半月城通信
No. 12

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 「従軍慰安婦」9、クマラスワミ報告
  2. 「従軍慰安婦」10、国際法(1)
  3. 「従軍慰安婦」11、国際法(2)
  4. 「従軍慰安婦」レビュー
  5. 「従軍慰安婦」、海外政策
  6. 「従軍慰安婦」12、吉田証言
  7. 「従軍慰安婦」13、国際法と補償
  8. 「従軍慰安婦」14、人道に対する罪


02014/02014 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」9、クマラスワミ報告 (10) 96/06/15 23:21 01989へのコメント    クマラスワミさんは2年の歳月をかけ、「慰安婦」当事者や韓国・日本 政府などの主張を十分聞いた上で報告書を作成し、96年2月初旬、国連の人 権委員会に提出しました。    人権委員会というと日本ではとかく軽く見られがちですが、人権委員会 は国連の中では特に重要な機関です。    そもそも第二次世界大戦の悲惨な反省から生まれた「国連」の基本理念 は、世界の平和を守ることと、すべての人の人権を守ることにあります。特に 軍国主義者が繰り広げた大量殺戮や、人権無視のユダヤ人大量虐殺などの惨事 を二度と繰り返してはいけないという固い決意から世界人権宣言が採択され、 その推進機関として人権委員会が設置されました。 こうした歴史をわざわざ書いたのは、1945年に生まれた新しい概念、 「人道に対する罪」の背景とその重要さを明らかにしたかったためです。    さて、国連人権委員会の「女性に対する暴力特別報告官」の報告書、通 称クマラスワミ報告書は「家庭内での女性への暴力」を扱った本体と、「旧日 本軍の従軍慰安婦問題」を扱った付属部分からなります。    この付属文書の中で第二次大戦中、旧日本軍が朝鮮半島出身者などに強 制した従軍慰安婦は「性奴隷」であると定義し、奴隷の移送は非人道的行為で あり、さらに「慰安婦の場合の女性や少女の誘拐、組織的強姦(ごうかん)は、 明らかに一般市民に対する人道に対する罪にあたる」と断定しました。    その上で、従軍慰安婦問題を現代にも通じる女性に対する暴力の問題と する観点から、次の六項目を日本政府へ「勧告」しました。  1。日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。日本政府は   その法的責任を認める。  2。日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。  3。慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開をする。  4。被害者の女性個々人に対して、公開の書面による謝罪をする。  5。教育の場でこの問題の理解を深める。  6。慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及を可能な限り行う。 (96.2.6 朝日ニュース速報)    この厳しい報告書に対し、日本政府は最初全面的に反論しましたが、や がてそれを撤回し、公式の場では単に日本政府のこれまでの「謝罪と償いへの 努力」をアピールするだけといった奇妙な反応を示しました。その詳細につい ては次回に書きたいとおもいます。    なお、日本政府が唯一償いの拠り所にしている「国民基金」の関係者は この国連勧告を真剣に受け止めています。同基金の有馬真喜子副理事長は「政 府は報告書をきちんと受け止めるべきだ」と注文をつけました。(共同通信ニ ュース速報 1996-02-06]    一方、オランダを始めとする諸外国はこの報告書を高く評価しました。 韓国代表の宣ジュネーブ代表部大使は人権委員会で、「日本政府が真摯(しん し)に歴史的事実に向き合い、教訓として心にとどめたいなら、まず初めに過 去の罪を公的に認め、率直に責任を引き受けるべきだ」と述べ、「勧告」につ いては「韓国政府は日本政府に対して特別報告者の勧告を自主的かつすみやか に実行するため、必要な措置をとるよう要求する」と演説しました。    人権委員会ではこの報告書を軸にした、「女性に対する暴力撤廃」に関 する決議文を全会一致で4月19日採択しました。決議は、日本政府への「勧 告」で元慰安婦への国家補償などを求めた「人権委特別報告者」の活動を「歓 迎」する一方、勧告を含む報告書については「留意(テークノート)」との弱 い表現にとどめる文言になりました。この決議案に日本政府も賛成したことは 特筆すべきことです。なお、報告書に「留意」という弱い表現になったのは、 勧告受け入れを拒む日本政府からの強い働きかけの結果でした。    この決議に対し、日本の国家補償を求める元慰安婦や支援団体は、報告 書が削除されずに国連人権委の総意として記録されたことを、大きな成果とし て受け止めています。    明治学院大の武者小路教授は、「クマラスワミ勧告は、日本政府の言い 分を十分に聞き、被害者の調査も行った上で書かれた。人道的な責任を果たす には、まず法的責任を果たすべきだと明確に言っており、この勧告を重視する」 と高く評価し、政府に実行を迫っていく考えを示しました。なお、武者小路教 授は「応じよ! 