半月城通信
No. 13

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 「従軍慰安婦」15、国際法による賠償
  2. 「従軍慰安婦」16、個人請求権と外交保護権
  3. 「従軍慰安婦」17、韓国・中国の対応
  4. 「従軍慰安婦」18、和解への道
  5. 「従軍慰安婦」19、日韓請求権協定


|- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 00523/00523 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」15、国際法による賠償 ( 7) 96/07/01 23:45 00520へのコメント    河原さん、さっそくの返答ありがとうございます。私の「従軍慰安婦」 の書き込み資料をメールで送ってくださいとのことですが、量がかなり多いの と、一部の資料だけを送ったのでは誤解を招きかねません。そこで文末に「必 ず成功する」FASIAの読みかたを教えますのでもう一度チャレンジしてみ ていただけませんか? それでもだめでしたら、全文をメールで送ります。 また、#481で掲げた資料にさらに下記の FASIA のリストを追加します。  02313/ PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」12、吉田証言  02346/ PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」13、国際法と補償    さて、「従軍慰安婦」はどのような国際法違反になるかというご質問で すが、法律に関して素人の私が軽々しく「判決」を下せるような問題ではない ので、私は「従軍慰安婦」10、11(#2057,#2147) で専門家の意見を紹介す るにとどめました。    ただ、確実にいえるのは日本政府は、慰安婦の募集や移送、管理などが 日本軍関係者や警察などの甘言、弾圧によるなど「総じて本人たちの意志に反 して行われた」と述べて、募集だけでなく全般的に「強制」があったことを認 めましたので(FASIA,#1813)、当然、国際法違反の感触くらいは持っているの ではないかと思います。    さらにその上、日本軍がオランダ人女性を強制売春させた「白馬事件」 (FAISA #1874) を裁いたバタビア軍事法廷の判決を、日本政府は1951年サ ンフランシスコ条約で承認したので、腹の中はどうあれ、間接的に国際法違反 を認めたことになります。 >>   同時に国際的には1948年の国連の世界人権宣言に続い >>て1966年の世界人権規約では、人権宣言をより具体化し、拘束力のある >>ものにしたのであり、国際法の積極的な存在理由を個人の人権保障に求めま >>した。 >このような考え方にもとづき、実際に個人の請求権を受け入れた(外国の)例 >をご教示いただければ勉強になります。 このごくありふれた例としては、亡命者や難民の外国での居住権があげ られます。これらは難民条約等に基づいて外国での居住権を得るものです。    つぎに、請求権をもっと狭く解釈し賠償に限るなら、ホルジョウ工場事 件に関する1928年の常設国際司法裁判所判決があります。その事件自体に ついては私もよく知りません。    この判決要旨を教科書から引用します。「約定の違反が適当な形で賠償 をなす義務をともなうことは、国際法上の原則である。したがって、賠償は条 約不履行に欠くことができない代償であって、それを条約そのものの中に規定 しておく必要はない」(田畑茂二郎著、「国際法1(新版)」P397、有斐 閣) つまり、国際義務(処罰義務は国際義務の一種である)に違反した場合 には、条約などに明文の賠償義務規定がなくとも、国際義務違反の当然の効果 として賠償の国家責任を負うのである。しかも、この法理は、1920年代に すでに確立した伝統的国際法だった。  (戸塚悦朗著、「日本が知らない戦争責任、日本政府の法的責任とは」、法 学セミナー1994年 8月号)    このような国際法の国家責任の法理をもとに、人権委員会の特別報告官 ファン・ボーベン氏は国連に提出した最終報告書で、<従軍慰安婦などのよう に国際的に違法だと認識されている人権侵害は、個人に国家賠償を請求する権 利があり、加害国はこうした行為を行った責任者を処罰し、被害者を救済する 義務がある>と結論づけました(FASIA,#1989)。    さらに、「不処罰を理由とする賠償義務」の国際仲裁裁判例で著名なも のに1926年のジェーンズ事件があります(波多野・東共編著「国際判例研 究国家責任」三省堂、P394)。    