半月城通信
No. 2

[ 半月城通信・総目次 ]


  1. 光州ビエンナーレ
  2. アンチビエンナーレ
  3. 「英霊」か「犬死に」か
  4. 定住外国人の地方自治権(1) 歴史認識
  5. 定住外国人の地方自治権(2) 政治とは?
  6. 定住外国人の地方自治権(3) 定住外国人の範囲
  7. 定住外国人の地方自治権(4) 憲法と国際条約
  8. 定住外国人の地方自治権(5) 帰化と差別(1)
  9. 定住外国人の地方自治権(6) 帰化と差別(2)



01063/01074 PFG00017  半月城           RE:光州ビエンナーレ見聞録・3
(12)   95/10/22 22:30  01060へのコメント  コメント数:1

ごとりえさん、始めまして。
   ごとりえさんは美術の教師でしかも光州ビエンナーレに行かれるという
ことなので、ここで光州市立美術館の「第4展示室」について紹介します。
      ここは展示品の寄贈者にちなんで「河正雄寄贈作品展示室」と名付けら
れています。光州名誉市民の河氏は一方ではビエンナーレで秋田県のわらび座
公演に尽力した在日韓国人です。

   同氏が長年かけて収集した寄贈美術品は在日韓国人の作品が主で、お金
に換算して14億円相当と言われています。それらの作品は次のとおりです。
(河正雄著、「恨(はん)ー’95」、民衆社刊より引用)

  全和凰  92点。 東洋的宇宙観を漂わせた「祈りの芸術」。
 郭仁植 38点。  「物質性の表現」を重視した「もの派」。
 宋英玉  17点。 在日韓国人の時代的な痛みと苦悶を絶叫にこめている。
 李ウ煥 12点。 個人と自然との多面性など哲学的表現を重視した「もの     
     派」。NHK「日曜美術館」にも登場したことがある。
 郭徳俊 42点。 絵画、彫刻、版画、ビデオ、ドローイングなど多様。
 文承根 11点。 平面作品、立体作品、オブジェ、版画を問わず作品化。

      光州というと私にはどうも「反骨の街」といったイメージが強く、文化
の街・芸術の街という実感がどうしても湧きません。一度見聞に訪れたいと思
っています。
                                                  半月城


01284/01558 PFG00017 半月城 RE:光州ビエンナーレ見聞録・4 (12) 95/11/12 22:43 01230へのコメント    ごとえりさん、お帰りなさい。たいへん忙しかったようですね。 光州ビエンナーレについて朝日新聞(1995.10.26)で美術評論家の針生一郎氏が 「韓国美術の健全な根確認」と題して解説を書いていました。副題に「寛容な 体制と抗議運動」とありましたが、この記事を読んで、当局の寛容さには隔世 の感があります。    たとえば、ビエンナーレで「光州ー5月18日の追憶」部門を設けてい ますが、あの1980年の光州虐殺事件自体を韓国政府がテーマに選ぶなんて 廬泰愚政権時代にはとうていあり得ないことでした。 その部門では日本の富山妙子さんや、ヨーロッパ滞在中に「スパイ」と して拉致された李応魯氏らの光州事件に抗議した作品がとりあげられたそうで す。富山妙子さんといえば、ソウルで従軍慰安婦などを扱った作品の個展をひ らいた画家です。もっと古くは画筆の力で「徐勝氏釈放」をアムネスティなど で広く世界に訴えた人です。徐勝氏とはご存じかも知れませんが、韓国留学中 にスパイ事件で捕まり獄中で耳が溶けるくらいの大やけどをした在日韓国人で す。 一方、このビエンナーレには世界50カ国から芸術家93人が招待され ました。その中で韓国人は9人ですが、そのうち5人までが従来は反体制と目 された民族民衆芸術運動の出身というから驚きです。    ところで、針生氏がもっと興味深かったのは「アンチビエンナーレ展」 だったとしています。これは、光州事件の犠牲者が葬られた郊外の万目洞の共 同墓地で300人の美術家が出展したり、ロックや民族舞踊を繰り広げている ものです。針生氏はこうした抗議運動に「韓国美術の健全な根を確認」したと しています。    芸術に批判精神はいうまでもなく重要です。新しい芸術は過去の美意識 を否定するところから創造されるのではないかと思います。こうしてみると、 「反骨の街」光州でビエンナーレがひらかれたのは最良だったと思います。 半月城


