半月城通信
No. 11

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 「従軍慰安婦」(1)、日本政府の対応
  2. 「従軍慰安婦」(2)、韓国政府報告書
  3. 「従軍慰安婦」(3)、強制連行
  4. 「従軍慰安婦」(4)、各界の反応
  5. 「従軍慰安婦」(5)、白馬事件
  6. 「従軍慰安婦」(6)、真相解明
  7. 「従軍慰安婦」(7)、国民基金
  8. 「従軍慰安婦」(8)、国連の活動



01791/01791 PFG00017  半月城           「従軍慰安婦」1、日本政府の対応
(10)   96/06/08 20:52  01780へのコメント

      百濟大王さんが「従軍慰安婦」関係の資料を紹介していましたが、それ
に加えて私なりにこの問題をレビューし連載したいと思います。この「従軍慰
安婦」問題は、被害者・加害者とも当事者の口の重いこともあって長いことあ
まり光が当てられませんでした。そのためこの問題の事実関係の受け止め方に
人によって相当な落差があり、時々奥野さんや板垣さんみたいな人が現れ韓国
や中国の憤激を買う始末です。

   この問題は1990年頃から新しい事実が少しずつ発掘されるにつれて
その評価も少しずつ変わってきました。そうした事情から最新情報は欠かせま
せん。 私もこの角度から「従軍慰安婦」問題を整理してみたいと思います。

      過去、この問題を日本政府がどのように理解して来たのかその変遷をま
ずたどって見ることにします。 90年6月、韓国ののノテウ大統領(当時)の来
日に関連し、慰安婦問題の質問に対し、政府は参議院予算委員会(6月6日)
で次のように答弁していました。

     「従軍慰安婦なるものにつきまして・・・やはり民間の業者がそうした方
々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでございま
して、こうした実態について、わたしどもとして調査して結果を出すことは、
率直に申しましてできかねると思っております」

      この当時の政府の見方は「慰安婦=売春婦」で民間業者が勝手にやって
いることであり、国には何らの責任もないし調査する意志もないとしています。
   この政府発言は韓国の女性団体を始め多くの人を刺激しました。このあ
たりからこの問題が浮上しました。長い沈黙の末、韓国人の元慰安婦、金学順
さんら3人が名乗り出ました。金さんはNHKのインタビュー(91.11.28)で、

  「日本軍に踏みつけられ、一生を惨めに過ごしたことを訴えたかったので
す。日本や韓国の若者たちに、日本が過去にやったことを知ってほしい」

と述べました。この言葉に打たれ、中央大学の吉見教授は慰安婦の問題を研究
することになったそうです(吉見著、「従軍慰安婦」岩波新書、1995)。

   敗戦に際し、日本政府が組織的に公文書を破棄・隠滅したことがよく知
られています。その中には、もちろん「従軍慰安婦」慰安婦関連の資料もかな
り焼かれたものと思われます。そうした中から、吉見教授は防衛庁の防衛研究
所で隠滅を免れた6点の資料を発見し92年1月にその内容を新聞発表しまし
た。
   吉見教授の慰安婦関係資料の発見(92.1.11 )により、日本軍が慰安所
設置を指示した事実が明らかになると大きな反響が巻き起こりました。1月1
2日には当時の加藤紘一官房長官が日本軍の関与を正式に認め、13日には謝
罪の談話を発表しました。また訪韓した当時の宮沢喜一首相は17日、日韓首
脳会談で公式に謝罪しました。

      一方、慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし
た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。
   吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。
   その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法
で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので
警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのも
のだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。

      他方、内外の世論に押され重い腰を上げ慰安婦問題について調査を進め
ていた政府もその結果を7月6日発表しました。報告書は慰安所の設置や経営
・監督、慰安所関係者への身分証明所の発給などの点で軍隊のみならず「政府
が直接関与」していたことを初めて公式に認めました。
      この調査資料は防衛庁、外務、厚生省などから127件も集められまし
た。その公表資料は次のような内容を含んでいました。

(1)軍占領地で「日本軍人が住民の女性を強姦するなどして反日感情が高ま
  っているため慰安施設を整備する必要がある」という内容の軍の指令。
(2)軍の威信を保持するため、慰安婦の募集にあたる人の人選を適切に行う
   よう求める指令。
(3)慰安施設の築造、増強のために兵員の提供をもとめる命令。
(4)部隊ごとの慰安所の利用日時の指定、料金のほか、軍医の慰安婦に対す
   る定期的な性病検査を定めた「慰安所規定」
(5)慰安所解説のための渡航には、軍の証明書が必要。

   ところで防衛庁の調査資料の中には意図的にか「慰安所」の記述を項目
ごと削除して公開したものもありました。この事実が新聞報道(朝日新聞、92.
7.7)されるや原文を復活し改めて公表するというおまけもありました。

      同じ日、当時の加藤官房長官は記者会見で、韓国を始め中国、台湾、フ
ィリッピン出身などの元慰安婦に対する日本政府としての謝罪の意を次のよう
に表明しました。

    政府としては、国籍、出身地を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌
に尽くしがたい辛苦をなめられた方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の
気持ちを申し上げたい。このような過ちを決して繰り返してはならないという
深い反省と決意の下にたって、平和国家としての立場を堅持するとともに、未
来に向けて新しい日韓関係およびその他のアジア諸国、地域との関係を構築す
べく努力していきたい。
   この問題については、いろいろな方々の話を聞くにつけ、誠に心の痛む
思いがする。このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをい
かなる形で表すことができるのか、各方面の意見を聞きながら誠意を持って検
討していきたい。