この事件は、アメリカ人がメキシコで殺害されたが、メキシコ司法当局 が機敏に適切な措置をとらなかったために犯人の逮捕ができず、処罰に失敗し たというものです。仲裁判決は、犯罪が処罰されなかったことによる遺族の損 害があるとしてメキシコに賠償責任を認めました。    この他にも類似の賠償事例はたくさんあります。 (戸塚悦朗著、「日本が知らない戦争責任、日本政府の法的責任とは」、法学 セミナー1994年9月、P56)    この賠償義務の理念に基づいて、国際的な民間平和推進・人権擁護組織 であるIFOR(国際友和会)が、次のような慰安婦制度を立案・実行した責 任者の処罰を提案しました。  (1)従軍慰安婦問題は、時効による免責規定がない国際条約「強制労働に    関する条約」(日本の批准は1932年)などに明確に違反する。  (2)日本は批准後、条約の精神を具体化する法整備を怠っている。  (3)過去にさかのぼって責任者の処罰をおこなうための立法化を進める義    務がある。     この提案に対し日本政府は沈黙を守り、この提案は正式な国連文書とし て採択されました(FASIA,#1989)。   <付録>FASIAへアクセス方法 手順1、(半角で)GO FASIA   を入力 手順2、(半角で)3      を入力(会議室を選択) 手順3、(半角で)10     を入力(韓国・北朝鮮を選択) 手順4、(半角で)#1791     を入力(「従軍慰安婦」1、・・を選択)   読み終わったらつぎに、#1806 を入力、以下 #1813 など#481にかか れている番号を、頭に半角の # つけて入力します。 半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 00525,PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」16、個人請求権と外交保護権 ( 7) 96/07/02 21:56 00522へのコメント    下落合95さん、こんばんは。#194についてはいずれコメントする ことにして、まず下落合さんの疑問「失礼ながら、日韓条約は良くお読みにな りましたか?」から答えたいと思います。私は日韓条約は過去30年間で数十 回読みました。もっとも回数を多く読めばいいというものではないでしょうが。    逆に質問しますが下落合さんは、条約局長が >>「したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消  >>滅させたというものではございません。日韓両国で政府としてこれを外交 >>保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございま >>す」 と述べた歴史的背景をご存じですか? この経緯からすれば「外交的な決着は どうあれ、個人の請求権は加害国に対し消滅していない」という解釈を日本政 府が採用していることがわかると思います。    こうしたことから、「個人の請求権と外交保護権との関係」は単に日韓 条約の条文の中だけでなく、過去の日本の「海外政策」全般の中で検討する必 要があります。 これが最初に問題になったのは、原爆被害者やGHQ被害者による提訴 の時でした。こうした原告は、自分たちの個人的請求権がサンフランシスコ平 和条約で消滅させられたと思い、国を相手取って補償を要求した裁判でした。    その代表例の原爆訴訟で、東京地裁は政府の言い分を全面的に採用し次 のような判決をくだしました。    「対日平和条約第19条にいう『日本国民の権利』は、国民自身の請求 権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交的保護権のみを指 すものと解すべきである。    ・・・イタリアほか5ヵ国との平和条約に規定されているような請求権 の消滅条項およびこれに対する補償条項は、対日平和条約には規定されていな いから、このような個人の請求権まで放棄したものとはいえない。仮にこれを 含む趣旨であると解されるとしても、それは放棄できないものを放棄したと記 載しているにとどまり、国民の請求権はこれによって消滅しない。したがって、 仮に原告等に請求権があるものとすれば、対日平和条約により放棄されたもの でないから、何ら原告等が権利を侵害されたことにはならない」  (1963年12月7日、東京地裁原爆訴訟判決の摘示。判例時報355号 P17)    この時の政府の主張は、当時にあっては詭弁に近いものであったかも知 れません。しかし、現在ではこの主張は正鵠であり、なかんずく「それは放棄 できないものを放棄したと記載しているにとどまり、国民の請求権はこれによ って消滅しない」という主張は世界的な人権思想「ユスコーゲンス」(注)に も合致しそうです。    