PCVAN JHEIWA:#3335/3351 喫茶「ピース・センター」 ★タイトル (SPM07550) 95/ 8/15 20:18 ( 68) 「英霊」か「犬死に」か 半月城 ★内容    50年目の慰霊の日がめぐってきました。先の大戦で皇軍兵士として亡 くなられた方を時々「犬死に」と極言する方をよくみかけますが、これについ て一言書きたいと思います。 まず第一に、「お国のため」という純粋な気持ちで戦って死んでいった 人に対し「犬死に」とはあまりにもむごい言葉です。この言葉は戦死者の家族 の心をますますかたくなにするだけではないでしょうか。これでは多くの純粋 な遺族の気持ちをいたずらに逆なでするだけでそこから得るものは何もありま せん。    自分の夫や息子の死に少しでも何らかの意味を持たせたい家族は、その 死を「犬死に」と発言する人に耳を傾ける代わりに、「英霊」として迎えてく れる「靖国」に足を向けるのは自然の成り行きです。結果的にこうした人たち が「日本遺族会」や橋本竜太郎氏を支え、間接的に国会決議をあいまいにし、 戦後補償を困難にしている現実を直視しなくてはなりません。 第二に私は「犬死に」の用語を別な意味に使いたいと思います。この言 葉にぴったりなのが中国・朝鮮から強制連行され、奴隷のようにこき使われて 果てていった人達ではないでしょうか。    けさ(15日)のNHKTVで佐賀県日田川村でそうした人の遺骨の発 掘の模様をを紹介していました。結局、遺骨は見つからずじまいでしたが、こ の人はまだ幸せなほうです。異国の地で闇に眠ったまま誰からも顧みられない 多くの人たちこそ「本当の犬死に」です。 死んだ虎は皮を残すと言いますが、こうした人たちは骨さえも残しませ んでした。それにひきかえて、「純粋」な日本人「戦争犠牲者」300万人に は40兆円もの補償金が支払われています。単純計算で一人当たり1300万 円です。さすが日本遺族会の力は大きいものです。 一方、同じ「日本人」戦争犠牲者でも「純粋」でない人、すなわち朝鮮 ・中国出身者に対しては日本政府はお金を出し渋ります。そのやり口は実に巧 妙です。こうした「元皇軍兵士」を戦後本人の意思を無視し、強制的に外国人 にしてしまい、その上で外国人という理由で補償金の支払いを拒否しています。 何と、「ずる賢い」やり方でしょうか。    第三に、日本人戦没者は、何もしないで死んで行ったわけではありませ ん。日本帝国の先兵として、アジアの人を中心に2000万人もの人を殺しま した。この2000万人という数字は「検定教科書」をパスした「文部省公認」 の数字です。この数は悪名高いナチスドイツが殺害した600万人に比べてそ の3倍以上にもなり、いかに日本がアジアにその残虐な爪痕を残したかをうか がうに十分です。    さらに、こうした侵略行為のみならず、日常的には自分の性的欲望を満 たすためにアジア各地からの無垢な乙女を慰安婦として抱いたのもこうした皇 軍兵士です。慰安婦の問題を国家の責任のみに限定したのでは韓国、タイなど への買春ツアーなど戦後の問題の認識はあいまいになります。ここでは「天皇 や国家体制」の問題とは別に、一人の人間としての道義的責任を問うべきです。    以上の理由から私は戦没者を安易に「犬死に」とせずにその意味を十分 考えるべきであると思います。この死者の慰霊の問題について私は興味ある新 聞記事を見つけました。早稲田大学の鹿野政直教授が朝日新聞(1995.1.22)に 「過去の検証は戦前、戦中に及ぶべきだ 戦争責任の球は国民一人ひとりに投 げ返された」と題して意見を述べられています。ここではその中からほんの一 部を資料として引用し、遺族会と靖国を考える一助としたいと思います。      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    この(戦死者、ことに兵士たちは侵略者かという)問題は、死者たちの 慰霊をめぐって極点に達する。どんな形の死であれ、いやその死が寿命をまっ とうしての死から遠ければ遠いほど、それを悼む気持ちはつよい。こうして遺 族の気持ちは、死者を「英霊」とする靖国へと引き込まれる。 けれども、靖国の枠組みは、それを利用して、死者を国家へ奪い取るも のではないのか。しかもその奪い取り方は、まず従軍者として生活者の次元か ら奪い、つぎに死者とすることによって命を奪い、さらに死者となった後も、 自衛官合祀拒否訴訟の最高裁判決にみられるように、例外なく神社管理のもと におくことによって、純粋に個人として悼むということを許さないという、三 重のものとなっている。そして死者は、国家神道をいまも実質的に体現するこ の神社からの離脱を拒まれることによって、戦争の加担者の地位に現役として 留めおかれている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 半月城


