半月城通信
No. 8

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 【在日】外国人学校(1)
  2. 【在日】外国人学校(2)
  3. 【在日】RE:在日韓国人・朝鮮人
  4. 【在日】韓国籍、朝鮮籍(1)
  5. 【在日】韓国籍、朝鮮籍(2)
  6. 【在日】指紋撤廃運動
  7. 【在日】帰化(1)・・転載
  8. 【在日】帰化(2)・・転載
  9. 【在日】定住韓国人のメリット
  10. 【在日】国籍条項
  11. 【在日】ニュース速報



- FASIA  MES(10):【アンニョンクラブ】    韓国・北朝鮮 96/05/06 -
01175/01193 PFG00017  半月城           外国人学校(1)
(10)   96/05/05 15:40  01108へのコメント  コメント数:1

      朝鮮人学校に関する柴田さんのコメントを補足したいと思います。同時
に、外国人学校全般についても紹介したいと思います。最初は法的な面を明ら
かにしたいと思います。
   まず外国人学校の数ですが、全国で約130校あります。これらは法的
に次の3種類に分類されます。

 1。文部省認可校(学校教育法第1条該当校)・・・2校
     学校名に、小学校、中学校、高等学校、大学とつきます。これに似た名
前に高級学校、大学校などがありますが、これらは1条校ではありません。
   1条校は文部省が定めたカリキュラムに厳格に縛られるので、外国人学
校自身1条校を希望することは稀です。わずかに下記の2校のみが1条校とし
て認可されました。これらの学校は大学進学に際し、もちろん何ら問題はあり
ません。
   大阪建国学校(白頭学院)、1951年認可 (幼・小・中・高 )
   大阪金剛学校(韓国学園)、1985年認可  (小・中・高)

2・都道府県認可校(学校教育法第83条該当校)
   俗に各種学校と呼ばれ、洋裁学校や予備校・防衛大学校などがこれに相
当します。そして多くの外国人学校はこれに相当します。その主だったところ
は次の通りです。
      韓国系(2校)  東京韓国学校、京都韓国学校
      アメリカ系        アメリカンスクール
   ドイツ系     東京横浜ドイツ学園
   中国系      中華学校
   北朝鮮系          朝鮮大学校など多数

3。無認可校
      無認可校とは上記以外の法的な裏付けのない学校ですが、数はたしか3
0校くらいだったと記憶しています。無認可とはいっても、今では法的に違法
ではなくなりました。無認可のままなのは、学校当局が申請を出さないわけで
はなく、申請しても文部省に従順な知事が認可しないためです。
   無認可校の場合、ほとんど通学定期券を認められません。このため、無
認可校の父兄たちはそれを認めるよう今でも署名運動を各地で展開中です。

   次に、外国人学校に対する文部省の方針ですが、伝統的に文部省は国際
人権規約の精神に反し、国内に住むマイノリティーの民族教育を抑圧する政策
をとってきました。とくに、在日朝鮮人の民族教育を目の敵にしてきました。
その一環として、朝鮮人学校を各種学校として認可しないように強力に指導し
てきました。
   たとえば、1965年12月には通達「朝鮮人のみを収容する教育施設
の取扱について」を出し、その中で次のようにうたっていました。

1.朝鮮人学校については、・・・これを同法第一条の学校として認可すべき
 ではないこと。
2、朝鮮人としての民族性または国民性を函養することを目的とする朝鮮人学
 校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有する
 ものとは認められないので、これを各種学校として認可すべきではないこと。

      この通達は朝鮮大学校の認可問題がきっかけでした。東京に革新的な美
濃部知事が誕生し、それまで保留されていた朝鮮大学校の認可が急にクローズ
アップされてきました。これに危機感をいだいた文部省が東京都に圧力をかけ
るため通達を出したととりざたされています。
   美濃部知事は文部省と対決し、1967年8月朝鮮大学校を各種学校と
して認可しました。これに怒った文部省・自民党は対抗措置として「外国人学
校法案」を国会に上呈し規制をもくろみましたが、各方面の根強い反対にあい
あえなく廃案となってしまいました。
                                                  半月城


01193/01193 PFG00017 半月城 外国人学校(2) (10) 96/05/06 07:55 01175へのコメント    先日、神奈川県川崎市の公立学校で朝鮮人学校生の短大受験を門前払い するという出来事がありました。川崎市は、在日外国人との共生・ふれあいを 全国で一番大事にしている街であるだけに残念な結末でした。 受験しようとしたのは「神奈川朝鮮高級学校」の女生徒二人です。文部 省大学課によれば、朝鮮人学校は各種学校のため「日本の高校と同等以上の学 力があるという保証がないので(受験は)認められない」と川崎市を指導した そうです。    この文部省の主張する「同等の学力」の根拠は学校教育法施行規則にあ ると思われます。この69条は大学受験資格の一つとして「相当の年齢で高卒 と同等以上の学力がある、と大学が認めた者」と規定しています。    しかし、この規則では受験を認めるかどうかは大学自体が決めることな っています。それにあえてくちばしを挟んでまで受験を阻止した文部省は一体 何を考えているのでしょうか。受験を認めると共産主義教育を行っている朝鮮 人学校が最大のメリットを得ることに我慢できないのでしょうか。    読売新聞 (1996.4.29) によれば、身内の日下部文部省政務次官ですらあ きれてか、この問題に関しては「文部省は国際化が必要」と発言していました。 ただし、この発言は「一政治家としての意見」とのことです。    たしかに日本は多くの在外日本人学校を持ち、同じように生徒の現地受 験問題があると思われるので「文部省は国際化が必要」です。しかし、外国で は日本のような偏狭な政策はとらないかも知れませんが。 次に、大学側の現状を同じ読売新聞から紹介します。記事によれば、最 近は大学サイドの意識も変化し、「出身校や国籍にかかわらず優秀な学生を入 学させたい」として、外国人学校生の受験を認める大学が公立や私立を中心に 増えているそうです。 その数を在日本朝鮮人中央教育会のデーター (1994.4)でみてみると、 朝鮮人学校の卒業生の受験を認めている大学は4年生公立大学で46校中20 校、私立大学では390校中164校に達するとのことです。しかし、文部省 の直接の監視下にある国立大学はもちろん1校も受験を認めていません。朝鮮 人学校生に限らず外国人学校生の受験を全て拒んでいます。 こうした文部省のかたくなな態度にも少し変化が見られました。最近、 ドイツの公的な大学入学資格である「アビトゥア」を日本の大学受験資格とし て認めました。ここに至るまでの経緯を、ドイツ学園校長のギュンターさんは 次のように語っています。   「わが校の授業内容などを、日本の文部省は問題にして、我々の要望を受 け入れない状態が続いた。早速、ドイツ大使館に掛け合って大使に直接文部省 に出向いてもらうなどして、ようやく解決しました」    文部省が問題にしたドイツ学園の授業内容とはどのようなものかは知り ませんが、マイノリティーの民族教育はおろか、教育の多様性を軽んじ画一性 を重んじる文部省らしいやり方です。  さて、最初にもどり朝鮮高級学校の女生徒の受験資格問題ですが、これ を認めるよう求めた支援運動の輪が広がり、川崎、横浜を中心に75、000 人もの署名が集まりました。しかし、こうした支援の甲斐もなく女生徒は結局 受験できませんでした。 短大が受験を認めなかった理由としてある教育関係者は「この短大は新 設校であり、最初の卒業生を送り出すまでは文部省のいわば監視下にある。文 部省を刺激したくなかったのではないか」と憶測していました。    最後に、この問題をめぐる現地の教育関係者の意見を紹介します。 川崎市立中学校長会   「現実に希望の進路を閉ざされて悩んでいるひとりの子供を前にしたとき、 『学ばしてあげたい』と思うのが、教育者としての心情」 川崎市立高校校長会   「彼らの多くは将来、日本の国の中で職業につくのだから、その希望をで きるだけかなえてあげることは我々の社会全体の課題でもある」 思想や信条・国籍などに関係なく、機会だけは均等でありたいものです。 半月城