   この発言は人の心を打つものがあります。ただ問題はこの発言どおりに
実行できるかどうかです。(続く)
                         半月城


01806/01806 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」(2)、韓国政府報告書 (10) 96/06/09 09:43 01791へのコメント    日本政府は92年の報告書で、軍慰安所の設置や運営などに政府も直接 関与していたことを認めました。しかし、慰安婦の強制連行についてはそれを 裏付ける資料がないとして認めようとはしませんでした。 この報告書が出た直後の7月31日、韓国政府も中間報告書を発表しま した。この報告書は主に元慰安婦13人の証言をまとめたもので、日本の軍や 行政機関が強制的に連行した様子をつぶさに書いています。それらを当時の新 聞から紹介します(毎日、92.8.1)。 (1)1938年8月、日本式の名前に強制的に変えさせる「創氏改名」に反 対したことを理由に家族が警察に連行された。「愛国奉仕隊」に志願すれば父 が釈放されると聞き志願した。しかし、すぐに慰安婦にされジャカルタに連れ て行かれた。途中で不妊手術を受けた。46年、船で帰国した。 (2)43年1月、一人で家で留守番をしていると、見知らぬ男が入ってきて 「用事がある」といって連れ出され、そのまま満州(当時、現在中国東北部) に移動させられた。2坪の部屋で1日平均20人の軍人の相手をさせられた。 拒んだり、韓国語を使うと殴られた。1週間に一度性病の検査があり、感染者 は治療を受けたが、完治すると再び、元の生活に戻った。 (3)43年9月ごろ、釜山鎮駅前で日本の警察に連行された。警察署で待機 したあと、船で大阪に連れて行かれた。慰安婦生活に苦しみ脱出をはかったが、 捕まり殴られ負傷した。治療も受けさせてもらえず、慰安婦生活を強要された。 (4)37年4月、日本人から砂糖工場で働かないかといわれ、現地に行った ら日本軍の慰安所だった。南洋諸島でいろいろな島に連れて行かれた。 (5)41年2月ごろ、日本人女子一人と韓国人男子一人がやってきて、釜山 の工場への就職を勧誘した。やく50人が移送された。日本で強制挑発され、 日本軍部隊で1日12人ー15人の相手をさせられた。部隊の移動により、シ ンガポールに移送され、そのあと、中国各地を転々とし、慰安婦生活を強要さ れた。現地では、年齢が高い人の半分以上が死んだようだ。 (6)38年12月、家に軍人20人がやって来て銃剣を突きつけた。強制的 に軍用トラックに乗せられ、倉庫に押し込められた。15人の女性とともに列 車に乗せられた。途中の駅でほかの15人の女性と合流、中国の天津の「日の 丸部隊」に到着した。 (7)44年9月、紡績工場で夜間操業中、武装した日本の軍人が15人入っ てきた。かれらは「日本で看護婦で働くことになった」と話した。おかしいと 気がつき逃げたが、49人が捕まった。横浜と広島で慰安婦として働いた。軍 人と同じ生活を強いられ、自由はなかった。49人のうち生き残ったのは自分 だけで、自殺したり、病死した。 こうした生々しい証言を締めくくって報告書は「慰安婦問題は日本の植 民統治で我が民族が経験した受難のうちで最も暗い面を示している」と結論づ けています。 一方、韓国の新聞論調も強硬です。7月5日の朝鮮日報は「謝罪もせず、 保証もせずにがんばる日本に、われわれがいくら道徳や歴史の講義をしても無 駄だ。過去の歴史を現在の負債と見たてて何かを要求し、手を出すことはもう やめよう。われわれが一つのもの(過去)を別のもの(金)に連動させないと きわれわれの(日本に対する)道徳的正当性は限りなく価値が出るであろう」 と書いています。    また、作家の朴景利女史は「民族の自尊心のためには金は受け取るべき でなく、歴史の審判を受けるよう記録に残すことが重要だ」と主張しています。 (つづく) PFG00017 半月城