 ワールドフォーラム・センター館(FWORLDC)へようこそ! 12【世界情勢・国際問題】World Watching! 01016/01016 PFG00017 半月城 定住外国人の地方自治権 (12) 95/08/09 00:54     最近、FWORLDTのアンニョンクラブに入った半月城です。ここ には初めて書き込みをします。ここのライブラリーに JAE03350 くれたぴさ んが「在日外国人の諸問題(参政権ほか)」をUPされているのを見つけ興味 深く拝見しました。 それに関連して、「敗戦50年問題連絡会」のニュース(1995.6.10) に「地方参政権」についての発言がありましたので、資料としてこの問題に重 点を置いてちょっと遠慮がちに紹介します。     私は「地方参政権」という用語は日本の場合必ずしもふさわしくない ので「地方自治選挙権」とすべきではないかと思います。なお、私は定住外国 人の立場から、地方自治選挙権をぜひ獲得したいと思っています。         ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 戦後五〇年、今何が問題なのか――それは日本人の 無知で恥知らずな歴史認識だ! 中山優(韓国在住)  全く極楽トンボもいいとこだ。植民地支配や侵略戦争への反省どころか、「不戦決 議」一つあげられない恥知らずな国会。「昔は帝国主義の時代だから、植民地支配も 仕方がなかった、止むを得なかった」といいながら、「謝罪だ、痛惜の念だ」といい くるめて、その場しのぎに終始してきた日本政府。「天皇のお言葉だ、首相の謝罪 だ」といってはみても、本音では真剣に考えようとしない大多数の日本人。本当に謝 罪の気持ちがあるならば、憲法上で「国権の最高機関たる国会」が日本の近代化=近 代天皇制の歴史を直視し、韓国・北朝鮮・中国をはじめとするアジア諸国に対して何 を謝罪し、何を反省するか、を明確にすべきではないか。来るべき二一世紀、日本は 他のどの国よりも韓国・朝鮮、そして中国・台湾と仲良くやっていかざるをえない運 命、というより地政学上の位置にある。つまり、歴史的にも、文化的にも深く結びつ た東北アジアの隣国同士ではないか。  当然のことだが、それはお互い様である。だが、歴史的経緯からいって、まずなす べきは日本人の歴史認識の転換である。歴史的事実を事実どおりに認めるところから 始めざるをえないのだ。ミソも糞も一緒にするのではなく、まず日本人が自分にこび りついている糞を洗い流すことから始めようではないか。  それというのも、最近日本で出版された『醜い韓国人《歴史検証編》』なる本を、 ここで問題にしたいからだ。同書は、「糞にまみれた犬が、ヌカをつけた犬を叱る」 という韓国の諺を引用し、「わが身について、まったく自分は反省せずに、相手の欠 点ばかりを嘲るという意味です。まさに、今日の韓国人の日本に対する態度が、そう です」(八八頁)といっている。だが、歴史的に検証してみれば自明のごとく、それ は対談者の一人であり、編著者でもある加瀬英明氏にこそ当てはまる。さらに、「岸 信介元首相と生前、親しくさせてもらい」(一九六頁)、全斗煥政権下で政務担当主 (首?)席秘書官を勤めた許文道氏が「色紙を取りだして、『兄弟の契り』を結ぼう と提案したのに対し、深い感動を味わいながら署名した」加瀬氏の言行が与える悪影 響が問題である。率直に言って、同書および前作『醜い韓国人』は韓国の反日言論を 刺激し、韓国に暮らす日本人である私たちを危険な状態、不愉快な状況に陥れた。一 方、彼らは金儲けできたはずだ。戦後五〇年を経た今も、このように差別意識丸出し で嫌韓感情を煽り、日本人と韓国人を対立させて金儲けする人が多勢いる現実を、私 たちは深い憂慮をもって直視する必要がある。  そういう人は日本だけでなく韓国にも多勢いるが、彼らが望む日韓友好の本質は、 五〇年前の侵略戦争を賛美し、新たな軍国主義の復活をはかることだ。また彼らこ そ、岸元首相のように、あの侵略戦争を積極的に遂行した人々であり、軍事政権下で の政経癒着による特恵を永遠に夢見る人々だ。米ソの冷戦時代が終わった今日、彼ら 日韓の戦争賛美勢力の連合こそ、東北アジアの平和・友好にとって最も危険な要素で あり、同時に彼らなりの危機感がこうした連合を生んだとみていい。  これに対し、戦後五〇年間日本の革新勢力を代表してきた社共両党の惨状はおおい がたく、大した期待もできない。だが、私たちが論点を明確にすることで、自民党内 の護憲勢力を含めた反戦争賛美勢力の連合を作り出すことは可能であり、必要だと考 える。  その論点の第一は、すでに問題化している「不戦決議」である。これは、社会党が 主張しているように、侵略戦争への反省なしには無意味であり、本来ならば、植民地 支配への謝罪も含めて然るべきである。論点の第二は、私たちの主張であり、運動と して形成してきたように、従軍慰安婦・強制連行者を中心とする被害者個人への戦後 賠償を国家レベルでなすべきである。今日、これらはある程度まで争点化されている が、残念ながら膠着状態にあるといわざるをえない。  そこで、ここでは第二の論点を提案する。そして、この課題を中心にして我々にと っての戦後五〇周年――それも終戦・敗戦五〇周年ではなく、日本解放(その不十分 さは韓国・朝鮮のそれと相似している)五〇周年の立場から、論争の焦点化を急ぐよ うに訴えたい。  その第三の論点とは何か。在日外国人、とりわけ戦争中の強制連行などで渡日後、 日本の敗戦により一方的に外国人にされた在日韓国・朝鮮人と、その子孫に対する地 方参政権の付与である。理由は単純明快である。  まず第一に、日本国およびその居住地である地方自治体に、この五〇年間税金を納 め続けてきたという事実だけで十分である。あえてあげれば第二に、彼らは日本の近 代天皇制が生み出し、そして放り出した”赤子”とその子孫である。あの植民地支 配、あの侵略戦争がなかったならば、決して生み出されることのなかった存在であ る。  さらに第三に、彼らはすでに地域社会で一定の信頼を得ており、地方参政権の獲得 によって地域の社会活動でさらなる貢献が期待されるからである。また、地方参政権 が認められれば、国体や高野連の参加問題にも好影響を与えるだろうし、日本の国際 化がいかなる面で必要かを、国民全体に具体的に教えていくプロセスともなるだろ う。もちろん、その延長線上で私のような在韓日本人にも選挙権が与えられればあり がたいと思う。  この地にも、在日韓国・朝鮮人の地方参政権は、その獲得過程と結果の両面におい て、少しずつではあれ様々な波及効果をもたらすに違いない。そして、この問題を論 点化することに成功したならば、戦後五〇周年としての今年は、日本人自身が真の民 主化・国際化に向けて行動を開始した重要な年として刻印されるであろう。  そんな思いをこめて、重ねて提案する。この「敗戦50年問題連絡会」が今すぐ論点 化すべき課題、行動に移すべき課題は、”在日韓国・朝鮮人の地方参政権問題”であ る。それを日本の民主化・国際化の重要課題と自覚し、近代天皇制と侵略戦争・植民 地支配を批判する日本人の立場から主張すべきである。すなわち、私たちの歴史認識 を大胆かつ明確に日本人全体、および在日を含む韓国人にもアピールすべきなのだ。 村山政権の存在意義があるとすれば、こうした活動を妨害しにくいという点にあるだ ろう。参議院議員選挙、八・一五さらに衆議院議員選挙と続く現時点こそ、絶好の機 会といえる。皆さんの賛同を期待したい。        ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 半月城