【在日】RE:在日韓国人・朝鮮人 #17602713 96/03/18 >あるいは,半月城さんあたりなら,すでに分かりやすく文章化したもの >をお持ちかもしれません。 金明秀さんから紹介のありました半月城です。溝尾公康さんの質問は意 外と奥の深い問題を含んでいます。そのあたりの事情を過去の書き込み(PCVA N,J ARIRANG)をもとに、在日韓国・朝鮮人に絞って私なりにまとめてみました。 韓国人とは「韓国」の国籍を持った人、朝鮮人とは「朝鮮」籍をもった 人という解釈が無難なところです。しかし、その「韓国」籍・「朝鮮」籍は日 本の法律上複雑な解釈をされてきました。そのあたりの事情からまず説明した いと思います。    過去、法務省は「韓国」という国籍は認めても「朝鮮」という国籍は認 めず、これは単なる「符号」ないしは「用語」であるとしてきました。    しかし、奇妙なことに法務省は外国人登録証明書という「証明書」をわ ざわざ発行し、その中の国籍欄に「朝鮮」と書いておいて「これは国籍ではあ りません、単なる用語です」と言い張ってきました。    この法務省の珍奇な言い分に納得できる人はまずいないと思います。外 国人登録証明書(通称、外登)は法律に厳格なはずの、他ならぬ「法務省」の れっきとした「証明書」です。    この「独りよがりの」解釈を、現在の社会党を含む連立政権が受け継い でいるのかどうかはよくわかりません。なぜ、このような奇妙な解釈を生み出 すに至ったのか、次にその過去の経緯を紹介したいと思います。    1945年の終戦当時、在日韓国・朝鮮人・中国人は日本の法律上は 「日本人」とされていました。しかし1947年、日本政府は一方的にこうし た人に管理の都合上、外国人登録令(天皇の命令)を発し、外登を交付しまし た。この時、在日韓国・朝鮮人の国籍は全て「朝鮮」としました。    1950年1月、登録令による最初の外登切替が実施されました。この 時、大韓民国居留民団(現在、民団と改称)は、在日韓国・朝鮮人の国籍を全 て「大韓民国」に統一するよう「意見書」を法務省へ提出しました。その理由 を当時の駐日韓国代表部(現在の韓国大使館)は次のように述べています。   <「朝鮮」という名称は日本の韓国奪取の時に、日本政府が定めたもの    で、北韓共産党の傀儡政権に忠誠を公言している少数の者を除く韓国    人はこの名を嫌っており、・・>(1950.2.27 新世界新聞)    この時期は冷戦時代のまっただ中、しかも朝鮮戦争直前の南北が敵    対していた最悪の時期でした。 これに対し外務省は次のように拒否しました。 <国籍は講和条約、または他の会議で公式に定められるべきで・・・。日    本政府が「朝鮮」を使うのは国籍に関することでなく、全KOREAを    意味する。・・「大韓民国」を使うのは、日本政府にとって不適当であ    る。>     この時から法務省は朝鮮という語を「国籍」でなく、単なる用語とし   て解釈していました。    1950年2月、アメリカ進駐軍・GHQは覚書を発し、日本政府に次 のように次のように命令しました。    <「Korea」 および 「Repubric of Korea」 に対してそれぞれ「韓国」     および「大韓民国」、そして Korean に対して「韓国人」の名称の使     用を許可する。>      この至上命令を受けて、法務省は次のような方針を決定しました。 <本人の希望があれば「朝鮮」を「韓国」または「大韓民国」の用語に    かえる方針である。・・・用語問題にあって、実質的な国籍問題や、     国家の承認の問題とは無関係で、・・・>    外登の国籍欄に「韓国」・「朝鮮」と書いても、それは国籍ではな    いという矛盾した行政が深みにはまりました。その一方で法務省は外登    の締め切りを3月まで延長し、「韓国」または「大韓民国」の使用を希 望者に認めました。ちなみに、この時の「韓国籍」はわずか7%、 39、418人でした。 その後、1951年からは外登の国籍欄変更は単なる本人の希望だけで はできなくなり、駐日韓国代表部発行の「大韓民国国民登録証」の提示が必要 になりました。 ここで強調したいのは、この時「韓国」も単なる「用語」であって「国 籍」ではなかったという事実です。 その後、国籍問題はやや静かになりましたが、1970年、日本国内の 革新のうねりのなかで再び表舞台に登場しました。外登の国籍欄の書換が再度 問題になりました。しかし、今度の書換は以前とは違って、韓国から朝鮮への 訂正でした。    この朝鮮籍をめぐる攻防は法務省と革新的な47市15町、20都道府 県との間で大々的に行われました。    まず先頭を切ったのは福岡県田川市でした。同市は市内の5世帯14人 から申請のあった、国籍を「韓国」から「朝鮮」への書き換えを8月13日に 行いました。田川市長は、「国籍選択の自由は基本的人権であり、政府の「韓 国」の韓国籍強要こそ不当である」として対決姿勢を明確にしました。    この田川市長の主張は大きな反響を呼び、この書き替え運動の輪は全国 の革新市長村へ広がり、国籍を書き換えた人は11月10日に1、418人に 達しました。 (李 瑜煥著、「在日韓国人60万」、洋々社 1971) この時の田川市をはじめとする、全国革新市長会の書き替えの根拠は 「外国人登録法」に基づいています。その10条の2によると、「登録原票の 記載が事実にあっていないことを知ったときは、その記載を訂正しなければな らない」としており、これを根拠にしています。     一方の法務省は、9月26日各都道府県宛に通達を出し、国籍欄の 「韓国」の記載を「朝鮮」としたのち、更に「韓国」に再訂正しなければな らないような事態を避けるべきだとし、訂正の基準を次の2項目としました。     1.事務取り扱い上の誤りによる場合     2.本人の意思によらず、第3者により手続きがなされた場合    具体的な基準として、訂正の対象に、韓国の旅券または国民登録を受け た者は該当しないとしました。この時はさすがに公文書の中には、法務省の従 来の主張<「朝鮮」は「用語」であって「国籍」ではない>という文言はあり ませんでした。 この通達に従い、自治省の意向を受けた熊本県は田川市に対し地方自治 法に基づき、国籍の記載を元に戻すよう職務執行命令を10月12日だすこと に決めました。    これに対し、法律に固執する田川市の坂田市長は応じようとはしません でした。このままでは、市長罷免の可能性を含む行政訴訟に発展する可能性が ありました。しかし翌1971年1月29日、日韓協定に基づく「永住権」申 請の締め切りの日を迎え、田川市長は「先駆的役割を終えた」と判断し、国籍 を書き換えた14人のうち4人の国籍を元の「韓国」に戻し決着しました。    このように、国籍書き替えの背景には「永住権」の問題を始めとして、 その時々の政治問題が微妙に影響していました。  なお、現在「朝鮮籍」を持っている人は 1.朝鮮民主主義人民共和国の公民を自負する人  2.朝総連、民団等の積極的な組織拒否者  3.消極的な上記の組織拒否者で日本人に帰化傾向のある人 などがあげられます。 半月城