国連勧告」の呼びかけ人になっています。    また、東京大学の坂本義和教授らは声明を発表し、その中で国民基金に よる決着をめざす政府の姿勢を「終始、国家補償を回避し、国家の責任を曖昧 (あいまい)にしてきた」と批判しました。さらに坂本氏は日本のやり方を、 戦後補償を行ってきたドイツと対比しながら、「いったいいつまで負い目を負 うのか。勧告がなくても、平和と人道に対する罪で法的責任を取るのは戦後の 国際社会の常識。この勧告を日本が変わるラストチャンスとして活用すべきで はないか」と訴えました。    なお坂本教授は、「国民基金」の呼びかけ人を辞退した三木睦子元首相 夫人らと、国連勧告に沿う対応を政府に求める文化人グループの「呼びかけ人」 をつとめています。 ところで、外務省は「採択された『女性に対する暴力撤廃決議』には、 特別報告書は入っていない」と主張し、NGOと対立しているそうです。 その記事を朝日新聞ニュース速報(96.05.27 ◇「窓」―やぶの中の決議)から 引用します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  外務省は「採択された『女性に対する暴力撤廃決議』には、特別 報告書は入っていない」という。一方、この問題にかかわってきた NGOは「採択された」という。  決議にある「留意する」という表現や、この報告書自体が別の報 告書に付属した文書だったことから、外務省のような見方が成り立 つのか、とも思っていた。だが、ジュネーブから最近帰国した、事 情をよく知る友人の話を聞くと、外務省の説明に疑問を持たざるを 得ない。  友人の話はこうだ。  「留意する」という表現は、人権委員会の採択ではよくあること 。現地では、「特別報告書は決議に含まれている」と受け止められ ている。今後は、日本政府がそれをどのように実行していくか、に 関心が移っていこうとしている。  日本政府は、現地の代表部を挙げて、各国代表に働きかけた。お かげで、この問題の存在が、これまでかかわりのなかった国やNG Oにも知られるようになった、という。  真実はどちらか。外務省も、自分の方が正しいと繰り返すだけで は説得力を持つまい。  公表される約一カ月も前にこの特別報告書を手にいれながら、与 党議員の問い合わせには「入手していない」と言ってきた「過去」 もある。  ジュネーブで耳にする、人権問題への日本政府の取り組み姿勢も 、「やり方がその場しのぎだ」「内容のある説明をしない」などと 芳しくない。  人権委員会の決議に、拘束力はない。だからと、このままにして 、気づいたら国際世論の中で日本が孤立、ということにならなけれ ばいいが。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  (つづく) 半月城


02057/02057 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」10、国際法(1) (10) 96/06/16 22:15 02014へのコメント 前回紹介したように、クマラスワミ報告に対して日本政府は「やり方が その場しのぎだ」といわれるような対応をしてきました。    最初、日本政府はクマラスワミ報告を非難する文書「『女性に対する暴 力』特別報告官(クマラスワミ氏)により提出された報告の第一付属文書(従 軍慰安婦関係)についての日本政府の見解」と題した40ページの反論書を人 権委員会に開会直前に提出しました。   その骨子は 1。クマラスワミ報告には事実誤認があり、信憑性・中立性に欠けるので人権  委員会はこれを拒否すべきである。 2。報告者の国際法の解釈には基本的な誤りがある。伝統的な国際法では過去  に遡って罪を裁くことはできない。 3。日本の法的責任はサンフランシスコ平和条約で解決済みである。  とするものでした。  (NHK、ETV「従軍慰安婦」、96.5.20)    この主張に沿った文書を各国政府代表にも配布しました。その内容は、 報告書は「恣意的で根拠のない国際法の“解釈”に基づく政治的発言」あると 決めつけていました。そして、「このような議論を受け入れるならば、国際社 会の法の支配に対する重大な侵害となろう」と報告書を非難しました。    この文書を受け取ったアジアの政府高官の間では「国連が任命した報告 官を中傷するものだ」とか、「脅しともとれ、委員会の構成国に対する圧力だ」 との反発も広がったということでした(朝日新聞、ニュース速報,1996.5.8)。 こうした反発に外務省は反省したためか、人権委員会に提出した「非公 式」反論書を撤回しました。このようにその時々の風向きになびくようでは無 節操な「風見鶏」です。日本政府は「従軍慰安婦」が国際法に違反しないとい う確固たる信念を持っているのなら最後まで堂々と主張すべきです。 どうも日本政府はどこまで国際法違反を認めているのかあまりはっきり しません。全く違反していないと主張しているようにも取れるふしがあります。 その一方で、日本の法的責任はサンフランシスコ平和条約や二国間の条約で解 決済みとも言っています。この後者の場合は、国際法に違反したことを認めて いるのかも知れません。 「従軍慰安婦」が国際法に違反しているかどうかはこの問題の最大の争 点ですので、次にこの点についての議論を今回と次回に分けて紹介したいと思 います。 