01017/01017 PFG00017 半月城 RE:定住外国人の地方自治権 (12) 95/08/11 23:42 01016へのコメント 政治とは?     前回の書き込み#01016で、<「地方参政権」という用語は日本 の場合必ずしもふさわしくないので「地方自治選挙権」とすべきではないかと 思います>と書きましたが、その理由を補足説明したと思います。    地方参政権はその字義からすると、言うまでもなく「地方の政治に参 加する権利」ということになります。ところが、日本では地方政治は存在しな いに等しいのではないかと思います。市道や下水道を整備したり公立小学校を 運営したりなどといった地方自治は「政治」とはほど遠いものです。     ちなみに政治という言葉を広辞苑で引いてみました。 せい‐じ【政治】‥ヂ (1)まつりごと。 (2)(politics; government) 人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、 人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかか わる現象。主として国家の統治作用を指すが、それ以外の社会集団および集団 間にもこの概念は適用できる。    これから分かるように「政治」とは「主として国家の統治作用を指す」 とあります。日本の場合は、「統治」は国政レベルのみで、地方には「自治」 のみが「自治省」の管轄下に許されているのみです。     これが、アメリカのように各州に州独自の法律を制定する権限まで与 えている国では確かに地方自治は存在すると思います。    だいぶしつこく「参政権」という言葉にこだわりましたが、これには 理由があります。国際人権規約との関連があるからです。国際人権規約B25 条は、全ての市民は直接、間接に政治に関与する権利および機会を有するとし ています。 この場合の「市民」の中にはふつう外国人を含みません。したがって、 内外人平等を規定した国際人権規約も「参政権」だけは別で、外国人の参政権 まではふれていません。そのため、私にとっては地方自治選挙が「政治」なの か、それとも「政治」と言うよりは単なる「自治」なのかは割と重要な問題で す。 このような理由から私は「地方参政権」という用語を使わずに「地方自 治選挙権」という用語を用いています。そして、この地方自治選挙権だけは定 住外国人としてぜひ獲得したいとおもっています。                          半月城