01813/01813 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」(3)、強制連行 (10) 96/06/09 19:49 01806へのコメント 前回、韓国政府の報告書を紹介しましたが、韓国で「従軍慰安婦」につ いての認識は官民を問わず「日本の軍や警察組織が若い女性をだましたり、あ るいは強制連行して性の奴隷に突き落とし、日本軍人の獣欲の相手を強いた」 というものでした。    こうした認識は、日本政府の「強制連行を裏付ける資料はない」という 認識とあまりにも大きくかけ離れていました。 この認識の差はそのまま日本政府への不信感につながりました。これま でも日本政府は、目の前に証拠や訴訟などの強硬手段をつきつけられないと事 実を認めようとしないばかりか、真相解明の努力すら行わなかったからです。 そして資料を突きつけられ、どうにも言い逃れができなくなると小出しに謝罪 をしてきました。これが日本政府の慰安婦問題に対する態度でした。     こうした後手の対応が問題の溝をどんどん深めていきました。強制連行 の問題もその典型的な例でした。そもそも強制連行はその性質上、それを裏付 ける公文書の発見は困難です。公文書に「むりやり連れてきた」などと書くは ずがないからです。    それにもかかわらず「証拠の公文書が発見されない限り強制連行の事実 は認められない」という日本政府のかたくなな姿勢は韓国などの一層の反発を 招き、そのために日本政府自身かえってその対応に苦慮することになりました。 韓国では93年2月、「未来志向の韓日関係」をうたった金泳三大統領 が登場しました。同大統領は元「従軍慰安婦」への補償を韓国政府が行うこと を決定しました。これは前回書いたように、韓国に根強い「日本政府による元 慰安婦への補償不要」の強硬論を受けたもので、日本へは物質的補償を求めず、 徹底的な真相究明を誠意をもって行うよう要求しました。 このころになると慰安婦問題の追求は国際的広がりをみせ、数々の事実 が明るみに出されました。慰安所が置かれた地域は、中国やマレー半島、フィ リッピン、インドネシア、南洋諸島、はては千島列島にまで及んでいることが 明らかになりました。    なかでも、インドネシアではオランダ人女性までが慰安婦にされていた ことがわかり、ヨーロッパの関心を一気に高めました。    さて、「強制連行」の扱いに苦慮していた日本政府は7月26日、ソウ ルで元慰安婦16人から聞き取り調査を始めました。そして報告書でやっと 「慰安婦強制」を認め謝罪をしました。    報告書は宮沢内閣退陣の前日、すなわち8月4日に発表されました。そ のなかの「慰安婦の募集」の項では「斡旋業者らがあるいは甘言を弄し、ある いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが多く、さらに 官憲等が直接これに荷担する等のケースもみられた」と強制連行を認めました。    さらに、この報告書に付け加える形で河野洋平官房長官が談話を発表し、 慰安婦の募集や移送、管理などが、甘言、弾圧によるなど「総じて本人たちの 意志に反して行われた」と述べて、募集だけでなく全般的に「強制」があった ことを認めました。    その上「心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心か らお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と、日本政府として改めて謝罪しまし た。そして「このような歴史の真実を回避することなく、歴史の教訓として直 視していきたい」と述べ、歴史教育などを通じて「永く記憶にとどめ、同じ過 ちを決して繰り返さない」と決意を表明しました。 この報告書に対し、吉見・中央大教授は「慰安婦の徴集、移送、管理な どが総じて強制的に行われたことや、徴集に官憲が直接荷担した場合があった のを認めた点で評価できる」とした上で、「しかし、資料調査の面では期待は ずれだった・・・拓務省、内務省資料、それに警察資料など基本的な資料があ るはずだ・・・また、防衛庁にある数千冊の元軍人の業務日誌などを調べれば、 真相究明は一挙に進むだろう・・・国際法違反と補償責任を明らかにするため、 国会に調査委員会を設置するなど、本格的な調査を新政権に期待したい」と述 べ、今回の調査は予備調査の域を出ていないと批判しました。    一方、具体的な補償を求める元慰安婦たちは、この報告書に対し不満の 意を表しました。報告書は「補償」について何もふれていなかったからです。 ともあれ、それまで3年以上も「強制徴集」を頑として認めようとしな かった日本政府が、まがりなりにもそれを認め謝罪したのは一大転機でした。 (つづく) PFG00017                半月城