【在日】韓国籍、朝鮮籍(1) #17749583 96/03/25    1951年から、国籍欄を「朝鮮」から「韓国」に書換えるのに「大韓 民国国民登録証」が必要になりました。 > ここのところのつながりがよくわからないのですが、「大韓民国国民登録 >証」を必要とするというのは、事実上「国籍」とみなしたのだということで >はないのしょうか。 この秋月さんの疑問はもっともです。誰でもこのように解釈するのが自 然です。ところが法務省そうではないと強弁してきました。その見解の謎解き を長くなりますが解説します。    1951年から日韓予備会談が始まり、その中で「韓国籍」を事実上承 認する方向が出されました。しかし、会談は難航し国籍問題は結論がでません でした。その結果、「韓国」「朝鮮」は用語であるという考え方は少なくとも 法務省の中ではかなり後まで生き残りました。その点を明らかにする資料を紹 介します。    日韓協定による永住権を法務省官吏が解説した本があります。池上努著 の「法的地位200の質問」(京文社 1966 )という本ですが、そこには「韓 国籍」についてこう書かれています。 第31問 大韓民国の国籍を持つ者であるということは、外国人登録証で分か   るのではないか。        答 原則としていうなら、外国人は外国人登録証をするさいに旅券を提示し   なければならないことになっているから、登録の国籍欄に書いてある国籍   がその者の国籍として公的に確認されていることになる。しかし、韓国人   の場合はそのような国籍を証明する権威ある証明をしていないので、登録   上の記載だけで韓国籍を認めるわけにはいかないのである。 第200問 最近法務省では外国人登録の国籍欄に「韓国」とあるのは、国籍   の記載であるということにしたそうだが何故か。  答 なるほど、昭和40年10月26日発表されたところによると、政府は   外国人登録欄に「韓国」又は「大韓民国」と記載してあるものは、国籍と   して考えることにしたということになっているが、その理由として、従来   取り扱いが実際はどうであったかよく振り返って検討してみると、駐日代   表部が発給した国民登録証に基づいて「韓国」と書くことを認めたのであ   り、その上、国籍欄にそのように書かれている人たちに対しては、例えば、   再入国許可の審査などの場合、韓国国民として取り扱うというように、そ   の記載が国籍を表していると同じ効用を認めて来たという事実にかんがみ、   この記載が国籍を表すものと考えることにした、ということが述べられて   おり、十分理屈の通ることだと思われる。    この著者は、いわゆる池上発言「在日外国人は煮て食おうが、焼いて食 おうが日本の勝手」で一躍有名になった人で、私たちには忘れることのできな い人です。しかし、これは池上氏だけを責めるわけにはいきません。当時は 「外国人の人権」という用語は法務省の辞書にはなかった時代ですから。    この例に見られるように、1965年までは「韓国」は必ずしも国籍で はなかったというのが法務省の見解です。法務省も、素直に国籍の書換えを始 めた時から「韓国」を国籍として認めてきましたとすればすっきりしたのに、 それができない法務省は苦しい言い訳を強いられたものです。 この裏には、1950年通達で「国籍の変更は用語問題であって、実質 的な国籍問題には無関係」とした上で、国籍の変更の作業を行った矛盾を公に 認めたくなかったためと思われます。 さらに、これが「朝鮮籍」になると奇想天外な解釈が飛び出しビックリ します。賀屋法相は衆議院法務委員会 (1964.3.14)で在日韓国・朝鮮人の国籍 についてこう述べました。   「今後日韓会談が妥結したらどうなるかと申しますと、・・・当人が韓国 籍を選択いたしまして、韓国側がそれを認めた場合には韓国国籍ということが はっきりします。・・・本人が韓国籍を選択しません場合、韓国が認めない場 合には、それだけでは国籍は日本としては明らかでございません。外国人とい うことは明らかですが、どこの国籍かということは日本側では決められない状 態にある、国籍が明らかでない、かようになる次第」    外国人登録証の国籍欄の「朝鮮」は「国籍不明」を意味するとは信じが たい発想です。この発言は一政治家のきまぐれ発言ではありません。法務省を 代表する法務大臣の公式見解です。しかし、さすがに法務省の官僚は「国籍不 明」などと極論はしませんでした。かの池上氏は次のように書いています。 第202問 では「朝鮮」という記載は北鮮の国民ということになってくるで    はないか。  答  「韓国」が国籍の表示だということになれば、いかにもそのような錯    覚に陥りやすいが、そうではない。前にも度々説明したように、日本が    主権を放棄して独立した朝鮮の人たちの中で、「韓国」の国籍証明のあ    った人だけを国籍として記載しただけであって、その余の人はそのよう    な証明のない朝鮮の人であるというに過ぎず、従って一種の符号という    か、用語というか、そのようなものとして書いてあるのである。    法務省の公文書である外国人登録証の国籍欄に、法には厳格なはずの法 務省自身が記入した「朝鮮」・「韓国」が、本当は国籍ではないという法務省 のこの独りよがりの主張を理解できる人がこの世にいるでしょうか? どう考 えても理解に苦しみます。 (続く) 半月城