01019/01019 PFG00017 半月城 RE:RE^2:定住外国人の地方自治権 (12) 95/08/14 22:37 01018へのコメント 定住外国人の範囲    くれたぴさんから質問のあった、地方自治選挙権を与える「定住外国人」 の範囲について私の考えを述べたいと思います。その前に「定住外国人」とい う言葉をはっきりさせたいと思います。    定住外国人の定義として私は法的にいう「活動に制限のない在留資格を 持った人」と考えています。こうした人たちは次のように区分けされています。 (1)特別永住者 58万人 (2)永住者 5万人 (3)日本人の配偶者等    22万人 (4)定住者 13万人 (5)永住者の配偶者等    7千人   (1)の特別永住者とは私のような旧植民地出身の「元日本人」および その子孫を指します。また(4)の定住者とは難民条約に該当する難民、定住 インドシナ難民、日系二世、三世等の定住者を指します。この表をみると日本 人の配偶者が多いのが目につきます。「非婚時代」の嫁不足の表れでしょうか。    さて、地方自治選挙権を与える範囲ですが、私は二つの案を考えていま す。   第1案  上記(1)、(2)の永住者のみ、もちろん成人。   第2案 上記(1)ー(5)の長期(たとえば3年以上)定住者。    最初は、選挙権獲得の突破口を開くために第1案の、定着度の高い永住 者で出発し、徐々に第2案に移行していく方が良いと思っています。    最終的にどの範囲にまで選挙権を与えるかは、将来日本がどの程度国際 化するかによります。しかし、現在の状況では専門職就労者などにまで選挙権 を拡大するのは当分無理であると思います。    日本の国際化、これは定住外国人の権利を考える時のキーワードです。 同時に70万人にものぼる在外日本人の権利を考える時のキーワードでもあり ます。資源小国の日本が輸出入を中心に繁栄を長く享受するには国際的な視点 が何よりも重要であると思います。   ところでくれたぴさん、ちょっと変わったハンドル名ですね。つかぬ事 を伺いますがこのハンドル名にはどんな意味があるのですか? 差し支えなか ったら聞かせて下さい。 半月城