この原爆訴訟の例は最終的には司法当局がくだした判断ですが、もっと 直接的に政府当局者が言及した例があります。これはいわゆるシベリア抑留者 の請求権が日ソ共同宣言(1956年)で消滅したかどうかという問いに対し なされました。その答弁を引用します。    「日ソ共同宣言第6項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の 請求権および国家が自動的にもっておると考えられております外交保護権の放 棄ということでございます。したがいまして、ご指摘のように我が国国民から ソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに 考えております」  (1991年3月26日、参議院内閣委員会での外務省欧亜局審議官答弁)    このように、日本政府は一貫して日本人であれ、韓国人であれ、過去の 条約内容いかんにかかわらず個人の請求権は存在していることを認めています。 この立場は、日本政府のこれまでの主張「戦後補償は平和条約や二国間条約で すべて解決済み」とは明らかに矛盾します。 このような対応を朝日新聞は「許されぬ戦争補償の二重基準」として批 判しています(1991.8.28,朝日「論壇」)。政策にこのような二重基準はもち ろん許されません。    おわりに、下落合さんの次の質問に答えたいと思います。   >> 個人の請求権については未解決という立場であるなら、日本   >>国民がもっている対韓請求権についても未解決でなければ筋が   >>通りませんが、これについてはどのようにお考えなのでしょうか。 そのようなものがあるのなら国際法に従い当然請求すべきです。相手は 韓国(1948年建国)なのかアメリカ軍なのかあるいは両方なのかはよくわ かりませんが。 (後日の書き込みとして、<戦後補償(5)、日本の在韓資産放棄>をご参照  ください)    個人的請求権、特に人権侵害は被爆者であれシベリア抑留者であれ、相 手政府にどんどん働きかけるべきです。そのことで日本政府は外交保護権を行 使できないので独力で行う必要があり実際問題としてはかなり困難が予想され ます。しかし、どんなに困難であっても、それが「従軍慰安婦」のような悲惨 な人権問題であればそれなりの道は開けると思います。    現在、人権先進国においては人権問題が外交政策をも左右します。アメ リカでは人権抑圧国に対し最恵国待遇を与えるかどうかが毎年のように議論さ れています。アメリカといえば、かって日系人のねばり強い運動で、戦時中の 日系人強制収容についてアメリカ政府にその非を認めさせ見舞金を支給させた のは記憶に新しいところです。 (注)ユスコーゲンス    国際法上の強行規範。日本の国内法で言うと民法90条の公序良俗にあ たる。条約法に関するウィーン条約53条に規定がある。ユスコーゲンスに違 反する条約が無効であるという法理を確認している。注意すべきは、同上が言 う「いかなる逸脱も許されない規範」は、同条約成立前からあったことだ。た とえば、武力行使を禁ずる国連憲章の定め、海賊の禁止、奴隷取引の禁止など がこれに当たり、従前から存在したことは争いがない。人権もこれに当たると の指摘も、国際法委員会の審議でなされている。何がユスコーゲンスに当たる かは、国際判例の積み重ねで確認されることになる。  (法学セミナー、1994年2月号、No470、p41) 半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 00530/00530 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」17、韓国・中国の対応 ( 7) 96/07/06 17:56 00528へのコメント    二、三の方からかなりの質問やコメントなどをいただいておりますが、 それらにはゆっくり答えるとして、先に韓国や中国政府などの、個人補償に関 する考えかたを先にみておきたいと思いますのでご了承下さい。    日本政府は、前回書いたように、諸条約で個人補償に関しては国家とし ての外交保護権は失ったが、個人の請求権は消えていないと明言しました。    この日本政府の考え方を、韓国政府も採用すべきであるという声が韓国 でもありますが、韓国政府はこの個人補償請求権の存在に関しては沈黙を守っ ているようです(李鎬勲著「韓国に求められる新たな戦後補償運動」法学セミ ナー、95年4月、P15)。 まったく皮肉なものです。請求される側の政府が「個人請求権の存在を 確認」する一方で、請求する側の政府が逆に沈黙を守るという「あべこべ」の 図式は日韓関係の複雑さを物語っています。 