A。婦女売買禁止条約(注)    1938年、内務省は軍人相手の売春婦の渡航に関し各知事あてに重要 な通達を出しました。その内容は    日本国内で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂 慮される事態は  1。帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。  2。銃後の国民、特に出征兵士遺家族に悪い影響を与える。  3。婦女売買に関する国際条約に反する。 などと警告をだしました。そうしたことを防ぐため、中国への渡航の基準を、 21歳以上の性病のない現役売春婦に限るとしたものでした。 この(2)の理由で「従軍慰安婦」は本格的に植民地出身者に切り替え ました。また、売春婦を21歳以上としたのは、未成年の場合たとえ本人の承 諾があろうと売春は国際法違反であったためです。 しかしこのように国際法を認識していながら、現実には朝鮮人・中国人 の未成年者にまで売春をさせていたわけですからこれは国際法違反です。しか し、これには「抜け道」がありました。1910年の条約は植民地などに必ず しも適用しなくてもよいとの規定がありました。    これは世界的に一部の植民地で行われていた持参金・花嫁料などの社会 的風習(朝鮮にはない)を容認するために作られたものですが、日本政府はこ の条項を悪用し積極的に植民地出身者の女性を「従軍慰安婦」にしたのでした。    この点に関しては国際法違反でないと強弁できるかも知れません。しか し、さすがに今の日本政府はこの点を積極的に主張しないようです。条約本来 の趣旨に反するし、また植民地出身者に対する明白な民族差別をみずから告白 することになるからです。 しかし、よしんば婦女売買条約が植民地に適用されないと強弁しても、 植民地出身の「従軍慰安婦」を船舶(日本の本土とみなされる)で連行したり、 徴集の指令を陸軍中央で行ったのは国際法違反とされるようです。 (注)次の4条約で日本はA、B、Cのみ加入 A。醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定 1940年 B。醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際条約 1910年 C。婦女および児童の売買禁止に関する国際条約 1921年 D。青年婦女子の売買の禁止に関する国際条約 1933年 (つづく) 半月城


02147/02147 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」11、国際法(2) (10) 96/06/19 23:26 02057へのコメント   前回に引き続き国際法の論争点を紹介します。 B。強制労働に関するILO29号条約(1930)    まず、「従軍慰安婦」の強いられた行為が「労働」にあたるのかどうか ですが、NGOの国際法律家協会(ICJ)は当初これを条約で言う「労務」 とすることについては慎重でした。しかし、労務とは「あらゆる労務およびサ ービス」をさすので、最近は「従軍慰安婦」もやはりこの条約の検討対象と考 えるのが大勢を占めるようになりました。    今年3月4日、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は 1995年の一年間に検討した問題の年次意見報告書を発表しましたが、その 中で旧日本軍の『慰安所』に監禁された女性たちへの大きな人権侵害や性的虐 待にふれ、「こうした行為は、条約に違反する性奴隷として特徴付けられる」 との意見を表明しました。(朝日新聞ニュース速報,1996.3.4)    こうした報告にもかかわらず、国際法違反を認めたがらない人はいるも のです。そうした人によると、このILO報告は実際に現地を調査したもので はなく、大阪府特別英語教員組合(OFSET)から寄せられた投書に対する 回答として「申し立てが事実なら強制労働禁止の条約に違反する」との条件付 き意見であったとし、事実関係の確認がなされていないと主張しています。 こうした人たちは、たとえ日本軍関係者が「慰安婦を酷使した」と証言 したところで、その事実を認めようとしないのかも知れません。「酷使」の証 言ですが、中国で第10軍の参謀をしていた山崎少佐は1937年12月18 日付けの日記で、    「参謀が指揮し慰安婦を憲兵が集め・・・慰安所は大繁盛で・・・慰安 婦を酷使に至る・・・兵はおおむね満足」 と綴っています。この証言は氷山の一角で、「強制労働」や「性奴隷」の事実 を多くの「従軍慰安婦」が証言していることは改めて述べるまでもないと思い ます。 C。奴隷条約(1926)    奥野議員や板垣議員の思惑がどうであれ、クマラスワミ報告でも「従軍 慰安婦」は「性奴隷」であったと断定され「性奴隷」の認識は国際的に広がり ました。こうした認識からすると「従軍慰安婦」は奴隷条約違反になります。    しかし、日本はこの時はまだこの条約に加入していませんでした。こう した言い逃れに対しICJは「20世紀初頭には慣習国際法が奴隷慣行を禁止 していたこと、およびすべての国が奴隷取引を禁止する義務を負っていたこと は一般に受け入れられていた」とし、奴隷条約違反であると主張しています。 