01834/01834 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」(4)、各界の反応 (10) 96/06/10 07:47 01813へのコメント    「従軍慰安婦」の募集や移送、管理などで強制があったことを認めた日 本政府の発表に対し、「従軍慰安婦」問題に取り組んできた人たちの意見を紹 介したいと思います。この項をわざわざ設けるのは、この問題に取り組んでい る団体を紹介する意味あいがあります。ただし、とりあげた団体は報告書がで た直後の新聞(主に統一日報、93.8.6)に載ったグループに限られます。 O元強制従軍慰安婦の補償請求訴訟、原告弁護団の高木健一弁護士    「戦争犯罪であることを自認したに等しい」と評価。また、謝罪、反省 の気持ちが盛り込まれた点については「責任に基づいた補償をどうするかの問 題認識から示した」とみており、今後の施策にどう反映されるかに期待をつな いでいる。   O日本の戦争責任をハッキリさせる会、臼杵敬子代表    報告書は「真相究明の一過程に過ぎず、有識者の意見を聞きながら今後 とも真相究明に努力していくものと支援団体の間では受け止められている」。    光州市内在住のハルモニ(74)が日本政府の聞き取り調査に応じようと 出かける間際に急死した事実をあげ「早急に具体的な補償策を講じてほしい」 と訴えている。   O日本の戦争責任資料センター、荒井信一代表    国連と協力して国会に「戦後処理問題特別委員会」を設置するよう求め るコメントを発表した。また、法的処理の整備にあたっては、  1。「戦争犯罪」と「人道に対する罪」に時効は適用されない。  2。被害者には責任者処罰と賠償、謝罪、再発防止などの要求が可能  3。これは経済的請求権とは別の問題であり、二国間では条約外 の3点を留意するよう求めている。 O従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク、金英姫氏    一歩前進した。しかし真相究明において「慰安所」の実行体系、責任の 所在などが明らかにされていない。河野官房長官はこれが最終調査と言ってい るが、真相究明はこれからが始まり、やっと出発点にたったと受け止めている。 今回の聞き取り調査も一回では不十分。生存している被害者一人残らず納得の いく解決をすべきであろう。また朝鮮半島のみならず、在日同胞の宋さんや他 国への調査も必要。こうした不十分な点を新政権後、真相究明と補償に向け徹 底的に行われることを望む。    (ウリヨソンとは韓国語で、「私たち女性」の意) O在日の慰安婦裁判を支える会の話    調査報告書の見解には政策立案過程や敗戦直後の「慰安婦」への対応 (放置・虐殺したりした)など核心的な部分への対応がない。「強制性」を政 府自ら認めた点、またこの問題が「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問 題」とした点は評価できるが、「慰安婦」政策の主体は誰なのかはっきりしな い。また、「心からのお詫びと反省」は言っても、その具体的後続措置である べき「補償」には一言もふれていない。 O朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会、朴美津子代表    謝罪を小出しに出しているという印象をぬぐえない。国連など国際的な 場で、日本への非難が高まってきたので仕方なく出したのだろう。韓国政府が 3月に日本に補償を求めないと表明したことも背景にあると思う。いずれにし ても、これからが真相究明作業の本当の始まり。徹底した調査で、お互いの民 族にしこりが残らないようにしてほしい。 O在日の強制従軍慰安婦訴訟原告・宋神道さん    まわりの日本人は戦争で人殺しをして恩給をもらっているのに、自分は 生活保護をもらっていると白い目で見られるのがくやしくてたまらない。「慰 安所」にだまされて連れていかれたのも、戦後、日本人に誘われて日本に来た のも、元はといえば戦争のせいだ。日本政府は、自分だけでなく、アジアの元 「慰安婦」全員に対してはっきりと謝り、二度と同じことがないようにしてほ しい。 O朝鮮人強制連行真相調査団、日本側全国連絡協議会、鈴木二郎代表    政府調査は「慰安婦」に限定しているが、強制連行・強制労働を含めな ければ全容解明はできない。国連では「慰安婦」を「性奴隷」ととらえて重大 人権侵害問題として追求し、開催中の国連人権小委では強制連行問題も含めて 本格討議が予定されるなど国際的関心が高まっている・・・政府が性急に一部 の被害者への不十分な聞き取り調査を進め、結果発表と謝罪を急いだのは、こ うした国際的追求から問題の全容を隠すことを狙ったものだ。 (つづく) 半月城