このねじれ現象の裏には、日韓条約で授受された「3億ドル」のお金を それぞれの政府が国民にどのように説明してきたかの違いが如実に表れていま す。    日本政府は、このお金は「韓国独立のお祝い金」(大平元首相)とか、 「経済協力金」をしきりに強調し、賠償金・補償金の性格を強く否定しました。 その結果、個人の請求権を条約は消滅させたものではないとの見解を、過去の 事例(シベリア抑留など)もあって出さざるを得なかったわけです。    一方の韓国は当時、このお金は植民地清算金であることを盛んに強調し ました。そのころ、韓国は学生を中心とした「韓日会談」反対運動で社会は騒 然とし、当時の李外相はあえて「売国奴の汚名を着てでも国家のために条約を 成立させる」との悲壮な覚悟でした。こうした韓国民の根強い「屈辱外交」批 判を少しでも和らげるために、日本からの植民地清算金という名目は方便でも 必要であったわけです。 このような韓国民の過去の怨念を恐れるあまり、現在韓国政府は外交保 護権云々などと滅多なことはとても言いだしかねています。へたに言い出そう ものなら、今でもくすぶっている「韓日条約」見直し論が一挙に吹きだし収拾 がつかなくなる可能性が濃厚です。    こうした考え方から韓国政府は、「日本へは物質的補償を求めず、徹底 的な真相究明を誠意をもって行うよう」要求するといった消極的なものににと どまっています。この点、中国とはかなり異なっています。    次に中国政府の姿勢ですが、その前に、重要な歴史的事実を確認したい と思います。中国と日本は1972年、日中共同宣言を調印して国交を正常化 し、同時に日台間の外交関係を断絶しました。    この共同宣言で「中国政府は・・・日本国に対する・・・請求権を放棄 する」とうたいましたが、これは他の条約と決定的に違う所があります。    対日平和条約、日ソ共同宣言、日韓請求権協定などの請求権の条項はい ずれも「国およびその国民」の請求権を放棄するとなっていますが、日中共同 宣言には「国民の請求権」を放棄するという文言がありません。 これは重要な事実です。中国政府は宣言により「中国国民の請求権およ び外交保護権」を放棄したわけではありません。この立場から中国政府は韓国 とは違って中国国民に対する補償問題について発言しています。その主な動き は次のとおりです。(田中宏他著「戦争責任・戦後責任、日本とドイツはどう 違うか」朝日選書、1994)  87年8月 湖北省の中国公民が全国人民代表大会(全人代)に「日本の侵    略戦争の賠償問題についての公開書簡」を送付 91年3月 北京の大学講師童増氏が「対日被害賠償問題についての公開書    簡」を全人代に向けて用意した  92年3月 安徽省、貴州省代表が「対日民間賠償請求に関する議案」を提    出した 92年3月 銭其森外相が記者会見で「中国侵略戦争によってもたらされた    複雑な問題は、日本側が適当に処理しなければならない」と発言。  92年9月 呉学謙副首相は「このこと(民間賠償)は政府とは別のことで    ある。民間が正常なルートを通じて、かれらの要求を訴えることも正常    である」と発言。    このころの中国政府の態度は「第三者的」で、民間賠償は日本政府と中 国国民の関係」と冷淡でした。それが95年あたりからその姿勢に変化がみら れるようになりました。95年、村山首相の訪中さなかの5月4日、中国外務 省スポークスマンは日中戦争での民間賠償問題について「いくつかの件では補 償が必要だ」と述べました。(95.8.15 朝日新聞「中国で強まる補償要求」)。    この発言の後、中国からはいくつかの補償要求が日本にだされました。 その主なものを次に掲げます。 1。「従軍慰安婦」および南京大虐殺・731部隊被害者    8月、東京地裁に15人が「非人道的な戦争犯罪の犠牲になった」とし  て提訴、計2億円を請求。 2。花岡事件    6月、東京地裁に11人が「中国人を奴隷的存在におとしめた」として、  大手ゼネコンの鹿島に一人当たり550万円の賠償を請求。 3。強制連行被害者    7月、被害者25人が三井鉱山など8社に一人当たり2000万円の賠  償と謝罪を求める要求書を提出。    こうした動きに対し日本政府の高官は「日中間の請求権は72年の日中 共同声明により存在しない。個人の請求は裁判所がどう判断するか注目したい」 (林貞行外務事務次官)と従来の見解を踏み出す気配はありません(同上)。    この発言の裏には、日本政府は裁判で敗訴することはないとの自信があ ります。それを示す判決が7月27日、東京地裁でだされました。    終戦直後のサハリンで朝鮮人の父と兄を日本の憲兵らに虐殺されたとす る遺族がおこした裁判です。判決は「民法上、損害賠償請求権は被害を受けた ときから20年で消滅する」として訴えを棄却しました。    強制連行・強制労働などの国際法違反とされるものに時効はありません。 そうした大きな問題を、民法などの日本の法律に基づいて裁くこと自体無理が あります。こうした対応でアジアの人たちの求めに「訴訟の壁」を築くのがは たして妥当な「海外政策」でしょうか?    これは柴田さんの問い、「海外政策はどのようにして明確に定義すれば よいのでしょうか?」にも関連することがらです。「訴訟の壁」以外にどんな 解決法があるのかは次回具体的にみていきたいと思います。 半月城


- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 00539/00539 PFG00017 半月城   「従軍慰安婦」18、和解への道 ( 7) 96/07/07 23:45 00530へのコメント 前回の予告にしたがい、アジアからの訴えに「訴訟の壁」以外の、お互 いわかりあえるような他の道について一部書きます。そうした解決の例が過去 いくつかありました。それらを紹介します。    まず、裁判が和解した例として「サハリン訴訟」がありました。これは 日本によりサハリンに強制労働のため連行され、終戦後はそのまま置き去りに され、それっきり冷戦の谷間に帰国の道を閉ざされた韓国人たちが日本政府を 相手取り起こした裁判でした。    訴えた韓国人たちは裁判途中で、日本人政府や支援者の努力を評価し訴 訟を取り下げました(95.7.14)。この年、日本政府は「サハリン残留韓国人永 住帰国支援事業」として、帰国受け入れのための療養院と集団住宅建設に32 億円の支出を決定していました。    この訴訟の弁護団長をつとめた高木健一弁護士によれば、「五十嵐官房 長官がサハリンの人たちに会い、『これからも一緒にやっていきましょう』と 話したことで、お互いに信頼関係が生まれ」訴訟を取りやめたとのことでした。    次の例は、台湾の人たちへ「未払い給与」「軍事郵便貯金」の返却を決 定したことでした。こうした台湾の「確定債務」は95年10月から受付開始 予定になりました。返済額は時価を考慮し、一律120倍として合計352億 円になりました。    こうした個人的な「未払い給与」や「軍事郵便貯金」は韓国・朝鮮人も 当然もっています。しかし、個人請求権の存在を認めている日本政府も、韓国 に関しては「日韓条約」で解決済みとして、民間の「未払い給与」すら返却す るようすはありません。    台湾の請求権については、1952年、朝鮮戦争の最中に結ばれた「日 華平和条約」議定書で「中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴とし て、サンフランシスコ条約第14条(a)1に基づき、日本国が提供すべき役 務の利益を自動的に放棄する」とされました。当初、台湾の蒋介石政権は中国 大陸を含む戦争賠償の請求を試みましたが、冷戦優先を主張するアメリカの論 理に全面的に譲歩しました。    ところで、ここで用いている「請求権」の意味ですが、戦争などにより 被害を受けた人たちの賠償、補償請求権をいいます(法学セミナー、92年8 月、P45)。賠償と補償は厳密には区別すべきですが、いずれも請求権であ るという意味でここでは区別せずに使います。一方、財産権ですが、こちらは 日韓協定で両国間の「財産および請求権に関する・・協定」とあるように、財 産権は請求権とは別に考えられています。 再び台湾に対する個人補償にもどりますが、個人補償はこれで二度目で した。最初は台湾の元日本兵に対しなされました。元日本兵とはいうまでもな く戦時中日本のために日本人として務めを果たした皇軍兵士です。戦後彼らは 日本政府の都合で日本国籍を剥奪され、何の補償もされないまま放置されまし た。    これに不満な台湾の元日本兵は訴訟をおこしました。しかし、日本の 「訴訟の壁」にはばまれ請求は棄却されました。その時の東京高裁判決は、 「ほぼ同様の境遇にある日本人と比較して著しく不利益を被っていることは明 らかであり・・・早急にこの不利益を払拭し、国際信用を高めるよう努力する ことが、国政関与者に対する期待である」(85年8月)として立法をうなが しました。    この判決に刺激され、日本の国会議員の中に立法化の動きが本格化し、 87年(注)に法律が制定され、戦死者や重度の戦傷者にはひとり200万円 の弔慰金(見舞金)、計600億円が支払われました。    これは画期的な政策でした。日本は自国民に対しては、主権回復後「国 家補償の精神に基づき」戦後補償を行ってきましたが、それがことごとく「外 国人」には及ばないように立法、運用してきました。それがはじめて外国人個 人に日本政府の意思で補償がされました。    