01021/01021 PFG00017 半月城 RE:RE^4:定住外国人の地方自治権 (12) 95/08/17 21:14 01020へのコメント 憲法と国際条約    まず、くれたぴさんの疑問から答えます。日本人の配偶者等とあるのを 具体的に配偶者以外にどんな人がいるのか表にすると次のようになります。 配偶者 実子 特別養子 内縁の人 両親   日本人の配偶者等 O O O  X X   永住者の配偶者等 O O X   X X ここでは内縁関係の人は特に厳重に排除されます。このため在留資格を めぐって親子や夫婦が生き別れになる悲劇がしばしば生まれますが、この話は ちょっと主題からはずれますのでここではふれないことにします。    さて、地方自治選挙権は外国人の権利という観点からまず考える必要が あると思います。この外国人の権利は日本の国際化と深く関係してきたと前回 述べましたが、この点はかなり重要ですのでこれについて詳しく書きたいと思 います。    過去、日本は憲法を頂点とした「一国人権主義」を採用してきました。 その憲法では「国民」の権利をかなりくわしく明記していますが、その「国民 の権利」が外国人にも適用されるのかどうかということになると、これが必ず しもはっきりしません。    具体的にいうと、憲法で「すべて国民は」とある条文ですが、これが外 国人にも適用されるかどうかは学者の研究課題になっているくらい議論の多い 問題です。それらを次に掲げます。  第11条、基本的人権  第13条、個人の尊重、生命・自由・幸福追求権  第14条、法の下の平等、差別の禁止  第15条、公務員の選定、選挙権  第25条、生存権、社会保障を受ける権利  第26条、教育の権利  第27条、勤労の権利 これが法律の運用段階になると日本は外国人をほとんど排除してきまし た。その一番わかりやすいのが社会保障関係です。1975年頃に外国人を排 除していた社会保障関係の法律の主なものを拾ってみますと下記の通りです。 ただし、なかには地方によっては人道上の配慮から弾力的に運用され外国人に も一部適用しているものもありました。  1.国民健康保険法 2.国民年金法  3.生活保護法  4.戦傷病者・戦没者遺族等援護法など13法  5.児童手当法、児童扶養手当法、特別児童扶養手当法 6.住宅金融公庫法、公営住宅法、住宅都市整備公団法、地方住宅供給公社法 (田中宏著、「在日外国人」 岩波新書より)    このように権利は制限していても、他方では「国民の義務」だけは抜か りなく課しています。その典型的な例は憲法30条の「国民」の納税義務です。 こうした対応を一言でいうと、「義務」は国民並に、「権利」は国民並を保留 する、といった「内外人差別」政策でした。しかしこうした差別政策にもやが て大きな転機が訪れます。それが「国際人権規約」の調印です。    この規約は国連で1966年に採択されましたが、日本はなかなか加入 しようとはしませんでした。その理由は「一国人権主義」が壁になっていたか らです。その日本政府の対応をイギリスの代表的新聞、ガーディアンが次のよ うに批判しています。   「日本人は『純粋な』もしくは無意識の人種差別主義者であり、彼らが この国にも人種問題が存在すること、ないしは他民族に対する彼らの態度に何 かが欠けていることを認めない限り事態の改善は望めない」(1979.8.13 読売)   これは実に的を射た意見です。このことは私も日常よく経験します。た とえば次のような善意の質問や忠告をよく受けます。  「外国人として制約や差別が多いのになぜ日本人に帰化しないのですか?」  「選挙権を主張するくらいなら日本人に帰化すればいいのに」    こうした多くの「無意識の人種差別主義者」や或いは「純粋な差別主義 者」に支えられて外国人の権利を制限してきた日本政府も「国際化の波」のな かで内外の世論に押されしぶしぶ国際人権規約に1979年加入しました。    しかし、このときは関係法令は改正しませんでした。わずかに公共住宅 関係法の「運用」において国籍条項を撤廃したのみでした。    関係法規の改正は1982年の「難民条約」加入時に出入国管理法を中 心にやっと行われました。この難民条約は、社会保障について外国人の内国民 待遇に厳格なのでそれに反する法律の改正が必要だったのです。これにより極 端な外国人の人権侵害は和らぎました。たとえば日本滞在中に大病にかかり医 療保護を受けた留学生が強制送還されるような事態はなくなりました。 それでも、入管(出入国管理事務所)では中国人に対する暴行事件が起 こったりするなど、法に厳格なはずの法務省自身がたまに人権侵害行為を行っ ています(1994.11.5 朝日新聞、「入管職員から暴行」)。国際化の意識改革 が一番遅れているのは「法務省」かも知れません。    ところで、この難民条約は国際人権規約より早く1951年に国連で採 択されています。この条約の調印まで日本は実に31年もかかりました。この 裏には厚生省の猛反対がありました。当時、新聞はそんな厚生省を評して「難 攻不落の203高地」と皮肉ったほどでした。その厚生省もG7「サミット会 議」の圧力には勝てずかぶとを脱ぎました。    なお、現在に至っても外国人排除の姿勢を貫いている社会保障関係の法 律があります。上記(4)のいわゆる「遺族援護法」です。これをめぐっては 現在「元皇軍兵士」たちが救済を求めて裁判所に提訴中でその成り行きが注目 されます。 さて、この難民条約を機に日本はこれまでの憲法中心の「一国人権主義」 から、国際的なレベルの人権主義へと否応なく視野を広げていくようになりま した。こうした潮流のなかでご存じのことと思いますが最高裁は去る2月、外 国人の地方自治選挙権を容認する判断を下しました。 その判決では外国人の範囲を「永住者など、その居住区域の地方公共団 体と特段に密接な関係を持つに至ったと認められる者」としていました。この 範囲について永住者はまず問題ないとして、どこまでその範囲を広げるのかは 難しい問題です。    くれたぴさんの考えのように、日本人の配偶者等は確かに定着度が高い のも事実です。しかし、日本は法的に血統主義の国です。血統的に日本人であ るいわゆる中国残留孤児や日本人の血の濃い日系2世や3世などの定住者を行 政は優先させたがるのではないでしょうか。もっとも、中国残留孤児はいずれ 日本国籍を取得するでしょうから選挙権は問題ではないかも知れません。    こうしたさまざまな理由から、私の先の第一案と第二案との間に線を引 くのは困難であると思います。         半月城