01874/01874 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」(5)、白馬事件 (10) 96/06/11 20:37 01834へのコメント    現在、国際的に「従軍慰安婦」関係の責任者処罰が問題になっています が、過去にグアム島やジャワ島などでは「従軍慰安婦」の関係者である日本軍 人や民間人が処罰されたケースがありました。中でもジャワ島での事件は規模 も大きく、別名「白馬事件」とも呼ばれていました。今回はこれらを紹介しま す。    最近、この裁判記録が発掘(92.7.21 朝日)され、ついでオランダ政府 の報告書(94.1.24 )が公表されました。さらに慰安婦にされたオランダ女性 の手記が発表され、その全容がかなり明らかになりました(オフェルネ著「レ イプされた女の叫び」、『福音宣教』47巻5号、1993年5月)。    ことの始まりは日本軍のジャワ島占領にさかのぼります。占領後、日本 軍は旧宗主国のオランダ人などヨーロッパ系住民を敵国人として抑留所に拘束 しました。    そのかたわら、日本軍はここの占領地でも慰安所を設けました。しかし 「性病管理がなされている軍慰安所」の数が不足気味だったためか「駐屯軍に 性病が広がって」しまいました。    また一方、占領地では例によって「駐屯軍の住民に対する行為がすでに 住民の反感を買って」いたため(裁判記録)、日本軍は新たに本格的な軍慰安 所を1944年2月に設けました。場所はジャワ島中部の州都スマランです。    日本軍はこの軍慰安所開設に必要な慰安婦を集めるのですが、その対象 として手っ取り早く目をつけたのが抑留しているオランダ人女性でした。その 際、軍司令部は自由意志の慰安婦だけ雇うように指示を出しましたが、それに 反して、担当の南方軍幹部候補生隊は17歳以上の女性を無理やり連行してし まいました。 その連行された一人が、先ほどの手記を書いたオフェルネさんです。彼 女は修道女になるためにフランシスコ会の教育大学で学んでいるとき、抑留所 に拘束されました。    彼女によれば、抑留所は悪臭・汚物・ネズミ・下水などにまみれるなど 環境は劣悪で、その上、飢え・暴力・病気、さらには重労働が横行するひどい 所でした。 さて、強制連行された彼女たちは、すぐ慰安所に送られました。そこの 食堂で恐怖にうち震え泣き叫んでいた少女たちはやがて一人ずつ無理矢理引き ずり出されていきました。彼女たちは激しく抵抗しましたが屈強な軍人たちの 力には到底かなうはずがありません。    オフェルネさんも自分の番が来たとき、激しくもがき抵抗しました。し かし「蹴っても、叫んでも、抵抗しても無駄」でした。そうした彼女の「反抗」 に業を煮やした軍人は刀を抜いて彼女の身体に突きつけ、彼女を裸にし、刀で 身体を撫でまわしました。    こうした人間を世間ではよく「ケダモノ」と言いますが、これは適当で はないと思います。ケダモノは強姦はしません。相手が合意しないと最終的に はあきらめます。ケダモノは人間のようにレイプなどの恥ずべき行為は決して しません。   余談はさておき、ここの軍慰安所にいたヨーロッパ系の女性2ー300 人中少なくとも65名は「売春を強制された」とオランダ政府報告書は結論づ けました。    ところで、この軍慰安所はわずか2ヶ月で閉鎖になりました。閉鎖は、 この慰安所に娘をとられた抑留所のリーダーのねばり強い努力のたまものです。 たまたま視察に来た日本陸軍省の大佐に彼が直訴したのが功を奏しました。し かし、このときは関係者の処罰は行われませんでした。日本軍の明確な指令違 反は黙認されたままでした。兵士たちに性のはけ口を提供するという行為は当 時にあっては戦意高揚のために軍律違反でも容認されたものと思われます。    しかし、こうした日本軍本位の行為は国際的に許されるはずはありませ ん。終戦後、関係者の軍事裁判がオランダにより1948年バタビヤで開かれ ました。中心人物の陸軍少佐が死刑になった他、10人が懲役刑になりました。 しかし、裁判ではアジア人慰安婦に対する罪は裁かれませんでした。あくまで もオランダ人などヨーロッパ系の女性に対する罪のみを対象にしました。(吉 見著「従軍慰安婦」、岩波新書 1995)    インドネシア人や朝鮮人慰安婦に対する罪まで範囲を広げると問題が大 きくなり過ぎるため自制したのでしょうか。それとも、自国民の権益しか眼中 になくアジア人を軽視したためでしょうか。ちょっと惜しい機会を逃したよう です。    他方、グアム島での裁判資料は、95年11月に「朝鮮人強制連行真相 調査団」によりアメリカの国立公文書館で発見されました。その記録によると、 処罰されたのは日系の民間人で、当時、日本軍が占領していたグアム島で19 42年2月、現地の女性二人に「本人の同意を得ることなく売春を強制した」 というものでした。この被告は反逆罪にも問われており判決は死刑でした。    これに対応する関連資料が法務省で発見されました。それによると同被 告の起訴理由は「婦女を慰安婦として日本軍にあっせんした」と記され、慰安 婦の強制が日本軍のためであったことが確認されています(共同通信ニュース 速報、95.11.27)。 (つづく)                   半月城 追伸 このシリーズに対し、ロードスターさん等からコメントをいただい ていますが、今は「従軍慰安婦」の全体像を明らかにすることを優先させます。