【在日】韓国籍、朝鮮籍(2) #17810317 96/03/27 前回に続いて、秋月さんの質問に答えていきたいと思います。 > 基本的なことで申し訳ないのですが、「韓国」と「大韓民国」の2つの表 >記があったことは知りません出した。今も「韓国」と「大韓民国」の2種類 >の書き方が並存しているのでしょうか。その間に何かの違いがありますか。 外国人登録証では「韓国」のみが使われ、「大韓民国」は使われていな いと思います。私は前々回、『日本政府は1951年から「韓国」または「大 韓民国」の使用を希望者に認めました』と書きましたが、これは必ずしも登録 証に「大韓民国」と書くことを意味しません。「大韓民国」という国籍の申請 を単に受け付けるという意味です。    このように正式国名の代わりに、その略称の「韓国」を使うやり方はそ れほどおかしくはありません。国籍欄に「日本語」で書く限り、漢字(国際語) 表記の国を除いて正式国名を書くのは不可能だからです。具体例を示すと、登 録証にアメリカ合衆国は「米国」、イギリス(通称)は「英国」などと略称で 書かれます。    しかし、登録証に正式国名の記入を要求する人は現在でも案外いるそう です。その代表格が「中国」です。現在「中華民国」、「中華人民共和国」、 独立派の「台湾」など、一律に略称の「中国」になっているそうで、これに不 満を持つ人は結構いるそうです。また不満を持つ人がいるのかどうか未確認で すが、香港は「英国」とされているようです。    こんな場合でもそれほど大きな問題にならないのは、正式国名と略称と の間に一応の対応表が、一対一でないにしても存在するからです。ところが、 この法務省の対応表に唯一(?)記載されていないのが問題の「朝鮮」です。 ここに「韓国籍」から「朝鮮籍」への書換が政治問題化した原点があります。    国籍の書換問題は、秋月さんの予想通り「日韓条約」の発効(1966.1.17) が大きなインパクトになっていました。この時、日本政府は「協定永住権」と いう名のもとに、「朝鮮籍」と「韓国籍」との差別化政策を実行したためさま ざまな混乱や騒動を引き起きました(この誤った差別政策は数年前に是正され ました)。    やがて、この「協定永住権」申請期限の5年間が残り少なくなるにした がい、申請者総数をめぐって民団、朝鮮総連の両陣営で綱引きが熾烈になりま した。その駆け引きの一環として、総連系による「朝鮮籍」への再書換運動が 革新地方自治体を味方にして繰り広げられました。  >どうも腑に落ちないのは、それ以前の「韓国」籍への書き換えも本人の申  >し出でしたはずなのに、どうしてこんなことが起きたのでしょうか。 1950年代の「朝鮮籍」から「韓国籍」への書換は、一応本人の意思 で行ったことになっていますが、字の書けない人や子供の場合などは代理人が 行ってきました。    そんなこともあって、20年経って登録証の国籍名が本人の意思に合わ なくなる人が次々に出てきました。特に、総連の主張では「韓国籍」だと「南 朝鮮傀儡政権」により徴兵される危険性があると強調していましたので、これ に敏感に反応した人も多少はいました。  > ここで田川市長が言った「政府の韓国籍強要」、革新市長会の言った   >「事実にあっていない」ケースというのがどんなことを指していたのか具  >体的に知りたいので、できる範囲で教えていただければと思います。 田川市長および総連はこんなことを言いたかったのではないかと私なり に想像しています。 ーーーーーーーーーーーーー    そもそも国籍は「本人の意思」と、国籍を希望する「国家の認定」によ り決定されるものである。これは1930年の「国籍法の抵触に関する条約な どで次のように保証されていることからも明らかである。    <何人が自国民であるかを自国の法令によって決定することは、各国の 権限に属する。右の法令は、国際条約、国際慣習、国籍に関して一般に認め  られた法の原則と一致するかぎり、他の国により承認されなければならない> この原則からすると、在日朝鮮人の国籍を「日韓会談」で論議するのは おかしい。さらに、「日韓協定」に基づく「韓国籍」・「朝鮮籍」差別政策で 「韓国籍」の増加をはかろうとするのは在日朝鮮人に「韓国籍」を強要するも のである。  ーーーーーーーーーーーーーー    この主張に共鳴した革新自治体の首長たちは、外国人登録証の国籍欄の 「朝鮮」を文字通りの国名、すなわち朝鮮民主主義人民共和国と解釈し、本人 の申請および北朝鮮の国籍法に照らし、かつ外国人登録法の規定に従い「韓国 籍」から「朝鮮籍」への書換を行ったのでした。    この行動が多くの人の支持を得たのは、「国籍選択の自由」の理念を明 確にしたことにありました。それまでの日本政府は、戦前の過ちはさておいて も戦後、旧植民地出身の人をほしいままにある時は日本人として扱い、またあ る時は非日本人として扱うなどもてあそんだあげく、その国籍については本人 に選択の自由を与えず、一方的な国籍を押しつけてきました。    そうした日本政府の過ち、秋月さんの言葉を借りれば、「理不尽である うえ政策的な一貫性も形式的な合理性もない」過去の施策の間違いを自分たち が正したいという願望を革新自治体は持っていたのではないかと思います。  >しかし、この問題に関してはいろいろな資料や人の話を総合して理解して  >行くほかに正確な認識にたどり着く道はないような気がします。    同感です。私を始めとして、人はそれぞれ立脚している所が違うのでそ れなりに偏向しています。特に現代史の捉え方は、たとえば共産党員と自民党 員ではその評価が正反対であるのと同様に、韓国・朝鮮問題では民団系と総連 系で考え方に天地ほどの開きがあります。かく言う私は民団員ですのでそのつ もりで読んで下さい。 半月城