01024/01024 PFG00017 半月城 RE:RE^6:定住外国人の地方自治権 (12) 95/08/22 23:37 01023へのコメント 帰化と差別(1)    あやしいさん、はじめまして。    あやしいさんの率直な疑問(#1023)、「なぜ、いろいろな不利益 にもかかわらずあえて帰化を選択しないのか」という問いに答えたいと思いま す。    その前に、帰化の様子や帰化をめぐって多かれ少なかれ起きる家庭内の ざわめきについて知るために、金 賛汀氏の著書「在日という感動」(三五館 発行)を紹介したいと思います。     この本は定住朝鮮人である著者がその中で娘さんの帰化申請で体験した ことについて多少書いています。内容を簡単にかいつまんで記します。 1.娘さんは親の反対を押し切って1993年に帰化申請をした。  2.娘さんは成人した、俗に言う社会人であるにも拘わらず同居している親    の同意書の提出を求められ、一旦は書類を受理されなかった。    以前は帰化は必ず家族全員が申請する必要があった。  3.申請して半年後、刑事が娘さんの身辺調査のため近所を聞いて回った。    評判は悪くなかった  4.次に親の意見を求められたので反対であると答えた。  5.許可まで早くて2年くらいかかると係官から言われた。  6.本国の戸籍謄本及びその翻訳文の提出など手続きが難しい。そこで司    法書士に頼むと数十万円かかる。家族単位では100万円かかる。 7.帰化を許可された場合、以前は必ず日本名に改名する必要があったが最    近ではそれが緩和された。 8.交通事故で人身事故を起こすと1年間は申請を認められない。 著者が娘さんの帰化に反対するのは、小錦が帰化を申請するのとはちょ っと事情が違うからです。私たちの帰化を、税理士や弁理士の資格を取得する のと同列に考えるわけにはいきません。    弁護士などの資格の取得は誰もが祝福するでしょうが、帰化の場合はそ うはいきません。この本の例のように、たいてい周囲から反対の声が一つや二 つはあるものです。周囲の人すべてが祝福されるケースはまずないと思います。    そのため帰化の申請は韓国・朝鮮人の場合たいてい多少の後ろめたさを 伴ってなされるわけです。それを裏返せば、帰化の動機が日本のあまり誇れな い陰の世界を反映していると言えます。    それを明らかにするために、帰化の動機を見てみます。これを実際に調 査した報告書がありますので紹介します。高麗大学アジア問題研究所編「在日 韓国人の現状と未来」(白帝社、1994)です。この本から帰化の動機のデ ーターの一部を引用します。  1。就職やアパート入居時になされる陰険な差別から逃れたい、日本人の偏   見や蔑視から逃げたいなど社会的理由(22%)。  2。商売上相手からの信用を得にくい、銀行ローンが借りにくいなど事業上   の理由(31%)。  3。子どもにはこのような境遇や、親の世代のようなつらい思いをさせた    くないなど子孫のため(44%)。 4。その他政治的理由(4%)    一般に差別やいじめは、差別している側は差別をあまり「自覚」してい ない場合が多いのですが、それに反し差別される側の方は実に深刻です。    この「差別」にからんだ子どものいじめへの対抗策を次のように語って いる人がいます。朝鮮奨学会(中立系)で長年にわたって高校生や大学生を指 導してきた職員(現理事)です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    私は(差別に由来するいじめの)自衛策として息子に喧嘩の仕方を教え ました。私の腹をなぐらせながら、 「もっと力を入れて!」 「足をふんばれ!」    殴り方から受け身の方法まで、それこそ親子で連日殴り合いの稽古です。 本来非暴力主義者だった私が息子に喧嘩の仕方を教えることになるなんて、息 子が小学生になるまで夢にも思いませんでした。    (梁東準著、「夢・いつも旬」、新幹社刊 1995) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    私の場合は喧嘩の仕方を知らなかったので、代わりに子どもには「剣道」 の稽古に通わせました。こうまで私たちが真剣に考えざるを得ないほど差別は 私たちにとっては深刻な問題でした。    他の例として就職をあげます。バブル全盛の人手不足の時はかなり緩和 されましたが、私が大学をでる2、30年前は深刻そのものでした。 当時は、私たちが卒業後サラリーマンになるなんて不可能な時代でした。 考えられる職業といえば、焼肉屋、パチンコ屋、学習塾の講師、民族機関の職 員・・・などでした。そのため、卒業間近になると皆大きな壁にぶちあたりま した。そして、一人、二人と友人たちはいつのまにか皆の前からこっそり姿を 消して行きました。このように、排他的な日本社会から締め出され行き場を失 った若者の姿は実に哀れです。特に彼らが優秀であればあるほどは傍目にはよ けい悲惨に映ります。 このような実例から、日本社会の差別の実態が少しはおわかりになった でしょうか? こうした差別構造に対し、これをどう捉えどう対応して行くの かについては次の機会に書きたいと思います。 半月城