しかし、この補償は日本人と比較すると明らかに差がありすぎました。 もし、この元日本兵が国連の人権規約委員会にその差別を提訴したらかなり問 題になるかも知れません。    同委員会は、セネガルの元フランス兵の補償差別事件をとりあげ、フラ ンスの措置は国際人権規約B26条の「平等条項」に違反するとの結論を出し ました。その中で「国籍の変更はそれ自体別異の取り扱いを正当化する根拠と はなりえない。なぜならば、年金支給の根拠は軍務を提供したことにあるので あり、セネガル人もフランス人も提供した軍務は同じであるから」 と明快な判断をくだしていました。    日本も同規約の加入国であり、同委員会に人権問題について定期的に 「報告書」を提出しました。93年10月、その第3次報告が審査に付されま したが、その「最終コメント」は、「朝鮮半島や台湾出身者で、旧日本軍に従 事し、現在は日本国籍を持たない者は、その恩給などにおいて差別されている」 と指摘し、「日本に今なお残る差別的な法律や慣習は、規約第26条に合致す るように廃止されるべきである」と勧告しました(田中宏他著「戦争責任・戦 後責任」朝日選書、1994)。    現在、国連は平和と人権擁護を特に重視しており、その中で日本の人権 問題、特に戦後処理にからんだ人権問題について厳しい見方をしています。    台湾出身の元日本兵に対してはまがりなりにも補償が実施されましたが、 同じ元日本兵でも韓国・朝鮮人には補償はまったく実施されませんでした。韓 国に住む韓国人には、日韓協定云々などと多少のいいわけはできても、日本に 定住する韓国・朝鮮人に対してはこの口実はまったく使えません。日韓協定の 条文で協定の対象外とされています。この人たちについて国連は「差別されて いる」とコメントしましたが、これは差別というより「無視」といったほうが 適切です。 かって皇軍兵士として活躍し、重傷を負って日本へ戻ってみれば、いつ のまにか勝手に外国人にされ、その上で今度は外国人という理由で一切の補償 や恩給を拒否されてしまいました。こうした元皇軍兵士の陳さん、石さんは働 こうにも片手や片足がない状態でそれもままなりませんでした。このような人 たちに生活保護以外何の手も差しのべない日本政府のつめたい仕打ちは、国連 から非難されて当然です。 萩原 正治さん、この人たちは未来へどのように進んだらよいとお考え でしょうか? 陳さんたちは訴訟をおこしましたが、94年7月東京地裁は無慈悲にも 請求棄却の判決をくだしました。国連から人権問題で非難される国にふさわし い判決でした。この判決を前に、陳さんは5月亡くなられました。さぞかし無 念であったことでしょう。 日本政府に暖かい血の通った行政を求めるのは無理としても、せめて国 連から非難されないような行政を注文したいと思います。 (注)台湾出身の元日本兵への補償関係法律 87年9月、台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律 88年5月、特定弔慰金等の支給の実施に関する法律    http://www.han.org/a/half-moon/       半月城


- FASIA MES(10):【アンニョンクラブ】    韓国・北朝鮮 02458/02458 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」19、日韓請求権協定 (10) 96/07/09 08:15 02447へのコメント えーす寝台さんがあげられた見解は大きく分けて次の3点になるかと思 います。 1。日本政府は法的反論は撤回していませんし、消極的に国際法上の責任も感  じていないようです。 2。(日韓の)請求権協定にはきちんと国民(個人)も含まれています。 3。(請求権協定の)3億弗の無償供与は必ずしも「経済協力金」ではなく、  むしろ有償の(2億ドルの)ほうが「経済協力金」といえるでしょう。    これらに関し順に私の意見を書きます。 1。日本政府は国連の人権委員会に一度提出した見解書を撤回し、内容を大幅  に直して公式見解書として提出し直しました(#2057参照)。その間、  何を撤回したかというと、次の2点があげられます。  A)報告者の国際法の解釈には基本的な誤りがある。伝統的な国際法では過   去に遡って罪を裁くことはできない。  B)日本の法的責任はサンフランシスコ平和条約で解決済みである。   とするものでした。(NHK、ETV「従軍慰安婦」、96.5.20)    A)について、日本政府は「国際法の解釈に誤りがある」とした法律論 を撤回し、「(報告は)十分な根拠がなく、日本政府は留保する」と主張する にとどまり、法律論争を避けました。    日本政府は「従軍慰安婦」制度が国際法違反でないと確信するなら最後 まで法律論を展開すべきです。