【在日】RE:お役所に怒ってます! 、指紋撤廃運動 #16587154 96/02/10 21:20:56 リズムスティックさん、どんどん転載をお願いします。情報は多ければ 多いほど多面的になるのでいいことだと思います。    指紋の話ですが、私は指紋を押した当事者として指紋には特別な思いが あります。そのあたりを、かってPCVANのアリラン(現在閉鎖中)に書き ましたのでその一部を紹介します。         ーーー 転載 ーーーーー #2882/2884 マダン(広場) ★タイトル (SPM07550) 95/ 2/22 6:53 ( 84) 外国人と指紋(30)、指紋撤廃運動(2)     半月城 ★内容     10年位前にアカデミー賞を受賞した映画「ガンジー」の中で妙に印象に 残るシーンがありました。人種差別の国、南アフリカで黒人たちが「指紋入りの身 分証明書」を次々に燃やす場面です。この「身分証明書」は言うまでもなく「アパ ルヘイト」の根幹をなすのですが、これに憤激したガンジーはこの「身分証明書」 返上運動にたちあがり、かの「抵抗運動」のスタートを切ったのでした。 私はこのシーンを見てすぐに自分の持っている「指紋入りの外国人登録証」 を連想しました。そしてちょっと考え込んでしまいました。自分にもこの映画のよ うに「外国人登録証」をカッコよく燃やせるだろうか? そんなことをしたら1年 以下の懲役・・・こんな思いがちらっと浮かびました。また、指紋を拒否したら 「再入国許可」をもらえないし、となれば韓国にも行けない。また万一検挙され裁 判ともなれば会社にも行きずらいし、生活もどうなることやら。とにかく心配の種 は尽きません。     現実の生活を重視するか、あるいは「社会正義」を貫くか。「身分証明書」 を焼いた人や、「外国人登録証」の指紋押捺を最後まで拒否した人はずいぶん勇気 があるというべきか、向こう見ずだというべきか、とにかく感服する次第です。 こうした無鉄砲な人は毎年必ず何人かいました。そして、あまり人目につ かないところでひっそりと裁判にかけられていました。東京・新宿に住む、韓宗碩 さんもそうした一人に危うくなるところでした。ところが、韓さんの「たった一人 の反乱」に共鳴した人が一人、二人と現れ、「指紋拒否者」がまたたくまに燎原の 火のように1980年代、全国に広がりました。 民団(在日本大韓民国居留民団、当時)も「指紋押捺・常時携帯・提示義 務」の撤廃を求め1983年になんと180万人の署名を集めました。また民団の 傘下団体の青年会は「指紋拒否」を訴えて、神戸ー東京間を「東海道人権行脚」の 行進をしました。これを受けて韓国政府もこの問題には真剣に取り組みました。1 984年に韓国の全大統領が来日した折り、両国間の政治問題に取り上げました。 同時にこの問題は日本に住む世界各国からの外国人にも共感を呼び、フランス人神 父など同調者が次々に現れました。さらに、国連でも人権問題として人権擁護委員 会にて取り上げられるなど国際的な関心も呼び起こしました。     一方、日本人も黙ってはいません。反対運動は各地の市民運動の間に広が りました。指紋を拒否している人を中心に、「韓宗碩裁判」支援、「金徳煥裁判」 支援、川崎市「李相鎬支援会」など様々な形で展開されました。     同時に、各地の地方自治団体が「外国人登録法」の改正を求める決議をし、 その数は1985年2月現在664自治体に達しました。また、全国市長会議も 「指紋押捺・常時携帯」の廃止を求める決議をしました。そうした決議の中で私の 住む千葉県市川市議会の意見書を下に紹介します。 -------------------------------------------------------------------- 外国人登録法(指紋押捺など)の是正を求める意見書     我が国における外国人登録制度は発足当初から問題があると内外から批判 があり、昨今では国際的見地からみても義務に厳しく権利に対する配慮に欠けると の指摘が重ねられてきました。     近年に至り、公営金融などいくつかの福祉行政から国籍条項が撤廃されま した。 しかしながら、残されたいくつかの法改正に向けての政府の具体的で自主 的な取り組みの消極性については遺憾の念を禁じ得ません。     特に外国人登録における指紋押捺の問題は、在日外国人全般を犯罪者か又 は犯罪容疑者と全く同じ線上において管理することを目的に施行されているもので あり、外国人登録証明書を持つ者は、定期的に精神的苦痛と屈辱を強いられている のであります。太平洋戦争後既に40年になんなんとする今日、外国人登録令が公 布された当時とは社会秩序が全く異なり、外国人登録証明書の更新ごとに指紋を押 捺する意味はなくなり、行政当局にあっても全く不必要な作業が行われているに過 ぎません。加えて外国人登録証明書の常時携帯および提示義務を課し、刑罰として 20万円におよぶ罰金刑を規定しているのであります。     このことは当然、政府が批准し、発効した国際人権規約の精神や、基本的 人権を擁護している憲法の精神に反するだけでなく、また国際的潮流にもおくれを とるものでありひたすら外国人の「管理」のみを重視するものであります。     このような諸状況を考慮され、我が国に居住する協定永住権を持つ外国人 が安心して生活し、かつ地域住民ともよく地域社会をより豊かな住み良い環境にし ている一員であることを勘案されて、外国人登録法の指紋押捺、常時携帯、提示義 務の廃止と過酷な罰則の緩和を求めるものであります。     以上、地方自治法第99条第2項の規定により意見書を提出します。     <送付先>内閣総理大臣、法務大臣、自治大臣  ------------------------------------------------------------------------ この意見書は実に簡潔明瞭です。外国人登録証明書の問題点を、行政実務 の立場から指摘すると同時に、国際的な視野に立ち時代の趨勢をわかりやすく説い た名文であると思います。そして、要求点をはっきり「指紋押捺、常時携帯、提示 義務」の廃止と、過酷な刑罰の緩和と明確にしている点が注目されます。 ーーーー 転載おわり ーーーーー (この続きは、もし希望者がいれば転載します)    張征峰さんや米国人の宣教師ロナルド・ススム・フジヨシさんに心から 声援を送りたいと思います。指紋制度の不条理を、日本国憲法や世界人権宣言 の前に明らかにし、撤廃までがんばって下さい。 一方、私は「外国人登録証」はもう持ち歩かないことにしました。それ により拘束されたら、それに応じるつもりでいます。そして、かっての南アフ リカ連邦の身分証明書に匹敵する「外国人登録証」の常時携帯制度を、逆に裁 判で人権侵害として訴えるつもりでいます。