01921/01921 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」6、真相解明 (10) 96/06/12 21:23 01874へのコメント    強制従軍慰安婦の数は8万人ないし20万人と言われています。しかし その総数は今でもよくわかっていません。それは当事者の口の重いこともあっ て被害者、加害者ともに名のり出る人が少ないことが影響しています。    被害者の側で、自分は元強制従軍慰安婦であると名のり出た人の数を、 NHKのテレビ番組ETV(95年)で紹介していました。その数は次の通り です。 韓国      164人     北朝鮮  260人     中国       11人     台湾    32人     フィリッピン  162人     マレーシア     8人     インドネシア 6508人    この表でインドネシアが多いのが目を引きます。これは日本で「女性の ためのアジア平和国民基金」が設立された後、インドネシア兵補協会の呼びか けに応じて名のり出た人が多く、それまでの420人から一挙に6508人に 増えました。さらに、96年3月現在では20、704人にもなっています。 一方、中国の数が非常に少ないのも注目されます。これは中国政府が元 慰安婦の発言を抑えているためと思われます。    全般的に上の表の人数はちょっと少な過ぎます。元慰安婦は全員が65 歳以上の高齢のためすでに亡くなられた方も多いようですが、それにしても少 ない数です。実際の「従軍慰安婦」の数はもっと多いはずです。台湾では32 人が名のり出ていますが、台湾の立法委員(国会議員)らの推定ではその数を 約2000人としています。    昔、皇軍兵士に踏みにじられたつらい青春、奴隷のような忌まわしい自 分の過去は公にしたくないという彼女たちの事情が十分察せられます。それだ からこそ、この問題は今まで50年近くも闇に包まれたままであったとも言え ます。その50年の闇が、慰安婦の総数すら不明にしてしまいました。    しかし一方で、日本はこうした過去を明らかにしようとする努力がまだ 足りないと主張している人たちがいます。中央大学の吉見教授もその一人です。    同教授によれば、日本政府は下記のように強制従軍慰安婦の解明に重要 な資料を調査もしなければ公表もしないと厳しく政府を批判しています(朝日 新聞、95.8.22)。 1。警察庁    慰安婦を海外に送り出す渡航証明書を発行していた。 2。自治省    内務省管轄の朝鮮・台湾総督府関係の資料があるはず。同省の地下倉庫   には資料の「宝の山」が眠ったままになっている。 3。防衛庁  防衛研究所には従軍日誌・業務日誌が数千冊あるが、まだ数百冊しか公   開されていない。日誌はありのままが書かれている場合が多く、きわめて   重要な資料である。  陸上自衛隊の衛生学校の資料も未公開。慰安婦制度は性病防止を理由に   導入された経緯があり、関連資料がある可能性が高い。 4。法務省・外務省    戦犯裁判資料が未公開。    吉見教授は、このシリーズの最初に紹介しましたが、教授の研究資料公 表により、それまで慰安婦に関与を否定していた日本政府も事実を認め、つい には謝罪するという大きなきっかけを作った人です。それだけに、同教授の 「事実がわかれば認識も変わる」という言葉には重みがあります。    一方、文書公開を求める声は海外からもあがっています。エイシアン・ ウオールストリート・ジャーナル(香港)は社説で次のように述べています (朝日新聞、95.12.3)。       ーーーーーーーーーーーーーーーーーー    ・・・単なる謝罪を越える方法はもっとある。そのカギは情報だ。もし 日本政府が、慰安婦たちの苦難にかかわる文書を公開し、断片的な証言以上の、 より詳しい実体を明らかにすれば、信頼の確立への第一歩となろう。補償だけ でなく正しい認識を求めてきた元慰安婦たちの正当性のあかしともなる。そし て何より、日本の一般大衆が、すべての事実に照らして、国民としての良心を みつめることが可能になるのだ。       ーーーーーーーーーーーーーーーーーー かって、西ドイツのワイツゼッカー元大統領は、「心のこもらない謝罪 なら、かえってしない方が良い」といいましたが、真相解明をおろそかにした ままの謝罪や補償のあり方は再検討の必要があると思います。 おわりに、真相に少しでも近づきたい人のために参考書を紹介します。    「従軍慰安婦」関係の単行本 明石書店、 もっと知りたい「慰安婦」問題、       金富子他       フィリッピンの日本軍「慰安婦」、            フィリッピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団編   証言、強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち、  挺対協編       従軍慰安婦のはなし、            西野留美子       従軍慰安婦 、            西野留美子       従軍慰安婦と15年戦争、          西野留美子       朝鮮人軍隊慰安婦、             金文淑 国際法からみた「従軍慰安婦」問題 国際法律家委員会 筑摩書房、 皇軍慰安所の女たち、            川田文子       赤瓦の家、                 川田文子 大月書店、 従軍慰安婦資料集              吉見義明編 知られざる戦争犯罪 田中利幸 三一新書、 朝鮮人女性が見た慰安婦問題、        ユン貞玉 「従軍慰安婦」正・続 千田夏光 光文社文庫、従軍慰安婦・慶子、             千田夏光 図書出版社、漢口慰安所、                長沢健一 共栄書房、 従軍慰安婦問題の歴史的研究、        倉橋正直 雄山閣出版、みんなは知らない国家売春命令、       小林大治郎 岩波新書  人身売買 牧英正 従軍慰安婦 吉見義明 岩波ブックレット、朝鮮人従軍慰安婦、          鈴木裕子 未来社、  「従軍慰安婦」問題と性暴力、        鈴木裕子 新人物往来社、証言記録 従軍慰安婦・看護婦 広田和子  (つづく)                   半月城