このあたりの「慣習国際法」の論議は専門家の仕事になるのでここでは深入り は避けます。 むずかしい論議はともかく、当時、単に条約に加入していないから形式 的に国際法違反ではないという主張は、少なくとも良識ある国なら言い出すべ きではないと思います。 D。ハーグ陸戦法規(1907年)    この条約の付属書である「陸戦の法規慣例に関する規則」第46条は、 占領地で「家の名誉および権利、個人の生命、私有財産」の尊重を求めていま す。ICJは、この中の家の名誉には「強姦による屈辱的な行為にさらされな いという家族における女性の権利」を含んでいるとしています。    ただし、この条約は全交戦国が加入しなければ適用されないという総加 入条項があるので直接には適用されません。しかし、ICJはこれも慣習国際 法を反映したものなので日本を拘束するものであるとしています。従って、総 加入条項にかかわりなく、女性は戦時において「強姦」や「強制的売淫」から 保護されていると主張しています。 E。人道に対する罪    人道に対する罪は戦後、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第5条で定 められました。この罪は戦前または戦時中の非人道的行為を裁くものです。日 本政府は人権委員会に提出した「非公式見解書」の中で、戦後生まれた法規で 戦争中の犯罪は裁くのは伝統的な国際法に反すると主張していました。    しかし、この罪は「極東国際軍事裁判所条例」でも取り入れられており、 その裁判自体を日本政府は1951年の平和条約で承認していますので結果的 に「法の不可遡及」を間接的に認めたことになります。したがって今日、日本 がこの「人道に対する罪」を過去に遡って適用できないと主張しても国際的に は通用しません。    この事実に気がついたのか、日本政府はそれまでの主張を撤回しました。 この事実からすると、日本政府は、「従軍慰安婦」は国際法違反ではなかった という主張を撤回したように見えます。といって直ちに国際法違反を認めたわ けではないでしょうが。この問題は「国際司法裁判所」でいずれ黒白が明らか にされるかも知れません。クマラスワミ報告では韓国や北朝鮮に同裁判所への 提訴を勧告しているからです。 「従軍慰安婦」問題を考えるとき、日本政府は基本的認識として国際法 に違反したのかどうかについて見解をはっきりさせるべきであると思います。 この出発点をあいまいにしたままでは解決も当然あいまいになるし、被害者の 恨(ハン)は決して消えません。  (つづく)    半月城


>>FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 00481/00481 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」レビュー ( 7) 96/06/22 21:32 00471へのコメント    シェヴァイクさんから紹介のあった半月城です。「従軍慰安婦」問題が、 GO FASIAでも現在議論されています。私も下記のようにこの問題のレ ビューをまとめましたのでご参考に記します。 MES(10) 【アンニョンクラブ】    韓国・北朝鮮 01791 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」(1)、日本政府の対応 01806 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」(2)、韓国政府報告書 01813 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」(3)、強制連行 01834 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」(4)、各界の反応 01874 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」(5)、白馬事件 01921 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」6、真相解明 01945 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」7、国民基金 01989 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」8、国連の活動 02014 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」9、クマラスワミ報告 02057 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」10、国際法(1) 02147 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」11、国際法(2)