【在日】RE:在日って? 、帰化(1)・・転載    みらくるさんのお父さん(私と同世代?)の帰化とキムチの話を興味深 く読みました。私は、帰化や差別について以前ニフティ FWORLDCに書きました のでそれを編集して載せたいと思います。    定住韓国・朝鮮人の帰化は、その過程にそれなりの人生ドラマが織り込 まれている場合が多いものです。そうした帰化ドラマの一例として、金 賛汀 氏の著書「在日という感動」(三五館発行)を紹介したいと思います。 この本は定住朝鮮人である著者がその中で娘さんの帰化申請で体験した ことについて多少書いています。内容を簡単にかいつまんで記します。 1.娘さんは親の反対を押し切って1993年に帰化申請をした。  2.娘さんは成人した、俗に言う社会人であるにも拘わらず同居している親    の同意書の提出を求められ、一旦は書類を受理されなかった。    以前は帰化は必ず家族全員が申請する必要があった。  3.申請して半年後、刑事が娘さんの身辺調査のため近所を聞いて回った。    評判は悪くなかった  4.次に親の意見を求められたので反対であると答えた。  5.許可まで早くて2年くらいかかると係官から言われた。  6.本国の戸籍謄本及びその翻訳文の提出など手続きが難しい。そこで司    法書士に頼むと数十万円かかる。家族単位では100万円かかる。 7.帰化を許可された場合、以前は必ず日本名に改名する必要があったが最    近ではそれが緩和された。 8.交通事故で人身事故を起こすと1年間は申請を認められない。 著者が娘さんの帰化に反対するのは、小錦が帰化を申請するのとはちょ っと事情が違うからです。私たちの帰化を、税理士や弁理士の資格を取得する のと同列に考えるわけにはいきません。    弁護士などの資格の取得は誰もが祝福するでしょうが、帰化の場合はそ うはいきません。この本の例のように、たいてい周囲から反対の声が一つや二 つはあるものです。周囲の人すべてに祝福されるケースはまずないと思います。    そのため帰化の申請は韓国・朝鮮人の場合たいてい多少の後ろめたさを 伴ってなされるわけです。それを裏返せば、帰化の動機が日本のあまり誇れな い陰の世界を反映していると言えます。    それを明らかにするために、帰化の動機を見てみます。これを実際に調 査した報告書がありますので紹介します。高麗大学アジア問題研究所編「在日 韓国人の現状と未来」(白帝社、1994)です。この本から帰化の動機のデ ーターの一部を引用します。  1。就職やアパート入居時になされる陰険な差別から逃れたい、日本人の偏   見や蔑視から逃げたいなど社会的理由(22%)。  2。商売上相手からの信用を得にくい、銀行ローンが借りにくいなど事業上   の理由(31%)。  3。子どもにはこのような境遇や、親の世代のようなつらい思いをさせた    くないなど子孫のため(44%)。 4。その他政治的理由(4%)    一般に差別やいじめは、差別している側は差別をあまり「自覚」してい ない場合が多いのですが、それに反し差別される側の方は実に深刻です。    この「差別」にからんだ子どものいじめへの対抗策を次のように語って いる人がいます。朝鮮奨学会(中立系)で長年にわたって高校生や大学生を指 導してきた職員(現理事)です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    私は(差別に由来するいじめの)自衛策として息子に喧嘩の仕方を教え ました。私の腹をなぐらせながら、 「もっと力を入れて!」 「足をふんばれ!」    殴り方から受け身の方法まで、それこそ親子で連日殴り合いの稽古です。 本来非暴力主義者だった私が息子に喧嘩の仕方を教えることになるなんて、息 子が小学生になるまで夢にも思いませんでした。    (梁東準著、「夢・いつも旬」、新幹社刊 1995) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    私の場合は喧嘩の仕方を知らなかったので、代わりに子どもには「剣道」 の稽古に通わせました。こうまで私たちが真剣に考えざるを得ないほど差別は 私たちにとっては深刻な問題でした。    他の例として就職をあげます。バブル全盛の人手不足の時はかなり緩和 されましたが、私が大学をでる2、30年前は深刻そのものでした。当時は、 「日立就職差別事件」に象徴されるように、私たちが卒業後サラリーマンにな るなんて不可能な時代でした。 考えられる職業といえば、焼肉屋、パチンコ屋、学習塾の講師、民族機関の職 員・・・などでした。そのため、卒業間近になると皆大きな壁にぶちあたりま した。そして、一人、二人と友人たちはいつのまにか皆の前からこっそり姿を 消して行きました。このように、排他的な日本社会から締め出され行き場を失 った若者の姿は実に哀れです。特に彼らが優秀であればあるほどは傍目にはよ けい悲惨に映ります。 こうした差別構造に対し、これをどう捉えどう対応して行くのかについ ては次回書きたいと思います。 (つづく) 半月城