01945/01945 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」7、国民基金 (10) 96/06/13 19:35 01921へのコメント    元慰安婦をめぐる現在の最大の争点は国民基金です。この国民基金に対 する評価はさまざまで、元慰安婦や慰安婦問題に積極的に取り組んできた人た ちの間でさえ賛成と反対に意見が分かれてしまいました。    その「国民基金」の現状ですが、96年4月末現在で3億2600万円 集まりました。ただし、このための経費は95年だけでも1億2000万円か かりました。これだけ経費をかけても当初の目標額20億円以上という額には ほど遠いのが実状です。そのため目標額自体が10億円に引き下げられました。 それでも新しい目標の1/3にやっと達したところです。この国民基金の不人気 はそれだけこの基金に対する疑問が強いためと言えます。そうした世間の強い 風当たりから、トヨタなどは国民基金に寄付をしたかどうかの質問に答えるの を控えているありさまです。 まず、ここで国民基金の内容を紹介します。基金の大まかな目的は次の 四つです。   1。元慰安婦に対する国民的な償いのための基金の設置   2。彼女たちの医療、福祉を目的とした政府の拠金   3。政府による反省とおわびの表明   4。「従軍慰安婦」問題を歴史の教訓とするための歴史資料整備 さて、この国民基金に対する反応ですが、賛否両論を紹介します。まず、 この基金に賛成の方ですが、基金呼びかけ人の一人、東大の大沼保昭氏は「過 去の過ちに国民も償いを」と題して、次のように主張しています(朝日新聞、 95.8.22)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   ・・・政府による個人補償があった方がいいというのは、当然すぎるほど 当然のことです。でも、2、3年以内にそうした政治的決断ができる政府や国 会を私たちがもてると思いますか?    私自身、戦争責任や在日韓国・朝鮮人、サハリン残留朝鮮人問題の解決 を25年間求めてきた人間です。政府に言いたいことは山ほどある。でも自分 たちの運動の力量を見据えた上での具体的な代案がない以上、「アジア女性基 金」を拒否することは、「慰安婦」への償い自体を拒否することになってしま うのです。    「慰安婦」自身が政府補償を求めてきたのは事実です。これは、「国家 イコール政府」のイメージと、政府が謝らない代わりに民間が募金するとのイ メージが強かったためです。でも、被害者にもいろんな人がいます。病気に苦 しみ、一刻も早くお金が欲しいという人もいます。実際に基金の内容を伝えた ら、「それなら受け取る」という人もかなり出てきています。    最後に、私は、政府補償ができないための妥協手段というのではなく、 根本的な考え方として国民による基金が必要だと思います。過去の日本の過ち は、政府だけでなく国民全体が償うべきものです。戦後世代も、豊かなこの国 でさまざまな正の遺産を享受している以上、負の遺産も引き受けるべきではな いでしょうか。    「慰安婦」の積もり積もった恨みを少しでも解いてもらうには、日本人 一人ひとりが心からの償いの気持ちを伝えるしかないと思います。こうやって 議論しているより、できるだけ多くの日本人が直接彼女らに会って頭を下げ、 手を握り、申し訳なかったと言うことが大事なのです。ただ、国民の多くの方 にとってそれは無理な注文ですから、せめて拠金を呼びかけているのです。    運動体の側でも本格的な募金を始めるとのことですが、とてもいいこと だと思います。窓口が「アジア女性基金」のものか運動体のものかは問題では ありません。一人でも多くの国民が償いの気持ちを拠金という形で示すことが、 何よりも大切ですから。      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大沼教授は、今までの政府の取り組み方にはかなり批判的ですが、それ でも現実的な立場から次善の策として、この基金を推進し補償を急がざるを得 ないという立場です。    次に、国民基金に反対の人の意見を紹介します。中央大学の吉見義明教 授の主張を同じ新聞記事から引用します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    私が「国民基金」に反対するのは、政府が真相究明を十分にせず、慰安 婦制度の創設・運用の主体が日本国家であったことや国際法違反を認めないま まに、終止符を打とうとしているからです。    元慰安婦の方々が名誉を回復するためには、日本が誠意ある謝罪をする ことが必要です。国家がどのような過ちを犯したのか、事実を認めることなし に、きちんとした謝罪などできません。    政府が調査していない未公開資料はたくさんあります・・・ 国際法違反については・・・・(省略)    国家による犯罪は国家が補償すべきです。新たに事実を認め、謝罪する なら、当然補償の義務も生じる。民間による募金こそが国民の謝罪になるとい う論法にはすりかえがあります。事実上、補償する主体に政府も大部分の国民 も入らず、一部の心ある人たちだけが募金することになるからです。    かって日本は(アジアの)貧しさにつけこんで無理やりアジアの女性を 慰安婦にしたが、再びその貧しさにつけ込んで、その正義回復の願いを抑えこ んでいいのでしょうか。    私は今後、流れが変わると考えます。国連人権委員会の調査も入り、来 春(96年)までに報告書が出される。女性に対する暴力を許すまいという国 際世論もかってないほど強くなっています。92年に私が資料を公表するまで は関与を否定していた政府も、事実が明らかになって謝罪せざるをえなかった。 事実がわかれば認識も変わります。    私たちが過去を引き受けるとは、真実を認識して政府に国家責任を認め させ、そのあかしとして政府に償いをさせることにほかなりません。      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    このように吉見教授は、国家犯罪は国家補償が当然という原則的な立場 から国民基金に反対しています。    両者の言い分を聞くと、慰安婦に対し、本当は国家補償をすべきである という原則論では一致しています。この考えを持つ人は国民基金呼びかけ人の 中にも結構います。元首相夫人の三木睦子さんもその一人です。三木さんは 「呼びかけ人として政府に個人補償を働きかける方が影響力を行使できる」と 考え、呼びかけ人になりました。しかし、政権が変わり、橋本総理の取り組み の不十分さや募金の集まりの悪さに落胆し、去る5月2日辞表を提出しました。    一方、両者の意見の食い違いは、国家補償という原則へのアプローチの しかたにあります。吉見教授は、国連報告書など内外の動きや国際世論を重視 し国家補償という原則をあくまでも貫徹する立場です。    これに対し大沼教授は、数年内には国家補償に向けての大きな転機は望 めそうにもないので、現実重視の立場から、今では高齢になった元慰安婦への 速やかな救済を優先させたいとしています。論点は一言でいうと「原則重視」 か「現実重視」かという点にあります。    さらに、もう一つ重要な食い違いは、日本国民として過去の遺産をどう 引け受けるかにあります。大沼教授は、「過去の日本の過ちは、政府だけでな く国民全体が償うべきもの」とし、その一手段として国民基金への拠金を呼び かけています。    一方の吉見教授は、「真実を認識して政府に国家責任を認めさせ、その あかしとして政府に償いをさせる」べきであるとしています。  (つづく)                   半月城 PS。 アレンカーさんの問い「半月城さんは従軍慰安婦問題の補償は どう 考えておられますか?」ですが、これはケースバイケースであると思います。 くわしくはこのシリーズで答えたいと思います