>>FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 00490/00490 PFG00017 半月城 RE:半月城さん、ありがとうございました ( 7) 96/06/23 20:04 00485へのコメント 海外政策    シェヴァイクさん、私のレビューを紹介していただき逆にお礼を申し上 げます。私は、「従軍慰安婦」の問題を語る時は事実に基づいた「全体像の把 握」が特に重要であるとの一念で「従軍慰安婦」のレビューをまとめつつあり ます    これまでの「従軍慰安婦」問題の過去を振り返ると、事実関係の掘り起 こしのプロセスに合わせて日本政府の認識がその都度変わりました。当初は全 面否定の態度であったのが現在では全面謝罪に至るなど、そのつど対応が目ま ぐるしく変わってきました。このようにその場しのぎの対応になってしまった 原因は、汚辱にまみれた自国の歴史にはできる限り目をつぶりたいという基本 姿勢が招いたものでないかと思います。    こうしたスタンスでは全体像の把握が困難になり、「海外政策」に適切 さを欠き、隣国の信頼を失うのは当然です。こうした視野の狭さではクマラス ワミ報告のような国際的な提言がされても、木を見て森を見ずに単に「モグラ たたき」に興じるのが関の山です。 奧野議員たちは、栄光の過去のみならず、アジアの女性の尊厳をなぶっ た汚辱の過去をもしっかり直視してほしいものです。さらに政策担当者は、過 去の新事実の発掘により右往左往しないようしっかりした歴史認識をもってほ しいものです。その暗い歴史認識はそうした人たちにとって時には当人の価値 観に反し認めるのがとてもつらいことかも知れません。しかし、これは未来志 向の国際関係を築くためには必要不可欠なものであると私は信じます。    最後に、私の思想傾向に関心をお持ちの方のために私のホームページを 紹介します。これは金明秀さんのご好意により同氏のWEBに昨日オープンし たものです。内容はNIFTYやPCVANに載せた私のパソコン通信集です。 まだ切り分け作業が済んでいないので第3集と第4集は大きなファイル(約1 50Kバイト)のままです。  総目次 http://www.han.org/a/half-moon/  第3集 http://www.han.org/a/half-moon/vol3.html  第4集 http://www.han.org/a/half-moon/vol4.html 半月城


>>FASIA MES(10):【アンニョンクラブ】    韓国・北朝鮮 02313/02313 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」12、吉田証言 (10) 96/06/27 23:24 02147へのコメント    ここで当初の予定を少し変え、エース寝台さんや、上村 佳一さんなど 多くの方が関心をお持ちの吉田証言について報道を中心に紹介したいと思いま す。    その前に一言お断りします。私を朝鮮問題研究家と思いこんでメールを くださった方がいますが、私は一介のエンジニアです。決して専門家ではない ので過剰な期待をされないようお願いします。    また私のこのシリーズを熱心に読んで下さっている別な方は、私が日本 の「従軍慰安婦」レビューを書いているので、そこからさらに進んで韓国軍の ベトナムでの行為なども書いてほしいとのメッセージを寄せていますが、私に はそれほどの実力も時間もないのでこの場を借りてお断りします。    ここ1ー2週間、私はホームページ(http://www.han.org/a/half-moon/) の本格オープンに向け、毎晩お風呂に入る時間まで惜しんで熱中しています。 そのためこの連載もスローダウンしがちです。そんなわけでアレンカーさんへ の回答も遅れています。皆さん、気長に待って下さい。    さて本題の吉田証言に入りますが、まず私がこのシリーズで引用した部 分を全文記します。なおこの新聞報道の引用に対し、私自身はコメントをまっ たく付け加えませんでした。私はこの連載では個人的意見を書くより、なるべ く報道記事の紹介を心がけています。      ーーーーー 再掲(#1791) ーーーーーーーー 一方、慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。    吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。    その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法 で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので 警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのも のだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    吉田清治さんはこの頃から急にマスコミの脚光を浴びました。しかし、 実は吉田さんはその10年も前から懺悔の手記(?)を出版していました。そ の書名は「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」で三一書房から1983年に出さ れました。その当時この本はほとんど注目されませんでした。    ここで吉田さんの所属した労務報国会について簡単に説明します。