それを断念したのは自分の主張に分がないと判 断したためと思われます。    B)で、法的責任は平和条約などで解決済みとしましたが、これは「過 去に法的責任があった」ことを認めたことに他なりません。その上で法的責任 は平和条約で解決されたと主張していたわけです。    これが、日本政府が消極的に国際法上の責任を認めていた根拠です。 2。請求権協定に個人補償が含まれるか。     まず、「従軍慰安婦」に対する個人補償ですが国連の報告書の見方を紹 介します。    日本政府は法的責任について、サンフランシスコ講和条約(一九五一年) や日韓協定(一九六五年)で解決済みとの立場を取っているが、報告書は、当 時は慰安婦問題は考慮されておらず、被害者が個人補償などを求める権利は国 際法で認められていると反論している(02/06 10:24 読売: 慰安婦問題で国連 人権委が報告書)。 私も少なくとも「従軍慰安婦」については請求権協定で韓国政府が補償 する筋合いはないと思っています。    次に、「従軍慰安婦」以外の個人補償ですが、これについては少なくと も韓国政府は請求権協定の中に個人補償も含まれると当時解釈していたと思い ます。    しかし、現在の日本政府の公式の見解は#2346に書いたように「個 人の請求権は条約により消滅していない。しかし国が個人に代わり外交保護権 としてそれを請求することはできない」としています。    この見解をきちんと理解するためには日韓協定だけを見るのではなく、 過去、日本政府が外交保護権と個人の請求権についてどのように対処してきた か歴史的経緯をみる必要があります。    この点について、#2391で紹介したように、私は  FNETD MES(7) #525「個人請求権と外交保護権」に書きました。その主要部分を紹介します。          ーーーーーーーーーーーーーーーーー これが最初に問題になったのは、原爆被害者やGHQ被害者による提訴 の時でした。こうした原告は、自分たちの個人的請求権がサンフランシスコ平 和条約で消滅させられたと思い、国を相手取って補償を要求した裁判でした。    その代表例の原爆訴訟で、東京地裁は政府の言い分を全面的に採用し次 のような判決をくだしました。    「対日平和条約第19条にいう『日本国民の権利』は、国民自身の請求 権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交的保護権のみを指 すものと解すべきである。    ・・・イタリアほか5ヵ国との平和条約に規定されているような請求権 の消滅条項およびこれに対する補償条項は、対日平和条約には規定されていな いから、このような個人の請求権まで放棄したものとはいえない。仮にこれを 含む趣旨であると解されるとしても、それは放棄できないものを放棄したと記 載しているにとどまり、国民の請求権はこれによって消滅しない。したがって、 仮に原告等に請求権があるものとすれば、対日平和条約により放棄されたもの でないから、何ら原告等が権利を侵害されたことにはならない」  (1963年12月7日、東京地裁原爆訴訟判決の摘示。判例時報355号 P17)    この時の政府の主張は、当時にあっては詭弁に近いものであったかも知 れません。しかし、現在ではこの主張は正鵠であり、なかんずく「それは放棄 できないものを放棄したと記載しているにとどまり、国民の請求権はこれによ って消滅しない」という主張は世界的な人権思想「ユスコーゲンス」(注)に も合致しそうです。    この原爆訴訟の例は最終的には司法当局がくだした判断ですが、もっと 直接的に政府当局者が言及した例があります。これはいわゆるシベリア抑留者 の請求権が日ソ共同宣言(1956年)で消滅したかどうかという問いに対し なされました。その答弁を引用します。    「日ソ共同宣言第6項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の 請求権および国家が自動的にもっておると考えられております外交保護権の放 棄ということでございます。したがいまして、ご指摘のように我が国国民から ソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに 考えております」  (1991年3月26日、参議院内閣委員会での外務省欧亜局審議官答弁)    このように、日本政府は一貫して日本人であれ、韓国人であれ、過去の 条約内容いかんにかかわらず個人の請求権は存在していることを認めています。 この立場は、日本政府のこれまでの主張「戦後補償は平和条約や二国間条約で すべて解決済み」とは明らかに矛盾します。 