01989/01989 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」8、国連の活動 (10) 96/06/14 23:39 01945へのコメント このへんで、「従軍慰安婦」問題が世界からどのようにみられている のかに焦点を当てたいと思います。特に、「従軍慰安婦」問題は「国際問題」 であるだけに国際的な視野でとらえる必要があります。この視点から今回は国 連の活動を紹介します。     国連の人権委員会は早くから慰安婦の問題について関心を寄せていま した。日本政府が初めて公式に謝罪した翌月(92年8月)には、差別小委 (差別防止及び少数者保護小委)で特別報告官が「日本政府に資料提出を求め る」など本格的な調査を開始しました(毎日新聞、92.8.22)。 この「特別報告官」とは、元国連人権センター所長を歴任したオラン ダ人の法律家ファン・ボーベン氏で、人権委員会から「人権と基本的自由の重 大な侵害を受けた被害者の現状回復、賠償および更正を求める権利」について の研究を委託されていました。     このボーベン氏は民間団体の招待で、92年12月に日本にも立ち寄 りました。このとき、ボーベン氏は旧日本軍の慰安婦問題について「(日本は) 補償問題を検討し、過去の事実を収集、記録、保管する『国際センター』が必 要だ」と述べ、「これは日本人自らが設置し、アジアの信頼を回復しなければ ならない」と強調しました。 ボーベン氏は国連に対し、90年に予備報告、91年と92年に中間 報告、93年に最終報告をしました。その中で特に、従軍慰安婦などのように 国際的に違法だと認識されている人権侵害は、個人に国家賠償を請求する権利 があり、加害国はこうした行為を行った責任者を処罰し、被害者を救済する義 務があると結論づけました。 差別小委ではこの報告をさらに深めるために、旧日本軍による従軍慰 安婦、強制労働問題などの人権侵害を調査する「特別報告官」の設置を決めま した。この特別報告官には、アメリカ人女性のリンダ・チャベス委員が任命さ れました(93.8.25)。     これにより日本政府は苦境に立たされました。これまで、日本政府は 慰安婦問題が国連の場で扱われないよう画策してきましたが水泡に帰しました。 日本政府の方針は、「国連は、創立以前に起きた国同士の問題を議論する機関 ではない」として、暗に戦中の慰安婦や強制連行を扱わないよう主張してきま したが、この意見は国際社会ではまったく通用しませんでした。のちに紹介す るように国際的な流れに逆行していたからです。 それどころか日本政府にとって、国連の人権委での議論の展開はビッ クリすることばかりでした。国際的な民間平和推進・人権擁護組織であるIF OR(国際友和会)が、なんと慰安婦制度を立案・実行した責任者の処罰を提 案しました。その骨子は次のように日本政府にとって厳しいものでした。  (1)従軍慰安婦問題は、時効による免責規定がない国際条約「強制労働に    関する条約」(日本の批准は1932年)などに明確に違反する。  (2)日本は批准後、条約の精神を具体化する法整備を怠っている。  (3)過去にさかのぼって責任者の処罰をおこなうための立法化を進める義    務がある。       この主張はちょっと突飛にみえます。近代法では「法の不可遡及」、す なわち法律成立以前の行為については責任を問われないというのが原則です。    こうした原則にもかかわらず、責任者処罰は先進諸国では国際的な流れ になっています。過去の戦争犯罪者を裁けるように、ドイツでは79年に、カ ナダでは87年、オーストラリアでは88年、イギリスでは91年に国内法の 整備をし、時効を停止するなどして戦犯を裁いてきました。    この流れを、阿部浩己・神奈川大助教授(国際法)は、 「慣習国際法では、国際法違反の場合、国家責任として金銭的補償や謝罪をす べき基本原則が確立しているのに、日本はその原則を守っていない。戦争責任 者の処罰も、旧ユーゴスラビア内戦でみられるように、国際的な大きな流れだ」 (94.2.5 毎日新聞、大阪)と語っています。どうやら、国際法では「時効」が ないことと相俟って通常の国内法とはだいぶ感覚が違うようです。このあたり、 国際法にくわしい方の解説を求めたいと思います。    こうした潮流の中で、アメリカは戦時中に強制収容した日系人に対し大 統領が謝罪し、一人あたり2万ドルの謝罪金を支払ったのは記憶に新しいとこ ろです。これなどもこの基本原則に沿ったものといえます。    さて、このIFORの提案に応じ、アジア各国のNGO、日本・フィリ ッピン・韓国・北朝鮮なども処罰問題を提起しました。もちろん、韓国・北朝 鮮政府も同調しました。その結果、IFOR提案は多くの賛同を得て正式な 「国連文書」として配布されました (94.2.17 毎日)。    一方、国連での議論は日本政府にとって時には好ましいこともありまし た。先に、差別小委で可決された特別報告官の設置が「財政難」などの理由で、 上部機関の人権委から小委に差し戻されてしまいました。    しかし、これで国連が慰安婦問題の追求を放棄したわけではありません。 この問題はその後「女性に対する暴力問題」特別報告官のクマラスワミさんに 引き継がれました。クマラスワミさんはスリランカの民族学研究国際センター 所長としてアジア地域の女性問題に取り組んできた女性法学者ですが、94年 4月に特別報告官に任命されました。    クマラスワミさんは人権委に提出した予備報告書の中で、慰安婦問題を 「犯罪」と認定する立場を明らかにしました。そのさわりを毎日新聞から引用 します(95.1.10)。        ーーーーーーーーーーーーーーーー    特別報告官は慰安婦問題について、今月(95年1月)三日に公表され た予備報告書の「国家が犯したり、承認した暴力」の章で報告。特に「(慰安 婦に対する)行為は国際人道法のもとで犯罪と認定されねばならない」と主張。 また「不処罰」の項で「(戦時の行為に対する)不処罰性は、国家に対する女 性の無力さの証明」と説明。戦時暴力への処罰を厳しく要求しているだけに、 報告官が慰安婦問題でも犯罪の認定から処罰への方向をたどるのはほぼ間違い ない。 ーーーーーーーーーーーーーーーー クマラスワミさんは「国連調査団」として、この年の7月に日本を訪問 しました。国連調査団が日本を訪れたのは、旧国際連盟が「満州国」問題で派 遣したリットン調査団以来のできごとです。    こうしてアジア各国での調査をもとに、つい最近クマラスワミさんは9 6年3月、最終報告書を人権委に提出しました。これについては次回紹介しま す。 一方、責任者の処罰に対する日本政府の考えは、     (1)人道に対する罪を裁く国内法がない     (2)刑事事件としては時効が成立している などを理由に処罰を回避しています。この方針のもとに東京地検は昨年1月、 韓国の元慰安婦らが旧日本軍責任者の処罰を求めた告訴を受理しませんでした。 こうした口実は国際世論の中でいつまで通用するのか疑問です。日本は国際法 遵守のために国内法の改正が内外から要望されていますが、こうした動きは日 本国内であまり活発でないようです。  (つづく)                   半月城


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