この 組織は1943年、国民総動員令により植民地や日本国内に残った人たちを国 のために狩り出すためにつくられました。会長や役員は、貴族院議員や各省庁 の大臣がなり、各県の会長には県知事が就任しました。その中で動員部長は要 職で相当な権限を持ち「動員」にあたりました。    その動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で 強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレ ビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安 婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。    番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしま した。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用さ れた慰安婦がいるか」に対し、洪さんは   「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来 た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人 間じゃないよ」 と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはない が、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定 とも否定ともとれる返答をしました。    もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこ う語っていました。   「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにして いる問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自 尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいな のです」 この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は あったかも知れないという印象でした。    韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥で す。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に 戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しに して生きざるを得ませんでした。    そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザス クープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の 番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を 連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。 アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」 男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」 アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」 男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない    んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも    さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か    ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息    が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」 アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」 ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわから    ない」 (注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん    このように行方不明になった多くの人は、麻生徹男軍医官のいう「皇軍 兵士への贈り物」にされ、「衛生的な共同便所」の役割を果たしたのでした。 その数は朝鮮人だけでも10万人とテレビ朝日は紹介していました。    さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行 の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さ んのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。 一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大 学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新 潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認)    吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」 に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技 者」とでも呼ぶのでしょうか? 半月城


>>FASIA MES(10):【アンニョンクラブ】    韓国・北朝鮮 02346/02350 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」13、国際法と補償 (10) 96/06/30 17:51 02313へのコメント コメント数:1 前々回、国際法を検討してきましたが、「従軍慰安婦」制度が国際法違 反であるのなら、日本政府は「従軍慰安婦」に補償をする義務があります。    ただ、前にも書いたように日本政府は国際法違反を明確に認めているわけ ではありません。といって否定しているわけでもありません。その立場は、< クマラスワミ報告に対し、法的反論を撤回し同報告を留保>したので、消極的 に国際法上の責任を感じているといったところでしょうか。 そこで次に問題になるのが補償問題です。みずから希望して「従軍慰安 婦」になった人は別にして、国際法違反とされるような残酷な扱いを受けてき た人たちに対して日本政府は「補償」をする義務があります。    その補償ですが、これまでの日本政府の態度は<日本の法的責任はサン フランシスコ平和条約や二国間の条約で(北朝鮮を除き)解決済み>との主張 を繰り返してきました。 たしかに、これらの条約で各国は日本に対する請求権を放棄しました。 しかし、これらの条約はあくまで国家間の請求権を定めたもので、個人の請求 権とは別な問題です。この点に関し日本の外務省条約局長は次のような見解を 示しました。これは長くなりますが重要なポイントですのでそのまま引用しま す。    「・・・いわゆる日韓請求権協定におきまして、両国間の請求権の問題 は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございま すが、日韓両国間に存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決 したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持ってお ります外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、 いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものでは ございません。日韓両国で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げ ることはできない、こういう意味でございます」 (1991.8.27 衆議院予算委員会会議録第3号10ページ)    これは次のような意味です。日本政府は1965年の日韓協定に基づき、 3億ドルの無償の経済協力金を支払った。これにより、韓国政府は一切の請求 権を放棄した。しかし、個人の請求権までなくなったわけではない。ただし、 韓国政府はそれを個人に代わり、外交保護権として請求したりすることはでき ない。    ここで注意したいのは、日本が払ったのは実質はどうあれ「賠償金」や 「補償金」ではなく、「経済協力金」であったわけです。したがって、このお 金はその性質上、個人の被害を補償する性格のものではあり得ませんでした。 したがって、韓国政府は日本政府に代わり「従軍慰安婦」に補償する法的義務 は全くありません。また、中国や台湾に至っては金銭は一切貰いませんでした。 こうした事情から先の条約局長の解釈が生まれました。    さて、日本政府は<個人の請求権は依然として残ったままであることを 認めている>ので、これを受け入れるのかが次に焦点になります。これは今ま での日本政府の対応からわかるとおり、補償をまったく受け入れませんでした。 その言い分は、<国際法は国家間の関係を規定するものであり、個人と国家間 には適用されない。したがって、国際法により個人が補償を請求できない>と いう理由によるものです。    こうした考えから個人補償をかたくなに拒否しています。はなはだしく は、戦時中の個人給料まで「民間会社」が支払うのを止めさせています。かっ て三菱重工などは、終戦の混乱期に給料をもらえずに帰国した韓国人社員の未 払い給料を支払おうとしましたが、日本政府から「日韓条約により解決済み」 として止められました。さすがに三菱重工はこれに疑問を抱いたのか未払い給 料を現在法務省に供託しているようです。    