このような対応を朝日新聞は「許されぬ戦争補償の二重基準」として批 判しています(1991.8.28,朝日「論壇」)。政策にこのような二重基準はもち ろん許されません。    個人的請求権、特に人権侵害は被爆者であれシベリア抑留者であれ、相 手政府にどんどん働きかけるべきです。そのことで日本政府は外交保護権を行 使できないので独力で行う必要があり実際問題としてはかなり困難が予想され ます。しかし、どんなに困難であっても、それが「従軍慰安婦」のような悲惨 な人権問題であればそれなりの道は開けると思います。    現在、人権先進国においては人権問題が外交政策をも左右します。アメ リカでは人権抑圧国に対し最恵国待遇を与えるかどうかが毎年のように議論さ れています。アメリカといえば、かって日系人のねばり強い運動で、戦時中の 日系人強制収容についてアメリカ政府にその非を認めさせ見舞金を支給させた のは記憶に新しいところです。 (注)ユスコーゲンス    国際法上の強行規範。日本の国内法で言うと民法90条の公序良俗にあ たる。条約法に関するウィーン条約53条に規定がある。ユスコーゲンスに違 反する条約が無効であるという法理を確認している。注意すべきは、同上が言 う「いかなる逸脱も許されない規範」は、同条約成立前からあったことだ。た とえば、武力行使を禁ずる国連憲章の定め、海賊の禁止、奴隷取引の禁止など がこれに当たり、従前から存在したことは争いがない。人権もこれに当たると の指摘も、国際法委員会の審議でなされている。何がユスコーゲンスに当たる かは、国際判例の積み重ねで確認されることになる。  (法学セミナー、1994年2月号、No470、p41)     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3。3億ドルは賠償・補償金か、経済協力金か    この無償供与の3億円はどちらにも解釈できるように政治決着がなされ ました。これに関しても FNETD MWS(7) #530 「RE:個人請求権と外交保護権」 で書きましたのでそれを一部転載します。      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    日本政府は、前回書いたように、諸条約で個人補償に関しては国家とし ての外交保護権は失ったが、個人の請求権は消えていないと明言しました。    この日本政府の考え方を、韓国政府も採用すべきであるという声が韓国 でもありますが、韓国政府はこの個人補償請求権の存在に関しては沈黙を守っ ているようです(李鎬勲著「韓国に求められる新たな戦後補償運動」法学セミ ナー、95年4月、P15)。 まったく皮肉なものです。請求される側の政府が「個人請求権の存在を 確認」する一方で、請求する側の政府が逆に沈黙を守るという「あべこべ」の 図式は日韓関係の複雑さを物語っています。 このねじれ現象の裏には、日韓条約で授受された「3億ドル」のお金を それぞれの政府が国民にどのように説明してきたかの違いが如実に表れていま す。    日本政府は、このお金は「韓国独立のお祝い金」(大平元首相)とか、 「経済協力金」をしきりに強調し、賠償金・補償金の性格を強く否定しました。 その結果、個人の請求権を条約は消滅させたものではないとの見解を、過去の 事例(シベリア抑留など)もあって出さざるを得なかったわけです。    一方の韓国は当時、このお金は植民地清算金であることを盛んに強調し ました。そのころ、韓国は学生を中心とした「韓日会談」反対運動で社会は騒 然とし、当時の李外相はあえて「売国奴の汚名を着てでも国家のために条約を 成立させる」との悲壮な覚悟でした。こうした韓国民の根強い「屈辱外交」批 判を少しでも和らげるために、日本からの植民地清算金という名目は方便でも 必要であったわけです。 このような韓国民の過去の怨念を恐れるあまり、現在韓国政府は外交保 護権云々などと滅多なことはとても言いだしかねています。へたに言い出そう ものなら、今でもくすぶっている「韓日条約」見直し論が一挙に吹きだし収拾 がつかなくなる可能性が濃厚です。    こうした考え方から韓国政府は、「日本へは物質的補償を求めず、徹底 的な真相究明を誠意をもって行うよう」要求するといった消極的なものににと どまっています。この点、中国とはかなり異なっています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー このあと、中国政府の見解や対応について書きましたがここでは割愛します。 http://www.han.org/a/half-moon/      PFG00017(NIFTY) 半月城


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