- FWORLDC MES(12):【世界情勢・国際問題】World Watching! 01025/01025 PFG00017 半月城     定住外国人の地方自治権(6) (12) 95/08/28 23:19 01024へのコメント  帰化と差別(2)     前回は、日本の陰のあまり知られていない差別や偏見の実態について 簡単に書き、これが当事者をいかに苦しめているかについてふれました。こう した日本の差別の実体が当人にとって耐えがたければ逆に「帰化は魅力的」な ものになりますのでその数は増えます。このことを反映するかのように、帰化 者は年々増え今までに定住韓国・朝鮮人の内17ー8万人が帰化しました。     こうした帰化には前回述べたように多少の後ろめたさがつきものです。 今回はこのあたりの事情について少しふれたいと思います。     帰化に対しての考え方は世代によりかなり異なります。特に在日1世 には相当な抵抗感があります。その背景にはもちろん日本と韓国との間の不幸 な歴史が影をさしています。この1世の世代は言うまでもなく日本の植民地支 配時代にありとあらゆる苦難を背負って来た人たちです。     そもそもこの人達の来日自体が強制連行されたケースが少なくないの です。しかも異境の地、日本では炭坑、鉄道、ダム建設などの苛酷な3K職場 で低賃金で働かされ筆舌に尽くしがたい艱難辛苦を背負ってきた世代です。ま た、はなはだしくは宋神道さんのように慰安婦にさせられ日本軍人の性欲のは け口のために性の奴隷にされ、青春や家庭を奪われたのもこの世代です。 この1世たちの大半は日本という国家により自分の生涯を踏みにじら れた人たちで、骨の髄まで日本に対する恨みや憎しみがしみ込んでいる世代で す。それに加えて、日常の習慣や物の考え方など日本にはなじまないことも多 く、言葉すら日本語を十分話せない人がけっこういるものです。そのかたわら 故郷には肉親や親戚がいる場合が多く、祖国指向がその人のバックボーンにな っていると言っても過言ではないと思います。従って、この世代はたとえ帰化 にどんなメリットがあろうとも自分から進んで帰化することはまず考えられま せん。 次に2世はどうでしょうか? 2世の場合、その受けた教育により考 え方に大きな開きがでてきます。特に、自分は「朝鮮人である」という自覚を 持っている人は、だいたい朝鮮学校で本格的な民族教育を受けた人で民族的な 誇りを持って生きようとする人たちです。こうした人たちは帰化については1 世の後継者的な考え方をするので帰化をする人は少ないようです。 一方、これ以外の2世の考え方は千差万別です。その生き方をおおざ っぱに分けると  1。差別などの現実に耐えられず、これから逃れるために帰化をする  2。帰化はしたいけれども手続きが面倒なので放置する。  3。民族の一員として誇りを持って生きるのを信条とし、差別などの現状に   進んで立ち向かう。  4。確固たる信念はないが、さりとて差別から逃れるために帰化するのを潔   しとしない。この背景には、帰化は1世に対する一種の「裏切り」である   という意識を持っている場合が多い。     私もこのような2世のひとりですが、上の分類のどれに相当するかは 読み手の想像に任せます。     ところで帰化と言えば当然国籍の変更を伴いますが、この点に関して 私たちには見過ごすことができない重要な事実があります。私の例を引き合い に出して説明します。     私の現在の国籍は「韓国」ですが、これは3番目の国籍にあたります。 最初の国籍は日本とされました。それがいつの間にか「日本国籍」は消えて国 籍は一律に「朝鮮」とされました。さらにその後、私の両親が政治的な理由で 国籍を「韓国」に変えました。 この経過の中で、日本国籍の「消滅」は問題の多いところです。特に 日帝時代に日本軍人として活躍した同胞の場合、この措置はあまりにもむごい ものになります。このような日本の「国策」の協力者の「皇軍兵士」を一夜に して外国人という口実をつけて放り出してしまうなんて日本政府のやり方もあ こぎなもんです。     こうした日帝の協力者、裏を返せば祖国の裏切り者に対して韓国政府 はもちろん手をさしのべるはずはありません。この人達は身も心もたぶん「天 皇」に捧げたと思われますが、はたしてこの人達を「日本人」以外の外国人と して考えることがそもそも可能でしょうか?     このような「帝国軍人」が戦争でけがをして「傷痍軍人」として復員 しても純粋な日本人とは違って軍人恩給などの補償は一切貰えません。必要な 時は「天皇の赤子」として利用し、用がなくなると外国人という理由で切り捨 ててしまうなんて血も涙もないやりかたです。     なお蛇足かも知れませんが、この韓国人は帰化をすれば補償を受けら れた時期が数年ありましたが、日韓条約以降はそれも不可能になりました。     こうした現実を知れば知るほど、私たち2世の帰化は「1世への背信 行為ではないのか?」という疑念が強くなります。さらに、差別などのデメリ ットから逃れるための帰化申請は「負け犬」のやり方ではないだろうか、とい う思いも頭をかすめます。その一方では、定住韓国人の一人として日韓友好の 架橋の一助など、それなりの役割をになえるのではないだろうか、という自負 もちょっぴりあります。 あやしいさん、これで私たちが帰化をしない理由が少しはおわかりに なったでしょうか?     こんな理由から私は帰化しないことに決めています。                         半月城


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