なお、国際法における国家と個人の関係ですが、国家主権を絶対視した 19世紀においては国際法はたしかに国家間に適用されました。しかし、20 世紀に入り個人の権利や自由の尊重の理念が重視されるにつれ、こうした絶対 観念は修正を余儀なくされました。    特に、戦後において各国では個人の尊厳や権利、自由の保障が憲法にか かげられています。同時に国際的には1948年の国連の世界人権宣言に続い て1966年の世界人権規約では、人権宣言をより具体化し、拘束力のあるも のにしたのであり、国際法の積極的な存在理由を個人の人権保障に求めました。 (新美隆著「根本的見直しを迫られる外交保護権放棄による政治決着」法学セ ミナー1992年8月号、P44)    このように、国際法は個人には適用されないという考えは時代遅れです。 その上、日本でも国際法は実際に個人に適用されました。すなわち極東国際軍 事裁判、通称東京裁判で国際法をもとに個人が裁かれました。この裁判結果を 日本はサンフランシスコ条約で受け入れましたので、国際法は個人にも適用さ れ得ることを日本は承認しました。したがって、国際法は個人に適用されない と言う日本の主張は国際的には通用しません。    こうした国際法の観点から日本政府は個人補償をすべきであると思いま す。                        半月城


|- FASIA MES(10):【アンニョンクラブ】    韓国・北朝鮮 02391/02391 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」14,人道に対する罪 (10) 96/07/03 22:40 02350へのコメント    服部さんの書き込みにある「人道に反する罪」についてコメントしたい と思います。 >国際法は個人にも適応される例として、極東軍事裁判をあげておられますが >個人的にはどうかなとおもいます >なにせ、あの時点では日本は占領下にあり、連合国軍が正義であり法でした >裁いたのも、「人道に反する罪」というものでした。法律で裁いている裁判 >とかとは違います。    極東軍事裁判で「人道に反する罪」では結局誰も裁かれませんでした。 そのことについて吉見教授は「従軍慰安婦」(岩波新書)のなかで次のように 述べています(P173)。 人道に対する罪    人道に対する罪という概念は、第一次世界大戦後のドイツとの講和条約 の締結の中にすでにあらわれている。これが、実定化されるのは第二次世界大 戦後に開かれたニュルンベルグ国際軍事裁判所であった。そして、これは極東 国際軍事裁判所条例でも取り入れられた。    その五条(ハ)は人道に対する罪を「戦前又は戦時中なされたる殺人、 殲滅、奴隷的虐使、追放その他の非人道的行為」あるいは「政治的又は人種的 理由に基づく迫害行為」と定義している。それは通例の戦争犯罪に限定されな い非人道的行為をいい、戦中や戦地での犯罪に限らない。    だが、極東国際軍事裁判では、人道に対する罪で裁かれたものは一人も いなかった。それは日本がそのような犯罪を犯さなかったからではなく、欧米 の検察官・裁判官は、日本が他のアジア人に犯した大規模な犯罪を直視しよう とせず、追求する意思もなかったからであると思う。    日本は、1951年のサンフランシスコ平和条約第11条で「極東国際 軍事裁判並びに日本国内国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受託」してい る。すなわち、人道に対する罪の定義を受託したことになる(ICJ報告)。 また、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例・極東国際軍事裁判所条例とその判 決で認められた国際法の諸原則は、第一回国連総会で全会一致で確認された (阿部論文)。このことは、人道に対する罪によって、1945年以前の行為 をも正当性・合法性があることになろう。    服部さんの次の疑問、 >それに、個人への補償って、どこまでを意味するのでしょう? >終戦後、韓国政府に財産を接収された人の場合は? >シベリア抑留された人の場合は? >そういうものをすべて解決するのが講和だったんじゃないんでしょか? >それとも、それはなしよって、ことでしょか ですが、これについては会議室 GO FNETDの「従軍慰安婦」リンクの中で明ら かにしています(#525)。恐れ入りますがそちらの方を読んでいただけませんで しょうか? そのリストは下記のとおりですが、もしここの会議室へ転載を希 望されるのでしたらそのとおりにします。 |- FNETD MES( 7):情報集積 / 海外政策 |00523/00523 PFG00017 半月城 国際法による賠償 |( 7) 96/07/01 23:45 00520へのコメント   この記事を、「従軍慰安婦」15 とします。 |00525/00525 PFG00017 半月城 個人請求権と外交保護権 |( 7) 96/07/02 21:56 00522へのコメント   この記事を、「従軍慰安婦」16 とします。    そこの会議室での議論には、満月上さんが提供してくれた雑誌「法学セ ミナー」の抜粋が役に立ちました。ありがとうございました。 半月城


半月城の連絡先は half-moon@muj.biglobe.ne.jp です。