【在日】RE:在日って? 、帰化(2)・・転載 #17663823 96/03/21     前回は、日本の陰のあまり知られていない差別や偏見の実態について 簡単に書き、これが当事者をいかに苦しめているかについてふれました。こう した日本の差別の実体が当人にとって耐えがたければ逆に「帰化は魅力的」な ものになりますのでその数は増えます。このことを反映するかのように、帰化 者は年々増え今までに定住韓国・朝鮮人の内17ー8万人が帰化しました。     こうした帰化には前回述べたように多少の後ろめたさがつきものです。 今回はこのあたりの事情について少しふれたいと思います。     帰化に対しての考え方は世代によりかなり異なります。特に在日1世 には相当な抵抗感があります。その背景にはもちろん日本と韓国との間の不幸 な歴史が影をさしています。この1世の世代は言うまでもなく日本の植民地支 配時代にありとあらゆる苦難を背負って来た人たちです。     そもそもこの人達の来日自体が強制連行されたケースが少なくないの です。しかも異境の地、日本では炭坑、鉄道、ダム建設などの苛酷な3K職場 で低賃金で働かされ筆舌に尽くしがたい艱難辛苦を背負ってきた世代です。ま た、はなはだしくは宋神道さんのように慰安婦にさせられ日本軍人の性欲のは け口のために性の奴隷にされ、青春や家庭を奪われたのもこの世代です。 この1世たちの大半は日本という国家により自分の生涯を踏みにじら れた人たちで、骨の髄まで日本に対する恨みや憎しみがしみ込んでいる世代で す。それに加えて、日常の習慣や物の考え方など日本にはなじまないことも多 く、言葉すら日本語を十分話せない人がけっこういるものです。そのかたわら 故郷には肉親や親戚がいる場合が多く、祖国指向がその人のバックボーンにな っていると言っても過言ではないと思います。従って、この世代はたとえ帰化 にどんなメリットがあろうとも自分から進んで帰化することはまず考えられま せん。 次に2世はどうでしょうか? 2世の場合、その受けた教育により考 え方に大きな開きがでてきます。特に、自分は「朝鮮人である」という自覚を 持っている人は、だいたい朝鮮学校で本格的な民族教育を受けた人で民族的な 誇りを持って生きようとする人たちです。こうした人たちは帰化については1 世の後継者的な考え方をするので帰化をする人は少ないようです。 一方、これ以外の2世の考え方は千差万別です。その生き方をおおざ っぱに分けると  1。差別などの現実に耐えられず、これから逃れるために帰化をする  2。帰化はしたいけれども手続きが面倒なので放置する。  3。民族の一員として誇りを持って生きるのを信条とし、差別などの現状に   進んで立ち向かう。  4。確固たる信念はないが、さりとて差別から逃れるために帰化するのを潔   しとしない。この背景には、帰化は1世に対する一種の「裏切り」である   という意識を持っている場合が多い。     私もこのような2世のひとりですが、上の分類のどれに相当するかは 読み手の想像に任せます。     ところで帰化と言えば当然国籍の変更を伴いますが、この点に関して 私たちには見過ごすことができない重要な事実があります。私の例を引き合い に出して説明します。     私の現在の国籍は「韓国」ですが、これは3番目の国籍にあたります。 最初の国籍は日本とされました。それがいつの間にか「日本国籍」は消えて国 籍は一律に「朝鮮」とされました。さらにその後、私の両親が政治的な理由で 国籍を「韓国」に変えました。 この経過の中で、日本国籍の「消滅」は問題の多いところです。特に 日帝時代に日本軍人として活躍した同胞の場合、この措置はあまりにもむごい ものになります。このような日本の「国策」の協力者の「皇軍兵士」を一夜に して外国人という口実をつけて放り出してしまうなんて日本政府のやり方もあ こぎなもんです。     こうした日帝の協力者、裏を返せば祖国の裏切り者に対して韓国政府 はもちろん手をさしのべるはずはありません。この人達は身も心もたぶん「天 皇」に捧げたと思われますが、はたしてこの人達を「日本人」以外の外国人と して考えることがそもそも可能でしょうか?     このような「帝国軍人」が戦争でけがをして「傷痍軍人」として復員 しても純粋な日本人とは違って軍人恩給などの補償は一切貰えません。必要な 時は「天皇の赤子」として利用し、用がなくなると外国人という理由で切り捨 ててしまうなんて血も涙もないやりかたです。     なお蛇足かも知れませんが、この韓国人は帰化をすれば補償を受けられた時期 が数年ありましたが、日韓条約以降はそれも不可能になりました。     こうした現実を知れば知るほど、私たち2世の帰化は「1世への背信 行為ではないのか?」という疑念が強くなります。さらに、差別などのデメリ ットから逃れるための帰化申請は「負け犬」のやり方ではないだろうか、とい う思いも頭をかすめます。その一方では、定住韓国人の一人として日韓友好の 架橋の一助など、それなりの役割をになえるのではないだろうか、という自負 もちょっぴりあります。 あやしいさん、これで私たちが帰化をしない理由が少しはおわかりに なったでしょうか?   こんな理由から私は帰化しないことに決めています。                         半月城


