともこれは伽耶地方の発掘品からもある程度裏付けら れているようですが。この伽耶地方は倭と深い関係があっただけにこれからも注目し ていきたいと思います。 半月城


#1083/3346 日本史ボード ★タイトル (SPM07550) 94/10/31 7: 8 ( 53) 天日槍(あめのひぼこ)>RE:#1076   半月城 ★内容 >      『日本書紀』垂仁天皇三年春三月条には、天日槍を新羅の王子と >していますので、現在の兵庫県が新羅(ホントは弁韓とか任那だったかもしれま >せんが‥‥)に侵略されたとも考えられるわけです。 天日槍に相当する人物は朝鮮側の史料にはないようです。三韓から日本へ 渡って王になった人は朝鮮の三国史記には無く、伝承類を編集した「三国遺事」 にわずかに「延烏郎・細烏女」の話が載っています。その内容を、金 思*著、 3世紀の朝鮮半島と日本(サンポウジャーナル第3巻第15号、邪馬台国の探求、 1978年)から抜粋します。 (*は火扁に華と書く、延烏郎は「えんうろう」、 細烏女は「さいうじょ」と読む)) --------------------------------------    天日槍の伝説は朝鮮側の史書、「三国遺事」に出てくる「延鳥郎(夫)・ 細鳥女(婦)」巻一)の説話に似た一面がある。すなわち新羅の第8代王の阿達 羅尼叱今(154-183)の時、東海のほとりに住んでいた一人の漁夫(延鳥) が、ある日、海で藻を採っていたところ、一つの岩が彼を乗せて日本へ運んでいっ た。たどりついた土地の人が彼を王に奉った。その妻(細鳥)は夫の帰ってこな いのを変に思い、海辺へ行ってみると、岩の上に夫の履き物があったので、その 岩に登ると、岩がまた動きだして彼女を夫の所へ運んで行った。この夫婦は実は 日月の精で、彼らが去った後、急に太陽と月が光を失ってしまった。そこで王は 使者を日本の二人のところへやってもどるよう頼んだ。しかし彼ら夫婦はもどら ずに、細*(上等のきぎぬ)をくれた。(*は糸扁に肖) それを持ち帰って祭っ たところ、日と月の光がもとにもどった、というのである。天日槍と違って夫の 後を妻が追いかけるといった構成であり、場所は今日の浦項(延日、延日郡)で、 古代人が黒潮に乗れば簡単に日本海を渡りうることを暗示してくれる。 ---------------------------------    この天日槍の伝承についてはこれをこのまま史実としてみる学者はいないよ うです。この解釈について二、三の人の見解を作家の、金 達寿氏は「日本古代史と 朝鮮」(講談社学術文庫)の中で紹介していますので以下に記します。   直木孝次郎氏 「兵庫県史」第一巻 おそらく矛や剣で神を祭る宗教、または矛や剣を神とする宗教を奉ずる集団 が、朝鮮とくに新羅から渡来したことが、この伝説のもととなっていると思われる。   林家辰三郎氏 「古代の但馬、天日槍と神武東征伝説」 新羅の王子といわれる天日槍の農耕氏族集団は朝鮮から北九州へ渡って瀬戸 内海を通り播磨の宍粟の邑を通り、淡路を通って河内から淀川に入り、・・・私はそ れが天日槍集団の渡来の伝承と考える。神武東征の伝承とひじょうに類似しているの は、天日槍という名前が示すように、槍はいうまでもなく神のよりしろであるが、こ れはタケミカズチノ神の剣と同じで雷を表現している。即ち、天日槍という神名の中 に神武東征伝承のいろんなエッセンスが凝縮されている。 ここで林家氏は神武東征を史実として認めているわけではありません。ただこ れを文学的創作として捨て去るのではなく、その伝承の背景にあるものを吟味しよう とする立場です。 以上天日槍についての先達の見解を紹介しましたが、もしここのSIGの過去 のMSGと重複していたらご容赦下さい。何しろ新入りでこのSIGの実状をよく知 らないものですから。    なお、「延烏郎・細烏女」のより詳しいストーリーは、申 来*著「朝鮮の神 話と伝説」、太平出版社(1971) (*は金扁に玄と書きます)に書かれていま す。 半月城


#1094/3346 日本史ボード ★タイトル (SPM07550) 94/11/ 3 14:16 ( 50) 首露王とニニギノミコト>RE1087 半月城 ★内容 > それから、金官伽羅(=金官、伽落国、伽耶)の始祖とされる金首露王をニニ >ギノミコトの天孫降臨のモデルというのは、「!」のような「?」のような気が >しますねえ。というのも、似たような神話は朝鮮半島と日本列島にのみあるわけ >ではないようですから。 首露王がニニギノミコトのモデルになったというのは三品博士の説だそう です。 記紀の伝説と、駕洛国に伝える六伽耶国の建国伝説が内容の重要な点でこ とごとく一致するものであることを三品博士が詳細に論証されたと、江上波夫氏は 紹介しています。(歴史読本特別増刊号、「日本国家の起源を探る」、1994) その一致点は、 1、国土を支配せよという天神の命令を受けて天降ること、 2、アコさんが書いているように、布につつまれて落下すること、     3、久士布流(紀紀)、クジ峰(駕洛国記)とほぼ同一地名と認められる所       に降下したことなどである。 (クジのクは亀、ジは止の下に日と書く)     記紀の久士布流のフルは韓語で村の意であって「クジ」の村に他ならない。 また日本書紀の一書では「くし触(ふる)」のところが「添(ソホリ)」となってお り、この「ソホリ」は百済の都を所夫里(ソフル)、新羅の都を蘇伐(ソブル)、現 代韓国の首都をソウルという如く王都を意味する韓語であって、いずれも日本語では 意味の通じにくいものが韓語では容易に、また合理的に解きうるとしている。     次に江上氏はクシフルの場所を通説と違って北九州としている。その理由を 氏は次のように述べている。  1、古事記では「筑紫の日向(ひむか)の久士布流多気(たけ)」とあって、そ    れが筑紫、すなわち北九州としている。  2、日本書紀では「筑紫の日向の高千穂のクシ触峰」とある場所と、「日向の襲    の高千穂の峰」ある場所と二通りあって筑紫も有力である。。 3、日本書紀でニニギノミコトは筑紫の日向の可愛(かえ)の山稜に葬られたと    されている。  4、新唐書で「筑紫城にいる彦瀲の子、神武立つ」とあり、神武以前に日本の統    治者が筑紫にいたという伝承が伝わっている。  5、日本書紀に、天孫の降臨を助けるため、天照大神がその三人の娘を海北(南    鮮)と筑紫の間のいわゆる道中に降ろしたという所伝がある。(宗像三社の    縁起の起源)     こうした点を総合して江上氏は、南鮮、ことに伽耶地方からその建国説話を 斎して北九州に渡来した外来民族ー天神ーが、その支配地の高い連山(高千穂峯)に これを結びつけたのが記紀所伝の天孫降臨建国神話に他ならないとしている。 ところでこの伽耶とインドとのつながりはおもしろそうですね。伽耶の文化 は百済や新羅を通り越して直接中国やその他の地域から海路で入ってきたものがかな りあるのではないかと思います。ハイテクの製鉄技術などその良い例ではないかと思 います。また、日本の琴のルーツとなった伽耶琴などもそうではないかと思います。 こうした弦楽器のルーツはペルシャにあるとかいいますがどういうルートで入って来 たのか興味の尽きないところです。 半月城


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