【在日】RE^4: 在日って? 、定住韓国人のメリット #17725007 96/03/23 せきさん、初めまして。私は「AML」には、その前身の「反戦50M L」の時から出ています。そちらの方でもまたお目にかかりましょう。 せきさんの質問、 >「定住年数が10年とか一定年数を超えた人には無条件に日本国籍 > をとる資格ができます。」となった場合には日本国籍をとりますか? という問いかけですが、私は帰化が無条件に与えられたとしても帰化はしない つもりです。その理由は「 RE:在日って?(続き)」に書いたとおりです。 その時の書き込みでは、在日韓国・朝鮮人のデメリットな側面をだいぶ強 調したため全体のバランスが少し悪くなってしまいました。それを補うために あるエピソード、韓国で出会った日本人OLとのつかの間のやりとりなどを記 します。 それは冬の寒い朝でした。JTBの超格安ツアーで一緒になったOLた ちと道すがらこんな会話をしました。  私「君たち、これからどこへ行くの?」 OL「ロッテワールドへ行くところです」  私「だったら地下鉄で・・・」 と、道順などをていねいに説明しました。 OL「どちらへ行かれるんですか?」 私「妹の家に行くところなの」 OL「まあー、うらやましい!」    そのOLの声に私はちょっと驚きました。妹のところに行くのがそんな に羨ましいことなのかな? 私はけげんな思いでした。お嬢さんが心からそう 思っているのだから、確かに自分はそうした羨ましがられる立場にあるに違い ない、と教えられた思いでした。    考えて見れば、なに不自由なく韓国や日本を往来できるのは、在日韓国 人である自分の特権に違いないのです。これは単に空間を往来できるという事 実に止まらず、頭の中や心情面でも両国を自由に往来できます。    こうした環境を与えられた自分には、韓国的見方と日本的見方のマルチ スコープで物事をとらえることができる特権を与えられているものと自負して います。 一方、負の遺産と考えられがちな在日への差別にしても、その体験者な らではの世界を持つことができます。たとえば、差別する人たちの心の狭さを 哀れむこともできれば、差別問題に限らず全て物事をグローバルな視点でとら える性向を持つこともできます。そこからは自然にマルチリンガル志向になり ます。    世の中、マイナスの要素も考えようによってはプラスにもなるものです。 かって日立就職差別事件の朴鐘碩君はこんなふうに語っていました。    「この事件がなかったら、私はいまでも愛知県のかたすみで悶々として、 それこそ甲斐のない生き方をしているだろうと思うと、ある意味では、このよ うに私を成長させる契機をつくってくれた日立に、すこしばかり感謝したい気 もします」(ニフティ、FACTIVE MES(5) #26「日立就職差別事件」より) これに一脈通じる考え方で、私は「定住韓国人」の立場にほぼ満足して います。従って帰化はたぶん生涯しないと思います。帰化するどころか私はい つも韓国の看板を暗に背負って暮らしているつもりです。といっても気負って るわけではありません。むしろ肩ひじ張ったやり方は嫌いです。「定住韓国人 としてさわやかに生きたい」これが私のモットーです。 半月城


#18657895 96/04/24 08:13:53 文書名:[zainichi:72] 国籍条項    各地方自治体の来年度職員採用の募集要項が今月中にだいたい発表され ます。高知県や川崎市、東京都の方針をめぐって21日、NHKがTV番組 「特報・首都圏’96公務員・国籍は当然か、在日外国人」で詳しく紹介して いました。その番組の中でもふれられていたように、民間の就職差別を無くす ためには地方公務員の国籍条項の撤廃が一里塚になります。    こうした点から、国籍条項が「高知県並み」になるまで各地の動向を注 視していきたいと思います。そこで皆さんにお願いがあるのですが、各地の現 状をどうかこの欄に紹介して下さい。私は千葉市の現状を読売新聞の京葉版( 1996.4.23)から転載します。      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 千葉市「国籍条項」を変えず     職員採用の受験者条件 職員採用の受験者に対して日本国籍を条件としている「国籍条項」につ いて、千葉市は22日、来年度の職員採用もこれまで通り、一部職種を除いて 日本国籍に限定する方針を示した。この日の記者会見で鶴岡啓一助役が明らか にした。    国籍条項については、高知県が今夏の採用試験から撤廃し、永住外国人 に受験資格を与えることを表明して以来、その存否をめぐって波紋が起きてい る。    同市はこれまで医療関係や運転手、電話交換手、ホームヘルパーなど、 現業職を中心とした計48職種について、国籍条項を撤廃。1972年に台湾 籍の人を採用して以来、6人を採用。このうち3人はすでに退職、2人は帰化 したが、今春新たに採用した一人は外国籍のまま在職している。国籍条項自体 も、もともと条項自体がなかった衛生検査技師などのほか、87年ころから撤 廃する職種を増やしてきているという。    鶴岡助役は同条項の扱いについて、「国の指導に従っていきたい。今ま での範囲を継続し、職種を広げることは考えていない」と述べ、事務系を中心 に国籍条項が現在ある職種を外国籍に開放する考えのないことを明らかにした。    しかし、48職種については、外国籍でも受験できると、新たに募集要 項に明記することを検討しているとも述べた。        ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 半月城


#19119989 96/05/11 09:10:07 文書名:[zainichi:143] RE:142> ねね@超高層さん 【在日】RE:142> ねね@超高層さんへ 、ニュース速報    お気遣いありがとうございます。ニュース速報は手入力ではありません。 これは、ニフティのクリッピングサービスから情報を得てそれを一部削除して 流しています。ですから労力はあまりかかりません。    これを始めてから私自身ずいぶん省力化に役立っています。それまでの 新聞のわずらわしい切り抜き作業をやめることができました。もっとも省力化 に多少の費用はつきものですが。    ところでこの際皆さんのご意見を伺いたいのですが、削除の程度は適当 でしょうか? いつもはあまりかさばらないようにスポーツ関係は落としてい ます。しかし、ワールドカップなどは載せようか落とそうか迷う時があります。 今回は載せました。その他アドバイスがありましたら気軽に聞かせて下さい。 半月城


半月城の連絡先は half-moon@muj.biglobe.ne.jp です。